上条先生と学園都市最強






 その日、一方通行はいつものように夜道を歩いていた。
 手にはコンビニのビニール袋を提げ、その中には缶コーヒーがいくつも入っている。と言うより、缶コーヒーしか入っていない。振り回せば凶悪な鈍器になりそうな量だったが、学園都市第一位であるベクトル操作能力者には関係の無い事だった。
 ざり、と。靴底とアスファルトが擦れて音が鳴り、のんびりと歩いていた一方通行の足が止まる。
 まるで羽虫でも見るように細められた赤い双眸の先には盛大にスレた感のある高校から大学くらいの男女が屯していた。おそらく、きっと、偶然ではない。一方通行がやって来たのに気づいて立ち上がり彼と対峙するように狭い路地いっぱいに広がる様から察するに、学園都市第一位をその座から引き摺り下ろそうと考え、この場で待ち伏せていた者達なのだろう。現に一方通行を睨む彼らは各々手から炎を出したり空中に放電したりと、己の自信の根源たる能力を見せ付けている。
 一方通行は溜息を吐いた。まったくもって、やってられない。どうして彼らはこれが無駄で無謀な行いだと解らないのだろう。一方通行が『最強』であっても『無敵』ではないからか。彼らが戦う気すら起こせないような『無敵』ではないから。
 だが現実として『絶対能力進化計画』が実行されていなければ、学園都市第三位「超電磁砲」の軍用クローンが量産されている訳でもない。一方通行は今までもこれからも『無敵』ではなく『最強』のままなのである。
 コンビニのビニール袋を片手に提げたまま一方通行は空いている腕を相手方に向け、天に向かって突き立てた中指をくい、と曲げた。
「メンドくせェが、とりあえず来やがれ」
 途端、対峙する者達が顔中を怒りに染めて突進を開始―――の直前、暗い路地に第三者の声がまるで雷のように落ちてきた。
「こらぁぁあああ!! テメーら何やってやがる!!」
 一方通行達を照らす懐中電灯の光。背後からのそれに一方通行が振り返ろうとするが、それより先に対峙していた者達がビクリと身を竦ませて声の主を凝視していた。そして、
「“カミジョー”だ!! 逃げるぞ!!」
 誰が言ったのか。とにかくその声を合図にして彼らは一斉に逃げ出した。「こら待ちやがれっ!」と、またあの声がするも、当然ながら止まらない。
 蜘蛛の子を散らすように姿を消した男女を見送り、次いで一方通行は己の左隣まで来た“補導対象に逃げられた警備員アンチスキル”を見た。
 辺りが暗いので少し判りにくいが、年齢は二十代半ばくらい。黒髪のツンツン頭。警備員は教師がボランティアとして行っている仕事であるため、この男もそうなのだろう。
 警備員には女性もおり、しかもレベル3程度の能力者ならカーボン製の盾だけで制圧できるツワモノまでいるらしい。だが一方通行の横に立つ人物がそこまでの実力者であるようには見えなかった。にも拘わらず、一方通行に敵対しようとしていた者達はこの警備員が姿を現わしただけで一目散に逃げ出してしまっている。
(何だ…? 対能力者用の武器でも持ってやがンのかねェ)
 もしそうだとしても一方通行には関係ない。逃げて行った雑魚共ならば喰らってしまうようなものでも、ベクトルを操る一方通行はそれすら容易く反射出来るのだから。
 逃走した者達から視線を移して、いつの間にかこちらを見据えていた黒い瞳を見返しながら一方通行はそう思った。ついでに、自分がこの男の補導対象になっていたとしても無視してさっさと帰ってやろう、とも。一方通行はこの目の前の警備員の全てを反射する気でいたのである。
 だからその警備員が右手でこちらの手首をがっちり掴んだ感触に、一方通行は言葉を失った。
(なァ……っ!?)
「とりあえず一人確保」
 にこりと笑う警備員。
(オイオイオイオイ! なンで反射されねェンだよ!?)
「つってもお前は被害者ちっくだしなぁ。軽く注意するだけになるが……」
(学園都市の連中はもう俺の能力を無効化するモンまで開発しちまってンのかっ!?)
「お前もそれなりの能力者なんだろうけど、こんな時間帯に一人でフラフラ歩いてたら流石に危ないだろ。完全下校時刻なんてとっくの昔に過ぎてんぞ?」
(だが“実在する物”で俺に反射出来ねェモンは無い。つまり何を作り出しても俺はそれすら反射出来るハズ)
「おーい、こっちの話聞いてる? あ、聞いてませんかそうですか。つかお前こんな時間に何を……あ、コンビニか。何買ったんだ? って、缶コーヒーオンリーですか! どんだけ不健康生活営んでんだよ少年!!」
(だとすると解析不能系……第二位の『未元物質』みてェな能力者なのか、コイツ。見た目通りの年齢なら能力開発のカリキュラムを受けてる可能性も充分にあるしな。ま、だとしても反射の計算をし直せば問題な、し―――ィ!?)
「しかも、よく見なくてもガリガリじゃねーか。よし分かった。とりあえず俺ン家連れてって何か食わしてやる。話はそれからだ。……あーなんか小萌先生の気持ちが俺にも少しだけ解ってきたような気がする」
 最後にそう独りごち、警備員の青年は一方通行の腕を掴んだままずるずると彼を引き摺って歩き出した。ベクトル操作能力を封じられた一方通行はただの人より更にか弱い。「な、ちょ! オマエ何すンだよ!?」と慌てるも、大人の力に逆らえるはずがなく。「まぁまぁ上条お兄さんに任せなさい」と(自分の考えに没頭していた一方通行にとっては)訳の解らない事を喋る警備員にされるがまま、夜道に「はァァアアアアア!?」と間抜けな悲鳴を上げるに終わったのだった。


