「おうじ、さま……?」
「そ。こーんな所に閉じ込められてっけど、れっきとしたこの国の王子だぜー」
 残酷な現状をまるで屁でもないかのように正臣は明るくそう言い切った。
 一人別の塔に住まわされ、外からはいくつも鍵をかけられて。それが王子に対する扱いではない事くらい帝人にも解る。だからこそ帝人は正臣がこんなにも明るく振る舞える事が理解できなかった。
「どうして」
「ん? 俺がここに閉じ込められてるって事か? そりゃこの足と目の所為だろうな」
 そう言って正臣はまずゆったりとしたズボンをたくし上げる。手触りの良い生地に隠されていたそれが露わになると帝人はひゅっと息を呑んだ。
「帝人は目が見えるんだよな? どうだ。俺も触ってるから何となく判るんだけど、ものすげえ事になってるだろ」
「……」
 正臣の台詞に帝人は何も返せない。
 彼の二本の脚はまるで棒きれのようだった。帝人も痩せているためその脚は棒きれだと例えられるが、それとは比べものにならない。まさに枯れた木の枝そのもの。暗い茶色に染まり、骨と皮だけで構成された両足はどう見てもこれで歩くのは無理だと思わせる。実際、歩くどころか立ち上がる事すら無理なのだろう。それ故の車椅子だ。
 己の細すぎる脚をさすって正臣は苦笑を浮かべた。
「これじゃ一国の王子としても人前には出しにくいよな。それにこっちも。初めて見た奴は大抵驚くんだ」
「……目が」
「そう。空っぽなんだよ」
 少し長めの前髪を掻き上げた正臣の両瞼の奥には眼球が存在していなかった。ぽっかりと暗い穴が二つ。昔は茶色の目がきちんとはまっていて視界を得る事ができていたそうなのだが、成長するに従って徐々に視力が衰えていき、終いには両目とも腐り落ちてしまったのだと正臣は笑う。
「聞いた話じゃ、生まれた時は俺も五体満足だったらしいんだ。でも脚が朽ち、両目が腐り、今もその状況は進行している。最近だとちょっと右腕の調子がおかしいんだ。俺が成人する頃には両足どころか両腕も使い物にならなくなってるだろうな。……折角母親の命を奪ってまで生まれたってのに」
「お母さんの命を奪って……?」
「ああ。俺の母上は元々魔力への耐性がない人でさ、魔力に満ちたこの国じゃそう長く生きられないだろうって医者から言われてたんだ。でも彼女はこの国とこの国の王を愛した。だから自分の寿命が削られると解っていても俺を産もうと決心したんだ。……結果、母上は俺を産んですぐに死んだよ」
 あははっ、と乾いた笑いが正臣の口から漏れ出た。
「自分の母親の命と引き替えに生まれたくせに、俺はこの国を継ぐどころか一人で生きていく事すらできない。国王はさぞかし俺を憎んでるんだろうな」
 一人塔に閉じ込められて、いくつも鍵をかけられて。幽閉中の王子は明るく笑いながらそう己を嘲る。
「憎む?」
 一度だけ言葉を交わした事がある国王の顔を思い出しながら帝人はこてんと頭を傾けた。
「そ。国王様は大事な妻を殺して生まれた出来損ないが大嫌いなんだ。なあ帝人、お前は俺を哀れだと思うか? 夜の森で魔王に囚われ、使役され、自由どころか記憶まで奪われたお前は」
「王子様は哀れなの?」
「そうなんじゃないのか? 世間一般から見ても、不自由な身体を抱えて外にも出してもらえない王子ってやつは」
「ふうん」
 帝人にはこの城に来るまでの記憶がない。夜の森で自分がどんな扱いをされていたのかも、魔王に囚われる前にどこでどんな生活を送っていたのかも。手首と足首には長く拘束されていた痕が残っているが、新羅によって救出される前に外されていたというそれの形も重さも大きさも帝人は全く知らなかった。
 だからだろう。帝人は明るく振る舞いつつも己を嘲り続ける孤独の王子を眺めながらぽつりと答えた。
「ぼくは王子様が哀れかどうかなんてわからない。大変だろうなとは思うけど。……でも嫌われてたって生きていけるよ。哀れでも何でも、王子様は今ここで生きてる。ぼくも色んな人に可哀想だね、哀れだねって言われたけど、こうやって生きて王子様と話してる。そして生きてるぼくは死にたいとか思った事はない。だから王子様もぼくとこうして話していて、死にたいなーって思ってなければそれでいいんじゃないかな」
「……無茶苦茶だな」
「そう? 死にたいと思わなければ死ななければいい。単純な事だと思うけど」
 からりと笑い、帝人は正臣に微笑みかけた。
 その笑みを両目で捉える事は叶わないが、気配で察した正臣が虚を突かれたように間抜けな表情を晒す。やがて驚きの表情が苦笑へと変わり、正臣はまるで背負っていた重い荷物が少しだけ軽くなったような声で帝人の名を呼んだ。
「帝人」
「なあに?」
「また、ここに来てくれるか?」
「うん。王子様が来てもいいよって言うなら。あ、そうだ。王子様ってここから出られないみたいだから、ぼくが外から色々な物を持ってきてあげる。お城の外の市場にね、とっても美味しい果物を売ってる店があったんだ。もしまた行けたら、今度来る時にそれを買って来てあげるよ!」
「サンキュー、楽しみにしてるぜ。それと俺の事は王子様じゃなくて名前で呼んでくれよ。帝人なら構わないから」
「わかった。じゃあこれからは正臣って呼ぶね」
「そうそう。これで俺らは今日から友達な。よろしく、帝人」
「うん!」
 正臣の笑みに釣られるように帝人は明るい声で答えた。そして笑顔を浮かべたまま小首を傾げて、

