魔術で作り出した灯りは不自然に青白く、まるで周囲を凍り付かせるように照らし出していた。
 魔王討伐のため編成された魔術師団の者達は誰もが目深にフードをかぶり、顔を隠している。手に持っているのは術の行使に用いる杖だ。個人の体つきや魔術特性に合わせて作られるため大きさも形も色も様々であるが、各自一本ずつ手にしている。
 そんな中、フードを取り払って闇を見据えている女性と、杖ではなく剣を腰に下げた青年が一人ずつ。後者は白い騎士服を纏った<聖騎士>岸谷新羅。そして前者はこの魔術師団を率いる団長、矢霧波江と言った。
 己よりもほんの少し年上であろう魔術師団長の冷めた美貌を眺めやり、新羅はシンと静まった空気とは全く合わぬへらりとした笑顔を浮かべる。
「夜の森に上がる月は綺麗だって聞いてたんだけど、新月じゃあねぇ。せめて三日月では駄目だったのかい?」
「私達は月を見にここまで来た訳じゃないのよ? わかって言ってるなら今すぐその口を閉じなさい」
「波江嬢は相変わらず真面目だなあ。ま、確かに新月は魔王の力が最も低下する時だ。これを逃す手はないね」
「そうよ」
 新羅の台詞を淡々と肯定して波江は続けた。
「特別に編成されたこの魔術師団は元より、貴方の聖剣でだって敵うかどうか……。だからわざわざ新月を狙ったっていうのに、馬鹿な事は言わないでほしいわ。ああでも、これで魔王を捕らえる事ができれば、ライラ全体の魔力も随分と上がるでしょうね」
「そっちに関しては興味ないよ。私はただ愛しのセルティが魔王から子供を救ってほしいと願ったからここにいるだけであって、魔王の身柄がどうなろうと知ったこっちゃない」
「……相変わらず、あの“首無し”にゾッコンね。我が国の聖騎士様は」
 常にヴェールを被り首から上を隠しているセルティを指して波江はそう呟いた。声にうんざりとした成分が含まれているのは何も気の所為ではない。新羅のセルティラブ具合は、下町の人間よりも新羅と関わる時間が長い役人や魔術師達の方がよく知っているのだから。
 せめてシリアスでなければならないここでは惚気話を始めてくれるなよ、と思う波江。そんな彼女の耳元に部下である一人の魔術師が囁きを落とした。
「……」
 部下からの報告を聞いた波江は表情を引き締めると小さく頷き、どうやら脳内で奥方との会話を思い出しているらしい――なにせ顔がデレデレに崩れている――新羅に冷たい声を浴びせかけた。
「聖騎士殿、結界の準備が整ったわ」
「……そっか」
 新羅も表情を正し、黒縁眼鏡の位置をクイと直す。そしておもむろに腰の剣を抜き放つと、背後に向かって一閃した。

「ギャァァアアア!!」

 醜い叫び断末魔を上げて斬り裂かれたのは三つ目の魔物。「どうやら結界を張り終える前に侵入してたみたいだね」と軽く言う新羅だが、その顔はさっきまでへらへらと笑みを浮かべていた青年とは思えない程に鋭さを増している。
 魔術師達の補助も必要とせず一太刀で魔物を屠った新羅は、魔術の光を受けて淡く光る聖剣を掲げながら鋭く言い放った。
「これより先、なんぴとたりとも私の間合いに入るな。怪我をするなんて甘い事は言わない。もしこれが守られなければ……」
 魔術師達を振り返った目は闇に沈んだ森よりもなお黒く、これこそ自国最高の聖騎士であると見た者に知らしめる。
「命の保証はしないよ」



