隠密衆の詰所の一角に置かれた机の上、美しい漆塗りの小箱に色鮮やかで小さく丸いものがいくつも収められている。見様によっては菓子にも見えただろう。ただし蓋を開けた小箱の隣に置かれた皿にはルルが盛られており、詰所にいる者達は皆、そちらをつまみながら思い思いに八つ時を楽しんでいた。
 そんな中、所用で外出していたハクが帰ってくる。ただいまという相変わらず気の抜けた声に、各所から「おかえりかな」「おかえりなさいませ、ハクさま」「おかえりなさい、ハクさん」「おかえりなさいです」「おにーさんおかえりやぇ」「おー、だんな、おかえりだぞ!」と返す仲間達。いつもより声が弾んでいるのは、美味しいお菓子とお茶を楽しんでいる最中だからだろう。なお、他の面子は仕事や私用で外出中である。
 酒好きだが同時に甘いもの好きでもあるハクもまた、机の上のものに目を輝かせた。
「ハクも食べる?」
「ああ、ご相伴にあずかろう」
 しかしクオンと言葉を交わしながら彼の指がつまみ上げて口に放り込んだものは、ルルではなくその隣にあるものだった。
「ちょっと待ってハク! それは!」
「ハクさま!?」
 真っ先に声を上げたのはクオンとルルティエ。しかし彼女達の制止も間に合わず、ハクは皿ではなく小箱に収められていた方のそれ≠噛み締める。ハクの口内でパキンと硬質な物の割れる音が響いた。
「ああっ! ただでさえハクはひ弱なのにそんなもの噛んじゃったら、歯が……!」
 ぺっ、しなさい! ぺっ! と赤子を叱る母親のような口調でハクに詰め寄るクオン。一方、いきなり詰め寄られたハクは「は!? 何が!?」と目を白黒させている。
 だがクオンの方はもっと焦っていた。今ハクが口にしたのは食べ物ではない。つまり飲み込んでしまったなら最悪の場合――。
「それ、数珠玉だから! ルルティエ達と後で腕輪を作るために用意してたやつ!」
「……(ごくり)」
 目を見開いたままハクの喉が動く。
 呑んだ。今、確実にハクがガラスや綺麗な鉱石を磨いて作られた数珠玉を呑み込んでしまった。
 クオンがサーッと顔を青くする。
「ル、ルルティエ! 急いで水をもってきて! たくさん!! ハクに飲ませて胃の中身全部、無理矢理吐き出させるから!!」
「はっ、はい!」
 ばたばたと慌ててルルティエが部屋を出て行く。噛み砕かれ呑み込まれた物がどうかハクの体内を傷つけていませんようにと祈りながらクオンはハクの顔を見上げ――
「……あ。今日のおやつはそっちだったか」
 何の危機感もなく淡々と呟いて卓上の皿に視線を向けるハク。その瞳の色に首を傾げた。
「え……?」
「ん? どうかしたか?」
「ねぇ、ハク」
「うん?」
 クオンの戸惑うような雰囲気に、部屋に残っていたキウル、ネコネ、アトゥイ、シノノンが各々どうかしたのかと伺ってくる。だがクオンにはそれに答える余裕がない。前に身を乗り出し、ハクに顔を近づける。
「な、なんだよ」
「いいからちょっとじっとしててほしいかな」
 そしてクオンがグイとハクの顔を両手で掴み、しつかりと固定した。
「クオン?」
「やっぱり……」
 独りごち、彼を拾ってからずっと共にいた少女は尋ねる。
「ねぇハク。どうして貴方、瞳の色が変わっているのかな?」
 彼女の問いかけにハク以外の全員が「は?」と目を丸くした。


