「なるほど。こっちは被疑者を捕まえるだけ捕まえて、あとは全て御上に取られちゃうって訳かな」
 ドミネーターが上手く作動しない今、刑事課二係は五人を殺害した事件の被疑者である少年を生かしたまま捕縛し、その身柄と以後の捜査権限全てを厚生大臣直下の特別班に移譲せよ。その命令が二係のオフィスに戻って来たオシュトルの口から伝えられると、クオンは腕を組んで溜息を一つ吐き出した。
「それってつまり俺達には何も知らされないってことですかい?」
「ああ、その通りであろうな」
 ヤクトワルトの言にオシュトルは首肯する。
「しかしこれは局長直々の御命令だ。違える訳にはいかぬ」
「ま、大将の言う通りか」
 所詮自分達は大きな組織に組み込まれた歯車の一つでしかない。上の者の命令には絶対服従が基本だ。特に潜在犯であり一歩間違えれば隔離施設に逆戻りさせられてしまう執行官達にとって上からの命令というものは大きい。
「オシュトルさんが先程局長室へ赴かれた時、局長から詳しい説明はなかったんですか?」
 オウギが薄く目を開きながら尋ねる。
「某にも何故このような事態が起こっているのか一切説明されなかったのだが、局長……いや、もっと上の方々には、我らには想像もつかぬ理由があるのやもしれぬ」
 部下からの問いにオシュトルは焦ることなくそう答えた。あの広い部屋で聞かされた真実は胸の内に仕舞い込み、ただ必要なことだけを皆に伝える。
 信頼を置く仲間達に嘘を吐くのは心が痛んだが、口を噤むことこそ彼らのためになるのだとオシュトルは理解していた。もし己が不用意な発言をしてしまえば、最悪、それを聞いた者は存在を消されかねない。それほどまでに重要な秘密なのだから。
「仕方ないかな」
 ぽつりとクオンが呟いた。
 素早くオシュトルを一瞥した明るい色の瞳には、上からの命令を機械的にこなすだけの無機質さや愚鈍さではなく、命令の裏にある何かに勘付いている様子が見て取れる。しかしあえてそこを追求し、藪から蛇どころか悪竜を引き摺り出して周りを巻き込むことをクオンは望んでいないようだった。
 オウギもまた彼女に倣い「ですね」と頷く。
 各自思うところはあるだろうが、クオンもヤクトワルトもオウギも今回言い渡された任務を蹴るつもりはないようだ。そのことにオシュトルは内心でほっと息を吐いた。
「そちらのお二方もよろしいか」
 続いて、アトゥイとノスリの二人に向けて尋ねる。
「まぁ、ウチは刑事課(ここ)で楽しく戦えるんやったらそれで構わへんよ。今回はちょっと物足りない感じもするけど」
 そう言ってはんなりと微笑むアトゥイ。上層部に逆らって味気ない隔離施設に戻されるよりは、多少の不信感はあれど執行官として犯罪者と戦り合う方が性に合っているということなのだろう。
「異論ない。それが局長のお決めになったことなら私も従うさ」
 アトゥイとは全く違う論点であるものの、義を重んじ、何より人々の安寧を願うノスリもまた頷いた。今はとにかくあの殺人犯を野放しにしておく訳にはいかないのだから、手柄が他人に取られると解っていても、また事の背後に違和感を覚えても、とにかく対象の身柄の拘束が第一。上から犯罪係数が規定値以下の対象者の捕縛を許可されたこの機会を逃すわけにはいかないと、その青い目が語っている。
 全員の意思の確認を終え、オシュトルは「うむ」と一度深く頷いた。
 被疑者の行方を追っている総合分析室からはもう間も無く調査結果が出ると知らせが届いている。いつでも出動できるよう各自に告げ、オシュトルもまた気合を入れ直した。
 そんな二係の様子を見てタイミングを計っていた訳ではないだろうが、ややもせずオシュトルの端末に連絡が入る。内容を確認したオシュトルはすでに予想がついているであろう面々に向けてはっきりと告げた。
「総合分析室から報告で、被疑者が見つかったそうだ。二係、ただちに出動する」
「「「「「了解」」」」」

* * *

 公安局がやって来たもののドミネーターのトリガーを引くことはなく、したがってやはり己の行動は正しいものだったのだという確信を強めた少年は、第六の殺人を犯そうと準備を進めていた。
 荷物はインターネットカフェから逃げ出す際に置いてきてしまったため、全て新しく購入している。携帯端末が腕時計型の物だったことが幸いして無事に持ち出せており、それを使って電子マネーで支払った。そんなことをすれば足がつくのは確実なのだが、少年に気にした様子はない。己の正義を成す。今の少年にはそれが全てだったのだ。
「ここか」
 朝の光が降り注ぐ街の雑踏の中、足を止めて見上げたのは複数の会社が入っているオフィスビル。その一つに務める若い男性が最近上司のパワーハラスメントに困っていると某コミュニティサイトで愚痴を漏らした。少年はその若い男性に接触し、親身なフリをして情報を聞き出して今に至っている。
 力を持っている者が弱者を虐げる。それは少年にとって許しがたい悪だ。徐々に治りかけている頬の痣が痛みを増した気がして少年は小さく顔をしかめる。その頬をガーゼの上からひと撫でし、少年はビルの中に足を踏み入れた。
 ガラス製の自動ドアが開き、空調の効いた暖かい風がふわりと少年の横を通り過ぎていく。カツリと妙に高く少年の足音が響いた。そして背後で閉じるドア。三階分の吹き抜けになっている正面エントランスには人っ子一人見当たらない。
「……は?」
 本来ならばスーツ姿の社会人で溢れ返っているはずのこの場所を少年は唖然とした表情で見回す。ターゲットが出勤してきたところを狙うつもりだったのだが、もしかして今日は休日だったのかと寝不足気味の頭で考えた。しかしすぐに違うと思い直す。たとえ休日だったとしてもビルに入っている全ての会社が休みになっている訳がない。
