ブラックアンドホワイト





俺の、じゃなかった、僕の、人生を変えた存在がいる。
普通なら、そう言ったらいいイメージを抱くんだろうが、僕の場合は全くもって違う。
それは、僕の人生を変えたのが生徒思いの熱血教師でもなければ、もはや絶滅危惧種となってしまった近所の雷親父でもないからだ。
僕の人生を変えた存在――それは「神」であり、「涼宮ハルヒ」というパーソナルネームの持ち主でもある。
彼女は僕の人生どころかこの世界までもすっかり変えてしまった。
そのくせこの三年間というもの、彼女はいつだって不機嫌で、何もかもが詰まらないと思っている。
そんな彼女が、僕は嫌いだ。
好きになれるはずがないだろう?
僕から平穏な日々を奪った女を。
僕はヒーローになりたいと思ったことさえなかったってのに。

ところが、彼女はこの春から変わった。
楽しそうに笑みを浮かべて、嬉々として学校を走り回る彼女の写真を報告書の中に見つけた時、僕は自分の目か頭か、あるいはその両方がおかしくなったんだと思ったね。
それくらい、意外な姿だった。
そして、報告書の端々にちらちらと登場する、男子生徒の姿にも気付かされる。
彼についての報告書が提出された頃になって、僕の北高への転校も決まり、僕はうんざりしながらその指令を受け取った。
いくら年が同じだからって、僕に決めなくたっていいと思うんだけどね。
ところが――わざわざ僕に命令が下された理由は、もう少し別のところにあったのだ。
「彼を協力者として機関に引き込めと?」
僕は不信感をあえて隠そうともせず、お偉方を睨んだ。
お偉方、と言っても彼等は閉鎖空間に入れるわけではない。
ただ、閉鎖空間に入って神人を退治する僕等の後方支援として存在していたはずの彼等が、この三年ばかりの間に妙に力を持ち、偉そうにふんぞり返っているだけなのだ。
当然、僕は彼等が偉いとは少しも思っていない。
ただ、組織というのが歪むのは極自然なことだから甘んじて受け入れてやっているだけだ。
そんな僕の考えにも気付いていないのか、お偉方は大仰に頷いて見せた。
「そう、どんな手段を使ってもいい。方法は任せる。彼が涼宮ハルヒの鍵であるなら、他のものに奪われるわけにはいかない」
「――それならTFEI端末や未来人のように、彼好みと思われる妙齢の女性でも差し向けたらどうです?」
「そのどちらにも彼が明らかな性的興奮を示さないから、君に命じているんだ」
なるほど、と僕は思う。
「つまり、彼もゲイだと?」
も、というのは僕がそうだからだ。
「でも、そのような報告は僕のところへ回ってきた報告書にはありませんでしたね。機密扱いなんですか? それとも、まだはっきりしていないのですか?」
「後者だ。ただ、彼が上手く隠し遂せているということも考えられるし、まだ顕在化していないだけということも可能性がある。だからこそ、君に頼みたい」
命じて、から、頼みたい、に言葉が変わったな、と思いながら僕は意地悪く笑って見せる。
「いいでしょう。ただし、それなりの配慮はお願いしますよ? 今までのように頻繁に閉鎖空間へ向かわされて、怪我でも負っては我等が神のご不興を買わないとも限りませんから」
「彼女に上手く取り入ることが出来るとも限らないというのに、随分な自信だな」
先程まで僕が話していたのとは別のお偉いさんが言う。
僕はそれへ笑みを返しつつ、
「彼女の思考パターンをトレースすれば簡単に分かるでしょう? こんな中途半端な時期に転校してくる人間を、彼女が見過ごすはずがありません。それに、我々の理論で考えるならば、僕もTFEI端末も未来人も、彼女に望まれて存在するんです。どうして僕だけが彼女に受け入れられないと言えるんです?」
聞こえてきた、ぐっと口ごもる音に僕はとりあえず満足する。
「それでは、命令を受諾してもらえるようだね」
最初の人物が言った。
僕は笑って頷き、
「ええ、いいでしょう。ただし、条件はお忘れなく」
そうして会議の場を離れた僕のもとに、新たな報告書が届けられる。
彼女を変化させた鍵、キョンと言う間の抜けたあだ名の人物の写真がそこには張り付けられている。
その身上調査の結果を捲りながら僕が思ったことはただひとつ。
――地味で退屈そうな奴だ。
好みでもない人間、それも多分ノン気の人間を落とさなくてはならないかと思うと、面倒で堪らないが一応命令だから仕方がない。
すまじきものは宮仕え、とはよく言ったものだ。
かくして、僕は数日の内に北高生となり、思った通り涼宮ハルヒから接触を受けた。
そうして強引に勧誘されるのを受け入れ、彼女の巣と化している文芸部室へ連れ込まれる。
室内にいたのは、報告書にいた人間だけだ。
涼宮ハルヒと朝比奈みくる、長門有希、そして――彼。
写真なら穴が開くほど見せられたし、見た。
性格なども知っていた。
そのはずだ。
なのに何故か、彼を一目見るなり僕の胸は落ち着きを失った。
好みじゃない。
何か特別な物を持っているわけでもない。
なのに何故か、僕は彼から目が離せなくなってしまったのだった。

