有名アバター所有者連続殺害事件の犯人確保も無事に完了し、残るは僅かに事後処理のみとなっていたオシュトルの元へ一通のメールが届いた。私的アドレス宛に届いたそれを業務中に確認するのはいささか躊躇われたが、送信者が本日新居へ引っ越す予定のハクからであり、件名が「緊急」の二文字だったため、オシュトルは慌ててメールを開く。
その本文に記されていたのは―― 『ついさっき引っ越し先が爆発した。すまんがお前の家に泊めてくれ』 「……は?」 思わず間抜けな声を出す。前半の文章に理解が追い付かないながらも、ハクを自宅に泊めることは全く問題ないと瞬間的に考えるオシュトル。そのままページをスクロールして添付されていた画像を確認すれば、ハクが本日から住むはずだった公営アパートと思しき建物が内側から爆ぜるように壊れ、真っ赤な炎を上げつつ一部で黒く炭化した中身を晒した光景が写し出されていた。 オシュトルの様子に異変を察した二係の面々のうち、近くにいたヤクトワルトが画像を覗き込んでぼそりと告げる。 「それ、ハクの旦那は大丈夫なのかい?」 「っ! そうであった」 唖然としていたオシュトルがはっとなってハクに連絡を入れる。呼び出し音が鳴る最中、メールを送ってくるくらいなのだから無事だろうと思っていても、やはり不安が拭えなかった。『ついさっき』と書かれているということはハクが爆発当時その現場の近くにいた可能性が非常に高い。もし爆発で飛来してきた破片か何かにより怪我でもしていたら――。 「ハク殿……」 あの白い肌に一筋でも傷がついているのを想像するだけで胸がざわつく。 オシュトルにとっては異様に長く感じる、けれども実際には十秒も経っていない呼び出し音の後、相手側と通信がつながった。 『よっ、オシュトル。すまんな、何せ不可抗力なもんで』 「それは構わぬ。して、ハク殿は無事なのか!?」 『あ? ああ』オシュトルの慌てぶりが予想外だったのか、ハクは少々気圧されたように頷いた。『自分は無事だ。怪我もない。ついでに言うと十分離れた場所に避難もしている。が、屋内にいた何人かはきっと怪我をして……いや、まぁアレな状況になっちまってるようだがな。お、もう消防と救急のドローンが来たぞ』 ハクの声の向こうでサイレンの音がかすかに聞こえている。ひとまずオシュトルは胸を撫で下ろした。そして瞬時に思考を『オシュトル』ではなく『公安局刑事課の刑事』に切り替える。ちょうどハクと通信がつながった時から自席で画面を睨み付けていたクオンがオシュトルに向き直り、監視官両名へと同時に届いていた指令内容を読み上げた。 「本日午前十一時○八分、複数個所で同時に建物が爆破される事件が発生。同日午前十一時十分、反シビュラ組織『マキア』を名乗る団体から公安局局長宛に犯行声明あり。この件に関して十一時三十分から第一会議室で刑事課全員が集まってブリーフィングだから。ちなみに爆発があった現場は都内三ヶ所。うち一つは……もうみんな判っているかな」 たった今公安局刑事課二係に――……否、刑事課の全係に一斉通知されたのは、街の北西部、南部、東部それぞれで発生した爆破テロに関するもの。その現場のうち一つはまさしくハクが本日から住むはずの公営のアパートが建っている場所だった。 『マキア』はシビュラシステムの運用に反対する組織の一つである。いくつかある反シビュラ組織としては中規模な集まりだが、単なる抗議活動だけでなくこうして時折死傷者が出る事件を起こす危険なグループとして認知されていた。以前公安局により大規模な取り締まりが行われ、ここしばらくは彼らも鳴りを潜めていたのだが、再び息を吹き返してきたらしい。 「ハク殿」 『なんだ?』 オシュトルは刑事として思考を切り替えつつも、通話と平行してメールを打つ。宛先はハク、内容はとある住所。送信ボタンを押してオシュトルは告げた。 「今送ったのが某の自宅の住所だ。こちらの帰りは遅くなる……いや、下手をすればしばらく本部に泊まり込みになるやもしれぬが、其方は自由に過ごしてくれて構わぬ故」 『ん、了解した。この住所だな……恩に着る』 「いや、気にする必要はない。困っている時に手を差し伸べるのも友の務めだ」 ふっと吐息混じりにそう告げれば、改めてハクから『ありがとうな』と礼が返された。 通話を切り、オシュトルはオフィスにいる面々を見回す。 「待たせてすまない。これより第一会議室へ向かう」 「ここがオシュトルの家か……」 自身の新居予定だったアパートから一駅分離れた所に建つ高層マンションを見上げてハクが呟く。