異形と契る物語
《一》 まるでよくある御伽噺のようだ、と。昔の記憶もないのに胸中で独りごちる。 自分が誰かも判らず、雪まみれで彷徨っていたところを人の好い青年に拾われて早数年。ウコンと名乗ったその人物に「ハク」という名を与えられ、彼の家にまで住まわせてもらい、何くれとなく世話を焼かれてきた。 ウコンを始め、この小さな村の住民達は力が強い。否、ハクが弱いのか。その腕力は子供にすら劣り、最初は笑っていた皆も終いには眉尻を下げて困った顔をするばかりであった。このような村で必要とされるのは純粋な膂力である。つまりハクは単なるごくつぶし。決して裕福ではない村において完全なるお荷物だった。 それでも他人曰く、ハクの頭は少々回転がよろしいようで、困り事があれば助言し、仕組みが難しく修理できないとされていた道具を直すなど、いくつか役立てることもあった。そうやってハクは村の一員として受け入れられていった……はずなのだが。 (余所者で、おまけに畑一つ耕せない。なるほど確かに、こんな状況じゃ真っ先に『不要』の貼り紙をべったり貼られるわけだ) ハクは家の前にずらりと並んだ村人達を見遣り、心の中でひっそりと呟いた。 家主であるウコンは現在、近くの山に入って獣を狩っているはずである。今年は畑の作物の育ちが悪く、山の実りも少ない。そのため獣達が食べ物を求めて、元々不作の畑を更に荒らしに降りてくるのだ。鳥獣被害の軽減と自分達の食糧確保のため、彼は不得意な弓と矢を携えて――それでもハクよりはずっと上手いが――森に入っているのである。 留守を任されていたハクの元へやってきた村人達。 彼らの表情は皆一様に厳しい。 (まぁ言いたいことは……予想できなくもない、か) 内心、そう呟いた。我ながら諦観するのが早過ぎるかとも思うが。 ハクが黙って彼らの出方を待っていると、先頭にいた老人――ここの村長(むらおさ)が代表して口を開いた。 「単刀直入に言う。あんたに、今年の水神様への供物になってもらいたい」 この村には古くから水神信仰がある。 村から程近い山――ちょうど今ウコンが入っている山だ――にある大きな泉に神が住まうとされ、村はその守護によって保たれてきたというものだ。 守護の感謝のしるしとして村人達は毎年、自分達の畑でとれた野菜やアマムを供えた。しかし今年、凶作によって供物を捧げるどころか自分達が食べていくのも難しい状況に陥り、ならばと選ばれた手段がこれ≠ナある。 まともに畑も耕せず、ただ村の食糧を喰らうだけのハク。村人達の全員がそう判断したのだろう。ゆえに今年の供物はヒトとなった。村に要らない者を神の末永い守護のため捧げてしまえば一石二鳥だ。 (いや、全員ではないか……。ウコンくらいは『そんなことねぇ』って言ってくれそうだ) あの男はとてもヒトが好くて、優しくて、懐が深いから。 こんな素性の知れぬ男を拾って世話をするばかりか、今や親友(ダチ)とまで呼んでくれる偉丈夫。その彼のことを思うと、今ここで村長達の訴えに頷くわけにはいかなかった。 「少し待ってほしい。自分にも考える時間をくれ」 「……あまり猶予はないぞ」 「ああ。なるべく早く決心を固めよう」 生贄になることを承諾する雰囲気を漂わせ、この場は一旦退いてもらえるようハクは願った。きっと今晩からハクが村の外へ逃げ出さないか見張りがつくのだろう。自分が誰だか忘れると同時にこの世界の常識の多くもどこかに置いて来てしまったハクだが、これくらいは予想できる。 案の定、村長は即決を迫らずに頷いた。しかも村の若い衆に目配せまでして。判りやす過ぎていっそ罠かと思ってしまう。 しかし集まった皆が解散する前にもう一波乱の種がやって来た。否、帰って来た。 「なんでぇ。皆して俺んちの前に集まって」 「ウ、ウコンさん」 ざわりと空気が揺れる。これは焦りだ。わざわざ家主がいない時間帯を狙ってやって来たのに、避けたかった事態が発生してしまった。そんなところだろう。 山から戻ってきた家主ことウコンは、見事仕留めたチャモック――細く長い脚と大きな角を持つ草食の獣である――を地面に降ろして「うん?」と訝しげに片眉を上げた。 「その様子じゃあ俺じゃなくてアンちゃんに用か……? なんだ、もう話は終わったのかぃ」 「あ、ああ。そうなんだ。実はまた直してほしい道具があってね。それで相談を、と」 ウコンの近くにいた壮年の男がそう答える。隣にいた老女が「そうなんじゃよ」と追従した。 しかしウコンは「そうかい」と笑みを浮かべ、 「こんな大人数で?」 何もかも見透かしたかのように、目だけを全く笑わせずに尋ねる。 村人達は息を呑んだ。 ウコンは村の中でも特に働き者で、皆から慕われる男である。彼が笑うだけで力が湧いてくるような、頼れる兄貴分といったところだった。 その男が本気で怒っている。声を荒らげることもヒトや物に拳を振り上げることもないが、彼が纏うのは強烈な怒気だ。 嘘を吐いた男と老婆が腰を抜かしてへたり込む。彼らの脇をすり抜け、ウコンは玄関先に立つハクの元へと向かった。ハクは硬く口を引き結ぶ親友に苦笑を浮かべ、何事もなかったかのようにいつも通りの口調で「おかえり」と告げてやる。 ウコンの眉が下がり、ほんの少し泣いているようにも見えた。 「アンちゃん、俺ァ嫌だぜ」 「お前ならそう言うと思った」 何を、など改めて確かめる必要はない。 今年の凶作と、村人達の空気と、嘘。答えを導くにはそれだけで十分事足りる。 「水神様ならこんな時くらい供物がなくたって怒りはしねぇよ。毎年のありゃァ守護に対する感謝のしるしであって、そして村から神への『豊作の報告』ってのが本来の理由だろ? だったら生活が苦しい時に無理して供物を用意する必要なんてねぇはずだ」 ハクに伝えるというよりも村人達に言い聞かせるために、ウコンはよく通る声でそう告げる。 「なぁ、そうだろ? 村長。昔から、そうやってこの村は水神と付き合ってきたはずだ」 「……」 村長は渋い顔で沈黙を保った。 数年前からしかこの村に住んでいないハクにはどちらが真実か判らないことだったが、この様子ではウコンの言い分の方が正しいのだろう。しかし村長がハクを生贄に選んだのは、足りない供物の代わりをさせるためという理由だけではなく、食い扶持を減らすという目的も含まれており、ウコンの言い分に容易く頷くわけにはいかない。 同時に、後ろめたい目的を持つゆえに正論を放つウコンと真正面から対立するわけにもいかず、押し黙ってしばらく。村長は相変わらず渋い顔のまま、「行こう、皆」と周囲の者達に声をかけて、今度こそ本当にウコンの家の前から去っていった。 ウコンもあえてそれを引き留めようとはしない。この場は引き分けと言ったところか。 「……さてと。アンちゃん、俺らも入ろうぜ。今日は獲ってきた肉で鍋だ!」 「ああ。こりゃまた酒が進みそうな夕飯だな」 ウコンに促されるままハクも家に入る。己の背を押す大きな手にいつもより力が籠っているのを感じ、ハクはひっそりと眉尻を下げた。 《二》 ハクが水神への供物になるよう迫られたことがよほど腹に据えかねたらしく、ウコンが飲んだ酒の量はいつもよりずっと多かった。他人に八つ当たりすることなくこうやって鬱憤を晴らす彼の性質は非常に好ましいとハクは思う。 (しっかしまぁ疑問なのは、この酒がどこから出てくるのかってことなんだが……) 村の食糧事情が逼迫(ひっぱく)しているというのに、何故か酒だけはこの家で際限なく飲むことができる。ウコン曰く特別な伝手があるとのことだったが、ハクも詳しくは聞いていない。 己が元々酒好きだったのか、それともウコンと一緒に暮らすようになってから酒を飲む癖がついたのかは不明だが、飲めないよりは飲める方がいいと考えているためである。下手に尋ねて酒が飲めなくなってしまうのは少々避けたかった。 ともあれ。その酒を調達してきた本人は夕食時に浴びるように飲み、今は完全に沈黙している。豪快な見た目や振る舞いに反して眠っている彼はとても静かだ。蓬髪髭面のせいで判りにくいが、よく見るととても整った顔立ちをしていることに気付けるだろう。ハクは夕飯の片付けを済ませた後、ほろ酔い気分で盃の中の酒を舐めるように飲みながら、居間でごろりと転がっている親友を見下ろした。 