貴方の幸いを願う




[chapter:7]


 尚文に償うために己は一体何をすればいいのか。
 羽のように軽く、それでいて涙が出るほど優しく髪を梳いてくれた指の感触を思い出しながら元康が至った結論は、『岩谷尚文を幸せにすること』だった。
 ただしそれは過去を無かったことにし、自身が犯した過ちを消してしまうという『逃げ』のような方法ではない。
 尚文に記憶を取り戻してもらい、その上でこちらからは精一杯の謝罪をし、許してもらえた場合でも許してもらえなかった場合でも彼の大切な人々をこの地に喚んで皆で楽しく暮らす。それが元康の抱いた願いであり、結論である。
 聖杯の力があれば記憶の回復はもちろんのこと、英霊という形であっても尚文を召喚できたのだからきっと他の者達も喚べるはずだ。ついでに最初のお義父さんや他のループでのお義父さんの記憶も得られたなら――元康の中で尚文はどのループであっても『岩谷尚文』であり、そこに区別はない――、尚文の大切な人は一気に増えるだろうし、その分幸せも増えるだろう。
 結局のところ最初に抱いていた願いとあまり変わらない形になったものの、込められた思いは比べようもないくらい重く大きくなっていた。
 なお、皆で楽しく暮らす≠フ『皆』の中には元康自身も含まれている。尚文にとって幸せな生活の中から己を排除する必要があれば元康は躊躇なく実行するつもりであるが、きっとそれでは彼の幸福に瑕疵が生じるだろうと考えたためだ。
 完全に敵対している人物なら、尚文はその存在が惨めな立場になったことを面白がるかもしれない。しかし苦境の所為でどんなにやさぐれた性格になろうとも、彼の本質はとても優しく、罪を自覚し償おうとする者にはついつい手を差し伸べてしまう傾向があった。ゆえに元康が心から己の過ちを詫びたなら、尚文はきっと元康も笑って暮らせる方を選ぶ。逆に誠心誠意詫びた元康がその後も孤独の中で苦しんでいたとしたら、彼は「いい気味だ」と表面上は嘲笑しつつもふとした瞬間に眉根を寄せて不機嫌そうな顔をするに違いない。
 願いが決まれば、あとは聖杯を勝ち取るのみ。
 使い魔を出して情報収集を行ったところ、ランサー対バーサーカーの戦いがあった日の夜に別の場所でライダーとキャスターもまたぶつかり合ったようだった。辛くも勝利したのは前者。ただし戦いで消耗していたライダー陣営に別のサーヴァントが不意打ちを仕掛け、見事に漁夫の利を掻っ攫っていったらしい。そのサーヴァントのクラスは不明だが、やり口からしておそらくアサシンだろうと推測される。
 同日に戦ってマスターの方は気絶までしていたこちらが狙われなかったのは、単なる偶然か、たまたま元康が尚文を常時現界させていたことが牽制になったためか。
 いずれにせよ幸いだった。しかしラッキーがそう何度も続くと思ってはいけない。
 ゆえに今度はこちらから打って出る。
 そもそも聖杯を勝ち取りたいのなら『元康を睨むことも罵詈雑言を投げつけてくることもない尚文』の世話を焼いた気になって戦いに消極的な姿勢を取るのではなく、自分から積極的に動かなければ何も始まらないのだ。
 元康がバーサーカーのマスターであることを突き止めて襲撃してきたランサー陣営との一戦はいわば特殊な例である。己の陣地たる魔術工房に引きこもり、突入してきた敵を迎え撃つといった戦法はキャスターのようなサーヴァントが取るものであって、少なくともバーサーカーのやり方ではない。
『バーサーカーにはバーサーカーに適した戦法を、ですぞ!』
 そう宣言した元康の眼下には夜の埠頭が広がっている。ただし元康の身体はその場所には存在しない。尚文に同行させている鳥型の使い魔の目を通して、立ち並ぶ倉庫の上から夜の埠頭を見下ろしているのだ。
 一方、その尚文当人はどうしているのかと言うと、埠頭で一騎打ちを行っていたセイバーとアーチャーの戦いに丁度乱入したところだった。
