最初はジャンケンだった。
 隣人に遊びに来ないかと誘われて、ちょうど上条宅の居候少女も外出していたことから誘いを受けて土御門の部屋にお邪魔していた最中のことだ。土御門の突然の言い出しにこれと言った感慨を抱くことも無く応じ、そしてやはりここでも不幸体質は発揮されるのか、一発で勝敗は決定。当然の如く当麻の負けである。
 当麻が己のチョキをした右手を睨みつけていると、土御門は「ほらにゃーカミやん。どうせいっつもこうなるんだから、そろそろジャンケンで決めるのも無しにしとこーぜ?」などとほざきながら、己が腰掛けていたベッドを叩いた。どうやらここに来いという意味らしい。先刻のジャンケンが自分達二人にとって『よくあること』であり、またその勝敗が何かに関係することを悟った当麻は内心で首を傾げながらも素直にそれに従う。すると、
「にゃ? 今日のカミやんは着衣状態から始めるつもりですたい?」
 そう言って首を傾げる土御門。青いレンズ越しに不思議がる視線とぶつかった。
(何!? なんかマズった!?)
 記憶を失っている当麻にはこれから何が始まるのか全くもって判らない。ただこの動揺を知られまいとするのが精一杯で、やや引き攣った笑顔のまま――それでも外面的には普段どおりに――あは、と笑う。
「へ、変か…?」
「いんや。それはそれでオーケーだぜい」
 不思議がる視線は無くなり、代わりに口元が弧を描いてニヤニヤと楽しそうな笑みが向けられた。意図は不明。何となく嫌な予感を覚えるが、だからと言って動きを止める訳にもいかず、当麻は内心冷や汗をかきながら土御門が座るベッドに乗り上げる。
 しかし結構良質なスプリングの感触を覚えながらふと疑問に思った。
(ん? ってか、これからするのは脱がなきゃ出来ないことなのか?)
 繰り返すが、現在当麻が腰を下ろしているのはベッドの上である。土御門も同じく。そして先刻言われた土御門の台詞。『今日のカミやんは着衣状態から始めるつもりですたい?』
(……って、無い無い。それは無いでしょう、いくらなんでも。ねぇ上条さ、ん――――――え?)
 どさり、とシーツの上に両手で押さえつけられる。次いで感じたのは唇に触れる熱。触れ合わせたかと思った瞬間、ぬるりと何かが中へ侵入して来て、当麻の上顎をくすぐった。舌を擦り合わせ、引き摺り出して甘噛みし、ぴちゃぴちゃと水音を立てる。それが一体何なのか、当麻が理解したのは土御門の顔が離れてからの事だった。
 上がった呼吸が煩わしい。頭はぼうっと霞がかり、まともに思考が働かない。しかしそんな状態でも今の行為が一般の友人同士で交すものではない事くらい解っていた。
(うそ、だろ……っ)
「どうしたぜよ、カミやん。久々だったからキスの仕方も忘れちまったのかい?」
 ニヤニヤと可笑しげに土御門が笑う。
「あーもしかして今日のカミやんはマグロってことかにゃ? それならこの土御門さんが一から十までしっかり“お世話”させていただくにゃー」
 そう言うやいなや、土御門の手が当麻のシャツの下に潜り込んで来た。


