「この盗人小僧めが!」
「違う! 俺じゃねえ!」
「黙れクソガキ! お前しかいねぇんだよ!!」
「っ、うあっ!」
 村の大人に容赦なく蹴り飛ばされてウコンはボールのように地面を転がった。大人達の理不尽な暴力に耐えようと、少年は小さな躰を更に小さく縮める。
 事の発端は村の住民が共同で使っている食料庫で記録にない減りが確認されたことだった。槍玉に挙がったのは躰が弱く働けない母を持つ、余所の土地からやってきた子供であるウコン。
 自分達の畑や家畜はないものの、他の住民達の手伝いをすることで食料や駄賃を受け取っていたウコンは、それなりに彼等とも良い関係を築けていると思っていた。だが確証の無い一件だけでこのザマだ。
「はっ……はは」
「なに笑ってやがる」
「どうやらもっと痛い目を見なくちゃわかんねぇみたいだな」
 顔を醜く歪めてにじり寄る大人達。両手に農具を携えた者もいる。巨大なフォーク状のそれは干し草や堆肥を運ぶ際に使うものだ。その尖った先端がウコンに向けられている。あんなものが躰を掠ればひとたまりもないだろう。ここの住民はただの疑いだけで子供を殺すのか。それともウコンが余所者だから殺しても構わないと思っているのだろうか。
(ようやく穏やかな暮らしができると思ったのに、やっぱり俺には居場所なんてないのかよ)
 腹違いの兄姉達も継承権の低いこの身をヒトとは思っていなかった。血が繋がっていてもああなのだから、きっとここの村人達ならば尚更だ。
 自分がいなくなれば母はどうやって生きるのだろう。ふとそんなことを頭の片隅で心配しつつも、自暴自棄になりかけていたウコンだったのだが、