 隠密衆の長をしている記憶喪失の青年ハクは琥珀色の瞳の持ち主である。ただし一口に琥珀色と言ってもその色味は多種多様。薄い黄色に近いものがあれば、茶色や黒に近い濃さのものもある。
 ハクの瞳はどちらかと言うと茶色に近い深い琥珀色をしており、眠たげな顔をしている時などは本当に地味な色を呈していた。が、やる気を見せた時や穏やかな時間に知らず知らず笑みを浮かベている時などは、その落ち着いた色合いの美しさに息を呑むこともしばしば。
 そんな彼の瞳が、今、薄い緑色――翡翠色――に変わり果ててしまっているのだ。まるで先程彼が誤って口に入れた、翡翠から削り出した数珠玉のように。
 水を持って部屋に戻ってきたルルティエも交え、皆がまじまじとハク(の瞳)を見遣る。そんな彼等の真ん中――ハクの正面――に陣取ったクオンが口を開いた。
「ハク、貴方は全然驚いていないようなのだけど、理由を説明してもらえる?」
「(……まずったな。これは面倒臭いことに)」
「ハクー?」
「いえ、直ちに正直かつ簡潔にご説明させていただきます!」
 ぼそりと呟かれた声をしっかり聞き取ってクオンが白い尾をゆらりと動かす。途端、ハクの顔色が変わって、おまけに背筋がピンと伸びた。
「あっ、その前に確認。ハクはあんな硬いものを噛み砕いて呑み込んでしまったけれど、躰の方は大丈夫なの?」
「それは問題ない。瞳の色もそうだが、そういう風にできているんでな」
 目の色が文字通り変わってしまったことも含めて躰に問題はないと頷くハク。わけが判らないが、とりあえず不都合がないのならばとクオン達は一旦気分を落ち着かせる。
 彼女等からの圧迫感が軽くなったことにハクもまた肩から力を抜き、説明のために口を開いた。
「実は――」


 先日、ウズールッシャの遺跡調査の際に倒れた後、少しだが記憶が戻った。
 自分の名前や家族のこと、住んでいた土地のことなどはさっぱりだが、己の躰の特質については思い出している。そして思い出せた出来事や知識の一つが『体内に取り入れた無機物――とハクがその単語を口にしたところで首を傾げる者が続出したため、ハクは「こういう数珠玉みたいなもの。食べても栄養にならないやつ」と言い直した――の色が瞬時に己の瞳へと反映されること』であった。
 娯楽の一種として同族達がそのように自らの躰を作り変えてきたのだ、とハクが補足で説明し終えると、皆一様にぽかんと口を開き、「躰を作り変えた……?」「娯楽で……?」「大いなる父にお創りいただいた躰を……?」等、驚きを露わにする。本当にそんなことが可能なのかと尋ねたかったが、現実として、色を変えてしまったハクの瞳がある。彼が皆に嘘を吐く理由もないし、信じるしかないのだろうとクオン達は思った。
「元には戻るのかな」
「一日もあれば戻るはずだ」
「と言うかハクの瞳の色って元々……」
「クオンと会ってからは色を変えちまうような物も食べてなかったし、たぶんクオンが知ってる色が元々の色なんだと思う」
「今の状態で他の色の石を食べてしまったら」
「その色になる」
 一問一答を繰り返し、クオンは腕を組んで「なるほど」と独りごちた。それから彼女の視線は卓上に置かれたままだった手芸用数珠玉の小箱へ。その中には翡翠色の他に透明や赤、青、黒、白など様々な色のものが入っている。そして、クオンの瞳の色に良く似た蜂蜜色のものも。
 クオンの視線の先にあるものに気づき、最初にルルティエが「あ」と声を上げた。だが彼女が行動に移す前にクオンは小箱の中から蜂蜜色の数珠玉を取り出し、それを満面の笑みでハクの前に差し出す。
「じゃあ次はこれかな!」

