【少女と二人の兄の話】


「おっ、もうこんな本まで読んでるのか。ネコネは賢いなぁ」
「流石は某達の妹だ」
「ハク兄さま! オシュ兄さま!」
 ネコネと呼ばれた幼い少女は文机の上に広げた書冊から顔を上げて、午前の鍛錬から戻ってきた兄達を出迎えた。
 ハクとオシュトル。ネコネは二人を兄と呼ぶが、前者とは血が繋がっていない。母親譲りの赤みが強い瞳を持つネコネやオシュトルとは違い、ハクは宝石をそのままはめ込んだかのような深みのある琥珀色をしているのだ。
 否、「宝石をそのままはめ込んだかのような」という表現はあまり適切ではないだろう。ハクの瞳は事実、本物の琥珀から色を得たものであるのだから。
 鉱石人形という言葉をネコネが知ったのは物心ついてすぐのことだ。家族の中でただ一人色彩も造形も異なるハクは、ネコネに何も隠すことなく自身がどういうものであるのか教えてくれた。なお、それがきっかけでネコネは鉱石人形というものについて調べ始め、次第に何かを調べることや勉学そのものの面白さに目覚めていって今に至る。
 文武両道を体現したかのようなオシュトルと、彼のような武の才能には恵まれなかったが――動きや目は悪くないらしいのだが如何せん体力と膂力が全く足りていないのだ――群を抜く知識量と発想力を備えたハク。片方とは血が繋がっていなくても、二人はネコネにとって大切で尊敬できる兄達である。ハクは時々乙女心を全く理解しない発言をするので、そのたびにネコネを怒らせ、脛に大打撃を受けているけれども。
「ハク兄さまはまた見学ですか? いくらオシュ兄さまに敵わないのだとしても、少しは鍛錬すべきなのです」
 剣を振ってじんわりと汗をかいているオシュトルとは違い、ハクは涼しげなままだ。ゆえにそう指摘してやれば、ハクが明後日の方向に視線をやって小さく呻いた。
「相変わらずネコネの言うことは正論過ぎて耳に痛い」
「ふっ。しかしネコネの言う通り、少しは其方も躰を動かした方がよいのではないか」
「いいんだよ。自分はお前の采配師になるんであって、お前の部下の兵として剣を握るわけじゃないんだから」
 ハクがそう言うと、袴の外に出されていたオシュトルの尻尾がふわりと左右に揺れた。帝都への上京を目前にして耳や尻尾に感情を乗せることをしなくなった兄にしては珍しい現象である。それほどまでにハクの発言が嬉しかったのだろう。
 ネコネが生まれた時からオシュトルとハクは常に一緒にいた。得意分野は異なるが、互いに足りない部分を補い合う完成された形だと思う。しかしオシュトルはハクが自身の上京についてきてくれるという確信を持っていなかったらしい。ゆえにハクがオシュトルと共に帝都へ向かい、いずれ采配師を従えられる武官になることを見据えてハク自身は殿試を受けるという決意を知った時などは、近年稀に見るほどの喜びと興奮っぷりだった。
 あの時ほどとはいかずとも、今もオシュトルは身の内から溢れ出る喜びを抑えきれない様子だ。本当にオシュトルはハクを好いているのだと、幼いネコネにもはっきりと判る。
 そして――。
(ハク兄さまも)
 喜びを露わにするオシュトルを一瞥して、ほんのりと嬉しそうに口元を緩ませるハク。たぶん無意識なのだろう。
(まったく、本当に素直じゃないのです)
 ネコネは胸中で嘆息した。
 一体いつになったら二人は互いの、そして自身の想いに気づくのだろうか。その時が来たら「やっとですか」と盛大に呆れてやることにして、幸せそうな二人の兄の姿にネコネもまた笑みを浮かべた。


 そんな彼女が念願叶って「やっとですか」と呆れ返って告げてやれるのは、まだ幾年か先――。右近衛大将とその唯一の采配師となった兄達を支えようと上京した折のことである。


【とある偉丈夫と飴屋の話】


 男の両親は科学者であった。しかし当時喫緊の課題とされていた『地下の完璧に整えられた環境でしか生きられない人間が再び地上に出るための研究』をするのではなく、閉鎖された世界でゆっくりと淀んでいく人類に仮初めの享楽を与えるための研究を中心に行っていた。
 外に出るためではなく、地下空間に閉じ籠っていても引き続き暮らしていけるようにするための努力。その結果の一つとして生み出されたのが、生まれてくる人間そのものに新たな『特性』をつけ加えることだった。
