PSYCHO‐PASS――人間の精神状態を科学的に分析し、数値化したデータ。精神の証明。
 その用語がこの國『ヤマト』に浸透して早半世紀。サイコパスを計測、及びそれを利用して人々に適切な生活手段を提供する包括的生涯福祉支援システム『シビュラ』は今や社会の隅々にまで浸透しており、生まれた時からシビュラによって管理されてきた『シビュラ世代』と呼ばれる者達が社会の半分以上を占めつつあった。
 なお、サイコパスが利用されるのは各人の職業適性や欲求達成のための手段を決めるためだけではない。シビュラによって数値化されたパラメータの一つである『犯罪係数』は、人が罪を犯す前に犯罪者であることを決定する指標として利用されている。
 規定値を越えた者は犯罪者になる危険性が高いと判断され、セラピー等を受けて数値を下げることを求められた。しかし犯罪係数は一定の値を超えると元に戻らないとされている。こうなった者達を國は『潜在犯』と認定し、社会に悪影響を及ぼさぬよう排除・隔離していった。
 社会に多大な影響力を持つシビュラシステム。その管理は厚生省が担っており、したがって厚生省の立場はこの國において非常に大きなものとなっている。かつて犯罪者を捕らえるのは内閣府の外局たる國家公安委員会の特別機関『警察庁』だったが、今や警察という組織は解体され、その任は厚生省公安局に全権をゆだねられていた。そして公安局に属する刑事£Bは、即座に犯罪係数を割り出し必要とあらば鎮圧用の武器となる『ドミネーター』(正式名称 携帯型心理診断・鎮圧執行システム・ドミネーター)を用いて潜在犯の発見・対処に当たっていた。
 厚生省公安局刑事課。潜在犯の対処に当たる彼らは一チーム(係)あたり二人の『監視官』と四人の『執行官』で構成されている。監視官とは犯罪係数の低さによって裏付けられた善良かつ健全な精神と模範的な社会性、更に優れた知性と判断力を兼ね備えた人物から選ばれる『捜査活動の全責任を負うエリート』。一方、執行官は監視官の管理下で実質的な捜査を行う刑事であり、犯罪を理解・予測・解決する能力が高く犯罪の根源に迫ることができるが、それゆえに高い犯罪係数を持つ潜在犯達である。


「ねぇオシュトル、この資料のことなんだけど……」
 白く美しい毛並みの尻尾をゆらりと揺らして自席から立ち上がったのは、厚生省公安局刑事課二係の監視官クオン。
「いかがした、クオン殿」
 彼女に名を呼ばれ、古風な言い回しと共に顔を上げた美丈夫もまた同じチームに属する監視官であり、名をオシュトルと言う。
 クオンは手にした携帯型ディスプレイにとある資料を呼び出し、同僚たるオシュトルの前に差し出した。
 それはまだ明確な『事件』にはなっていない段階のものである。しかし異常であることに違いはなかった。――今月に入って記憶喪失かつ身元不明のヒトが三名見つかっており、その全員が高い犯罪係数を叩き出して発見後すぐ隔離施設に送られているのである。
 どこの誰か分からず、記憶もない。したがって何故このように高い犯罪係数であるのかすら不明。また隔離施設に収容されてからの行動パターンにも異常はなく、実に大人しい様子であるとのこと。計測機器の故障を疑ったのは、一人や二人ではない。しかしどの計測機器も壊れておらず、何度試しても彼らは『潜在犯』と認定されるのだった。
「この件、やっぱりすごく怪しいかな」
「ああ。さすがに短期間でこの人数となると……。何らかの犯罪組織が背後にいるのやもしれぬ」
 しかももしそのような犯罪組織があるのだとしたら、そいつらは街中に張り巡らされたシビュラの監視の目を上手くかいくぐっていることになる。監視カメラの死角を熟知しているのか、それとも廃棄区画――登録上は無人地帯となっているが、実際には一般人として生活できない者達が暮らす無法地帯となっている――に拠点を置いているのか。いずれにせよ放置して良いものではない。
「こちらで少し調べるか」
 オシュトルの提案にクオンが頷く。
 その背後で「ってことは」という新たな声が発せられた。
「まずはノスリとオウギの出番ってことですかい? 俺らは待機で」
「そういうことになるな」
