「貴方はとても面白いヒトですが、時折ひどく奇妙だ。まるで――」
「まるで、オシュトルのよう……か?」
「ええ。おっしゃるとおりです」
 月が中天を過ぎる頃、白楼閣の自室でその月を肴に盃を傾けていたハクの背後へと音もなく忍び寄ったのは、隠密衆の一人であるエヴェンクルガの青年――オウギ。突然話しかけられても驚く仕草さえなかった顔役にオウギはいささか不満そうだったが、ハクに「一献どうだ」と言って隣を勧められると、機嫌を直してそこに腰を下ろした。
 戸棚から新しい盃を取り出したハクはそれをオウギに手渡し、酒を注ぐ。寝間着代わりの浴衣姿であるハクとは異なり、夜が更けても青年の服装はきっちりとしたもので、盃を持ち上げる手でさえ白い手袋に覆われていた。
「今まで仕事だったのか? それともこれから仕事……」
「もう終わりましたよ。流石にお酒を入れて仕事をするほど甘い内容を振ってはもらえませんので」
「オシュトルの依頼か」
「まぁちょっとした情報収集程度ですが」
 オウギは肩を竦めてそう答え、ハクに注いでもらった盃をくいと呷る。
「ん。これはなかなか良いお酒ですね」
「ふっふっふ。秘蔵の、というやつだな」
 顎に手を添え、少しばかり胸を反らすようにして答えるハク。その様子に先程オウギが指摘した奇妙さはない。そもそも「おかしい」と感じる場面などごく稀であるため、当然と言えば当然なのだが。
「僕がいただいてしまって良かったんですか?」
「構わんさ」答え、少し溜めてからハクは続けた。「何も知らされていない状態で気付いたことへのご褒美と、だからこそお前にはちょっとばかり協力してもらう……そのための賄賂だからな」
「…………、」
 瞼が押し上げられ、青い瞳が月の光を弾く。オウギはまだ半分程度酒が残っている盃を下げ、僅かに低くなった声で尋ねた。
「何をなさるおつもりで」
「もしもの際、仲間を失わせないために保険をかけておく……と言ったら信じるか?」
「具体的にご説明いただけないと流石に信じるも何も」
「そうか」
「と、言いたいところですが」
 ハクの答えに被せるようにオウギは続け、目を瞬かせる顔役に微笑みかけた。
「信じます」
「……そんなに容易く信じて大丈夫なのか?」
「普通は信じません。ですが他ならぬハクさん……貴方の言葉であるなら、このオウギ、従って差し上げても構わないと思っているのですよ」
 尊大に、どこかおどけたような言い回しをするオウギにハクが笑みを零した。「なんともまぁ、そりゃありがたいことだな」と告げた彼は、持っていた盃を置き、オウギに向き直ると姿勢を正した。つられてオウギの背筋も伸びる。
「ハクさん?」
「オウギ」
「っ、」
 名を呼ばれてオウギは酷い衝撃を覚えた。ハクに呼ばれたのに、ハクに呼ばれた気がしない。
 この気配は、彼を見ている際、ごく稀に感じることがあったもの。しかし今まで気付いたものよりもこちらの方が明らかに強い。ハクが今までずっと隠していたものをいくらか表に出したのだと、嫌な予感と共に理解する。
「お前にある秘密を話す。その上で少し手を貸してほしい。……無論、皆には他言無用で」
「オシュトルさんにも?」
「ああ」
「……判りました。従うと言ったのは僕ですしね。お手伝いいたしますよ」
「かたじけない」
 僅かに頭を下げる顔役を前に、オウギは顔をしかめた。
「やめてください、オシュトルさんに謝られているみたいだ」
「ふっ、その理由もきちんと話そう」
「っ、貴方は……」
 しかめられた表情は直るどころか更に悪化。盃を持つオウギの手に力が籠もる。
 頭を上げたハクは呑気で、面倒くさがり屋で、それから優しくて、暖かな春の日差しのようなヒト――……ではなく、仕事相手と対峙している時のオシュトルそのものだった。
 オウギの明らかな動揺に気付いていないわけがないのに、ハクであるはずの男は容赦なく先を続ける。
「一人の哀れな男の話だ。そしてこれから帝都で起こるであろうことについて……。もう少しマシな未来にしたかったのだが、某では力及ばず、其方らに迷惑をかけることとなりそうだ。無論、最悪の展開は避けたいところだが、何事にも保険はあった方が良いのでな」


 そうしてオウギは知った。目の前にいる『彼』のこれまでと、これからやろうとしていることについて。最後に「やってくれるな?」と形だけの問いを投げかけられるが、深い琥珀色の双眸は反論を許さず、オウギはただ頷くしかない。
 頷いて、それからオウギは一つだけ相手に尋ねる。
「どうして僕だったんですか」
 ハクが抱える違和感に気付いたから、だけではまだ弱い。
 尋ねられた側はふっと吐息だけで笑った。
「其方なら『ハク』より姉であるノスリを選ぶであろう。つまりノスリのためになるなら、万が一ハクの身に何かが起こっても動きを止めずにいられるはず」
「確かに姉上のためなら僕は何だってします。しかし貴方だって――」
「その先は言うな。其方の一番はノスリ」にこり、とオシュトルではなくハク≠ェ笑う。「それでいいじゃないか」
「………………………………そう、ですね」
「頼んだぞ、オウギ」
 ハクのその声を聞きながらオウギはうつむき、唇を噛み締める。
(嗚呼、地獄に落とされた気分だ)

 ――確かに姉上のためなら僕は何だってします。しかし貴方だって僕にとってはかけがえのないヒトなのに。

* * *

「……やはりそうなってしまったんですね」
 帝暗殺とアンジュ姫殿下暗殺未遂の後、エンナカムイへ逃げる仲間達のため帝都に残って活動していたオウギ。そののち再会した『オシュトル』を見て、彼は力なく地面に両膝をつく。
「貴方はハクさんじゃ、ない」
「っ、其方、知っているのか!」
「知っていますよ。全部本人に聞いていましたから。それにハクさん、ヴライ将軍に毒を使ったでしょう? あれがどこの誰のものなのか、オシュトルさんはすでにご存じなんじゃないですか」
 息を呑むオシュトルにオウギは自嘲を浮かべて答える。
「ああ、しかし、そうですか……」
 背中を丸め、両手で顔を覆う赤髪の青年。それなりに長い付き合いのあるオシュトルでさえ見たことのない弱々しい様子は、失われた人物がオウギにとってどれほど重要だったかを如実に物語る。

「僕の主は本当にひどいひとだ」

 顔を覆う手の隙間からぽたりと透明な雫が零れ落ちた。






貴方はこの世で一番ひどいひと







2016.08.30 pixivにて初出