再雷




 第一印象は良くも悪くも平凡。……否、飴屋のサコンとして言葉を交わしたその男は、世間のことを何も知らないような素振りで、またオマケに美しい少女を複数連れ歩いている、有り体に言えば同性として気に入らない類の人物だった。
 しかしそれはミカヅチの同僚であり好敵手でもある右近衛大将オシュトルが見込んで、隠密として己の配下に加えたがるほどの者だったらしい。しかも実際に隠密として雇い出してから、オシュトルはミカヅチとの会話で頻繁にその男のことを話題に上らせるようになった。曰く、仕事を任せれば面倒だと言いつつも、こちらの期待を越える成果を出してくれる。しかもオシュトルが依頼の難度を徐々に上げるにつれ、男もその眠っていた才能を開花させるかのような働きぶりを見せる。それが見ていて嬉しくて仕方が無い、等々。
 正直に言って、ミカヅチがその男――ハクに興味を持ったのは、そんな同僚の耳にタコができるくらいの自慢話があったからだろう。兄のライコウも後々断言することになるのだが、オシュトルは他人を容易く信用するくせに、他人を頼ろうとはしない。しかしハクに関してのみ、オシュトルは彼を信じ、そして殊更頼っていた。どんな難題も何とかしてくれると思わせる、と言って。その重用具合は、ミカヅチとの会話でもハクの話題が尽きないほどである。
 流石にここまで言われれば正面切って会ってみようという気にもなる。オシュトル(ウコン)の手を借りつつも、自ら積極的にハクとの接点を増やしてみれば……さもありなん。普段ぐうたらで、面倒臭がり屋で、お調子者で、けれどもいざという時にはこちらの度胆を抜く機転を見せる、そんな男の素顔にどんどん引き込まれる自分がいた。
 加えてハクはふわりと周りの者達を包み込むような空気を持っていた。思わず頭を下げたくなる太陽そのもののような帝とも違う、その笑みを見るだけで頬が緩む日輪花(ティマノンナ)のようなアンジュ皇女殿下とも違う。そう、オシュトルの言葉を借りるなら、陽だまりのような男。その膝に頭を預け、自分達のような武人とは違う細く白い指でそっと髪を梳かれたならば、どれほど夢見心地になれるだろうか。そう夢想して、自分は何を考えているのかと頭を振ったのは一度きりのことではない。
 だが己の中に生まれたその感情が一体何なのか、ミカヅチが自覚する前にハクは帝都を去ってしまった。帝暗殺と皇女暗殺未遂の容疑者として捕らえられたオシュトルを救い出し、彼とその仲間達と共にアンジュを連れてエンナカムイへと逃げたのである。
 やがてオシュトルはアンジュ姫殿下の御旗の下に、帝を暗殺および彼女まで殺そうとし、そしてその罪をオシュトルに着せた者と戦うため祖國で挙兵した。帝都に集結したヤマトの兵よりずっと弱く数も少ないはずのエンナカムイの兵をまとめあげ、奇策により連戦連勝を重ねるオシュトル。人々の口に上ることはなかったが、おそらくその傍らにはあのハクもいるのだろう。何を信じていいのか分からなくなりつつあったミカヅチにとって、それはとても羨ましいことに感じられた。ハクならば、誰を、何を信じて進めば良いのか判らず惑うミカヅチに一筋の光明を示してくれるのではないか、と。
 しかし、そばにいないものは仕方が無い。ミカヅチは己にできる精一杯のことをやるだけだった。
 その結果が――


