涙は真珠。血は柘榴石。骨を抉り出せば金剛石に。
 そういう奇跡のようなヒトが、この世界には存在している。


「……とはガキん頃のおとぎ話で聞いちゃいたが、まさか本物を目にすることがあるとはなァ」
 感心したように、そして未だ半分くらいは信じられないといった体で、風来坊が顎鬚を撫でつつ呟く。頬から顎にかけての髭と気侭に跳ねさせた蓬髪のせいですぐには気づけないが、この風来坊、中々に綺麗な顔をしていると、彼に見つめられる青年は思った。
 風来坊の名はウコン。
 青年の名はハク。
 そしてここは大國ヤマトの属國であるクジュウリのシシリ州、雪深い山間にぽつんと存在する小さな集落。更に詳しく説明するならば、その集落の中にある旅籠屋の、ウコンが泊まっている部屋である。
 集落からハクの(山歩きに全く慣れていない)足で二日ほど歩いたところにある雪山の一角で、ハクは遭難しかけていたところをクオンという少女に保護された。その際、何故雪山にいたのかという理由どころか自分の名前すら判らない記憶喪失状態になってしまっており、ハクという名も彼女につけてもらったのだった。
 拾い、名付け、世話をして。現在、クオンはハクの保護者を名乗っている。そんな保護者と共に到着した集落でハクはこの男と出会い、言葉を交わし、男が集落の住民達から依頼された害虫駆除にまで参加して想定外の命の危機に陥った。が、なんとか窮地を切り抜けて、ついでに男からは出会ったばかりの他人の心配ができ、困難に遭遇した際は鮮やかに解決策を導ける優秀な人物として過剰な評価を頂戴してしまっている。
 そんなウコンが彼本来の目的である『帝都までの貴人と荷物の護衛』に同行しないかと声をかけてきた。決定権があるクオンは最初渋ってみせたが、結局は同意し、明日にはこの集落を出発する予定である。
 この時点になり、ハクはクオンに告げた。一団に同行するならば、それを率いているウコンにハクの異常体質について説明しておいた方が良いのではないか。と。
 涙が真珠に、血が柘榴石になることは、集落に到着したその日の晩にクオンが酷い靴擦れを起こしたハクの治療をした際、大の男が泣くほどよく泌みる薬を使われて判明していた。またハク自身、記憶が無いせいでよく判らないが、自分の躰がこうであることに違和感を覚えておらず、そして一般人ならばこうはならないという知識もある。
 体液が宝石類に変わるなどという事実、普通は隠すに越したことはない。悪い者に知られれば、ハクはたちまち惨い目に遭うだろう。だがこれまでの交流でウコンが信用に足る人物だと思えるようになっており、また彼は集団を率いる長だ。有事の際に、ハクの体質について知らなかったせいで集団全体に難が及ぶ可能性も無くはない。
 という理由で、ハクは出発前夜にこうしてウコンが泊まっている部屋を訪ね、自ら指先を傷つけてまで説明したのだった。
 ハクの血が固まってできた柘榴石を床からつまみ上げ、ウコンはしげしげと眺める。
「本物だな……」
「やっぱり売ったらそれなりの価値になるのか」
「ああ。だが気軽に売り払ったりしねぇ方がいいぜ。どこにどんな奴の目があるか判ったもんじゃねえからな」
 ただ羽振りの良い御仁と思われるだけでも盗賊等に狙われやすくなり危ないのに、興味を持たれ身辺を探られた結果、その躰からほぼ無限に宝石が取り出せると知られては目も当てられない。ウコンの言うことはもっともであり、なるべく働かず楽をして生きていきたいと考えているハクも神妙な顔つきで頷いた。
 楽はしたいが、それ以上に厄介事は御免である。
「アンちゃん、このことをよく話してくれた。道中大丈夫だとは思うが、なんかあった時には対処できるよう俺も気をつけとくぜ」
「世話をかける。同行が決まった後でこんな秘密を明かすのも狡いとは思ったんだが」
「なんでぇ遠慮すんなって! 俺とアンちゃんの仲じゃねえか!」
 痛いくらいにバシバシとハクの背を叩くウコンはこんな厄介者を抱え込んでも本当に気にした様子がない。器の大きさが違うな、と感心する。こういう男だから他の者達も彼についていくのだろう。
「ウコンが男衆の番を張ってる理由がよく判るわ。お前やっぱり度量が違う。そりゃ皆、お前について行くよな」
「ちょ、よしてくんなアンちゃん!」
 素直に褒められるのが恥ずかしいのか、背中を叩いていた動作を止めてウコンがうろたえる。
「うん? お前なら別にこれくらい言われ慣れているだろう?」
 そういう男だとハクは思う。
 しかしウコンは頬を掻き、「そりゃまぁ否定はしねえが、アンちゃんに言われるとなぁ」と、ぼそぼそ呟いた。
「お前の中で自分がどれだけ凄いことになっているのかは知らんが、事実だろう。ウコンは……そうだな。何と言うか、漢が惚れる漢ってやつだ。頼りにしてるぞ、ウコン」
「お、おう! アンちゃんにそう言われちゃ頑張らねえとな!」
 ウコンがニッと歯を見せて笑った。
 話もまとまった所で、長居していてもクオンが心配するだろうという流れになり、ハクが部屋を辞す。ウコンはそれを笑顔で見送る。
 そして部屋が静けさを取り戻した後、
「アンちゃんがヒトに好かれやすい御仁ってのは判っちゃいたが、これは……」
 たまんねぇな、とウコンは歓喜に耳を震わせながら両手で顔を覆い隠した。

