かちかちと携帯を操作していた帝人は、いつのまにか自分の周りを大勢のあまり柄が良くない男たちが取り囲んでいるのに気がついた。あたりはすでにとっぷりと日が暮れていて、帝人自身意識して人通りの少ない道を歩いていたため周囲に自分たち以外の人影はない。軽く息を吐いて、帝人は「何か御用ですか?」と軽やかに尋ねた。


 「すみませんが、ぼくは急いでいるんです。そこを通していただけるとありがたいのですが」


 帝人の丁寧な要求に対する男たちの答えは、各々取りだした釘バットや鉄パイプだった。心当たりがないこともない帝人は軽く目を伏せて携帯を制服のポケットにしまった。先ほどまで青葉やブルースクウェアの面々と話し合っていたため、帝人はまだ夕食を取っていない。どこか店に入ろうかと思ったが己の財布がそれを許さず、よって帝人は空腹を満たす為に一刻でも早く自宅に帰りたいのだ。


 武器を持った男達に囲まれるという状況でもかけらも動揺を見せない帝人に苛立ったのか、帝人の前方にいた男の一人が舌打ちひとつ漏らして大幅で歩み寄ってきた。振り上げている腕には金属バット。頭に当たれば死ぬし、腕や足なら骨が折れる。しかし迫りくる凶器を網膜に移してもなお、帝人は動かなかった。


 動く必要がないのだと男達が知ったのは、その金属バットが帝人の頭めがけて振り下ろされた瞬間だった。


 辺りに鈍い打撃音はしかし、金属バットが帝人の頭部を直撃した音ではない。帝人のはるか後方から飛んできた道路標識が、金属バットごと男を吹っ飛ばしてコンクリートで舗装されている道路へ突き刺さった音だ。一瞬にして形勢は逆転し、男達は怯えと戸惑いを含んだ視線で道路標識が飛んできた方向を見た。


 「そんな物騒なもんを振り回したっつーことはよぉ、てめえらも物騒なもん振り回されても文句はねえってことだよなぁ」


 あまりにも乱暴な、しかし真っ直ぐすぎるその論理に男達は言葉を失う。否、怒鳴り返せずに立ちすくんでいるのは、ずるずると片腕で自分の身体より大きいバイクを引きずってきた男が、絶対に手を出してはいけないと、その名自体が禁忌のように扱われる池袋の喧嘩人形こと平和島静雄だからかも、しれない。


 しかしたとえ理由がなんであろうと、帝人には関係のないことだ。帝人は幼さが色濃く残る顔を小さく歪にゆがませて、それが微笑みだとその場の誰も、本人ですらわからないくらい歪にゆがませて、お願いしますね、と誰にいうでもなく囁いた。この状況を鑑みればその囁きは平和島静雄に向けられたものと考えるのが妥当だが、静雄は帝人が囁くよりも早く、誰に命じられるでも助けを請われるでも叱咤されるでもなくただ当然のように、男達を屠りにかかった。


 それは喧嘩ではなかった。殺し合いでもなかった。潰し合いでも、戦闘でも、決闘でもなかった。


 殴り、蹴り、折り、潰し、抉り、裂き、割り、穿ち、打ち、叩き、返し、弾き、掴み、離し、落とし、壊し、砕き、抜き、踏み、刺し、投げ、轢き、屠った。あまりも圧倒的で一方的なそれは、決して喧嘩などと言う単語で表してはいけないものだと、帝人は肌で感じていた。


 喧嘩は対等なもの同士が行うものだ。そこに僅かに差があれ、対等であることは変わりない。帝人の価値観から言えば、静雄とこの男達は対等ですらないのだから、喧嘩になどなるはずがない。


 その一方的な行為は始まった時と同様に唐突に終わった。帝人は男達の目標が自分から静雄に変わった時点ですでにこの場に留まる理由を失くしていたのだが、いつもならさっさとその場を後にするのだが、なんとなく、今日は立ち止った位置から一歩も動くことなくそこに佇んでいた。その口元に歪な微笑みを残したまま、少年はそこに存在していた。























 いつもの癖で口元に手をやった静雄は、そこに火のついた煙草がないことに気付いた。おそらくは事の最中に噛み千切ったかなにかして落っことしたのだろう。よくあることなので慣れているのだが、咥えていた煙草がまだ火をつけて間もないものだったこともあって、静雄は無意識のうちに舌打ちをひとつ漏らしていた。もったいない、と思うほど自分は煙草に執着していないと思っていたのだが。


 ポケットから取り出した煙草の箱から新たに一本取り出して咥え、火をつけようとライターを探ったところでようやく、何の感慨も抱いていない大きな瞳でこちらをじっと凝視する帝人の視線と静雄の視線が交わって、思わず静雄はぽとりと口から煙草を落とした。


 今更暴力をふるう現場を見られて動揺するほど、自分の心に繊細な部分は残っていないはずだ。いつもなら現場を静雄に任せてさっさとその場から消えているはずの帝人がまだそこにいる事実になんだか静雄は気まずくなって、落とした煙草を踏みつけると新しく煙草を取り出すこともせず頭をがしがしと乱暴にかいて、帝人の視線から逃げるようにあさっての方向を向いた。