 では何故なのか。
 脳裏をよぎったのは、公安局の刑事らが突入してきた時、無人になっていたインターネットカフェの店内で……。
「っ、まさか!」
 気付いた時にはもう遅い。
 背後の自動ドアは最早少年が近付いても開くことなどなく、そしてビルの奥から黒いスーツをまとった六人の男女が厳しい表情で姿を現していた。

* * *

「離せ! 離せよッ!」
 逮捕劇は実にあっさりとしたものだった。
 最初からドミネーターが役に立たないと判っていれば困惑して動作に隙ができることもなく、まずは素早い動きが得意なオウギがナイフを取り出した少年の手首を叩いて凶器を手放させ、すかさずヤクトワルトが対象者をうつ伏せで床に押さえ付けて、しっかりと体重をかけつつ後ろ手に拘束した。
 喚く少年の前にオシュトルが立ち、「五人の殺人事件の重要参考人として共に来てもらおう」と言い放つ。当然少年は「ふざけるな!」と声を荒らげたが、これは任意同行という名目の強制だ。クオンが支給されていた麻酔薬を少年の腕に注射すれば、暴れていた少年は呆気なく昏倒した。
 ヤクトワルトが離れると、代わりに専用のドローンが少年の身柄を拘束し、そして運搬するため持ち上げる。結局出番のなかったアトゥイがノスリと共に暇そうな顔をしてそれを眺めていた。
「で、この後ウチらはどうしたらいいのけ?」
「移送中に護衛が必要ならこちらはまだ働けるが……」
「被疑者の移送には某のみが同行しよう。皆はもう休んでくれ」
 ドローンが向かうのはヘリを留めているこのビルの屋上である。それに付き添いながらオシュトルが答えた。
 注射器のキットを仕舞ったクオンが「でも」と眉間に皺を寄せる。残りの仕事をオシュトル一人に任せるのが心苦しいらしい。しかしオシュトルは首を横に振って僅かに笑みを浮かべてみせた。
「昨日からまともな休息を取れておらぬであろう。なに、心配は要らぬ。これくらい某一人でも十分だ」
「まぁ大将がそう言うなら大丈夫かとは思いますが……いいんですかい? 大将だって疲れているでしょうに」
 ヤクトワルトにも気遣われ、オシュトルは嬉しいやら、申し訳ないやらで微妙な心地になる。しかしこれは一人で行かなければならないことなのだ。他の者と免罪体質者との関わりはなるべく少なくするよう局長からも言われている。
「だからと言って其方らをわざわざ付き合わせる必要もあるまい。移送中に被疑者が目覚めるはずもなく、たとえ目覚めたとしてもこうしてドローンに拘束されていては動けまいよ。したがって護衛は不要だ。此度は色々と無理を聞いてもらっているからな、あとは某に任されよ」
「ふっ……了解しました。ではオシュトルさん、お気を付けて」
「ああ。……クオン殿、皆の付き添いを頼む」
「判ったかな」
 執行官である四人が自由に散開できるはずもなく、当然現場からノナタワーへの移動にも監視官の付き添いが必要となる。オシュトルの言葉にクオンが頷き、皆を率いてビルの正面玄関へと足を向けた。
 オシュトルもまた被疑者を拘束したドローンらと共に屋上へ行くためエレベーターに乗り込む。そうして扉が閉まり、皆の姿が見えなくなると、
「移送が完了した後は本部の地下四階へ……? どういうことだ」
 局長のミトから直接届いたメールを確認し、訝しげに眉根を寄せた。
 厚生省の本部ビルであるノナタワーは街のシンボルにもなっている超高層建築物であり、地下四階というのはタワーの最下層部に当たる。地下部分はほぼタワーの空調や電気設備のための空間だったはずだ。上階にある局長室に再度呼び出されるならまだしも、何故そんな所が指定されているのかオシュトルにはさっぱり見当がつかない。
 しかしながら行かないという選択肢などあるはずもなく。オシュトルは最上階に到着したエレベーターから降り、ドローンと共に要人護送用の頑強な無人ヘリに乗り込んだ。


「おお、来たか。待っておったぞ」
 厚生省本部ビル『ノナタワー』の地下四階、地上部の洗練された内装とは異なり鉄板が貼られただけの床の上にその老人は立っていた。彼の人物はいつも椅子に座っており、移動の際には車椅子を用いていたとオシュトルは記憶していたのだが、さてこれはどういうことかと目を見開く。
「局長、脚の方は……」
「義体じゃよ」
 ミトはそんなオシュトルの様子になんとも軽い調子で答えた。
 サイボーグ化は科学技術が進んだこの社会においてさほど珍しいことではない。無論、己の肉体を一部とはいえ武骨な機械と取り換えるなどとんでもないと忌避する者もいるため、足が不自由なまま生活を送っていたとしても何ら奇妙には思われないだろう。現にオシュトルもミトは無暗な機械化を好まないタイプの人物だと思っていた。
 が、それは思い違いだったらしい。足が不自由だと偽っていた理由は定かではないが、こうして二本の足で立っているということは、少なくともミトの脚が機械化されているというのに他ならない。
「少年の件は上手くやってくれたらしいな。期待通りの働きだ、オシュトル監視官」
「はっ、ありがとうございます」
 そう言ってオシュトルは一礼する。顔を上げればミトが微笑みを浮かべており、「ゆえに」と口を開いた。
「お主のフェイズをもう一段上げることにした」
「ふぇ、いず……?」
「こちらだ。ついて参れ」
