「……っ、ぁ………」
「ああ、目ぇ覚めたか」
 かすかな呻き声に気付き、上条は床に座った状態のまま背にしていたベッドの方に視線を向けた。
 新しい物に取り換えられたシーツはベッドの主が身動ぎする事によっていくつもの皺を生み出す。その真っ白な波の中でシーツよりも更に白く見える白髪の間から鮮血色の瞳が眠たげに上条を捉えた。
「おはよう。と言ってもまだ夜中だけどな」
 焦点の定まらない赤い双眸の主――― 一方通行に笑いかけ、上条は流し読んでいた文庫本を自身の物である大きめのスポーツバッグに放り込む。それから一方通行のベッドに片手を付き、彼に覆い被さるような形でその顔を覗きこんだ。
「気分は?」
「ン、へーきだ……」
「それならよし。喉は?」
「…あァー……少し」
「わかった。ちょっと待ってろよ」
 緩やか過ぎる覚醒に僅かな苦笑を見せて上条は立ち上がる。数時間前に自分が使い今は台所の水切り籠に入っているグラスを手に取り、それから冷蔵庫の扉を開けてミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、中身をグラスに注ぎながら一方通行の元へ。部屋の中を歩く様子も物を手に取る動作も慣れたもので、上条がこの部屋で同じような事を幾度も経験して来たという事実を窺わせた。
「はい。自分で飲めるか?」
「ったりめェだろォが……」
 上条の問い掛けに一方通行はのそりと身を起こしながら答える。声の調子から察するに、これは怒っているのではなく単に上条に世話を焼かれて照れているだけなのだろう。
 常時展開している反射によって誰からも眠りを妨げられるはずのない一方通行は寝起きの悪さも一級品で、上条が渡した冷たい水を口にしてようよう本覚醒に至ったようだ。鮮血色の双眸を昼間と同じ程度に開いてその中に上条を映すと、一方通行はやや抑え気味の聞き取り辛くなった声音でベッドの上から問いを発した。
「オマエ、もォ帰っちまうのかァ…?」
「まーな。一方通行も起きた事だし」
 既に決定事項であるとして上条は笑ったまま答える。今日もそうだし、一昨日もそうだった。上条当麻はこうして一方通行の部屋に通い彼を抱いても決してその部屋で一夜を明かしたりはしない。何故かと問われれば答えられない―――と言うような事は無く、原因は上条の今の同居人にある。
 一方通行には詳しく知らされていないが――双方共にその必要性を感じないので――、上条は一方通行との関係を自身の同居人に告げていないのだ。それによって上条が一方通行と“ソウイウコト”をする際は同居人が寝静まってからこっそりと部屋を抜け出し、またその人物が起床する前に戻らなくてはならないのである。
 と言うわけで、上条はセックスで一方通行が意識を失った後、事後処理を終えてしばらくすると帰宅する事が常となっている。それでもすぐに帰ってしまうのではなく、なるべく一方通行が目覚めるまで傍にいようとするのは上条本人曰く「愛しているからだよ」という事だった。
 一方通行の覚醒を見届けた上条は名残惜しそうな視線のまま鞄を持ち上げ、「じゃあ」と告げる。対して一方通行は何も言わない。早く帰れ、とも。まだ帰るな、とも。しかし上条はそんな相手の気持ちなどお見通しだと言わんばかりに小さく苦笑し、未だベッドの上で上半身を起こしているだけの一方通行に右手を伸ばした。そのまま、ふわりと壊れ物に触れるような手つきで一方通行の頬を包み込む。
「また明日」
「なッ…!?」
 ちゅ、と可愛らしい音を立てて一方通行の額から上条の唇が離れた。突然の事に一方通行は顔を赤くし、睨むような目つきになる。だがいくら剣呑な雰囲気を漂わせようとしても、目元や頬それに耳にまで至る朱色が彼の心情を隠しようも無く外部に示している。
 そんな相手に上条は殊更笑みを深くして「かわいい」と呟くと、今度こそ一方通行の部屋を出て行った。真っ赤になったままシーツの中に顔を突っ伏す一方通行を残して。


