おかしい。
 最近の上条当麻の様子に、否、自分と当麻との関係に対して土御門元春はそう感じていた。
 自分とそのクラスメイト兼隣人との関係は友人であり、またその延長線上に偶々生じたセフレというやつである。青少年特有の欲をお気楽に・お手軽に(とは言っても“受ける”方にはそれなりの手間が掛かるが)発散させるための行為は、互いにマイナスが無い事を前提として行われるものだ。言い方を変えれば、気が乗らなければ拒否するのが当然なのである。
 その暗黙の了解――むしろこんな事をわざわざ明文化せずとも、友人なのだから無理強いしないのは当たり前だ――は、これまで時々土御門も当麻も行使してきた。例えば、土御門は魔術師としての仕事の関係で、誘ってきた当麻に「ちょっち用事があってにゃー」とだけ言って遠慮した事があるし、当麻もまた土御門の誘いに「いや、俺まだ溜まってねーし」とあっさり首を横に振った事がある。
 にも拘らず。
「最近のカミやんはいつ誘っても断らねーしぃ。でも向こうから誘ってくる事も無くなっちまったんだにゃー」
 ―――どうして上条当麻は拒まない?・・・・・・・・・・・・・・
 ぽつり、と独りごちる。
 上半身裸でベッドを背凭れにしながら土御門は自室の天井を見上げた。いつも掛けているサングラスは机の上に置きっぱなしであるため、視界は青味がかっていない。ユニットバスの方からは水音。当麻がシャワーを使っているためだ。そして換気しなきゃなーと思わせる青臭いにおい。―――今日もまた土御門が誘って当麻が首を縦に振った後の状況が出来上がっていた。
 ふ、と息を吐く。
 最近の“この関係”はいつから始まっていたのだろう。
 思い返せば禁書目録争奪戦の後―――上条当麻の逃亡やら入院やらで溜まったものの『処理』にしばらく間が空いて、久々に(しかも例の少女が上条宅に居候する事になり、その部屋は実質利用不可となって)土御門宅でコトに及んだあの時から、おかしくなっていたような気がする。
 タイミングを考えれば、上条当麻に『想いを寄せるべき特別な相手(例えるまでも無く禁書の少女とか)』が出来たという可能性は十二分にある。しかしそれが今の状況の説明になるかと問われれば、答えは否だ。もし上条当麻に想い人が出来たなら、この関係など終わりこそすれ、不自然なほど拒絶の無いものになるだろうか?
 自問し、そして土御門は首を横に振った。有り得ない。
 では、一体何が原因なのだろう。
「………まさか、な」
 脳裏をよぎったのは七月の終わり、あの冥土帰しヘヴンキャンセラーが唯一“敗北”したという手術の話。生きていればどんな状態からでも回復させるという彼が、とある高校生の失われた記憶だけは回復させる事が出来なかったのだと聞く。
 時期的に“とある高校生”というのは上条当麻を指しているのかとも考えたが、その後の態度から彼が記憶を失っているという仮定は土御門の頭の中から削除されていた。だがもし、その仮定が正しかったとしたら―――
「……はは、ありえねーだろ」
 呟きに力は無く、笑い声は乾いていた。
「もし本当に“そう”なら、オレは、どうすりゃいいんだ?」
 記憶の無い上条当麻。彼はきっと記憶喪失であるのを悟られまいとしている。そして記憶の無い彼の目に、自分との行為はどう映っていただろう。
「いや、だからカミやんがキオクソーシツだなんて有り得ないにゃー」
 喉の奥からせり上がって来た重い塊を無理やり飲み下して土御門は再び乾いた笑い声を上げた。