* * *

「へぇ、だからアンちゃんの目ん玉の色がころころ変わっちまってんのかい」
「おう。すっかり遊ばれてる」
 半眼で呟くハクに白楼閣を訪れたウコンはガハハと豪快に笑った。
 そんな彼の前で盃を傾ける彼は今、ウコンの知っている深い琥珀色ではなく、真夏の空のような青色をしていた。エヴェンクルガ姉弟の姉の方がわざわざ自分の瞳と同じ色の宝石をどこからともなく調達して来てハクに食べさせたらしい。なお、彼女の労をねぎらって、本日の色替えは終了となったそうだ。
 隠密の仲間達に遊ばれるのに辟易としたハクが自室に引っ込み、そのハクを追って大徳利片手に訪ねてきたウコンは、同じく盃を傾けながら「お疲れさん」と労わりの声をかける。
「だがま、楽しそうじゃねぇか」
「そうだな。変な目で見られることもなく、あっさりと受け入れられてしまった」
 うちの身内は順応性が高いなぁとハクがごちる。わざとらしい溜息が続いたが、本心は嬉しいのだろう。声にも表情にも嫌味なところが全くない。
 ウコンはひっそりと口元に笑みを刻んだ。
 確かにハクのこの特異な性質に関しては驚いたが、それでハクの何かが損なわれるわけではない。彼は相変わらず仲間思いの知恵者である。問題が起こってもハクならば解決してくれるだろうと思える頼もしさや、傍にいると感じる陽だまりのような心地よさはそのままだ。
「そういや石を食うって話だったが、味はすんのかい? あと本当に噛み砕けるのか?」
「味はほんのり甘いな。たぶん色替えが気軽にできるよう、そういう風に感じるよう舌か頭をいじってるんだろう。噛み砕く方も同じくだ。ただ筋力とか歯の硬さとかは気になるんだが……その辺どうだったかは思い出せてないな。(超音波破砕? いやいや、そんなことしたら口の中がえらいことになる。暇な時にでも兄貴に訊いておくか)」
 ハクの最後の言葉は拾えず、ただそこまでの返答を聞き取ったウコンが「へえ」と返す。実際にハクが宝石を噛み砕いて呑み込み瞳の色が変わる場面を見ていないため、少々現実味が湧かなかった。確かに今のハクの瞳の色は青になっているけれども。
 そんなウコンの思考を察したのか、ハクが「実際にやってみるか?」と首を傾ける。
「いいのかぃ?」
「構わんが、自分は使えそうな石なんて持ってないからな」
 お前が用意しろ、と告げるハクにウコンは頷く。だがウコンもこの展開を予想していなかったため持ち合わせがない。何か使えそうなものは……と視線を巡らせば、大徳利のくびれた部分に括りつけられた紐が視界に入る。その先端に微かに紫色を帯びた赤色の飾り玉が光っていた。
 ハクもその視線を追ったのだろう。飾り玉に目を向けると、ぽつりと呟く。
「なんかこれ、お前の瞳の色に似てるな。……ま、これでいいか」
 そう言って紐から玉を外すハク。乾いた布で適当に汚れを拭って口に入れる。カリッと音を立てて噛み砕き、呑み込めば、ウコンの前で見る見るうちにハクの瞳の色が変わっていった。
「……」
「どうだ?」
 何気ない様子で尋ねるハク。だがウコンはすぐに答えられない。
 目の前にいる親友の瞳は見慣れた琥珀色ではなく、ウコンが、オシュトルが、鏡で見る夕刻から夜へと移り変わる空の色。
 己の色でその身を飾るハクの姿にウコンはぐぅと喉を鳴らした。
「ウコン?」
「あ、ああ。なかなか似合ってるぜ、アンちゃん」
「そうか?」
 満更でもなさそうにハクが小さく口の端を持ち上げる。それを真正面から見てしまうウコン。袴の下で尻尾がもそりと動いた。
(嗚呼、なるほどね。こいつァいい)
 ハクを己の色で染める。
 その魅力を知ってしまったウコンは酒を呷り、彼には見せられない歪な笑みを盃でそっと覆い隠した。







2016.06.27 Privatterにて初出