手にしているのは入院中にオシュトルから譲られたラップトップの入った鞄の他に、先程コンビニで購入した下着類。新居への移動は本来ならラップトップとポケットに入れたいくらかの金銭のみで事足りるはずだったのだが、その新居が目の前で爆発してしまったため、急遽買い直したものである。 公務員であるオシュトルは厚生省の独身寮にでも入っているのかと思っていたのだが、どうやら個人で部屋を買うか借りるかしているらしい。エントランスからすでに十分漂ってきているセレブリティな気配にハクは若干頬を引きつらせた。あの仕事熱心な男のことだ、どうせこんな良い家を持っていても寝に帰るくらいしかしていないのだろう。 「もったいない」 ぼそりと呟き、ハクは建物の中へ。まだギリギリ午前中だったため女性の声で「おはようございます」という声がかけられる。 出迎えたのは流石に人件費のかかる人間のコンシェルジュではなく、人の頭くらいの大きさをした淡いピンク色の球体だった。大きな球体の周りを茶色と白色に塗り分けられたピンポン玉サイズの小さな球体がクルクルと回っており、なんとなく衛星を持った惑星を彷彿とさせる。これは建物およびその住民の世話を担当する人工知能に立体ホログラムで視覚化を施したものであり、紛うことなくこのマンションのコンシェルジュであった。 「ここに住んでいるオシュトルってヤツから部屋に入ってもいいと言われて来たんだが」 「ハクさまでいらっしゃいますね」ハクの顔認証を終えてコンシェルジュが答える。「はい、伺っております。どうぞそちらのエレベーターをお使いください」 言うや否や、ポーンと優しい音が聞こえ、エントランスを抜けた先のエレベーターホールにエレベーターが一機停まって扉が開く。それに乗り込めば、すでに階が指定されており、扉が閉まって静かに上昇を始めた。 部屋に着いたハクは3LDKという独り暮らしにしては無駄に広い内部を探検することもなく真っ先にリビングへ向かうと、おもむろにラップトップを開き、ガサゴソと準備を始めた。これからやることに関してこの一台だけでは不安があったため、入院中に買い足していた外付けデバイスも接続し、更にはシステム動作の効率化を図るため独自に組んだプログラムも起動させる。 「さて」 準備が整い、ハクはゆっくりと目を閉じた。瞼の裏によみがえるのは到底ヒトの住むところではなくなってしまった元新居の姿。うっすらと瞼が開かれた時、深い琥珀色の双眸は完全に据わっていた。 「先に通販で購入して部屋に運び込んでもらっていた物もあるんだぞそれが全部木端微塵とかふざけてんのかオイこらこちとら國から支給された金があると言ってもかなりカツカツなんだよそれを炭に変えやがって犯人絶対シメる」 一息に言い切ると同時に細い指がキーボードを叩き始める。目にも止まらぬ速さだ。しかし、表情ともども軽やかなキータッチに似合わずその唇から零れ落ちるのは地獄に響く怨嗟の如き呟き。 「ほうほう、下手人はシビュラ根絶を掲げる反社会組織『マキア』ね。マキア……訳すなら『戦』ってところか。大方ギリシャ語の『決闘(モノマキア)』から取ったんだろうな。戦なんぞ自分らで勝手にやってろよ。こっちを巻き込むなっつーの」 タタンッと素早くキーを叩いてコマンドを入力。すると画面上にいくつか表示されていた黒背景のウインドウが一斉に白色でアルファベットや数字を綴り始めた。高速で表示される文字によってウインドウはどんどん下へスクロールされていく。 それらを眺めつつハクは得意げな笑みを浮かべた。 「病院(むこう)でヒマしてた時にテキトーに組んだ割にはプログラムの動きも悪くないな。よし、あとはここをこうして……っと」 更にタタタンッと軽快な音をさせつつハクが操作すれば、あらかじめ組んでおいた別のプログラムが起動。厳重なロックがかかったサーバーにアクセスし、幾重にも仕掛けられた防壁を次々と突破していく。8桁どころか、16や32桁のパスワードもなんのその。ただの市販品に独自の仕掛けを追加したマシンはあっと言う間にその組織≠フ内部に潜り込み、ハクの前に数多の情報を曝け出した。 「ほうら、見つけたぞ『マキア』」 青年の口元がにやりと弧を描く。 画面上に表示された情報の中からハクが選び出したのは、シビュラの支配≠ノ反対し、シビュラ根絶を掲げる反社会組織――『マキア』の主要メンバーと思しき者達がやり取りした通信記録。