「なんだろ・・・この感覚。」
数日間一護と会わず虚圏を放浪していたディ・ロイは、ふと胸に良くないものを覚えてその場に立ち止まった。 お茶の時間を邪魔してくれた不届者をこの手で潰すと誓ってその虚を探していたのだが、この広大な虚圏ではなかなか思うように成果を上げることが出来ない。 しかし今この胸に訪れている感覚は決してそれによるものではないと言う確信があって、ディ・ロイは原因不明の不安感――そう、これは「不安」だ――に眉を顰めた。 (・・・此処に居ちゃいけない。あそこに行かないと。) 不意に浮かんだ言葉はすぐさまディ・ロイを突き動かすほど大きな思いになる。 そしてディ・ロイは右手を前に掲げ、世界を繋ぐ扉を開いた。 wirepuller α (Good-bye and good night, my ―――.) 音も無く、既に日も落ちたその地に降り立つ。 尸魂界、瀞霊廷。 その一角に存在する森とも林ともつかぬ場所でディ・ロイは目を閉じ、辺りの霊圧に意識を凝らした。 (・・・どこ?どこにいるの・・・) 常ならば探らずとも感じられる一護の霊圧が今は分からない。 夜だからと言うだけではない、しんと静まった瀞霊廷の不気味さも相俟って不安感は増すばかり。 (一体どこに・・・・・・・・・、見つけた!) 僅かな霊圧を察知して目を見開く。 遮られているという感覚とそこから洩れ出ているような薄い気配に、一護はどうやら殺気石で作られた部屋の中に居るらしい、と見当をつける。 どおりで見つかり難かった訳だと思いながら、ディ・ロイはタンッと地を蹴った。 向かう先は既に決まった。 ただ一点を目指して建物の合間をすり抜けて行く。 闇に紛れて誰からもディ・ロイの姿は見えず、霊圧も感知出来る者はいない。 「あそこだ・・・」 中に閉じ込めた人間が逃げないよう、人幅よりも狭く作られた窓から光が零れているのが見える。 殺気石の部屋と狭い窓。 それが示すものに気付いて、ディ・ロイは痛みを覚えるように片目を細めた。 「バレちゃったんだね。」 自分と同じ『虚』の匂いを纏っていた一護。 彼本人から明かされることは無かったけれど、きっとその隠していたことが死神達の知るところとなったのだろう。 それはつまり自分達の今が、異質でささやかな関係が、崩れ去ることを意味する。 死神と虚は相容れないもの。互いに互いを屠る間柄であり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。 だから一護に訪れる未来は唯一つしかなかった。 終わり、という名の未来しか。 ディ・ロイがその窓に辿り着いた時、部屋から数人の人影が退出して行くのが見えた。 金髪の男、黒髪の男、銀髪の女。 もしかして彼らが・・・と思いながら、そうしてディ・ロイは窓枠に手をかける。 「今の、部下さん達?」 「ああ。」 驚くことなく返される声から、今、部屋の中に一人で居る人物はディ・ロイの接近に気付いていたことが判る。 侵入を許さない窓の外から中を覗き込めば、オレンジ色の髪の青年が真っ白なベッドに腰を下ろしていた。 彼は、一護は怪我を負ったらしい。 だがそれについては何も言わず、ディ・ロイは一護の部下達が出て行った扉に視線を移す。 閉じられた扉の向こうからは怒り、悲しみ、後悔と言った感情が伝わってきていた。 「・・・大切にされてたんだね。」 「そうだな。」 慈しむような声で肯定され、ああ君も彼らが大切だったんだ、とディ・ロイは言葉にされない思いを読み取る。 「誰を倒すために力を使ったの。」 「お前が言ってた、俺達のお茶会を駄目にしてくれた奴。」 「・・・何やってんだよ。そんな奴ごときに。」 「ちょっとしたミス、かな・・・」 「どうせまた名前も知らない死神を庇ったり・・・とか?」 「しょーがねぇだろ。似てたんだから。」 誰に、とは問わずとも分かる。 あの小さな養い子に、だろう。 虚だけではなく死神の気配も残る一護の傷口に目を留めて、ディ・ロイは溜息をついた。 (虚化した姿を『拒絶』されちゃったんだね。その死神に。) 