 一方通行のいるマンションを出てしばらく歩いた所にある路地裏にて。上条当麻は街灯の光も満足に届かないその場所で立ち止まると、肩に掛けていたスポーツバッグを地面に下ろして薄く笑った。
「こんなにわらわら集まっちまって。みなさんそんなにお暇なんですかー?」
 彼が見据える先、路地の前方には数人の男達の姿。高校生から大学生、もしくは無職の青年と言った所の彼らは、年齢はバラバラであるけれども一様に攻撃的な雰囲気を醸し出していた。とは表現しつつも、一方通行を始めとするより凶悪で強力な者達と対峙した事のある上条にとって、目の前の彼らが纏うそれは実に安っぽいものでしかないのだが。
 上条は薄い笑みを保ったまま後頭部に手をやると、ぞんざいに頭を掻きながら対峙する者達に告げた。
「で、おたくらの用件は? このまま俺を通り過ぎて一方通行のマンションにお邪魔しに行く? それとも一方通行のマンションから出て来た俺とここで勝負する?」
 一方通行と上条が操車場で一戦交えて以降、どこから噂を聞き付けてきたのかこういう相手が増えてきていた。学園都市第一位であるはずの一方通行が他者に負けた事から自分にも勝機があると勘違いも甚だしい愚か者。もしくはあの一方通行が最近特定の誰かと親密にしていると聞きその『誰か』を一方通行への見せしめに害してやろうと考える者。前者が一方通行のマンションに(基本的には本人が不在の間に)突撃しようとする者達で、後者が『誰か』こと上条当麻に戦いを仕掛けてくる者達だ。尚、一方通行に勝利した人間と一方通行のマンションから出て来た人間がイコールで結ばれる事はほとんどない。学園都市内での情報操作の賜物と言った所か。
 そして、今夜、この場所に集まっているのは上条当麻を害そうとしている者達。
 上条の判りきった疑問に下卑た笑みを浮かべ、それぞれの手に獲物――鉄パイプやらスタンガンやら――を持ってじりじりと近付いて来る。攻撃手段が能力頼りでない所を見ると、相手はスキルアウトあたりだろう。
「……ったく、学園都市第一位様も人気者で困りますねぇ」
 独りごち、そうして上条も動きを見せた。相手との距離はまだ十数メートル。充分な余裕を持って、しかし常人よりは圧倒的に早く、上条は地面に落とした鞄の中から何かを取り出す。そしてスキルアウトの面々に向かって“それ”のトリガーを引いた。

 ―――シュパ! ぐちゃ!!
 上条が左手に持つ鉄の塊―――大口径のハンドガンは消音器サイレンサーによっていくらか本来の威力を失いつつも充分にその働きを示し、一番先頭に立って上条へと向かって来たスキルアウトの一人の胸に真っ赤な花を咲かせる。倒れた青年は胸の中央部を爆ぜさせて地面に倒れ、その周囲へと暗赤色の液体を急速に広げてゆく。勿論、即死だ。
「ひっ…!」
 それは誰が発した悲鳴だったのか。
 仲間が受けたその容赦の無い攻撃方法に、他のスキルアウト達が足を止める。血溜まりに倒れる仲間と銃を構えた上条を忙しなく動く目で交互に見遣ると、理性が負けを認めるよりも先に生物としての本能が逃げろと言う命令を全身に送った。
 だが先刻の威勢はどこへやらと背を向けて駆け出すスキルアウト達に向かって、上条は残酷に告げた。
「悪い。目撃者は逃がさない決まりでね」
 人数分の空気音。消音器で殺された銃声が路地裏で小さく鳴き、逃げ出す人間達の足音を全て奪う。上条は真っ赤に染まった地面や壁を眺めるでもなく役目を終えた銃を鞄に仕舞うと、ポケットから携帯電話を取り出した。コールの間、電話の向こうの相手が出る前にぽつりと呟く。
「俺と俺のオモチャに手を出す奴は嫌いなんだ」
 呟きに応える者は無く、コールが終わって会話が繋がる。
 電話の向こうの相手に上条は明るく笑いかけた。
「あ、俺です。上条です。またやっちまったんで迎えに来てくださいよ。場所はいつも通り。『白いお人形』が住んでる『ドールハウス』のすぐ近くですから。―――大事な“コイビト”のお願い、聞いてくれますよね? 木原さん」










純白ドール

(四角いお城に住んでいる、アノ子は愛しいお人形)












銃は木原さんから支給。
上条さんは「コイビト」なんて言ってますが、勿論冗談半分です。
たぶん仲のいい『研究者』と『実験体(モルモット)』とかその辺。
……すみませんアバウトで。