 時代が時代であれば、命に手を加えるなど生命倫理に反すると声高に叫ぶ者も多くいただろう。しかしそのような時代はとうに過ぎ、余程のゲテモノ≠生み出さない限りは、もてはやされるまではいかないものの、黙認されるようになっていた。
 長男たる男はその時代にしては珍しく男女の直接的な性交渉によって母の胎より生まれてきたのだが、研究を重ねた両親が長男の出産から十年以上の時を経て新たに作り出した命は様々な手を加えられた存在。生まれた男児は先天性色素欠乏症の子――……かと思いきや、摂取したものによって後天的に色づく不思議な体質を宿していた。
 しかもただ単に摂取する食物によって色づくのではない。手を加えられて生まれてきた年の離れた弟の躰は、本来人間が食物として取り込めないものを主たる色彩の材料としていた。一般的な食物では色づきが悪く、下手をすればすぐに消えてしまうのだが、鉱物を摂取させるとすぐさま人間それ自身が宝石のように美しい色を得るのだ。
 両親の予想が正しければ、鉱物の摂取によって色づいていられるのは決して永遠ではないらしい。しかし持続時間は人間の寿命を大きく超えるものであり、ほぼほぼ「色は一生消えない」と言って良いとのこと。また弟を彩る色は代謝で体外に排出されるのではなく、時間の経過によって徐々に失われていくので、コールドスリープや死後も死体を長期保存可能状態にしておけば、いずれはまた白くなるだろうと言っていた。
 男は自分の両親に対して何て事をしたのだと非難の気持ちを抱く。が、事実として、生み出された弟はとても美しかった。まだ乳飲み子である弟に男が手ずから美しい宝石を与えると、赤子は一瞬にして宝石に宿る妖精の如く美しく色づいていったのだから。
 おまけに両親が早世し、男が幼子の保護者役をも務めるようになると、弟に対する愛情はいや増した。両親によって生まれる前から調整された子供はその不思議な特性などなくとも大変聡明で、また愛らしく、まさに慈しまれるために生まれてきた存在であると男には思えたのだ。そんなことを友人知人に話せば、皆一様にそれはただの兄馬鹿だと笑っていたのだけれど。
 ともあれ、宝石の輝きをその身に宿す弟は男にとって大変愛しく大切な存在として早期に定着したのである。
 しかしそんな愛しい弟とも大災厄を境に離れ離れとなってしまった。生きているのかどうかも判らず、デコイと呼ばれる亜人種を生み出して無聊を慰めるにまで至った男は、ある時ふと思いつく。己の弟がただの人間ではなく、また真人となるよう自身が手を加えるよりも前に、ある特性を持っていたということを。
 両親の研究に直接かかわることはなかったものの、彼らの研究の詳細をある程度把握していた男は、やがて愛しい弟と同じ特性を持つデコイを生み出してしまう。新たな命が代わりになるなど有り得ないことだと判っていても、それでも男は孤独に耐えられなかったのだ。やがてその特性を持つデコイは僅かではあるものの数を増やし、当人達が名乗ったのか周囲がそう呼んだのか、いつしか『鉱石人形』という名称で他と区別されるようになっていった。

* * *

「よぅ爺さん! 久しぶりだな」
「ほほう珍しい顔だ。嫁さんが身重だからと故郷に帰ったんじゃなかったのか?」
 二人目の子供ができたのを機に帝都での奉公を終えて故郷に戻っていた偉丈夫は、以前と変わらず元気にそしてのんびりと飴屋の店番をしている老人に声をかけた。
 しばらく顔を見せていなかったのだが、向こうもまたこちらの顔を覚えていてくれたらしい。「もう忘れちまってるかと思った」と冗談混じりに告げれば、「年寄りだからと舐めてもらっては困るのう」と深い琥珀色の瞳に悪戯好きの少年のような光を宿す。
「昨日クジュウリの皇(オゥルォ)から帝への献上品を積んだ車が来ておったが、お前さんの上京はその関係かね」
「大正解だ」偉丈夫はニッカリと歯を見せて笑う。「ちぃと奥まっちゃいるが、俺の故郷(くに)はクジュウリと帝都の間にあるだろ? その関係で、あそこで新しく見つかった遺物を送り届ける助っ人を頼まれたんだ」
