ハンバーグ〜モロロのポタージュと共に〜




 それは隠密衆の食事を一手に担ってくれているルルティエと市場へ買い物に出かけた時のこと。最初は単なる模様だと思っていた文字も十二分に読み書きできるようになっていたハクは、『香辛料』という看板を掲げた屋台風の店の前を通りがかった。
 白、黒、赤、緑、茶、黄、と中々に多彩な商品はそれだけで興味深い。ハクが足を止めたのに気付いてルルティエもまた立ち止まり、店頭に並べられているそれらを眺めて「たくさん種類がありますね」と感心したように告げる。
「おっ、にぃちゃんにお嬢ちゃん、ちょっと見ていくかい? ここらじゃ珍しいモンも扱ってるよ」
 店主が日に焼けた顔でニカリと笑ってみせる。
「ほう。確かにこの市場で見たことのないものがあるな。お、これは……」
 ハクが目を留めたのは『ナムグム』と表記された灰褐色の小さな種子らしきもの。カラカラに乾いたそれのサイズは小指の関節一つ分くらいだろうか。店主から許可をもらってそのナムグムを粉にした物の匂いをかがせてもらった。独特の甘い香りがふわりと届く。
(確かこれの香りの主成分はピネン、カンフェン、オイゲノール、ミリスチシン……ってあれ? 何を考えているんだ自分は)
 香りには記憶を刺激するという説もあるが、さて、たった今思い出されたそれらの知識はハクの失われた記憶から引っ張り出されたものだったのだろうか。
「ハクさま?」
「あ、いや……すまん、ルルティエ。何でもない」
 隣にいたルルティエに名を呼ばれはっとする。と同時に小難しそうな記憶は明後日の方向へ飛んでいき、ハクの頭の中に残ったのはこの独特の甘い香りから連想されたとある食べ物。
(そうだ。ハンバーグを作ろう)
 思いついた途端、妙にあのひき肉を固めて焼いた例の料理が食べたくて仕方なくなる。
 ハクは思い立ったが吉日とばかりに店主から粉にしたナムグムを少量購入し、ルルティエを連れて意気揚々と必要な具材を買うため市場の通りを歩きだした。
 なお、ハクが購入したナムグムという香辛料。遠い昔、それに似た物が肉料理などによく使われており、名を『ナツメグ』と言う。

* * *

 材料はウシ(ベルコ)の肉と乳、ルクピロ――味も形もハクの知っているタマネギに良く似ている――、鶏卵、塩、胡椒、そして市場で仕入れたナムグム。更に必須の調理用道具として、ウコンを一人。
「なんでだ」
「人力で塊の肉からひき肉を作るには体力が要るからな」
 隠密衆の中で最弱を誇るハクが胸を張って言い切った。ウコンは隣で唖然とするしかない。
 オシュトルとしての政務が早く片付いたので夕飯前からハクと飲もうと思い大徳利の土産持参で来てみれば、何故か白楼閣の泊り客専用小厨に連れて来られ、浅葱色の外套の代わりにハクお手製の『えぷろん』とやらを装着させられてしまったウコン。普段は助言だけして調理自体はルルティエに任せているハクが珍しく自分自身で料理をするので、そのために必要な人員として選ばれたらしい。実際に何をすればいいのかはさっぱりだが。
 白楼閣を訪ねた折、「ウコン! 自分はお前を待ってたんだ!」とハクに満面の笑みで歓迎された際にはうっかり緩んでしまった表情も、今やすっかり仏頂面にすり替わっている。今はただ、外套(ふく)を脱げと言われた時に感じた胸のときめきを返せと言いたい。
「あとお前、水神の力で身体の一部を冷やしたりってできないか? できるならそれで、できなくても氷は出せたはずだったよな。だからそれで氷水を作って手を冷やしてくれ。こいつは冷たい手でしっかりこねる必要があってだな」
「アンちゃんは水神や火神の御力を何だと思ってんでぃ」
「ん? 便利能力?」
「そーかい」
「で、返事は?」
 そう問いかけるハクの視線は若干どころではなくかなり据わっていた。ウコンを巻き込む強引さといい、どうやら目的の品を作りたくてどうしようもなくなっているようだ。
 ウコンは溜息を一つ。妹の言ではないが、元より己はハクに対して甘いのだ。眉尻を下げて「しょうがねぇな」と笑う。
「アンちゃんの頼みだ。俺にできることなら何でも言ってくんな」
「流石ウコン! 我が親友! お前にもちゃんと美味いモン食わせてやるから、協力頼むぞ」
「おうともよ」