報告書にはなかったことだが、彼の話し方は独特で、しかも驚くほど含蓄に富んでいた。
不要に思えるような修飾語の羅列が続くことも多々あったが、その連続が不思議と不快ではなく、むしろ心地よく響く。
考えることは、複雑な表現や回りくどさはあるものの、至って真っ当。
思考も今時素直で、しかも柔軟であるらしい。
いくらか難しく、分かり辛い話をしても、少々説明を補足すれば彼には十分用が足りる。
おそらく言語に関する感覚がよく発達しているのだろう。
僕は涼宮ハルヒの監視よりもむしろ、彼の観察に夢中になった。
彼と話すことが楽しい。
彼と一緒にいるだけでも楽しい。
そんな素直な感情はおそらく三年ぶりのもので、僕自身酷く驚かされた。
そう、おそらくや多分と言った不確かさを強調する言葉さえ不要になるほど、僕は彼に恋をしていた。
自分でも、どうしてそこまでと笑いたくなった。
顔が目立っていいわけでもない。
顔だけなら極普通だ。
話術に秀でているわけでもない。
むしろ分かり辛く、多分に遊びの要素を含んだ話し方を彼はする。
なのに不思議な魅力、あるいは居心地の良さを、彼は持っていた。
もしかすると涼宮ハルヒも彼のそんなところに惹かれているのかも知れない。
そうして、初めて彼の手を握ったその日――僕は、彼に全てを告げた。
閉鎖空間が消滅したというのに、僕は彼と共に雑居ビルの屋上に留まっていた。
すぐにビルを下りて、待っているはずのタクシーに乗って彼を送り届けなければいけないというのに。
だが、今しかチャンスはないと思った。
「僕は、機関に命令されています。――あなたを篭絡してでも味方に引き込めと」
彼の目が怪訝そうに僕を見る。
切り裂くようなその視線さえ、不思議と心地よくて、僕は作り笑いではない笑みを浮かべた。
「でも僕は、本気であなたが好きになってしまったようなのです」
「何の冗談だ?」
冗談だとは少しも思っていないくせに、彼はそう言った。
笑って冗談だと言ったら、つまらないことを言ってるんじゃない、とかなんとか言いながら許してくれるつもりなんだろう。
優しい、けれどそれ故に残酷な人だ。
それが分かっていたから僕は、彼の優しさに流されなかった。
「冗談ではありません。本気です。僕は、あなたが好きです。世界を守ることもどうでもよくなるほどに」
「そりゃ困ったな」
本気で困ってなどいないだろうに、彼が言う。
「古泉」
彼が僕の名を呼ぶ。
それだけで震えが来そうだ。
「悪いが俺は至って完璧にノーマルなヘテロタイプだ。お前とは違う」
「ええ、知っています。でもそれは断る理由にはならないでしょう?」
「じゃあ、何て断ればいい? 悪いが俺はお前ほど頭もよくなければ語彙も多くないんでな。見当もつかん」
「そうすぐに決断しなくてもいいじゃありませんか。僕はあなたが好きだと言っただけです。あなたの返事は要求していませんよ」
「どういうつもりなんだ?」
「ただそれを知っておいてもらいたかったんです。思いの一片も伝えられないまま死んでしまうのは辛いですからね」
「死ぬ?」
彼が顔を歪める。
僕は対照的に笑みを見せる。
「危険な仕事ですから」
「……」
黙り込んだ彼の優しさに、僕は付け込む。
本当に彼が好きなのに、愛おしくて堪らないのに、どうしてこんなことが出来てしまうんだろうか。
僕は、汚い。
「だから、よかったら少しだけでも考えてみてやってください。出来れば友人としてでも近くに置いていただけると嬉しいですが、あなたがどうしてもと仰るなら、僕は機関に申し出て他のものと任務を代わってもらうこととしましょう」
彼が考え込んでいる。
おそらく、僕のことだけを考えている。
ああ、ぞくぞくする。
彼の唇が開く。
「とりあえず、友人くらいには思っておいてやるよ」
ぶっきらぼうに言って、彼は僕に背を向け、階段へ向かう。
僕は唇がひとりでに綻ぶのを感じながら、その背中を追いかけた。

ねえ、あなたは、こんな汚い、汚れた僕でも、好きになってくれますか?
真剣に、考えてくれますか?
























「眠り月」の織葉様から戴きました。


織葉様のサイトにて削除予定の小説が期間限定でフリー配布。

これを貰わずして何を貰えと!?

とにかく黒古泉が素敵過ぎます。

織葉様、この度は小説掲載の許可ありがとうございました。












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