星を砕いて抱き締める
夢を見た。 己の躰が塩のような、白い砂のようなものになって崩れていく夢だ。 しかし常識的ではない死を迎える己は決してそれを恐れたり、こうなるに至った経緯を悔やんだりなどしていなかった。むしろ胸にあったのは満足感。これで目の前にいる『彼』を自分に縛り付けることができるのだと、歓喜していた。 崩れゆくこの身を前にして悲壮な表情を浮かべる『彼』。記憶もなく、身寄りもなく、ただあるがままに生きてきたその男の胸に、己の存在は深く刻み付けられたことだろう。これでもう彼の心は自分のものだ。 しかしそれに加えてもう一つ。欲深い己は彼に仮面を手渡す。顔の上半分を隠すだけで他者が彼と己の見分けを付けられなくなることはすでに知っていた。そしてまた面倒臭がりでありながら非常に聡明でもある彼がこの仮面をどのように使うのか、予想することは容易い。 彼が仮面を受け取る。己は満足げに微笑んだ。 心を、魂を縛って。まだそれでも飽きたらず。彼の名と躰さえ自分という存在が奪っていく。この恍惚感、この高揚感。何ものにも代えがたい。 (これで其方は某のものだ) 躰の全てが砂になって崩れる。 その瞬間、己は世界で一番幸せな男になった。 「――という夢を見てな」 「ほう? それでお前はこんなことをした、と」 夢の内容を語ったオシュトルにハクが「なるほど?」とやや語尾を上げつつ頷く。 ここはオシュトル邸の奥、主人であるオシュトルの私室。座布団の上で胡坐をかいた脚の白く細い足首には繊細な彫刻を施した足枷が輝き、拘束対象の動きに合わせて細い鎖がしゃらしゃらと音を立てた。鎖の先は部屋の隅に固定されている。 女子供はさておき、成人した男ならば容易く引き千切れてしまえる程度の鎖だ。しかしこのハクという男は体力も腕力も幼い子供以下で、飾りのような足枷ですら自由に外すことができない。 このようにか弱い躰の持ち主であるため、首に枷をつければ金属の重さで肩がこり、手首につければ服を着るとき邪魔になる。というわけで検討を重ねた結果、浴衣状の着物であれば脱いだり着たりする際も邪魔にならない足枷で、なおかつ最低限の重量、おまけに彫金を施した優美な見た目のものとなった。 オシュトルの視線が足枷とそこから伸びる鎖に向けられたことに気付くと、ハクはわざと足を動かしその鎖を鳴らして「それでお前は満足か?」と問いかける。 「ああ。この鎖と枷はハク殿が某のそばから離れぬという何よりの証拠。今の某は夢の中の己と同じく満たされている」 「ふーん……」 ハクは腿に肘を置いて頬杖をつき、下から覗き込むようにしてオシュトルを見た。 「夢の中のお前はそんなに幸せだったのか?」 「そうであるな。ハク殿に重すぎる荷を背負わせたことは申し訳なく思うべきところなのだろう。しかしそれ以上に某は其方を手に入れることができ、この心は満たされていた」己の胸に手を当て、オシュトルは夢を思い出すように目を閉じる。「この上もなく幸福であった。目が覚めて夢の内容をはっきりと思い出した時、某は夢の中の己をとてもうらやましく思った。同時に、己がいかにハク殿を特別に思っていたか自覚したのだ」 しかしただ単にハクの目の前で首を掻き斬っても夢の中のように彼の全てを手に入れることはできない。その状況を作り出すには諸々の要素が足りないのだ。ゆえにオシュトルは別の方法でハクを手に入れることにした。 「その結果がコレか」 ハクが再度しゃらりと鎖を鳴らす。オシュトルは素直に首肯した。 「世間様で言われている『清廉潔白』が聞いて呆れるな」 「その形容は己から言い出したことではない故」 「確かにそうか」 ハクもまたあっさりと頷く。 自分で拘束しておいてなんだが、オシュトルはハクのこの姿勢が少し不思議だった。 用件の詳細も告げずに呼び出せば、素直に邸を訪れたハク。そうして酒や薬で特に意識を奪う訳でもなく、オシュトルが枷を持ち出し黙々と彼の足につける最中も、ハクは素面の状態で黙ってされるがままになっていた。口を開いたのは鎖の先を部屋の隅に固定してから。つまり完全にハクの身柄を監禁した後のことである。 もしかしてハクはこのオシュトルの行為を冗談か何かだと思っているのだろうか。仕事に疲れた親友があまり世間様にはお見せできない遊びで鬱憤を晴らしている、と。 「あー……別にこれが遊びで、枷もすぐ外してもらえるだろうなぁなんて思ってる訳じゃないぞ」 オシュトルの様子から疑問に思っていることを感じ取ったらしく、ハクがそう口を開く。予想が外れたオシュトルははてと小首を傾げ、「では何故そのように落ち着いておられるのか」と問いかけた。 「そうだな……まぁなんて言うか」 ハクはがりがりと頭を掻く。深い琥珀色の双眸が一度瞼の裏に隠れ、再び姿を現した時、彼はオシュトルを通り越してどこか遠くを見つめていた。 「ハク殿……?」 オシュトルが名を呼べば、琥珀の視線はすぐにこちらへと戻って来る。 「なぁオシュトル」 胡坐をかいていた状態から腰を浮かし、両膝をついたままハクはオシュトルににじり寄る。帝都に来てから多少は働く者の手になりつつあるが、それでもまだ白く細い指がオシュトルの仮面と頬に触れた。 「自分はな、お前が消えずにそばにいてくれるならそれでいい、と。そう思ったんだ」 「ハク、どの」 「この身も心も奪ってくれて構わん。だからどうか自分からお前という存在を取り上げないでくれ」 仮面に触れていた指がその表面にカリリと爪を立てる。 「……もう二度と、あんなのはごめんだ」 愛おしげに、けれど今にも泣きそうな声で、ハクはオシュトルにそう懇願した。 ハクが何を思ってそのように告げるのか、オシュトルが正確に理解することはできない。オシュトルには理解するために必要な『記憶』がないのだから。しかしハクの懇願は確かにオシュトルの魂を震わせた。 「ああ……」 かすれた声で頷く。 言葉は自然と唇を割って出た。 「もう二度と其方を置いて行ったりはせぬよ」 記憶はない。頭で理解することもできない。けれども魂が知っているのだ。 オシュトルはハクの手を取り、その痩身を抱き寄せる。抵抗は無く、むしろ自ら望むようにハクの腕が背に回った。 「オシュトル、頼むから」 しゃらしゃらと鎖が鳴る。 彼に、彼を、繋ぎ止めるための鎖が。 「もう二度と自分を離さないでくれ」 「承知した、ハク殿」 もとよりこれはオシュトル自身が望んだこと。 静かに、けれどはっきりとそう告げて、オシュトルは金属の枷よりもずっと強くハクの躰を抱き締めた。 「二度とこの手を離さぬと誓おう」 2016.02.05 pixivにて初出 |