公 國 の 魔 女
Hexe des Herzogtums




 ヤマト公國と呼ばれる小國の國境付近に位置する小さな小さな村。そこでウコンは母と共に暮らしていた。
 ウコンは公國の民ではない。ここより國境を三つ越えた先にある軍事大國エンナカムイの生まれである。しかしとある事情により、今はこうして隠れ住むように小さな國の小さな村に身を置いているのだ。
 余所者であるウコン達はやはりどうしても肩身の狭い思いをする場合がある。しかし命を狙われることも酷く虐げられることもなく、労働の対価として村の住民達からそれに見合った金銭や食料を得て平和な毎日を送っていた。
 そんなある日のこと。
「……なんだこりゃあ」
 近くの小川へ水汲みに出ていたウコンは自身の周囲に淡く光る球体が漂っていることに気付いた。光球はふわふわと流れ、小川の上流へと向かっている。あかぎれのできた手で水を汲んだ桶を足元に置き、ウコンはぽかんと口を開けてその光景に見入った。
 ズボンの外に出しっぱなしにしていた尻尾が興味深そうにふりふりと揺れる。
(少しだけなら)
 ちょっとだけ、この光球達の向かう先を見に行くだけだから。
 誰にともなくそう言い訳をして、ウコンの足は動き出した。
 光球は風に流されるようにふわふわと頼りなく動きつつも、実際には決して風向きに左右されることなく一定方向に流れている。優しい黄色味を帯びた光だ。手を伸ばして触れてみたが、それはまるでこの場に存在しないかのように指をすり抜けてしまう。
 小柄だが健脚には自信のあったウコンはひょいひょいと川岸を難なく進み、そうして光球の終着点へと辿り着く。
 川が大きく曲がって流れが緩やかになったその場所。生い茂っていた木々が急にひらけて燦々と陽光が降り注ぐ中、ウコンと同じ年頃の子供が天に向かって片腕を伸ばしていた。
 白いやわらかそうなワンピースを纏った少女は太陽の光に透けて琥珀色に輝く髪を肩が過ぎる程度まで伸ばし、天へと向けた真っ白な手で光球を捕まえている。否、彼女の手元に光球の方が集まっているのだ。光球が集うにしたがって少女は燐光を纏い、彼女自身が淡く輝いているようにすら見える。
「アマテラス……データリンク開始……権限確認完了……接続、オールグリーン……」
 ウコン達も使っている言語でありながら決して意味を解せぬ不思議な言葉の羅列。愛らしい桃色の唇から零れ落ちるその音は無機的でありながら有機的でもある。
 理解できない光景はまるでヒトを惑わす魔法を扱う魔女の如し。だがウコンは天を仰いで優しげに細められた琥珀色の双眸に、一瞬にして頬を赤く染め上げた。
「よしよし、我が愛すべき天の星は今日も大層ご機嫌のようだな」
 そう呟いて光球の群れの中で微笑む少女のなんと美しいことか。容姿だけであれば母譲りの美貌を持つウコンの方が万人受けするものだっただろう。しかしふわふわと優しい空気を纏う少女の笑みにウコンは心を奪われた。まさに心臓を鷲掴みにされる心地である。
 言葉を失い、その場に立ち尽くすウコン。だがウコンは決して身を隠していたわけではなく、やがて天上の何かから地上へと意識を戻した少女が見物人の存在に気付いた。
「おっと、こんな所にまでヒトが来るなんて珍しいな」
「あ……」
「うん? ああ、すまんすまん。奇妙な光景で驚かせたか」
 言って、少女が腕を下げる。すると彼女の周りに漂っていた光球がすっと空気中に溶けるようにして消失し、纏っていた燐光も次第に薄くなり、やがて完全に消え去った。
 少し低めの声と少年のような口調。しかしそのどちらも少女の魅力を損なうことなく、むしろ引き立てているようにすら思える。
 折れそうなほど細い首をこてんと傾げて、少女は「どうした?」と黙り込んだままのウコンを訝った。
「どこか具合でも悪いのか?」
「あっ……いや、すまねぇ」
「それならいいが……しかし、お前、面白いな」
「俺が?」
「ああ」こくんと頷き、少女は続ける。「さっきの自分の姿を見ても魔女だ何だと恐れたり騒いだりしないだろう? 一昔前だと、この辺に住む大概の大人達は奇妙な動きをする者……特に女を魔女だと吊るし上げていたじゃないか」
「まぁそりゃそうか。でも俺はここの土地の者じゃねぇからな」
「へ? そうなのか?」
 深い琥珀色をした双眸が丸く見開かれる。
「恥ずかしながら、自國じゃ少々住みづらい立場になっちまってな……ああっと、別に罪を犯したわけじゃねぇぜ! ただ……」
 と、そこまで言ってウコンは口籠る。うっかり喋りそうになってしまったが、これ以上はまずい。
 一方少女は急に黙り込んでしまったウコンに先を促すのではなく、へらりと笑って口を開いた。
「言いたくないなら言わなくていい。自分も要らぬことまで聞いて厄介事に巻き込まれるのは御免だからな」
 人が好いのかただの面倒臭がり屋なのか判らない物言いをして少女は微笑む。まるで春の陽だまりのようなそれにウコンの胸がぽっと温かくなった。
「お、俺はウコンってんだ! オメェさんの名を聞いても構わねぇか?」
「ウコン、か……。良い名前だな」
 少女の声でその名を紡がれる。たとえ『ウコン』という名が偽名なのだとしても、ただそれだけでウコンの心臓は忙しなく動いた。そして彼女はウコンが一生忘れられない名を告げる。