そこから彼らの現在の構成員情報や潜伏場所を割り出せば、お次はいくつものサーバーを経由して所得したフリーメールアドレスでメールを作成する。記載内容は『マキア』の構成員および潜伏場所の情報とその証拠となるデータをいくつか。ついでに根城になっていた廃棄区画のビルの見取り図も見つけてきて、オマケとして添付しておく。 そしてそのメールを善良な市民≠ゥらのものとして、公安局宛に送信。要はタレコミだ。一般人からの情報提供にしては詳しすぎるものだったが、中途半端な情報を送りつけるよりはいっそ全て調べきった上で提供した方が公安局の分析官も真偽確認に手間取らずに済むだろう。 なお、複数のサーバーを経由して匿名のまま情報提供を行うのは、この情報の入手方法が正規の手段ではないとハクも自覚しているためである。新居爆破の恨みを晴らすのと忙しい友人の手助けはしてやりたいが、厄介事をあえて招きたいとは思わない。 「さぁ覚悟しろよ。自分に他人を裁く権利はないが、この國には悪人をきっちり裁いてくれる刑事達がいるんでな」 ニヤニヤと笑いながらそう告げた後、ハクはハッキングのために起動していたプログラムを順次終了させる。足がつくような真似はしておらず、まさに完璧と言うしかない手腕だった。 ふと大きな窓から外を眺めれば、太陽はまだ頂点をほんの少し過ぎたあたり。データの海に潜っていた時間は左程長くない。 青い空を見上げてハクはぽつりと呟く。 「ま、これで一宿の恩くらいは返せたかね」 公安局内で対策本部を立て、刑事達が「さぁ動き出すぞ」と意気込んでいた最中。第一会議室に集まっていた面々が解散する直前にそれ≠ヘ突然、何の前触れもなくもたらされた。 「『マキア』の潜伏先が判明した? その情報は本当か」 厚生省公安局刑事課一係の監視官ミカヅチは公安局総合分析室から伝えられた知らせに眉を吊り上げる。元々強面の男であるため、その凶悪さはいや増した。慣れない別の係の者達が「ひっ」と小さく息を呑むのが聞こえる。 知らせを持ってきた公安局職員も恐怖に顔をひきつらせたが、「はっ、はい! 匿名希望者からのタレコミがありまして、すでに情報の真偽は確認済みとのことです!」と声を張り上げた。 「ただ……」 「ただ=H いかがした」 真偽は確かだとはっきり告げた後、戸惑うように公安局職員が表情を曇らせる。威圧感のあるミカヅチに代わりオシュトルが前に出てその続きを促せば、相手はほっと肩から力を抜きつつも未だ困ったようにおずおずと口を開いた。 「その情報提供者なのですが、こちらに送られてきたメールが巧妙にいくつものサーバーを経由して取得されたアドレスを使っておりまして、どこの誰なのか分析室ではまだ調べきれていないとのことなのです。それと提供された情報があまりに詳しく……分析官からは、まるで直接『マキア』にハッキングを仕掛けたかのようだ、とも」 「ふむ……。だからこその匿名希望か」 どうやら公安局にもたらされた重要情報は法に抵触する類の手段で引き出されたものであるらしい。正義を執行するための組織がそんな情報を使うのはいかがなものか、という空気が会議室に流れる。 しかし、 「今あるものを使わずして奴等にこれ以上好き勝手させるなど愚の骨頂だ。構わん。その情報を元に対策を立てる」 冷たい美貌を持つ刑事課トップの男――ライコウがその空気をバッサリと切って捨てた。 「局長の許可は俺の方で取る。分析官からの詳細報告を各自の端末に送れ」 「しょ、承知いたしました!」 ライコウの鶴の一声で匿名希望者から提供された情報と分析官のチェック結果を担当者が刑事課全員の端末に送信する。各自すぐに確認し始め、あまりにも詳細なそれらに息を呑んだ。 「こんなものを一般人が調べたの……?」 「ほほう、これはすごい」 「むう……うちの分析室でもこうはいかんな」 「あやや。分析官はんも形無しやえ」 「こりゃ確実に法に触れてるじゃない。しかしサイコパス検診に引っかからないってことは、気まぐれな廃棄区画の住民か、それとも正義の味方志望の引きこもりの類か、はたまた『マキア』とは敵対関係にある別の犯罪組織か」 「そちらも気になるが、まずは『マキア』への対処であろう。全員、ライコウ殿の方へ集中せよ」 二係も例に漏れず、ざっと見ただけでも相当の情報量であるそれを、驚きを持って眺めていた。 オシュトルの声ではっとした五名が会議室前方の壇上にいるライコウへと視線を戻す。他の係も含め全員が全員そんな感じであったためライコウも特に叱責することはない。