* * *

 ハクにウコンの正体が右近衛大将オシュトルであると明かし、彼とその仲間を最近有名になり過ぎて自由に動けなくなりつつある風来坊の代わりとして召し抱え、そうしていくつもの仕事を任せるようになってからしばらく。オシュトルはハクと上司部下の関係でありながら親友としても絆を深め、互いに遠慮の要らぬ居心地のよい相手として一晩中飲み明かしたりもするようになっていた。
 そんなある日のこと。
 邸の自室で目を覚ましたオシュトルは、横にその親友(とも)が寝転がっているのに気づいてふっと口元を緩める。
 昨夜は賑やかなウコンとしではなくオシュトルとして彼と静かに酒を酌み交わしたのだが、それでもかなりの量を飲んでどちらも布団にもぐりこむことなく眠りに落ちてしまったらしい。酒を飲んだ本人であるため判らないが、この部屋は今、非常に酒臭いことになってしまっているのだろう。
 幸いにも大抵の場合翌朝に酒が残るような体質ではないため、気分はスッキリしている。本日は午後から出仕予定のため急ぐ必要はないのだが、だからと言ってダラダラ怠けるつもりもなく。きっと朝餉を用意してくれているであろう家人の労力を無駄にしないためにも、オシュトルは身支度を整える。
 なるべく音を立てず進めていたものの、障子戸から差し込む日の光と身支度の音が合わされば目覚めるのに十分な威力を有していたらしく、やがてハクがのそりと身を起こした。
「おしゅとる……?」
「おはよう、ハク殿。朝餉は如何する?」
「ん? あ、ああ。もらう」
 まだ完全覚醒には至っていないのだろう。間延びした答えが返ってくる。
 ハクは「ふわぁ……」と欠伸をして、眠たげに目をこすった。目尻に浮かんだ涙が形を変えて手の合間から落ち、ころりと床に転がる。
「ふむ。見事なものだな」
 日の光を受けて純白に輝く真珠をつまみ上げ、オシュトルが感嘆の声を漏らす。ハクはそれを片目で一瞥し、「寝起きの欠伸で出来た真珠だと思うとありがたみが激減するけどな」と苦笑した。
「まぁなんだ。捨てるなり何なり好きにしてくれ」
「相判った」
「つつ……あ〜、昨日の酒がまだ残ってる」
 オシュトルほど代謝がよくないらしいハクがそう言って頭を押さえる。
「井戸で顔を洗ってくるといい。少しは気分も改善するであろう」
「そうだな。そうさせてもらう」
「朝餉はこちらに用意させる故」
「何から何まですまん」
「気にするな」
 そう言ってオシュトルはハクを送り出した。
 次いで部屋の空気を入れ替えるため障子を開ける。庭に面したそちら側を開けると、部屋に入る日の光が更に強くなった。その光を浴びながら、オシュトルは先程己がつまみ上げた真珠を手のひらの上で転がす。
 ハクの涙からできたそれは掛け値なしに美しい。
 オシュトルはそっと口元をほころばせると、家人が主人の起床を察してやってくる前に部屋の片隅へと足を向ける。細々としたものが収められている小さな箪笥の抽斗の一つを開け、奥の方から取り出したのはこれまた小さな箱だった。
 蓋を開ければ、深い紅色の柘榴石が一粒。
 その箱の中へオシュトルはハクの真珠を収める。赤い石と白い珠が朝の光にきらりと輝いた。
「アンちゃんは自分から出たこいつらが今どこにあるのかなんて気にしてねえんだろうなぁ」
 けれどもオシュトルは元々彼の一部だったそれらを後生大事に取っている。誰にも見られない箪笥の奥の、小さな小さな箱の中に。
 宝石になど興味はない。金になるものが手元にあるならば、その財を民のために使いたい。だがこれだけは例外なのだ。
「ハク殿が気しておらずとも、ハク殿だったものを手放すなど某にはできぬよ」
 小箱の中の深紅と純白を指先で愛しげに撫で、オシュトルはそれを再び大切そうに箪笥の奥へと仕舞い込む。
 やがて部屋の前にやってきた家人に朝食の件を伝えると、普段と何ら変わらぬ様子でハクが戻って来るのを待った。







2016.06.28 Privatterにて初出