【後日談】後始末余話



 その後の話を少し。
 アンジュ姫殿下一行を襲った賊は捜索隊との戦闘で死亡した者達以外は全員捕縛され、正式な手続きを経たのち極刑に処された。一方、今回裏で糸を引いていた貴族はその高い地位と狡猾さが遺憾なく発揮され、罪が白日の下に晒されることはなかった。
 だがそれで終わるほど件の貴族が敵に回した『彼』は優しくない。
 見事に姫殿下を救出した英雄として右近衛大将オシュトルが称賛の声を浴びる中――当然のことながらその場に居合わせた帝弟の話題が出ることはない――、黒幕である貴族の財産がゆっくりと、しかし目に見えて減り始めた。ただし泥棒に入られただとか、不適切な手段でどこかの誰かが搾取していった訳ではない。
 ある時は誰の目から見ても全く問題のない$ナ制の改正により。
 またある時は、貴族が営んでいる商売が同業者の出現や取引先との不和により立ち行かなくなり。
 更には大商人への嫁入りが決まっていた親族の娘が祝言の直前に別の男に心奪われ家を出て、そのために多大な賠償金を支払う羽目になり。
 財産と共にこれまで貴族が築いてきた地位や名声までもがガリガリと音を立てる勢いで削られていく。
 救いの手を差し出そうとする者はいなかった。ある者は隠し事を抱え込むように気まずげな様子で。またある者は誰かに脅されているかの如く怯えながら。そして没落していく貴族をあからさまに侮蔑の目で見て、もうお前などとは関わりたくないと告げる者までいた。しかもその貴族の企みを知っていた者・知らなかった者の区別なく、だ。
 もう誰もその貴族の方を見ようとすらしなくなり、まさに孤立無援。
 真綿でじわじわと首を絞めるように、気が狂いそうなほどゆっくりと恐怖と絶望が忍び寄り、貴族の手足を絡め取っていく。
 孤独の中、減る一方の私財。空っぽになった蔵。邸内を彩っていた美術品の類が消え去り、ぼろぼろになっていく屋敷。客人など訪れることのなくなった客間。送っても返事のない手紙。宮廷ですれ違う他の殿上人達と視線が合うことはなく、けれども廊下の角で、扉一枚挟んだ部屋の奥で、その貴族を嘲笑う声が聞こえる。
 ――あの者は禍日神に憑かれてしまったのだろう。
 ぽつり、と誰かが言った。
 一つ一つは大したものでなくとも、一つの問題に対処している間に奔走する貴族を嘲笑うかの如く別の問題が二つ三つと降りかかる現状。それはまさに禍日神が貴族の苦しみを見たいがため手を下しているかのようだった。


「お疲れでございますね」
 料亭『暁楼』――。
 最早そこに通えるほどの財産すら残っていないというのに、その貴族は意地だけで足を運んでいた。
 今宵、隣に座して酌をするのは暁楼の主人――実際には代理だが、本来の主人の顔をここに通う客は誰も知らない――であり、そのことが唯一貴族の心の慰めとなる。
 こちらを心配する声に貴族は口元を緩め、己が抱える問題をぽつりぽつりと零していく。暁楼の主人たる美女はそれを静かに聞いていた。
 嗚呼ここはなんと心地が良いのだろう。そう思いながら貴族が話し終えた時、暁楼の主人がようやく口を開いた。
「禍日神、と仰いましたね」
「ん? ああ。私は禍日神に憑かれていると。だから誰もとばっちりを受けたくなくて近付きたがらないそうだ」
 暁楼の主人が新しい徳利を傾ける。それを盃で受け、くい、と飲み干した。美酒が舌を楽しませ、するりと喉を滑り落ちていく。
 それを眺めて美女がうっとりするほど美しく微笑んだ。
 彼女は赤みの強い双眸を細め、

「貴方は禍日神よりももっと恐ろしい御方を怒らせてしまったのですよ」

 艶やかに笑いながら、ぞっとするほど冷たい声で告げる。
 貴族がその意味を問い質す前に手からごとりと盃が落ちた。暁楼の主人は僅かな衣擦れの音と共に立ち上がり、部屋の外で控えていた者達へと告げる。
「では、手筈通りに」
 すると障子戸が開き、料亭で働く男衆が入ってきた。
 力が抜けて抵抗どころか声すら出せない貴族は彼らによって部屋の外へと運び出される。
 その姿を赤い瞳が見下ろしていた。
 未だ彼女の顔は笑ったまま、まさに禍日神の如く美しい声で残酷な言葉を吐き捨てる。
「ただで死ねると思わないでくださいな。貴方には死よりつらい目に合っていただきますので」


 ある晩、帝都から一人の貴族が姿を消した。
 しかしその者を探そうなどと思う者は誰一人としてなく。かつて栄華を誇っていた彼の家はとうとう名前すら残さずに潰れてしまったのだった。







2016.06.11 Privatterにて初出