『おや、黒崎さん。いらっしゃい』 そういって出迎えてくれる声が、日常になっていた。 別に毎日来ているわけではないけれど、週に最低でも3度は訪れているのだから習慣といっていいだろう。 テスト前、ほかに用事がある時意外ずっと。 まだ日の高いうちに帰宅する一護は、その日もいつものように浦原商店に立ち寄った。 店の前を箒で掃いているウルルとジン太が視界に入る距離まで来ると、一護はハァと息をついた。 学校は期末テストも終わって、授業も午前まで。 部活に所属していない一護としては有り余るほどの時間があるが、同じように暇を持て余している友人達にイロイロと引っ張りまわされてまだ3時だというのに肩に疲れを感じている。 何が悲しくてこんな十代も半ばでそんな歳よりくさいいことを、と思うなら勝手に思っていて欲しい。 一護は一度歩みを止め、日差しのキツイ夏の太陽を見上げた。 薄い夏雲に隠されて直射日光ではない、けれど鮮烈な光を見るといよいよ夏だなぁという気分になる。 夏休みも目前という状況、その季節を感じさせる光は人の気分をハイにさせる効果がある・・・かもしれない。 少なくとも一護の友人である啓吾にとってはそうであったと言っておこう。 啓吾のテンションが不必要なまでに高いのはいつものことだったが、今日はそれに輪をかけて騒ぎ立てていた。 学校帰りにそのまま遊びに出て、チャドと水色と啓吾と四人でつい先ほどまでカラオケで盛り上がっていたのだが啓吾はほぼ最初から最後までマイクを手放さなかった。 夏がそうさせるのか、それともただ単にテストが終わってはっちゃけているだけか、それともほかに理由でもあるのか。 一護はいつものとおりに軽く受け流し、ハイハイと生返事を繰り返しては啓吾に『お前は若者らしさが足りん!』と訳の分からない言葉を投げかけられていた。 それを見て苦笑する水色がめずらしくて、一護は首を傾げた。 『一護もこういう時くらいはいつもと違うことすればいいのに』 珍しく啓吾に賛同する形を取った水色は、ねぇ?とチャドに同意を求めてプラスチックに入ったコーラを口に流し込んだ。 フリードリンクは活用してナンボ、さっさと消費。 『ああ、今日くらいはいつもと違うことしてもいいと思うぞ』 珍しいというなら、これも珍しい。 あっさりと同意したチャドはリモコンを片手に曲を入れ始める。 いっそ過剰なくらいにそれに反応した啓吾は、マイクのスイッチをONにしたまま『そうだろう、そうだろう!!』とまた話題をふりかえす。 キィ゛ィィ、ンと耳に痛い音が狭苦しい個室に響き渡って一護達は耳を塞ぎながら啓吾に空になったプラスチック製のコップを投げつけた。 三方から飛んでくるそれを完全には避けきれず、眉間に勢いよくあたったコップにこれまたわざとらしいリアクションで倒れ込んだ。 『ヒデェ・・・俺は、俺はだなァ!!!』 『啓吾、うるさいよ』 『ウム』 こうして、三人で遊びに出るのも久しぶりかもしれない。 テスト期間も異様に長く感じられたし、その前はなにかにつけて誘いを断っていたからこういう風にするのも気持ちの問題ではなく実質的に久しぶりだ。 不快な騒がしさではなくて、一護にはそれがとても嬉しかった。 決して友人の多い方ではないけれど、そんなこと気にもならない。 一護は彼らが好きだった、とてもいい友達だと胸を張って言える。 『ありがとな』 今日という日に、感謝。 自然と口をついて出た言葉に、彼らは笑っていった。 『一護は本当に欲が無い』 もしかしなくても、気を使わせてしまっただろうか。 だとしたら悪い事をした。 わざわざ時間の空いたときなのに、自分ひとりが抜け出してしまって結局あまり遊べなかった。 確かに、行きたいとは思っていたけれど別に今でなくたっていいのだ。 いるかどうかも分からないし。 それに制服のまま来てしまったし、どうせ一度は家に帰らなければならないのに。 ぼぅっと、そうして考え込んでいるうちに雲は流れて日がさしてきた。 眩しさに片目を瞑って手で顔の前に小さな影を作ったが、暑さがその程度で防げるのであれば苦労はしない。 