 刀ではなく包丁を持たされ「形が判らなくなるまで細かく切ってくれ」と言われたのはウシの肉の塊。これが主たる材料になるとのこと。ウコンはハクに言われた通り肉の塊をこれでもかと丹念にかつ素早く切り刻み始めた。
 その間にハクもまた包丁を手にしてルクピロをみじん切りにして炒める。そして炒め終ったものは平らな皿に移して粗熱を取る。この時点でまだウコンが肉と向き合っていたため、ハクはアマムの粉に水と少量の塩、砂糖、ウシの乳から作った『バター』とか言う薄黄色の物体、あとよく分からないのだが『テンネンコウボ』とハクが呼ぶ何かを混ぜて練って寝かして焼き上げて作るフカフカした食べ物――仮称『パン』――をボロボロに砕いて粗めの粉のような状態にした。この状態を『パン粉』と言うらしい。
 ここでようやくウコンの方も作業が終わり、揃えた材料を全て一つの深皿に投入する。なお、その深皿は内容物を混ぜ合わせやすいように木をくり抜いて作られた底が丸い特注品だ。
「さっきアンちゃんが言ってた『こねる』ってこれのことか」
「おう。ここでしっかり混ぜておかんと形が崩れて大惨事になるからな」
「手を冷たくするのは何か理由があんのかい?」
「手が温かいとこねてる間に肉の油が融けて、できあがった時の味が落ちるんだよ」
「ほほう、なるほどねぇ」
 ならば、とウコンは己が戦う時に加護を受けている水神の力をほんの少し借りて手の表面温度を下げる。ハクがその手に触れて「うお、本当に冷たい。すごいな」と子供のような顔で感心してみせた。
「肉に粘り気が出てくるまで頼む。その間に自分は汁物の方を作っておくから」
 と言って、ハクはウコンが白楼閣に顔を出す前から仕掛けられていた大鍋に目を向ける。煮込まれているのはモロロというヤマトでは珍しい部類に入るイモと数種の香味野菜、それから薄切りにしたルクピロだ。聞いたところによると、モロロは海を隔てた所にある小国トゥスクルでは主食になっているらしい。
「あれで汁物なんて作れんのかい?」
「自分の考え通りに進めば、たぶんな。ま、見てろって」
 調理台に大きめのすり鉢や目の細かい甑(こしき)、別の容器に入ったウシの乳などを用意しながら、ハクは腕まくりをする。相変わらず細くて白い二の腕がちらりと見えて、ウコンは少し眩量を覚えた。
 ぼうっとしている間にハクは十分煮込まれて柔らかくなった具材のうち、香味野菜のみ別の皿に取り出して、残りをすり鉢で潰し始めた。その動作は感心するほど素早く、また淀みない。潰したものは甑(こしき)で裏ごしされ、細かい網の目を通り抜けてきたもののみ鍋に戻された。
 とろりとした白い液が鍋の中でふつふつと煮え立つ。続いて鍋に投入されたのはウシの乳とそれからお手製バターである。
「随分と手馴れているように見えるな」
「ん? まぁそうだな。たぶん昔はよく作っていたんだろう」
 覚えてないけど、とハクは小さく苦笑した。
 その言葉にチクリと胸が痛む。この青年は一体誰に手料理を振る舞っていたというのだろう。この手際の良さならば一度や二度のことではあるまい。それこそ日常的に、誰かのために作っていたのかもしれない。
「ウコンー、手が止まってるぞ」
「あ、ああ」
 鍋をかき回しながら注意するハクの声にはっとする。「すまねぇな」と軽く謝ってから、ウコンは意図的に冷やした両手をひき肉の中に突っ込んだ。


