「あら、あの子は駄目よ。だって首にホラ、もう『色』がついてしまっているじゃない」
 くすくすと控えめな笑みを零しながら一人の婦人が扇子で示したのは、大粒の翡翠を用いた首飾りの少女。抜けるような白い肌と腰まで伸びた艶めく黒髪、同色の大きな瞳、小ぶりな鼻に、桃色の唇。耳と尻尾は長毛で、髪と同じ漆黒。周囲の者達に話しかけられれば、花のような笑みを浮かべて言葉を返している。誰が見ても愛らしいと思うであろう少女だ。
 婦人に首飾りの件を指摘された彼女の隣の男性は、「うむ……確かにそうだな。もっと早く見つけていれば」と悔しげに顔をしかめた。心なしか尻尾も力なく垂れ下がってしまう。
「じゃあ、あの子なんてどう? まだ『色』がついていないわ」
 そう言って婦人が指し示したのは、先程の愛らしい少女とは打って変わって、部屋の隅に置かれた長椅子に力なく寝そべっている少年。稀に興味を持って話しかける者がいても無反応で、返事をするどころか閉じた目を開けることすらしない。
 首元で輝くのは美しい金剛石。透明な輝きは本来少年を魅力的に見せるはずのものなのだが、生憎と少年の生気の無さと合わさって逆に寒々しさを演出してしまっていた。
「あれは流石になぁ」男が苦笑する。「確かにまだ誰のものにもなっていないようだが、あんなものを傍に置いても全く楽しくないだろう」
「ふふ、それもそうね」
 男の言い分に婦人はあっさり頷いて、今度こそ本当にまだ誰のものにもなっていない、かつ魅力的な子供を見つけるため頭を巡らせた。
 そんな二人の傍を一人の青年が通り過ぎる。
 凛々しい二股の眉に赤みが強い切れ長の双眸。それだけではいささかキツい印象だが、右目の下にある泣きぼくろが色気と柔らかさを加えている。そんな中々の美丈夫であるものの、整っている顔は現在不機嫌そうなしかめ面となっていた。
 それもそのはず。彼は望んでこの場にいるわけではない。どうしても断り切れぬ誘いを受け、不承不承やってきたに過ぎないのだから。
 青年の名をオシュトルと言う。この國では貴族に分類されるが地位は低く、故郷ではほぼ平民達と変わらぬ生活をしていた。その故郷を出て上京し武官となった彼は、現在、己が所属する右近衛府にて、右近衛大将補佐という大役を仰せつかっている。
 その地位だけなら、おそらくこのような場に顔を出すまでには至らなかった。問題は右近衛府の対として存在している左近衛府にて左近衛大将補佐をしている男にある。彼はオシュトルとは異なり大貴族の次男で、本来ならば『住む世界が違う』と言うべき存在だった。しかし自分達は同時期に士官し、何だかんだと顔を合わせる機会も多く、いつの間にやら気の合う友にまでなっていた。
 そんな男がオシュトルをここに連れてきてしまったのである。
「このように自分達の都合で子供の価値を決めるような行為……某は好かぬ」
 ぼそりと独りごちれば、誰も聞いていないはずのそれに答える声があった。
「そうは言ってもこれがこの國の貴族のたしなみというやつだからな。で、貴様のお眼鏡に適う者はいたか?」
「ミカヅチ殿」オシュトルは声をかけてきた今回の原因もとい左近衛大将補佐ミカヅチをじとりと睨む。「某がこのような場でヒトを選べるような性格だとお思いか?」
「思わんが、一応な」
 ふっと笑うミカヅチ。しかし元々の強面のせいで、おそらく苦笑であるはずのそれが邪悪な笑みに見えて仕方ない。故郷に残してきた小さな妹が見れば泣き叫び、夜は布団に立派な模様ができてしまうことだろう。
「だがオシュトル、貴様も判っているはずだろう。俺達もそろそろ小姓を持つべき立場になってきたということくらい。この場はそれに相応しいだろう? なにせそのために何人ものガキが集められている。しかも聖上がお許しになった正式な取引だ」
「そうであるが……」
 いくら敬愛する帝に許可されている行為だったとしても、それを好ましいと思えるかどうかは別問題である。
 ミカヅチの説明通り、ここはある程度の地位の者が己の側付にするための子供を選ぶ場所。各人は会場内を自由に動き回っている子供達を見て、また話しかけて、その容姿、性格、頭脳など、諸々のことを評価する。そうして気に入った子供およびこの催し物の主催者と交渉し、成立すれば連れ帰れるという仕組みになっていた。
 なお、交渉には主催者との金銭のやり取りも関わってくるので、見様によっては人身売買とも取れるのである。オシュトルはそれが気に入らなかった。
「仕方あるまい。ここにいるガキどもは皆、孤児(みなしご)だ。ここまで育てるのにも当然金が要る。だったら俺達が引き取る際にある程度支払うのは道理だろう」