 ぺた、とフローリングを素足で歩く音がして、土御門はそちらに顔を向ける。視線の先に立っていたのは上条当麻。土御門と同じように下だけ身につけ、上半身には何も羽織らずに濡れた髪をタオルでガシガシと拭きながら近寄ってくる。
 そう言えば、いつの間にかシャワーの音が止まっていた。どうやら随分ぼうっとしていたらしい。
「風呂、サンキューな。お前も入ってくるか?」
「ん? オレは、そうだにゃー……」
 ボスン、と土御門が凭れ掛かるベッドに腰を下ろす当麻。その姿を視線で追いながら土御門は呟く。「そうだにゃー」と考える素振りを見せたが、しかし思考は当麻がシャワーを終える前に脳裏をよぎった事で大半を占められており、まともな答えが出る気配は無い。ただじっと、頭を拭き終えてタオルを首に掛けた『友人』にばかり意識が向けられている。
 湯を浴びて上気した肌は一度治まったはずの熱を思い出させた。そして微かに香る石鹸の匂いと、その身体に点々と散る赤い鬱血痕。
 どうしてだろう。もう見慣れたはずのそれを見ていると、ひどく、喉が渇いた。
 無意識に土御門の喉がごくりと鳴る。サングラスに遮られていない視線は最早隠す事も無く上条当麻へと向けられ、相手の顔に不審そうな表情を浮かばせた。
「? ……土御門?」
「なぁ、カミやん」
 当麻を呼ぶ声は本人が意識していたのよりもずっと掠れて低い音をしていた。まるで終わったはずの情事を思い起こさせるそれに当麻の身体がほんの少しだけ強張ったように見えた。
 土御門は内心で苦笑し、フローリングから腰を上げてベッドに座る当麻の真正面に立つ。そしてそのまま相手の両肩に手を置いてシーツの上へと押し倒した。
「なん、だよ」
 当麻の口からは小さく非難が上がるも具体的な抵抗は無い。その表情を見る限り『困惑』はいくらか存在しているようだが、土御門の意志に逆らうつもりは無いようだ。
「おい、つちみか」
「もういっかい」
「は?」
「もう一回、お付き合い願いたいにゃーと思って。どうよカミやん」
「………別に、いいけど」
 やはり拒絶の言葉は返って来ない。
 土御門は笑っているのか不機嫌なのか自分でも解らないまま口元を歪めて上気した肌に唇を寄せた。新たな鬱血を一つ作り上げた後は鎖骨から胸の頂に舌を滑らせ、前歯で軽く挟む。「ん……」と頭上で声が漏れるのを耳に入れて喉の奥で低く笑い、一方の飾りを唇と舌で弄びながら右手を当麻の脇腹に滑らせた。
「……っ、……ぁふ」
「キモチイイ?」
「っ、聞くなよンなこと…!」
 脇腹を経由してズボンで隠された中心を指でなぞる。それと同時に質問を口にすれば潤んだ瞳で睨まれた。一度シャワーで区切りを付けたとは言え、やはり先程の熱はまだ身体の奥に残っていたらしい。再燃するのが随分と早い。
 すでに硬くなり始めたそこを指で軽く押すようにしながら土御門は再び喉の奥でくつくつと笑った。手早くファスナーを下ろし、不要だと言わんばかりに両足から下着ごとズボンを引き抜く。早くもゆるく立ち上がっていた中心を片手で握り込めば、当麻の息がかすかに詰まった。
 だがそれは中途半端に高めるに留め、次いで土御門の長い指がその奥へと侵入を果たした。
「折角キレーにしたのに悪いにゃー」
「…っ、うるさい早くしろよ!」
 ほんの一瞬、そう言った当麻の顔が歪む。しかも土御門の指の動きによるものではなく、明らかにその前の台詞が原因だ。ただの冗談であるはずが、まるで屈辱的な言葉を言われたかのように傷ついた表情を浮かべ、そして一瞬でそれを消し去った相手の様子―――それを目にして土御門は熱と欲で忘れていた違和感を再び取り戻し始めた。
 徐々に冷め始めた頭はそのままに、身体は普段通り動いていく。乱れる上条当麻の肢体を組み敷いたまま前立腺を指で、そして最終的には自身の中心で貫きながら、土御門の双眸は相手の動作一つ一つに神経を尖らせた。そしてある事に気がつく。
(カミやんの手、シーツ掴んだままでオレの背中には回らないんだな)
 嬌声を上げる当麻の腕が土御門の背中に回る気配はなく、その手は皺の寄ったシーツを指が白くなるまで強く握り締めていた。
 ―――そう言えば、この背中に爪痕がつかなくなったのもいつからだっただろう。
 戯れと信頼と、それからおそらくはいくらかの情の証でもあった上条当麻の動作。それがいつからか――いや、「いつから」ではなく「あの時」からだ――行われなくなっていた。過去に付けられた爪痕は今やよく見ないと判らないほど薄く消えかかっている。治りにくいはずの爪で作られた傷跡がそこまで治っているという事実が冷めていた土御門の頭から余計に熱を奪っていった。
「……カミやん」
 低く名を呼び、土御門はシーツを握り締める当麻の指をいささか強引に解いて自分の指と絡ませる。思いを伝え合うと言うよりは、むしろ相手が逃げないように拘束するかの如く。
「…ァく、もうっ……」
「ああ」
「……っ、あ、く…!」
 絶頂に達し、当麻の奥が土御門を強く締め付ける。それに合わせて欲望の証をナカに放ってから、土御門は力の抜けた当麻の耳元に口を寄せて囁いた。