「成程な。お前さんのように腕の立つ漢がいれば心強いからのう」
 得心したように飴屋の親父が頷く。
 偉丈夫は若い頃、この帝都で兵士として國に仕える一方、下町では義侠のヒトとして住民達から慕われていた。民と寄り添い苦楽を共にしたいという志の下、溝浚いから捕り物まで自分ができることなら何にでも首を突っ込んでいた結果である。その関係で偉丈夫の腕が並の兵士よりもずっと優れていることを市井の民である飴屋の親父も知っていたのだ。
 ちなみに少々手こずるような捕り物やその他の問題にぶつかった時、普通なら思いつかないような案をこの飴屋の親父がぽんと出してくれたおかげで早期解決に至った事例は一つや二つではない。腕っぷしであれば己の方がはるかに優れ、今もこうして軽口を交わしているが、偉丈夫は老人の慧眼にいつも尊敬の念を抱いて接していた。
「それでな、今日は爺さんにちょいと相談があってよ」
 本来であれば早く故郷に帰って愛しい妻や愛らしい息子、そして妻のお腹の中にいる子に会いたいところである。しかしそうもいかない事情が発生してしまっていた。偉丈夫は一歩老人に近づき、声を潜めてそう告げる。
「なんじゃ、厄介事か?」
 幾度となく偉丈夫に助言をしてきた老人も心得たように声を潜めて尋ねた。同時に身振りで飴売りの屋台の裏へ回れと合図する。しばらく帝都にいなかったが、まだまだこの街でお前さんは有名なのだから、と。その辺に突っ立っていては話の途中で知り合いが声をかけてくるかもしれない。
 老人の対応に偉丈夫は軽く頭を下げ、言われるまま飴屋の屋台の裏側に回る。置いてあった空の木箱に腰掛けて肩から力を抜いた。たとえ他人の視界に入っても、こうして何気ない風を装っていれば注目される確率も下がるというものだ。
 飴屋の親父も同様に店番を続ける風を装いながら「で?」と偉丈夫に先を促す。
「実は帝都の少し手前で盗賊の相手をしてな。そいつらに囚われてた奴の中に鉱石人形の子供がいたんだ。帝都(ここ)の検非違使に預けんのが普通だとは思うんだが……」
「まぁ気は進まんじゃろうな。預けても大抵ろくなことにはならん」
 老人は軽く肩を竦めて偉丈夫が濁した言葉尻を躊躇いなく口にした。
 鉱石人形。それは金銀や玉(ぎょく)といったものから色を得て自らが美しく染まる者達を指す。
 だが鉱石人形はそれそのものの美しさを愛でるだけでなく、持ち主の富の豊かさや能力の高さを示すためにも用いられていた。数が少ないこともあり、慈しむ気がないまま欲する権力者や金持ちはいくらでもいる。また手に入れるためなら手段を問わない者も少なくない。おまけにまだ誰の手垢もついていない真白の子となれば、その市場価値は如何程となることか。保護された鉱石人形を得るため担当の検非違使に賄賂を渡すなどは容易く行われるだろう。そして無理を通して道理を蹴っ飛ばすような性質(たち)の者の下で囲われた鉱石人形に良い未来は望めない。
「知らぬ存ぜぬでさっさと検非違使に預けてしまえば楽だと重々判っておるだろうに、それをせんところがお前さんらしいの」
「お天道様に顔向けできねぇことはしたくないだけさ」
 しかしそのように在ることを望んでいても実際に取るべき手段が思いつかない。偉丈夫は微苦笑し、この老人に頼るしかできない己を情けなく思いながらも何か良案はないかと尋ねた。
「そうじゃのう……」
 老人は右手で顎を撫でる。
 ヤマトの歴史は古い。その安定した國政は人々の安寧の基礎となる一方、汚職にまみれた貴族をも生み出した。國ができあがった初期の頃は誰もが輝かしい未来を夢見て邁進していたのだが、今となってはどうやって相手を蹴落として己の私腹を肥やすかに執心する者が目立つばかり。そんな状況で助け出した子供を安易に検非違使へ預けてしまえば、悪徳貴族の息がかかった者によって鉱石人形の子供は望ましくない環境へと放り込まれる。
 かと言って信頼できる誰かに身柄を預かってもらうというのも難しい。まず、悪徳貴族に狙われている子を預かるのだから、その手を跳ね除けられるほどの力を持つ者でなくてはならない。一般人である飴屋の親父≠ニ田舎の下級貴族で元兵士の男≠フ交友関係から該当の人物を探し出すのは難しいだろう。また見つけられたとしてもその人物に迷惑がかかることは必至だ。