 こういう文化≠ノ生まれた時から触れているミカヅチには、オシュトルの嫌悪を理解できても共感することはできないらしい。そして己の言い分の方がこの世界では正しいことだと知っている。ゆえにはっきり言葉にせずとも、その顔には「諦めろ」と書かれていた。
「何度もこういう場に顔を出すのが嫌なら今夜中に一人選んでしまえ。一人でも側付がいれば、それで次回からは誘いも断れる」
「…………相判った」
 全く判りたくないが、頷くしかない。眉間に皺を寄せてオシュトルは呻くように言った。
「ところでミカヅチ殿、貴殿はすでに選ばれたのか?」
「ああ。俺もこういう所に何度も顔を出すのは面倒なのでな。ちょうど良さそうなのを見つけて交換≠オてきた」
 そう言ってミカヅチが懐から出してきたのは金剛石の首飾り。それはこの会場内にいる側付候補たる子供達の首にかかっていたものだ。首飾りは同じ金剛石を使っていても全て意匠が違い、同じものは一つとして無いと言う。
「ミカヅチ殿の色≠ヘ濃く鮮やかな黄色だったか」
「ああ。……ほら、あれだ」
 頷き、ミカヅチが視線で示したのは、白い髪をした少女と見紛うばかりに美しい少年。その首にはミカヅチが先程まで所持していた首飾りがかかっている。
 これが交渉成立の証。あの少年こそミカヅチの側付となることが決まった子供なのである。
 色つきの石が輝く首飾りはすでに所有者が決まったことを示すもの。ゆえに先程の男女も色について語っていたのだった。
「……」
 オシュトルは己の懐に眠ったままになっている瑠璃の首飾りを服の上から手で押さえる。この首飾りは己で用意するため、こういうことに興味を抱けなかったオシュトルのそれはミカヅチほど立派なものではない。しかし何だかんだ言いつつも律儀に用意してきたものだった。
(悪趣味だ)
 ヒトの売買にわざわざきらびやかな装飾品を使うなど、それこそ貴族の見栄の張り合いでしかない。
 しかも所有の証≠気に入った子供に身に着けさせたまましばらく会場内をうろつかせるという行為が、ここでは正式な作法となっている。それは優れた子供が己の物であると示して回る以外に意味などなく、オシュトルの義にことごとく反していた。
 唯一、オシュトルらが取り締まっている人身売買と異なる点と言えば、ここで買われていく子供達は望んでこの場にいるのであり、また買われた先でも人道に則った扱いを受けるということだろうか。買い手は皆、身元がはっきりしているため、滅多なことで子供が不当な扱いを受けることはない。
 むしろオシュトルを含む購入する側≠ヘ、己が引き取った子供をいかに立派に育て、己の優秀な側付に仕上げるかを重要視している。よって子供達はここで貰い手が決まれば、ただの孤児でいるより、また平民として生きるより、ずっと良い暮らしを送れることが約束されているも同然だった。
「まぁ貴様もさっさと見つけてしまえ」
 そう言ってミカヅチは己が側付として育てることにした子供の元へ向かう。彼の強面に周囲の者達が一歩引く中、白髪の子供だけはぱっと表情を明るくして「ミカヅチ様!」と嬉しそうに名を呼んでいた。
 オシュトルはその光景から目を逸らし、ふらりと再び会場内を歩き始める。しかしやはり子供を買う気など起こらぬ身であるためか、自然とヒトの多いところを避け、会場の端の方に寄ってしまっていた。
 やがて長椅子を見つけたオシュトルは肉体的というより精神的な疲れによって、そこに腰を下ろす。
 すると――
「珍しいな。ここに集まっている大人は皆、気に入った子供を探すために躍起になってるって言うのに」
 無人かと思われた長椅子の端から声。驚いてオシュトルがそちらを見遣れば、躰を丸めるようにして眠っていた少年が気だるげに身を起こすところだった。動きに合わせ、無色透明の石が彼の首元できらりと輝く。
 だがオシュトルの視線は高価なはずの石になど微塵も向かない。ゆるゆると開かれた瞼の奥、飴を煮詰めたような、もしくは特上の古酒のような、深い琥珀色の双眸が室内の灯りを弾いて鈍く光っていた。
「其方の名は……?」
「自分か? 自分はハクと言う」
 買い手候補≠前にしてもハクと名乗った少年は姿勢を正すことさえせず、やる気無さそうにのんびりとそう答えた。まだ眠いのか「ふあぁ、あ」と大欠伸までする始末。だが涙の浮かんだ双眸は更にきらめき、オシュトルの目を奪う。
「他の子供達とは違って其方は随分とのんびりしているようだが」