 オシュトルの疑問に言葉で答えることはなく、ミトが背を向けた。彼の目の前にあるのは巨大な壁だ。壁はヒトの身長程度の大きさもあるブロック状の壁をいくつも組み合わせることで形成されており、ミトはそのうちの一つに何気なく手を触れさせる。すると本来ならばそこで止まるはずの老人の手が手首までずっぽりと潜り込んでしまった。
 驚きに固まるオシュトルへ皺に埋もれた深い琥珀色の双眸が向けられ、早く来いと無言で促す。オシュトルの足はぎこちなく動き出し、足先、二の腕、胴体、そして頭部とどんどん壁の中へ埋まっていくミトを追いかけた。そして己もまたその壁に触れると、
「これは……ホログラムか」
 そのブロック状の壁一つだけ本物の壁ではなく、ホログラムで隠された出入り口であることが判る。紛うことなく隠し通路だ。常時開放されていてはメンテナンス業者などが誤ってここを見つけてしまう可能性があるため、おそらく必要な時にのみ通行可能となるのだろう。
「スライディングブロックパズルを知っているかね。ここはそれと同じ様式で開閉するようになっておってな」
 オシュトルがついて来ているのを足音で察しながらミトが薄暗い通路の前方を見つめたまま答える。それを聞いて「なるほど」とオシュトルは思った。この地下エリアの壁が全面ブロック状のデザインになっているのは、メンテナンスの容易性を優先したからではなく、ただ単純に今通って来た出入り口のためだったのだ。
 そこから先はしばらく無言で歩き続けた。
 ミトの後に続いて進む道は狭い通路や階段があり、とても車椅子では移動できないものになっている。彼がいつもの車椅子に座った状態で現れなかったのはこれが理由なのだろう。使用した階段はどれも下りで、ノナタワーの構造が公式に発表されている地下四階よりももっと深いものであったことが判った。
 また地下なので当然太陽の光が届くことはなくオシュトルは自分が一体どれくらい歩いているのか解らなくなってきていた。今は何時くらいだろうかと腕に嵌めた端末を確認するが、
(エラー? 電波が届いていないのか)
 時刻は正午過ぎ。しかし気になったのは画面の右上に表示された通信エラーの文字である。地下四階部までは普通に使えていたのだが、どうやらその先――ホログラムで隠された出入り口からこちらは電波暗室になっているようだ。
 よほど外部に漏らされては困るものがこの先には存在しているのか。ミトが最初に告げた「フェイズをもう一段上げる」というのはそれに関係していることなのか。疑問ばかりが積もっていく。
 それに不思議なことと言えば、ミトの体力もそうだ。彼はどこからどう見ても老人、また公開されているプロフィールも相応の年齢である。だと言うのに、二十代のオシュトルが少々疲れ始めるほどの距離を歩いた今もなお、彼は少し散歩に出ているかの如く軽い足取りで進んでいる。息も上がっていない。
(まさか脚だけでなく全身義体……)
 それならば息が上がらないのも有り得ることだ。しかし生身のヒトと見紛うばかりの精密な全身義体とは余りにも高レベルすぎる。そんなテクノロジーは未だ一般化されていない。世間的に知られている全身義体はどうしても生身と比べて違和感が付きまとう代物だ。しかしミトの姿は誰がどう見ても生きているヒトのもの。
(なんだ、これは。某は何を教えられようとしている)
 背筋を嫌な汗が流れ落ちた。
 昨夜から異常なことばかりだ。免罪体質者、シビュラの欠陥、厚生大臣直下の特別班などという訳の分からない組織への被疑者移送、フェイズという言葉、そして世間に出回っているものとは一線を画した精密な全身義体――。一睡もせず疲労しているオシュトルの脳にもたらされる情報はすでにキャパシティーオーバーもいいところである。いっそ疲労を理由にここで倒れてしまった方がまだマシなのではないかとすら思えた。倒れてしまえば、これ以上不穏な情報に触れずに済む。
 しかし神というものがいるならばそれはあまりにも非情であり、オシュトルが疲労で倒れることもなければ、またミトが歩みを止めることもなく。二人はノナタワーの地下深くにあるそこ≠ヨと辿り着いた。
「ここが目的地でしょうか」
「ああ、そうだ」
 答えたミトの正面にあるのは特別頑丈そうな壁で覆われた区画。電子ロックがかかった分厚い扉を開錠すれば、開いた扉の向こうから明るい光が漏れ出す。それまで薄暗い空間を歩き続けていたオシュトルは突き刺すような光に顔をしかめた。
 中へと入るミト。それに続くオシュトル。そして、
「――なっ」
 扉をくぐった先、光に慣れてきた目が捉えた光景にオシュトルは言葉を失う。
(なんだ、これは)
 そこにはあまりにも異様な光景が広がっていた。
 明るく広い空間には自分達以外の人影などなく、しかし代わりにアーケードゲームのUFOキャッチャーの如く部屋中に伸びたレールを伝ってアーム状の装置が常時忙しなく動いている。その装置が掴み上げて運んでいるのは、オシュトルらの足元に広がる水槽から取り出した透明な直方体のケース。ケースの大きさは目測で30センチ×30センチ×50センチ程度だろうか。子供ならば一抱えもしそうなサイズである。水槽にはそのケースが何十・何百個と沈んでおり、一部がアームによって水槽から飛び出した台座に乗せられていた。
 そして何よりも異様だったのは、そのケースの中身である。ケースは淡く黄色味を帯びた液体で満たされ、その液体の中に浮かんでいたのは、
「ヒトの……脳……?」
「その通りだ。あれらは全てヒトの脳。そしてこれこそ――」
 オシュトルを振り返ったミトが口の端を持ち上げる。

「シビュラシステムの正体だ」