どこの誰とも知れないハクが傍にいるというのに、なんとも無防備な姿を晒している。 ウコンは村の者達とも大変仲が良いが、それでも彼らの前で寝顔を晒したり他にも無防備な姿を見せたりすることはない。少なくともハクが知る中ではそうだ。しかし同居人だからなのか、いつからかハクだけにはこうして全て見せてくれるようになった。 この事実に気付いた時は随分とむず痒く思ったものだ。痒くて、温かくて、思わず口元がほころんでしまうような心地。それが一般的な『親友』に対して抱くべきではない感情によるものだと理解したのは、実はつい最近である。ハク本人としては異性愛者のつもりだったのだが、これだけ良い男だと性別を飛び越えて惹かれてしまうのかもしれない。 だが、ウコンもまたハクに同じ感情を抱いてくれている……などと都合の良い展開を考えられるほどハクは楽天家ではなかった。 気付いてしまった感情をすぐさま胸の奥底に押し込めて、ウコンが呼んでくれるように親友(ダチ)として付き合うことを決めた。いつかは彼も綺麗な娘さんを嫁にもらい、可愛い子供をもうけて、素晴らしい家庭を作り上げていくのだろう。自分はそれを見守るだけでいい。妻と子供に囲まれて幸せそうな彼に『親友』として時折接することができれば。 (だがその願いも叶う可能性は随分と低くなっちまったな) 盃を脇に置き、少しだけウコンの方へ身を乗り出す。 (ウコン、すまない) 伝わらないと判っていながら、心の中だけで語りかけた。 水神への供物は必須ではないというウコンの言葉が正しくても、村のほぼ全員がハクに生贄としての役目を求めている。彼らも必死なのだ。 どうにかしてこの一年を乗り切りたい。村から餓死者を出すことなく、無事に過ごしたい。その願いは、自分達の仲間というくくりの外から一人くらい犠牲を出しても構わないという思考を生んだ。 引き続き水神の守護を得られるよう神への供物をヒトで代用すると同時に、ごくつぶしを切り捨てて少しでも村人達が楽をできるように。「お前を神に捧げれば村は飢餓から救われる」という妄信に囚われていない分、まだ村人達は理性的だと言える。 だからと言ってハクにとっては嬉しいことでも何でもないが。 しかし、村人達にまだ理性が残っているならば、いくらか交渉の余地はあるかもしれない。ハクを逃がすなどという案を呑んでくれるはずもないが、抵抗せずにこの身を捧げることで別の何かを得られる可能性はあった。 たとえば、ここまでハクの世話を焼いてくれたウコンに特別な待遇を取ってくれる……だとか。 おそらくハクが生贄としてあの泉に沈められてすぐ村が豊作となるわけではない。しかし生活が楽になるまでの間、ウコンが飢えることのないように取り計らってもらえないだろうか。 (拾ってくれたせめてもの恩返しになれば) 死に損は嫌だ。どうせなら少しでも特別な存在の役に立ってみたい。 ウコンが聞いたら怒りそうだと思いながらもハクの心は決まっていた。 (周りに流されたわけじゃない。お前の顔を見て、自分の心と向き合って、決めたんだ) 「ウコン……」 眠る男にハクはそっと囁く。 「お前はずっと、自分の最高の親友(ダチ)だ」 きっとこれが最後の機会だというのに、意識がない相手にも本心を明かせない自分に少し苦笑が漏れた。 「ウコン……お前はずっと、自分の最高の親友(ダチ)だ」 目を閉じたまま男はやっぱりかと落胆した。 響きはとても優しくて甘いのに、言葉は自分達の関係が友情止まりであることを示すもの。 (やっぱりアンちゃんも俺と同じように……、なんて都合の良いことにはなっちゃくれねぇよなぁ) こちらが眠っていると思って呟かれたハクの言葉はしっかりとウコンの耳に入っていた。これでもし愛の告白でもしてくれようものなら今すぐ目を開いて自分も同じ気持ちだと叫べたのに。 しかし現実は無常だ。 (高望みすんなってことかね) そもそもハクと出逢えたことさえ類稀なる幸福だったのだろう。 拾った青年が記憶を失っているのをいいことに、すぐさま自分の元へ囲ってしまった。本当はこんな風に他人に干渉するのはあまり望ましいことではないのだが、それでも心はハクを求めた。まるで絶対的な運命であるかのように、家へ連れ帰って名前まで付けて、こうして傍に置いている。 (幸せになってほしいんだ) だからせめて無理強いはしないと誓った。拾って名付けて家に住まわせて、ここまで相手を縛っているのだから、あとはせめて彼の心が望むままに。 それはハクを襲う害意から彼を護ることであり、またハクが望んだヒトと結ばれる邪魔をしないということでもある。『ハクが望んだヒト』がウコンであってくれたならこれ以上嬉しいことはないのだが、流石にそう何でも思い通りになるはずもなく。判っていても切なさが胸を満たした。 親友としてハクの傍に在り、彼が誰かと結ばれて幸せな家庭を築く姿を眺め続ける。そうして彼が常世へ召される時は笑顔で見送り、彼の魂が歩む次の人生も幸福であることを祈る。ウコンがハクのためにできる精一杯のことがそれだ。 幸せになってほしい。ずっと笑っていてほしい。その笑みを向ける先に自分以外の誰かがいたとしても。 だから。 (水神の生贄にするなんて絶対に駄目だ) それじゃあハクは笑わない。 たとえウコンにとってその方が都合の良い展開だったとしても、ハクが幸せだと思えなければ意味がないのだ。 改めてハクが自分のものにならない現実を考えると酷く胸が痛んだが、それに気付かないフリをして、ウコンはただ静かに愛しいひとの気配を感じていた。 《三》 幸せになってほしい。そのためなら自分のものにならなくてもいい。 そう願っていただけなのに。 ハクは非常に小食である。当人に言わせればウコン達が食べ過ぎらしいのだが、やはりこちらは自分達の量が普通だと思っているので、ハクは少食だと言わざるを得ない。 よって一度獣を狩れば、ハクの分の食事を数日分確保できてしまう。ウコンの食事量を合わせて考えるとそうもいかないのだが、本来ウコンはヒトの食事を取らずとも全く問題ない存在≠ネので、村が凶作に見舞われた今年はほぼ食べるフリばかりしていた。本物の食材はハクの分だけ確保すればいい。 しかし現在、ウコンの姿は山中にあった。チャモックを仕留め、更にはハクが水神の生贄になるよう迫られたのは昨日の話である。 今朝、先走った村の住民達にハクが危害を加えられないよう一日中彼の傍にいるつもりだったウコンの元へ村長がやって来た。ウコンを説得するためかと思いきや、村長はハクを生贄にする案を取り下げると言う。ウコンは喜びつつも急な手のひら返しに訝り、村長はその顔を見ると頭を下げて告げた。ハクを供物として水神に捧げるのは取り止めるが、どうか代わりとして山で獣を仕留めてもらえないか、と。そういうわけでウコンは山に入ったのである。 ハクの代わりとなる獣を仕留めるのだから自分に依頼が来るのは別におかしなことではない。そうウコンが思ってしまったのは、ハク曰く「お人好し」だからであり、ウコン本人としてはやはりどのように表面を取り繕っていてもハクは己のものだという意識――もしくは所有したいという望み――がどこかにあったからだろう。 しかしどちらにせよ、立派な猪を見事仕留めて村に帰ろうとしていたウコンは、折角の成果を地面に放り出して眼前の光景に目を瞠る。そして同時に悟った。愚かにも、己は村長の依頼の裏に隠された意図を全く読み取ることができていなかったのだと。 「ふざけるな……」 怒りで声が震える。 実際のところ、山道に佇むウコンの目の前には土が剥き出しの道と生い茂る草木しかない。しかし彼には見えていた。透き通った水をたたえ、水神が住まうとされる大きな泉の岸辺に見知った者達が集まり、無言の圧力を宿した視線で一人の青年の背を押す光景を。 青年は汚れのない真っ白な長襦袢に身を包み、彼らに促されるまま裸足で水に足を浸ける。表情が少し歪んでいるのは、その手に大きな石を持たされているからだ。石はしっかりと縄でくくられ、その縄は白い長襦袢の青年の腰に巻き付いていた。このまま泉の中に入れば、彼は浮かぶことができずに溺死するだろう。 「ハク殿から引き離すため某を謀(たばか)ったか」 いつものウコンとは違うやけに古めかしい言葉がその口から零れ落ちた。