ヤマトの民から愛され敬われる帝は、ヤマトという國とそこに住まう民を愛してはいない。彼が己を愛する者達に対して向けるのは無関心と過去の軋轢から生まれる僅かな嫌悪。そして愛情の大部分を傾けるのは実の弟だけで、残りは不死の化物となったかつての同胞達に割かれていた。
 帝が民を慈しんでいるように見えるのは、そう振る舞った方が都合が良いためだ。大好きな人に愛されていると思えば、どんなヒトであれ相手のために尽くしたいと願うだろう。その相手がより快適に過ごせるように、より心地よく過ごせるように。そしていつしかヤマトの民は帝のため自主的に動く駒となる。愛されていると勘違いしたまま。
 ヒトにとってあまりにも残酷なその真実はヤマト建國から数百年の間ずっと帝一人の胸に押し込められ、誰の耳に届くこともなかった。しかしある時、転機が訪れる。帝の実弟である青年の生存が確認され、帝の永遠にも思える孤独を埋めたその青年にずっと秘されていた真実がとうとう打ち明けられたのだ。
 おそらく帝も長きにわたり彼に害をなす者が周りに現れなかったせいで警戒心が薄くなってしまっていたのだろう。帝の実弟に対してのみ明かされたはずの真実は、別の者の耳にも入ることとなった。
 そして真実を知った件のヒトは愛した者に愛されていなかったことを悲しみ、やがてこう思う。
 この國を思うのであれば、帝にこのまま統治されるのは決して良いことではない。これまで無関心ゆえに平穏が続いてきたが、無関心であるからこそ今後ともその平穏が続くとは限らないのだから。今の状態ではいつ國が滅んでも――帝に見放されても――おかしくはない。
 帝を愛すると同時に國と民をも愛していたその者は、結果、帝よりも國を選ぶ。それは苦渋の決断だったが、その者は同胞を選んだのだ。と同時に、帝に代わる新たな統治者をも選び出す。その候補として挙がったのが、未だ幼い少女――……ではなく、深い知識を持ち為政者としての才覚をも有し、また帝と同じ種族でありながらその境遇ゆえにヒトを慈しむ心を得た青年だった。