 表向き、シビュラシステムは大量のスーパーコンピューターの並列分散処理であると公表されている。一般のコンピューターではできない膨大な量の情報を処理するからこそ、シビュラはサイコパスを計測することができるのだ。
 そう、シビュラはスパーコンピューターの集合体。無機質なものの集まり。そのはずだった。
 けれどもオシュトルの目の前に広がっているのは二百人以上ものヒトの脳を利用して作られた『生きた演算装置』。
「サイコパスの中には実際に機械が処理しているものもあるがな。しかしコンピューターなどの通常の機械プログラムではストレス計測の色相判定が精々だ。犯罪係数などといった複雑なヒトの精神や心理に関わる計測は脳ユニット機関が担当しておる」
「これ、は。何なのですか。なぜ、某にこれを――」
「言っただろう。フェイズを一段上げる、と。お主は此度の功績でフェイズ2へと格上げになった。『シビュラシステムの正体を知る者』にな」
 そしてもう一つ、とミトが部屋の奥に視線を向けた。そこにあったのはちょうど新しく室内に運び込まれてきたケース。勿論、その中には培養液と思しき薄黄色の液体とヒトの脳が詰まっている。
「あれはお主が先程確保した少年の――……免罪体質者の脳だ」
「ッ!?」
 ミトの視線を追ってアームに運ばれていくケースを見ていたオシュトルが勢いよく顔を戻す。嫌な汗が背と言わず全身を濡らし、血の気が下がっていくような、逆に全身に血が巡っていくような、何とも言えない感覚がオシュトルを襲った。
 だがミトは平然として説明を続ける。
「ここにある脳――生体ユニットは全て免罪体質者の脳だ。ほとんどは罪を犯しながらも犯罪係数が規定値を越えず、それ故に免罪体質者だと判明した者達の……な。シビュラはこうして新たに見つかったイレギュラーこと免罪体質者の生体脳をユニット化し、システムに取り込むことで、思考力と機能を拡張し、より膨大で深化した計算処理を可能にしてきた。今は全部で247……いや、一人増えたから248だな。248名分の脳がシビュラシステムに組み込まれ、そのうち常時200名程度が順番に接続・通信・統合されて稼働しておる」
 先程から働いているアームはその脳ユニットを入れ替えるためのものだ、と事も無げにミトは言ってみせた。
 深い琥珀色の双眸は顔面を蒼白にしたオシュトルをじっと見つめる。だがその視線は局長室で向けられた見定めるための視線ではない。すでに裁定を下した後――……オシュトルの行動を十二分に予期した上でのものだった。
「オシュトルよ」
 ミトが再び口を開く。
「お主はシビュラシステムがこの社会に必要であると理解しておる。たとえ免罪体質者の発生という欠陥を抱えていても、またシビュラの正体が罪を犯しても裁かれぬ者――免罪体質者の脳を取り込んで構成されたものであったとしても、今のこの社会からシビュラを取り除くことはできん。なればシビュラの秘密を決して公にせず、人々の安寧を守ることこそが正しい道である、と。そしてその考えの通り、お主はあの少年の身柄を確保し、同僚らに異常を悟らせることなく任務を完遂し、今もこうしてシビュラの正体に青褪めてはいても破壊しようとは思っておらぬ。ゆえに、フェイズ2なのだ。シビュラの真実を受け入れるには、今の市民はあまりにも未熟。しかしいずれは受け入れさせねばならん。その将来的な市民のモデルケースとしてオシュトル、お主が選ばれたのじゃよ」

* * *

「おかえり、オシュトル。お前今日は早いんだな」
 まだ日も暮れていない頃に帰宅したオシュトルを出迎えてハクは少しの驚きと喜びをその顔に浮かばせる。この時間帯に帰宅することを事前に告げていた訳ではなく、もっと驚かれるかと思ったのだが、おそらく一階のエントランスを通過した時点でマンションのコンシェルジュからハクの方に連絡が入っていたのだろう。
「ああそっか、昨日帰れなかったからその分早いのか。ほら、入れ入れ。メシは? 風呂は? それともまずは寝た方がいいか?」
 オシュトルの手を取って奥へ導くハク。しかし手を引く相手の目元にうっすらとできた隈に気付き、足を止めたハクがそっと目の下を指でなぞってくる。それに対しオシュトルは何も言わなかった。ただ廊下に立ち止ってハクにされるがままとなる。
 一度止まってしまった足はもう動く気配がなく、見えない鎖でも絡みついているかのように酷く重い。話しかけてくるハクに何か返さねばと思うのだが、頭の中はつい先程公安局局長から直々に聞かされた話と目の当たりにした光景が延々とループしており、まともな言葉が吐き出せそうになかった。
 免罪体質者。犯罪者でありながら、犯罪係数が規定値以下のため罪を犯しても裁けない存在。おまけに人々の生活の根幹をなすシビュラシステムはただのスーパーコンピューターではなく、そういう者達の脳によって構成されていた。こんなのは正しくない。独善的な判断で起こされた五人もの殺人事件が頭の中でフラッシュバックする。あんなもので作り上げられた存在が正しいはずなどない。そう思うのに、シビュラがないとこの國の人々はまともな社会生活を送ることができないのだとオシュトルはよく理解していた。
 このおぞましい真実を抱え込み、それを周りに悟られぬよう生きろと言うのか。
 大して物も入っていないはずの胃から何かがせり上がってくる気がして、オシュトルは胸の辺りのシャツを握り締めた。吐き気が酷い。
「オシュトル」
 そんな同居人の姿を黙って見つめていたハクがそっと名を呼ぶ。自分と同程度の身長であるオシュトルの髪に鼻先を寄せてすんとわざとらしく匂いを嗅ぎ、再び顔を離してから「とりあえず風呂に入って来い、勤労公僕」と笑みを浮かべた。そしてまたオシュトルの手を引いて歩き出す。
