緊急出動もなく比較的穏やかに過ごしていた昼過ぎのこと。微かに襲ってきた眠気を払うためコーヒーでも淹れようかと立ち上がったオシュトルは、ジャケットの内ポケットに入れたままの携帯端末が震えたのに気付いて首を傾げる。こちらの端末に入る連絡は全て私的なものだ。しかも番号を知っている者は限りなく少ない。つまり滅多にかかってこないということ。
 ともあれ職場であるオフィス内で堂々と電話を取るのもはばかられ、オシュトルは手振りで皆に断わってから部屋を出る。「ハクさんですかね」「その可能性は大じゃない?」と、オウギとヤクトワルトの含み笑いが聞こえた。職場でハクとの関係が変わったことなど一言も漏らしていないのだが、もしかして何か勘付かれているのだろうか。
 少々気恥ずかしさを覚えつつ廊下に出たオシュトルは端末の画面を見遣る。自身も電話をかけてきたのはハクだろうと思っていた。何かあったのかと心配する気持ちと仕事中だがハクの声が聴ける喜びが胸の中で入り混じり、なんとも言えない心地になる。
 しかし実際に発信元の名前を確認したオシュトルはその表情を訝しげなものに変えた。ハクからの連絡ではない。かけてきたのは自分達が住んでいるマンションのコンシェルジュだった。
「何事だ……?」
 独りごちつつ応答する。あのマンションを管理しているコンシェルジュAIは非常に優秀で、まさにかゆいところに手が届く≠体現するサービスを提供してくれる。それはつまり必要ではないことはしない、ということでもあった。そんなコンシェルジュが明らかに仕事中であるオシュトルに連絡を入れるなど只事ではない。
 嫌な予感がする。そんなオシュトルの耳に届いたのはあのピンク色の球体から聞こえる優しい少女の声。
『お仕事中に申し訳ありません、オシュトルさま。急ぎお耳に入れたいことが一件ございます』
「如何した」
 先を促すオシュトルにコンシェルジュは「はい」と一拍置いてからそれを告げた。
『三時間前に昼食をとるため外出されたハクさまがまだご帰宅されていません。このようなことが今までなかったので、念のためこちらから連絡を入れてみたのですが、応答はなく、端末の電源が切られた状態になっています』
「それは……」
 手に嫌な汗がにじむ。
 小さな子供ではないのだから、と他人には言われるかもしれない。しかしこれまでハクが出かける際、コンシェルジュには挨拶がてら行き先や大体の帰宅時間を告げていた。そうすれば風呂の準備や宅配の荷物の受取など、コンシェルジュが全て上手く取り計らってくれたからだ。そしてハクが告げた時間を破ったことはない。端末の電源を切っているなどという事態も同じく。
『何か事件に巻き込まれたのかもしれません』
「承知した。こちらでも調べる故、何かあれば連絡を」
『かしこまりました』
 通話が終わる。オシュトルは踵を返して二係のオフィスへ向かった。
「オシュトル?」
 戻って来たオシュトルを見て同僚達がぎょっと目を剥く。
「何かあった? 顔色、すごく悪いかな」
 クオンが席を立って駆け寄ってくる。彼女もてっきり電話相手がハクだと思っていたようで「それとも貴方じゃなくてハクに何か?」と尋ねた。
 ハクに何か、という言葉にオシュトルが息を呑む。本当に小さな動きだったが、刑事を務めている者達には十分な反応だ。そして彼らはオシュトルにとってハクが特別な存在であると薄々もしくははっきりと気付いている。
「事故かい?」
 心配そうに尋ねるヤクトワルト。オシュトルはそれに「いや」と首を振った。
「まだ判らぬ。だが外出したハクが予定の時刻になっても帰って来ておらぬらしい。端末の電源も切られていて連絡が取れん」
「事件に巻き込まれた可能性もあるってことけ?」
 アトゥイが眉間に皺を寄せる。「通報が入っていないか調べてみる」とノスリが自席のパソコンに向かい、オウギは「では分析官さんにおかしな映像が記録されていないか問い合わせてみましょう」と動き出す。
「いや、しかしまだ姿が見えなくなってから三時間しか経っておらぬ故……」
 先述通り、オシュトルにとっては『有り得ない』ことだが、世間一般からすれば『気にするほどではないこと』である。しかもハクは幼い子供ではなく、いい年をした大人だ。だからこそ同僚達の動きに戸惑うオシュトルだったが、
「だとしても、貴方の顔色を見ればそれがどれだけ異常事態なのかは判るかな。今にもここを飛び出して行きそう」
 クオンが肩を竦めて言った。
「私(わたくし)達が動くことで上の目が気になるなら、この情報収集は『記憶喪失潜在犯』の件に関係しているということにすればいい。分析室にいるマロロならその辺も上手く誤魔化してくれるはずかな」
 総合分析室のメンバーの一人で二係とは懇意にしている職員――平凡な顔を白塗りのホログラムで覆っているちょっと変わった分析官の名を上げて微笑むクオン。「それに私個人としてもハクのことは心配だから」と彼女は柳眉を下げた。
 次いでノスリとオウギの姉弟を見遣り、話を聞いていてすでに理解しているであろう姉弟に念のため指示を出す。
「と言う訳で、ノスリ、オウギ、調査の名目は『記憶喪失潜在犯』の新たな被害者が発生していないかの確認ってことにして」
「了解した」
「はい、承知しました」
 各々の作業を再開する赤毛の二人。アトゥイとヤクトワルトもまた「荒事になったら任せてほしいぇ」「そうそう、ハクの旦那に何かあったら俺らも黙っていられないじゃない」と全面協力の姿勢を見せる。
「すまぬ」
 彼らの動きにオシュトルはただ頭を下げるしかない。これは完全なる私事だ。にもかかわらず、公的な動きを装って皆が協力しようとしてくれている。おまけに、彼らの行動は今にも一人で飛び出して行ってしまいそうなオシュトルをここに留め、冷静さを取り戻させる役割も果たしていた。もしこれがなければ、公僕(社会人)としてのオシュトルは随分と不利な状況に陥ってしまっていたことだろう。
 情けなさで項垂れるオシュトルに「ふふ」とアトゥイが微笑む。
「オシュトルはんは本当におにーさんが大事なんやねぇ。でも大事なんやったら、ウチらに言う言葉はもっと別のものやぇ?」
「別の……?」
「そ。オシュトルはんが言うべきなのは、『すまぬ』じゃなくて『ありがとう』や」
「ッ」
 オシュトルは息を呑んだ。他の皆もそうだと頷いている。
「うん。アトゥイの言う通りかな。ミト局長がどこまで誤魔化されてくれるかちょっと判らないところもあるけれど、やれるところまでやってみるから、オシュトルも謝罪する暇があったら出来ることをやろう?」
「……相判った」
 クオンにもそう言われ、オシュトルは頷く。そして己もまた席につき、情報収集のため関係各所に連絡を取り始めた。
 そんな二係の動きは大きな障害もなく順調に進められていく。どうやら建前が上手く効果を発揮しているらしい。
(いや……)
 パソコンを操作しながらオシュトルはふと自分の考えに否定を突きつけた。
 本当に建前が上手く作用しているだけなのだろうか? あの老爺が……ミト局長が、本当にこんな建前だけで誤魔化され、二係の動きを見逃してくれるのだろうか、と。
 シビュラと局長が密接につながっている以上、ノナタワー内で起こっていること――否、この街で起こっていることは、全てあの老人に伝わっていると考えた方がいい。建前など簡単に見透かされるだろう。しかしオシュトル達を止めようとしないということは、そうするだけの理由があるということで。
 まさかと思い、オシュトルは各種情報公開の申請に紛れ込ませる形でドミネーターの使用許可申請を出す。名目上は『実際に記憶喪失の潜在犯と遭遇した場合、速やかに対処するため』としているが、そんな理由だけでドミネーターの使用許可が出ることはまずない。それこそ誘拐事件が起き、犯人を制圧するため等でなければ。
 しかしオシュトルの予想を裏切って――もしくは予想通りに――局長から直接ドミネーターの使用許可が下りた。これからのことを思えば有り難いことだが、オシュトルの背筋を怖気が走る。
(局長は何をご存じなのか)
 判らない。しかし止まる訳にはいかない。オシュトルにとってハクは何よりも大切な存在なのだから。