 パチパチと倒壊した家屋の燃える音が聞こえる。夜風に火の粉が舞い、ミカヅチの目前を過ぎていった。
「貴様は、」
 その光景の中、ミカヅチは息を呑む。
 オシュトルの汚名が雪がれ、事の真相が白日の下に晒された後。ミカヅチはようやくかつての好敵手と相対する機会を得た。ヴライとの戦闘で負った傷が原因で以前のように戦えなくなったと風の噂で聞いた通り、確かにオシュトルの体躯は一回り小さくなったような気がする。しかしピンと伸びた背筋もその身にまとう清廉な気配も何も変わらない……と思いきや。仮面の奥から覗くその瞳の色にミカヅチは『真実』を悟った。
 目の前にいる人物はオシュトルではない。この男は、『彼』だ。
 そして、
(陽だまりは失われてしまった)
 この心を温めてくれる微笑みはもう欠片もない。そこにあったのは、冷たい冬の月のような冴え冴えとした光のみ。星一つない真っ暗な夜空に浮かぶ真円の白。
「……ッ」
 声もなく膝を付く。仮面の奥の双眸がすっと細められ、「いかがした、ミカヅチ」と、あれに良く似た声が尋ねた。
「は、ははっ……」
「ミカヅチ?」
 オシュトル≠ェ不思議そうに首を傾げる。
 この男が後見となりアンジュが築く新たなヤマトは、きっと良い國になるだろう。アンジュの心根は優しく、そして彼女が誤った手段を取ろうとした時にはきっとオシュトル≠ェそれを諌め、またどうしようもない困難にぶつかったならば皆の度胆を抜く奇策で解決してくれるはずだから。
 しかしかつてのヤマトに存在していたあの陽だまりの光景はもう二度と戻って来ない。
(なぁ、オシュトル)
 目の前にいる男とは別の男の名を呼ぶ。
(お前は俺の愛した陽だまりを、貴様の命と共に常世へ持って行ってしまったのだな)
 ――嗚呼。その事実のなんと恨めしく、また羨ましいことか。
 ようやく自覚した想いが決して叶えられぬものと知ってミカヅチは途方に暮れた。膝を付いたまま何も言わない左近衛大将に、仮面の男は「どうしたのだ?」と訝るばかり。しかし今のミカヅチにはそれに応えられる気力がない。
(もしこの想いに気付くのがもっと早ければ、俺はあいつを失わずに済んだのか)
 益体もない考えが脳裏をよぎる。
 このヤマトを混乱に陥れた真相に辿り着けずとも、せめて己の胸の内に芽生えた感情を自覚できていたならば、こんな結末は迎えずに済んだかもしれない……と。
 馬鹿げた思考だとは理解している。しかしそう思わずにはいられない。次から次へと溢れてくる感情に喉は詰まり、地面を睨み付ける視界がじわりと歪んだ。それを見ていられなくて、ミカヅチはきつく目を瞑る。暗闇の中、凍えるような男の気配だけを感じていた。
 しかしその気配すらも、ふつり、と消える。
 はっとして顔を上げたミカヅチは、

「……な、ん」

 目の前に広がる光景に言葉を失う。
 そこは数多の命が散る戦場でも厳かな空気を漂わせる宮廷でもなかった。机の上にはたくさんの料理と酒が並べられ、盃を手にした知人達がわいわいと酒精に赤く染まった顔で騒いでいる。
 左隣では蓬髪ヒゲ面の渡世人――ウコンがガハハと笑っており、その男に肩を抱き寄せられているのは、
「は、く……?」
「んあー? なんだよ、サコン。そんな顔して。ほら、もっと飲め飲めぇ!」
 ま、お前のカネだけどな! と、ウコンと共に笑う陽だまりの男。
 ぐらりと眩暈を覚えた。何が何やらさっぱり分からない。しかし、何をすればいいのかだけは理解している。
 ミカヅチ――否、今はカツラをかぶり鼻の下にヒゲを付けているのでサコンと称すべきだろう――はすっくと立ち上がり、近くにあった大徳利を掴んでハクの隣に移動する。そこに腰を下ろすと、ウコンから奪うようにしてハクの腰に腕を回した。
「うお?」
「……おい、サッちゃん」
 ギラリと蘇芳の瞳に剣呑な光が宿る。どうやらこの頃にはすでに、右近衛大将の心はすっかり陽だまりの男に奪われてしまっていたらしい。しかしそれに気付いてもなおサコンはハクを解放することなく、むしろますます強く自分の方に引き寄せて、彼の盃に酒を注いだ。
「だったらお前も飲まんかハク! ほれ!」
「うお、っと、っと。いやぁスマンな」
「構わん構わん」
 至近距離でニヤリと笑うサコン。その胸には途方もない歓喜が満ちていた。
 陽だまりはまだここにある。だったらやるべきことは一つだけ。
(今度こそ、ハク……お前を失わせはしない)
 何があっても必ず己が守り抜く。
 そう心に誓って雷(いかずち)を支配する武人(もののふ)は、自らもまた酒で満たした盃をぐいと傾けた。







2016.02.15 pixivにて初出