「自分が目覚めなければ、貴女は寿命が尽きるまでずっと兄貴の傍で笑っていられたんでしょうね」
「ええ、おそらくは。しかし私はもう知ってしまいました。貴方様の生存を聞いたあの方がどれほど喜び、そしてその胸中に何を抱えておられたのかを」
 穏やかな微笑を浮かべるのはヤマトの大宮司ホノカ。初恋の人と同じ顔で微笑まれたハクは情けなく眉尻を下げ、彼女が淹れてくれた茶を啜った。心情に引き摺られたかのように、苦みがいつもより強く感じられる。
 思い出すのは、今ではないここでの出来事。帝暗殺と天子暗殺未遂が起きた後、ハク達はアンジュを旗頭にし、戦乱に見舞われたヤマトに再び安寧をもたらすため懸命に戦った。その中で知った真実は完膚なきまでにハクを打ちのめしたが、アンジュが帝となり産声を上げた新たなヤマトを放置できるはずもなく。ハクはこの目の前の女性とその共犯者が望むままオシュトルとして國を支え続けた。
(彼女達の読みは的確だった。自分には愛しい者達が生き、親友が愛した國を見捨てるなんてできない。それに彼女達は國の存続が約束されたなら、己の命がなくなってしまっても構わないとすら思っていた。本当に酷い……酷いくらいに、やさしいヒト達だ)
 ハクはそれを止めたかった。彼女達の企みにより大切な者が失われ、またある者は深く傷ついたから。
 しかし事の発端は彼女達が個人ではなく國を選んだことで、その選択がなされたのは帝が國ではなくただ一人の同胞を愛しているという意思を示したのが原因である。そしてそのきっかけは、ハクの生存が確認されたことだった。つまり、ハクがこれから起こることの記憶を持っていてもあのクジュウリの雪山で目覚めた時点で大幅に出遅れてしまっていたのである。
 それでも諦めるという選択肢など選べるはずもなく、ハクは帝都での騒がしくも楽しい日常を過ごす傍らで未来を変えようと奔走し続けた。まずは兄からの愛情を自分だけでなくヒトにも向けられないかと挑戦し――……結果は思わしくないものとなる。そもそも相手がこの世界でたった一人の同胞であるのは、ハクにとっても同じこと。しかも血の繋がった兄弟だ。蔑ろにできるわけもなく、ハクが兄を慈しめば、兄はそれ以上の愛を返してきた。おまけに、永い孤独は兄の精神を捻じ曲げ、弟という存在に異常なほど固執させていた。下手を打てば今すぐにでもヤマト――弟が慈しむもの――を壊しかねなかったのである。
 兄が変わらないのであれば、最早ホノカに働きかけるしかない。確かに兄は國と民を愛していないが、それでもどうか堪えてくれ、と。
 しかし自身の命を犠牲にしても、また國が一時的に分裂することで少なくない被害が出ると判っていても、それでも新たな『國と民を愛する皇』を望んだ者達である。そう容易く説得に応じてくれるはずがなく、腹を割って話し合っても意思を曲げるつもりはないと決して崩れぬ微笑でもって返された。
 現在、二人がいるのはいつもハクと兄が顔を合わせる聖廟の地下空間である。外と見紛うばかりのそこに帝の姿はない。彼は今、就寝中だ。そして主の許可なく二人はここで話している。帝に隠し事をしている時点で、すでにホノカの心が創造主から離れていることは明らかだった。
「先日ハク様がこちらにお出でになった際、聖上とのお話をとある方に立ち聞きしていただきました。ですので、もう止まりませんよ」
「ウォシスですか」
 ホノカの共犯者である男の名を出す。彼はホノカに誘導される形で帝の真意を知り、そして彼女の共犯者と化した。
「あいつも自分自身より國を選ぶような奴なんだよな……」
 ウォシスはハクが全てを知って己の首が落とされても、それでも『ヒト』を本当に愛してくれる『ひと』と民の笑顔を望んだ。彼もまた自分が生まれた國を深く愛していたのだ。
 なお、これまでホノカに尋ねたことはないのだが、共犯者として他の八柱将では駄目だった理由はハクにも何となく判る。まず自分の國を持っている皇達はどうやってもヤマトより自國を選んでしまう。それは思いの強さの違いとなって如実に表れるだろう。またこのヤマトの者であったとしても、デコポンポは話にならず、ライコウは我欲が強すぎた。ライコウの作る國もそれなりに素晴らしいだろうが、ホノカが望んだ形ではない。そして彼等以外の者達も決して大國を統治するに相応しい器ではなかった。
 おまけにウォシスは彼等と違い『特別』なのだ。
 ウォシスの恰好を整えれば自然と判ることなのだが、彼はとてもハクに似ている。ホノカやアンジュがそうであるように、ウォシスもまたかつて帝の身近にいた人――つまり彼の場合はハク――を模して造られた存在なのである。しかも癖の強い八柱将を、ヴライのような武力も持たず、またライコウのような知略を披露せずともまとめ上げることができていたのは、ハクを模して造られた過程で生まれつきデコイに好意的に見られる要素≠ワで備わっていたからだった。
 ハクから見れば本当にオマケ程度のものであるが、帝ではなくハクを選んだホノカにとってその要素は多少考慮に値するものだった……かもしれない。
 とハクは思っていたのだが、茶を啜ったホノカが湯呑をことりと卓上に戻して会話を続けた。
「それもそうですが、加えてウォシス様は聖上よりも貴方に惹かれやすい性質を持ってお生まれになった方ですから」
「……は?」
「ウォシス様がハク様を模して造られたことはもうご存知ですよね?」
「え、ええ」
「私達デコイはハク様のような『大いなる父(オンヴィタイカヤン)』を無条件に好むよう生み出されました。私達は生まれつき『父』を愛するのです」
「それは知っていますが……」
「ふふ。ですから、『父』なのですよ」
 含み笑いを零し、まだ意味が解らないと首を傾げるハクにホノカは続ける。
「ハク様を模して生み出されたウォシス様。つまりウォシス様にとってハク様は正真正銘の『父親』なのです」
 だから殊更強い愛情をハクに対して抱いてしまうのだ。その結果、ホノカよりも更に強い感情でもって帝よりハクを選ぶこととなる。ウォシスにとって帝は『好ましい人間』、ハクは『誰よりも大好きな父』となるのだから。
「ですから」
 ホノカは僅かに声を強くして、真っ直ぐにハクを見つめる。
「この動きは止まりません。私達はこの國と貴方様を選びます」
「っ! ほ、のか、さ――」
「ハク様、貴方様が我々を愛しく思ってくださるのなら、」
 制止しようとしても彼女の言葉は止まらない。
 その先を聞きたくなくて、ハクは自らの耳を塞いだ。






(ハク様、ハク様、)
(貴方様が我々を愛しく思ってくださるのなら、)
(この國を、この國で生きる民を、この國での生活を、愛しく思ってくださるのなら、)
(どうか、)






どうか我等をお導きください







2016.06.26 privatterにて初出

時期的にはふわっとウズールッシャ遺跡の後〜トゥスクル遠征前。(※当然のことながらあのひとが黒幕かどうかは想像です。完全なる捏造です)