「随分と面白そうなことをしているな」

 小さな子供一人に疑いの目を向けて件の食料庫の壁際へ追い込むように距離を詰めていた村の大人達が、弾かれたように後ろを振り返る。
 聞き覚えのある声にウコンもはっと目を見開いた。大人達の隙間から風に揺れる真っ白なワンピースが覗き、息を呑む。
「ハク……!」
「よっ、ウコン」
 現れた少女――ハクが、殺気立った状況にそぐわぬ、へらりと気の抜ける笑みを浮かべた。
 一方、声をかけたのが役人やそうでなくても大人ではないと判明した途端、村人達の態度が横柄なものへと戻る。
「なんだぁこの嬢ちゃんは」
「確かあれだろ、丘の上のデカい屋敷に移り住んできた……」
「ああ、都から来たって言う」
 稀に村の中で見かける少女の素性に村人達はますます相手を侮る様相を呈し、「なんも知らねぇガキは引っ込んでな」と、子犬でも追い払うようにシッシッと手を振った。
 ここでたとえ少女が腹を立てても――丘の家の豪邸に移り住んでくるほどの金持ちなのだから、プライドも高く、その可能性は十分にあると村人達は思っていた――、所詮相手は子供。取るに足らない。彼等は軽くあしらってやるつもりでいたのだろう。
 しかしハクは腹を立てるでも、また異様な雰囲気の大人達に泣き出すでもなく、軽くひょいと肩を竦めた。そしておもむろに人垣の中へ――地べたに座り込んでいるウコンの方へと歩き出す。
「こんな所で子供一人を囲んで騒いでるあんた達に少し訊きたいんだが」
 少女の足取りはやけに堂々としており、人々は思わずと言った風に彼女を避けてしまう。誰にも止められることなくウコンのすぐ傍まで辿り着いたハクは、その場でくるりと振り返り、未だ物騒なものを構えている村人達に向かって口を開いた。
「こいつが盗みを働いたなんて証拠はどこにある。自分はウコンほど立派な心根を持つ男を知らんのだが」
「ハク……ッ!」
 彼女が自分を信じてくれている。その事実だけでウコンは閉塞しかけていた世界が再び輝き出すのを感じた。
 だが他の者達からすれば、それは『ただのガキの戯言』である。「けっ」と悪態をつきながら、ウコンを追いつめていた村人達の中でも特に集団を先導していたと思しき若い男が一歩前に出た。
「食料庫から俺達の共有の財産を勝手に持ち出した奴がいる。皆で汗水垂らして蓄えた食糧だ。この村で黙って拝借していく奴なんかいやしねぇ。だったら余所者が犯人に決まってるだろうが!」
「やれやれ……なんとも乱暴な理論だな。というかそもそも全く論理的じゃない」
 ウコンの横に立ったままハクはやはりいつも通りの調子で頭を振る。大層呆れています、という感情が全身から滲み出ていた。
 それに腹を立てたのは言われた方の青年である。「このガキッ!」と顔を憤怒に赤く染め、傍らにいた別の男に「おい、屋敷の小娘にまで手を出したらちょっとマズいだろ」とたしなめられるほど殺気立った。
 ハクの隣でそのやり取り聞いていたウコンは警戒する意味も込めて怒り狂った男の顔をまじまじと見つめたのだが、ふとあることに気付き、「あれ?」と声を上げる。
「あんた確か……うちのおふくろに言い寄って袖にされてた」
「なっ!?」
「おお。なるほど、そういうことか」
 怒りに駆られていた男が突然落とされた呟きに目を瞠り、同時にハクは得心がいったと頷いた。
 少女は「トリコリさん、めちゃくちゃ美人だもんなー」とウコンに笑みを向けた後、男に振り返って不敵に唇を吊り上げる。
「つまりあんたはウコンの母親に言い寄って振られた腹いせに、その息子であるウコンをはめて親子の立場を悪くしてやろうって思ったわけだ」
「な、にを」
「どうせ食料庫で盗みを働いたのもお前だろう? もしくは余所者嫌いでお前に賛同した仲間がいたのかもな。まぁその辺のことは天に浮かぶお星様がしっかりと見ている≠セろうけど。あとで確かめておいてやろう。だがひとまず、お前の家を確認させてもらうところから始めようか? 食料庫から無くなったはずの物が出てきたら……その時は」
 ハクの瞳が剣呑さを増し、声も僅かに低くなる。
「ウコンの前で土下座してもらうから覚悟しろよ」
「……っ、くっそがぁぁぁああ!! お前のせいで!!!!」
 直後、男が農具を振り上げてウコンに飛びかかってきた。
 企みを暴いたのはハクだが、そのきっかけはウコンの発言であり、それに何より彼の犯行動機はウコンという息子がいてもなお美しい女に振られたことである。何とも自分勝手な理由だが、何かせねば気が済まないのだろう。
 錆の浮いた農具の切っ先が、未だ地面に尻をついたままのウコンの顔面めがけて力いっぱい振り下ろされる。ウコンが無実かもしれないと知って止めようとする大人もいたが、戸惑った状態で制止が間に合うはずもない。
 せめて目を潰されるのだけは避けねばと、ウコンは反射的に腕を持ち上げた。
 しかし。
「――――っ……てぇ」
「……は、く?」
 温かい影に押し倒されている。そして頭の上から大好きな子の声がした。
 恐る恐る目を開けると、半分ほど遮られた視界に青い空が映っている。そしてもう半分は黒。――否、覆い被さっていたハクが躰を持ち上げ、青褪めた顔がウコンの視界の中央で笑った。
「ウコン、大丈夫か?」
「ぁ……」
 周りが騒がしい。折角ハクが微笑んでくれているのに、話しかけてくれているのに、大人達が放つ雑音によって上手く聞き取ることができない。「どうすんだよ」「あいつが勝手に飛び出してきたんだ」「脇腹ざっくりいったぞ」「俺のせいじゃない」「早く医者を!」「丘の上の屋敷に連絡は!?」「俺のせいじゃ……!」そんな有象無象の怒鳴り声が木霊している。ああ、煩わしい。
「ハ、ク……?」
「ん……。怪我はない、みたいだな。まったく、お前が怪我しちゃ、だめ、だろ。お前に何か、あった、ら……誰がトリコリさん、を、助けるん、だよ」
 あのひと綺麗だから、変な虫だって寄りつくのに。それを払うのもお前の仕事だろう?
 そう言ってハクが笑う。笑うけれども、その顔からは見る間に血の気が引いていき、脂汗が滴った。
「ハク、」
「あ……悪い、」へらり、とハクが眉尻を下げる。「ちょっと無理かも」
 言い切った直後、綺麗な琥珀色が瞼の裏に隠されてウコンの腕の中に細い躰がしなだれかかってきた。咄嗟に支えた手はぬるりと滑り、生温かい何かの感触。まさかと思い己の手のひらを見てみれば……。
「あ、あ、ああああああっ!」
 真っ赤な真っ赤な、血潮の色。