名も知らぬ“奴”を昇華するため、ひいては皆を護るための代償として虚化し、それによって死神達からの嫌悪と畏怖を一挙に引き受けてしまったのだろう。 いつもならそこまでせずとも倒せたに違いないのに今回は仲間を庇うために余計な労力を使って、そして裏切られた。 一護はただ仲間を護りたかっただけなのに。 損な人生だね、と微かに空気を震わせてディ・ロイは苦笑する。 「ほーんと、君ともあろう者が何やってんだか。」 「褒められてんの?貶されてんの?」 「思い切り貶してるんだよ。」 「・・・せっかく“奴”を潰してやったのに。」 「嬉しくないよ、そんなの。」 ディ・ロイがポツリと零して後は沈黙だけが部屋に満ちた。 「・・・・・・悪ィ。」 「なんで謝るの。」 「もう何もしてやれねぇから。お茶もお菓子も、」 「そんなものに謝罪なんていらない。」 ギリッとディ・ロイの細い指が窓枠を掻く。 思いのほか込められていた力に殺気石製のそれがほんの少し欠けていた。 「どうせなら俺の前から消えることについて謝ってよ。俺を一人にすることを謝ってよ。・・・俺を、こんな気持ちにしたことを謝ってよ。」 「・・・お前らしくないな。」 「俺だってそんなこと分かってるけど、」 制御がきかないんだ、と言って顔を伏せた。 その耳に一護の声が届く。 とても穏やかな声が。 「明日の処刑で“俺”は消えるけど、魂が消滅する訳じゃねーから。・・・また、会うこともあるかも知れない。」 「でもそれは君であって君じゃないものでしょ。それに、そもそも“人間”がどれだけいると思ってんの。」 ディ・ロイらしからぬ弱々しい言葉に、部屋の中から苦笑する気配が伝わってくる。 「・・・逃げないの?」 「逃がしたいのか?」 「俺は関係ないでしょ。でももし君が望むなら、」 「俺は逃げねーよ。」 ああ、と胸中で呟いてディ・ロイは顔を上げた。 「バカだね。」 「今更だろ?」 「・・・俺なら、拒絶したりしないのに。」 (そんなに“仲間”から拒絶されたのが嫌だった?悲しかったの?・・・それとも大切な人に迷惑をかけたくないから?) 死神として、王属特務の長として、虚の力を持つものとして、小さな子供の親として、そして、黒崎一護として。 壁に背を預けて夜空を仰ぐ。 漆黒の天蓋には、星と、明日には新月になるであろう細い三日月と、僅かな雲があった。 「ありがとな。・・・でも何もしてくれなくていいから。」 「・・・・・・知ってるよ。」 そう告げて、ディ・ロイは壁から背を離す。 一護はもう何も言わない。 そうしてディ・ロイは闇夜の中に姿を消した。 夜が開け、日が昇る。 彼の青年を処刑するために用意された『其処』を遠くから眺めて、ディ・ロイは目を眇めた。 オレンジ色の髪の青年が磔架に磔にされて急所に槍を突きつけられている。 それは、誰にも消し去ることが出来なかった『虚の力』の封印を伴う、長い長い輪廻への旅立ち。 また会えると言う保障も何も無い、理不尽な終わり。 そしてたぶん、全ての終わりの始まりだった。 見据える先で一護が此方を見た。 一瞬だったけれど確かに交わった視線にディ・ロイは目を見張る。 琥珀色の瞳は瞼の奥に隠され、代わりに動いた唇が音にならない言葉を紡ぎ―――。 そして間も無く、六本の槍が彼の命を消し去った。 貫かれた身からパッと鮮やかな赤が舞い、空気を染める。 刀身はその色を変え、目を口を、喉を肺を、心臓を腹をズタズタに突き破った。 しかし次の瞬間、ディ・ロイが見据える先で全てが白く弾けた。 槍に貫かれた一護の躯は穴の空いた着物を残して全てが白い砂になる。 髪も肌も瞳も、血液さえも。 全てが真っ白な砂となり、さらさらと風に攫われて。 その光景を、目を眇めながら、けれど決して顔を逸らすことなく見つめていたディ・ロイは、やがて外気に触れる片方の目をゆっくりと閉じた。 代わりとして口元に刻まれたのは今にも崩れそうで酷く頼りない微笑。 (待ってるから。ずっと、君を。) (例え記憶がなくなっても、君が君じゃなくなっても。) (だから、今は。) 「バイバイ・・・一護。」 笑って君を見送ろう。 束の間の別れだと信じて。 (そしてぼくらは、たがいのなまえをはじめてくちにしたんだ。) (2007.03.10up) |