同居人が特別な存在になっていたと自覚したからと言って、ハクが顕著に行動を変えることはない。そもそも自分も相手も男であり、二人の間に育まれるとしたらそれは友情だろうと考えていた。
 そして何よりハクはこれ≠重々承知している。

(自分は選ばれない方≠フ人間だ)

 ハクが恋した女性が選んだのは非凡な才を持つ兄。そしてそれ以前から、ハクの周りに集まってくるのは皆、兄との繋がりが欲しくてたまらない者達ばかり。親の愛情もほぼ全て兄に注がれていた。代わりに兄からは十二分に愛してもらえたが、それでも人々が選ぶのは常にハクではなく兄である。
 物心つく前から培われてきたその考え方は、ほのかへの想いに区切りをつけた今でも変わらない。ハクの兄と何の接点もないはずのウコンがそちらの手を取るなどということは起こらないだろうが、それでもハクは己が手を伸ばしたとしてもウコンに応えてもらえるなど最初から思い付きもしなかった。
 無論、愛した人から愛してほしいという願望はある。しかし求めたからと言って相手からも求めてもらえるとはどうにも思えないのだ。
 ゆえにハクはこれまでと変わらずウコンと接することにした。想いを自覚した今、その感情が一挙手一投足に滲み出てしまうのは仕方のないことだったが、あえて積極的に迫ったり、告白したりはしない。
 ただ静かにこの気持ちを大切にしよう。――そう心に決めて、日々を過ごす。
 未だ明かされぬウコンの正体と、いつか来るであろう終わりには固く目を瞑って。