「あ? まぁな。別に誰かにもらわれたいわけじゃないし。と言うか、ここで買い手が決まったらそいつの側付になるために勉強やら何やら頑張らにゃならんのだろう? 面倒臭い」
 長椅子の背もたれに頭を預け、子供は琥珀色の双眸を笑みの形に細めた。
「あんたもあまりやる気がないようだな」
「こういうヒトの売買は好かぬ故」
「ははっ、正直者め」
 あまりこの場では口にしない方がいい台詞をきっぱりと言い切ったオシュトルに対し、ハクはますます可笑しそうに微笑む。それだけで髪に隠れたオシュトルの耳がピクピクと小さく動いた。
「だがまぁ悪くない。どうせ誰かにもらわれていくならあんたみたいな奴がいいかもな。そうしたら無理矢理勉強とかさせられないだろうし。あと、小姓としてあれこれ忙しくしなくても許されそうだ」
「それは……」
 本人を前にして言うことか? とオシュトルもまた苦笑を浮かべる。
 ハクの言葉は決してオシュトルを褒めているものではない。だがそう言われてみて気分は悪くなかった。
「某とて子供を預かるのであればそれなりに勉学に励ませ、小姓としての作法も学ばせるつもりであるのだが」
「んー。でもここに集まってる貴族みたいに、誰かに自慢できるような小姓に育て上げようなんてことまでは考えていないんだろう?」
「確かに。自慢するために子供を侍らせるわけではない。その子供に最も適した道を示すため傍に置くならまだしも、な」
 ここに集まっている貴族が皆、揃って自慢するために子供を選んでいるわけではない。ミカヅチなどを見ていればそれが判る。しかし多くは自慢の側付≠得るためここにいる。少年はその真実をはっきり見透かしていた。そしてオシュトルが気に入らないのもそういう事実が見えてしまっているためだった。
 同じ認識、同じ感情を有していると判った二人は途端にこの場が居心地よく感じられるようになる。無論、長椅子から立ち上がって一歩でも離れれば再び気分の悪い空間に踏み出すこととなるのだが、自分達がいるこの狭い空間だけは別だった。
「そう言えばまだ名乗っていなかったな。某の名はオシュトル。右近衛府で大将補佐をしている」
「うおっ、若いくせに意外と立派な役職!?」
「田舎の下級貴族の出身故、役職ほど大きな振る舞いができるわけではないがな」
「へぇ……大変だなぁ」
 再び長椅子にごろりと寝転がり、オシュトルの脚に手を伸ばすハク。太腿の辺りをぺしぺしと叩きながら「ま、がんばれ」と思い切り他人事のように振る舞う。否、実際にハクからすればオシュトルの苦労などまるっきり他人事なのだが。
「でもまぁそういうことなら、家に帰ったりするのもあんまり無い? のか?」
「そうであるな。邸に帰るのは寝るためくらいか」
「ほほう」
 気のせいだろうか。ハクの瞳がきらりと興味深そうに輝いた気がした。
「なぁオシュトル。あんたんとこの家人ってどういう感じだ? 優しい?」
「ふむ、某から見た彼等は実に好ましい者達ばかりだが」
「ほうほう。そりゃいい」
「某には勿体無いほどであるな」
「主人であるあんたにそう言われたら、邸にいるそのヒト達も嬉しいだろうさ」
 オシュトルの視線を一瞬にして奪ったあの目が今度こそはっきりときらめいた。ひたとオシュトルを見据えるその双眸は大人に要らぬ期待を抱かせる。
(この子供は買い手が決まるのをあまり好ましく思っていない様子。であれば己から声をかけるなど――)
 胸中での呟きは己への戒めだ。無駄な期待を抱くなという忠告。しかしその戒めに反して胸の高鳴りは強く激しくなっていく。
「なぁオシュトル。あんたはこういうことに興味がなくて、さっさとおさらばしたいし、できれば二度とこういう所に来たくないと思っている。そうだよな?」
「ああ」
「自分もな、こういうのは面倒だ。他人にじろじろ見られるのも好かん。それにさっき言った通り、誰かにもらわれてから色々やらされるのも。だから――」
 期待するな、という戒めの声は最早響かない。
 ごくりと唾を呑み込むオシュトルを見上げ、長椅子にうつ伏せで寝そべったままハクが告げた。

「利害の一致ということで、あんたの『色』を自分にくれる気はないか?」




 これは、やがてこの國随一の采配師と謳われるようになる青年と、子供だった彼を引き取った男の縁(えにし)が繋がった日の話。
 以後、男は少年に必要なものを与え、少年は面倒だ何だと言いつつも男に降りかかる数々の困難を振り払うため力を尽くすこととなる。そんな少年の首元には常に瑠璃が輝き、それを見た人々から彼はいつしか『瑠璃の采配師』と呼ばれるようになるのだった。







2016.07.06 Privatterにて初出