 しばらく事を進めていると、ついに総合分析室から連絡があった。しかも分析室から通信をつなげるのではなく、分析官のマロロが直接二係のオフィスに出向くという形で。それは伝える内容が流石に建前だけではカバーしきれないものだからだろう。
 白塗りの顔にマロ眉、白と鶯色の古風な装束に身を包んだ出で立ちのマロロは、一見するとコミカルな印象を受ける。しかし現在彼が浮かべている表情は暗く焦りも含まれ、話を始める前から皆の不安を煽った。
 そしてその口から告げられた言葉はマロロの表情通りの――否、もっと悪い知らせだ。
「オシュトル殿のマンションの近くで不審な車がヒトを車内に引き摺りこんで走り去る映像が記録されていたでおじゃる」
「ッ、時間は!?」
 ハクがマンションを出たのは、オシュトルがコンシェルジュから連絡を受ける三時間前。今は更に三十分ほど経っている。普段の冷静なオシュトルとは異なり鬼気迫る表情で問いかけられたマロロは「ひぃ」と息を呑むも、だからこそ事態の深刻さを理解して即座に返答する。
「今からおよそ三時間半前でおじゃ。車はそのまま街の外へ向けて走り去って、監視カメラが配備されているエリアの外に出てしまっているでおじゃる」
「となると行き先は郊外の無人になった施設か、それとももっと離れた廃棄都市に向かっているか……」
 監視カメラのおかげで大体の方向の検討をつけることはできるが、それでも捜査範囲が広すぎる。現状で動けるのは自分を含めた二係の六名のみ。建前があれである以上、別の係に応援要請を出すこともできない。
 オシュトルは強く拳を握りしめた。
 ハクが誘拐された可能性は非常に高い。しかしそれはハクを知るオシュトルだからこそ言えることであり、他の者からすれば誘拐だと断定するには証拠が少なすぎた。犯人達から連絡でもあったなら話は別だろうが、それが無い今、他を動かすことはできない。
「オシュトル殿……」
 傍らに立つマロロが心配そうな声で名を呼ぶ。
(何故……ッ、何故、ハクが)
 噛み締めた奥歯がギシリと鳴った。どうしてあの綺麗なヒトがその身を危険に晒さねばならない。理不尽な目に遭わねばならない。おまけに正義を執行するはずの自分達が彼をまともに救うことすらできないとは。あのヒトが一体何をしたというのか。
「大将、まずは肩から力を抜きな。あんたのサイコパスが濁っちまいますぜ」
 ぽんと肩に手を置かれる。ヤクトワルトだ。二係の年長者である偉丈夫は穏やかに笑って「焦るのは判るけど、まずは落ち着くじゃない」と続ける。
「今の状況じゃ他の係に応援を要請することはできない。だったら俺達だけでやるしかないじゃない? そうやって苛立っていても冷静な思考ができなくなるだけで良いことなんて一つもないからな」
「それは……そうだが……」
 ハクが危険な目に遭っているかもしれないと思えば到底平静ではいられない。最初は一人で飛び出してしまいそうになり、しかし仲間達のおかげで情報と人数を集めてからの方が良いのだと冷静さをいくらか取り戻し、そして今、人数が必要だと考えられるからこそそれができない現状にもどかしさを覚える。
 ヤクトワルトもその思考は解っているのだろう。だからこそ軽く息を吐いて「それとな」と更に話を続けた。
「一般人の旦那が誘拐される理由ってのはまだ不明だが、人質にして身代金を要求するにしろ、旦那をいたぶることが目的であるにしろ、そう遠く離れる意味はないと俺は思う。身代金目的なら特にな。街から離れすぎていると物の受け渡しにも手間がかかっちまう」
「そうやねぇ。確かに、ウチだったらおにーさん捕まえて遊んでもらうのもお金欲しい言うのも、そこそこの距離にある場所を拠点にすると思うんよ」
 ヤクトワルトの推測にアトゥイも同意する。潜在犯つまり『犯罪を行う者達の思考を理解できる者』だからこその意見だ。
 残り二人の執行官――ノスリとオウギも異論はないらしい。深く頷く姉に続き、オウギが口を開く。
「ということで、その車が走り去った方角にある郊外の廃墟から調べていきましょう。幸か不幸か該当する建物は一件、破棄された化学工場です。敷地面積は約40ヘクタール。周囲も荒れ地でヒトが隠れられるような建造物はありません。我々六人で捜索するにはいささか広すぎる感はありますが、都市一つを調べるよりははるかにマシでしょう」
 そう言って彼は自席のディスプレイに地図を表示させた。街の郊外、オムチャッコ川の下流域に存在する化学工場は数十年前まで現役で働いていたものの、技術の進歩と建物の老朽化に伴い閉鎖されため今は完全に無人だ。
 彼らの提案にオシュトルは身を焼くほどの焦りを抑えて頷く。次いでクオンに視線をやれば、「行くしかないかな」と同意を得ることができた。
「ではマロはその工場の詳細図を入手できないか試してみるでおじゃ。判ったら皆の端末にすぐ知らせるでおじゃるよ」
「ああ、助かるマロロ殿」
「よいでおじゃる、皆とマロの仲でおじゃ」
 にょほほと笑み、マロロは早速自身の領域である分析室に戻る。オシュトル達もまた素早く出動の準備を始めた。
「そう言えばオシュトルさん、ドミネーターの使用申請を出されていたんですね。許可が下りるとは思いませんでしたが」
「であるな。某もいささか驚いた。だが有り難いことに変わりはない」
「まぁそうですね」
 オウギの疑問にはさらりと答え、準備を急ぐ。それ以上部下から何か問われることもなく、オシュトルは皆と共に車両へと乗り込んだ。