「真白の鉱石人形の子供を預かってくれる者、か……。おらぬわけではないのじゃが」
「知り合いにそんな御仁がいるのかい、爺さん。いやでも爺さんの知り合いに迷惑をかけるのもなぁ」
 偉丈夫の眉間にぐっと皺が寄る。
「ならばいっそお前さんが隠してしまうか?」
「へ?」
 ぱちくりと目を瞬かせ、どういうことだと詳細を尋ねる。
 確かに隠すというのも案の一つだろう。しかしずっと隠し続けるのは至難の業だ。
「なに、永遠に隠し通す必要はないからの」
「どういうことでぃ」
 まさか大人になってしまえば、強欲な者達が諦めるとでも言うつもりなのか。しかしきっと真白の子が真白の青年になっても欲しがる者は沢山いるはずだ。
「ああ、そうか。ほとんどの者は知らんのだったな」
 ぽつりと老人が告げ、そのまま言葉を続ける。
「鉱石人形と言っても儂らと同じ食べ物を食べさせていれば一般の者と変わらぬ色がつくんじゃよ。そうすればその子供が鉱石人形であるなど判らんだろう? 色の定着まである程度の時間はかかるが、それができれば誤魔化しもきくじゃろうて」
「そりゃ本当か?」
 鉱石人形が金銀や宝石以外のものを食べられ、あまつさえそれによっても色づくなど偉丈夫は初めて知った。市井の者達もそんなことは知るまい。
「屋台を引いて色々な場所を見回っているとな、そういう話も耳に入ってくるんもんじゃ」
 どこか遠くを見ながら老人はそう答えた。
「ま、元より爺さんが嘘を言うなんざ思ってねぇけど。……そうか、じゃあしばらく匿えれば何とかなるかもしれねぇんだな」
「お前さんの帰郷の荷物に紛れ込ませて連れ帰ってしまえばバレんじゃろう。それにバレたとしても、エンナカムイにまで逃げられれば容易く手は出せまいて。……ただし」
 ようやく見えた光明。しかし良案に浮き立つ偉丈夫の心を静めるように、飴屋の親父は好々爺然とした態度の中に僅かな剣呑さを滲ませる。
「爺さん?」
「鉱石人形の子供の所在が判らなくなったとしても、お前さんがそれに関わっていることはすでに業突く張り共に知られておるからの。目的のものを手に入れられんかった分、その恨みはお前さんに向けられるじゃろう」
「あー……。そりゃそうか」
 ぼりぼりと後頭部を掻き、偉丈夫は眉尻を下げる。飴屋の親父の言う通りだった。
 鉱石人形の子供が欲深い貴族の誰かの手に渡る以外の状況となった場合、その原因である偉丈夫が奴らから恨まれるのは必至。子供の居場所を探るためか、はたまた八つ当たりか、その両方か。何にしても必ず良くないことがこの身に降りかかって来るはずである。
「エンナカムイにずっと引き籠もっておれば凌げるかもしれんが……お前さんの性格ではそうもいかんしの」
「おう。それにもし俺の倅(せがれ)が大きくなって帝都に行きたいなんて言い出した時に、執念深い奴が残ってたら面倒だろうなぁ」
 さてどうしたものか。偉丈夫は腕を組み、低く唸った。
「ほっほっ。ここで鉱石人形の子供を諦めんお前さんだからこそ、民も慕うのじゃろうな」
「爺さん?」
 深刻な状況であるにもかかわらず微笑む翁。そんな相手の様子に偉丈夫が少々訝しめば、飴屋の親父は皺の刻まれた目元を和らげて言った。
「どれ、儂が一肌脱いでやろう。お前さんのことは元より、鉱石人形も放ってはおけんからのう」
「おい爺さん、あんた何する気でぃ」
 確かに頭は回るものの、彼は年老いた飴屋の親父である。何か大きなことができるとは思えないし、また無茶もさせられない。しかし偉丈夫の心配を余所に、老人は軽く片目を瞑って微笑んだ。
「年老いた飴屋の親父にもできることはあるんじゃよ。お前さんは安心してその子供を匿っておやり」


 偉丈夫が飴屋の親父に言われた通り真白の鉱石人形の子供を故郷へ連れ帰ってしばらく経った頃。帝都ではいくつかの高位の貴族が左右の近衛府に取り締まられ、大幅にその力を失う事態が発生した。正当な理由があっての裁きだが、裏では聖上御自ら左近衛大将と右近衛大将に指示を出したとも言われている。
 また取り締まられた貴族達にはある共通点があった。