むしろライコウ自身も感心しているようで、「ふふ。このご時世、まだ使える輩が市井には紛れ込んでいるようだな。有能な人材を取り零しおって……シビュラも全能ではないということか」と、厚生省に属する者としてはいささか不適切な発言を漏らすほどだった。 やがて各係の面々がある程度その情報を確認したのを見計らってライコウは口を開く。 「これより予定を変更し、『マキア』の潜伏先の捜査ではなく一斉捕縛のためのブリーフィングを始める。折角の好機だ。早々に片を付けるぞ」 思わぬ情報提供のおかげでオシュトルは本部に泊まり込むことなく、日付が変わる頃に帰宅することができた。自宅マンションのエントランスを抜けてエレベーターに乗り込んだオシュトルはほっと肩から力を抜いて息を吐く。 昼過ぎに匿名希望のタレコミがあり、そこから『マキア』をどのように捕縛するかとブリーフィングが行われ、同時進行で公安局局長から作戦実行の承認が下り、瞬く間に準備が整えられた。一日でも間を空ければ次の被害が発生する恐れがあったためである。そして日が沈む前には武装した刑事達とドローンで潜伏先に突入し、不意を突かれて慌てふためく構成員達を一斉逮捕。一部、ドミネーターを向けた際に犯罪係数が規定値の300をオーバーしていたため、パラライザー(麻痺銃)ではなくエリミネーター・モードが起動してその場で対象者を処分する羽目になったが、それは致し方ないことだろう。 エリミネーター・モードのドミネーターで撃たれた対象者は高出力の集中電磁波により肉体が内部から破裂して死に至る。オシュトルが銃を向けた相手の中にもエリミネーターの対象者になる者がおり、四散した小さな肉片や血液でスーツが汚れてしまっていた。ただしそのスーツは本部に帰還して早々に着替えていたため、今のオシュトルから血の匂いがすることはない。 エレベーターが指定した階に到着し、扉が開く。すでにハクは寝てしまっただろうかと思いつつ自宅の扉をくぐれば―― 「おかえり」 煌々と明かりがついている玄関。その壁にもたれかかるようにして一人の優男がオシュトルを出迎えた。 「ハクどの?」 「おう」琥珀の双眸を笑みの形に歪ませてハクが答える。「さっきあのピンクのコンシェルジュからお前が帰って来たって連絡をもらってな。家主様の帰宅を出迎えん訳にもいかんだろう」 ハクは壁から背を離し、オシュトルへ早く中に入るよう告げる。促されるままオシュトルは靴を脱ぎ、コートも腕に引っかけて奥へ。いつもならオシュトルの入室を感知してから点灯するはずの照明はすでに明るく室内を照らし出しており、部屋の中は居心地の良い空気で満たされていた。 「お前が帰って来られたってことは、仕事の方は一段落ついたということか」 「あ、ああ。思わぬ情報提供があってな。予定より随分と早く片を付けることができた」 「へぇ、そりゃ良かったじゃないか」 ハクの言葉に首肯し、オシュトルはリビングのソファにコートと脱いだジャケットをかける。ついでに首からネクタイも引き抜いてその上に乗せた。 ふと、先を行くハクの背を追って一間続きのダイニング部分に目をやれば、四足のテーブルの上にハクのラップトップが鎮座していた。すでに電源は落とされていたが、何やら色々と部品が増えている。あの機械は短期間のうちに随分と使い込まれ、またカスタマイズされているらしい。出資者冥利に尽きる、と言ったところか。 「オシュトル。一応訊いておくが、怪我なんてしてないだろうな」 「心配は要らぬよ。この通り、擦り傷一つない」 「ならよかった」 ラップトップの画面を閉じつつハクが口の端を持ち上げた。やはり心配させてしまっていたらしい。 ハクが浮かべた淡い笑みを見ていると、オシュトルの胸にじわじわと満ちてくるものがある。温かなそれにむず痒さを覚えるが、決して不快なものではなく、むしろもっと味わいたいと思うようなものだった。 (ああ、そう言えば) オシュトルは内心で呟く。 玄関で出迎えられた瞬間にも同じ感覚が湧き上がってきていた。しかしその時、己は驚くばかりで必要な言葉を返せていなかったと思い出す。 「ハク殿」 「ん?」 タイミングを外してしまったが告げておきたいと思う言葉をオシュトルは舌に乗せる。 「ただいま」 ハクがきょとんと目を開いた。しかしその顔はすぐに春の日差しのような微笑みを浮かべ、 「……ん。おかえり、オシュトル」 オシュトルの胸をこれ以上なく温めてくれた。 2016.03.03 pixivにて初出 |