「―― このままじゃ、良くないよね。」

ふぅ、と秀麗な顔が憂いを帯び、形の良い薄い唇から微かな息が漏れた。
対面に座している少年は、そうした相手の様子に首を傾げて仰ぎ見る。

「幽さん?」

「あぁ、いや、何でも無・・・くはないけど。」

いらぬ心配を掛けぬよう即座に否定しようとして、それが目の前の少年にも関わることなのだと思った瞬間、続く筈の言葉は曖昧に濁された。


 休日、昼時のカフェ。大通りからは外れている為に、そう人で溢れている訳でもなく。
値段も手頃、落着いた雰囲気で安らげる空間であるこのカフェは、密かに穴場であり、彼らの行きつけの店でもあった。

 彼らの関係は、同じ高校に通う、先輩と後輩である。表面的に見ればそうだ。
片や薄手のパーカーの下にさり気ない、しかしセンスの良さが窺えるデザインTシャツ、ダメージジーンズを履いた、小柄な痩躯の少年である。
丸めの輪郭と秀でた額、大きな瞳が彼の童顔を引き立てている。両手を添えてカップに口を付けている様子は、小動物を連想させる。中味はブラックコーヒーであるが。
対して、少年の向かい合わせに座るのは、少々野暮ったさを窺わせる黒縁眼鏡に黒のタートルネック、組まれた長い脚を強調させるかの如き質の良いジーンズに、手首には一目で高価だと思わせる様な凝った作りの腕時計。一見すると中々にアンバランスで不審な格好だ。
しかし良く良く見れば、どちらかといえば白い肌と、スッキリとした輪郭、長い睫毛に縁取られた目は憂いげで、黒く艶やかに落ちる髪は日を弾いて反射する。実に美青年である。
薄い唇が口を付けて飲む仕草さえ洗練されて様になっている。中味はカフェオレであるのだが。
彼らの名を、竜ヶ峰帝人と平和島幽といい、時折、2人きりで出掛ける程の仲であったりする。


 このカフェの最大の良い所は、閑静な空間であると共に、皆、他者に興味関心を示さないことにある。
各々プライベートな時間を楽しみたいということで、誰も彼もが不干渉であれば、不躾な視線が飛んでくることもない。
そう、彼等が来ているカフェは、実は芸能人御用達のカフェであり、マスコミやファン等に対する対策がきちんと練られている所なのである。
勿論一般人が利用しに来ることもある訳だが、そこは暗黙の了解である。
そうした理由で、高校生でありながらカリスマモデルにして近頃では俳優業にも足を伸ばし始めた為に顔も名も売れてしまっている平和島幽、こと、羽島幽平は、プライベートで過ごせる場所が限られてしまうのである。
と、いうことが理由の1つ、そしてもう1つ、彼にとっては由々しき、最大の理由があるのだった。


「静雄先輩と折原先輩は、相も変わらずですね。静雄先輩怪我とか大丈夫ですか?」

先日の屋上での1件を言っているのだろう、思案気な表情で見上げてくる帝人の目線に応え、幽は「うん。」、と言葉少なに頷く。
良かったです、とホッとした様子の帝人を見て、幽は溜息を吐きたい衝動をどうにか堪えた。


 そもそも、彼らが知り合う切っ掛け、というよりもある意味、橋渡しをしたのは、静雄である。
平凡な容姿、平凡な生を謳歌していながらその実、身に潜ませている非日常を貪欲なまでに渇望するその非凡性によって、帝人は入学早々厄介な男、上級生にして最上級生、折原臨也に目を付けられた。
その経緯で静雄も帝人のことを間接的に知ることとなった訳だが、帝人は内包する異常性さえ悟らせなければ見た目には人畜無害なか弱い少年である。つまり、静雄の人としての好みに、ストライクしたのだ。
水と油の様に相容れない間柄であるのにもかかわらず、彼とお近付きになりたいと接触するようになり、そして実は気が合うのではないかと思える程に仇敵と顔を合わせることになれば、お近付きになるどころか物理的に距離が遠ざかって行くのも道理であった。
入学して衣替えを迎える頃には、「竜ヶ峰帝人が行く所に戦争コンビあり」などという不名誉なレッテルを貼られ、以降、その強烈な存在感だけが帝人の中に残り、彼らが立てた肝心の"お友達になろう"作戦は、見事瓦解したのである。
そして、帝人との仲を巡っての先輩2名に因る壮大な戦争(大袈裟な表現ではない)、が名物として認識されるようになる少し前、1人の青年が1年生の教室の扉を叩いた。
『竜ヶ峰帝人、君、は、居るかな?』
ザワリとざわめいた室内でただ1人、呼ばれた当人である帝人だけは、変わらぬ瞳を宿したまま、声に導かれて青年の前に立ち。
『平和島、幽先輩、ですよね?僕に何か御用でしょうか。』
これが、2人の初邂逅となった。