 それは過日、帝都近郊で盗賊の手から保護されたという鉱石人形の子供の居場所を探していたこと。そして件の盗賊退治の立役者となった男が帝都に戻ってくるのを手ぐすね引いて待ち構えていたこと。この二点である。
 しかしながらこれらが公にされることはなく、知っていた者も単なる偶然だと考える者がほとんどだった。一部、頭の回転がすこぶる優れた人物などは事の真相に気づいただろうが、そういう者は得てして口を噤むものである。
 無事に二人目の子供が生まれた後、再びエンナカムイ皇からの依頼で帝都に赴き、その事実を知った偉丈夫は――。
「まさか、な」
 己が相談を持ちかけたのは単なる飴屋の親父である。そのような人物から尊き御方に話が伝わるはずもない。これは単なる偶然だと己に言い聞かせ、偉丈夫は今日もまたのんびりと店番をしている好々爺に「よぅ!」と挨拶をするのだった。


【ふたつめの琥珀の話】


 彼≠ェ色づく瞬間をオシュトルは今も忘れられないでいる。
 小さな琥珀の欠片たった一つで、まるで世界が切り替わったかのように美しく、鮮やかに染まる少年。しかもその変化は己が手ずから与えた宝石によるものだ。ヒトが本能的に持っている征服欲や独占欲、所有欲が刺激され、もっともっと満たされたいと思わずにはいられない。
 だが貴族とはいえ田舎で細々とした生活を送るオシュトルにそう容易くハクのための宝石を集める手段はなかった。そもそも最初にその事態を危惧したのは己自身であるし、ついでに言えばハク本人もオシュトルを含め他人から金銀や玉を貢がれることなど望んではいないだろう。
(しかしもう少しくらい……ハクに美しい色彩を)
 彼の少年に対して抱く感情の名前を知らぬままオシュトルは自らの手でハクを染め上げたいと願う。同時に、その手段を持ち得ないことにいささか悶々とした。
 思いは小さな胸に収めておける程度のものであったが、それでも皆無というわけではない。叶うことならば……と、オシュトルは家の裏庭から北に視線を向ける。その先に以前己が琥珀を見つけた崖があるのだ。
「おーいオシュトルー。鍛錬は終わったか?」
 茫洋とそちらを眺めやっていたオシュトルに邸の中から声がかかる。振り返れば、赤子を抱えたハクが縁側に佇んでいた。この家に来てからずっと普通の食事を続けているのだが、まだまだ大して色はついていない。髪の色がほんの少し濃くなった程度だろうか。最初にオシュトルが与えた色が真昼の光の下で鮮やかに、そしてどこか艶やかに、キラキラと輝いていた。
 少年の腕の中にいる赤子もその輝きを好ましく思っているようで、機嫌良さそうにあうあうと声を上げている。「ネコネが起きたのか」と下げた眦で赤子を眺めつつ尋ねれば、「さっきな」とハクが答えた。
「母上は」
「ネコネに乳をやったから少し休んでる。体調の方は悪くなさそうだったが、念のため」
「そうか」
 オシュトルは縁側へと近づき、そこへ腰掛けたハクの隣に座った。
 母であるトリコリは少々他人よりも躰が弱いため、ハクとオシュトルは率先して子守を手伝っている。最初は生まれたての赤子に触れるのもおっかなびっくりだったが、今では慣れたものだ。特にハクはオシュトルが庭で鍛錬している間ネコネを抱えて見学することが多いので、彼女の実の兄よりもずっと早く上手くなってしまった。
 ハクに抱かれて機嫌良さそうにしている妹へオシュトルはふっと笑いかける。二股の眉と右目の泣きぼくろは母や自分とお揃いで、一方、瞳の色はオシュトルよりも赤みが強かった。
「綺麗な色だよなぁ」
「ああ。しかし某はハクの瞳も美しいと思う」
 ネコネを見下ろして呟くハクにオシュトルはそう答える。先程までの考えがふわりとまた脳裏によみがえってきた。紅玉の如きネコネの瞳も美しいが、やはりこれとは別にハクが得た色は美しい。もしくは色を得たハクが美しいと表現すべきだろうか。
「そうか?」
 しかしハク本人はあまり自覚がないようで、それどころかネコネからオシュトルへと視線を移すとそのままこちらを覗き込んでくる。
「は、ハク?」
 琥珀色にまじまじと見つめられ、オシュトルは胸が高鳴った。どうしてこんなにも焦るのか、自身のことであるのに理解できない。
「どちらかと言うと、自分は……」