 先程から監視官二人の会話を聞いていた執行官の一人、暗い青灰色の長い髪を一つにまとめた偉丈夫ヤクトワルトが椅子の背に体重を預けながら問いかけて、それにオシュトルが返す。オシュトルの返答に「ええ〜まだ待機しなきゃだめなのけ?」と肩を落としたのは青い髪に愛らしい容貌を持つ少女。「もうアトゥイったら」とクオンに苦笑された彼女は荒事から程遠そうな見た目とおっとりした口調の主であったが、実際にはこのチームでヤクトワルトと一二を争う猛者であり、ヤクトワルトの言う「俺ら」に含まれる側のヒトだった。
「はははっ! 仕方ないだろう、アトゥイ。今はまだ情報が必要な段階だからな! まずは私達に任せ、お前達はゆったりと過ごしているといい」
 豊満な胸を張ってにこやかにそう告げたのは執行官のノスリ。傍らに立つ実弟のオウギが姉と同じ赤い髪の頭をこくりと動かして「姉上の仰る通りですね」と同意した。
「よし、そうと決まれば早速だけどちょっと見回りに出てみようか。ノスリ、オウギ、準備して」
「おう!」
「かしこまりました」
 クオンと共に執行官の姉弟が部屋を出ていく。監視官であるオシュトルと武闘派執行官のヤクトワルトおよびアトゥイは、別件が起こった際には素早く出動できるようこの場で待機だ。
「お外ええなぁ」
 と呟きつつ自分の机にでろんと力なく伏せるアトゥイにオシュトルとヤクトワルトが苦笑する。執行官は監視官の同行無しに外出することを禁じられているため、年頃の少女である彼女には少々窮屈に感じられるのだろう。
 ただし、
「荒事になればアトゥイ殿にもご活躍いただかねばならぬ故、今しばらく我慢いただきたい」
「ふふふふ。そうやねぇ、早く楽しいことになってほしいなぁ」
 オシュトルの言葉に少女が怪しげな笑みを零す。
 アトゥイは年頃の乙女であったが、それよりも何よりも血沸き肉躍る戦闘を非常に愛する狂い姫だった。


(結局収穫なしか。まぁ初日でいきなり成果を上げられる方が珍しかろう)
 オシュトルは胸中で独りごち、職場たる厚生省の本部『ノナタワー』の正面ゲートを出る。冷たい風が首筋を撫で、思わずコートの襟を立てた。太陽はとうの昔に沈んでおり、空を見上げれば月が中天近くに差し掛かっている。
 あの後、クオン達が外出している間にちょっとした捕り物が発生し、見回りは中断。全員で現場へ急行した。なお、暇を持て余したアトゥイが大活躍≠オてくれたおかげで事件は早期解決したものの、器物破損関連の始末書をまとめるのに時間がかかり、オシュトルの退勤がこのような深夜近くになってしまった。しかし人的被害はゼロで、加えて容疑者の犯罪係数が急上昇する前にパラライザー(麻痺銃)モードで意識を奪い身柄を確保できたため、悪くない結果だったと思う。下手に時間をかけて追いつめ、犯罪係数が高くなってしまった対象をドミネーターが抹殺対象と判断しエリミネーター(殺人銃)モードで殺してしまうなど、やはり気分の良いものではないのだから。
(改めてヤクトワルト殿にも礼を言っておかねば)
 先行するアトゥイをしっかりサポートしてくれたもう一人の執行官を脳裏に思い浮かべ、オシュトルはふっと口元を和らげた。
 時間も時間であるため普段なら車を使って帰宅するところだが、仕事が上手くいったことと深夜残業による妙な気分の高揚を落ち着かせるため、あえて徒歩での帰宅を選ぶ。オシュトルはノナタワーのすぐ近くにあるタクシー乗り場を通り過ぎ、街灯に照らされた歩道をゆっくりとした足取りで歩き始めた。
 シビュラシステムが社会に浸透してからこちら、ヒトは他者を怪しんだり警戒したりということをほとんどしない。自分を害そうとする者はそれを実行に移す前にシビュラが感知し、社会から排除されると知っているからだ。おかげで自宅の玄関を施錠するという習慣がなくなったり、こんな時間帯でも女性が一人歩きをしていたりと、シビュラ導入前を知る世代からすれば驚くようなことが『当たり前』になっている。
 オシュトルも物心ついた頃にはシビュラシステムが國の隅々まで浸透していたため、基本的には人を信用するタイプと言えるだろう。ただし仕事柄、ヒトの汚い部分を見たり犯罪者(潜在犯を含む)の思考をトレースしたりという行為も必要であり、この街に住む全ての住人が清く正しく美しい心の持ち主でないことくらいは承知している。それでもあまりにも負の方向に傾いたものに関しては監視官の色相が濁ってサイコパスを悪化させる前に執行官の面々が対処するため、人間不信の域には至らないのだが。
 ともあれ、基本的に他人を信用するオシュトルは、夜道を歩いていて見つけたそれ≠ノはたと目を見開き、足を止めた。
(あれは……ヒトの手、か?)
