結局、オシュトルが探していた友人は、ハクが言った通り先に家へ帰っていた。おかげでオシュトルは無駄足を踏んでしまったことになるわけだが、それでも陽の高いうちに帰宅したため両親に多大な心労をかけることも彼等に怒られることもなく、それどころか父親からは「友達思いの息子を持って俺は嬉しいぞ!」とまで言ってもらうことができた。
その日は子供達だけで森の奥へ入ってしまった件でゴタつき、日が暮れてしまったために、オシュトルが再度ハクを訪ねることはできず、ハクへの礼は後日改めてしようと決めてオシュトルは布団に入った。無論一人であそこまで行くのはやはりまだ親から禁止されていたため、今度向かう際には大人を伴ってということになるだろうが。 (であれば、父上の都合を聞かねばならんな) 母は少し他人より躰が弱いのであまり外へと連れ回すことはできない。となれば父が最有力候補となるだろう。森の奥の社でハクと出会ったことはまだ誰にも話せていなかったので――しばらく一人で森の中にいたのはただ単に友を探していたためだとしか説明していなかったのである――、そこから話をせねばなるまい。 幸いにも行き方は覚えているので迷うことはないだろう。それなら明日、目が覚めたら早速父に伺いを立てねばと思い、オシュトルは目を閉じた。 「森の中に古い社……?」 翌日。 ハクのことを説明したオシュトルに、父は「はて」と首を傾げた。 「そんなもの、あの森にあったかねぇ」 「確かに手入れはされていないようでしたが、この目で確かに見たのです」 父曰く、森の中に社などは建っていないのだそうだ。子供の足で帰って来られる程度の距離なのだから、大人である父が知らないというのもおかしい。ちょうどネコネを膝に乗せたまま横で話を聞いていた母も「お社、ねぇ……」と呟いて小首を傾げている。 「本当なのです! 本当に某はあそこでハク殿と――」 「ああ、判った。判ったから。そう興奮しなさんな。誰もお前が嘘を言ってるなんざ思っちゃいねぇから」 尻尾の毛を逆立てて主張する息子を父親はどうどうとなだめる。彼等が子供だからと言ってオシュトルの言葉を真っ向から否定することはない。しかしそういうヒト達だからこそ、本当に今まで見たことも聞いたこともないのだと、態度からはっきりと判ってしまった。 オシュトルの尻尾も力なく垂れ下がる。 そんな息子の様子に両親は顔を見合わせ、次いで父がパンと膝を叩いた。 「よし! そいじゃ早速お前が見つけたっていう社に行ってみっか! 案内役がいりゃあ辿り着けるだろ!」 「父上……!」 ぱぁっとオシュトルの顔が華やいだ。念のため「しかしお勤めの方は……」と聞いてみるも、「ガキがそんなこと気にしてんじゃねぇよ」と笑って流される。母の方も「でしたらそのハク様という方のために手土産を用意しなくては」と言って立ち上がった。 「父上、母上……!」 両親がオシュトルの言葉をちゃんと信じてくれたこと、そしてようやくハクに会いに行けることの両方が相俟って、オシュトルの耳が喜びに震える。尻尾も連動して揺らしてしまったため、母は「あらあら」と苦笑を漏らす始末だ。 「オシュトルはハク様が好きなのね」 「はっ、母上!? そ、そんな某は……!」 いくら同世代よりは落ち着いているとされるオシュトルであってもやはり多感な時期であることに変わりはなく、母からの指摘に顔を真っ赤にして否定する。確かにハクはちょっとばかり好ましい相手ではあったが、そういう対象として見ていたわけではない。断じて。 あわあわと慌てふためきながらそう説明するオシュトルに母も深く突っ込むつもりはないようで、「ええ、そうね。ごめんなさいな」と告げた後、手土産を用意するために奥へ引っ込んでしまった。そうして、ほう、と一息吐いたオシュトルは傍らにまだあった気配を感じてギクリと躰を強張らせる。 見上げた先にいたのはニンマリと笑う父であり―― 「違いますからね!? 本当の本当に違いますから!!」 「俺はまだ何も言ってねぇんだがなぁ」 「〜〜〜〜ッ!!」 墓穴を掘ったと知るには遅く。 オシュトルは顔を真っ赤にしながら疾風の如く居間から飛び出す羽目になった。 「……………………、」 「道はこっちで合ってんだよな?」 出発前に色々とあったものの、行かないという選択肢などあるはずもなく。善は急げとばかりに太陽がまだ中天を過ぎぬ頃から出発したオシュトルと父だったが、行けども行けども目的の場所に辿り着くことはできなかった。 