 その後のことを、正直なところウコンはよく覚えていない。
 ただ目覚めると自分は丘の上の屋敷に連れて来られており、ハクと並んでベッドに眠っていた。
 またハクの傷には治療が施され、部屋にやってきた侍女らしき女からは、傷跡は残るが命に別状はないと説明を受けた。
 その説明にほっと胸を撫で下ろし、ウコンはハクが目を覚ますまで一歩もベッドの傍から離れようとしなかった。母のトリコリも同じく屋敷に招待されていたのだが、彼女の言葉であっても聞き入れない。
 ひたすら頑なに、食事でさえ拒むウコン。無論、屋敷の者達は困り顔を浮かべたが、それでも決してウコンの意志を無理やり曲げさせることはなかった。
「あなたはハクさんが大好きなのね」
「……うん」
 隣にやってきた母の言葉にウコンは頷く。
「俺はハクが好きだ」
 そうしてハクが何者なのかも知らずにただただ彼女のことばかり考えて過ごした。


 ハクが目を覚ましてしばらく経ったある日のこと。
「ま、これじゃ痕(あと)は残るよなぁ」
「あっさりしてんなー。まぁオメェさんらしいっちゃらしいけどよ」
 ヘソの近くから脇腹にかけて大きな傷跡が残ることを説明されても、ハクは別段気にした様子がない。ウコンが「女って傷とか気にするもんじゃねぇのか」と尋ねれば、少女は「そう言われてもなぁ」とベッドのクッションにもたれかかった。
 随分とよくなったが未だ医者より安静を言い渡されているハクに付き添って、ウコンはベッドの傍らに椅子を置き、胡坐をかくようにして座っている。その場で器用に頬杖をつくと、傷の具合を看るのに都合がいい前開きデザインのワンピース姿のハクをぼんやりと眺めやった。
「気になるのか?」
「あん?」
「この傷のこと」
「そりゃあ……」
 言いよどみ、ウコンは頬杖をやめて目を逸らす。
 気にならないわけがなかった。ハクの傷はウコンを庇ってついたものなのだから。
 もしあのままウコンが男の攻撃を受けていたならば、今頃腕が動かなくなっているか、はたまた失明しているか。感染症の恐れもある。それにもし運悪く眼球どころか脳まで貫かれていたならば、ウコンはこの世にいなかっただろう。だがそれら全ての危険性をハクが身を挺して取り除いてくれた。おかげでウコンはこの通り無傷であり、代わりにハクがベッドから出られないでいる。
(しかもあんな大きな傷まで……)
 医者や侍女が部屋から出た後、ハクが少しだけ見せてくれた傷。包帯に覆われたままだったが、その痛々しさは十分に伝わってきた。
 白くて透き通っていて、傷など一つもなかったハクの躰にできてしまった、一生消えない大きな傷跡。ウコンが愚鈍だったせいでついてしまった醜いそれ。
「…………、」
 逸らした視線は急速に下がり、毛足の長い絨毯へと落とされる。血が滲むほど強く唇を噛み締めて、ウコンは唸るように告げた。
「ハクの傷は俺が……俺なんかのせいで」
「はいはい、やめー! それナシ!!」
「へ?」
 重く沈みかけた空気を吹き飛ばすようにハクが声を張り上げ、ウコンは唖然と目を丸くする。顔を上げた先にはちょっとだけ不機嫌そうなハクの姿。一体何がどうしたんだとウコンが口を開きかけるが、一瞬早くハクが声を発した。
「なんか≠チて言ってお前自身を蔑むな。それじゃウコンを庇った自分が莫迦みたいじゃないか」
「そんなこと!」
「あるから言ってるんだ」
 ハクはそう言うと半眼でウコンをじぃと睨み付ける。
「こっちが大切に思ってる奴を悪く言うなよな、莫迦ウコン」
「っ!」
 ウコンを睨み付けるハクの目元が少し赤くなっていた。
 この身を指して大切だと言ってくれたこと、それに滅多に顔を赤らめないはずのハクの照れた様子にウコンは言葉を失う。数秒の間を置き、ハクと同じかそれ以上に頬を熱くしながら「……おう」と首を縦に振るのが精一杯だった。
「わ、判ればよろしい」
 服の布地を握りしめてハクが告げる。
 あちこちに飛び跳ねた髪の中でウコンの耳がピクピクと跳ねた。尻尾も主人の意思を如実に表し、大きく揺れている。なんだか無性にハクが可愛く思えて仕方なかった。
「とにかく、だ! 傷のことは気にするな。これは大事な奴を護って受けた勲章なんだからな!」
 照れ隠しなのか、ハクの声がいつもより大きい。しかしウコンにもそれを指摘する余裕などなく、コクコクとひたすら首肯するのみ。なんともおかしな光景ができあがってしまっている。
「それに――」
 コホン、とハクはわざとらしい咳を一つ。
「傷が残っても大した問題にはならんだろう。どうせ最初から自分を嫁にもらいたがるような奇特な奴もおらんだろうし、傷の一つや二つ残ったところで……」
「そっ、そんなことねぇ!」
「!」
 恥ずかしさに黙りこくっていたウコンだったが、聞き捨てならない台詞に思わず声を荒らげていた。ハクがびっくりしたように大きく目を見開いてこちらを見つめている。とろとろに煮詰めた飴のような瞳が酷く美味しそうだと思った。
「ハクは綺麗だし、可愛いし」
「は、あ? なっ、にを」
「頭いいし、でも全然偉そうにしねぇし!」
「ちょ、ウコ、まて」
「一緒にいてすげぇ楽しいし、なんか陽だまりみてぇにぽかぽかするし!」
「えっと、そりゃ自分もお前といて楽しい、けど、ひだっ、ひだまり!?」
「躰なんてホントやわっこくて、抱き締めたらめちゃくちゃいい匂いとかもするし!!」
「〜〜〜〜ッッッ!?!?」
 ウコンは恥ずかしさから再び顔を下に向け、ひたすら思いの丈をぶちまける。恥ずかしくても喋るのをやめないのは、ハクがウコンを貶めるなと言ったのと同様、ウコンもまたハクを貶めてほしくなかったからだ。だからハクの良いところをいくつもいくつも挙げてみせる。そう、ハクは素晴らしい。ハクは可愛い。ハクは凄い。
 とはいっても、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいのであり。視線をハクから外していたため、顔どころか全身真っ赤に染めて言葉を失っている少女の様子にウコンが気付くことはなかった。
 しかし、それもここまで。
「だから!」
 バッと勢いよく顔を上げたウコンは目の前で真っ赤になっているハクを見て、突然声が出なくなったかのようにパクパクと口を開閉させる。
「……っ、ぁ」
「………………だから=A何なんだよ」
 真っ赤に染まった顔でハクがぼそりと問いかけた。
「あ、その……だな」
 ひたすら恥ずかしいのに、ハクが可愛くて目を逸らしたくない。
 だからウコンはそのまま――ハクと目を合わせたまま、言った。