* * *

 オシュトルの耳には入らなかったが出発前にとある人物達の間でちょっとした会話が交わされていた。
 普段は姉のそばにいるオウギがたまたまアトゥイの近くにおり、そのアトゥイがぽつりと零す。
「やっぱりこの人数であの広さは大変やろなぁ」
 彼女の言う『大変』は『純粋に捜索範囲が広すぎてハクを見つけるのが大変』というのと『敵と遭遇したいのに広すぎて探すのに骨が折れる』という意味である可能性が半々もしくは後者の比重が大きいと思われた。オウギは苦笑してから、それでもあえて「ええ」と肯定する。
「ですがおそらく状況的にハクさんのサイコパスは悪化しています。と言うことは、ハクさんの顔を知らない者はあのヒトをドミネーターで撃ってしまうかもしれません。そう考えれば、ハクさんの顔を知っている我々のみで動くというのも利点がありますよ」
「そうオウギはんは無理やり自分を納得させてるのけ?」
「…………鋭いですね」
「うふふふ」
 アトゥイが口元を隠して含み笑いを漏らした。
「僕だって何故かあのヒトのことが心配でなりませんので」
「そうやねぇ」
 赤髪の青年にしては珍しい心情の吐露に、両目を細めつつアトゥイは告げる。
「ウチもおんなじや」
 だから。
「絶対助けよな」
「ええ、絶対に」