 「煙草、吸わないんですか?」


 開口一番の台詞にしてはあまりにも場違いだろう帝人の疑問に曖昧な答えを返して、静雄は帝人がちっともその場から動こうとしないことに若干の苛立ちを覚えた。こちらを心配するでも観察するでもないくせに、じっと見定めるように見つめるのはやめてほしい。


 「つぅか、なんでお前、まだここにいんだよ」


 明確な答えが返ってくるとは静雄自身思ってもいなかったが、それでも帝人が「なんででしょうね」と他人事のように首を傾げたのには、怒りを通り越してあきれるしかない。それでも本当に帝人がわかっていないような顔をしているので、静雄は溜息ひとつで受け入れるしかなかった。


 「見ても減るものではありませんし」


 「まあそうなんだけどよ・・・・」


 見て減らないかもしれないが、増えるものもない。そんな無意味なことは帝人が最も嫌うことではなかったのかと言いたかったが、帝人が帰宅途中だったことを思い出した静雄は何も言わず、黙って彼に背を向けた。


 その背中に、


 「でも無理矢理作るのなら」


 何の感情も込められていない帝人の声が、


 「静雄さんが迷子みたいな顔、してるからですね」


 深く突き刺さって、抉った。


 踵を返した足が止まる。まるでその場に影ごと縫いつけられたかのように、静雄は動くことができなかった。気配で帝人が背後に立ったことがわかって、ようやく体の向きを変えて彼と向き合う。自分よりも頭ひとつ以上小さいその少年に、静雄はなぜか恐怖を感じ、それ以上に憐れみを覚えた。


 「あなたは迷う必要なんてないって言ったのに、まだわからないんですか?」


 ねえ、静雄さん、と。子供らしかぬ、まるで老獪な翁のような帝人の表情に静雄は言葉を失った。池袋の喧嘩人形と忌み嫌われ恐れられてきた静雄だが、目の前の少年こそがなによりも恐ろしいと再認識する。


 「あなたは迷う必要も、考える必要もありません」


 あなたはただひとつの牙であれと、帝人は言う。


 「ぼくの全てであなたを肯定します。だから、あなたの全てをぼくにください。ぼくの後ろで、ぼくを守ってください。決して前には出ないで、ずっとぼくの後ろで。ぼくが道を踏み外した時あなたの牙でぼくを殺すために、あなたはぼくの後ろにいてください」


 静雄の怒りも暴力もキレやすさも思慮が足りないところも全て、受け入れ、肯定し、赦すのだと。だから静雄は何も考えずなにも感じず何も思わず、ただひとつの、帝人の牙になれと、帝人は何かの契約のように言った。その言葉を静雄は以前に耳にしていたし、理解したうえで同意していた。


 静雄が大嫌いな暴力すら、帝人は受け入れると言う。そして有事の際はそれで自分を殺せと、そんな残酷なことを帝人は平然と言う。間違えるつもりはないからあなたに殺させるつもりもないと言う帝人の言葉は真実だろうけれど、それでも万が一には、と帝人は念を押す。


 まるで兎の皮をかぶった狼のようなこの一面が、彼の本性なのかは静雄にもわからない。ただ帝人がまだ上京してきて間もなかった頃、似たような年ごろの少年と一緒に歩いているのを見たことがある。あの時の笑顔は本当に綺麗でまぶしくて、虚偽と演技で作れるはずがない笑顔をしていた帝人も、今の帝人もきっと同じで、どちらが本当とか関係ないのだろう。例えるのなら、一枚のトランプの絵柄のようなものだ。裏表で決して交わることのないそれに、嘘も本当もない。


 「あなたには鎖も契約書も、いりませんね」


 だって、ダラーズもなにも関係ない、竜ヶ峰帝人(ぼく)平和島静雄(あなた)の、話だから。


 帝人がそっと静雄の首筋に触れる。かすかに熱をもったそこには、鎖も首輪も存在しない。鎖が絡みついているのは帝人の小さな身体で、首輪で絞められているのは帝人の細い首筋だ。けれど束縛されているのはどちらなのか、静雄には断言できない。


 結局、自分がこの小さな子供のためにできることは大嫌いなこの暴力を使うことだけで。それでも彼がこの暴力すら受け止めて肯定すると言うから、静雄は黙って腕をふるい続けるのだ。静雄が望んでいる彼との関係がこれであっているのか静雄自身わからないまま、彼の後ろで腕をふるい続けるのだ。





 












お題は選択式御題さんよりお借りしました。







「桜鼠」の香邑様からサイトの三周年企画としてリクエストさせて頂きました。

『魔王と番犬』な静帝!
あまりの格好良さに悶えるしかありません……っ!
それと同時に切なかったりもするので、ああもう興奮が抑えられません。

香邑様、この度は素敵な静帝小説を書いて頂き、本当にありがとうございました!!