「なぁ、いつもみたいに・・・・・・・元春って呼んでほしーにゃ」

「……え?」
「ホラ、カミやん最近呼んでくれねーから。ちょっとばかり土御門さんも寂しいなと思ってしまう訳ですたい」
「え、っと。その……」
「だめかにゃー?」
 戸惑う当麻と視線を合わせ、土御門は笑う。
 しかしながら情けないようなその笑顔は土御門の思惑とは180度異なっていた。
(試すような真似して悪いとは思うけど、確かめさせてくれよな、カミやん。カミやんは一度だってヤってる最中にオレを『元春』って呼んだ事なんかねーんだからさ)
 表情筋だけ笑わせて目では笑わないまま土御門が見つめる中、やや戸惑った表情を見せる当麻が口を開く。

「も、元春…?」
『はぁ? ふざけんなっての。そんな呼び方した事なんざ一回もねーだろうが』

 予想ねがいとは異なる、現実の声。
 慣れない口調で自分の名を紡ぐその声に土御門の顔からはとうとう表情が消え去った。
 上条当麻にマイナスの感情を抱いた訳ではない。土御門はただひたすらに、当麻の異常に気づけず、そのまま何も知らない相手に行為を“強要”してしまった己に激しい怒りを抱いていた。
 そして度を越した怒りは表情どころか声の抑揚まで失わせる。
「カミやん……お前、記憶が無いんだろう?」
「!!」
 当麻が息を呑んだ。びくりと身体が震えるのを触れた肌から直に感じ取る。
「そ、んな、こと……」
「隠さなくてもいいんだ、カミやん。実の所、お前がオレの事を『元春』だなんて呼んだ事は一度もないんだぜ。騙して悪かったな」
「! カマかけたのか」
「ああ。悪かった。本当の事が知りたかったんだ」
 土御門が静かに告げると、見下ろす先の顔がくしゃりと歪んだ。
 泣いているような、笑っているような、どこか諦めにも似ている当麻の表情。それを前にして上条当麻が記憶喪失を隠しながら守ってきたものの大きさを垣間見たような気がした土御門は、一秒毎に増えていく絶望と後悔を感じながら弱々しく笑った。
「………ごめん、な。ごめんな、カミやん。今までちっとも気づいてやれなくて。オレ、何も知らないカミやんにこんな事、強要して。いっそ憎んでくれたって構わないから」
「つ、土御門が嫌いな訳じゃ、ない、んだ!」
 自失していたはずの当麻が土御門の最後の台詞に反応して声を荒げる。
 そして所々で言葉を詰まらせながらも真っ直ぐに目を合わせて告げた。
「俺はただ、自分の知らない、しかもこんな直接的な関係がこ、怖かっただけ、でっ! それに俺だって、記憶の事、言わずにいたし! なのにお前を憎むなんて…!」
「カミやん……」
 当麻本人にそう言ってもらえるのは嬉しい。一気に心が軽くなるようだった。
 しかしそれは相手の度量に対する甘えでしかないと理解していた土御門はかぶりを振って先を続ける。
「言われなくても記憶喪失だなんてひどい異常に気づくのがクラスメイト兼隣人で友達であるオレの役目だ。それなのに支えてやるどころか……。カミやんが記憶喪失になったのは、あれだろ。禁書目録を助けた日。あの日から一体何日経ってんだかなぁ。本当に気づくの遅すぎだっての」
 台詞の最後は独りごちるように。土御門は目を伏せ、「ごめんな」と繰り返した。
「……っ」
 今まで見た事のないその弱々しい土御門の様子に当麻が息を詰める。ちがう、と口が開きかけるも相手の頑なさを感じ取って思いは言葉にならない。
 土御門は声を発せぬまま口を開閉させる当麻に微笑み掛け、それまでシーツに押さえつける格好になっていた身体を起こした。ついでに手を差し出して当麻自身も起き上がらせる。
 二人してベッドの上で向かい合わせに座りながら土御門は『友人』を見据えた。
 記憶を失っていた上条当麻。周囲を悲しませる事が無いようそれを誰にも明かさずにいた、切なくなるほどに健気な姿勢。にも拘らず、友人であるはずの自分は何にも気づかず相手の意に沿わぬ行為を強要し続けてしまっていた。多重スパイとしてどれだけの組織を裏切り背信行為に及んでも守りたかった『日常』を己が手で壊していたと言っても過言ではない。
 胸にあるのは膨大な後悔と自責の念。そして『日常』を象徴するものの一つ―――即ち友人・上条当麻を精神的繋がりという意味において失う事に対する恐怖だった。
(カミやんはオレを嫌いな訳じゃないと言った。でも嫌いじゃないからと言って友人で居続けてくれる訳じゃない)
 友人ではなくなってしまった上条当麻。それを想像して土御門は胃の下が氷を放り込まれたように冷えていくのを感じた。率直に、なんの躊躇いも無く、嫌だと言える。そんなのは、嫌だ。この存在との繋がりを失うなんて、絶対に。
 土御門は上条当麻が大切だ。だからこそ偽りのまま関係を継続させていく事を望まなかった。今でも相手を試して記憶喪失を判明させた事に後悔は無い。しかし当麻にこれ以上の無理をさせないのと引き換えに自分達の関係が消えてしまうのなら―――それはひどく、土御門の心を煩わせる。
 この感情は異常なのだろうか。ヘテロタイプの人間であるはずの自分が同じ性を持つ上条当麻に(いくら元々セフレであるとは言え)欲情する事も含めて。
 ふと上条当麻に対する感情の大きさにそんな疑問を抱いたが、土御門はすぐにそれを一笑に付す。今は自分の中にある思いの種類なんてどうでもいい。大切なのは上条当麻との関係がゼロやマイナスになるのが嫌だと思う気持ち、ただそれだけなのだから。
 「ああ……」と意識しないままに土御門の口から音が漏れた。視線を下げ、両手で視線を遮るように顔を覆う。
「つち、」
 当麻が気遣わしげに名を呼ぼうとする。しかし土御門はそれを遮る形で「カミやん」と呼んだ。
「カミやんが怖いと思うなら、もう“こんな事”は絶対にしない。触れるなって言うなら、二度とカミやんには触らない。だからさ、」
 溜めるように言葉を切り、土御門は顔を伏せたまま当麻の気配に全神経を集中させる。
 そして胸中で繰り返した。自分は上条当麻との関係をゼロやマイナスにはしたくない。……友達で、いたい。
(だから情けなくても可能性が低くても、きちんと言わなければならない)
 土御門が顔を上げる。笑い顔は決して上手いと言えないだろうが、それでも笑って。
「だからさ、これからも友達でいてくれる……かにゃ?」
 口調が崩れたのは関係を失いたくないという願いの表れだった。まるで願掛けのように『これまでの関係』で使っていた言葉を音にする。ただそれは、願掛けでもしないよりはマシと思えるほど土御門の望みが叶う可能性が限りなくゼロに近かった、とも言い換えられる。それほどに土御門元春は上条当麻に酷い事を仕出かしたのだ。
 ―――果たして、一抹の希望に必至の思いで縋る土御門の耳にそれは届いた。