* * *

 高い塀と木々に囲まれた工場はしんと静まり返っていた。
 開け放たれたままの正門には勿論警備員の姿など無く、錆の浮いた柵だけがオシュトル達を出迎える。一行は工場の敷地内に入る前に車から降りており、各自ドミネーターを装備した状態で中へと入った。また裏門の方には上からの許可がなくとも二係が使用可能な警備用ドローンを配置し、万が一犯人が逃走した際に取り逃がすことが無いようにしている。
 工場の敷地面積は約40ヘクタール。広大な敷地の大部分は原料となる石油や油脂を貯蔵するタンクと、製品を生産する場である化学プラント。それらの傍らに研究施設、事務関連の仕事が集約されている事務所、そして従業員のための寮などの建物が存在していた。
 動ける人数が限られているため、貯蔵タンクが立ち並ぶエリアとプラントは後回しにし、まずはヒトが滞在しやすそうな施設に的を絞る。六人は二つのチームに分かれ、オシュトルが率いるのはアトゥイとノスリ、クオンが率いるのはヤクトワルトとオウギ。この組み合わせで、まずオシュトルらは事務所、クオンらは寮の探索を開始した。
 侵入の少し前にマロロから送られてきた施設の詳細図によると、オシュトル達が足を踏み入れた事務所は五階建てで、エレベーター一基と階段が建物の中央付近に設置されている。一階はロビー、二階から四階がオフィス、五階が食堂、そして屋上という構造になっており、全ての階にラバトリー、また一から四の各階には小型の給湯室が設置されていた。ただし電気もガスも水道も止まっているため、どれも使えないはずである。
 しかし屋内に入ってすぐ、オシュトルらはそうではないことに気付かされた。
 建物の窓は一部が分厚いカーテンや板で塞がれ、中の光が外に漏れないようになっている。また数十年も放置されていたにしては埃の少ない廊下――頻繁にヒトが通っている証拠だ――には、業務用電源ケーブルと思しき太くて黒い配線が蛇のようにのたくっていた。
 薄汚れた壁にはペンキで書かれた「シビュラ反対」の文字。厚生省やシビュラを開発したとされる研究者への罵詈雑言なども書き殴られている。
「完全にレジスタンスの根城だな」
「ああ。ハクが無事でいればよいのだが」
「冷静さを失ったらあかんぇ、オシュトルはん」
「アトゥイにそれを言われるとはなぁ」
 ノスリが苦笑を浮かべた。戦闘で気分が高揚すると狂ったように――いっそ美しさすら覚えるほど――戦うアトゥイに冷静さを説かれるなど相当だ。
 焦っている自覚があったオシュトルは彼女の言に対し「肝に銘じよう」と返す。
 そうしてしばらく中を探っていると、寮へ向かっていたクオン達から報告があった。あちらもやはり複数人が生活している痕跡があるとのこと。窓を塞いでいたり、発電機とつながっていると思しきコードが伸びていたり、携帯食料のゴミが転がっていたりするらしい。ただしゴミの量から察するに大人数という訳でもない。多くても十人程度ではないか、と彼女は推測している。
 また寮の方にはヒトの生活する痕跡がある一方、実際に誰かと遭遇するという事態はまだ発生していない。気配もないのだとか。裏門にドローンを配備している以上、オシュトル達の接近に気付いて逃げたというのも考えにくく、もしかしたら全員で敷地内のどこか別の場所に集まっているかもしれないと、彼女は報告に付け足した。
『気を付けて、オシュトル。全員そっちの建物にいる可能性があるかな。プラントの方かもしれないけれど』
「心得た。十分気を付けよう。クオン殿達も気を付けられよ。それから、そちらの捜索が終わり次第こちらに合流してくれ」
『了解したかな』
 通信を終え、先に進む。寮よりも事務所の方が規模は大きいため、捜索の完了にはまだ時間がかかりそうだった。
 オシュトル達は三階へと移動する。ここでちょうど半分。ノスリが先行し、アトゥイが続く。オシュトルはしんがりだ。
「三階東側会議室、クリア。次へ移動する」