 先日の消耗した相手を狙って襲撃を仕掛けたアサシンのやり方は元康にとって何ら非難する必要のない方法である。正々堂々などに意味はない。奇襲だまし討ち漁夫の利、大いに結構。結局は勝てば良いのだ。勝った者が正しい。
 それゆえに元康は気配遮断を得手とするアサシンの奇襲を警戒して尚文には同行せず姿を隠しているし、ついでに使い魔に戦場を俯瞰させて他の陣営のマスター探しも同時に行っている。必要とあらば尚文の方を陽動役に切り替えて、元康の手でマスターを直接叩くつもりだった。
 ただし他のマスターも元康と同じくアサシンを警戒しているのか、そう簡単には姿を現わしてくれない。よって今のところはサーヴァント同士の戦いが本命となっている。
 一騎打ちを邪魔されたセイバーとアーチャーはひとまず攻撃対象を尚文に変更したようだった。連携の取れていない剣と弓の攻撃が交互に、また時折うっかりタイミングが重なって相殺してしまいながら放たれる。しかしそう易々と尚文の防御を破ることはできない。まだダークカースバーニングは放たれていないものの、全ての攻撃が躱されるか盾で弾かれるかして、尚文にダメージを与えることができていなかった。
 バーサーカーと言えば攻撃特化型のように思われるが、尚文はそもそも盾の勇者である。防御力はおそらく今期のサーヴァントでダントツのトップだろう。
 もう何度目になるのか、スモールシールドの形態を取っている尚文の盾に剣を弾かれてセイバーが悔しげな表情で後退する。そのすぐ脇を通る軌道で放たれたのはアーチャーの攻撃。元康が知る弓使いこと樹の場合は単なる弓だけでなく銃器も『弓』の範囲として扱えていたが、今回召喚されたアーチャーは正しく弓矢だけを使用するようだ。と言ってもその一矢は当たれば大ダメージを与えるとんでもない代物だったが。
「おい、アーチャー! 貴様さっきから私を狙って攻撃しているのではあるまいな!?」
「はぁ〜? ただお前さんがグズなだけだろうが! とっとと退けよのろま野郎!」
 長い銀髪を振り乱しセイバーのサーヴァントが激怒の表情を浮かべる。
 青年の姿をしたその英霊の水色の瞳が射貫くのは停車中のトラックの上から矢を放った少年だ。浅黒い肌を持ち明るい茶色の髪を短く刈り込んだその姿は溌剌としたイメージを抱かせるが、セイバーに中指を立てて挑発する様子はまさに悪童。三白眼気味の碧眼には相手への苛立ちと揶揄が過分に含まれていた。
 先程まで戦っていた者達であるので仕方ないと言えば仕方ないのだが、これでは連携も何もないだろう。使い魔を通して状況を見ていた元康は『敵ながら情けないですぞ』と溜息を吐く。
 しかし好都合なのは言うまでもなく、元康は『そろそろですかな』と独りごちた。
『お義父さん、セイバーとアーチャーの基本能力はわかりました。相手を警戒しているためか宝具はまだ隠しているようですし、これ以上攻撃を受けても得られるものはないと思われますぞ。ですから――』
 尚文との間に繋がるパスを通じて命じる。
『そろそろ本気で攻撃をお願いできますかな。……お義父さん相手に宝具の使用を惜しんだ愚かさを後悔しながら消えろ、ですぞ!』
 この時どのような攻撃をさせるのか指定しなかったことを元康は後悔することになる。が、脳裏に描いていたのは狂ったように『獲物』を狙う尚文のダークカースバーニングであり、その他の攻撃方法など一切考慮していなかった。
 元康のそんなあやふやな指示を受けて尚文が盾をラースシールドへと変える。形状が変わったそれにセイバーが警戒して距離を取った。ただしアーチャーの方は元々距離がある所為でセイバーほど警戒心は見せていない。少し怪訝そうな表情をしたので、ひょっとすると自分よりバーサーカーに近い位置にいるセイバーを試金石にするつもりではあるかもしれなかったが。
 禍々しい盾を警戒して油断なく剣を構えるセイバー。いつでも動き出せるように重心はつま先側へと傾けている。そして後方にはバーサーカーとセイバーの動きを眺めるアーチャー。
