古泉一樹の暴発俺が部室に入ると、なんとなく違和感があった。 しかしそれを具体的に指摘出来ない。 ただなんとなく、妙だと思っただけだ。 首を捻りつつ室内を見渡しても、部屋の中にいるのは古泉だけだ。 いつも長門が座っている窓際に目を向けても、長門の姿はない。 コンピ研にでも行っているのかと思いつつ、俺は指定席と化しているパイプ椅子に腰を下ろした。 「古泉、朝比奈さんや長門は?」 ハルヒは元気に走っていくのを見たが。 古泉の返事はない。 ぼんやりと俯いているだけだ。 「古泉? 体調でも悪いのか?」 やっぱり返事はない。 俺は立ち上がり、古泉に近づいた。 よっぽど調子が悪いのか、そうじゃなかったら死んでんじゃないかと思ったからだ。 だが、古泉は生きていた。 調子も悪くなかったらしい。 何しろ古泉の額に触れようとした次の瞬間、俺は長机の上に押さえつけられていたんだからな。 「古泉っ!?」 「すみません…」 やっと返事が来たかと思ったら、妙に切羽詰った声だった。 おい、声も顔もお前らしくないぞ。 何だっていうんだ。 「僕は…」 いや、いい。 答えるな。 答えなくていい。 とにかくとっとと俺の手を離せ、伸し掛かるな。 「……んです」 そんな小声で言われても聞こえないぞ。 言いたいことがあるなら俺を解放してからはっきり言え。 「…好きなんです。あなたのことが…」 「……それ、何の冗談?」 「冗談ではありません。あなたが、好きなんです」 繰り返すな。 会話が前に進まん。 「…愛してるんです……」 言い方が若干変わっただけだろうが。 古泉の気が変わるようにと俺は必死に叫ぶ。 しかし、古泉はもう聞いちゃいない。 「すみません…先に……謝っておきます…」 思ったよりも強い力で抱き竦められる。 待て、古泉。 お前、絶対おかしいぞ。 落ち着け。 頼むから思いなおせ。 「無理…です…」 古泉の顔が、異常に近かった。 唇に触れるのが何かなんて考えたら負けだ。 暴れさせようとした手を、頭の上でひとつに束ねられる。 おかしなくらい手足に力が入らなかった。 「やめろ、古泉! シャレにならん!!」 「冗談で、済ませたい気持ちはあるんです。でも……」 ネクタイがしゅるりと音を立てて外される。 「……すみません」 謝るくらいなら止めとけって。 机の角が当たって腰が痛い。 「我慢…してください……」 ああ畜生。 なんでだ古泉。 なんでいきなり俺をこんな目に遭わせるんだ。 そしてなんでお前は、…そんな辛そうな顔なんだ。 ひやりとした手が、俺の腹を撫でる。 止めろむず痒い。 古泉の頭が俺の首の辺りにある、と思った瞬間、首に軽い痛みが走った。 「っ…何やってんだ!」 思わず怒鳴るが古泉は答えない。 だが確実に古泉は俺の首にあざを残しやがった。 それもおそらくシャツで隠れない位置にだ。 「もう止めろ!!」 いくら怒鳴っても古泉は聞かない。 コンピ研でもなんでもいい、聞きつけて助けに……いや、いい。 やっぱりいい。 男に押し倒されてるような情けない姿を見られてたまるもんか。 その時、俺の思考を呼び戻すように、カチャリという硬い音がした。 視線を落とすと、ベルトにかかる古泉の手が見える。 本格的に身の危険を感じた。 「――古泉!! 正気に戻れ!」 ベルトが抜かれる。 ばたつかせた足は簡単に押さえ込まれる。 「僕は正気です」 「正気じゃねえって。絶対おかしい!」 「……あなたは、真剣に考えても下さらないんですか。僕がどれほどあなたを思っているかも、どんな気持ちでこれまで過ごしてきたのかも」 「考えてやったっていい。だがそれはお前がこんな強硬手段に出なければだ。考えてほしければ今すぐ俺を解放しろ!」 古泉の目に、一瞬、迷いが見えた。 だがそれすらほんの一瞬だった。 「……嫌です」 古泉が、そう静かに首を振った瞬間だった。 「ぃやあっほーう!」 いつにも増してハイテンションな声がドアを開けた。 笑顔のまま固まるハルヒ。 俺を押さえつけたまま呆然としている古泉。 俺はもう驚くことも出来ん。 ばたん、とドアが閉まる。 閉まったドアが、すぐにまた開かれる。 ――世界の終りを覚悟した。 だがしかし、世界は終らず、ドアを開いたのもまたハルヒではなかった。 そこに立っていたのは長門だった。 ハルヒはその向こうで硬直しているが、長門は構わずドアを閉めなおした。 「長門…」 助けを求めることも忘れて、俺が言うと、長門はかすかに頷いた。 そうしていきなり間合いを詰めると、俺を拘束していた古泉の手を、その細い手のどこにそんな力があるんだと思うような力で引き剥がした。 古泉は、俺がこの部屋に入ってきた時のように、無反応に戻っていた。 「一体どうなってるんだ?」 古泉から離れ、シャツのボタンを留めながら俺が聞くと、長門が答えた。 「古泉一樹はある種のプログラムに感染している」 「プログラム?」 「そう…涼宮ハルヒに見つかりやすい状況下であなたを押し倒し、それを涼宮ハルヒに見せつけるように」 「な……なんだそりゃ」 「実際そうなったはず」 いや、それはそうだが、なんだってそんなことをしなけりゃならんのだ。 「情報爆発を観測するため」 その言葉には聞き覚えがあった。 「朝倉の仲間か?」 「違う。詳細は不明。