「ぅ…ぁ、ああ……っ」
 なんでこんな事になっているんだろう。熱に浮かされたようにちっとも働かない頭で当麻は考える。口からは喉を痛める事なんて全く考慮せずひっきりなしに声が出て、しかもその音は女のように高くて甘い。
 ベッドに押し付けられても、抵抗は、出来なかった。相手の腕力がどうこうという話ではない。記憶の無い当麻には過去の『上条当麻』がどうであったか全く判らなかったからだ。もしかしてこれが二人の間で普通だったのかも知れない。ならばここで抵抗するのは相手を不審がらせてしまう。上条当麻には記憶が無いという事を悟られる訳にはいかないのに。
 ゆえにただひたすら土御門が与える感覚に背中をしならせ、悲鳴にも似た声を上げる。気持ちいい、怖い、気持ち悪い。快楽と戸惑いがごちゃ混ぜになって当麻の中を狂ったように巡り続けた。
「カミやん……」
「っ!!…ぁ」
 吐息が耳元をくすぐる。それすら当麻の頭は快楽として受け取り、身体中の熱を上昇させた。
「なんだか今日のカミやんはいつも以上に敏感だにゃー。そんなカワイイ反応して……なに、土御門さんの理性をぶっ千切っちまうおつもりですかい?」
 土御門はくつりと喉を鳴らしてビクビクと逐一身体を震わす当麻の頬を撫でる。そのまま顎を捕らえ、やや上向きにさせながら唇を合わせた。吐息を全て封じ込め、舌で口腔を蹂躙する。そしてそのまま下で繋がっている土御門が動いた。
「っ、んんんんんん!!」
 上条の背がひときわ大きくしなり、嬌声は土御門に呑み込まれる。
「ん、んん!……ぁ、や……つちみか、ど…!」
 腕を動かそうとするが上手くいかない。中途半端に脱がされた当麻の服は纏うための物ではなく、拘束するための物となり、またそれは今や無残な姿に成り果てていた。汗とローションと唾液、それから粘り気のある白濁した液体によってぐしょぐしょに濡れている。当麻が放ったものであり、また土御門が放ったものでもある。
 しかしながら不快であるはずのそれを、今は気にしていられるだけの余裕も無かった。当麻の脳内を占めるのは最早快楽と困惑。土御門の愛撫に勝手に反応する身体は当麻の制御を離れ、ただひたすらに感覚だけを頭の中に叩き込んでくる。呼吸一つ、指先の動き一つ、ままならない。まるで自分の身体ではないようで―――
(……ああ、そうだった。俺は『上条当麻』じゃない)
 上条当麻は死んだのだ。記憶を失って。
 すっと頭が冷え、一瞬だけ全ての感覚が遮断される。それに目聡く気づいた土御門が、ふと手の動きを止めて双眸を細めた。
「カミやん…?」
 訝しげな顔だ。
 当麻は相手にそんな顔をさせた自身の失態に内心舌打ちし、しかしこれ以上不審に思われぬよう笑った。
「なんでも、ない。続けろよ……」
 掠れた声で告げ、薄く口を開く。当麻にはこれがキスを強請る仕草だと無意識に理解出来ていた。きっと『上条当麻』が何度もしてきた事に違いない。
 そうして再び行為が再開された事に安堵するような、しかし絶望的なまでの苦しみを感じながら当麻は声を上げ続けた。


 行為が終わってしばらく。
 力無くベッドに寝そべっていると土御門がにこにこと笑いながら当麻の腕を軽く叩いた。
「ほーら、カミやん。寝ちまう前に後処理しねーと、辛いのはカミやんぜよ?」
「あと、しょり…?」
 頭上に疑問符を浮かべ、当麻は掠れた声を出す。しかし、
(後処理って何だ……状況的に男同士がこういう事をした後、だよな。―――……ああ、なるほどね)
 思い出が無くても知識はある。
 そして土御門が言う『後処理』に関する知識も当麻の頭の中に存在していた。
 つまるところ、それが知識の一つとして必要な立場にあったということだ。行為の最中、自身の身体の反応からも判った事だが。
(……はっ、何なんだよちくしょう)
「カミやん?」
 動きを止めた当麻の様子に土御門が顔を覗き込んでくる。
 それに対し当麻はかぶりを振って「何でもない」と返し、ゆっくりとベッドから起き上がった。
「そんじゃ風呂借りるなー」
「おー。ゆっくりどうぞですにゃ」
 まるで本当に単なる友人であるかの如く気軽な土御門の声を背に受け、当麻はふらふらとバスルームへ向かう。この部屋の間取りは自分の部屋と同じだ。これに関してはたとえ記憶が無かったとしても迷うはずなど無かった。


 自室と全く同じ型のユニットバスに辿り着き、鏡に映った己の姿を目にして当麻は息を呑んだ。
 そこに立っていたのは身体の所々に赤い花を咲かせた少年の姿。赤い斑点は首筋に付けられた物が妙に色濃く存在を主張し、さっきまで自分が何をやっていたのかをまざまざと見せ付けてくる。
「……ッ!」
 得体の知れない恐怖に身が竦んだ。
 押し倒された時の感覚が、腕を掴まれた感触が、貫かれた時の痛みが、男のくせに同性に喘がされる己の声がフラッシュバックする。
 いつしか当麻はその場に蹲り、上手く噛み合わない歯がカチカチと細かな音を立てていた。
 誰だお前は。何だこれは。わからない。ただひたすらにこんな状況と自分が恐ろしい。吐気が襲ってくるのにその感覚は喉の途中で止まり、胸の辺りでぐるぐると渦を巻く。
「ちくしょ……ちくしょう! 何、なんだよ…っ、これは……!」
 小さな叫び声を上げて当麻は自分の首に右手を伸ばした。異能の力なら何でも打ち消してくれるそれは、しかし小さな内出血一つ消し去ってくれない。代わりに、右手の人差し指の爪が赤い花を上から穿つように皮膚へと喰い込む。
「ちく、しょう……!」
 片方の目から熱い雫が一滴、落ちた。










日常は人知れずれていた

(こんな右手一つじゃ、今の状況なんて欠片も変わっちゃくれない)












叫び出したい。
何もかも、全て。
でも、日常の崩壊を知られる訳にはいかないんだ。