□■□



 木の根本で眠っていた帝人は誰かが叫び声を上げたような気がして目を覚ました。起きあがって周囲を見渡すと、なにやら森がざわついてる模様。闇の中で何かが騒いでいる。魔物か、動物か、それとも……。
 空を見上げるが、月はない。帝人は今日が新月だった事を思い出し、静雄の館へと走り出した。酷く嫌な予感がする。
 月明かりを失った森は帝人の記憶の中で一番暗いのに、何故か最も空気が騒がしい。
 闇の中、不安にかられて走れば当然何度も転倒したが、帝人は膝を擦り剥いても枝や葉で皮膚を切っても一分一秒が惜しいと走り続けた。そして目にした館は―――
「あ、あ、……うそだ、そんな!!」
 館全体を真っ赤な炎が覆いつくしている。
 焼け落ちた部分が崩れる音も、燃え盛る炎の熱気も、五感で感じる全てがこれは夢ではないのだと帝人に教えてくる。けれども帝人はそのリアルを感じていながら、躊躇わずに館の中へ飛び込んだ。
「静雄さんの絵は……っ!?」
 なんとか焼け落ちずに済んでいた階段を駆け上がり部屋の扉を開け放つ。
「静雄さん!!」
 部屋の中央に立つのはこの森の魔王。彼は金色の瞳で帝人を一瞥すると、次々に燃えていく己の絵をじっと見つめた。
「そんなっ、静雄さんの絵が! どうして、なんで……いやだ、こんなのは、こんなの……!!」
 帝人は部屋に入ると素手で絵に移った炎を叩き始める。痛みも火傷も構わない。己の腕で一枚でも静雄の美しい絵が守れるならば一本だろうと二本だろうと燃やし尽くせば良いと思った。
「おねがいっ、消えて! お願いだから消えてよ!! 早くしないと静雄さんの絵が」
「やめろ」
「っ、静雄さん」
 燃え盛る炎の中でも聞こえた、静雄の凛とした声。それに逆らう事などできようはずもなく、帝人は苦しげに眉根を寄せて振り返る。
 静雄は炎によって生まれる風で闇色の翼と金色の髪を揺らしつつ、月色の瞳で絵ではなく帝人を見ていた。そこに浮かぶ表情はない。ただ僅かな諦観があるような……そう感じ取り、帝人はふらふらと静雄の正面に歩み寄る。
「絵を、守らないと」
「手」
「しずおさん……?」
「手を出せ」
「え、……あの、っい」
 静雄が何をしたいのか解らず帝人が戸惑っていると、夜の森の魔王は火傷を負った小さな手を取って己の両手で包み込むように持つ。触れ合った瞬間、帝人は痛みに呻いたが、その痛みは瞬く間に引いていった。
「……あ」
 静雄が手を離すとその空間に残ったのは火傷の痕など全くない帝人の手。帝人は驚きの中、何を言えばいいのか解らず口をパクパクさせた。だが何か言わなければいけないのは解っていたので、とにかく音を出そうと肺から空気を出す。
 しかしそれが音になる前に、帝人達のいる部屋が爆発した。
「ッ……静雄さん!!」
 鼓膜を爆音に侵されながら帝人は叫ぶ。明らかに自然のものではない爆発は、幸か不幸か、屋根の部分を粉々に吹き飛ばしていたため帝人はさして怪我を負わずに済んでいる。しかし静雄の姿が見当たらない。
 自分の命よりもそちらの方が心配で、帝人は炎の中で懸命に見渡す。そしてようやく静雄の黒い翼を見かけたと思った、その時。
「こっちに手を!」
「……だれ」
 静雄の反対側から手を伸ばす人間の青年。不思議な事に上等な白い服はこの炎の中にあって煤一つ付いておらず、腰に下げた剣も一見して判るほど立派なものだ。
 どうしてこんな人間が自分に手を伸ばすのか理解できず、帝人は動きを止めてしまった。それをどう思ったのか、黒髪の青年は帝人に手を伸ばしたまま笑みを浮かべて続けた。
「君を助けに来た。さあ、この手を取って!」
(助けに来た? どうして?)
 帝人の思考は疑問で埋め尽くされる。どうしてそんな事を言うのだろう。帝人はここから助け出して欲しいと思った事など一度も無い。
 背後を振り返ると、静雄は何か細い糸のような物に全身を捕らわれて身動き取れずにいた。
 助けるならばこの魔物だ。どうして炎の中で捕らわれている? 彼を、そして彼の絵を助けなければいけないのに。
 帝人は青年の声を無視すると静雄の元へ歩み寄った。だが痩せ細った手と腕が魔王を縛る糸に触れる前に、静雄がなんとか動く右腕を伸ばして帝人の両目をその手のひらで覆ってしまう。
「しず、」
 覆われた両目が熱い。
「行け。獣を称する子供。お前にはもうここにいる理由がない」
 静雄は小さくそう告げ、ゆっくりと手を離した。再び露わになった両目で帝人が見たのは黒煙と炎が舞う中でも変わらず美しい夜の王の姿。だと言うのに、そんな美しい彼の傍にいたいのに、帝人の身体は向きを変えて彼の元を去ろうとする。
(うそ。なんで!?)
 強制的に動く身体で無理矢理顔を後ろに向けると、細い糸に捕らわれた静雄がそっと月色の目を閉じるところだった。
(やだ。いやです静雄さん)
 最後には首の動きすら思うようにならなくなり、正面を向かされた帝人の視線の先には先程の黒髪の青年がずっと手を伸ばし続けていた。
「こっちだよ! さあ!!」
 魔王の優しい翼ではなく、騎士の力強い腕が帝人を炎の中から救い出す。
 炎の中から出た瞬間、急に襲ってきた眠気の中で帝人は必死に静雄を振り返ろうとした。しかしそれは叶わず、館が焼け落ちる音を聞きながら帝人の意識は深い深い闇へと落ちた。
(ぼく、の……居場所は)