「定期報告ご苦労。引き続き対象の現状維持に努めてくれたまえ。」
「はっ、了解しました。・・・失礼します。」
 相手は無表情、こちらも無表情。ただっ広い部屋には俺を含めて二人だけ。しかし俺が報告として読み上げる内容を耳にするのは目の前の初老の男だけでなく顔すら知らない幾人もの誰かも含まれる。
 所詮末端の俺には到底顔を合わせることなど無いだろうそんな人間達が部屋に設置されたマイク越しに聞くのは、『彼』とその周りに関する諸々のこと。週に一回の割合で行われるこの定期報告でここのところ俺が告げるのは「今週も異常なし」これに尽きる。しかしそんな風に簡単に言ってしまうわけにもいかないので、まあ色々とそれっぽい専門用語等も織り交ぜて長々と文章を考えるわけだ。
 で、そんな報告会も終わりを告げてようやく退出を許可される。毎度変化の無いこの状況を今日もまた繰り返しつつ、変化が無いことは素晴らしいことなのだと多少自己暗示をかけて安堵しつつ、そしてまた今までが繰り返されるのかと幾らかの虚無感を感じつつ、ただしそのどれもを表情には出さないようにし、俺は一礼して部屋を出た。ドアを閉める直前、大きな窓をバックに立つ上司の表情を目にしたが、上司は最後までやはりいつもどおりの無表情だった。
 嗚呼、きっちりと締めたネクタイが窮屈だ。三年前から着用を義務付けられた真っ黒なスーツも煩わしい。そして何より、この建物全体に満ちる淀み狂った空気が忌々しい。まるで我らの『神』が創り出したあの場所のような。






神  は  ノ  イ  ズ  の  夢  を  見  る  か

-1-






 朝、家、聞こえて来るのは妹の声。キョンくんキョンくんキョンくーん、と俺のあだ名を連呼しつつ階段を駆け上がって来る。だが残念だったな、今日のお前の任務はすでに終了だ。何故なら母上から託された「お兄ちゃんを起こしてきなさい。」なる指令は俺が起床済みであるために意味を成さなくなっているからだ。しかしまぁ俺が部屋でそんなことを考えていようといまいと、妹はその性格の如く真っ直ぐに俺の部屋へと突撃をかましてきた。
「キョンくーん朝だよー!起きて起きて・・・って、もう起きてたの?」
「ああそうだよ。ほら、俺は着替えるからお前は下に行って飯食っとけ。」
「うん。わかったぁ!キョンくんも二度寝しちゃダメだからね。」
「おう。ほら行け。」
 なんと平和な日常だろうか。高校生の兄と小学生の妹が繰り広げるごく普通の、そして何の面白みも無い物語だ。視聴者(もしくは読者)がいるのかすら怪しいと言うか無いに決まってるような、ね。
 俺は伸びを一つし、寝間着代わりのスウェットに手をかける。さっさと着替えを終えてカッターシャツの裾をズボンの外に出したまま洗面所へと向かった。
 朝食を終えて歯を磨いて上着を羽織って、鏡の前で髪の毛をちょっと弄くったら鞄を持ってハイ出勤。毎度毎度ハイキングな高校に向かうため家を出る。制服移行期間も終わって全員が夏服になったこの時期、太陽は少しばかり早めに張り切りだしたようで盛んに熱を生み出していた。地球は確実に温暖化しているな、これは。坂道に差し掛かった所でそのあまりの距離に溜息をつき、そうしてえっちらおっちらと坂を登る。
「よー、キョン。今日もダルそうな顔してんな。」
「お前は今日も元気そうだな。なんだ、良いことでもあったか。」
「そうなんだよ!あったんだよ実は!昨日の夕方―――」
 坂道の中腹にて合流した谷口の無駄話に適当な相槌を返しながら残りを登る。くっそ何でこんな所に学校なんか建てるんだよ。もうちょっと平らな所に建てたって罰は当たらんだろう。こめかみから流れ落ちる汗を乱暴に拭いつつ、この高校を選ばざるを得なかった原因に些かの恨みを覚える。俺が所属する組織が神と奉る『彼』にとっての神に。
 坂を登りきって学校に到着。俺と谷口は同じクラスだから玄関から先の道順も同じだ。途中から話題の変わった話にさっきと同じ調子で相槌を繰り返し、教室へと入った。席は離れているので、当然、会話も終わる。