「(温まれば多少はその顔色も良くなるだろ)」
 ハクの小さな呟きがオシュトルの耳に届くことはなく。
 重かったはずの足はハクに手を引かれることで何とか動き、オシュトルは導かれるまま荷物を置いて風呂場へ向かった。「ちゃんと頭も躰も洗って出て来るんだぞ。あとしっかり温まってこい」と最後に言われて脱衣所に残されれば、躰は機械的にその指示をこなそうとし始める。
 しかし服を脱ぐ間も、指示通り頭や躰を洗っている間も、躰を湯船に沈めて温まっている間も、頭の中を占めるのは重苦しい真実のみ。正義を成すべきはずの己が、組織が、こんな矛盾を抱えていて良いのだろうか。シビュラは正しくない。しかし市民の安寧を守るためにはどうしても必要。でも、あれは犯罪者の脳で構成されたもので――。
 もう何が正しいのか、何をすればいいのか、オシュトルには判らなくなっていた。
 風呂から上がり、まだ髪から雫が落ちているにもかかわらず幽鬼のようにふらふらとリビングへ戻る。いつかの夜とは異なり、その足は重い。オシュトルが守るべきもの――ハクに、どんな顔で向き合えばいいと言うのだろう。
 力なくリビングのソファに座り込めば、最早顔すら上げられなくなっていた。
 そこへ軽い足音が近付いてくる。ふわりとオシュトルの頭にかぶせられたのはふわふわに洗い上げられたバスタオル。下がったままの視界の端に靴下を履いたハクの足先が映り込んでいた。
 バスタオルの上からハクの指がそっと圧をかけ、優しくオシュトルの髪の水気を拭っていく。労わりを込めてなされるその動作にオシュトルはゆるゆると目を閉じた。
 話しかけられることも、こちらから話しかけることもなく、ただ沈黙のみが二人の間にある。しかしハクの雰囲気のおかげか、それを苦痛に感じることはない。
 優しく、優しく、丁寧に、オシュトルの髪から水気を拭うハク。身を任せていたオシュトルはやがて、ぽすり、と正面に立つハクの腹に己の額を押し付けた。バスタオル越しに触れていた手が迎え入れるようにオシュトルの背へと回る。オシュトルは重い両腕を伸ばしでハクの腰にしがみついた。
「……ッ、はく」
 つらい。きもちわるい。今にも胃の中の物をぶちまけてしまいそうだ。
 無性に謝りたくて、けれども誰に、何に、謝ればいいのかすら分からなくて。しかもそれだけでは足りない。己は怒りを抱いている。この激情を他者にぶつけてしまいたい。だが守りたいものがあるのだ。人々の笑顔を、安定した穏やかな生活を、オシュトルは守りたい。守るために必要なのは、あのおぞましいシステムなのだけれど。
 何が正しい。何が正解だ。様々な感情が頭の中でぐちゃぐちゃに混ぜ合わさり、オシュトルの胸を引き裂こうとする。今にも内側から膨張して弾け飛んでしまいそうだ。まるでドミネーターで撃たれた凶悪犯罪者のように。
 強く歯を食いしばる。ギチ、と耳の奥で嫌な音が響き、単純な恐怖ではないもので躰が震えた。
 しかしその時、
「オシュトル」
 ハクの静かな声がオシュトルの耳を打つ。たったそれだけで躰の強張りが解け、ハクの躰に痕がつくほど強くしがみついていた指から余分な力が抜けた。
 ぱさりと頭にかぶさったままだったバスタオルが外されて、まだ湿った髪に直接ハクの指が触れる。母が子を甘やかすように優しく指で梳いて、そっとてっぺんに鼻先を寄せたのが気配で判った。
「お前が抱え込んでいるものは気軽に話せるものじゃないんだろう。もし話せるものならお前はすでに教えてくれているだろうからな」
 オシュトルの頭を抱き込みながらハクがゆっくりと言葉を落とす。まるでやわらかな春の雨だ。その一音一音がオシュトルの胸の奥にしみわたり、荒れ狂っていた心を鎮めていく。
「だから自分は無理にお前の話を聞こうだなんて思わん。……いや、こう言い換えようか。お前がそれを話せないなら、自分はお前に対して『話を聞く』以外の全てをやってやる」
 顔を押し付けたハクからはとくりとくりと命の音が伝わってきていた。風呂上がりのオシュトルの方が体温はずっと高いはずなのに、縋り付いた躰は泣きたくなるほど温かい。
「……ぁく、は」
「うん?」
「ハクはどうして、こんなにも良くしてくれる。某を拒まぬのだ。某が其方に家を提供しているからか」
 幼子のようにおかしな態度を取る成人男性を蔑みも笑いも呆れもせずただ受け入れてくれる。その理由をようやく絞り出した声で問いかければ、ハクの躰が苦笑で揺れた。くつくつと笑い、「ばーか」という軽い罵声が降ってくる。
「そんなもんで優しくなんかしてやるかよ。判り切ったことを訊くな」
「わからぬ。何故其方は」
 こうして抱き締め、微笑み、オシュトルを温めてくれるのか。
 顔を上げて再度問いかければ、甘い琥珀色の双眸とかち合う。いつもやわらかな弧を描く眉は少し困ったように下がり気味で、「何故って」と口籠った。
 しかしそれもほんの少しの間だけ。やがてハクは意を決したようにオシュトルを真正面から見つめて口を開く。
「自分が、お前を大切にしたいと思っているからだ」
「大切に……?」
「ああ、そうだ。だってお前は何もなかった自分に初めて色を付けてくれた。記憶を失って真っ白だった自分に初めて色を与えてくれたのが、オシュトル、お前だったんだ。ヒナの刷り込みみたいだろう? だが始まりが何であれお前は自分の特別なんだよ。オシュトルが自分を、ハクを、作った。この世界に生み出してくれた。ここにいていいのだと証明してくれた。楔になってくれた。そしてその気持ちはこうして共に時を過ごした今も変わっちゃいない。いや、ますます強くなっている。だから自分はお前のそばにいたいし、お前のためなら自分が持つもの全てを差し出したって構わないと思っているんだ」