「嫁に来てくれ」

「…………はい?」
 一言発してしまえば、あとは勝手に言葉が出てくる。
「お前は自分を嫁にしたがる奴はいねぇとか言ってっけど、俺はハクを嫁にしたい! ハクと結婚したい! 一生一緒にいたい!!」
「ちょ、待て待て!」
「待たねぇ!! ハク、俺と結婚してくれ!! それとも傷物にした責任を取るっつったら嫁に来てくれるか!?」
「傷物言うなーー!!」
「じゃあ入婿か!」
「そうじゃないいいいいい!! ……っ、いたた」
 思い切り叫んだせいで傷に響いたらしい。腹を抱えて背中を丸めるハクにウコンが慌てる。しかし椅子から立ち上がった少年にハクは「待て」と手を上げて制し、真っ赤に染まったままの顔を向けた。とても可愛い。ではなくて。
「ウコン」
「お、おう。大丈夫か」
「心配するな。大事ない」
 きっぱりと答えてからハクは一呼吸置く。
 そして。
「今のは本当か?」
「へ?」
「だから、その……」
 もごもごと口ごもり、ハクは視線を彷徨わせる。
「ハク?」
「うっ……」
 どうかしたのかと名を呼べば、琥珀色が改めてウコンを見た。
「いや、その。自分は他のヒトと違って毛の生えた耳も尻尾もないし」
「おう」
「お前が知ってる通り、ちょっと変わったことができるし」
「ああ。きらきらしてるすっげぇ綺麗なやつな」
 初めてハクの姿を目にした時の忘れられないあの光景を思い出し、ウコンの顔には自然と笑みが浮かんだ。その表情の変化を見てハクが眉尻を下げる。そうして他人を許す時の「しょうがないなぁ」ではなく、自分のために「しょうがないよな」と呟いて、ハクは尋ねた。

「御覧の通り傷物≠セが、お前が自分を嫁にもらってくれるか」

「………………だろ」
「ウコン?」
「当たり前だろ!!」
 ベッドに乗り上げ、ウコンはハクの手を取る。胸が熱い。ただひたすらに熱くて、今にも内側から破裂してしまいそうで、たまらなく苦しくて、けれど跳び上がってしまいそうなくらい幸せだと断言できる。
 そうしてウコンは白くてやわらかな手をぎゅっと握り締め、高鳴る胸が望むままに叫んだ。
「絶対幸せにすっから!!」
 大きな琥珀色の瞳に一生懸命なウコンの姿が映り込んでいた。やっぱり甘そうだと思う。
 その双眸がゆっくりと細まって、
「ああ。幸せにしてくれ」
 ハクもまたウコンの手を強く握り返した。







2016.11.09 Privatterにて初出