オシュトルの眉間には皺が寄り始め、唇はムッと引き結ばれる。決して難しい場所を通ったわけではなく、昨日の今日で道順を忘れてしまったわけでもない。しかしこうだと思って進んだ先にあの木漏れ日を受けて輝く緑の社は無く、不安と焦燥がオシュトルの小さな躰を満たしていた。 母が手土産の他に持たせてくれた昼食も食べてしまい、太陽の角度もだいぶ傾いてきている。オシュトルの必死な様子に父はただついてきてくれていたが、子供の足で懸命に森を歩き回っていて疲れぬはずもなく、「頃合だ」と呟いた。 「オシュトル。そのハクっていうアンちゃんに会いたい気持ちはよっく判ったが、社が見つからねぇんじゃ仕方ない。今日は家に帰って、また出直そうぜ? な?」 「ですが」 「お前がへとへとになって会いに来てもそのアンちゃんが喜ぶと思うか? 今日は調子もあんまよくねぇみてェだし、無理は禁物だ」 「……」 父は決してオシュトルを嘘吐き呼ばわりなどしなかった。だがまだまだ子供のオシュトルが意地を張って無理をすることを親として許しはしない。そんな強い意志が感じられてオシュトルは肩を落とす。 「わかりました」 また出直そう。父の言葉は決して嘘ではないはずだったが、彼とて暇人ではない。今日は無理矢理に時間を取ってくれたが、その『また』がいつになるのかは判らなかった。 元気を失う息子に父親としてかける言葉は無く、代わりにオシュトルは大きな手で頭をわしゃわしゃとかき混ぜられた。「父上!」と非難の声を上げるが、父は笑って「さ、帰るか!」と更に頭をかき混ぜる。頭を揺らされ過ぎてくらりと眩暈がしたところでようやく止めてもらえたが、オシュトルが踏み出した一歩はよろめいており、何だかんだと理由をつけられてオシュトルは父に背負われる羽目になってしまった。 父の大きくて温かな背に半ば強制的に負ぶわれたオシュトルはそれでもしばらく文句を言っていたが、やがて森を歩き続けた疲労がその目と口を閉じさせる。すやすやと寝息が聞こえ始めた頃、オシュトルの父はちらりと背後を振り返って「社の方はよく判らんが……白い男、ねぇ」と独りごちた。 「まさかな」 (今度こそ) オシュトルは一人、森の中にいた。 数日前に父とこの森へ入ったものの、目的の社は見つけられず、ハクとの再会も叶わなかった。父は次の機会を設けてくれるようだったが、皇からの信頼厚い彼にはそれなりの責務がある。またオシュトルの父の理念は「民に寄り添い、苦楽を共にする」である。息子のことは大切に思っていても、それにばかり構っていられる男ではない。今日も町で起きた問題に駆り出されたため、家に父の姿は無かった。 母は未だ幼いネコネの世話にかかりきりで、オシュトルもその手伝いをと思っていた。これまでなら迷うことなくそうしただろう。しかしハクにもう一度会いたくてたまらなくなり、とうとう誰にも言わず森へ向かってしまったのである。 ちなみに誰にも言わず≠ナはあったものの、オシュトルがいつもの仲間達と遊びに行くフリをして家を出ようとしたところ、今日は母から風呂敷包みを持たされた。中に入っていたのは数本のアマムニィ。いつもなら弁当など渡されることはないのだが……。母はよく見ている、ということなのだろう。そして彼女がこうした行動に出たということは、つまりオシュトルの父も粗方承知しているというわけだ。 信頼されていると嬉しく思えばいいのか、それとも見透かされていると恥じればいいのか。色々と思うところはあるものの、オシュトルの足は進む。記憶の通り、数日前に父と通った道だ。 しかししばらく歩いていくと―― 「……来られた」 急に辺りの空気が変わり、眼前には木漏れ日によって照らされた苔の絨毯が現れた。そして淡い緑の道を抜けた先に緑の社が建っている。 オシュトルはふらりと一歩踏み出した。やわらかな苔に足を乗せた途端、一瞬にして五感の全てが切り替わる。世界を薄ぼんやりと隠していた紗を除けて本物を目にしたような、圧倒的に鮮明な感覚。全てが新鮮で、全てが鮮烈。それは初めてこの地へ足を踏み入れた時よりもはっきりとした感覚だった。 どこからともなく花の芳しい香りが届き、木漏れ日はより美しく命を輝かせる。そうして改めて見据えた先には、誰もいなかったはずの社。しかし今は確かに、その社の前に白い人影があった。 「こんにちは。今日は昼寝をされておられぬのですね」 「……オシュトル」 こちらに背を向けていたひとはオシュトルの呼びかけに答えて振り返った。