 オシュトルが歩いている道と交差した小道の暗がりから成人のものと思しき白い指先が覗いている。こちらから見えているのは手のひらの半ばから指先までで、よくぞ気付けたとオシュトル自身少しばかり驚いた。
 運悪く街中の警備ドローンの巡回と巡回の合間にここで倒れてしまったヒトかもしれない。もしイタズラや捨てられた人形の手であるならばそれでも良い――むしろその方が良い――と考えつつ、オシュトルは小走りで白い指先が見える路地に向かう。そして、見つけたそれにぎょっと目を剥いた。
 ヒトふたりが肩を並べて歩くのが難しい幅の路地。その壁の一方に背を預けて座り込んでいたのは、患者用手術着を連想させる薄い緑色の貫頭衣を身につけただけの男。齢はオシュトルと同じくらいだろうか。しかしオシュトルとは正反対で、手足の筋肉は最低限しかないらしく、いやに細く頼りなかった。街灯からの光で白い肌がやけに目につく。
 薄い胸が僅かに上下しているので生きていることは確認できた。しかし目を閉じた容貌に生気は無く、まるで精巧に作られた人形のよう。万人が認める美形とまではいかないものの目鼻立ちが整っているせいで余計にそう見える。
 魅入られたかのように数秒、オシュトルは地面に座り込んでいるその青年を見つめていたが、やがてはっとしてその傍らに膝を付き、頭を揺らさないよう気を付けながら肩を叩いた。「おい」と声もかけつつ意識を確認。酒気やその他の異臭も感じられず、きちんと寝台に寝かされていたならば就寝中だと判断したに違いない。しかし現実はそうではなく。異常事態以外の何ものでもなかった。
 数度肩を叩いて声をかけてみたが、青年が目覚める気配はない。救急用ドローンを呼んだ方がいいと判断して、オシュトルは腕時計型のウェアラブル端末からコールした。

* * *

「すまぬが少し出てくる」
「え? あ、うん。いってらっしゃい、オシュトル」
 私用携帯端末に入った連絡を見たオシュトルは、目の前のディスプレイに展開中だった資料を手早く片付けて椅子から腰を上げる。クオンが答える前にはもう腕にコートをひっかけており、いつも落ち着いているオシュトルらしくない行動にクオンははてと小首を傾げた。しかし詳細を説明するよりもまず優先したいことがあったオシュトルは「緊急の用がある際はいつでも連絡してくれて構わぬ故」と告げつつ、刑事課二係の部屋を出て行った。
 もう一度確認した端末には彼≠ェようやく目を覚ましたという旨のメッセージ。
 オシュトルが不思議な青年を道端で拾い、救急用ドローンを呼んで彼を病院に送り届けた翌日の午後のことである。


「お、あんたが倒れていた自分を助けてくれたヒトか」
 看護ドローンに指示された病室を訪れれば、昨夜見つけた男がベッドの上で上半身を起こし、へらりと笑ってオシュトルを出迎えた。
「具合はいかがか」
「検査結果は問題なしだそうだ。寒空の下で気を失っていた割には風邪もひいていない。あんたのおかげだ。感謝する」
「いや。大事にならず幸いであった」
 ベッドの脇にある椅子に腰かけ、オシュトルはふっと口元を和らげる。
「ところで」オシュトルは一つ気になることがあり、改めて口を開く。「貴殿の名は何と言う。某はオシュトルと申す」
 この病室に案内される際も、また病室の前を確認した際も、助けた青年の名前がどこにも表示されていなかったのだ。個人情報保護の観点から病院側が設けているルールだろうかと思いつつ、それなら本人に直接尋ねればいいだけのこと。しかしオシュトルの問いかけに対し、帰って来たのは気まずそうな苦笑。