* * *

「ここんとこアンちゃんが恐ろしく可愛いと言うかキラキラしてると言うか」
 互いに新作ドラマへの出演が決まり、撮影も始まった今、ミカヅチとオシュトルは顔を合わせる機会が以前よりもぐっと増えた。するとミカヅチとしては不本意ながら必然的にオシュトルの『ハク殿語り』を聞かされることも多くなる。
 相変わらずこの男はハクを友人として大切にしているのか、それとも恋人的な意味で見ているのか、どっちなのだろうと思うミカヅチではあったが、最近は殊更後者の可能性が濃厚になってきていると感じていた。オシュトル本人は自覚がないようだが。
 ちなみに二人が出演するドラマの内容はずっと昔この國に『朝廷』があった頃の話であり、ミカヅチとオシュトルは共に高位の武官の役となっている。そのため今の二人の格好もそれに合わせた衣装になっていた。だが現在撮影しているシーンにはどちらも登場していないので、巨大なセットが組まれた現場の片隅で休憩中である。
 己が腰かけているパイプ椅子の背もたれに体重を預けてギシッと鳴らしながらミカヅチは半眼で答えた。
「そりゃ前からだろうが。お前の惚気はもう十分だ。あとそっちの恰好でウコンの口調はやめておけ」
「いやいやそうじゃねぇん……ゴホン。そうではなくてだな。ハク殿が愛らしく魅力的なのは以前からなのだが、ここ最近はそれが更に顕著で、なおかつ……」
「なおかつ?」
 戸惑うように一度言葉を切るオシュトル。ミカヅチがオウム返しに尋ねれば、彼は背中を丸めて自分の太腿の上に肘をつき、手を組んで口元を隠すようにしておずおずと告げる。
「…………色っぽい」
「確定か」
「? 何がだ?」
 僅かに顔を上げて首を傾げるオシュトル。同性を愛らしい、キラキラしていると表現し、あまつさえ色っぽいとまで称しておいて、まだ自覚がないと言うのか。ミカヅチは呆れ返って頭痛を堪えるように手を額に押し当てた。
 黙り込んだ――言葉を失ったとも言う――ミカヅチに明確な返答は期待できないと思ったのか、オシュトルは周りに他人がいないのをいいことに、イメージとは真逆のだらしなさでブツブツと独り言のような惚気を垂れ流し続ける。
「某が家を出る時には笑顔つきの見送りなど当たり前。こちらが帰ってきた時は嬉しそう微笑み、以前某が美味いと零した料理があれば後日更に腕を上げて供される。故に先日少々調子に乗って風呂上りに髪を乾かしてほしいと言ったのだが、ハク殿は欠片も嫌がることなく優しい手つきで某の髪を触ってくれてうっかりこちらの姿の髪型になるところだったのだが、それもまた良い思い出であろう。うむ、ハク殿の手は実に気持ちが良かった。ついつい隠すのを忘れていた尻尾が揺れてしまい、それをハク殿に見られていささか恥ずかしい思いもしたが、ハク殿が『自分の技術も捨てたもんじゃないな』と嬉しそうな顔で言ったのが最高であったな」
「いろいろツッコミを入れたいところはあるが、なんだお前、まだ自分がオシュトルだとバラしていなかったのか」
 その時のハクの笑顔でも思い出しているのであろうオシュトルに、思わず口を挟むミカヅチ。ついでに言わせてもらえば、これでまだ互いに友人だと思っているのだろうか、この二人は。
(いや、こいつの主観だから正確なところは判らんが、もしかしてハクの方は……)
 ふとそう思うミカヅチだったが、その考えなど知る由もないオシュトルが恥ずかしそうに後頭部を掻きながらぽつりと告げた。
「実は先日ハク殿がテレビに映った某を見て恰好いいと言ってくれてな。それから更に言いづらくなってしまったのだ」
「判る気もするがとりあえず言わせてもらう。アホだな」
 自分だと知られずに特別な相手から褒められると、それが己であると言いづらくなる気持ちはミカヅチにも判る。だがしかし、いずれオシュトルとウコンのことをハクに話すつもりでいるこの男がそのチャンスを逃した事実には溜息が零れた。話を聞くに、そこまで仲を深めているならばそろそろ真実を明かしても大丈夫だろうに。
「変な方向に拗れる前にちゃんと明かしておけよ。お前も好いた相手に進んで嘘など吐きたくはないだろう」
「無論そのつもりだ」
 ミカヅチの言にしっかりと頷くオシュトル。だがその後すぐ、彼は言われた言葉を反芻してパチリと瞬いた。
「ところでミカヅチ殿」
「あ? なんだ」
「先程『好いた相手』と言ったな? 某はハク殿を好いているのだろうか。友ではなく、恋しい相手として」
「…………そう言えばまだ自覚が無いんだったか、お前」
 ミカヅチの中では完全にオシュトルがハクをそう言う意味で特別視していることになっていたので、少し別のことを考えただけでもうっかりオシュトルがそれを自覚しているかどうかという点が抜けてしまっていた。
 他人から自身の気持ちを指摘されたオシュトルは渋い顔をするミカヅチを見、そして己の両手を見下ろす。
「ふっ、なるほど自覚か。まさか己の気持ちを他人に指摘されて気付くなど、某にもあり得るのだな。驚いた。だが、そうか。確かにその通りだ」
 独りごち、オシュトルは顔を上げた。

「某はハク殿を恋い慕っている」

 その唇はどのカメラマンも引き出せないような美しい笑みを刻み、ここにはいない唯一の存在に向けた愛情に溢れていた。
 これからドラマの役を演じなければならないのに、この男は限られた時間できちんと調子を取り戻し、役になり切ることができるのだろうか。ミカヅチがそう心配するほどオシュトルの意識はハクにのみ向けられる。この男のこんなところをミカヅチは初めて見た。それほどまでにハクが特別なのだという証拠だ。
「おい、オシュト――」
「ふふっ、悪くない。なれば早くハク殿に某の名も呼んでもらえるようにせねば。あの声でウコンと呼ばれるのも非常に心躍るが、やはり片方ではなく両方の某をハク殿の中に居座らせたい故」
「……」
 僅かに不穏な気配。しかしこれまで誰にも執着しなかった男がとうとう見つけた相手だ。これくらい当然なのだろう。
 ミカヅチは再び吐き出しそうになる溜息を堪えて、ただ一言、いつかの日と同じように「頑張れよ」と告げるにとどめた。おそらくハクの方も満更ではないようだし、意外と早く望ましい結果が出るのかもしれない。







2016.07.13 privatterにて初出