「ハクだ。自分の名はハクと言う。よろしくな、ウコン」

 それは小さな小さな出逢い。何の力も持たない少年と、何者にも干渉しないはずの少女が出逢っただけの、何も起こらないはずの出来事。
 しかしこの出逢いはやがて世界を大きく動かす力となる。

* * *

 豪奢な玉座に腰かける男は未だ青年と称しても差し支えない若さだった。しかし眼下に平伏する者達を見る蘇芳色の双眸はまさに皇のそれ。事実、彼はこの軍事大國エンナカムイを統べる皇だった。
 先皇は実に好色家で、妻も子も両手の指の数では足りないほど存在していた。しかし彼が病床に伏した後に宮廷内で巻き起こった権力争いは数多の貴族や役人達をも巻き込んで泥沼の様相を呈し、結果、妃(きさき)や皇子・皇女のほとんどが大國の統治権を得ることなく散っていった。
 残ったのは継承権の低さ故に他國へと逃れていた皇子とその母親のみ。國は唯一皇族の血を引く彼等を血眼になって探し出し、そして最後の皇子を玉座に据えたのである。
 泥沼の争いにより疲弊した國にとって唯一幸いだったのは、その残った皇子がヒトの上に立つ者として類稀なる才能を有していたことだろう。半ば無理矢理にまだ幼い皇子を連れ戻した國だったが、それでも自暴自棄になることなく手を尽くした皇子によってエンナカムイは瞬く間に國力を取り戻した。
 が、成長し青年となった皇が笑みを浮かべることはない。先代、先々代が非常に好戦的であり、彼等の指示で繰り返された戦いによって國を大きくさせてきたエンナカムイは敵も多かった。青年が皇になった後も周辺の國々がエンナカムイを見る目は変わらず、攻められる前に……と早まった國が矛を向ければ、それに応戦するしかなかった。
 戦が起こればヒトが死ぬ。戦など見たくないと言って自分が皇位を下りれば、また國内で醜い権力争いが起こり、生じた隙を突かれてエンナカムイは滅ぶだろう。ゆえに与えられた地位を捨てることもできずに自身が戦を指揮すれば、自國他國問わず数多の命が散っていく。
 その様は青年の心を冷たく重いものへと変えていった。玲瓏な容貌に浮かぶのは皮肉気な冷たい微笑が僅かばかりで、統治者とは名ばかりの、國を維持するための歯車として青年は己の意志も望みもなくヒトの上に立ち続ける。
 凍りついた心に唯一残るのは、遠き地で過ごした幼い日々。戻れるものならあの日に戻りたい。だがその望みは小さ過ぎて、皇本人にすら最早自覚できるものではなかった。
 しかし――。
「白き魔女?」
「はっ、恐れながらヤマト公國を守護する白き魔女の存在がまことしやかに囁かれ始めており――」
 大人しくエンナカムイに攻め落とされるくらいならこちらから打って出る。しかし現状では國力が足りぬ。故に他國を下し、力を蓄えてから挑もう。そう考えた國があったらしい。そうして愚かな統治者が率いるその國によって標的とされたのは、かつてエンナカムイ皇が身を隠していた小國だった。
 凍りついた心臓を僅かに溶かすその名に皇――オシュトルの蘇芳色の双眸が判らぬ程度に見開かれる。
 ヤマト公國に攻め入った國は、しかし軍事力で圧倒的有利であったにもかかわらず大敗してしまったのだという。その理由が『白き魔女』。突如として戦場に現れた白い服の若い女が雲一つない空から雷(いかづち)を落とし、戦闘機も戦車も歩兵もことごとく薙ぎ払ったらしい。
「……その魔女とやらの詳しい情報は?」
「は? あ、はい。現在判っておりますのは……」
 強大な軍事力を誇るエンナカムイの皇が魔女などと言うあやふやな存在を信じ、ましてや興味を示すなど思いもしなかったのだろう。報告のため玉座の前に片膝をついていた将校が驚きに目を瞠り、そうしてすぐさま不敬だと気付いて顔を下げると報告を続けた。
 魔女とされる女の容姿については生き残った兵士が遠目に確認した程度の情報しかないが、白い服を纏っていたことの他に、陽の光の下で琥珀色に輝く髪をしていたという。
 オシュトルの脳裏をよぎったのは、榛を溶かしたような黒髪が光を浴びると琥珀色に輝く様子。「ウコン」と甘やかな声で名前を呼んで、陽だまりの如き笑みを浮かべる少女。己の心の一番深くて大事なところに仕舞われていた情景だった。
「……ほしいな」
「は?」
 ぽつりと落とされた皇の言葉に将校が目を瞬かせる。大國故に十分な実力もなく家柄だけでここまで来てしまった愚者なのだろうと前々から思っていたが、そろそろ首を挿げ替える時期かもしれない。……と思っていてもまだ口にすることはなく、オシュトルは首の挿げ替えよりも優先すべき事柄を言葉にした。
「その魔女を我が國へ招待したい。くれぐれも丁重に、であるぞ。決して傷つけてはならぬ」
「え、いや、しかし……」
「我はその白き魔女をここへ、と命じたのだ。復唱せよ」
「はっ、はい!」瞬時にその場で敬礼し、将校は命令を復唱した。「ヤマト公國にいるとされる『白き魔女』を陛下の御前へ連れて参ります!!」
 招待しろと言っているのに連れてくると言いかえた臣下。こちらの意を汲まぬ愚鈍な様にオシュトルは顔をしかめながら、早々に首を挿げ替えることを改めて決意する。この命令も別の者に任せねばなるまい。
 将校が退出した後、オシュトルは兵も役人も全て下がらせて、大広間の天井を見上げる。
 精緻な文様が施されたそれは確かに美しいのだろう。しかしオシュトルが最も心動かされるのはこんなものではない。
 ゆっくりと瞼を下ろし、暗闇の中に浮かび上がる光り輝く少女へと手を伸ばした。
「ハク……もし、其方であるならば」
 あの愛しい日々をもう一度紡げるかもしれない。
 男女区別なく魅了する玲瓏な美貌に浮かんだのは、本当に微かなものではあれど、おそよ十数年ぶりのやわらかな笑みだった。