「あー……それがな」
 かりかりと人差し指で頬を掻きつつ、青年は言った。
「どうやら自分には記憶がないらしい。しかも生体情報やら何やらで病院側もデータベースにアクセスしてできる所まで調べてくれたんだが、ヒットしなかったそうだ。所持品も無かったし、完全にお手上げ状態だな」
「それは……」
 オシュトルは絶句する。まさか自分がたまたま助けた男が記憶喪失の身元不明者などと普通は思うまい。おまけに現在オシュトルの係が調べているのは『記憶喪失かつ身元不明者』が連続して見つかっている件である。これでもしこの青年の犯罪係数が規定値以上であったなら、『四人目』ということになってしまう。
「つかぬことを訊くが、」オシュトルは平静を装い問いかけた。「色相に問題は無かっただろうか。自分がどこの誰かも判らず、何故あのような場所で気を失っていたのかも不明となれば、不安は小さくなかろう」
「あ、それは大丈夫だ」
 しかしオシュトルの心配とは正反対に、青年はケロリとした表情で答えた。
「濁り一つないクリアホワイトだったからな。看護師さんに苦笑されたよ。あなたどれだけ能天気なんですかってな」
「そ、うか」
「おう。まぁ自分としては能天気とかじゃなく前向きだとか精神的に強いとか、そう言ってもらえた方が嬉しいんだが」
 色相チェックの結果の通り澄み切った水か青空のような笑みを浮かべる青年。その様子にオシュトルは内心ほっと胸を撫で下ろし、ゆるりと目じりを下げた。
「其方は面白い男だな」
「そうか?」
「ああ。記憶がないというのにそのような顔……余程の傑物か、それともその看護師が言った通り底抜けの能天気なのか。いずれにせよ、シビュラが治めるこの國においては得難い才能であろう」
「おいこら、『底抜け』は言ってなかっただろうが。『底抜け』は」
「そうであったっか?」
「お前の方がよっぽどすごい気がしてきたぞオイ」
 半眼で呻く青年にオシュトルは破顔する。まだどこの誰とも知れない男なのに、ぽんぽんと小気味よく進む会話が楽しくて仕方なかった。
「して、今後はどうする」
「そうだなぁ……とりあえず國の制度がどうとかで、あと一週間くらいはここで面倒見てもらえるらしい。検査も兼ねてな。そっから戸籍取得して、住む場所を探して……あーー」
「いかがした?」
 急に肩を落とす青年。オシュトルが問いかければ、青年はちらちとこちらを見遣ってからぼそりと言った。
「職も探さにゃならんのだが……いや、ほとんどはシビュラが提案してくれるんだが……」
「だが=H」
「働きたくないでござる」
「……そうか」
 厚生省公安局刑事課の監視官つまりエリートであり、十年間の任期を務めきった後の出世が約束されている自分の立場からは程遠い台詞に、オシュトルはそう答えるしかなかった。なお、シビュラが職業適性を判断しそのヒトがより良い人生を送るのに最適な仕事を提示してくれるようになった今も、稀にこうしたニート志望者は出てくる。
「そう言えば、記憶が無いとのことだが、シビュラのことは覚えているのだな」
「ん? あ、ああ」伏せていた顔を上げて青年が答える。「どうやら自分は日常生活に支障がない方の記憶喪失らしい。己の名前も交友関係もすこんと忘れているくせに、物の名前とか使い方とかそういうのは判るんだ。おかげで幼児退行せずに済んだ。このナリで赤ん坊みたいになっちまったら目も当てられん」