 一ヶ所ずつ誰もいないことを確認して次の部屋へ、地道に探索を続ける三人。だがその最後尾にいたオシュトルは私用の携帯端末が震えたのに気付いて足を止める。本来、任務中であればこちらの電源を切っておくのだが、マンションのコンシェルジュやハク本人から連絡があった時のことを考えて、着信音だけ切った状態で電源をつけっぱなしにしていたのだ。
 オシュトルの動きには気付かずに二人は先へ進んでしまう。ノスリ達を呼び止めることもできないほどオシュトルの意識は端末の方に集中していた。発信元の番号がハクの端末のものだったからだ。
 ひゅっと息を呑んだ後、オシュトルは端末の画面に触れて応答する。電話の向こうにいるのがハクである可能性は半分、そしてもう半分は――。
「……ハク?」
『やぁどうも、オシュトル監視官。ご機嫌いかがかな? おっと、大声は出すなよ? 用があるのはお前一人だからな』
「ッ、貴様は誰だ」
 声を潜めながら鋭い口調で誰何する。
 電話の相手はハクではない。ハクの端末を使って別の男が電話をかけてきていた。
『誰だ=H 判って言ってるなら性質が悪いぜ、公安のワンコちゃん』顔を見るまでもなく焦っていると判るオシュトルの声に電話の向こうの男は嘲弄する。『まさかこうも早くここを嗅ぎつけられるとは思わなかったが、ま、目的の野郎が来るのを待つ手間が省けたと思えば儲けモンだ』
「何を言っている」
『あったま悪ぃなぁ。それとも、これもワザと言ってんのかい?』
「だから貴様は何を――」
『つーまーりー!』オシュトルの声を遮るように、男が悪意まみれの声で告げる。『俺達はお前を誘き寄せるために、お前の大事なオトモダチにちょーっとここまで御足労頂いたってこった!』
 その台詞の直後、施設内に大きなブザー音が鳴り響いた。少し離れた所にいたノスリ達が「なんだ!?」「何事やぇ!?」と叫んでいる。通信機器からもクオン達の驚く声が聞こえていた。しかしそれらは天井から下りてくる防火シャッターの音によりほとんど掻き消されてしまう。
「しまっ……」
『お招きしたいのはお前だけなんでね。他の奴らはそこでお留守番だ』
 防火シャッターを操作し公安局の刑事達を分断・隔離した犯人が告げる。端末の向こうでニヤニヤといやらしい笑みを浮かべているのは明らかだ。
 この施設はおそらく反シビュラのレジスタンスの根城になって久しい。施設の改造も進んでいたことだろう。彼らはオシュトル達の侵入にも早々に気付き、そしてメンバーを分断する好機を狙っていたのだ。
 見事相手の術中にはまったオシュトルは唇を噛む。相手の口ぶりからすると元々はオシュトルだけをこの工場に呼び出す予定で、しかし脅迫する前にここを嗅ぎつけられたため、急遽この分断という手段を取ったようだった。
「……ハクは無事なのか」
 やはりハクは拉致されており、おまけにその原因はオシュトルにあったと聞かされた今、オシュトルの声は震えていた。犯人への怒り、拉致の原因が己であったことへの苛立ちと防げなかった後悔、そしてハクを失うかもしれないという恐怖が渦巻き、躰の中で荒れ狂う。
『ん? んん〜お前の大事なオトモダチな。おうおう、無事だせ』
 下卑た声で男は告げる。「証拠は」と問えば、すぐに画像データが送られてきた。薄暗い場所に寝かされたハクは気絶しているように見える。判りやすい傷などは写っていなかったが、服が汚れており、オシュトルの背からうなじにかけてカッと熱が走った。
「ハクに何をした」
『おいおいワンコちゃん、質問ばっかりしてるけど、自分が今どういう立場にいるのかちゃんと解ってんのか? オトモダチを無事返してほしいなら、大人しく俺達の言うことに従いな。ほら、イエスならワン。ノーならワンワンだ』
「なにを、」
『二度も言わせるな、犬っころ。お前の大事なハクちゃんがどうなってもいいのか?』
「……ッ」
 オシュトルは歯を食い縛る。そしてその歯の合間から絞り出すように、相手の要求に答えた。
「わ、ん」
『くっ、あはははは! そうだ、それでいいんだよ公安の狗! よし、それじゃあ今から言う場所に来い。そこでオトモダチと会わせてやるさ!」
 ドミネーターの銃把を強く握り締める。
「承知、した」
「違ぁう! そうじゃないだろう?」
「……ワン」
 絞り出した言葉に、犯人がまた愉快そうな笑い声をあげた。