おそらく――広域帯宇宙存在」 雪山の奴か。 思わず舌打ちが漏れる。 長門は動作確認でもするように言った。 「ワクチンを調合した。今から注入する」 そう言ったから、てっきり以前俺や朝比奈さんにしたように、古泉の手首にでも噛みつくのかと思ったのだが、違った。 長門の手にはやけに見覚えのある、安っぽい銀色をした小銃が握られていた。 まだ持ってたのか。 というか長門よ、もしかして古泉には噛みつくのも嫌だったりするのか? 長門はそれを古泉の腕に当てると、躊躇いもなく引き金を引いた。 古泉が顔を顰めた、と思うと、古泉の顔に表情が戻ってきた。 「…あ、あれ……」 間の抜けた声に顔だ。 俺は聞いてみる。 「自分がやったことは覚えてるか?」 古泉はまだぼんやりしていたが、ぱっと顔を赤くすると、深々と頭を下げた。 「すみません! 一体なんてことを……」 「まあいい。お前のせいじゃないんだろ」 俺としても消し去りたい黒歴史だ。 なかったことにしてやってもいい。 しかし、と俺は長門に聞く。 「なんで古泉だったんだ?」 「彼がもっとも隙があった」 長門はあっさりと、しかもかなり酷なことを言った。 「情報を操作する時には、素地がある方が容易。涼宮ハルヒは同性愛に興味があった。古泉一樹は、」 と古泉を見た目がやけに冷たく思えたのは俺の気のせいだろうか。 「あなたに恋愛感情を抱いている」 ……すまん、なんだって? 聞き返した俺に答えたのは古泉だった。 「……そこに付け込まれたようです」 微妙に答えになってないし、どうせなら否定しろよそこは。 全く、開いた口がふさがらんとはこのことじゃないか? 「でも僕は、あんなことをするつもりはありませんでしたし、今もありません。あなたのことを愛しているのに、どうして強引にそんなことを出来ると言うんです」 俺を愛してる云々の本気とも思えん下らん話はもういい。 長門、ワクチンが効いてないみたいだぞ。 「本心なんですが…」 苦笑して肩を竦めるところはいつも通りだな。 どうしてやろうか、と思った時、長門が言った。 「古泉一樹を敵性と判定。削除申請を実…」 「するなよ」 慌てて俺は言った。 長門はきょとんとした顔で俺を見ている。 いけないのかと聞いているようだ。 「こんなのでも一応SOS団の仲間だろ。気に食わないなら殴るくらいで止めておいてやれ」 「……分かった」 声が不満そうに聞こえたのは俺の気のせいに違いない。 しかし長門は実行した。 古泉の腹にずんと響くようなボディブローが決まる。 呻くこともできない古泉に、ご愁傷様と言おうか、それとも自業自得だと言おうか。 「ところで長門」 「何」 「ハルヒはどうしたんだ? あいつがあの程度のショックで動けなるとは思えないんだが」 「今、この部屋の外は時間凍結状態にある」 時間を止めたってことか。 「そう。涼宮ハルヒが来るまで、この部屋は広域帯宇宙存在の制御下にあり、私は侵入できなかった。涼宮ハルヒが来たことでそれが解除された。私はハルヒの思考が働く前に動くしか出来なかった」 それは、助けが遅れたのを詫びているのだろうか。 だとしたら、俺に言ってやれることはひとつだけだ。 「気にするな」 「……そう」 長門はどこかほっとしたように呟いた。 それから俺たちは慌てて体裁を整えた。 何しろハルヒに今見たものは間違いだと認識させなければならないのだ。 俺の首に付けられた鬱血は長門によって消され、制服についた妙な皺も伸ばされた。 本当に、長門様々だぜ。 俺と古泉は机の上に囲碁の道具を広げ、さもずっとやってと言わんばかりに急いで碁石を並べる。 最後に長門が室内を確かめ、小さく頷いて出て行った。 ドアの向こうでハルヒの、 「あれっ? 有希、いつのまに来てたの!?」 とか、 「ちょ、ちょっと今開けるのは…」 とか聞こえた後、ドアが開いた。 長門は何もなかったようにすたすたと窓際の指定席へ向かい、ハルヒはぽかんとして室内を見ていた。 「何騒いでたんだ?」 俺が聞くと、ハルヒはごしごしと目を擦りながら、 「なんでもない。ちょっと…勘違いしてたみたい」 どこか釈然とはしていない様子ではあったがそう答え、団長席についた。 長門が本を読み、ハルヒがサイトやメールをチェックし、俺と古泉は囲碁で遊び、時間が過ぎていく。 全てはいつも通りだ。 それでいい。 何事もないのが一番だ。 そうしていたって平和に長門が本を閉じ、ハルヒが帰る。 「俺たちも帰るか」 と俺が碁石を片付け始めた時になって、古泉が言った。 「服を肌蹴ただけで、あなたは随分と色っぽくなるんですね」 忘れてやろうとしていた記憶が戻ってくる。 俺は情け容赦なく拳を振り上げると、古泉の頭を殴った。 喧嘩を売っているなら買ってやろうじゃないか。 「そういうつもりではないんですが…」 じゃあどういうつもりだ。 「……あなたのあんな姿がまた見られたらいいなと思っただけです」 「くたばれ」 吐き捨てて背を向けた俺に、古泉はなおも余計なことを言った。 「あなたが、好きです」 今日だけで何回言ったと思ってるんだ。 そんな言葉はな、口にすればするほど薄っぺらくなるもんなんだよ。 古泉を置いて帰ろうとする俺に古泉が笑った。 「耳、真っ赤ですよ」 「――っ!?」 鎮まれ心臓。 黙れ古泉。 |