「おっ、そっちはもう良さそうだな。ほらウコン、手はそのままで顔をこっちに向けて口開けてくれ」
「どうしたアンちゃ、っご!?」
 ひき肉とその他の材料を混ぜ合わせている最中。
 言われた通りに振り向けば、口の中に小さめの匙を突っ込まれた。匙から零れ舌に触れたのは、火傷しないよう適度に冷まされたとろみのついた液体。
「味見。どうだ?」
 ウコンの口に匙を突っ込んだままハクが問う。
 急所の一つである口の中に物を突っ込まれるほど気が緩んでいたことに武人として恥じればいいのか、それともハクだからこそこうなってしまうのだと自分自身にのろけてしまえばいいのか、一瞬迷った。が、味見と言いつつも自信ありげなハクの顔を前にすると、すぐに「まぁいいか」という気になってしまう。
 舌触りの滑らかなとろみのある汁を舌の上で遊ばせれば、感じたのは香味野菜から出た旨味とモロロ由来と思われる甘み、それから程良い塩気。初めての味と舌触りだが、「美味いな」という言葉が自然と口を突いて出た。
「だろう? じゃあこれで汁物は完成っと。食べる直前にあれを少しふりかけるんだ」
 ハクが『あれ』と言ったのはパンを小さなサイコロ状に切ってきつね色になるまで焼き、水分を飛ばしたものである。確かにモロロから作った汁物だけでも美味いだろうが、あれが加わることで触感に変化が生まれ、またちょっと変わった楽しみ方を味わえるだろう。
「そしてお次は本日の主役!」
 バッと勢いづけてハクが示したのはウコンに任されていた肉ダネ。
「こいつを手のひらくらいの大きさの楕円形に成形して焼く! そしたらハンバーグの完成だ!」
「はんばぁぐ」
「おう! ハンバーグ、だ」
 ちなみにウコンはこの瞬間、初めてハクが作ろうとしている物の名前を知った。なお、白い汁物の名前はまだ不明である。
 ともあれ、肉を焼くための鉄板を取り出してきたハクは妙に楽しそうで、ウコンは呆れたように溜息を一つ零す。ただしそれはハクの様子に対して呆れてみせたのではない。ハクが誰かのために何度も料理をしたかもしれないという事実に不安……否、不満を覚えた先刻の己に対し、たとえ過去がどうであれ今は己がハクと時間を共有して楽しそうな彼の顔を間近で見ているのだからそのことに感謝すべきであり、また自身も喜び、楽しむべきなのだ、と思い直したためである。
「ほらほらウコン、成形するぞ」
「おう。こんな感じか?」
「そう、そんな感じだ。で、こうやって手のひらに叩きつけるようにして空気を抜いて……」
 平らな楕円形に整えた肉ダネを両手の間でパンパンと行き来させながら説明するハクに倣い、ウコンも同じように手を動かす。二人で同じ作業をしていると何やら妙に面白くなってきて、ハクと視線が合うと思わず共に笑ってしまった。
「まさか天下の右近衛大将がこうしてハンバーグ作ってるなんて誰も思わんだろうな」
「ハク殿の人徳の致すところってやつだぜ」
「そりゃすごい」
「ああ、アンちゃんはすごい」
 ペチペチペチ、パンパンパンと小気味よくも間抜けな音を出しながら二人は肉ダネ全てを楕円形に成形していく。
「褒めても何も出んぞ、と言いたいところだが、ウコンには特別に大きいやつを焼いてやろう」
 他の物より一回り大きなハンバーグを片手で支えてハクがにやりと笑った。照れ隠しもまじったそれにウコンは抑えきれず破顔して、「楽しみにしてらぁ」と返す。
 少々どころかそこそこ訳の分からないことに巻き込まれてしまったが、これはこれでいいもんだ、と。ハクの笑顔を見つめながらウコンは改めて思った。


 なお、この後、夕食に合わせて焼き上がった『ハンバーグ』と温め直された白い汁物もとい『モロロのポタージュ』を口にしてその美味さに驚き、改めて褒め称えたウコンが照れるハクを目にした瞬間、その繊手を握って「ハク殿、某に毎日『ぽたーじゅ』と『はんばぁぐ』を作ってはくれまいか」と迫るのだが――。それはまた別のお話。







2016.03.24 Privatterにて初出
ツイッターのフォロワー様に頂戴したリクエスト「お料理するハク殿」より。
補足:ルクピロ:タマネギに関しては該当する名称が見つからなかったので、タマネギのロシア語が「ルーク」、アイヌ葱のアイヌ語が「pukusa(プクサ)」又は「キトピロ」「ヒトピロ」なので、それらを組み合わせた造語を使用しております。/ナムグム:ナツメグのつもりで作った造語。アイヌ語もロシア語も関係ありませんすみません。