ここではないその場所を睨み付ける双眸は憤怒でギラギラと紅く輝き、彼の怒気を恐れるかのように辺りの草木がざわりと揺れる。 周囲一帯の景色がかすみ始めた。どこからともなく現れた霧は瞬く間に周囲を白一色に染め上げ、ウコンの姿をも隠してしまう。だがややもせず空気を震わせていた怒気が消え去る。同時に、ウコン自身もまたその場所から忽然と姿を消していた。 ぱしゃん、と水面に跳び上がった魚が飛沫を上げる音。 こぽこぽ、ぶくぶくと泡(あぶく)が上昇していく音。 水底の砂地から湧き出る水のごうごうという低い音。 決して大きくはなく、近くて遠いたくさんの音が頭の中で鳴っている。否、それともこれらは全て耳のすぐ近くで、もしくはもっともっと遠くで現実に奏でられているものなのだろうか。 「……ぅ、っ」 呻き声が上がった。ああこれは己の喉が震わせて出した音だ、と遅れて気付く。なにせ水の中で生み出される美しい音色とは全然違っているのだから。 と、そこまで考えてハクはぱちりと両目を開いた。 仰向けに寝転がったまま双眸が捉えたものは時折ゆらゆらと揺れる真円の月。やわらかな白い光がハクとその周辺を青白く照らし出している。 ハクは喉に手をやると、「なんで」と小さく呟いた。 「自分は死んだはずじゃ……」 水神への供物として神がいるとされる泉に入った。重石までつけられ、絶対浮かんで来られないように。 今もまだはっきりと水の冷たさを覚えている。透き通った水の中からゆらゆらと揺れる太陽を見上げた時のあの美しさを覚えている。 ハクはゆっくり上半身を起こすと、自身の生存を確かめるようにぺたぺたと躰に触れた。白い長襦袢はそのまま。しかし濡れてはいない。手と足の先が若干冷たくなっているが、胸や腹はしっかりと生きているひとの体温だ。念のため脈を取ってみたところ、間違いなく心臓は動いていた。そして腰にくくり付けられていたはずの縄は解かれてどこかに行ってしまっている。 (誰かに助けられたのか? いや、でも誰が) 自分は一人を除く村の住民全てから望まれて泉に入ったはずだ。しかもその唯一反対してくれた男は別の場所へ追いやられていた。助ける者などいるはずがない。 ハクは首を捻る。と同時に不安を覚えた。 もしハクが生きていたことで、村長と約束したウコンへの待遇の件を破棄されでもしたら……と考えたのだ。ハクが生きていることを村の住民達が知らないのであればそれで良し。しかしもし気付いていたならば、約束はなかったことになるだろう。それは避けたかった。 (躰は問題なく動きそうだな。よし、こんな所にいても始まらん。今がどういう状況なのか探って……) そう思いつつ立ち上がった瞬間、何か圧≠フようなものを感じてハクはギクリと躰を硬くさせた。そして生物の本能による反射的な動きに思考が追い付くより早く、硬直の原因が姿を現す。 『目ヲ覚マサレタカ』 「――っ!?」 振り返った先に巨大な何かがいた。 天上で揺らぐ月の光を受け、蒼銀に輝く文字通り鋼の如き肉体。胸の中心と両肩、大腿部の付け根付近には深い青色に染まった水晶のような塊が見える。体表をジグザグと走る紋様と共にそれは自ら光を発し、この仄明るい空間で月とは別の光源として蒼銀の巨躯を浮かび上がらせていた。 身長はハクの何倍あるだろうか。三倍……否、四倍でも足りないかもしれない。手のひらも成人男性を片手で包み込めてしまいそうな大きさがある。見上げているうちに首が痛くなり始め、ハクはようやく己がずっと呆けていたことに気が付いた。 「な、ん……」 (化け物だ) 青と銀と黒で構成された巨躯の中、唯一赤色を宿す双眸にぞくりと背筋を震わせる。恐れ戦くとはこういうことを言うのか。記憶を失って以降初めて体験した押し潰されるような感覚にハクはまともな言葉を紡ぐことさえできない。 そんなハクの様子をどういう意味で受け取ったのか、蒼銀の化け物は赤く光る双眸でちっぽけな存在を見下ろし、どこにあるかもわからない口で再び声を発した。 『痛ムトコロヤ苦シイトコロハナイカ? 某ノ名ハ、オシュトル。突然コノヨウナ場所ニ連レテ来ラレ困惑シテイルトハ思ウガ、此処ハ某ノ領域故、安心召サレヨ』 この空間のせいなのか、それとも元より化け物の声帯がそういう構造になっているのか。オシュトルと名乗った異形の存在の声は割れたような響きを宿し、どこか聞いた者の不安を煽る。否、落ち着いた状態であれば、ほどよく低いその声はとても心地のよいものであっただろう。しかし突然不可思議な空間で目覚め、そして目の前には化け物。ハクの精神状態は平時と比べ、やはりいくらか異なっていた。 次いで彼が伸ばした手はきっとハクを気遣うためのものだったはず。しかし存在の格の違い≠ノよって異形から感じる圧と自身が抱く畏怖、そして神託の如く頭上から降ってくるその声により増長された不安は、ハクの躰を一歩後ろに下がらせた。 異形の手が止まり、そして引かれる。 『ソウカ。某ガ恐ロシイカ』 「っ」 特に怒鳴られたわけでも蔑まれたわけでもない。先程と全く変わらぬ声であるはずなのに、ハクはひゅっと息を呑む。咄嗟に違うのだと否定することもできなかった。何故なら確かにハクは目の前の存在を畏れていたのだから。 赤く輝く双眸は相変わらずじっとハクを見つめている。その双眸が一瞬、細められ―― 『無理モナイ。ダガ其方ヲ此処カラ帰スワケニハイカヌ』 その時、ハクにはどうしてか目の前の異形が泣きながら笑っているように見えた。 『ハク殿、其方ハ水神タル我ニ捧ゲラレタ供物デアルノダカラナ』 《四》 「水……神……?」 驚愕に見開かれた琥珀色がこちらを見上げている。今朝まで同じ高さにあったそれは今や遥か下にあり、向けられる感情も全く異なっていた。 当然のことながら親しげな色はなく、あるのは畏怖や困惑ばかり。だがそこにじわじわと『覚悟』が加わってくる。そして琥珀色の瞳の青年――ハクは、オシュトルという真名を名乗ったこの身に対し、ゆっくりと跪いた。 「御身が水神様でいらっしゃると存じ上げなかったとはいえ、数々の御無礼、大変失礼いたしました。平にご容赦を。また無論、御身に捧げられた身である私(わたくし)が村に帰れるとは思っておりません」 『……』 今のハクは水神オシュトルをウコンであると認識していない。 加えて、村人達から強制されたとはいえ生贄になることを認め、自ら入水してみせた。特に死にたがりでもない彼――むしろハクはどうすれば己がなるべく楽に生きていけるか≠考える性質のひとである――がこのような行為に走るのには、おそらく何かそうせざるを得ない理由があったからだ。 自惚れかもしれないが、最も可能性が高いのはウコンに関することだろう。もし彼が村長よりもウコンの言葉を信じているのであれば、水神への供物が必要ないことを理解してくれているはずだ。しかしあえて生贄となることを受け入れたのであれば、それは神に関することではなく、もっと身近で、具体的なこと。つまり、おそらくだがハクは自身を拾って世話をした親友のために生贄としての役割を全うする気でいる。 沈黙したままその考えに至ったオシュトルは、苦しさと歓喜で胸の中がぐちゃぐちゃになるのを感じた。 もう何度心の裡で繰り返したか判らないが、オシュトルは、ウコンは、ハクに幸せになってほしかった。そのためなら自分がハクの一番近い存在になれなくてもいいと思うほど。しかしその希望はオシュトルがずっと見守ってきた村人達の手によって崩され、ハクは自ら死を選ぼうとした。そして命が助かった今もウコンという名の親友の身を案じ、恐怖しながらも自らこの化け物≠ノ頭を下げ、身を捧げようとしている。 オシュトルの言葉に反論一つせず、あるがままを受け入れるハク。ただ一言、嫌だと言ってくれれば、生贄にはなりたくないのだと叫んでくれれば、オシュトルはハクの言葉を何よりも優先することができるのに。 こんなはずではなかった。ハクにこんなことをさせたいなど、一度も思ったことはない。この身を拒絶された事実と相俟って、それが酷く苦しい。悔しい。つらい。 しかしそう思う一方で、手に入らないと諦めていたひとがこの手の中に落ちてきたという事実が、オシュトルは嬉しくて仕方なかった。