 誘拐犯の指示通りに広大な化学プラント内を進めば、柱のない広い部屋に辿り着いた。工場が現役の頃にはおそらく数多くの機器が並び、稼働していたのだろう。しかし今はそれらのほとんどが撤去され、残った一部は端に積み上げられて、うら寂しい気配だけを漂わせていた。
 そして廃棄された機械が積み上げられた小山の前に人影が三つ。細身の男はその山から引き抜いたと思しき薄汚れた鉄パイプを持ち、入ってきたオシュトルを見据えている。「ようこそ、オシュトル監視官」と告げた声は電話で聞いたそれだった。
 だがオシュトルの意識は鉄パイプの男ではなく、その隣へ。一人は誘拐犯の仲間だろう。そしてそいつの足元に転がされている人物こそ、
「っ、ハク!」
「動くなよ」
 駆け出しそうになる足を誘拐犯の声が止める。声を発した鉄パイプの男は何もしなかったが、もう一人の中肉中背の男が目を閉じているハクの薄い腹に足を乗せた。そのままぐっと体重をかければ、ハクの表情が歪んで小さな呻き声が漏れる。
「やめろ!」
「だったらお前は勝手に動くな。俺達の言う通りにしろ」
「……っ」
「そう、それでいい」
 細身の男は鉄パイプを己の肩に担げ、ニヤリと口の端を上げた。
「まずはその黒い銃……ドミネーターだっけ? そいつをこっちに渡してもらおうか」
 オシュトルは無言で要求に従い、ドミネーターを床に置いて前方へ滑らせる。足元に届いたそれを男は空いている方の手で拾い上げ、少ししてから「ふん」とつまらなさそうに呟いた。おそらくドミネーターの生体認証機能で適正ユーザーではないと判断されたのだろう。男は使えないと判ったそれを手から離す。ガシャン、と音を立ててドミネーターがハクのそばに落下した。
「まぁいいか。よし、その場で両膝をついて両手を背中に回せ。……お前ら、公安の狗を拘束しろ」
 両膝をついて手を背側に回したオシュトルの元へ、小山の陰から新たに出てきたレジスタンスのメンバーのうち二人が近付く。そして手にしていた縄でオシュトルの両手を縛ったかと思うと、側面から思い切り頭を殴りつけてきた。
「――ッ!」
 まともな受け身を取れるはずもなく、強い衝撃が全身を襲う。
 ぐらぐらと揺れる頭でかろうじて聞き取れたのは、「オトモダチを無事に返してほしいなら抵抗するな」という細身の男の声。その言葉だけでオシュトルは容易く全身の自由を奪われる。
 床に伏したまま見上げた先にはオシュトルを殴り飛ばしたと思しき拳を握った体格のいい男。反対側には短髪の女がいた。女の方はバールのようなものを手にしている。オシュトルは首を巡らせ、未だ気絶したままのハクを視界に捉える。その傍らにいた細身の男がニヤニヤとこちらを見たままもう一人に指示を出し、中肉中背の男がハクの両手足を縛っていた縄のうち手の方を解く様子が窺えた。それを確認してオシュトルは目を閉じる。
「そうそう、大人しくしていればこいつを解放してやるよ」
 細身の男は嘲笑を浮かべ、自らもまた鉄パイプを持ったままオシュトルの方へ歩き始めた。カラカラと鉄パイプが床と擦れる音が屋内に響く。
 ゆっくりと歩く男の唇の唇が
 ―― な ん て な 。
 嘲るようにそう動いたのをオシュトルが見ることはなかった。