「でも『友達』ってなあに?」

 本気でそう訊いてきた帝人に正臣は困ったような顔をする。
「……俺達みたいな関係の事を言うんじゃねえかな」
 友達を持った事がない王子の答えに友達の定義を知らない少年は「そっか」と返す。そして次の一言で正臣の顔を再び笑顔に変える事となった。
「じゃあきっととても良いものなんだね」



□■□



 その日の政務を終えて応接室にやって来た国王は、部屋のソファで居眠りをしている青年の姿を視認して思わずその顔に水でもかけてやろうかと思った。が、相手はひょろひょろのインドア派に見えても剣で生きる人間だ。こちらの攻撃を躱されるどころか要らぬ反撃まで喰らいかねない。したがって国王は溜息を一つ大げさに吐くに留め、おそらく他人がこの部屋に入室した時点で目覚めていたであろう青年に水ではなく声をかけた。
「そこで何をしている。この出不精騎士め」
「何って昼寝。あ、夕方だから夕寝かな」
「帰れ」
「何その顔。酷いなぁ。折角待ってたって言うのに」
 へらへらと締まりのない笑いを浮かべて青年―――岸谷新羅はソファに座り直した。
「そう言えば正臣君と帝人君が仲良くしてるって話、知ってるかい?」
「らしいな」
「それ、君の差し金じゃないの?」
「……囚われの『姫』に会ってみたいと言ったのは正臣だ」
「ふぅん。ま、直接君に言ってきたんじゃなくて、正臣君が食事係に零した呟きを拾ったんだろうけど……わざわざ願いを叶えてあげるなんて相変わらず甘いねえ。いや、それはいいんだ。会わせた事を別に悪いとは思っちゃいない。むしろ良かったとさえ思うよ。ただね」
「ただ、なんだ」
 訝って片眉を上げる国王。
 問われた新羅は話題にしている二人の少年ではなくその彼らを心配しているある女性を心に思い描きながら微苦笑を浮かべた。
「もうちょっと正臣君に優しくしてやったらどうだい? ちゃんと目に見える形でね。あんな所に閉じ込めて滅多に姿を見ない・見せないってのは正直どうかと思うよ。突然人前に晒すのが躊躇われるなら、まずはどこかの寄宿舎に預けるのも手かもしれない。言ってくれれば何カ所か良い所を知ってるし……」
 国王は聞いているのかいないのか、視線を壁に掛けられた大きな肖像画に向けている。
 そんな相手の態度に新羅は肩を竦め、けれども言うべき事は構わず言うつもりで口を開いた。
「君の息子はあれでとても聡明だよ。でも深く考えすぎて傷ついてるのにそれを表には出さない。君も解っているんだろう? 彼のあの無駄な明るさは全て作り物だって」
「…………」
 王は壁の絵を見つめたまま言葉を返さない。新羅はやれやれとわざとらしいジェスチャーをした後、黒縁眼鏡の位置を正して話の矛先を変えた。
「ところで魔王のミイラ化計画は順調に?」
「ああ。問題ない」
「そっか。……それならまあ、いいんだけど」
「何が言いたい」
 自分で話題を振っておきながらのんべんだらりとした返答に、国王がようよう新羅に視線を向けた。
 不機嫌さを滲ませた眉間の皺に新羅はほんの少しだけ楽しそうに口の端を持ち上げる。
「いやね。ちょっとばかり上手く行き過ぎているように感じたからさ。だって相手は夜の森の魔王だよ?」
 まがりなりにも数百年以上の長い年月を生き、魔物の森を統治してきた存在だ。それがいくら魔力が落ちる新月の夜だったとは言えこうも簡単に捕まるだろうか。そしてこうも大人しく城の地下に封じられているだろうか。
「それだけこの国の魔術師達が優れているという事だろう」
「だと良いんだけどね」
 堅い口調で答える国王に新羅は正反対の軽い声でそう告げる。
「で、国王。現在進行形で絞り出している魔王の力を君は一体何に使おうとしているのかな?」
 この男の本題はそれか。
 新羅の眼鏡の奥の瞳を見返しながら国王は思った。この男の事だから彼自身の目的ではなく彼の妻が案じている事なのだろうけど。ともあれ妻を第一であり唯一としている青年であるので、どちらでも同じだと国王は心の中で結論を出す。
 そして「どうするのかな?」と訊いてくるこの国の聖騎士に国王は限りなく感情の起伏を無くした声で返した。
「無論、この国のために決まっているであろう」
「……そ。んじゃ私はこれで失礼しようかな」
 新羅はソファから腰を上げ、国王を振り返る事もなく部屋を出る。
 そうして一人になった応接室で、国王は再び壁に掛けられた肖像画を見つめた。
 絵には美しい女性が描かれている。彼女こそが今は亡きこの国唯一の王妃。その美しい容貌を見つめながら国王は口の中だけで小さく妻の名を呼んだ。
 彼女は美しい女性だった。姿だけでなくその心もまた。王を愛し、国を愛し、まさしく王妃に相応しい人間だった。しかし彼女は身体が弱く、魔力に耐性のない人だった。ゆえにこの国に満ちる魔力が徐々に彼女の命を削り取っていった。
 そんな彼女が残したたった一度だけの我侭。―――彼女は言った。私はこの国で唯一の妃であり、貴方の唯一の妻でありたい。と。
「……ああ、解っている。この国の妃は、この私の妻は、ずっとお前一人だけだ」
 記憶の中の妻に答える王の傍に新たな妃の姿はなく。死して尚、この国の王妃は彼女だけ。
 そしてこの国を継ぐべき王子もまたただ一人だけであった。