ハクは水神の生贄になった。そして水神はオシュトルだ。ハクはもうオシュトルだけのものになったのである。ハク自身がそれを認める言葉を口にした。 誰かにハクを奪われる心配もない。どこかの誰かではなく、ハクの傍にいられるのは自分だけ。また死がウコンからハクを引き離してしまうなどということもない。ハクを自らの眷属にすれば、永遠の刻を共に過ごすことができる。 相反する二つの感情。理性的な己が「彼の親友を名乗るのであれば、先程の言葉を撤回し、ハクをどこか遠いところに逃がしてやればいい」と告げた。 その時はウコンとしてついて行くのもありだろう。となると今まで住んでいた村は水神の守護を失うことになるが、彼を犠牲にするような村なのだから最早見捨てても構わない。ただしウコンという『ハクの親友』として傍に居続ける限り、いつか誰かがハクの伴侶になる時も、死がハクを常世へ連れ去ってしまう時も、ウコンは耐えなければならない。 本能が叫んだ。「それは嫌だ」と。 折角手に入ったのに手離すなんて絶対に嫌だ。恐れられても、親友として見てもらえなくても、一緒にいられるなら、それで。 一瞬、今からでも自分がウコンだと名乗ればハクは恐怖心を取り去ってくれるだろうかとも考えたが、ウコンがこんな姿の水神であったと知った彼がこれまで通り『ウコン』に接してくれるという保証がなかった。もしハクの中にある『親友のウコン』まで恐怖と畏怖に塗り潰されてしまったら、オシュトルはどうしていいのか判らなくなる。 相反する思いに揺れるオシュトルはただ黙したまま身じろぎもしない。その間ずっと頭を下げていたハクが流石に不審に思ったのか、ゆっくりと頭を上げる。 「水神様……?」 彼の声からは僅かな不安が感じ取れた。 「もしや自分一人では供物として足りませんか。でしたら、どうかご容赦ください。自分のものであれば全て捧げます。何卒、私のみを供物としてお受け取りください」 『……ドウイウ意味ダ』 「自分には親友(とも)がおります。いつも他人のことばかり考え、己を蔑ろにするようなお人好し……を、通り越した莫迦者です。ですが自分にとってはかけがえのない、大切な親友なのです」 そこで一旦言葉を切り、ハクは供物を受け取る側である神にこのようなことを告げてもいいのか迷いを見せる。が、あえて本心をさらけ出すことにしたようだった。 「今年、村は凶作に見舞われ日々食べることも難しくなりつつあります。親友は……あいつは、上手く隠しているつもりのようでしたが、こちらにばかり食事を取らせ、本人はまともに食べていませんでした。あいつの方がよく食うっていうのに。そんな時、村長が約束してくれたのです。自分がこのお役目を担えば、親友に十分な食料を配分すると。ゆえに私一人で供物としての役目を全うせねばなりません」 『成程。デアレバ案ズルナ。コレ以上ノ供物ハ要ラヌ』 そう答えると、ハクから安堵の気配が漂ってきた。 オシュトルはハクに自由な人生を歩んでほしいと願っているのに、ハクはウコンのために己の人生を縛ろうとしている。たまらなく嬉しくて、たまらなく腹立たしい。 (のんびりダラダラしながら生きたいのだと、いつものように言ってくれれば……) 僅かな希望を込めてオシュトルは尋ねた。 『シカシ其方ハ親友ノタメニ自ラ供物トナルコトヲ選ンダトイウコトカ? 生キタイトハ思ワナカッタノカ』 「勿論思いました。しかし逃げて、自分だけが助かって、どうなるというのですか。……あいつが、自分にとって一番大事な奴が、村人達からどんな仕打ちを受けるか判ったもんじゃない」 感情が籠り過ぎたためか、最後は『神』に対する配慮が薄れてそれが口調に表れる。それほどまでにハクの中でウコンは大きな存在だったのだろう。 『ソウカ……』 ある程度予想はしていたものの、ハクの口から直接聞けた真実に胸から込み上げてくるものがあった。しかし同時に、ハクをこのような行動に駆り立てた村とその住民達が許せない。 ああ、しかし。兎にも角にも、やはりこのような思い遣りのある男をこんな水底に閉じ込めて自由に生きられなくするなど決して良いことではない。先程の『帰スワケニハイカヌ』という言葉を撤回し、すぐに解放してやらなければ……と、オシュトルが思ったその時。 「ですから、お受け取りください。それにたとえ水神様が私など要らぬと仰り、村に帰したとしても、あそこの住民達はそれを信じようとしないでしょう。どちらにせよ、供物になることを望まれた時点で自分が選べる道は一つきり。あとはどうオマケをつけられるかです。ならば親友のためにできることをしてやりたい。……すでに我が身は御身のもの。煮るなり焼くなり喰らうなり、どうぞお好きになさってくださいませ」 一方に落ち着きかけていた天秤が、その言葉によってぐらりと反対側に傾いた。 こちらへの気遣いなど要らない。どうぞ好きにしてくれ。そう、ずっと愛しく思っていたひとに言われてなお『建前』を通せるほど、オシュトルが抱く想いは軽くも優しくもなかった。そしてきっと綺麗でもない。 手に入らないと思っていたひとが手に入ってしまったのだと暗い歓喜が胸を満たす。 (ああ、そうだ。ハク殿が恐れようと、受け入れようと、どうせ彼はもう村に帰れぬ。自分を生贄に捧げたあの村になど。だから手に入れてしまえばいい。それとも村から遠い場所に逃がせばいいか? 否。それは某の望みではない=Bほしいまま、望むまま、彼に手を出してしまえ。本人がそれでいいと認めた。ずっと欲しかったのであろう? その幸せを願いながら、同時に他人と幸せになる彼が憎かった。許せなかった。他人と幸せに暮らすハク殿など見たくなかったのだろう? ……だったらもう、正直になれ) オシュトルは口を開く。 『ソノ言葉、最早撤回ナドデキヌゾ』 そして胸の奥に息づく欲求のまま、己が唯一望んだひとに手を伸ばした。 《五》 水神の姿形から、何となく自分は頭からばりばりと喰われてしまうのだと思っていた。 しかし伸ばされた手は優しくハクを掬い上げると、自らの手のひらに座らせる。躰が大きいのだから手が大きいのも当たり前なのだが、成人男子の平均身長はあるだろうハクでさえ躰を縮めればすっぽりと包み込めてしまえそうなほどだ。 不安定さを補うようにハクは太い指に腕を巻き付けて躰を支える。すると右手がすっと伸びてきて、 「……っ、な」 躊躇なく白い長襦袢の衿が開かれた。食べる際に服が邪魔だからかと納得するには、入り込んできた指の動きが他の意図を持ち過ぎている。 (供物って、そっちの意味もあったのかよ……!?) 気付いたところで時すでに遅し。上半身は大きく肌蹴られていた。 成人男性の二の腕どころか下手をすると腿以上に太いであろう指は先端が尖り、表面はつるりとしていて、獣の爪のようにやや内側に向けて婉曲している。ハクの柔い躰を傷付けてしまわないよう、水神は指の背でするりと白い素肌を撫で上げた。 ひんやりと冷たい感触にハクの喉がひくりと震える。しかし拒めない。自分は供物で、相手は神なのだから。不興を買って村に突き返されでもしたら、ウコンの件がなかったことになってしまう。 「ふっ……ぅ」 巨体に似合わず繊細な力加減で水神は幾度もハクの上半身を撫でさすった。するとどうだろうか。初めは冷たく、またくすぐったくすらあった感触が、躰の中でじわじわと熱に変換され始める。脇腹を撫で上げられれば薄い腹筋が震え、小さく「あっ」と色付いた声が零れ落ちた。 『其方ノ躰ハドコモカシコモ白ク、美シイナ』 「そっれは、あっ、ぅ」 生贄らしく「お褒めいただきありがとうございます」と言おうとしたのか、それとも男として「そんなことはない」と否定しようとしたのか。ハク本人にすら判らない。ただどちらにせよ羞恥を覚えたのは確かで、顔に熱が集まる。 自分はこの異形に愛でられているのだ、と明確に感じた。 (しかも、なんだ、これ。まさか自分は……嫌じゃない、のか?) 相手はウコンではないのに。 名前すら知らなかった異形の神であるのに。 客観的に見て、好いてもいない相手に性的な意味で触れられるなど嫌悪の対象でしかない。ハクもそれに違わず、好みでもない女性や、ましてや同性、そしてこのような化け物に触れられて心地よく感じるなど本来なら有り得ないことである。 