最後の『ひと』がいなくなる日




「ああ……やっぱり『本物』みたいには戦えんなぁ」
 諦めと、虚脱感。しかし最低限やるべきことはすべて成したと言わんばかりの達成感と満足感。
 そんな声を出したのは、『仮面(アクルカ)』の力を使い大いなる姿≠ナ戦っていたオシュトルだった。
 今は異形の姿から人型へと戻り、顔の上半分を覆う仮面へと手をやっている。彼から少し離れた前方には、先程までのオシュトルと同じ――否、似て非なる姿をしたトゥスクルの皇が佇んでいる。
 仮面の力を使い切って人型に戻ってしまったオシュトルとは異なり、『本物』であるあちらが不用意に姿を解くことはない。しかしすでに戦闘は終了し、オシュトルが戦いながらも繰り返した説得の言葉によって戦意は抑えられていた。
 荒ぶる神を心優しき神へと戻すことに成功した男は、これで大切な者達同士が争わずに済むと確信してほっと息を吐く。ただし安堵しているのは彼だけで、彼と共に今まで幾多もの戦場を駆けてきた同胞達は彼らしからぬ喋り方にぎょっと目を剥いていた。
 何故ならその声音も、口調も、いつしか自分達が誰より慕うようになっていた『彼』のものだったのだから。
 異形同士の戦いによってほぼ荒野と化してしまった周囲一帯。それでも削り取られずに済んだ一部の大地の上で健気に咲く花々。それを避けて腰を下ろしたオシュトルは、仮面を押さえるのとは逆の手を地面につこうとしたが、突如手首から先が塩となって消失し、無様にその場で転がってしまった。
「……っありゃ。これはまた」
 だがオシュトルに驚いた気配はない。遠くで未だ幼い少女の悲鳴が上がる。
 本物を模倣して造られたこの仮面は、力を使いすぎれば躰が塩となって崩れてしまう。そのことを実際に目にして知っているのは、この男と悲鳴を上げた少女だけだった。
 戦闘に巻き込まれないよう離れていた少女が呪法を使う際に用いる大事な杖さえ手離して駆け寄ってくる。説得に応じてくれた心優しき『神』――白の皇は、手首から先に留まらず片腕まるまる一本消失させつつあるオシュトルに憐みの視線を向けていた。
「ハっ、ッ、オシュトル、さま……!」
 駆け寄って来た少女が赤い双眸に涙をためて男の躰を支える。「ごめんな、ネコネ」男の返す口調は未だ仲間達の知る『彼』のものであり、オシュトルのものではない。
 ネコネはぐっと唇を噛んだ。
「貴方までわたしを置いていくのですかッ!?」
 かつて兄から贈られたという濃い桃色の髪飾りを揺らして必死に嫌だと頭を振る少女。目の前のひとが消えずに済むのならこの首がもげても構わないと言いたげなそれを見て、オシュトルはそっと口元に笑みを刻む。
「本当はお前が嫁に行くくらいまでは頑張りたかったんだが、すまんな共犯者殿。自分は元々面倒臭がり屋のサボりたがり屋なんだ。知ってたはずだろう? ま、ここ最近はずっと働き詰めで勤勉勤労そのものって感じだったけどな」
 言い終わると同時にオシュトルの右足が消失した。野袴はぺしゃりと潰れ、足首の所から真っ白な塩が零れている。靴がころりと転がった。
「……ッ!!」
 ネコネの方は今にもひきつけを起こしそうだった。男は申し訳なさそうに笑っている。
 と、その時。
「代償を支払えば願いを叶えられるが、どうする」
 神が問うた。
 ネコネははっとしてトゥスクルに君臨する本物の神へと視線を向ける。だが可憐な少女が口を開く前に傍らにいた死にかけの男が「いいや」と神の提案をやんわり拒絶した。
「これでいい。それにもう自分は支払えるものなんて何も持ってないしな」
 己が持っていたものはあの時≠ノ全てたった一人に捧げてしまった。この躰どころか精神(こころ)でさえ、すでにあいつのものなのだ。――と。
「あとはまぁ、自分のために誰かから何かを奪うってのも好かんし」
「! あっ、にさ、ま」
「ネコネ、もういい。もうそろそろネタばらしといこうじゃないか」
「ッ!!」
 少女が大きく息を呑み、そしてぼろぼろと涙を零しながら叫んだ。
「いやです。いやなのです。いかないでください、ハクさん……ッ!!」
 同時に、男が仮面から手を離す。先程の戦闘で耐え切れないほどの負荷がかかったのか、仮面には大きなひびが入っていた。手を離してしばらくすると仮面はボロリと崩れ、隠されていた男の顔が露わになる。
 現れたのは、優しい色を宿した琥珀。オシュトルの日没直前の如き赤と紫が混じる色と対を成すかのような、朝焼け色をした双眸だった。
 ネコネの叫びと、仮面に遮られることのなくなった素顔を見て、ヤマト・エンナカムイ側でもトゥスクル側でもどよめきが走る。中でもトゥスクルの皇女の態度は顕著であり、先程まで父皇が手を止めるなら己がオシュトルの首を取ろうと殺気立っていた美しい少女は、蜂蜜色の目を大きく見開き、顔面を蒼白にしていた。
 口を覆い隠す手のひらの下では「ちがう、ちがうの。わたくしはあなたを殺したかったんじゃなくて……ただ、とりもどしたくて」と繰り返し呟いている。その口が何度男に怨嗟を叫び、またその手が幾度男を屠ろうとしたのか、今ここで数えるのは酷なことだろう。
 幾度となく己の首を刎ねようとした少女に、オシュトル――否、その彼に成り代わっていたハクが視線を向ける。少女の肩が大きく跳ねた。だが男の視線に責めるような色は一切ない。かつて彼女がハクの保護者を名乗っていた折にハクが彼女へと向けていたのと同じく、親愛の情で満ちていた。
「さて、そろそろ幕を引く頃合いだ」
 オシュトルの衣装を身にまとうハクには、すでに両腕がなかった。ネコネがその横で彼の躰を必死に支えていなければ、ハクは視線を皆に向けることすらできなかっただろう。
 だがぐるりと周囲を見回したハクは正面に視線を向けつつも、その視線の先にいる神を見てはいなかった。微笑みを刻む口元が紡いだのは、