* * *

「さすが余の『白き魔女』なのじゃ! ハクの力があれば諸外國もヤマトを攻めようなどとは思うまい!」
「アンジュ、余の≠カゃなくてわたし達の≠ナしょ。ねーハクお姉ちゃん!」
 にっこりと瓜二つな少女等に微笑まれ、称賛を受けた女が「ん? はは、ありがとな」と苦笑した。
 列強國に囲まれるようにしてひっそりと歴史を紡ぎ続けてきた公國、ヤマト。この國で初の二君主制を成立させたのが彼女等――アンジュとチィである。双子でありながら、長女であり毛の生えた耳と立派な尻尾を持つアンジュと、先祖返りなのか神代(かみよ)の人々の特徴を持って生まれた次女のチィ。二人はまだ十代という幼さであるものの、周囲の人々の力も借りつつ懸命にこの優しい國を治めていた。
 だが世界は無情であり、自國の國力強化のためこの小さくも豊かな國を手中に収めんと手を伸ばし始める。これまでは外交で何とか保たせていたのだが、過日、ついに隣國ウズールッシャがヤマトに攻め入ってきたのだ。
 國民は皆戦士であるとも称される彼(か)の國の勢いは凄まじく、ヤマトは窮地に立たされた。しかし圧倒的劣勢の戦況は驚くべき方法で覆される。
 戦場に現れたのは白い服を纏った一人の若い女。彼女が天に向かって手を掲げると、雲一つない青空から幾筋もの雷が放たれ、敵國の戦力を瞬く間に削いでいったのだ。
 肩を少し過ぎるほどに伸ばされた黒髪は真昼の太陽の光を浴びて琥珀に輝き、瞳もまた知性を窺わせる深みのある琥珀色。白い繊手は労働を知らぬ姫君のようですらあったが、その手が振り下ろされるたびに何十何百という敵が滅ぼされていった。
 その女こそ、今、二人の君主に左右から抱きつかれているハクである。
 ヒトでは決して扱えぬ強大な力によってヤマトを守護する白き魔女。
 十数年前、ヤマトの皇城の地下に埋まっている遺跡から硝子の棺の中で眠っているところを偶然発見されてハクと名付けられた少女は、今やこの國になくてはならない存在として二人の君主の信頼を一身に集めていた。
 アンジュ公、チィ公両名の執務室であるこの部屋には大きな円卓が置かれ、中央にはヤマトを中心に据えた周辺諸國の地図が広げられている。その中には各國の情勢について走り書きがなされており、過日、ウズールッシャが攻め入ってきた場所にもバツ印や様々なメモが記されていた。そのメモを一瞥してハクが口を開く。
「ただ、今回の件で自分の存在が明るみに出てしまった。周辺諸國が奇妙な力を恐れてくれている間はいいが、自分が使っている力の弱点に気付かれれば一巻の終わりだ。そこんとこ、忘れないようにな」
 ハクの言葉に君主達だけでなく、この場に同席を許された僅かな者達もまた神妙に頷く。
 敵を退けるという点において神にも等しい力を発揮するハクだが、これには様々な制限がかかっていた。その最たるものが、力を使うことができる時刻が決まっているというものだ。ハクは天空に浮かぶ星≠ノ命じて力を揮う。だがその星は常にハクの頭上にあるわけではない。星が上空に存在しない時間帯は、ハクもただのひととなる。それどころかハクは子供よりも非力なので、普通のヒトより弱くなってしまうのだ。
 二人の君主、彼女等の守護を担う近衛隊の長、軍の総指揮を任されている元帥、そして城で働く者達を統括する侍女長。ここにハクを加えた六名のみが知る秘密。漏洩すれば、ヤマトに明日はない。
