純白神父と高校生






「とうま……」
 ぞくりとするほど艶を含んだハスキー・ヴォイス。背中に掛かる体重と肩の上から前に回された二本の腕に、上条当麻は一瞬だけ動きを止めた。声の主たる青年――年齢は当麻の方が上であるはずなのだが、人種の違い故か『少年』よりも『青年』と称した方が適切に思える――は背中まである銀の髪をベランダから入り込む風に遊ばせながら、当麻に後ろから抱きつく格好でくすくすと笑い声を漏らす。とうま可愛い、と。
「はぁ? この平均的日本男子高校生である上条さんに向かって可愛いとはなんですかインデックスさん。そんなものは街できゃあきゃあ笑ってる女の子達に言ってあげなさい」
 身体の硬直を解き、やや呆れた口調で当麻は身体の前に垂らされた白い腕を取る。そのまま「はいはい掃除の邪魔ですよー」と、インデックスと呼ばれた青年の腕をぽいと払って床に散乱していたノートやプリントを拾い上げる様は実に素っ気無い。
 インデックスは銀の髪に縁取られた白い頬をぷくりと膨らませ(ただし当麻には「男がやる仕草じゃない」と不評を頂いた経験がある)、所々に金糸で刺繍が施された白い僧衣の腰に両手を当てた。
「とうま以上に可愛い子なんて他にいないもん」
「だから俺のどこに可愛いなんて言える要素があるんだよ。ってか男の癖に『もん』とか言うな。あとお前の記憶は一年前までしか無いんだろうが。比較には不十分だ」
「そこはホラ、完全記憶能力者が一年の間に見て覚えた顔の数を考慮するとして。当麻みたいに綺麗な黒髪と黒い瞳と、それから可愛い反応してくれる人間なんて他にはいないよ。美味しいごはんも作ってくれるし」
「お前が俺に懐いてる理由って最後のヤツが最大唯一なんじゃないか…?」
 ぼそりと呟いた当麻の独り言までは聞き取れなかったのか。インデックスは翡翠色の双眸を穏やかに細めながら、普段摂取する食物の量を感じさせないスラリとした身体全体を使って再び当麻に抱きついた。どうやらこれが彼なりの愛情表現らしいのだが、如何せんされる側の当麻からは非難轟々この上なかったりする。今回も例によって例の如く当麻からは「邪魔」の一言を頂いてしまった。
 さて、この純白神父さんこと禁書目録と書いてインデックスと読む、な青年であるが、インデックスが言う通り彼には一年以上前の記憶が無かった。生まれながらの体質である“完全記憶能力”を利用してその頭の中に十万三千冊もの魔道書を記憶している彼は 、その利用価値の高さ及び危険性から自身が所属するイギリス清教『必要悪の教会』に“首輪”を着けられ、一年毎に魔道書関連の知識以外――それまで出会った人の顔・名前や彼らとの思い出など――を消去される運命にあったのだ。しかも本当は余計な感情や考えからインデックスが『必要悪の教会』を裏切る事を防止するためのそれを、魔道書の知識に圧迫されているために一年以上の記憶を追加すれば死に至るからだと周囲を欺く形で。
 しかしながら何の因果か、記憶を失っているが故に自身を助けるため(記憶消去のため)追ってくる知人を敵と判断して逃亡していたインデックスは、彼が属する魔術サイドとは正反対の科学サイドの少年・上条当麻が暮らす学生寮のベランダに不時着。まるで干された布団のように手すりに引っかかっていた所を救出されたのだ。尚、より詳しく説明すると、インデックスを発見した当麻が行った救出と言う名の行為はベランダの手すりに引っかかった純白神父をその場から移動させた事ではなく、空腹を訴える彼に一応食べられる物を提供した事だったりする。
 ともかくその後、インデックスを追って来た知人二人と当麻が戦ったり話をしたり協力したりと諸々あり、結局は当麻が持つ特殊な能力――異能であれば魔術だろうが超能力だろうが神のご加護だろうが問答無用で消し去ってしまう力――を使って彼の“首輪”を外す事に成功。インデックスが「食べ物を恵んでくれた人」であり「命と記憶の恩人」である当麻に懐いてしまったという訳だ。
 そして今では、インデックスは上条当麻宅の居候と化している。どうやらイギリス清教からインデックスに対する新しい“枷”として当麻が選ばれたために成り立っている状況らしいのだが、本人達はほとんど意識していないのが実情だ。
「とうま冷たい。最初に僕を裸にひん剥いたのはとうまのくせに」
「もし他人が聞いたら盛大な誤解を招くような言い方は止めましょうねインデックスさん。あれは魔術の証明と俺の右手の能力の証明をするためだろうが」
 インデックスが当麻の前に現れたあの日。科学サイドの中心地・超能力者を開発する学園都市の人間である上条当麻に魔術の存在を信じさせるため、また当麻が語る右手の特殊能力―― 十万三千冊の魔道書の知識を浚ってもその右手に該当する魔術がない――をインデックスが信用するために彼が取った行動は、自身の白い僧衣に付加された強大な防御魔術を当麻の右手で消し去るというものだった。今とは違い当麻はインデックスが言う魔術を信じておらず、インデックスは当麻の右手の力を信じていなかったその時、当麻の右手が白い服に触れた瞬間起こった出来事はおそらく永遠に二人の頭から消える事などないだろう。何せ当麻の右手が触れただけでインデックスが着ていた白い服は縫い目という縫い目全てが解け、当麻の目の前でインデックスの着衣が足元にバラバラと落ちてしまったのだから。
「初めて出会った人の前で裸を晒す経験なんて、聖職者の中で僕が初めてかも」
「俺だって出会ったばっかの人間、しかも男の裸なんざ見たくなかったっての」
「む。その言い方って、もしかしてとうま、僕が神父じゃなくて修道女だったらよかったって事!?」
「誰がそんな事言った! ってかこらそこ、なんてイヤラシイ人間なんだって顔してこっち見ない!!」
 左手に片付け途中のノートを持ったまま右手でびしっとインデックスを指差す当麻。インデックスはインデックスで折角の魅惑的な美声を無駄使いした挙句、まるで乙女のように胸の前で両方の手を握り締めている。ただし乙女的な仕草はその両腕だけで、怒りを湛える翡翠色の双眸の下では何故かギラリと光る歯を見せつけるように大きく口が開かれていた。
「あ、あの、インデックスさん?」
 ちょっと待ってと言ってももう遅い。上条当麻の言葉になど聞く耳持たずといった風情でインデックスが大口を開けたまま飛び掛ってきた。
「ぎゃー!! 人の話を聞けーっつかなんでお前が怒ってるんだよ!!」
「問答無用! 天誅!!」
「ひぃ!」
 当麻が短い悲鳴を発した次の瞬間、ガブリ、と部屋に異様な音が響き渡った。