「なんだ、もう迎えに来たのか。……ウコン」

 琥珀色の双眸に映るのは彼の大事な親友の姿。
『おうよ。アンちゃんには色々と任せちまったな』
「まったくだ。追加労働手当を払ってもらわにゃ割に合わん」
『ダハハハッ! そいじゃたらふく良い酒を奢らせてもらおうかね』
「一日二日で満足すると思うなよ?」
『勿論だ』
 浅葱色の長羽織を肩にかけた蓬髪の男が目を細める。
『アンちゃんが満足するまでいつまでも一緒にいるからよ』
「そりゃあいい」
 ハクがゆっくりと瞬く。一度目を閉じて再度瞼を押し上げれば、そこにいたのは蓬髪の偉丈夫ではなく、青い衣をまとった美しい男だった。
 ただしいつも身に着けていたはずの仮面はない。蓬髪の男と同じく右目に泣き黒子を持つ美丈夫はゆっくりとハクに歩み寄り、その頬を両手で包み込んだ。
 こつりと互いの額を押し当て、『ハク殿、ハク』と繰り返し名前を呼ぶ。
『其方には本当に色々と世話をかけて――』
「すまない、なんて言ったら張り倒す」
『……そうだな』少し驚きに目を瞠った後、美丈夫は微笑んで続ける。『心より感謝している。流石は我が唯一無二の親友(とも)だ』
「そうそう。お前はしっかり自分に感謝してくれりゃあいい」
 ハクが告げれば、オシュトルはそっと頷いた。
 やがて名残惜しげに顔を離すと、代わりに美丈夫はハクに向かって手を差し出す。ハクにそれを握り返す手はなかったはずだった。しかしオシュトルの手を取るものがある。白く、けれど戦場を駆け抜けてきたせいで沢山の傷を負った手だ。
『其方はもう少し食べた方がいい。軽すぎる』
「お前等がたくさん食いすぎるんだ」
 オシュトルが手を取って引っ張り上げたハクには手も足もきちんと揃っていた。また身にまとうのはオシュトルとしての青い装束ではなく、かつてハクが帝都でよく着ていたトゥスクル製の白を基調としたもの。
 立ち上がったハクは再度周囲を見回し、かつて陽だまりのようだと称された、やわらかで、どこか気の抜ける笑みを浮かべ――
「それじゃ、行くか。オシュトル」
『ああ。共に参ろう、ハク』
 オシュトルに視線を向け、微笑み合う。そうして二人の姿は光の粒となって完全にこの場から消え去った。






「ハク、さん……?」
 赤い瞳の少女は地面に広がる真っ白な塩を手に取り、唖然と呟く。


 これにて物語はおしまい。
 水と緑の惑星(ほし)には『ヒト』と『神』だけが残った。







2016.08.26 pixivにて初出
ゲーム「二人の白皇」の発売前に公開されたOPより妄想。オシュハク・ウコハクにしか優しくないエンドでした。つらい結末の妄想を先にしておいてゲームのエンディングがどのようなものであっても耐えられるように備えるスタンス。