 それはおそらくオシュトルが初めて聞いたハクの心の内だった。本来ならば語るつもりのないものだったのだろう。しかし傷付いたオシュトルのため、ハクは己の内面をさらけ出している。そうすることでオシュトルが救われるならば、と。
「ハ、ク」
「だからさ、オシュトル」
 ハクの声がヘドロのようなものでいっぱいだったオシュトルの胸を塗り替えていく。満たしていく。
 繊手がオシュトルの頬を撫でた。
「求めろ。全部、全部、くれてやる」
 ハクの指先は目元を擽り、こめかみを辿り。触れたところから慈しみが伝わってくる。
「お前になら全部くれてやる」
 それで少しでもお前が楽になれるなら、と。
 深く美しい琥珀色の双眸が濡れ光っていた。優しい光をたたえるそれにオシュトルは引き寄せられるように唇を寄せる。右の瞼に一回、左の瞼に一回、それぞれキスを落とせば、ハクも同じように返してきた。
 オシュトルがハクの鼻先にくちづける。するとハクも同じくオシュトルの鼻先にくちづける。次は左右の頬、こめかみ、そして額。触れるたびに、触れてもらうたびに、ふつりふつりと暖かなものが躰の奥底から湧き上がってくる心地がした。
「ハク」
 鼻先が触れ合うほどの距離で互いの瞳を覗き込めば、小さく笑ったハクの吐息が唇に触れる。
「オシュトル、自分はお前が欲しがるものを与えてやりたい。だから、さぁ」
 ほしがってくれ、と音もなく紡がれて。
 オシュトルはその言葉ごとハクの吐息を飲み込んだ。


「……っ、ぅ」
 性急に脱ぎ捨てた衣服はソファの足元でくしゃくしゃのまま積み重なっている。皺になるな、と笑って言ったハクの腰から脇腹を撫で上げれば、苦笑が途端にしかめっ面になった。が、それは嫌悪ではなく羞恥とくすぐったさを堪えたものだ。オシュトルが甘えるように鼻先を寄せればすぐさまその表情は解け、「仕方がないな」とでも言いたげに触れるだけのくちづけがもたらされる。
 しかし軽く触れただけで離れてしまうのも惜しく、薄く開いた唇の合間に舌を挿し入れれば「ん」と鼻から抜けるハクの声。その甘い響きだけで尻尾が揺れた。左右に揺れるそれを止める理性などとうに無く、ただひたすらに相手の口の中を愛撫する。
 つるりとした綺麗な歯並びを舌先でなぞり、上顎を撫で、舌を絡め合う。溢れた唾液が互いの口元を濡らしても気にならない。むしろくちゅくちゅと互いの唇の合間や口の中で奏でられる水音にますます心臓が早鐘を打ち始める始末だ。
 その合間にも脇腹を撫でていた右手が薄い躰の頂に触れる。指先でそこを優しく数回撫で、軽く押し潰せば、徐々に芯を持ち始めた。
「ぁ、こら。そんなとこ弄っても何も出んぞ」
「だが女と同じように男のここにも神経は通っているであろう?」
 だったら感じるものも同じはず。そう言って硬くなりつつあるそこを指先で抓み、くにくにと捩じりながら刺激してやる。
「……ん、なんか、そう言われると、っ」
 上から覆い被さるオシュトルの首の後ろに手を引っかけたハクがその指先をぴくりと跳ねさせた。違和感に耐えるかの如く彼の眉間には皺が寄っている。視線はオシュトルの双眸からほんの少し外され、口元や首筋の辺りを彷徨っていた。が、徐々にその目元に赤みが増してくる。
「アっ」
 ぴん、と爪で弾けばハクの目がぎゅっと瞑られた。白い肌の上でそれは先程よりずっと赤みを増し、ぷっくりと存在を主張している。美味そうだと反射的に思ったオシュトルはそのまま真っ赤に染まった頂を舌でねっとりと舐め上げ、吸い付く。
「っ、おしゅ」
 オシュトルの下で痩身が跳ねた。胸に吸い付く男の頭を引き剥がすように、もしくはもっと己の胸へ押し付けるように、うなじから移動した指先がオシュトルの髪の中へと潜り込む。頭の天辺で感じる濡れた吐息。「ぅ、ぁ、あっ」とその吐息にまじってハクの声が断続的に響いた。
 唇で挟み、前歯で甘噛みし、ちゅうちゅうと音を立てて吸い付いてから舌先で抉るように押し潰す。その度に跳ねる躰が愛おしい。
 ちらりと視線をやれば、反対側の頂が視界に入った。ハクの乱れ始めた呼吸に合わせ上下するそれをぱくりと口の中に迎え入れる。「あっ」と上がった声が耳に心地いい。今まで散々弄り唾液で濡れそぼった方を右手の指先で押し潰しながら、唇と歯と舌はハクの反対側の胸を愛撫し始めた。
 上下する胸、跳ねて揺れる腰。ハクの両脚の間に躰を入れたオシュトルは己の腹の下で存在を主張し始めたそれにうっそりと両目を細める。胸への愛撫でハクが感じてくれている証拠だ。緩く勃ち上がったハクの陰茎にオシュトルは左手を這わせた。
「ンぁ、あ――」
 やはり男にとってはこちらの直接的な刺激の方が感じやすいのだろう。ハクの脚が震えて反射的にオシュトルの腰を挟み込む。
 オシュトルは一旦ハクの胸から顔を上げ、右手で顎を掬って唇を重ねる。深く深く吐息と唾液を混ぜ合わせながら、左手の人差し指から小指まではハクの陰茎に添え、親指で裏筋を少し強めに撫で上げた。触れ合せた唇が戦慄き、口内で「んぅ、ぅ」とハクの声が響く。そのまま親指の腹を先走りを零し始めた鈴口に押し付け、小刻みに上下に揺らす。
「ぅ、うっ、ん、ぅん、ン」
 刺激されて先端からとぷりと新しい雫が零れだす。それを先端に塗りつけるようにぬるぬると指先を這わせ、十分なぬめりが得られるようになってからオシュトルは手のひら全体を使ってハクの陰茎を扱く。