白い上衣は尻の下辺りから裾が二つに分かれており、ハクがくるりと振り返るだけで容易くはためく。その軽やかな動きはふわふわと優しいハクの気質を表すようでとてもよく似合っていた。 「なんだ、また来たのか」 口ではそう言いつつも嫌がっている素振りは無い。「おいで」と手招かれて、オシュトルはハクと共に社の階段を上る。 「そうおっしゃられても、某はまたお会いしたいと申したではありませぬか」 「確かにな」 階段の一番上に二人で腰を下ろした。大人と子供の身長差はそれなりに顕著だが、オシュトルは少しでも追いつこうと背筋をピンと伸ばす。逆にハクは少し背中が曲がり気味になるようで、そんなオシュトルを楽しそうに眺めていた。 「でもまさか本当に来られるとはなぁ」 「ハク殿は某が約束を違えるとお思いか」 「いやいや、そういう意味じゃなくて」 むっとしたオシュトルにハクは目の前でぱたぱたと手を振る。別にオシュトルの気持ちを疑っていたわけではないのだと。 しかし気持ちは疑わずとも、実行に移せるかどうかは違うのだとハクは続けた。 「……? それはどういう意味なのですか?」 「ヒトが……特に小さい子供が偶然この場所に迷い込んでくることは、まぁ無いことは無いんだ。だからお前と初めて会った時も別に驚きはしなかった。ちと小さい子供≠謔閧熨蛯ォかったけどな。だが、ここは元々来たいと思って来られる場所じゃない」 「?」オシュトルはこてんと首を傾げる。「ですが某は来たいと思ってここに辿り着けました。確かに先日、父と共に来ようとして失敗しましたが……」 「うん。だからそれが普通なんだ。ここは特別な場所だから」 なんでだろうなぁとハクもまた首を傾げる。しかしそれならば、大人なのにここにいるハクは一体何なのだろうか。エンナカムイに住む一般の人々とは少し趣が異なる服はどちらかと言うと神職に近いような気もする。しかし気がするだけで、全くそうという感じでもない。 だがオシュトルが気にするのはハクが何故ここにいるのかという理由よりも―― 「……では、某はもうここへ来ない方がよいのでしょうか」 ハクの目を見ることができず、視線を落としながら尋ねた。オシュトルは『ハクと会える場所』をここしか知らない。おまけに何となくだが――それこそ本能的に――森の外では会えないと感じていた。もしこの場所へ来るなと言われてしまえば、オシュトルとハクの縁はここで潰えることとなるだろう。 「そんなことはないぞ」 けれどもハクのその言葉がオシュトルに顔を上げさせた。 「来てもよいのですか……?」 「ああ。来られるなら、いつでも来るといい。自分はお前が来て嫌だと思ったことはこれっぽっちも無いからな」 「……!」 喜びで尻尾がぶんぶんと振られる。主人の感情を如実に表すそれにハクはくすりと微笑み、「そこまで喜ばれるとは光栄だ。ありがとう」とオシュトルの頭を撫でた。尻尾は更に勢いよく振られ始め、それがツボに入ったらしいハクが思い切り破顔する。 「オシュトルは可愛いなぁ」 「そ、某は父上のような勇ましい漢を目標にしております故! 可愛いなどとは冗談でも言わないでいただきたいのですが!」 「はいはい。オシュトルは今でも十分恰好いいよ。なんせこんなにも情熱的なんだから」 「これは――ッ」 暗に尻尾のことを指され、オシュトルは暴れる己の尾を意識して止めようとするが、残念なことに喜びの感情の方が盛大に勝ってしまっていた。結果的にはハクを更に笑わせる羽目になってしまい、非常にいたたまれなくなる。だが目尻に涙まで浮かべて楽しそうに笑うハクを見てしまえば、それだけで「まぁいいか」という気持ちになれた。ハクが笑ってくれると、オシュトル自身も凄く楽しくなってくる。 それに、兎にも角にもここへ――ハクに会いに来ても良いと許されたのだ。これからもっと恰好いいところを見せて、ちゃんと「可愛い」のではなく「恰好いい」のだと言ってもらえるようになればいい。 「絶対、ハク殿にも認めていただける漢になりまする……」 (背とてまだまだこれから伸びるのであるし、何も問題はなかろう!) まるでこれから何年経ってもその傍にいるのだと確信しているかのようにオシュトルは胸中で告げる。 そんなオシュトルの決心を知ってか知らずか、ようやく笑いを収めたハクは「ああ」とオシュトルの言葉に頷いた。 「期待してるぞ、オシュトル」 2016.11.14 pixivにて初出 |