「あ、当たり前だ!」

「え…? カミやん、今、なんて」
「だから当たり前だって言ってんだよ! 多少のすれ違いはあったけど、俺とお前はクラスメイト兼隣人兼友人続行!」
「いいの、か?」
「良いも悪いも俺がそう望んでる」
 唖然とする土御門に当麻は力強く答える。
 あれもこれも『多少のすれ違い』と軽く一括りにして済まされるはずのないものを一括りにしてしまって。
「さっきも言ったけど、俺が怖くて仕方なかったのは何も知らないままお前とそういう行為を続けるしかなかったって事。土御門元春という人間を嫌ったり憎んだりしている訳じゃない。むしろクラスメイト兼隣人としてのお前は一緒にバカやれる楽しい奴だし、魔術師としてのお前も不思議な感じはするけどやっぱりお前なんだ。……そう思える人間とこのままハイサヨナラだなんて認められるか。こうしてすれ違いも解消出来たんだし、今まで通りバカをやっていたいって、俺はそう思うよ」
「カミやん……」
「なんて顔してんだ。問題は全部解消、しかも俺は記憶喪失を理解してくれる人間を一人手に入れたんだぞ? お前もいつもどおり『土御門元春』の顔で笑ってくれよ」
 優しげに双眸を細める上条当麻の言葉を聞き、土御門は胸が詰まる思いだった。当麻との関係を失わずに済んだ事に喜びを、そして土御門の行いを許してくれた上条当麻という人間の器の大きさに感謝と驚きを。普段敬いもしない神に祈りを捧げながら、土御門は今度こそ望まれた――そして自ら望んだ――通りの『土御門元春』らしい笑みを浮かべた。
 そしてどんなに多くの言葉にしても伝えきれないだろうこの気持ちをたった一言に代えて告げる。

「カミやん愛してるぜい」

「鳥肌が立つわ、この馬鹿野郎」
 上条当麻がすかさずそう切り返し、楽しげに笑った。
「本当に、お前は愛すべき馬鹿野郎だよ」










そして日常は

新しい一歩を踏み出す。












ちなみにこの後、何か色々あって「ハニーデイズ」に続きます(マジか!)
……本当に何があったんだ、この二人。