セルティ・ストゥルルソンは思い出す。
今から十年程前、年の割に幼い容貌の少年が年齢以上に大人びた雰囲気を纏って己に差し出したその存在を。 * * * 『これは?』 闇医者であり恋人の岸谷新羅と住まうマンションにて。来客にソファを勧めて己はその正面の席に腰掛け、セルティはローテーブルの上に置かれた布を被ったままの『何か』に無い首を傾げた。 それはテーブルに置かれた時の音から察するに硬質な物、もしくは何らかの硬い(ガラス質の)ケースに入れられた物だろう。意識を隣に座る新羅に向ければ、彼はそれが何か知っているらしく神妙な面持ちで正面を見据えている。 『帝人……』 答えを求めるようにセルティはこの布を被った物体を差し出した少年の名をPDAに刻んだ。 今年で十八になるその少年は薄い笑みを浮かべて、 「セルティさんにお渡ししなくちゃいけないものです」 『私に?』 「ええ。……先日、僕が臨也さんと話し合いをした事はご存知だと思いますが」 『ああ』 その時の事ならばセルティも承知している。 カラーギャング、彼らよりずっと深い場所にいる大人達、そして妖精デュラハンまでもを巻き込んで発生した事件は先日終わりを見せたばかりだ。未だいたる所でその残り火が燻っているけれども、各方面に特化した人間によってそれらは次第に収束へと向かっている。 そしてかの一件にて、事件を終わりへと導くため鍵を握る人物と帝人が話をつけに行った際、少年を運んだのはセルティである。だが帝人が鍵を握っていた臨也と何を話したのかセルティは知らない。知っているのは臨也のマンションから出て来た帝人の双眸がこれまでとは違う光を宿していた事くらいだ。 (「大丈夫です」と微笑まれてしまっては、理由も聞くに聞けなかったがな) セルティがその時の事を回想していると、帝人は一度ゆっくりと目を閉じ、それを再び開いて言葉を紡いだ。 「臨也さんとちょっとした約束をしたんです。……これはその約束関連で臨也さんにはもう必要無くなってしまったからと僕が譲り受けました。でもこれは臨也さんが、ましてや僕が持っていて良い物じゃありません。これは―――」 言いながら帝人はテーブルの上の物体から布を取り去る。 「―――セルティさん、貴女のものだ」 (…………ッ!!) それを目の当たりにし、セルティは全身を総毛立たせた。 (これ、は) 「貴女の首です」 帝人の落ち着いた声が告げる。 円筒形のガラスケースに収められていたのは美しい女の首だった。かつては己の全てを賭けて捜していたもの。しかし過去の記憶よりも大切なものを見つけて執着を捨て去ったもの。 そうと意識した瞬間、目の前の首から自身と同じ気配を強く感じてセルティはそれが本物であると確信する。だがしかし、まさか臨也が所持していたとは。 執着を捨て去って以来は気配を辿る事も無く、こうして同じ空間にまで持って来られても判りすらしなかった程度にまで重要性は落ちてしまっていたが、それでも知人によってすぐ近くに隠されていたというのは些かもやもやした不快感を覚える。加えて、どうせ臨也の事だ。愛でるのが目的ではなく別の理由があって所持していたに違いない。帝人が言う『約束』の内容は分からないが、あれ以降臨也が大人しい事を考えれば、どうせこの首もろくでも無い事に使うつもりだったのだろう。 そんなセルティの感情の動きを察知したのか、帝人は「お仕置きなら、そのうちやっちゃえば良いと思いますよ」と苦笑してみせた。 「さあ、セルティさん。受け取ってください」 『…………』 セルティはじっと首を“見つめる”。 だが受け取ろうとはしなかった。もうこれはセルティにとって必要の無い物なのだ。 確かにこの首はセルティの存在と直結している。首が破壊されればセルティも無事では済まないだろう。しかしだからと言って首を再び手にし記憶を取り戻したいかと問われれば、彼女は否と答える。セルティは数年前―――ちょうど帝人がこの街にやって来て少し経った頃に過去ではなく現在を選んだのだから。 ゆえにセルティはガラスケースに手を添えて帝人の方に押し返した。 「セルティ?」 「セルティさん?」 横では新羅が、正面では帝人が不思議そうに名前を呼ぶ。 二人に対し笑う気配を漂わせて、セルティはPDAに文字を打ち込んだ。 『今の私に過去の記憶は要らない。私が一番大事にしたいのは「今」だからな。だが首を私の知らない人間に所持されるのも気持ちが悪い。だから帝人、これは君に預かっていて欲しい』 「僕が、ですか?」 『ああ』 こくりとセルティは無い首で頷く。 今PDAに打ち込んだ文章は全て本心からの言葉だ。帝人になら預けられる。預かっていて欲しいと、すんなりそう思えた。 無論帝人だってこれまで色々な事をやってきており、ダラーズの創始者である事も含め、決して真っ当で平凡な高校生活を送ってきた訳ではないとセルティも理解している。だがそれでもセルティの中の帝人は真っ直ぐで真面目で信じるに値する人間だった。きっと彼ならセルティの信頼と期待を裏切らない。 セルティからの(おそらくは予想外の)返答に帝人は少々戸惑っていたようだが、やがて真摯な瞳でセルティを見つめると、 「わかりました」 そう言って首を縦に振った。 帝人はガラスケースを手前に引き寄せ、持ってきた時と同じように再び布を被せてから新羅を一瞥し、そしてセルティを見て穏やかに微笑む。 「では、これは僕が預かるという事で。しかし僕はあくまでセルティさんの代わりに首を保管しているだけですから、やっぱり手元に置きたいと思った時はすぐに言ってくださいね。それまでは何者にも侵されないよう、しっかり保管させていただきます」 『よろしく頼む』 「僕からもよろしくお願いするよ、帝人君」 「はい」 セルティ、新羅からの依頼に若干照れを見せながらも帝人はしっかりと頷いた。 * * * 「こんにちは、セルティさん。またお仕事依頼してもいいですか?」 『勿論だ。帝人の依頼なら特別価格で引き受けてやろう』 「ふふ。ありがとうございます」 にこりと笑って、未だ二十代前半に見える四捨五入して三十路の青年が礼を言う。かつて少年だった青年にセルティが抱いていた信頼は今もなお変わっていない。むしろ彼の誠実な態度に年々信頼は増していくばかりだ。 そんな青年が起した会社の社長室を訪れていたセルティは、首があったなら微笑を浮かべているであろう雰囲気を纏ってPDAに文字を打ち込む。 『何せ帝人は今も昔も私の大事な友人だからな』 胸を張り、それはもう誇らしげに。
首無し女の信頼
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