親愛なる君に決して尽きぬ祝福を
「もーやだやだアンちゃんどうにかしてくれーそれがししごといきたくないでござる」 「知ってるか。こいつこれでも世間じゃ清廉潔白なんて言われてるんだぜ。あと何だっけ。文武両道に公明正大?」 折角こちらが現実を見ないよう顔を背けているにもかかわらず容赦なく話しかけてくる自分達の顔役に、隠密衆の男達は苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔をした。 先のウズールッシャ征伐戦の慰労とヤクトワルトの隠密衆加入を祝して催された宴では、最初、クオンをはじめとする女性達も楽しく酒を飲んでいた。しかししばらくすると彼女らは部屋を辞し、残った男達による本当の宴が始まる――。はずだったのだが、ドキッ☆男だらけの大酒宴!が始まって早々、ウコンが赤ら顔で管を巻き始めた。 その対象はただ一人、彼の隣で飲んでいたハクである。他の者達は急に落ち込んでハクに貼り付き始めたウコンをゲラゲラ笑いながら面白おかしく見守っていた。が、しばらくしてそれが徐々に真顔になっていく。あれ? これはおかしいぞ? と思い始めた頃にはもう、ウコンはあぐらをかいて座っているハクに抱きつき、薄い腹に顔を押し付けて大きな駄々っ子と化していた。 「仕事したくないでござる仕事したくないでござる仕事したくないでござる」 それは某近衛大将ではなく自分達の顔役の口癖ではなかったのかと思うものの、不用意にツッコんで巻き込まれたくない男達はぐっと口を噤む。キウルは胃が痛むのか鳩尾あたりを押さえ、酔っぱらいやすいはずのマロロなどは顔を赤くではなく青くして必死に見て見ぬフリをしていた。 「にしても、お前がそんなこと言うなんて珍しいな。天変地異の前触れか?」 ぽふぽふと、腹部に縋り付く男の蓬髪を叩くようにして撫でながらハクが尋ねる。するとハクの腹から――正確にはそこに押し当てられたウコンの口から――地を這うような呻き声が漏れた。 「某にとっては天変地異どころか地獄も同じ……」 「大変なのは何となく察するが、とりあえず取り繕うべきモンは取り繕っておけよ風来坊」 先程から中身が漏れに漏れている偉丈夫(仮)の髪を今度は指で何度も梳きながら告げるハク。 その優しい手つきにキウルが「まるで母上のようです」と、ぼそりと零した。ちなみに誰も否定しない。 「で、具体的には何があったんだ? 自分にできることなら手伝ってやらんこともないが」 「アンちゃん聖母様か」 「自分は男だ」 「うひ!?」 躾の代わりなのかハクがウコンの耳を引っ張った。奇声を上げた偉丈夫はしかしハクから離れようとせず、一旦跳ね上がった頭を再び薄い腹に押しつけている。しかも他の男衆に向けられている偉丈夫の尻、正確に言えば野袴の下で尻尾がぼふぼふと暴れているのが見て取れた。 「ムラムラですか」 「ムラムラじゃない」 「ムラムラでおじゃ」 「うっ……胃が痛い……」 傍観者達が各々ほぼ異口同音な感想を述べる中、ハクはまだ意地悪くウコンの耳をいじっている。隠密衆として働いていてもなお荒事には縁遠そうな白い指が蓬髪の中に見え隠れする茶と白の毛の耳をもてあそぶ様は何だかとても見てはいけないような気がして、男達は一旦視線を引きつけられてしまったそこからそっと目を逸らした。初発以外はきちんと耐えている風来坊に少しだけ称賛を送りたい。だが、頑張って耐えるくらいならいい加減そこから離れろよとも言いたいので、差し引きゼロである。 「まぁこんなもんか」 「う、く……よくがんばった、おれ」 人の急所を散々いじるという鬼畜の如き所業を終えたハクが一息つけば、息も絶え絶えなウコンが全身から力を抜く。そんな状況でもハクの腰に回した腕には力が籠り過ぎないよう配慮していたらしく、そこまでして……と男達をしょっぱい気持ちにさせた。 おまけに「よく耐えたな」と感心するハクであったが、彼の耳のいじり方が妙に手馴れているようだったので、その理由を考えると……考えると……考えると……考えない方が良いのかもしれない。しかしやはり好奇心というものは容易く抑えられるはずもなく。 「なぁオウギ、あの二人って所謂こういう仲なのかい?」 「いえ、そういう訳では……」 特定の指を立て、隠密衆の中で一番目敏そうなエヴェンクルガの青年にこそこそと問いかけた剣豪は、返ってきた答えを聞いてその先を察する。オウギもまた頷いた。ヤクトワルトさんの想像した通りです、と。 「はあ、あれでかい」 「ええ、あれでです」 一方、二人に「あれで」と言われた隠密衆の雇い主と顔役はそんなことなど知らずに、すっかり耳いじりの刑が始まる前の状態に戻っていた。 