 さて、俺がついた席は窓際後ろから二番目という中々素晴らしいポイントだ。そして後ろに座って素っ気無くあいさつしてくる少女が我々の『神』の神。名は涼宮ハルヒ。この学校の非公認団体「SOS団」の創設者にして団長である天上天下唯我独尊を地で行く存在である。そしてまた、無意識の内に『彼』から神の如き力を受け取ってそれを無自覚で振るう、俺の監視対象の一人でもあった。何せ彼女は『彼』に一番近い存在なのだから。そしてそれ故に『彼』に変化を与え得る可能性が最も高い少女であり、我々がことさら慎重に取り扱わなければならない人間の一人と言えた。
 ちなみに。彼女がこの高校への進学を決心したために俺も此処を選ぶ必要があったと言うことを追記しておきたい。なぜなら彼女を追って『彼』がこの高校に転校してくることは簡単に予想出来たからだ。ということで、俺はもともと『彼』の待ち伏せ要員として此処にいたのである。
「キョン!今日はあたし達でみくるちゃんの買い物に行って来るから、あんたは古泉くんと部室で留守番しといてね。勝手に帰ったら死刑よ。」
「はいはい、どうぞご自由に。ただしあんま朝比奈さんに変な格好させんなよ?」
「あたしがみくるちゃんに変な格好なんてさせたことあったって言いたいの?まあいいわ。わかったわね?絶対よ!」
「了解です団長殿。」
 SOS団の下っ端(ここでも俺は下っ端なのか・・・)として了承すると、ハルヒは青空に輝く太陽よりもキラキラとした笑顔を振り撒いて頷いた。
 なんでわざわざ部室に残れなんて言うのかね。ハルヒだって直帰した方が楽に決まってるだろうに。ただ、学生としての俺の感想はそうだったが、組織の末端として働く方の俺にとってはありがたい命令だとも言えた。自分は買い物に行くと言って女三人で外出し、残りの団員である男二人に留守番を言いつけるというのはつまり、彼女達がまた部室へと戻ってくるということ。それは俺ともう一人の団員が彼女達の顔を帰宅前に拝めるという意味なのだが、俺はともかくそれを喜ぶのが我らの『神』なのだ。
 もうお分かりだろうか。俺が属する組織が神と崇め奉り監視する対象とは、涼宮ハルヒ団長のもとに集まった四名の団員の中の俺を除く一人の男子、古泉一樹なのである。
 古泉は自分が何者なのか、正確に理解してはいない。むしろ理解しないようにされている。古泉はハルヒを神だと言い、自分はそのハルヒによって超能力を授かった人間だと語った。そう思い込んでいる。でも本当はもうちょっとややこしいものなのだ、現実ってやつは。
 三年前、俺は突如として不思議な感覚に襲われた。それはとある特定の人物について理解してしまうというもの。彼が何者なのかを本能のように悟り、彼の感情の動きを察知し、また彼の生み出す異常を修正する役割を担う一人が自分であるということを知っていた。まるで古泉が言う、涼宮ハルヒと古泉一樹の関係のようじゃないか。と言うより、実際に古泉がそんな風に創ったわけなんだが。
 古泉はハルヒが生み出した閉鎖空間を消すために働く。そしてまた、そもそもハルヒが閉鎖空間を生み出さないように現実世界でフォローする。でもそれは随分ストレスが溜まる作業なのだ。でもって俺はストレスの受けすぎで不機嫌になった古泉が無自覚に創り出した彼の閉鎖空間にて、涼宮ハルヒ製の閉鎖空間での古泉のように、神人退治をやっていたりする。忌々しいことにな。
 確かに俺は宇宙人やら未来人やら超能力者やら異世界人やらがいればいいなぁとか思ったりもしていたが、実際に自分がそんな人種になりたいとは微塵も思っていなかった。断言してやる。俺はそんな不思議人物達と関わる一般人としてのポジションが欲しかったのだ。誰が好き好んで男の精神的フォローもせにゃならん超能力者になりたいと思うものか。勝手にしやがれこんちくしょう、だ。もしくは「フザケンナ。」
 しかしそう言うわけにも行かないのが現実ってもので、俺は今日も今日とて『神』が不機嫌にならずに済みそうなことを安堵するのである。これも平和な世界のためだ。古泉一樹の不機嫌が原因で世界が再構成されました、なんて何処のギャグだ。性質が悪過ぎる。
 実のところハルヒがどれだけ世界を再構成しようと思っても古泉が本気で嫌がればどうとでもなる。けれど古泉が世界を拒否すればジ・エンドなのだ。少なくとも俺が属する組織ではそういうことになっていた。


