幼稚園を卒業する前の、舌足らずな呼び声がまだ頭の中に残ってる。
まいか、まいか、と親戚の手に引かれて去って行く私を呼ぶ声。 疫病神の妹と言われても良かった。石を投げつけられ、血を流しても構わなかった。あの人と一緒に居られるなら何だって許せたのに。 しかし心優しい両親を含む周囲はそれを許してくれなくて、私はあの人と引き離された。『疫病神』から不幸を受け取るのを防ぐためではない。ただ、その『疫病神』を本物と信じて害意を投げつけてくる世間から私を守るために。 『まいか、まいか』 『ごめん、な』 泣いて嫌がる私にあの人は言う。 『一緒にいてあげられなくてごめんな、泣かせてばかりでごめんな』 どうして離れ離れにならなければいけないのか、幼さゆえにきちんと理解していなかった私へあの人は何度も何度も繰り返す。 『お願いだから、まいかは幸せになって』 『不幸なおれと違って、まいかは幸せになれるんだから』 * * * 「―――ッ!!」 繚乱家政女学校の寮で土御門舞夏は目を覚ました。 掛け布団代わりのタオルケットは荒々しく撥ね上げられ、カーテンの隙間から朝日が零れる部屋の中、皺が寄ったシーツの上で舞夏は膝を抱えた。 「夢、かー……」 ぽつりと呟く。 その表情は抱えた膝に顔を埋めているため窺えないが、舞夏本人には鏡を見ずともよく解っていた。きっと、悔しくて悲しくて切なくて、どうしようもない顔をしているのだろうと。 日中はカチューシャで上げている前髪をぐしゃりと右手で掴む。かなりの痛みを与える結果になったが、これくらいどうという事はない。夢で見たあの時の事を思えば、どうって事……。 「……にい、ちゃ」 あの頃はよく呼んでいた、けれどあの時から本人に向かって呼べなくなった呼称が無意識に口を突いて出る。 冗談としてならまだ言える。だが“本当の意味”で呼ぶ事はもう出来ないだろう。『彼』を兄と呼ばないよう舞夏は土御門の姓を名乗っているのだし、それより絶望的な事に、今や『彼』の頭の中からは舞夏の存在とその関係性が永遠に失われてしまったのだから。この七月の終わりに。 「にいちゃ……おにいちゃん……」 今度の声はほんの少し涙に濡れていた。 どうしてあの時、自分は『彼』と離れ離れになってしまったのだろう。幼さゆえの不可抗力か? いや、それでももっと必死になっていれば何かが変わったかもしれない。 あの別れの後何年か経って、『彼』が学園都市に移り住んだのを知った時、舞夏は自分もそこへ行き、実の妹であると周囲に公言出来ない中でも少しでも『彼』の傍にいる事を願った。その願いが叶ったのは更にもう少し後になってからであるが、舞夏は学園都市で『彼』と再会して確かに幸せを取り戻したと思った。……が、それだけで満足してはいけなかったのだ。 あの時に兄妹と名乗れなくなり対外的には単なる知り合いだったため、舞夏は『その事件』が起こった時も物理的な意味で『彼』の傍にいる事が出来なかった。『その事件』―――禁書目録争奪戦と呼ばれる魔術師達との戦いにおいて、『彼』のすぐ近くに義兄がいた事も舞夏の油断を誘ったのだろう。 しかし結果はどうだ。 義兄は何もしてくれず、外から来た魔術師達は『彼』をボロボロに痛めつけ、挙句の果てには『彼』が守ろうとした少女自身(正確には少女に仕掛けられていた迎撃用魔術)の攻撃によって『彼』は“死んで”しまった。 後になってそれを知った時の舞夏の絶望と後悔は言葉に表せない。 己もまた死んだと思った。それでもまだ足りないと思った。何も知らないフリなどせず、義兄の事も魔術の事も全て知っているのだと表に曝け出してでも、『彼』の元にいれば良かったのだ。 『彼』と己の密かな関係を続けるためという保身、そして義兄に対する過剰な信頼が、結局、『彼』を殺したのである。 幼い頃の夢を見て舞夏はその思いを改めて心に刻み付けた。 もう保身はいい。過剰な期待も信頼もしない。 大切な大切な『彼』の中の思い出は失われた。残るは『彼』の肉体―――その生命。 だったら、と舞夏は思う。 だったら、せめてその残った身体だけでも守りたい。そのためなら何でもする。してみせる。 「必ず……」 呟きながら舞夏は抱えていた膝を解いてベッドから降りる。 小さく、けれど強い決意の篭った声で言葉を続け、少女は立ち上がった。 「必ず、守ってみせるからな。当麻お兄ちゃん」
s i s t e r
舞夏は実力的にレベル4か5で。 |