「ハク、は?」
 何とかそう絞り出せば、吐息を感じるほど近くで琥珀の双眸がふっと笑みの形に細められた。
「お前の目の方が好きだな。夜と夕暮れの境に現れる美しい空の色だ」
「っ!」
 瞬間、ぶわりと袴の中で尻尾が膨れ上がった。
 顔に熱が集まっていくのが判ってオシュトルは咄嗟に片手でハクの両目を覆う。
「うわっ!? お、オシュトル?」
「ハクの瞳の方が美しいに決まっている」
 ただただハクに赤くなった顔を見られたくないがために視界を遮ったわけだが、口を突いて出たのはそんな言葉だ。自分でも何を言っているのかと頭の片隅で冷静な部分が呆れ返っている。しかし別段嘘でもない。絶対にハクの方が美しい。
「いやいや手で隠しておいて言う台詞じゃないだろ、それは」
 苦笑交じりにハクが答えた。見えておらずとも腕の中のネコネに「なー? お前もお兄ちゃんの目の方が綺麗だと思うもんな?」と語りかけている。
「しかしハクの瞳は本物の琥珀で色をつけた故……」
「確かに自分は鉱石人形だが、琥珀一つじゃ流石にお前が最初から持ってる色には敵わんさ」
「なればもう少しだけでも金銀や玉の類を其方に食べさせようか。さすれば其方も己の美しさを認められるであろう」
「えー……必要ないって」
 何とも軽い口調でハクは言う。どうやら本気にしていないようだ。
 オシュトルの生真面目さは初対面の時に十分伝わっていると思われる。そんなこの家の息子がわざわざ己に宝石を貢ぐなどハクは想像さえしていないに違いない。無論その通り、新たに宝石を購入して与えるなどということはできないのだが……。
(もし手元にあったなら、某は)
 ハクの視界を塞いでいない方の、何も持っていない手をぎゅっと握り締める。
「オシュトル?」
 黙したままのオシュトルを不思議に思ってハクが小首を傾げる。意味は解っていないのだろうが、合わせてネコネが「うー?」と声を出した。妹の愛らしさに頬を緩めたオシュトルは次いで手を退け、再びハクと視線を合わせる。
「うん? どうした」
 ぱちぱちと瞬く琥珀。宝石から得た色だからだけではない、ハクの内面から溢れ出す知性や慈悲深さがより一層その瞳を美しいものにしていた。
「嗚呼……やはりハクの方が綺麗だ」
「……っ、お前は……本当に」
 無意識に零れ落ちた偽りのない言葉はオシュトルの目の前にいる少年の白い頬をじんわりと赤く染め上げる。今度こそ、少しは本気だと判ってくれたらしい。
 微笑むオシュトルとは対照的にそっぽを向いたハクは唇を尖らせ、「物好きめ」と小さな声で呟いた。


 そんなことがあって以降、オシュトルは鍛練と称して幾度か北側の崖に赴くことがあった。
 容易く二つ目の琥珀が見つかるなどとは思っていない。露天採掘の道具も持ち合わせず単に何度か通っただけで宝石が見つかるならば、この國はすでに琥珀の産地として有名になっていただろう。しかし鍛錬のついでに足を延ばすことは止められず、足繁くとまではいかないが、暇を見てはその場所を訪れていた。
「……そろそろ帰った方がよいか」
 体力作りを兼ねて屋敷からここまで走ってきたオシュトルは足を止めてそう独りごちる。だがすぐに引き返すのではなく、手ぬぐいで首筋を伝う汗を拭きとり、脇にそびえる崖を見上げた。
 斜めに差し込む朝日に照らされた崖はいつも以上に白っぽく、陰になった部分はくっきりと黒い。土に含まれる石英や雲母の欠片がきらきらと輝き、オシュトルにほうと息をつかせる。ざり、と踏み出した歩みはゆっくりしたものだ。ハクにネコネのことを任せきりにしているので長居はできないが、崖を見上げたままオシュトルは少しだけ周囲を歩くことにした。
 昔から朝は好きだ。雲一つない晴れた日などは特に気分がいい。だがハクを迎えてからオシュトルはもっと朝を、その光を、好ましく思うようになった。特にこの時間帯よりももう少し前――……高い山々の向こうから朝日が顔を出した瞬間の、あの黄金とも琥珀ともつかぬ空の色。どこかハクの瞳を思わせるその光を見ると、オシュトルの気分はとても高揚する。