 痛みが全身を苛んでいる。オシュトルが無抵抗なのをいいことにレジスタンス達は三人がかりで殴る蹴るの暴行を加えていた。右足はすでに動かない。動かそうとすれば激痛が走る。おそらく骨が折れているのだろう。
 しかしオシュトルの目から光が消えることはなかった。大人しく殴られていると、最初にハクの腕の拘束が解かれたのに続き、足の方も解放されたのである。あとはハクが目覚めれば自分で動けるようになるだろう。そう信じてオシュトルは耐える。ハクを思えば、自身に与えられる痛みなど苦ではない。
 それでも暴行により意識が徐々に朦朧としてきた。レジスタンス達もそれに気付いたのだろう。一旦動きを止め、細身の男が床に伏したオシュトルの躰を蹴って転がす。
「ふん。ムカつく目だ」
「ハクを、早く……」
「自分よりオトモダチ、ねぇ。サイコパスもまだ濁っていなさそうだし、流石は監視官サマだ」
 虫唾が走る、と男は唇を動かした。だが不機嫌そうなその表情がニンマリと気味の悪い笑みへと変わる。
「おい、次だ」
 彼が視線を向けたのは廃棄された機械でできた小山の前に転がされているハクと、未だそのそばで見張っている中肉中背の男。しかしそれだけではない。新たに小山の陰から三人の男女が現れ、ハク達の元へ。うち一人は中身の入ったバケツを持っていた。
 その雰囲気から彼らが気絶しているハクを外へ運び出してくれるなど到底考えられない。脚も折られて動けないオシュトルは「何を……!?」と焦りの表情を浮かべる。
「やれ」
 オシュトルのそばで男が命令を出す。バケツを持ったレジスタンスの一人がハクの顔の真上でそれをひっくり返した。ぶちまけられたのは汚水。茶色く汚れた水が降り注ぎ、むせたハクがようやく目を覚ました。
「ッ、ごほっ、げほっ、……ッ、は」
「ハク……!」
「……、おしゅと、る」
 躰を丸めてゴホゴホとむせていたハクが傷ついたオシュトルを見て顔をしかめる。白い肌に汚れた雫が伝い、濡れた髪や服はべったりと薄い躰に貼り付いていた。
 その身を捩ってハクがどうにか上半身を起こす。再会の喜びも救出への安堵もなく、床につけた拳が力を籠めすぎて震えていた。
「ハク……?」
「すまん。オシュトル、逃げ――」
 最後まで言い切ることなく、ハクの髪が後ろにいた人物に掴まれる。痛みに顔をしかめるハクはそれでもオシュトルに逃げろと叫ぶが、明瞭な言葉となる前に細い躰は蹴り飛ばされて床の上を転がった。
「やめろッ! 貴様ら、やめろと言っている! 約束と違うではないか!!」
 傷ついた躰で、血を吐かんばかりの勢いで吠えた。
 糸の切れた人形のように蹴り飛ばされたハクを見て目の前が真っ赤に染まる。しかも一度だけでは済まない。右に転がれば左へ、左に転がれば右へ、まるでボール遊びだ。オシュトルが駆け寄ろうとしても折れた脚は動かず、それどころか背中を踏みつけられて肺から息が搾り取られる。
「ハ、クッ」
 床に伏したまま伸ばした手。その指さえ、ごきゅり、と踏み潰された。

* * *

 予想した通りだ、とボールのように蹴り転がされながらハクは胸中で呟く。鈍い打撃音に混じって聞こえるのはオシュトルの「やめろ」という叫び声。しかしそれすら不意に途切れるのは、彼もまた暴行を受けているからだろう。ハクがなぶられている姿を見せるために加減はされているだろうが。
(まずいな……このままだと本当に死ぬ)
 全身が痛い。吐き気がする。いや、実際に吐いているかもしれない。口の中は血の味ばかりだけれど。それに熱い。苦しい。でも同時に寒くて躰が震える。おまけに断続的に意識が飛ぶ。しかしハクの思考は妙に冷めており、我が身に起こっている事実を至極客観的に捉えていた。
 『マキア』の連中はまんまとオシュトルを誘い出し、その躰の自由を奪った上でハクをいたぶり、彼のサイコパスを濁らそうとしているらしい。事実、オシュトルの声は今まで聞いたことが無いほど必死で、まるで狂ったように吠える獣だった。このままでは彼が壊れてしまう。
(ダメだ)
 冷めた思考を続けるのとは別の場所で、思う。
 あれは、オシュトルは、ハクにとっての全てだ。何もかもを失った己に全てを与えてくれたヒト。存在理由など無かったハクを求め、ここにいてもいいのだと居場所を作ってくれたヒト。それが損なわれるなど、世界がひっくり返ってもあってはならない。
「オシュ、ト――」
「まだ喋る余裕なんてあんのかよ」
「ガッ、あ!?」
 ひときわ強く蹴り飛ばされる。「ハクッ!」とオシュトルの叫び声。嘲笑するマキアの残党達。ハクの躰は動かない。が、その指先に触れるものがある。
「貴様らッ……殺す。殺してやる!」
「はっ、できるもんなら」
 黒く塗り潰されるような怨嗟のこもった声。ハクの大切なものが穢されていく。汚れていく。黒く、黒く、深淵へと転がり落ちるように塗り潰されていく。
(そんなのは、ゆるさない)
 指先が触れた硬いもの――大型拳銃状のそれを引き寄せる。残党達はろくに動けぬ傷ついた躰で怨嗟の声を吐き続けるオシュトルを更に痛めつけ、ニヤニヤと笑いながら見下ろしていた。最早ハクなど眼中にない。
 ハクはゆっくりと身を起こす。ドミネーターの銃把を握り締めれば、漆黒の銃はハクの生体情報を読み取ってその耳に指向性音声を届けた。
《携帯型心理診断・鎮圧執行システム『ドミネーター』、起動しました。ユーザー認証、識別コード:ディアレスト。適正ユーザーです。貴方にはシビュラシステム開発者より最上位権限が付与されています。執行モードを選択してください》
 有り得ないはずのその反応をハクは当然のように受け止める。躰の痛みとは反対に、思考はやはり冷めていた。己がこれからしようとしていることへの忌避感などとうにない。まるでそういうスイッチでも入ったかのように、本能的に持っているはずの恐怖は全て利己的な意思と絶対的な理性が押し潰していた。頭の中に残ったのは『己の欲求達成のために最適な手段』のみ。
 ハクは腕を持ち上げ、銃口を己のすぐ傍にいる人影へ向けて。
 告げる。