「……ッ、う、っぷあ、おしゅと、る!」
 唇を離したハクが赤く染まった目元でオシュトルを睨み付けた。
「お前ばっかりじゃなく、て、ッッッ!」
 その抗議を聞き終える前にハクのものをひときわ強く扱き上げ、先端でくぱくぱと開閉していた小さな穴に指の先端をねじ込むように押し付ける。瞬間、ハクの躰が仰け反り白い喉が晒された。うっすらと浮き出た喉仏に噛み付きたくなる衝動を覚えながらオシュトルは吐き出された白濁を左手で受け止める。
「っ、はー……はぁ、は、あ。おま、このバカ」
 相手の手で先にイかされたハクが涙に潤んだ琥珀色をオシュトルに向ける。まったくもって恐くない、むしろ色気すら含んだその様子に、向けられた方は自然と口角が上がった。そんなオシュトルの表情が気に入らなかったのか、ハクはますます眉間に皺を寄せて「あのなぁ」と抗議の続きをする。
「お前を甘やかすため、に、やってんだ、ぞ! 自分が気持ち良くなって、どーすん、だ」
「っ、は」
 オシュトルはとうとう声を出して笑った。
 なんだこの生き物は。
 こんなのは、あまりにも。
(愛らしすぎるだろう)
 髪に埋もれていた耳がぱたぱたと揺れる。尾も大きく左右に振れているのが判った。しかし止められない。嬉しくて、愛しくて、心地よくて、たまらなかった。
「大丈夫だ、ハク。心配せずともこれから腹いっぱい頂戴するため準備を進めているだけだ。もうしばらく某の準備に付き合ってほしい」
 言って、オシュトルは先程左手で受け止めた白濁を指先にまとわせ、ハクの尻の間へと潜り込ませた。
 男同士ならそこを使うと判っていてもやはり吃驚したのか、ハクの脚がピクリと揺れる。が、それ以上の拒絶は見せず、それどころかハクはオシュトルの首筋にしがみつくようにして躰を密着させた。肩口に顔をうずめたハクが小さな声で「あんま我慢すんなよ」と自身ではなくオシュトルの心配をしてみせる。
(嗚呼、本当に其方という者は……)
 ハクの痴態を前にして早くも兆しを見せ始めたオシュトルのものに彼も気付いているのだろう。男の喘ぎ声に萎えるどころか勃ち上がりつつあるそれをハクは少し喜んでいるようでもあった。
 つぷりと中指の先端を潜り込ませる。固い蕾はハク本人の協力のおかげで何とかその異物を内側に迎え入れた。
 オシュトル自身は――そしておそらくハクも――同性と致した経験がないためきちんとした知識はないのだが、男にも女の膣のように体内で感じる部分があるらしい。狭い穴をゆっくりと広げるように指先を動かしつつ、オシュトルは違和感でつらそうにしているハクの心身の緊張をほぐすためにもまずそこを見つけた方が良いだろうと考えた。
「ハク」
「っ、ん?」
「しばらく気持ち悪いだけかもしれぬが、耐えてくれ。それと気持ち悪さが少しでも軽くなったようであれば――」
「あれば?」
「我慢せず、声を、出してはくれまいか」
「お、おまっ」
 ばっと肩口から顔を離してハクがオシュトルと視線を合わせた。その顔は羞恥で真っ赤に染まり、「なんつー注文をするんだ!」と全身で責め立てている。しかしオシュトルとしては初めて触れる躰なのだから細心の注意を払ってできるだけ気持ちよく、また負担を軽くしてやりたい。そのためにはハクに我慢されては困るのだ。耐える姿も愛おしいが、こと後孔に関しては少しの快楽でもあればその反応を拾い上げ、殊更丁寧に愛したい。
「ハク、其方にも気持ちよくなってほしいのだ」
「っ、ぐぅ……わかったよ。今まで以上に変な声が出ても引いてくれるなよ」
「無論。其方の声ならば罵声であっても愛おしい」
「っ」
 ハクが息を呑み、再びオシュトルの首筋にしがみつく。オシュトルもまた指先に意識を集中させた。
 先程ハクが吐き出したものの助けを借りてナカでくるりと中指を返す。背側も腹側も丁寧に指の腹で撫で、ハクが気持ち悪そうにしていれば別の場所へと移動させていく。指がまだ一本であり、ハクも意識して力を抜こうとしてくれているため痛いほど締め付けられるということはないが、それでもあまりほぐれてこない。しかしオシュトルの指が腹側のある一点に触れた瞬間、首に絡み付いていたハクの腕がきゅっと締まった。
「ハク?」
「っ、ァ……ぁ、そこ、なんか、ひぅ!」
 どうやらこの辺りがハクの『気持ちいいところ』らしい。ようやく見つけた、とオシュトルはその辺りを集中的に愛撫し始める。
「あぁ、まて……そ、こ……はう、ぁ、ア、っ……や」
 最初は異物感とは違う何らかの違和感があるといった体だったのだが、繰り返し刺激すればどんどん声が艶めいてくる。我慢するなと頼んでいた通り、ハクは恥ずかしがりながらもなるべく感じたままに声を出そうと努力してくれていた。そんな羞恥と愛情の狭間から零れ落ちてくる控えめな嬌声にオシュトルの昂りも熱を上げていく。
 いつしかハクの陰茎はしっかりと勃ち上がり、先端からとろとろと蜜を零していた。幹を伝って落ちてくるそれを更に後孔へと塗りつけて、オシュトルは二本目の指をそっと挿し入れる。綻び始めた蕾は中指と人差し指の両方をきちんと受け入れて、ハクの口からは悲鳴ではなく嬌声が漏れた。
「オシュ、卜……そこ、ばっか、やめ……ッあ」
「すまぬが、それは聞けぬよ。其方が気持ちよくなってくれるほど、ここが」
「ひっ」
 陰茎が勃ち上がるのに合わせしこりが目立ち始めたそこを二本の指で挟み込むように刺激する。
「もっと触ってくれと大きくなって、下の口も某を受け入れようとしてくれるのだから」