 放課後。俺はハルヒに言われた通り、文芸部部室で古泉と共に留守番の役割を全うしていた。
 パチリ、とマグネットが緑の盤に張り付く。俺が置いた黒の駒は気持ち良いくらい白の駒の列を大量に反転させ、この戦いの勝敗を早々に予感させていた。ここであえて言っておくと、古泉は俺とのボードゲームの勝敗には大して興味が無いらしい。いつも俺にボロ負けしているくせに不快な感情を滲ませることが無いのだ。俺は不本意ながらも彼の感情の起伏を感じ取ってしまうから、「また負けてしまいました。」と浮かべる微笑に偽りが無いことも判る。
 暇潰しのゲームは進み、やがて勝敗は決する。当然、俺の勝ち。対戦相手の感情に異常なし。むしろ古泉は今のこの状況を楽しんでいるらしい。と言うか、古泉はこの部室にいる時やSOS団として活動している時は大抵機嫌が良いんだがな。なんだお前、そんなにハルヒが帰ってくるのが待ち遠しいか。そりゃあ自分で選んだ女だもんな。待ち遠しくもあるか。かっこ笑いかっこ閉じる。・・・・・・はぁ。
「もう一戦いかがです?涼宮さん達が帰ってくるまでもうしばらく掛かりそうですし。」
「そうだな。で、またオセロにするか?それとも何か別の・・・」
「では囲碁などいかがでしょう。同じ白黒でも今度は和風で。」
「なんだそりゃ。・・・まあいいか。んじゃ用意すっか。」
 そう言うが早いか、テキパキと白黒の駒を集めてケースに収納し始める。ほぼ黒一色だった盤上が元の緑色を徐々に晒していく。駒の収納も慣れたもので、俺と古泉の指は次々とマグネットを剥がしてはケースと盤上の間を行き来していた。
「お、ワリ。」
「・・・、いえ。」
 駒が少なくなってきたその時、俺と古泉の指が同じ物を掴もうとしてぶつかってしまった。少女マンガ的展開なら双方頬を染めて恥らってみせるものなのかも知れないが、生憎その対象は俺と古泉であって、まかり間違ってもそんなことにはなり得ない。軽く謝った後、古泉の指が退かれたので俺は躊躇無く白を上に向けていたそれを剥ぎ取った。
「僕、囲碁の準備しますね。残りの片付けお願いします。」
「ああ。頼む。」
 古泉が席を立ってボードゲームが詰め込まれた棚へと向かう。俺は俺で片付け続行だ。にしても、俺はオセロを片付けながらちょっとした違和感を覚えていた。
 なあ古泉、なんでお前そんな複雑なことになってんの。正確にはその感情なんだけども。嬉しいのか苦しいのか悲しいのか楽しいのか、焦ってるのか落ち着いてるのか。ノイズが混じってぐちゃぐちゃだ。落ち着いているように見せても俺には全くもって無意味だな。お前、何を考えてんだ。ハルヒに関して何か異常でも察したか?それとも何かとんでもないことを思い出しちまったとか。
 いや。古泉がどう思おうと俺個人としてはどうでもいいのだが、組織としては慌てるんだよな。俺も次の定期報告を迎える前に今のことを報告書にまとめて連絡せにゃならんし。うっわ面倒くせえ。下手するとまた黒スーツ着用だぞオイ。制服だって今みたいに着崩してるってのに、あんなカッチリしたスーツは天敵以外の何者でもねえんだよ。社会人になってからはどうか判らんが、せめてこの学生時代はもっと気楽な服装でいたいもんだ。
 そうこう考えている間にも表面上は冷静な古泉は俺がオセロを退けた場所にマス目が書かれた木製の板を置いた。板の上には碁石入れが二つ。古泉が無言で席に着くのと合わせてそのうちの一つを己の方へと引き寄せる。そして蓋を開けて色を確認。
「白か。」
「僕は黒ですね。」
 本当は石を握ってその数(偶数か奇数か)を当て、先攻後攻を決めるのが基本ルールらしいが、そこまで厳密にやるつもりは無い。と言うことで最初に持った石の色によってどちらが先かを決定。ゲームスタート。
 慣れた手つきで碁石を持つ古泉の指は、徐々に落ち着きを取り戻した彼の感情のように冷静に動く。どうやらさっきのノイズは突発的なものらしい。一体何が引き金だったのやら。それを考えて上に報告するのも俺の仕事なのだが。
 うわもう泣きそう。書類仕事反対。原因不明のノイズ反対。何て書きゃいいんだよ。原因はハルヒか?それ以外のことか?