 その情景を思い出しただけで袴の中の尻尾が揺れた。武人の子として相応しく在るため感情の抑制は必須であるが、ハクを思うとどうにも上手くいかない。おまけに今すぐハクの顔が見たくなってきて、オシュトルは踵を返すとゆっくりだった歩調を一気に速める。しかしその直後、つま先が何かを蹴った。
「ん?」
 ただの石ころや土くれであれば気にしなかったかもしれない。しかし朝日を受けて放物線を描くそれはキラリとまばゆい光を放ち、強烈にオシュトルの意識へと訴えかけてきた。
 持ち前の動体視力で蹴飛ばした物の落下地点へと正確に視線を向けたオシュトルは見つけたそれの正体に両目を見開く。
「まさか」
 駆け寄って拾い上げたのは硬く乾いた土に覆われた拳よりも小さな塊。だがオシュトルが蹴飛ばしたせいなのか一部だけ土が剥がれ、透き通った飴色が僅かに顔を覗かせている。指先で丁寧に残りの土を落とせば、なんと一寸はあろうかという大ぶりの琥珀が姿を現した。
 オシュトルはぐっと喉を鳴らす。
 銀とも白ともつかぬ色だった少年の瞳が濡れたような深い琥珀色へと変わる様子が鮮やかに脳裏へと甦った。あの時、変化が起こったのは瞳だけではない。少し長めの髪まで琥珀色に輝きだし、眉や睫毛も淡く色づいていった。肌は相変わらず雪のように白いままだったが、唇にほんのりと赤みが差し、小さな爪も真白から薄桃色へ。
(あれが、もういちど)
 耳が震え、肌が粟立ち、尻尾が大きく膨らむ。
 気がつくとオシュトルは全速力で屋敷へ向けて走り出していた。


「折角だが、これは自分が食べるより何かあった時のために保管しておいた方がいいと思う」
 差し出された琥珀を前にハクは緩く頭(かぶり)を振って告げた。
 彼と対面する形で正座していたオシュトルは落胆半分、納得半分の面持ちでそれを聞く。ハクならばそう言うと思った、と。
「トリコリさんはあまり躰が強くないし、ネコネも生まれたばかりだ。お館様もずっと國にいるわけじゃなく、仕事でちょくちょく外へ出て行く。お前だって遠からず帝都へ奉公に行くつもりだろう。金になるものはいくらあっても困りはしない。反して自分の方は、最低限の色はすでにもらっているし、これ以上美々しくなっても意味がない」
「……本日のハクはいつにも増して饒舌であるな」
「お前の厚意を無下にしていると判ってるんだ。言い訳くらいさせてくれ」
 あっさりと本心を明かしたハクは眉尻を下げて微苦笑を零した。が、オシュトルからすればハクに琥珀を差し出したのは単なる親切心ではなく己の欲のためだ。他の誰でもなく、己の手でハクが美しく染まる様をもう一度見たい。そんな自分勝手な望みで、たまたま手にした幸運を相手の前に転がしている。
 しかし欲望を真っ正直に明かすには、オシュトルにとってハクは大切なひとであり過ぎた。ハクに必要のない後ろめたさを背負わせていると重々承知しているにもかかわらず、その必要はないと言葉をかけることさえできやしない。
 黙したままのオシュトルにハクは少々困ったように頬を掻く。しかし次いで飛び出した言葉は声の調子が変わり、随分と冗談めかしたものになっていた。
「それにまぁ、自分は鉱石人形という金食い虫として宝石を食い漁って綺麗になってどこかの誰かに褒められるなんて望んじゃいないしな。むしろそんなのは想像するだけで寒気がする。変な成金趣味の奴にねちっこい目で見られるようになっちまったら大変だろう。おお怖い」
 わざとらしく己の躰を抱き締めて震えてみせるハク。琥珀色の目がちらりとオシュトルを見やって、硬さが抜けていない表情に眉根を寄せる。小さな変化であったが、オシュトルはそんなハクを前にして唇を噛んだ。ああ、そのような顔をしないでほしい。ハクが悪いわけではないのだ。確かにこの手でもう一度ハクを染められないというのは残念でならないが、彼が拒否するのはよく考えなくても判ることであるし、言い訳という名目で告げられた言葉も全て正しい。ハクは何も間違っていない。ただオシュトルが本心を明かすだけの勇気を持ち得ないだけで。
「あのな、オシュトル」
 しかしオシュトルの心の中での独白が目の前の相手に聞こえるはずもなく、ハクは己を抱き締めていた腕を解き、正座した足の上に軽く握った拳を置いた。