* * *

「モード選択、リーサル・エリミネーター」
 広い空間に凛と響く声。
《受諾しました。執行モード、リーサル・エリミネーター。慎重に照準を定め、対象を排除してください》
 その指向性音声をオシュトルの耳が聞き取ることはなかったが、明らかな変化を蘇芳の双眸は捉えていた。
 一瞬にしてドミネーターが禍々しい姿へと変形する。
 本来ドミネーターが使用者にモードを選択させるなど有り得ないことだ。執行モードの選択は一貫して対象者の犯罪係数に依存する。麻痺効果を持つパラライザー。シビュラ導入前の死刑に相当するエリミネーター。そして潜在犯への刑の執行とは別に、ドミネーターの使用者に危険が迫った場合その危険を排除するための分子分解銃モード、デコンポーザー。その三種から自動的に最適な形態を取るのである。しかし今、ハクが持つオシュトルの物だったはずのドミネーターは、銃把を握る者を適切な使用者と認め、その命令に従って形を変えた。
 レジスタンスの面々が異変に気付いてハクの方を振り向く。しかし遅い。ハクは立て続けに四度、すぐそばにいた四人のヒトに向かってトリガーを引いた。
「ひっ、」
「そんな」
「やめ」
「たすけて」
 その懇願に意味はなく。

「却下だ」

 罪人を断罪する神の如き、絶対的な声だった。
 ハクを最初にいたぶった中肉中背の男も、後から現れた三人の男女も、皆一様に躰を破裂させて絶命する。パンッと阿呆のような破裂音に続き、ハクの周囲に生温い真っ赤な雨と細かく千切れた肉片が降り注いだ。汚水に汚れていたハクの躰も赤黒く塗り直されていく。
 同じく赤黒く濡れたドミネーターの銃口が次いでオシュトルのそばにいた三人に向けられる。レジスタンス達が一歩後ずさった。仲間達の末路に顔を青ざめさせ、まず短髪の女が出口に向かって走り出し――
 破裂音が三度。
 直後、オシュトルもまた血の雨をあびる。だがそれに構わず、オシュトルはずっとハクを見ていた。
 血に濡れた彼は背筋に震えが走るほど、
(うつくしい)
 銃を掲げていた腕を下ろし、よろよろと足をもつれさせながら近付いてくるハク。オシュトルを見つめる瞳はほっと緩み、伸ばされた指先は赤黒く穢されて尚、清らかだった。
 しかしハクは己の指先を視界に入れた瞬間、その表情を強張らせる。まるで夢から覚めたかのように。
「ハ、ク……?」
 汚れた指先に気付いたハクは己の躰を見下ろし、血が染み込んで重くなった布地に一瞬、息を止めた。
「ハク?」
「ぅ……あ、あ。すまん。すまない、オシュトル」
 手を伸ばしてくれたハクに応えようとオシュトルもまた腕を持ち上げていたのだが、それを拒むようにハクは首を横に振る。謝罪を繰り返し、焦れたオシュトルが力を振り絞って痩身を抱き締めても声が止むことはなかった。
「すまない。オシュトル、すまない……」
「ハク、如何したのだ。何を謝る。其方は何も悪いことなど――」
「最悪なことをしたじゃないか」
 今にも泣きそうな声でハクが告げる。
「この身はお前のものなのに、こんなにも汚してしまった。この手で、ヒトを殺してしまった」
 先程までのいっそヒトとしての領域を超越したかのような雰囲気は失われ、ハクはただ小さく躰を震わせた。弱々しいそれは、けれどもあの夜オシュトルの心を救ってくれたものと同じやわらかさを持っている。
 ゆえにオシュトルの胸にこみ上げてきたのはハクが恐れる嫌悪や忌避感ではなく、ただ愛おしいという感情。
 折れた指でハクの躰を掻き抱き、紡がれる言葉に耳を傾けた。
「オシュトル……おしゅ、とる」
 血に濡れた指先がオシュトルの背を掻く。
「ヒトを、殺した。死んで当然だと、死んでしまえと、願って、殺した。殺さずに済む方法もあったのに、わざと殺したんだ。とても利己的で、汚い、考えで。こんなのじゃ……お前の隣に立つ資格なんて、ない、はず……なのに。オシュトル、オシュトル、それでも……」
 オシュトルはハクに何度も何度も名を呼ばれながら幼子のように縋られて、

「自分はお前に捨てられたくない」

 限りなく美しいその願いに心が震えた。







2016.04.03 pixivにて初出