しかし確固たる事実として、ハクは異形の指を、その指から与えられる感覚を、吐き気がするほどおぞましいなどとは感じていなかった。 (なんで) まるでその事実がウコンへの、そして己の中にある愛情への裏切りのように思えて、ハクは頭が真っ白になる。 とにかく嫌だった。触れられるのが、ではない。触れられて嫌だと思えぬ自分がたまらなく嫌だった。 しかしハクの立場では拒絶など許されず、おまけにたとえ許されていたとしても拒絶を示すより早く、新たな刺激が別の意味で思考を奪う。 「っひ、ぃ――」 軽く曲げられた左手の指を背もたれ代わりに、大きなたなごころに転がされていたハク。その胸の頂を右手の指でもてあそばれる。尖った指の先端付近を器用に使って押し潰したり、くりくりとこねてみたり、そして刺激で硬くなり始めればピンと弾いたり。あっと言う間にハクの乳首はどちらも可哀想なくらい真っ赤に腫れ上がってしまった。 赤く染まった胸の頂を再び水神の指が弾く。 「ひ、ぁん!」 (なんで、女でもないのに) 触れられたところからじわりと脳を侵していくむず痒さ。それは同時に下腹部へと熱を蓄積し、見たくない現実を徐々にハクの眼前に突き付け始める。 本人の意思を無視して零れる妙に高い声もそうだが、もっと問題なのは熱が溜まるその場所だ。 未だ長襦袢の腰紐は締められたままだが、大きく肌蹴けた上半身と同じく、無意識に動かしていた足によって腰から下も随分散々な状態になってしまっている。太腿まで露わになったその奥、まだギリギリ布によって隠されている場所ではすでに窮屈さを感じていた。 (ちがう。自分は、供物だから大人しくしているだけであって、決して気持ちいいなんて) 「――ああっ!」 『スマヌナ。其方ノ反応ガ愛ラシ過ギル故、ツイ此方ヲ疎カニシテイタ』 「あっ、や、ぁア」 胸をいじめていた指が急に標的を変えてハクの股間を刺激した。 両脚はあられもなく押し開かれ、なんとか隠れていた部分まで水神の視界に晒されている。生贄という役割から、下着はつけていなかった。よって直接、冷たい――それでもハクをいじっていたせいで多少はぬるくなった――指の背が、重くなり始めた袋も勃ち上がりかけた幹も無遠慮に撫で回す。 「ひうっ、ぅあ、あ、ぃや」 その動きをやめさせようとハクの手は反射的に水神の指へと添えられたが、そんなもので止まるはずもない。むしろ見方によっては更に愛撫をねだるようにすら思える格好だっただろう。 刺激によって溢れ出した先走りがハクの陰茎と水神の指を濡らす。二者の間で粘ついた水音が響き始めた。 「や、なんでっ、こんな、に」 水神の指は大きく太く、それゆえにハク相手では繊細な動きなどほとんどできない。しかし裏筋を押すように撫で上げられるとたまらなく気持ちが良かった。びりびりと背筋が震えて、尾てい骨の先端から頭のてっぺんまで雷が走り抜ける。 戸惑うハクに水神はどうやら笑ったようだった。ふっと吐息を漏らすと、ハクがそれをきちんと認識する前に尖った指の先端をハクの鈴口に押し当てて、 「ひ、あ――――ッ!!」 中途半端に蓋をされたハクの先端からぶちゅりと白濁がほとばしった。細い四肢がびくびくと跳ね、水神の手の中で弛緩する。腹どころか胸や顔にまで飛び散った白い液体が薄桃色に染まるハクの躰を彩った。 『アア、其方ハソノヨウニ啼クノダナ』 「な、く……?」 射精の余韻でぼうっとしていたハクの耳には水神の呟きがきちんと届かない。呟いた方も特に聞かせるため声に出したわけではなかったらしく、答える代わりに達したばかりで敏感なハクの躰を再びつるつるした指の背で撫で始めた。 「ッあ! まだイったばっか、で、あ、ンン!」 首筋も肩も鎖骨の上も胸の中心も赤いままの頂も、腋下も脇腹も臍も腹も腰も、するするくりくりと撫でさすられ、いじられる。絶え間なく与えられる刺激にハクは全身を震わせて、都度短く嬌声を上げた。 直接触れられてもいないのに陰茎がむくりと力を取り戻す。快感を得ているのだと如実に表すその現象にハクは泣きそうになった。 こんなことなら不感症だったら良かったとすら思う。誰よりも強く想うヒトには触れられることすらなく、異形の神にもてあそばれて感じているなど悔しくてたまらない。 (ウコン……ッ) 心の中で愛しい男の名を呼んだ。この声が届いてほしいとは思わない。しかし名を口にするだけで自分を強く持つことができるような気がする。ウコンウコンと何度も繰り返し名を呼んで、ひたすらこの身を高めようとする行為に耐えていたハクだったが、 「……、ぁ?」 すっと異形の手が退いた。突然途切れた快感にハクはぱちりと目を瞬かせる。 しかし次の瞬間、脚の間に触れたものの存在を感じ取ってひっと喉を引きつらせた。 「や、め……そこは――ッッッ」 つぷり、と異物が体内に侵入する。 ハクは顔を絶望色に染めながら、内側を侵される衝撃に大きく目を見開いた。 《六》 ハク自身が零した白濁を潤滑油の代わりにして、オシュトルは手に入れた愛しいひとの窄(すぼ)まりに指の先端を突き入れる。この姿では手も足も全ての部位がハクに触れるには大き過ぎるが、先端に行くにつれ細くなった指先であればほんの少しハクの中に埋めることができた。 「うっ、く、あ……ぁ」 裂けてしまうほど無理矢理広げてはいないはずだが、痛み以前に異物感が酷いらしくハクが呻き声を上げる。躰は緊張で硬くなり、勃ち上がりかけていた陰茎も力なく垂れ下がってしまっていた。 先程とは異なり全く快感を得られていない姿は哀れを誘う。しかしオシュトルは申し訳なさを感じつつもこれは一時的なことだと胸中で告げ、行為そのものを止めようとはしない。これはハクにもっと気持ちよくなってもらうためにしていることなのだ。 指先を小刻みに出し入れして後孔の締まりを緩めさせながら、少しずつ呑み込む部分を深くしていく。引いた指をぐいと奥へ進めるたびにハクの躰は揺れて、反射的に「あっ、あっ」と声を零した。 ウコンとして共に暮らしていた時には全く聞く機会のなかった高めの声にぞくぞくと快感が背筋を走り抜ける。オシュトル自身はまだ肉体が快感を得ることを全くしていなかったが、ハクの声を聞き、乱れた姿を目にするだけで、十二分に、体長に見合った長大なそれが頭をもたげ始めていた。 そしてオシュトルの指先がハクの中のある一点をかすめる。 「っ、ふあ?」 ハクも自分が何を感じたのか判らなかったらしい。だが圧迫感と異物感で強張っていた躰から僅かに力が抜ける。オシュトルは再び同じ場所を指先でこすった。 「ぁや、……これ、なに」 新たな感覚に戸惑いを見せるハク。本人は無自覚だろうが、その目元に赤みが戻り始めている。 オシュトルがまたもや同じ場所を刺激すると、今度は「やあ!?」と先程よりも大きな声を上げ、ぴくりと両脚が跳ねた。 「やだ、これ、なに。しらな……っ」 巨大な異形に散々なぶられ続けたハクは幼児退行したかのように拙い言葉で困惑を露わにする。その原因であるオシュトルの指に両手を添えて押し留めようとするが、大した力もない柔い手など何の意味もなさない。 「ふ、あ、ああっ!?」 ハクの爪先にきゅうっと力が籠った。オシュトルが刺激するたびにその場所から生まれる感覚がより鮮明に感じられるようになっているらしく、陰茎は毛髪より少し濃い色をした陰毛をかき分け再び力を取り戻し始めている。頬は赤く染まり、琥珀色の双眸がたっぷりの涙できらきらと輝いていた。 「や、やぁ……! やだ、これ、こわ、ぃあ……っ!」 美しくて、いやらしい、ウコンでは見ることが叶わなかったハク。その媚態にオシュトルは、ぐる、と喉を鳴らす。 己の手の中で乱れるハクは美しい。 さっぱりした性格で、面倒臭がり屋で、けれど困っている者がいれば驚くような知恵を出して助けてしまう、そんな色香とはかけ離れたハクも大変愛しく、心惹かれる。だが新しく出会ったこの姿も同じくらいオシュトルの心を捕らえて離さない。 彼は一体どれほどの魅力を持ち合わせているのだろう。ハクの何もかもが愛しくてしょうがない。かわいい。かわいい。こんなに可愛くて魅力的で本当に頭から喰らってしまいたくなる存在など、オシュトルは知らない。 (やはり某はハク殿を手放すことなどできぬ) 改めて強くそう思った。 誰にも渡したくない。誰にも、見せることだってしたくない。愛しい愛しい、オシュトルのハク。水神に捧げられた至上のひと。 『ハク殿、某ヲ受ケ入レラレヨ。モット其方ヲ愛(め)デサセテクレ』 「ぃ、ひにゃ、は、あ……っ」 与え続けられる刺激に半分思考が飛びかけている今のハクにはこちらの言葉などまともに届くまい。しかし構わずオシュトルはハク殿ハク殿と愛しい名を呼び続ける。 奥から生まれる強い快感に躰の強張りも大分解け、オシュトルの指先が更にほんの少し奥へ進んだ。指の太さを考えればここが限界か。やはりハクの躰のことを考えるなら、これ以上奥でオシュトルを感じてもらうのは難しいだろう。 みっちりと指が埋められたその場所は、襞から皺が消えるほどぴんと引っ張られ、勃ち上がった陰茎から零れる先走りによっててらてらといやらしく濡れ光っている。そこを裂いてしまわぬようにくにくにと指を動かせば、「ひゃああ!!」とハクが甲高い悲鳴を上げた。 「は、あン! ああっ、あ!」 ぐち、くちゅりと粘ついた水音を立てながら、オシュトルはハクが一番感じる先程の場所を再び重点的に責め始めた。時折指を大きめに引いてみれば、ぐぽっと指の代わりに空気がハクの中へ入り込む音がする。他人が立てようものなら厭わしくて仕方ないであろうその音も、ハクと己が生み出す音なら歓喜に変わる。そこにハクの嬌声が重なってうっとりするほど素晴らしい音色となり、オシュトルの耳を楽しませた。 『ハク殿、ハク殿……ハク』 「あっ、は、あっ、あン、んん! んっ」 『其方ハ本当ニ愛ラシイナ』 囁きながらオシュトルは今までよりも少し強めにハクが感じる中のしこりを引っ掻く。 「んん――ッ!?」 ビクンッ!! と強くハクの四肢が強張った。そして完全に勃ち上がっていた陰茎からぴゅるっと白濁が飛び出す。ああ、なんて淫らで愛らしい躰なのだろう。オシュトルの指が中から与える刺激だけで達してしまうとは。思いがけない僥倖にオシュトルは赤い双眸を細めて喜んだ。 達し、硬直を解いたハクの脚の間から一旦右手を退ける。その際にもひくりと白い腹が震え、オシュトルを楽しませた。 とろりと粘液を纏わせた指先が次に向かうのは赤く熟れたままの乳首。軽く潰すようにこねてやれば、こちらからの刺激でもまたハクは声を上げて悦を露わにした。中で感じる強い刺激により思考をやった分、前よりも反応がよい。 「ン、んアア!」 『ハク殿ハ胸ヲイジラレルノモ好キナノダナ』 「やは、あっ、そんな……こと、は、ひゃあん!」 ただし男としての矜持が先に立つのか、自身がオシュトルの指に感じ入っていることは認めたくないらしい。遠くへやっていたはずの思考をいくらか取り戻して反論を口にしかける。が、全て言い切る前に強く乳首を弾かれて、それは甲高い悲鳴に変わった。 左右どちらもしっかり可愛がってから、オシュトルは、つつ、と躰の中心を指先の背でなぞって臍を愛でる。途中、邪魔になった腰紐を解いてしまえば、ほとんど用をなしていなかった白い長襦袢がはらりと左右に退いた。臍をくるりと優しく愛撫して、そのまま濡れそぼった茂みへ。震える陰茎を撫で上げれば、くふんと鼻にかかったような声がハクから漏れ出た。 そして。 ――くちゅん 「ふ、あひゃ!?」 ハクが一番気持ちよくなれるその場所へ。 本当は全身隈なく同時に愛してやりたいが、生憎この体勢で使えるのは右手だけだ。腕がもう一本あればいいのにと詮無きことを思ってしまう。 そんなことなど露知らず、再び始まった中からの責めにハクは背をしならせて感じ入った。とろとろにとろけた後孔ととろとろにとろけた表情がますますこちらの情欲を誘う。まったく、どこまで欲しがらせれば気が済むのだろう。触れても触れても、ハクが足りない。 「ぅ、ひゃあああ!! だめ、だ、こわれ、る……!」 あまりにもハクの媚態に夢中になり過ぎ、少々力加減を誤ってしまったらしい。限界以上に後孔を満たす指にハクが悲鳴を上げた。慌ててオシュトルが指を引き抜くと、 「んあああっ」 みっちり詰まった異物が引き抜かれる快感で甘い声を上げるハク。薄桃色に染まった肢体とめくれ上がる赤い襞の内側。勃ち上がったままの陰茎に、恍惚とした表情――。 『嗚呼……大丈夫ナヨウダナ』 ハクはもっと深くオシュトルを感じることができる。それを知った赤い双眸に喜悦が滲んだ。 一旦退かれた指先が再びハクの中に押し入る。 「あああああっ!」 ――ぐぽっ、じゅぷり 「はあああ!! あ、ひ、ぃん!」 ――ぬぽ、ずぷっ 「うくっ、う! んんんっ」 ――ずちゅううう、ちゅぷん! 「ぁやあああああ!! は、あんん!!」 オシュトルの左手の指に縋りついて、髪を振り乱して、白い躰を桃色に染めて、背をしならせて、オシュトルの指に感じ入る。口の端からは唾液が零れて顎を伝っていた。それを拭うどころか気付く余裕すらハクにはない。美しい涙もぽろぽろと溢れて頬を伝う。 下肢ではハクが零す白濁によってますます滑りが良くなり、粘ついた水音がハクを耳から犯し、同時にオシュトルの耳を楽しませた。 そして再びハクが達する。先程より薄くなった精液が薄い胸や赤く色付く頬に飛び散った。 オシュトルはハクの中に埋めていたのとは別の指で頬についたそれをそっと拭う。「んっ……」とハクが吐息を漏らし、 「ウ、コン……」 『ッ』 優しく、慈しみの籠った指の感触を甘受し、幾度も達して夢現となっていたハクが呼んだ名前。 こんな場面で出るはずのないそれにオシュトルは息を呑む。 『……アンチャン?』 思わずそちらの呼び名を使ってしまったのは反射のようなものだった。ハクが「ウコン」と呼ベば、自分は「アンちゃん」と彼を呼ぶ。その生活をずっと続けてきた。 しかしこの場において、「ウコン」と呼ばれるのと同様に「アンちゃん」という呼称が使われることなどあるはずもなく。 「…………ぇ」 未だ快楽でとろけたままの、しかしはっきりと理性が戻りつつある琥珀色の双眸がひたとオシュトルを見つめる。 「お前……まさか、ウコン……なのか?」 震える唇が静かにそう問いかけた。 《七》 ハクがウコンの名を口にしてしまったのは、心の中で何度も何度もその名を呼んでいたからであり、強過ぎる快楽の波にのまれて思考力を半分以上彼方へ飛ばしていたからでもあり、またほんの少し自分に触れているのがあの男であればいいと愚かにも願っていたからでもあり、そして頬を拭う指がとても優しかったからであった。 おそらくどれ一つ欠けてもハクはこの状況で一番大切に想っている男の名を口にしなかっただろう。しかし条件は全て揃い、ハクはその名を呼んだ。無意識に呼んでしまった。 聞き流されるか、別の者の名を呼ばれては興が冷めると叱責されるか。どちらかであるはずの場面で返されたのは、「アンちゃん」という呼称。それはウコンだけがハクに対して使う呼び名だった。なのに何故、水神が。 「お前……まさか、ウコン……なのか?」 震える唇でハクは己をなぶっていた異形に問いかける。 『……ッ』 動揺し、かすかに肩を跳ねさせる水神。それだけで答えを知るには十分だった。 (ウコンが、水神……?) ハクは茫然と水神を見上げる。そう言えば、ハクを見つめる赤い双眸は己が知るものではなかっただろうか。 (ウコンが、水神) その事実は意外過ぎるほどにすとんとハクの中で落ち着いた。 恐怖はない。いや、そもそもハクが水神という異形の存在に対し感じたのは驚愕と畏怖だ。嫌悪し、恐れるのではなく、敬い、畏れる。きっとひとが神に対して本能的に感じるもの。 その畏怖の中にウコンへの想いが重なる。 (ウコンが水神、ということは) ごくり、とハクは唾を飲み込んだ。 (ウコンが水神ってことは、自分はウコンの手であんなところもこんなところも触られて、何度もイッて、ハク殿、ハク、って名前も連呼されて、オマケに美しいだ何だと褒められて――) これでもかとこの躰はウコンによって愛でられた。その事実にハクの顔は一瞬で真っ赤に染まる。 『ハク殿……アンチャン?』 触ってもいないのに突然顔を真っ赤に染めたハクを心配し、水神が――ウコンが声をかける。その右手はハクを労わるように自然と持ち上がっていた。