 軍事大國エンナカムイの存在感がますます強くなる昨今、少しでも彼の國に対抗できる力を蓄えるため他國を取り込もうとする國はウズールッシャだけでなく、少しでも隙を見せれば、先日のように他國から攻め入られてしまうだろう。
「さて、この國までもが戦力強化のために取り込む対象なんだと証明されてしまった。同じようなことが起こらないなんて保証はどこにもない。この國の土地と民と尊厳を守るため、自分達はこの危機を切り抜けにゃならん」
「判っておる。それが我等の使命じゃ」
「うん。だからハクお姉ちゃん、力を貸して」
 二人はハクがとても優しいひとだということを知っている。そして戦いを好まないひとであることも。
 ハクは元々面倒臭がり屋で、のんびりするのが大好きで、傍にいるだけでとても安心できる穏やかな空気を持ったひとだ。戦場などちっとも似合わない。
 けれどヤマトを護るためには彼女の力が必要だった。
 そんな二人の――否、ここに集まった者達全員の心情をハクも判っているのだろう。気遣われていることに眉尻を下げながらも、その口から零れ落ちたのは「ああ」という、戦いを肯定する言葉。
「やるしかないからな」
 地下の遺跡で見つかり、先祖返りをしたチィのような――けれどもチィとは異なり血筋がはっきりしない――尻尾がなく耳にも毛が生えていない奇妙な存在である自分を受け入れ、育ててくれた大切な國。それに幼い頃の大切な思い出が残る國でもある。このヤマトが他人に踏みにじられる様など見たくない。
 ハクの宣言に少女等は抱きつく力を強め、やわらかな躰に顔をうずめながら「「ありがとう」」と声を揃えた。

* * *

 ヤマトの魔女は魔法を使える時間帯が限られている。
 その仮説を立てたのは、白き魔女を求めるエンナカムイ皇より命を受けた将校が、任務遂行のためだけに組織した特殊部隊の一人だった。
 膨大な情報の中から立てられた仮説に従って魔女捕獲のための部隊は動き、そしてついにその目的を達する。
 だが――
「愚か者が!!」
 オシュトルは激昂し、玉座から立ち上がった。
 ヤマトの白き魔女を招くよう命令を下していたはずが、新しくその任についた将校の報告にあったのは「御命令通りついに魔女を捕獲し、地下牢に幽閉いたしました」という言葉。未だ件の魔女がハクであるという確証はなかったが、もしハクであったならば……とオシュトルの顔から血の気が引く。
「まさか魔女の躰に傷でもつけてはおらぬだろうな」
「ひぃっ! め、滅相もございません! ただ……」
「ただ、何だ。正直に申せ」
 突然の皇の激昂に顔を青くしながらも将校は問われたまま口を開く。
「我々に抵抗した場合、魔女の力が揮えぬ時間帯に我が軍がヤマトに攻め入ると忠告を」
「……っ」
 最悪だった。
 オシュトルは歯噛みする。だがここで将校を怒鳴りつけても意味がない。オシュトルは玉座に腰を下ろすと、すぐに魔女を地下牢から出し、可能な限り最上級のもてなしでもって貴賓室へその身を移すよう命じる。そうして将校が慌てて玉座の間から退出すると共に己もまた魔女に会うため準備を始めた。
 これまで自國が彼女に行った非礼の詳細を把握することもその一つに含めて。