「そら。お前を落ち込ませて仕事への意力まで削ぎまくってる原因は何なんだ?」 言ってみろ、と促す顔役。ううう、と唸る雇い主。 ハクの白い指は続いてウコンの髪紐を解き、散々いじって乱れた髪をもう一度まとめようと動いている。ただ櫛は使わずともある程度指で丁寧に梳かれた今の状態では、『蓬髪の風来坊』よりも『ちょっと髪が乱れた右近衛大将』になってしまうのだが、本人達的に大丈夫なのだろうか。ちなみに他の隠密衆男組たす一は今の体勢のままでその姿はなるべく見たくないと思っている。 「実はなぁ」 傍観者達の心配はさておき、ハクの好きなようにさせているウコンが口を開いた。 「ウズールッシャとの戦の前にハク殿が使っていた盃を貰い受けて御守り代わりとしていたのだが、それを戦場で失くしてしまってな。しかし気付いたとしても某は将として兵を率いている身。勝手に探しに行く訳にもいかず……おめおめと帝都に帰還せざるを得なかったのだ」 オシュトルが漏れてる、と注意すべきなのか。それとも勝利を収めた右近衛大将の凛々しい凱旋姿が実は大事な御守りを戦場で失くして落ち込んでいたものだったという事実に驚愕すべきなのか。はたまたその御守りが親友兼部下である男の使用済みの盃であることに頭が痛いと顔をしかめるべきなのか。四人には判らない。 「あー。確かにウズールッシャへ行く前にそんなこともあったな。あの朱塗りの盃、元々お前が自分にと用意してくれた物だろう? やっぱりそれなりに高価な物だったのか」 「無論ハク殿が使うものであるからして安物ではなかったが、重要なのはそこではない。盃などいくらでも用意できる故。しかしハク殿が酒を飲んだ盃となれば話は別だ」 あにうえからへんたいしゅうがします、とキウルが青を通り越して真っ白になった顔色でぼやく。 その傍らで「ハク殿の優れた知略にあやかるという意味ではないでおじゃるか?」と、さも当たり前のように言ってのけるマロロ。きっと某桃色姫の暴走を目撃する回数が少なく、そちらの知識に疎かったのが幸いしたのだろう。おかげでキウルは己が知らず知らずのうちに汚れてしまったことを自覚して更に落ち込んだ。 「なんだ、そんなことか」 ウコン――最早ウコンの衣装をまとったオシュトルと言うべきかもしれない――の髪をサラサラにして一つにまとめ終えたハクは、あっけらかんとそう告げる。彼の腹に顔をうずめっぱなしだったウコンがぴくりと肩を揺らし、「そんなこと=H」と不穏そうな空気を醸し出した。しかしハク自身は気にすることなく、眼下にある髪紐の結び目をぴんと指で弾く。 「盃などいくらでも用意できる≠セったな? じゃあまた用意すればいいだろう。それでもう一度酒を酌み交わそう。いや、一度に限る必要はないか。お前の用意する酒は美味いからな。一度と言わず二度でも三度でも飲みたいものだ」 「ハク殿……」 「だがそれまでは」 顔を上げようとしたウコンを手で制し、ハクは身を屈める。そうして己が結んだばかりの髪紐にくちづけを落とし、 「これで代用としてくれ」 「ッ、……! !? はく、どの!?」 バッと勢いよく、今度こそ身を起こしたウコンの顔は真っ赤に染まっていた。それを見てハクがニヤリと笑う。 「それとも別の場所が良かったか?」 「…………いや、今はこれで十分……だぜ……」 ぷしゅうと頭から湯気を出して撃沈する偉丈夫。沈んだ先はハクの腹の上で、そこにぐりぐりと額を押し付けながら「アンちゃんには敵わねェ」と零している。 くつくつと笑いながら偉丈夫を見下ろす琥珀色は悪戯っぽい笑い方に反して深い慈愛に満ちていた。 「盃はお前が無事に戦場から戻ってくる代わりに無くなっちまったんだろう。だったら惜しむな。自分はお前が御守り≠失くすたびに新しいのを用意してやるから、いくらでも、何度でも、欲しがればいい」 白い指が再びウコンの髪の結び紐を弾く。 「お前が無事に帰って来られるならこれくらい安いモンだ」 最早声すら出せずに轟沈したウコン。残りの四人の男達もまた各々声もなく、両手で顔を覆うなり顔を背けるなりして二人の姿を視界に入れないようにしている。親友であるはずの二人が醸し出す雰囲気にいたたまれない気持ちでいっぱいだった。 知ってるか、こいつらこれで恋仲じゃないんだぜ。と呟いたのは誰なのか。いや、誰も口に出してはいなかったかもしれない。ただ全員が同じことを思っていただけで。 「独り身、つらい」 そんな中とても切実そうにキウルが片言で呟いた。 2016.05.14 pixivにて初出 |