ようやく鳴き始めた蝉がミンミンミンミン、うるさいくらいだ。 「お前何ボーっとしてんだよ」 夏の空色、蝉取り、子供。 テーマ、夏。 なんとなくそんな言葉が浮かんできて、一護はなんとなくゲンナリした気分に陥った。 実際、全然子供じゃないけど。 ただ掃除をサボるだけサボって気の弱い女の子に押し付けるという点では、外見年齢そのままの小学生を思わせた。 「あの、熱射病になっちゃうといけないから・・・中に」 蚊の鳴くようなか細い声は、だんだんと小さくなっていく。 箒を握り締めたウルルは揺らいだ瞳で一護を見た。 ジン太が掃除をしないのも、ウルルが某CMのチワワみたいなのもいつものことだ。 けれど、一護がいつもとは違った。 「あー、浦原今居るか?」 いつもなら、そのまますぐに店に入ってなんともなしに過ぎていく時間を一緒に追っていくのに。 それは浦原が居る、居ないに関係なく。 ウルルは小さな肩を揺らしたが、ジン太はいぶかしむことなく純粋に問いに答える。 「店長?今留守にしてんぜ、アンタのテスト今日終わりだって知らなかったんじゃねぇ?」 確かにいつ終わるとは言っていない。 『テスト期間だから、しばらく来れない』、そう言いはしたがいつ終わるとは口にした覚えが無い。 「・・・・そうかも」 「まあ、夕方頃には帰ってくると思うケドな。何か約束でもしてたのか?」 約束は、していない。 そもそも浦原は一護のテストが今日終わることすら知らないだろうから。 「まあ・・・そんなもん」 「そんな遅くにはならないと思うから中で待ってれば?」 「いや、・・・後でもっかい来るわ」 どうせ家に帰らなければいけないし、制服のままだから。 「じゃ、掃除しっかりやれよ」 「うっせぇ、バーカ」 まるきり子供、それが羨ましいのだといったら笑われるだろうか。 ----------------------------------- ゆらゆら揺れる、オレンジ色の小さな炎。 温かな調子の歌、嬉しそうに笑う妹達。 いつもより5割増しテンションの高い父親。 今日は感謝の日。 ありがとう。 ありがとう。 ありがとう、かあさん。 遺影の中の母は、いつも夏の向日葵のような笑顔を自分にむけている。 1年に1度、365日に1度。 とても、幸せな日。 ----------------------------------- まだ、夜風が冷たい7月初頭。 りんりんと、静かに鳴く虫の音だけがかすかに聞こえる町は静かだ。 あたりには光のかけた切れかけた外灯しかなく、薄暗い道は学生が一人で歩くには心元ないものだった。 しかし一護にとって、ここは何度も通った道で視界が暗かろうとなんだろうとそう思わせるには不十分な道のりだ。 一時間、同じ道をグルグルとまわっていればそうでなくても覚えるのに。 PM11:35 家族に秘密で窓から家を抜け出してから一時間。 一護は浦原商店手前200Mほどでもうかれこれ一時間近く同じ場所を周っていた。 「・・・・・・何やってんだろ、俺」 昼間に訪れた時の、太陽はもちろん沈んでしまって今は遠くに赤味がかったオレンジ色の半月がぽっかりと浮いている。 無意識に体が動いた訳ではない、これだけは断言できる。 自分は意図的に、能動的に、動いている。 それなのに、なぜこんなにいたたまれない気分で夜道を不審者のごとく徘徊しなければならないのか。 今更になって、後悔する。 昼間に大人しく待っていればよかったと。 もちろん、後からするから後悔というのであって今更どうこう思ったところで状況が変化する訳ではない。 ポケットに入れた腕時計を引っ張り出して、一護はカチカチ動く短針をみつめる。 カチ、 カチ、 カチ、 もう、別にどうだっていいじゃないか。 あと24分、その時間が過ぎれば自分がこうしていることには何の意味もなくなる。 「帰る、か」 ねずみ色のブロック塀に預けた背を浦原商店に向けて、一歩踏み出す。 腕時計を右腕にまきつけて、変わらないリズムで時を刻む時計と一緒に歩き出す。 カチ、 カチ、 カチ 「あれ、帰っちゃうんですか?」 背後に投げかけられた声に、反射的に振り向く。 