するとこれまで散々ハクを乱していたその手が当人の視界に入るわけで。 「ッッッッッ!!」 (いや待て。そんな、うそだ。愛でるとか、そんなはずはない。ウコンは自分のことなんて、そっちの意味ではこれっぽっちも思ってなんか……!) 心の中で叫ぶが、こんな時に限って乱れる己にかけられた水神の声が頭の中で鮮明によみがえる。『ハク殿、ハク殿、ハク』と呼ぶその声は大層優しく、愛しげではなかったか。そもそも水神自身は全く気持ちよくなどなっていないのに、どうしてハクだけこのように乱されたのか。その意味を考えれば―― 「ち、ちがう! ウコンが自分を好いているずがない!」 『ナッ、俺ハアンチャンガ好キダ!』 暴走する自分の思考を否定しようと思わず声に出してしまった瞬間、更にその言葉を否定する声があった。ハクは「え」と目を大きく開いて水神を見上げる。赤い双眸がひたとハクを見据えていた。 「ウコン……? お前、今、なんて」 『ッ、イヤ。俺ハ……』 まさかウコンの方も先程の台詞は無意識に口にしてしまっていたのか。しかし飛び出した言葉は元に戻らない。僅かな期待と、「いやいや『好き』というのはきっと親友としてだ」という否定がハクの中を埋め尽くす。速くなる鼓動は期待ゆえか、それとも不安のためか。 「ウコン、それはどういう意味なんだ」 ハクは己の今の恰好に意識が向けられないほど必死の思いでウコンを見つめた。辛うじて腕を通しているだけの白い長襦袢がどれほど淫らで、ウコンの目を惹きつけ、そして理性を奪うのか、赤く染まった顔で全てを晒すハクは気が付かない。 ぐう、と異形の喉が鳴る。巨大な左手がハクの躰を優しく拘束し、右手がとろとろにとろけたままの後孔をするりと撫でた。 「ひゃ!」 『コウイウ意味デダ』 「ウ、ウコ」 『俺ハアンチャンガ好キダ。親友トシテジャネェ。抱キ締メテ、口吸イヲシテ、情ヲ交ワシタイ。ソウイウ意味デノ「好キ」ダ』 「……ッ!」 己を拘束する左手の指に、それと比べればとても小さな己の両手を添えて、ハクは息を呑んだ。 「ほんとう……か?」 『アア。本当ダ』 とくん、と心臓が跳ねる。 「本当の、本当に?」 『アンチャンガ信ジテクレルナラ何度デモ言ッテヤル。俺ハアンチャンガ好キダ』 琥珀色の双眸は大きく見開かれ、口元は知らず知らずのうちに弧を描いた。その変化にウコンもまた息を呑む。『アンチャン、マサカ』と呟く彼にハクは告げた。 「自分も、お前が好きだ。ウコンを愛している」 ずっと胸の内に押し込めていた想いを、言葉に。 ああ、こんなに嬉しいことがあっていいのだろうか。歓喜に満たされ、ハクはウコンの顔に向けて両手を伸ばした。 「ウコン、ウコン。自分にお前を抱き締めさせてくれ」 莫迦なことだとは思うが、今ならこの身一つで空も飛べそうな気分だ。 ハクに乞われ、ウコンが左手の拘束を緩めながら己の顔に近付ける。ハクはそのまま異形の頭に抱きつくようにして腕を回した。 「ウコン……」 『アンチャン、……ハク』 すぐ近くにウコンの蘇芳色の瞳がある。形は違っており、どういう仕組みなのか発光もしているが、確かにこれはハクが最も大切に想っている男の持つ色だ。 優しく背中に添えられたのはウコンの右手だろう。その感触に愛しさが込み上げ、同時に、これが散々己を乱していたのだと思えばゾクリと背筋が震えた。 「なぁ、ウコン。自分は今、夢のような気分だ」 『ソレハ俺ノ台詞ダゼ。ズット言ワネェツモリダッタノニ、マサカ同ジ想イタァナ』 ウコンの大きな手がそっとハクの背を撫でる。促されるまま、乞われるまま、ハクは更に強く抱きついた。ウコンの手は優しくて、冷たいはずなのに温かく感じて、そしてやはり少しゾクゾクする。 (嗚呼、幸せだ) 誰がこんな結末を予想しただろう。神の供物となり死ぬはずだった己が、まさかこうして親友と想いを通じ合わせることができるなんて。 抱きついた顔に頬ずりをしてハクは微笑んだ。 すると、 『嗚呼、幸セダ』 ウコンが自分の気持ちと全く同じ気持ちを呟いたものだから、ハクは可笑しくて、それ以上に楽しくなって、「気が合うな。自分も同意見だ」とウコンの目元にくちづけを落とした。
《終》
《おまけ》 「そういや今更かもしれんが、お前本当はオシュトルって言うんだな」 水神の顔の側面に張り付くようにして抱きついていたハクが僅かに身を離し、そう尋ねた。ウコンもといオシュトルは一瞬どちらの口調で応えようか迷ったが、今の己の姿を思い出して『ウム』と返す。 『シカシ其方ニ呼ンデモラエルノデアレバ、某ハドチラデモ構ワヌノダガ』 「そんなもんか?」 『大切ナノハ何ト呼バレルカデハナク、誰ニドノヨウナ意図デ呼バレルカ、デアル故』 「ふぅん」 軽く頷き、ハクは更に問いを重ねた。 「じゃあまた人型に戻ることもできるのか?」 『アア。人々ヲ見守ルタメノ姿――ツマリ「ウコン」ト、コノ姿、ソレト人型ノ「水神オシュトル」ノ姿ヲ取ルコトガデキルガ……ウコンニナッタ方ガハク殿トシテハヤハリ気安イダロウカ』 「そりゃまぁそうだが、お前の躰なんだからお前の好きなようにすればいいさ。自分にとっちゃお前がお前であれば、ウコンでもオシュトルでも構わんよ」 そう言ってハクはぺちぺちとオシュトルの頬を軽く叩いた。幼児の戯れのような仕草がなんとも愛らしい。甘えられているというのがよく判る。 オシュトルは胸に秘めた思いと共に己の本来の姿であるこの異形までも受け入れられ、今や幸せの絶頂にあると言っても過言ではない。もし人型であったなら、目も当てられないくらいに顔が緩み切っていただろう。 愛しいひとの前で恰好を付けたいのはヒトも神も同じこと。よって今だけはこの姿で良かったと本気で思えた。 しかしオシュトルの返答を聞き「だったらお前の姿に合わせてこちらも呼び方を変えるとしよう」と結論を出したハクが何とはなしに自分の足元を見下ろした瞬間、その安堵は脆くも崩れ去る。 「………………」 『ハク殿?』 急にハクが下を向いたまま黙り込んだためオシュトルは心配してその名を呼んだ。だがハクは答えない。ただしうつむいた顔は徐々に赤く染まり始め、耳や首筋まで真っ赤になってしまった。一体何を見ているのかとオシュトルもまた視線を下に向ければ、 『……ッ、スマヌ! ソノ、コレハッ』 「いや、いい。言うな。男なら仕方がないことだ。つうかこの場合、自分としてはたぶん喜んでいいことだと思うし。うん」 早口でそう言い切るハクの視線の先にはオシュトルの下肢があった。正確には股間。もっと正しく言えば、ハクの媚態に酔って昂ってしまったオシュトルの立派な怒張が鎮座ましましている。 今更ながら自分の状態に気付いたハクがいそいそと躰の前で襦袢の衿を掻き寄せながら――正直、大変眼福であったのでとても残念だ――「とりあえず降ろしてくれ。ちとこの場所は高い」と願った。落とすつもりなど毛頭ないが、それとはまた別の問題で、確かにこの位置はハクにとって高過ぎるだろう。オシュトルは素直に頷き、視線が合わないまま彼を地面に降ろす。 地に足を付けたハクはほっと息を吐き、 「お前も座れ」 『……正座ノ方ガヨイダロウカ』 「いやいや、怒るんじゃないから」 ちらりとほんの一瞬だけオシュトルに一瞥をくれてハクは繰り返した。 「いいから座れ。むしろ寝転がってくれても構わん。……そっちの方がやりやすいかもしれんしな」 『ハク殿? 今何ト……』 最後の方の台詞が聞き取れなかったので尋ねれば、ハクはまた顔の赤みを強くして「頼むから! 自分の気が変わらんうちに!」とオシュトルを急かす。彼が何をするつもりなのかさっぱり判らずオシュトルは内心で首を傾げたが、その言葉に逆らう気には微塵もなれなかった。ただ、望まれる恰好になると股間のアレがアレしたまま大変目立つことになってしまうので、少しばかり思うところはあったが。 ともあれ言われたままに腰を下ろす。この躰には大きな尻尾があるため仰向けで寝転がるのは難しい。よってその尻尾を支えにしつつ、だらしなく胡坐をかくような恰好で『コレデヨイカ?』と確認を取った。 「ん、それで大丈夫だ」 やはりまだ視線が合わないまま答えたハクが巨躯へと歩み寄る。そしてオシュトルの手が届く範囲にまで近付くとようやく視線を合わせ、目元を赤くしたままこう言った。 