 兄である静雄と折原臨也、そしてそれに絡まれる帝人の噂を聞いて、あの時幽は謝罪に出向いたのだ。
静雄はその有り余る力によってか、対人恐怖症な所がある。そんな兄が、取り敢えず興味の範囲であっても誰かと関わろうと思った相手に迷惑を掛けている事実に申し訳なく思ったことと、出来ればその相手から、兄に対する嫌悪を取り除ければ良いと微かに願って。
しかし、実際に目にした帝人はあっけらかんと笑って、「特に危ない目に遭ってる訳ではありませんから、問題無いですよ。普段の静雄先輩を、関わってる分だけは知ってるつもりなので。」と、なんでもないことのように言ってのけた。
そんな帝人の態度に、幽も興味を持ち、その時から、幽と帝人の、付かず離れずの、微妙な関係はスタートしたのだった。


 カフェオレと共に頼んだ、ラズベリーソースの鮮やかなレアチーズケーキにフォークをサクリと入れて、幽は細やかにふぅと思わず溜息を吐いてしまう。
小さく零された息は、しかし近くに居る帝人には聞かれてしまったようで、眉が八の字を描いた。

「幽さん、今日元気無いですね。大丈夫ですか?やはり、お仕事と勉学の両立でお疲れなんじゃ・・・?」

幽の身を案じて心配してくれる帝人に何でも無いと首を横に振った幽だったが、帝人の疑心は晴れないらしい。
曇ってしまった顔で幽の目を覗き込む帝人に、何と言えば良いかと、一瞬思考を巡らせて、幽はありのままを言ってしまうことにした。

「疲れてるとか、そういうことじゃないんだ。ただ、今のままでいて良いのか、って・・・」

「はい?」

「このまま、兄さんに内緒にしてて、と思って。」

初邂逅より、時折学内で偶然に会って世間話をするようになり、実は幽と帝人の趣味が似通っていることに互いの会話の中で気付いた。
そうなればより一層話が弾むようになり、会話する機会や時間が長くなり、更には連絡先を交換すれば、自ずと距離も縮まって行く。
相変わらず静雄と帝人の関係が同学校の先輩後輩の関係の域を出ないことに対し、その弟である幽と帝人との関係は、そこを飛び越えて共通の趣味を持つ、随分と親しい友人へと昇格していた。
1人っ子の帝人にとって幽は兄の様でもあったし、また弟の居ない幽にとっても、帝人は自分を慕ってくれる弟のようであった。以前までは。
どうにも無自覚のようではあるが、臨也同様、静雄の帝人に対する感情が、ただの興味から情を抱く対象にシフトチェンジしているようだ。そこに、同性に対する恋慕の情などと、という嫌悪を抱かないのは、業界でもさして珍しいことではないせいか、はたまた幽自身にも欠陥があるせいか。若しくは、幽にも静雄のことを責められない、理由があるのだ。

「えっ・・・内緒って・・・じゃあ、静雄先輩は僕が幽さんと会ってること、知らないんですか?」

「・・・・・・」

沈黙が答えだ。無表情ながらに気まずげに視線を逸らした幽に、帝人は疑問を持ったものの、触れて欲しくないこともあるのだろうと、それ以上の追及を止める。
やや強引に、「あっ、そのチーズケーキ美味しそうですね。」、と言って話題を変えた帝人に感謝しつつ、やはり表情を変えないままソースが殆ど掛かっている部分を丸ごと帝人に差し出した。



 * * * * *



 その、数日後。

「悪いね、兄さん。わざわざ時間取って貰って。」

所は同じく。平日の夕方、制服姿の男子生徒3人が、テーブル席にて顔をつき合わせていた。
様になる所作で白磁のカップを手に取る青年、平和島幽は、殆ど音を立てずに持ち上げていたカップをソーサーに戻す。本日の中味はロイヤルミルクティーだ。