柔らかな風に枯草色が揺れた。 驚いた、びっくりした。 それはもう、とてつもなく。 「・・・・・・・・・何してんだよ」 「それコッチのセリフなんスけどね・・・」 肩をすくめて苦笑する浦原の姿に、一護は動揺していた。 驚きすぎて自分が何を言っているのか、何をしているのかなんて全く分からなくなるくらいに。 何で、何で。 それが表情に出てしまっていたのか、浦原は更に言う。 何故分からないのか、そちらのほうが分からないといった様子で。 「あのね、分からないハズ無いでしょう?」 カン、と下駄を軽くアスファルトに打ち付けて浦原はさも当然のように。 「霊圧、垂れ流しっぱなし」 「あ」 力のコントロールを覚え、霊圧もほとんど意識しなくてもほぼ消せるようになったはずだったが、今一護の霊圧は枷がほぼ外れた状態になっていた。 ピシリピシリと、乾いた空気に散った火花が一護の目の前を掠めた。 これだけ近い距離で、一護の霊圧が垂れ流し状態になっていて浦原が気付かないはずは無い。 一護は自分の無意識下の行動に舌打ちし、あわてて意識を集中させた。 「黒崎さん、こんな夜更けに一体どうしたんです?」 「迷惑、か・・・?」 浦原の口調にせめるような色はなかったが、一護自身にこんな夜更けに尋ねてくるという非常識さに対する負い目があるので返す言葉も自然と暗くなった。 責めているわけではないと分かってはいても、久々似合う浦原との間合いの取り方を忘れかけている自分に戸惑って一護の声が震える。 「迷惑だなんてとんでもない、むしろ嬉しいですよ」 「・・・・・・」 「でもここじゃなんですから、中入りません?」 「・・・・・・わかった」 数週間ぶりに入る浦原商店。 変わったところといえば、店先に風鈴が吊るされていることくらいだろうか。 昼間来たときには気付けなかった、違い。 畳の匂いを、とても懐かしいと感じた。 あと、19分。 別に、大したことは望まないから。 せめて。 テッサイさん、ウルルにジン太。 会うかと思っていたけれど、浦原の部屋に入るまでに会うどころか姿も見なかった。 久々に浦原の部屋に入って、記憶と寸分たがわないことにほっとした。 「会いにきてくれたんですって?」 「え、・・・」 一護が表情を和らげたのをみて、浦原は切り出した。 昼間のことだ。 「あ、うん・・・・」 「すいません、わざわざきてくれたのに留守で」 カチ、カチ 「別にっ、アンタが謝ることじゃないだろ・・・」 「でも、せっかく黒崎さんが訪ねてきてくれたのに。もったいない」 カチ、 声を、酷く遠くに感じた。 一護は右手の時計に左手を重ね、俯きながら短いため息を吐き出した。 「黒崎さん・・・・・?」 覗き込んでくる相貌が、近い。 ただそれだけのことなのに、仕草ひとつひとつに酷く惹かれた。 言葉が、出てこない。 「あのっ・・・!」 無理矢理に、引き出した言葉は拙い。 言いたいという気持ちばかりが先走って、感情がぐちゃぐちゃになって、口がついていかない。 あと5分、はやくしないと。 「・・・い、一回だけ名前で呼べ!」 カチ、 長い音、短い音。 止まったように感じた、ほんの数秒。 「一護さん」 名前。 「っ・・・・!!!!!」 大したことじゃない、たかが名前。 一番、欲しかったのは。 その日一番欲しかったのは。 「帰るっ!」 走り出したからだが、熱い。 「えっ・・!?一護さんっ・・・!」 一番欲しかったものなのに、なんで自分は逃げてるんだろう。 声が遠いのは、自分が逃げてるからで、逃げてるからで。 あれほど辿った夜道、けれど家を出てきたときとは違って何も考える暇が無い。 頭の中が、いっぱいで。 7月15日が終わる。 別に、何が欲しいというわけではない。 欲しがったわけじゃない。 この日は、感謝の日だ。 自分ではなく、母へありがとうと言う日だ。 生んでくれてありがとう、と。 だから、何かをして欲しいと思ったことは無い。 けれど、けれど。 ほんの小さな望みが叶っただけで、こんなにもうれしい。 7月16日が始まる。 ありがとうの、日。 |