「は、ァ、あっ、……ッ、ぅ、ン、ぅう」
 ハクがオシュトルの肩口にぐりぐりと額を押し付け、首の後ろに回していた腕がもっと安定したところを求めて背中の方に落ちてくる。着痩せする性質のオシュトルの背にはしっかりとした筋肉がついており、ハクの指先がそれを無意識に辿ると、オシュトルにとってはまるで背の凹凸一つ一つを愛でられているように感じられた。
(ならば、もっとお返しをしてやらねばな)
 ハクにそんな意図はないと判っていても無理矢理そう理由を付けて、オシュトルは右手で再び薄い胸を愛撫し始める。真っ赤に腫れた頂を指で摘まみ上げ捻るように刺激すれば、ハクがひゅっと息を呑み、連動してナカが指を締め付けた。きゅっと締まったそこが緩むタイミングを見計らってオシュトルは三本目の指を足す。
 とろとろと零れてくる白い蜜を十分にまとった三本の指で中をバラバラに刺激すれば、オシュトルの腰を挟んでいた太腿にぎゅっと力が籠ってハクの腰がくねる。白い肌が薄桃色に染まって匂い立つような色香をまとわせていた。
「……っ」
 ごくりと自分の唾を呑み込む音がやけに大きく聞こえる。「もういいだろう?」と焦った声が脳内にこだました。もう、いいはずだ。これ以上我慢するのはオシュトルにとっていささか厳しすぎる。
「ハク、」
「っンあ」
 ちゅぷ、と指を抜いて代わりに昂った己の陰茎をハクの綻んだ蕾に押し当てた。指とは違う熱の塊を感じてハクの腰が震える。けれど震えるだけで逃げることはない。
「本当によいのか?」
「ったりまえ、だろ」
 ふふ、と耳元で熱の籠もった吐息が漏れる。そして敏感な耳にハクの唇が降ってきた。わざとらしく、ちゅっと音を立てられ、オシュトルの背が快楽に粟立つ。
「っ、ハク」
 がしりとハクの腰を両手で掴み、オシュトルは腰を突き入れた。衝撃にハクが息を詰まらせる。が、すぐに意識して深い呼吸を繰り返し、全身でオシュトルを受け入れようとしている。
 オシュトルもまた一気に貫いてしまいたい欲望を抑え、ハクの呼吸に合わせて少しずつ自身をうずめていく。エラの張った部分が菊門を通り過ぎるまでは少々手間取ったが、そこを過ぎれば動きがスムーズになった。ハクの呼吸に合わせ、ず、ず、と進め――
「は、く」
「ん……ぜんぶ、はいった?」
「ああ」
 ぴっとりと互いの胸を合わせて鼓動を感じる。
「つらくはないか?」
「ふは……たぶん明日は筋肉痛だ」
 今までしたこと無い恰好だからな、と赤く染まった顔を見せて笑うハク。それからオシュトルの唇にちゅうと吸い付き、すぐに再び顔を肩口に押し付けて隠してから囁いた。
「動いて構わんぞ。今度はお前が気持ちよくなる番だ」
「はっ、其方も共に気持ちよくならねば意味などあるまい」
 素早く言い返し、オシュトルは腰を掴む手に力を込めた。ハクの躰が逃げないようしっかりソファに縫いとめて腰を引く。
「ひ、ぃう」
「っ」
 絡み付く粘膜に息を呑みながら引き抜いたそれをもう一度奥へ。先程ハクが感じていたしこりを目掛け、先端を擦り付けながら挿入する。
「やっ、あァっ!」
 一度動き出せば止まらない。ハクの声に痛みがないなら尚のこと。オシュトルの先走りも混じったものが動くたびにぱちゅんぱちゅんと水音を立てる。
「ひゃ、ぅン、あっ、あ」
 ハクの喉から奏でられるいつもより高い声はオシュトルをぞくぞくと震わせて、頭の中がどんどん甘く痺れていくのが判った。背に回されていた細腕に力が籠り、爪が立てられる。その痛みすら甘美。ハクがオシュトルで感じてくれている何よりの証拠なのだから。
「ハク、ハク」
「んあぁ、あ、おしゅ、うっ」
 名を呼ばれたことで反射的にハクが顔を見せてくれた。オシュトルの名を呼び返す声は艶を帯び、見つめる瞳は飴玉よりも甘い。
 己の腕の中で乱れるハクの何と美しいことか。引き寄せられるように深くくちづけて、唇を擦り合わせながら告げた。
「ハク、好きだ。其方を心から愛している」
「おしゅ、おしゅと……ぁン、やっ、はあっ、ぶんも……ッ、自分も、お前が」
 すき、と動いた唇の動きを己の唇で感じ取りながらオシュトルはハクの両腿を掴んで薄い胸に押し付ける。同時にぐっと深く腰を入れ、ハクの最奥を抉った。
「あっ、がぅ……ぃ、ひっ、あ――ッ!」
 がりり、とハクの爪がオシュトルの背を掻いた。と同時に腹に感じたのは熱い飛沫。ハクのナカがきゅうと締まって、オシュトルはその締め付けに抗うことなく愛しいヒトの最奥へ逐情した。


「ハク……ありがとう」
「ははっ、ちょっとはスッキリしたって顔だな」
 まだ体内にオシュトルを残したままハクが男の頬を撫でる。その手に自ら顔を寄せてオシュトルは微笑む。抱き締めた躰はあたたかい。顔を近付けて戯れに唇同士を擦り合わせた。
 ハクの瞼が降り、腕が首の後ろへと回される。それを合図に深くなるくちづけ。ただし初めの方の熱を煽るためのものではなく、慈しみを込めてゆったりと交わされるそれ。
(これがあれば。これを守るためならば)
 あたたかなハクの躰を抱き締めながらオシュトルは胸中で独りごちる。至近距離にあるハクの顔を見つめれば愛しさだけが胸を満たした。
(何もかも、全て、呑み込んでいける。シビュラの正体が何であろうと、どんな欠陥を抱えていようと、あれがこの國に必要なものであることに変わりはない。そしてシビュラがなければハクとの生活も続かぬ。なれば某はシビュラの真実を受け入れよう、その矛盾も呑み込んでみせよう。受け入れてみせよう)

 ――手元にこのぬくもりがある限り。







2016.03.23 pixivにて初出