「いや・・・別に構わねぇけどよ・・・その・・・・・・」

鳶色の双眸が、そう告げて揺れている。注がれる先は、幽と隣席している少年である。だが彼の群青色の瞳も、同様に困惑に揺れていた。

「あの・・・えと・・・こっ、こんにちは、静雄先輩。」

「おっ、おぉ・・・いや、そうじゃねぇ。何だって俺達を集めたんだ?幽。」

声を掛けられて頬を染めた青年は、振り切るように1度首を振ると、改めて幽を見た。


 本日、青年―――幽の兄である、平和島静雄は、昨夜弟に言われた言葉を実行する為にここに来たのである。
「明日放課後、会わせたい人が居るから。時間取ってくれる?」と幽は静雄に言ったのだ。
元より用事も特に無かったし、兄の手を滅多に煩わせることのない弟からのお願いだったので、静雄は二つ返事で了承した。
会わせたい人、と言われて、静雄が真っ先に思い浮かべたのは、幽の"彼女"である。あまり感情を表に出すことはないが、その美貌と雰囲気で、ミステリアスでクールなのだと世間に言われる弟は、押しも押されぬ人気俳優だ。
そんな弟を自慢に思う静雄は、わざわざ自分などに彼女を紹介してくれようとする幽の行動に聊か疑問を感じつつも、家族だから紹介してくれるのでは、と思えば、素直に嬉しかった。
だからこそ、弟の顔に泥を塗らないようと気を張ってやってきた静雄にとって、今幽の隣に座っている人物はあまりにも予想外過ぎた。

「・・・兄さんに、言っときたいことがあってね。」

そう言って、幽は隣に座す少年を見た。少年は幽と視線が合い、ヘラリと笑う。
少年―――竜ヶ峰帝人は、静雄と幽にとって後輩である。
初めは、あの折原臨也が目を掛けたのだと知って興味を持った訳だが、今では可愛い後輩として、甘やかして手元に置いておきたい人物だ。
勿論、学校の外でこうして顔を合わせたことなど無いので、接点を持ちたい静雄としては嬉しいことだ。嬉しいことなのだが、その隣に幽が座っている、という点を考えて、モヤモヤとし始めた胸中に答えを出せないまま、静雄は幽に問う。

「っつーか、お前ら、いつの間に知り合ったんだよ?」

「えっと、僕が入学して一カ月位してからでしょうか。それから何度か、一緒に出掛けたり遊びに行ったり・・・」

「なっ!幽、お前・・・!」

「うん。ということで。抜け駆けして御免ね、兄さん。」

1mmも動かない表情筋で以て、淡々と紡がれた謝罪に、静雄は顔を顰める。
突然表情が変わった静雄に帝人はどうしたものかと考えているようだが、幽にしてみればその理由は一目瞭然である。
(まぁ、面白くないよね。)
静雄の気持ちが分かる幽は、ゆるりと目を伏せると、再びカップの取っ手を持って口を付ける。
相も変わらず自身の気持ちに疎い静雄は、何故そのことで気分を害しているのかに気付いていないようだが、いつまでも無自覚に無意識に煽られるのも疲れてしまうと、幽は息を吹き掛ける振りをして小さく溜息を吐く。
兄に自覚されるのも厄介ではあるのだが、止むを得まい。そう決意してカップを戻す。
上げられた瞼の下に隠されていた瞳の強さに、静雄はたじろいだ。久しく見ない、感情をしっかりと込めた弟の瞳だった。
唐突に雰囲気の変わった隣席の相手に驚いた帝人が、幽に声を掛けようとするのに一瞬早く、

「俺、帝人君のこと好きだから。渡すつもりもないし。それだけ、言っておきたかった。」

爆弾投下。

ポカリと間抜けな表情を晒す2人を置き、幽は極僅かに口角を上げた。
まるで、勝利者の笑みのようだった。







仲良くして頂いているKake-rA様より頂戴致しました!
当サイトの創始者様生誕企画2011にてリクを承りました「ランチタイムウォーズ」の続編でございます!
「ランチ〜」で仲の良すぎるだけの友達(一応)だった幽帝が、ついに幽君の宣戦布告で本格的な幽帝←静に……!
もうたまりません。
そして想いが空回ってる静雄さん(と臨也さん)に比べ、幽君のなんとスマートなこと(笑)
さすがですvv

Kake-rA様、この度は素敵な小説を書いて頂き、本当にありがとうございました!!