「どうしました?次はあなたの番ですよ。」
「スマン。ちょっと考え事をな。」
「おや、対戦中に他の事を考えるとは。余裕ですね。」
「お前なぁ・・・」
 微笑を絶やさずこちらを見据える双眸に溜息を吐く。俺にボロ負けする奴が「余裕ですね。」とか言いながら非難するな。嫌ならもうちょっと手ごたえのある対戦相手になってみろ。そう言ってやろうと思った。しかしまた目の前の奴の感情にノイズが混じって俺は顔を顰めるに留まる。
 なんだこれは。そんなに嫌だったのか、俺が古泉との戦いに集中しなかったことが。小さな子供じゃあるまいし。
 どんどん増える報告事項にうんざりしつつ、とりあえず白の石を盤上に置いた。
 結果から言っておこう。この後、しばらくしてから古泉の感情のノイズは治まった。ゲームはやっぱり俺の勝ちだったけどな。古泉製の閉鎖空間も発生せずに済んだし、報告せにゃならんこともそれ以上増えなかったので良かったとしよう。あ、でもハルヒ達が帰ってきた時、古泉のテンションがほんの少し下がったような気がした。囲碁に引き続き、チェスをやっていた時のことだ。表面上は変化しなかったし、俺が感情の変化を察知したのもほんの一瞬だったから本当かどうかは怪しい所なんだが。でもたぶん、実際に古泉の感情が負に傾きかけたとしてもその原因はハルヒの帰還時の大声に吃驚したとかそんなモンだろ。俺も盛大に顔を顰めさせてもらったしな。
 SOS団全員が揃った後は朝比奈さんが淹れて下さった至高のお茶を楽しみ、ハルヒが本日の戦果(朝比奈さんの新たなコスプレ衣装だった)を披露して終了。帰宅と相成った。
 五人と言うか三人と二人と言うか二人と一人と二人と言うか、そんな感じに別れて帰宅する。つまりハルヒと朝比奈さんが先頭、その後ろに長門、最後尾に俺と古泉ってこと。夕日に照らされながらいつもの薀蓄を垂れ流す古泉はずいぶん機嫌が良いようだ。俺は途切れることなく流れ出す古泉の台詞に普段よりは多少きちんと耳を傾けつつそう思った。
 何故いつもよりちょっとだけきちんと聞いているのかと言えば、それはひとえに部室での古泉のノイズに由来する。自分の話を他人にちゃんと聞いてもらえるってのは気分の悪いことじゃないだろ?その相手が例え俺でもね。だからさ。小さなことでもフォローは大事なんだよ。
 そんな感じで一日終了。家に着いたら嫌な仕事が待ってるんだが、頑張るしかない。古泉、頼むからその上機嫌を維持してくれよ。こんな日にまで閉鎖空間の対処なんかしてられんからな。








補足
一般認識は(キョン←)ハルヒ←古泉、真実は古泉→キョン(←ハルヒ)
キョンも一般認識派。
自分とハルヒがくっつくわけにはいかないと思っており、せめてハルヒの感情には気付かないフリ。
キョンが古泉を時々「彼」呼びするのは、『組織』の人間としての視点からものを見ているから。
キョンの属する『組織』と古泉の言う『機関』は一応別物。
裏設定では『機関』は『組織』の下部組織だったりするんですが(笑)
(『機関』の上位陣だけが『組織』の存在を知り、それに従っている、と。)