 落ち着いた静かな声音でハクはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「さっきの言い訳は自分の本心だ。この家に金があって困ることはないし、自分も鉱石人形として美しくなって不特定多数に褒めそやされたいなんて欠片も思っちゃいない。けどな、琥珀をもらえない理由はもう一つある」
 そこまで喋ると一旦口を閉じ、瞼も下ろして小さな深呼吸を一回。再び目を開けた時には『意を決して』という表現がぴたりとあてはまるほど真っ直ぐに深い琥珀色がオシュトルを射た。
「この家でオシュトル達と同じ飯を食べて、同じひととして一緒に過ごせるのが、自分は何よりも嬉しい。お前に貢がれる存在としてじゃなく、お前の親友(とも)として、家族として、隣に在れることを自分は望む。だから『鉱石人形であるハク』に差し出された琥珀(これ)は受け取れんのだ」
「……某の親友、家族として、隣に在るために?」
「ああ。鉱石人形はただの愛玩対象。でも親友や家族なら、お前の隣に立つことだってできるだろう?」
 それも駄目か? と尋ねるハクにオシュトルは慌てて首を横に振る。ぶんぶんと風切り音がしそうな勢いに少し目が回ったが、オシュトルは腰を上げてハクの眼前に膝をつく。腿の上で握り締められていた両方の拳を掬い取り、自らの両手でぎゅっと包み込んだ。
「某も親友として、家族として、ハクには隣に立っていてほしい。其方のような逸材をただの飾りとして侍らせるなど以ての外だ」
「自分が逸材かどうかはさて置くが……」ふにゃり、とハクの頬が緩む。「良かった。これでお前の隣に立っても大丈夫だな」
 オシュトルの手の中で拳が解かれ、互いの指が絡み合う。「是非に」とオシュトルがつけ加えれば、美しい琥珀色の双眸が嬉しそうに細められた。


 この数日後、オシュトルの父親がエンナカムイ皇からの依頼で帝都へ発った。
 出発前、道中で何かあった時のためにと、オシュトルが見つけた琥珀はハクの手により紐で括っただけの単純な首飾りに加工され、彼(か)の偉丈夫の服の下で輝くことに。そうして家族が一家の主を見送った後、しばらく平穏な暮らしを続けていたのだが……。
「すまん。お前達にもらったあの首飾りなんだが、壊しちまってよ」
 皇の依頼を終えて帝都から帰還した偉丈夫は申し訳なさそうに眉尻を下げ、首飾りを自身の服の下からではなく小さな巾着袋から取り出した。てっきり紐が切れてしまったのかと思ったオシュトルとハクは、しかし差し出された首飾りの惨状に目を丸くする。
「割れてる……」
「父上、これは一体」
 巾着袋から取り出された『元・首飾り』は、紐の部分が無事であったものの、吊り下げられていた琥珀の塊が見事に砕けて小さな破片になってしまっていた。
 説明を求める二人に父親が語ったのは、帝都からエンナカムイへ戻る途中、野盗――と本人は言ったが、様子を窺うに単なる野盗ではないかもしれない――に襲撃されて矢を射られたそうだ。しかし真っ直ぐに心の臓を狙って放たれた矢は男の首にかかった琥珀の塊に命中。血は流れることなく、代わりに見事な琥珀の塊が砕け散ることとなったらしい。
「金に困ることがあったらというつもりで渡した首飾りだったが、まさか物理的に命を救うとは」
 ぽつりと告げるハクに重ねるようにオシュトルも心の中で同じ言葉を呟く。
 しかし何にせよ、オシュトルが見つけてハクが加工した琥珀は持ち主を立派に助けたということだ。二人は顔を見合わせて、自分達の選択が大変正しいものであったと確信する。
 そして改めてこの屋敷の主人を見上げ、
「「ご無事で何よりでした、父上(お館様)」」
 心からの喜びを声と表情で示してみせた。


 なお、オシュトルの父親を襲った一団は見事返り討ちに遭い、場所も帝都に程近かったため一旦来た道を引き返して帝都の検非違使に突き出された。小さな騒動ではあったが、その件はとある飴屋の親父の耳に入り、そのすぐ後、帝都では左右近衛府による二度目の大捕物があったのだが……おそらくそれは、また別の話。







「少女と二人の兄の話」2017.03.18 pixivにて初出
「とある偉丈夫と飴屋の話」&「ふたつめの琥珀の話」2017.04.09 pixivにて初出