 筋力はなさそうだが身長はオシュトルと同じくらいある青年が両手で自分自身を抱き締め、ぶるりと身を震わせる。オシュトルも赤子のようになってしまった青年よりはこうして十二分に会話できる方が嬉しいため素直に首肯した。
「なれば社会復帰もそれほど難しくはなかろう」
「うげ、やっぱ働かなきゃだめか」
「余程のもの好きが其方を養いたいと申し出ぬ限りはな」
 暗に可能性はゼロだと告げるオシュトル。青年がガクリと肩を落とし、「お前結構サド気質じゃねぇの?」などと言ってきたので、オシュトルはそれはそれは綺麗な笑みを浮かべて「ん?」と首を傾げてみせた。
「何か言ったか?」
「イエ、ナンデモゴザイマセン」
「そうか。だが働くにしても無理はせぬようにな。其方の躰はどうにも丈夫そうに見えぬ」
「そんなにやわそうに見えるかね……? ま、その言葉はありがたく受け取っておくさ」
「こうして出会ったのも何かの縁であるし、必要とあらば手を貸そう」
 そう言ってオシュトルは公安局から支給されている腕時計型の端末を見せる。そこに表示されていたのはオシュトルの所属を示す顔写真つき証明書。「公安……?」と青年の深い琥珀色の目が驚きに見開かれた。
「エリート中のエリートってやつだろ、確か。うわ、なんて奴に拾われたんだ自分は。ってか仕事は大丈夫なのかあんた」
「問題ない。緊急の際には連絡が入るようになっている」
「つまり仕事を抜け出してきた、と」
「幸いにも年暇(年次有給休暇)は有り余っているのでな。半休であっても消化した方が良かろう」
「いやまぁそりゃそうだけど……」
 本当に大丈夫か? と、青年の顔が語っている。大変なのは自分の方だろうに、そんなところで他人を気遣う青年が面白くて――もしくは好ましくて――、オシュトルは口元が緩むのを止められない。職場どころか日常生活でもここまで表情筋が緩くなるのは珍しく、驚くと共に胸の奥が温かくなるのを感じた。
「本当に気にするな。公序良俗に反することはできかねるが、某は其方と結んだこの縁を途切れさせたくはないと感じている」
 そう言って手を差し出せば、青年は戸惑ったように幾度かオシュトルの顔と手の間で視線を往復させる。だがやがて決心したのか、口元に弧を描くとしっかり手を握り返してきた。
「助かる。だが借りっぱなしというのも気持ちが悪いのでな。自分にできることがあるなら、オシュトルの助けになろう」
「それは僥倖」
 固く握手を交わし、手を離す。
「それでだなぁ……」
 手を離して早々、青年が気まずそうに顔を逸らす。どうしたのかとオシュトルが不思議に思えば、青年はちらちらとオシュトルを窺いつつこう言った。
「自分の名前を決めねばならんのだが、手伝ってもらっても構わないか?」
「名前か」
 あまりにもスムーズに会話が成り立ったため忘れていたが、彼は記憶喪失者で名前すら判らない状態だ。オシュトルは「ふむ」と顎に指を添える。
「某が考えても構わぬのか?」
「ああ。自分で恰好いい名前を考えるのも楽しそうだが、何となくこうして自分を拾ってくれた奴に付けてもらった方が良い気がして」
「なるほど。其方自身がそう言うのであれば、このオシュトル、助力致そう」


 ――そうしてしばらく二人でああだこうだと言いながら考えたのち、この記憶喪失の青年の名前は『ハク』に決まった。
 記憶を失い、真白になった青年。白、澄んだ精神を示す色。新たな始まりを示すもの。
「ハク、これからよろしく頼む」
「こちらこそ、だ。よろしくな、オシュトル」







2016.02.23 pixivにて初出