「カミやーん、お隣さんから差し入れだぜい。ちなみに正確に言うと舞夏からの差し入れだにゃー」
 どうにも気の抜けるピンポーンというチャイムの後、内側から鍵を開ける応対者がいないはずの玄関のドアが開いて一人の人間が現れた。髪は金色、顔にはサングラス、ラフな格好に数々のアクセサリーを身に付けたその青年は片手に中身の詰まったタッパーを持っている。
 その金髪サングラスこと土御門元春(上条当麻宅の隣に一人暮らし中の同級生)は自慢の義妹が作ってくれたという一品をこれもまた自慢げに掲げ、しかしながら次の瞬間、目の前に広がる光景を見て次の台詞を失った。代わりに彼の口から漏れ出た呟きは、
「まさかカミやんがソッチ系の人間だったとは……」
「誰がソッチ系だ土御門。つーかそんな所に突っ立ってるんなら俺を助けてくれ」
 土御門の視線の先にて家主である当麻が呻いた。床の上に仰向けで倒れ、インデックスの噛み付き攻撃を至る所に受けながら。
 そしてまた純白神父改め噛み付き神父も当麻に馬乗りの格好で来訪者を視界に映す。
「あ、つちみかどーだ。悪いけどとうまは今お仕置き中だよ」
「その格好でお仕置きとか言われたら別の物に思えてくるにゃー…」
 カッコ苦笑、とでも付きそうな声音で土御門。玄関で突っ立っていた彼は微妙な表情を浮かべたまま靴を脱いで室内に入ると、「ま、とりあえず」と言いながら当麻とインデックスの横を通過。テーブルの上に持って来たタッパーを置いてから倒れ伏す当麻の顔のすぐ近くにしゃがみ込んだ。
「土御門…?」
 隣人の顔を見上げて――とは言っても体勢が体勢なだけにきちんと見上げられた訳ではなかったが――当麻が呟く。しかし名を呼ばれた当の本人が視線を向ける先は当麻ではなくインデックスだった。
「おい禁書」
「なに」
 個人ではなく立場として呼ぶその名前故か、それとも当麻に向けていたものとは異なり軽さを失った声故か。土御門の呼びかけに応えたインデックスの言葉は必要最低限かつ突き放すような音を持っていた。加えて翡翠の瞳から放たれる視線もやや鋭さを増してきていたが、土御門に堪えた様子はなく、彼はチラリと当麻を一瞥すると呼びかけの時と同じ声音で続けた。
「こいつはお前の物じゃねーんだから変な跡とかつけるの禁止だぜい」
「確かに僕の物じゃないけど、つちみかどーの物でもないよね? だったら君にそれを言う資格は無いんじゃないかな」
「ほう、そうか」
 インデックスの言い分に土御門は言い、喉の奥で笑う。
 そんな彼の様子にまたよろしくない物を感じたインデックスはすぐさま警戒を強めるが―――
「じゃ、オレも」
「……へ?」
「あっ!!」
 オレも、という呟きと共に土御門が取った行動は当麻に間の抜けた声を出させ、インデックスの怒りを買うには充分なものだった。
「お、おま…! 土御門サン!? あなた今なにやったかわかってらっしゃるのでせうか!?」
「んー? カミやんの顎掴んで引き寄せて、首のよく見える所に所謂キスマークというやつを付けただけですたい」
「だ、だけ!? これが“だけ”!?」
「ちょっと何やってんの金髪っ!!」
「そんじゃオレはこれでー。カミやんまた学校でにゃー」
 混乱中の当麻をそのままに、怒りに任せて拳を振り上げたインデックスの一撃をひょいと躱した土御門は、そう言い捨ててさっさと部屋を出て行ってしまう。残されたのは(土御門を殴るために)当麻の上から退いたインデックスと、そんな事に意識を向ける余裕すら無く首筋に手を当てて未だ混乱中の当麻。「自動書記が壊れてなかったら僕だって魔術が使えるのに…! そしたらつちみかどーなんか一発で」と純白神父が何やら物騒な事を呟くが、それすらも意識の外だ。
 だがしばらくして黒瞳が未だ怒り心頭中の純白神父を一瞥したかと思うと、
「お前らそれで本当に神父様ブラザーなのかよ」
 目の前の青年と、今はいない隣人とに向けて諦観の篭った声で呟いたのだった。








(せんせー、ここに不埒な聖職者がいまーす。しかも二名)
土御門は神父じゃないけど、一応。本当に一応。(二回言う)