「オシュトル、自分をお前の腹に乗せてくれ」 『ナッ!?』 腹? 腹と言ったか!? とオシュトルは非常に狼狽する。 この体勢であれば乗せられないことはないが、そんなことをすればハクの目の前に彼の身長と同じくらいの天を向いたあれがどんと構えるというとんでもない構図になってしまう。思わず『本気ナノカ』と尋ねれば、ハクはやや憮然とした表情を作って頷いた。 「好きな奴が自分のせいでそうなっちまってんなら……その……世話をしてやるのが、こ、こいびと、の役目だろう」 『〜〜ッ!』 恥ずかしさと嬉しさがごちゃまぜになって、どう表現すればいいのか判らない。 つまりハクはオシュトルの立派に育ってしまったものを慰めてくれると言っているのだ。想いが通じ合った情人(こいびと)として。 「……嫌なのか」 『滅相モナイ』 即答だった。 答えた後で自分が何を言ったのか理解し、気まずくなってこちらから目を逸らす。 だがしかし、嬉しいか嫌かで言えば嬉しいし、大変嬉しいか少し嬉しいかであれば大変非常にこの上なく嬉しかった。なのでオシュトルはすぐに逸らした視線をハクに戻し、『ヨイノカ』と尋ねる。ハクが小さく頷いたのを確認し、オシュトルは大きな手でそっと彼を包み込むように持ち上げた。 (目の毒だ) そう思いながらもオシュトルはハクから視線を逸らせずにいる。 到底その細い躰には収めきれない大きさの男根を慰めるため、ハクは文字通り全身を使って愛撫していた。 白い長襦袢は相変わらず辛うじて腕を通しているだけの状態で、背中がしっかりと見えてしまっている。腰紐はとうの音にどこかへ行ったため前は完全に肌蹴た状態だった。ただしオシュトルの側から確認できるのは汗でほんの少ししっとりした布が貼り付いて形が露わになった尻がいやらしく揺れる様子である。それもまた良い。 最初は白い繊手が怒張した肉茎を上下に撫でさするだけだった。正直なところオシュトルとしてはハクが触ってくれるだけでも大変くる≠烽フがあったのだが、達するためには刺激が足りない。ハクもすぐに気付いたらしく、意を決して次に取りかかったのが、己の上半身を使うことだった。 男根の先端に手のひらを押し付けくるくると刺激し、溢れ出した先走りを幹全体に広げる。それができればハクは次に己の胸をオシュトルの肉茎に擦り付け、抱き締めるような恰好で躰を上下に動かし始めた、時折、オシュトルに散々いじられて敏感になった胸の頂が擦れるのか、「っ、あ」と、かすかに甘い吐息を零すのがまたたまらない。 「……ん。オシュ、トル、気持ちいいか?」 『ッ、アア』 片手でオシュトルの鈴口とその周囲をいじりながら躰を上下に動かしていたハクが振り返って尋ねる。感謝の代わりに背中をそっと撫でれば、それだけで感じるのかハクが躰を震わせた。 ひくりと跳ねた痩身は偶然にも腹までオシュトルに擦り付ける恰好となり、 「ふ、ぁ……!」 オシュトルを慰めながら自らもまた興奮していたハクが、腹どころか勃ち上がっていた己までもオシュトルに触れさせてしまう。一瞬硬直し、耳まで赤く染めるハクの様子を蘇芳色の双眸ははっきりと捉えていた。 「……っ」 耳も首筋も赤く染めたままハクが動きを再開させる。くちゅくちゅと粘ついた水音に、ハクの息遣い。乳首が擦れるのは相変わらずで、そのたびにハクは声を殺した。 前を勃たせっ放しにして、しかしそこを誤って刺激してしまわぬよう、ハクは胸と腕で奉仕を続ける。オシュトルはふと思い立ち、再びハクの背をそっと官能的な手つきで撫で上げた。 「……ンンっ」 突然の刺激にハクが目の前のものへと縋りつく。しかし凹凸はあるものの随分と滑りのよくなったそこは縋りつく痩身をつるりと滑らせ、結果。 「ひゃ、ああっ!」 勃ち上がったままのハクの陰茎が先程よりも強くオシュトルと触れ合った。 ハクは背をしならせて感じ入る。達するまでには至らなかったが、しばらくぐっと押し黙った後、オシュトルを振り返って目を吊り上げた。 「い、今はっ! 自分がお前を気持ちよくしてる最中なんだから、邪魔をするな!」 快楽にとろけた赤い顔で叱責されても可愛らしいだけである。完全にご褒美であるそれをしっかりと目に焼き付けて、オシュトルは『ウム。スマナカッタ』と謝罪した。 「まったく」 そう言いながら再びオシュトルのものを撫で始めるのだから、本当に始末に負えない。 気を取り直したハクはこれまでと同じように手と上半身を使ってオシュトルに奉仕し始めた。だが二度にわたり自身のものとオシュトルのものを擦り合わせる経験をしてしまったハクは、はぁはぁと息を吐きながら無意識のうちに少しずつ巨大な肉茎の方へ腰を近付けていく。 オシュトルは気付いていたが何も言わない。そのまま幾許かの期待を込めてハクの行動を見守り続ける。 そして。 「んっ、く……ぁ」 零れ落ちたのは、気持ちよさそうなハクの吐息。 恍惚とした表情でハクはぴたりと己の腹を、正確には陰茎をオシュトルの怒張に擦りつけ始めた。 「あっ……は、ふぅ……んっ」 オシュトルの男根を太腿でしっかりと挟み込み、赤く腫れた胸の頂も反り返った陰茎もぬちゅぬちゅと擦りつける。 「あっ、あっ……ん、く……は、ぁ……」 ハクは完全にオシュトルの怒張の虜になっていた。次から次へと溢れ出る先走りはハクの動きに十分な滑りを与え、怒張の表面にある凹凸が予期せぬ刺激をもたらす。 それまでずっとオシュトルの指で高められていたのも大きな原因だろう。ああ、可愛らしい。 『ッ、ク……ハク殿、気持チイイカ?』 「んっ、ん」最早無意識の域で、こくこくとハクが頭を上下に振る。「きもち、い……。おしゅとる、は?」 『アア。某モ気持チイイ』 「ふふっ」 快楽にのまれたハクが背後を振り返って微笑んだ。そのなんと淫靡で、いやらしくて、美しいことか。 ハクの全身を使っての愛撫に加え、その淫らな行為と表情はオシュトルの官能を容赦なく揺さぶる。纏っている白い長襦袢もすでに濡れそぼって大部分が透けてしまっており、ますますハクを淫らな生き物に見せた。 オシュトルの喉が興奮でグルグルと鳴る。自然と両手が伸び、濡れて重くなった邪魔な白い布をぺろりとめくり上げた。しかしハクは熱く滾った怒張に夢中で気付かない。 長襦袢の裾を持ち上げたまま、オシュトルはもう片方の手をハクの臀部へ近付ける。 双丘の奥に指を挿し入れて、 「ひゃ、ああう!」 とろとろのままの後孔に再び指を突き立てられ、ハクが甘い悲鳴を上げた。 襦袢の裾を持ち上げる手はハクが腰を引かないようそっと男根に押し付けており、もう一方でハクの後孔をいじる。後ろからの刺激にハクは一旦上下運動を止めていたが、オシュトルの指がずんずんと奥へ押し上げる動きを始めると、痩身は自然と怒張の表面にこすりつけられる羽目になった。 「あっ、はっ、あ! あ! ゃ、あ!」 支えになるのがそこ≠オかないため、ハクは両腕をオシュトルの怒張に回してしがみ付く。上下に揺らされる躰は凹凸とぬるつきを備えた男根でぐちゅぐちゅと擦り上げられ、ハクの甘い悲鳴はますます大きくなった。 「っん、く……んっ、あ、おしゅ! だめ、じぶ、んが、イっちゃ……!」 『存分ニイケバイイ。我等ハ互イニ想イ合ウ仲ダ。気持チヨクナルナラ、共ニ』 「んんんっ! あっ、あンッ、んくぅ!」 オシュトルの指を咥えた後孔がきゅうと締まる。同時に、前からも白い飛沫が散った。 『ッ、グゥ……ゥ』 達したことでハクの抱きつく力が強まり、その刺激と視覚的効果でオシュトル自身もまた逐情する。大量の白濁が吐き出され、一部はハクの躰にもかかった。 オシュトルのもので白く汚れたハクはとてもいやらしくて――。 「……は、ぁ。仕方のない奴」 熱い吐息を吐き出し、ハクは出してすぐ力を取り戻し始めた大きな男根を撫で上げる。 エラの張ったそこにちゅうと吸い付いて、オシュトルの淫らな情人(こいびと)はうっとりと目を細めた。 とろとろにとろけた琥珀色はきっとこの世の何よりも美しい。 『其方ガ欲シクテタマラヌノダ。……モウ一度、慰メテクレルカ』 「当然だ。自分はお前の情人(こいびと)なんだからな」 2016.12.15〜2016.12.22 Privatterにて初出 |