 白き魔女とされる人物の身柄を貴賓室に移し、十分な食事と休息を取ってもらってから、オシュトルはついに彼女との面会の時を迎えた。
 魔女を玉座の間に連れて来るのではなく皇自ら彼女の部屋に足を運ぶという事態に臣下は揃って反対したが、最早聞く価値もない。ただひたすら非礼を詫び、誠意を見せるためにオシュトルは彼女の部屋を訪れた。
 ノックをしてしばらく待ったが返答はなく。声をかけてから扉を開ける。
 大きな窓の傍に椅子を置いて、そこに腰を下ろし、若い女が外を眺めていた。硝子越しに差し込む陽の光が彼女の黒髪を琥珀色に輝かせる。
 脅された通り、力を使って反抗する態度は微塵も見せなかったが、心まで屈したつもりはないと示しているのだろう。オシュトルが「魔女殿」と声をかけても応える様子はない。
(最悪だ)
 玉座の間で報告を受けた時と同じことを思う。
 臣下だけでなく彼等にきちんと自身の意図を伝えきれていなかった己にもまた腹を立てながらオシュトルは部屋の奥へと歩を進めた。
 未だ魔女の顔は見えない。
 彼女が纏うのは精緻な刺繍を施した白いワンピース。元々身に着けていた服は汚れてしまっていたため、こちらで新しく用意した物である。そこから覗く白い足には包帯が巻かれていた。身柄を確保する時に少々争いになったと報告があったので、その時についたのかもしれない。腸が煮えくり返りそうだ。
 そして腿の上で組まれた白い手。指先に酷く力が籠っているのが見て取れた。『エンナカムイ皇』の来訪に緊張しているのだろう。悲しいくらいに痛々しい。
「……っ」
 それ以上距離を詰めることができず、魔女まであと数歩という所でオシュトルは足を止めた。
「魔女殿」
「……」
 やはり応えはない。
 オシュトルは意を決して、大事な大事な名前を口にする。
「………………ハク」
「ッ!」
 初めて魔女が反応を見せた。
 肩を震わせ、息を呑む白き魔女。その姿にオシュトルは胸の内で「鳴呼」と呟く。それは歓喜であり、嘆きでもあった。
 彼女がオシュトルの求めた人物と別人であったなら、落胆と共に安堵を覚えただろう。酷い目に遭ったのが大事なひとでなくて良かった、と。しかしこの魔女はオシュトルの告げた名に反応した。
 それは、つまり。
 オシュトルはその場に跪く。姿を見ずとも、気配でそれを察したのだろう。魔女の肩が再び震えた。
「ハク、すまぬ。何度謝罪しようとも許されることではないと理解している。だが、どうか謝らせてほしい。余は……いや、某はただ其方に再び見(まみ)えたかっただけなのだ」
 一度言葉を区切り、覚悟を決めて告げる。
「――エンナカムイ皇オシュトルとしてではなく、ただ、あの幼き日々を過ごしたウコンとして」
「ッ!?」
 ガタンッと椅子を倒しながら魔女が――否、ハクが立ち上がってオシュトルを振り向いた。あの美しい琥珀色の双眸は驚愕に見開かれ、唇は「そんな」と音もなく震える。
 オシュトルは――かつて『ウコン』という名の少年だった者は――膝をついたままハクを見上げて眉尻を下げた。
「ハク……ずっとお前に会いたかった」
「自分もウコンに会いたかったさ……だが」
 どうしてお前がそこにいる。
 苦しげに眉根を寄せてハクは絞り出すようにそう告げた。







2016.11.07 Privatterにて初出

白き魔女と称されるにょたハク殿と、ハク殿に傍にいてほしいオシュ様(敵國の皇)。技術レベルは近代西洋風。物語の都合上、ヤマトが小國(公國)、エンナカムイが大國です。アニメ「終末のイゼッタ」パロ……をしようとして、大分違うものになりました。そのため、こちらのアニメ知識は不要です〜。でも面白いのでオススメです( *´ ▽ ` )b

ハクの力=オーバーテクノロジー(ロストテクノロジー)。ただしアマテラス(人工衛星)との通信ができている時でないと完全な力は発揮できない。よって頭上にアマテラスがない場合は超絶非力。