 一方通行を引き摺ってきた奇妙な警備員の名は「上条当麻」と言うらしい。部屋の前の表札にそう書いてあった。
 場所は第七学区、『ファミリーサイド』というマンションだ。学生寮が数多く立ち並ぶこの学区の中では随分と珍しい建物でもある。そんな所に引き摺られて来た一方通行は、そのままぽいっと部屋に放り込まれ、あれよあれよと言う間に彼の目の前を温かな食事達が陣取った。
 白米と味噌汁、これ必須。と言われたのを皮切りに、手羽先の甘辛煮、ツナのサラダ、豚肉と野菜のカレー風炒め物、長芋の鶏そぼろ餡かけ、ホウレン草のおひたし、キュウリとワカメの酢の物、豚の角煮……と、メインもサブもあったものではない。どうやら翌日用に下準備していた素材を使って手早く完成させたり、または作り置きや知人からのお裾分けをとりあえず並べたらしかった。尚、一方通行の前に料理を並べながら上条が何品かに関して「これマジで炊飯器使って作ったのかよ……」と呟いていたのだが、一体どういう事だろうか。
 まぁそれはさて置き。
 怒涛の展開に流石の学園都市第一位も思考が追いつかず、数々の料理を前に「さぁどうぞ」と言われるまで借りてきた猫以上に大人しく席に着いていた。が、それでもなんとか復活して一方通行はテーブルの向かいに座った男へ赤い双眸をギロリと向ける。
「どォいうつもりだ」
「ん? 嫌いな物があるなら無理に食わなくて良いぞ」
「そォじゃなくてだなァ……」
 嫌いな物を出されて拗ねているのだと思われたらしい。怒りを通り越して脱力感を覚えた一方通行は、自分が誰なのかも気付かず――気付いていたらこんな朗らかな態度で接してくるはずがない――目の前でにこにこ笑っている上条に溜息を吐いた。
「帰る」
「いやいや、折角用意したんだし食って行けよ。その体つきじゃまともに食ってるとは思えねえし」
「体つきの事は言うな。これは能力の弊害だ」
「そりゃ白い髪と肌、赤い目、それから女か男か判りにくい体型だろ? 痩せてんのはお前の食生活によるものだと上条さんは思うのですが」
 上条の言葉に一方通行は「あァそうかも知れない」と思ったが、ふと違和感に気付いて動きを止めた。
 今この男、何と言った?
 まるで一方通行の能力を知っているような口ぶりではなかったか?
「……おいオマエ、俺が誰だか知ってンのか?」
 牙を剥いた獣のように警戒心を露わにして一方通行は低い声で問い掛ける。一方通行の名を知る人間ならばこれだけで冷や汗ものだ。例えるならばライオンの口の中に頭を突っ込んでいるような状態なのだから。
 にも拘らず、上条は怯えて席を立つどころか、反対に余裕綽々の態度で微笑んでいた。テーブルに肘をついて組んだ手の上に顎を乗せると、男は「勿論」と答える。
「さっき軽くデータを浚ったよ。そんな髪と目だ、意外と早く見つかった……学園都市第一位の『一方通行』殿」
「知ってンなら何で警戒しねェ。俺の事なんて書庫上でも噂話でもロクなもンじぇねェだろォに」
「見縊ってもらっちゃ困る。これでも上条さんは警備員―――先生なんだぜ?」
 カタリと小さな音を立てて上条が席を立つ。一方通行は殺気も怯えも感じさせない相手の雰囲気に反応が送れ、気付いた時には上条の右手が白い髪を優しく梳っていた。
「な、にを……」
「そう警戒しなさんな。言っただろう? 上条さんは先生なんだって。そしてお前は学園都市に住む生徒の一人、謂わば俺の保護対象でもあるって訳だ」
「ンな甘ェ事、誰が信じると」
「と言いながら俺の手を退かせないのはどうしてでしょうねえ?」
「……ッ!」
 顔面に血が集まるのが判った。
 認めたくない。この手を心地良いと感じていたなんて。
 反射的にバシン! と相手の右手を弾く。反射の効かないそれは本当に弱い力で、男の手が一方通行の頭から容易く離れたのは上条本人の意志が伴っていたからに過ぎない。
 一方通行はそれを理解し、またそんな一方通行の苛立ちを容易く察した上条が未だ余裕を崩さぬまま小さく笑う。『最強』と恐れられる一方通行をどこまでも子供扱いしながら、恐れるでもなく厭うでもなく、むず痒くなる程暖かな空気で包むようにして。
「まぁいいや。とりあえず嫌いな物じゃなければ食って行けよ。それくらい良いだろ?」
「……ちっ、しょうがねェなァ」
 きっと男が出す軟弱な空気に当てられた所為だ。
 ぽろっと口を突いて出た返答に一方通行自身驚きながら、そんな言い訳をして彼は目の前の料理を攻略しに掛かった。








見事に餌付けされてます、一方通行さん。
あと上条先生は黄泉川先生とお友達です。同じマンションですし。