「グ、ガ……」
 金属の枷を噛んだまま尚文が盾を正面に構えた。中央に収まる宝石がさらに赤く妖しく輝いたように見え、
「ガアアアアアアア――ッ!!」
『……ッ!』
 直後、息を呑んだのは使い魔を通して戦場を眺める元康だった。
 言葉を封じられたまま尚文が叫んだのは、宝具・ブラッドサクリファイス。恐ろしいほど残酷に、マスターである元康にだけはその宝具名が届いていた。
 尚文の黒い鎧からは血も何も吹き出していない。しかしその代わりとして元康の身体からごっそりと魔力が奪われた。体内にある魔力が一瞬で底をつき、生命力にまで手を伸ばされそうになる。瞬時の判断で魔力回路を励起させ魔力を補うがそれでもギリギリだ。魔術回路を励起させることによる全身の痛みさえ思考の外へ追いやれるほど、パスを通じてどんどん尚文の方へと魔力が搾り取られていく。
 そして埠頭の方でも同時に変化が起きていた。
 元康の記憶にある通り、対象となったサーヴァントの足下に現れたのは何重にも重なった巨大なトラバサミ。油断していた≠サのサーヴァントは対処する間もなく左右から立ち上がる無数の棘に全身を貫かれる。
「――――ッ!!」
 乗っていたトラックの荷台ごとぐしゃりと鉄の顎(あぎと)に噛み砕かれ声もなく血飛沫を上げたのは、バーサーカーとセイバーの様子を眺めていたアーチャーだった。
 背後の光景にぎょっとしてセイバーがさらに距離を取る。その水色の双眸はバーサーカーの様子を気にしながらも、ぐしゃぐしゃと噛み砕かれていくアーチャーの姿から視線を逸らすことができない。
 鉄の顎からアーチャーは必死に脱出を試みようとするが、一度開いたトラバサミはまたすぐに口を閉じ、獲物の身体を幾度も幾箇所も串刺しにしていく。
 やがて鉄の棘がバチンと音を立てて無残に噛み合わされ、アーチャーのサーヴァントは光の粒となって消滅した。
 次は己の番だと思ったのだろう。セイバーが「ならば宝具を撃たれる前に斬るのみ!」と叫んで地面を蹴る。下手をするとそのままセイバーに宝具を撃たれるかもしれない。
 迎え撃つのも手であったが、先述通り正々堂々と戦ってやる気など元康には一切なかった。ついでに言うと魔力の量が少々不安だ。もう一度宝具を撃つことは難しいだろう。
『っ……お義父さん、ダークカースバーニングののち隙を突いて撤退ですぞ』
 今度は明確に指示を出し、元康と尚文のバーサーカー陣営は此度の戦いでも見事にサーヴァントを一騎屠ってから戦場を離脱した。


[chapter:8]


 セイバーとアーチャーの戦いに乱入してから一夜明け、元康達は北村家へと戻っていた。
 尚文が埠頭で戦い、元康が別の場所で身を隠していた間、他の陣営の手の者が北村家に近づいた様子はない。しかしアサシンのサーヴァントが生き残っている以上、それを正直に信じてしまうのはあまり良い手とは言えなかった。
 そろそろ拠点を移すべきかもしれない。本来であればランサーの襲撃を受けてすぐ別所に拠点を構えるべきだったとも考えられるのだが……。
 問題は北村家本邸以上に魔術的防御を備えた拠点をそう易々とは用意できないことだ。一時的に身を隠すだけならその辺のホテルでも廃ビルでも、はたまた下水道に潜っても構わないのだが、魔術工房として機能させるならそれ相応の準備が必要となる。
「それとも工房を構えず攻撃重視で残り二騎に挑みますかな……?」
 一騎ずつ相手取り、ブラッドサクリファイスを使用していけば可能だろう。片方を倒したらすぐに撤退して身を隠し、魔力が回復してからもう一方を叩く。戦法としてはそれほど無茶ではないものだ。
 北村家の地下室――尚文を召喚したその部屋で、元康は一人、魔方陣を見下ろして思考を巡らせる。部屋には照明が灯されているので魔方陣自体が光っていなくとも全体を目視することは可能だった。
 ふと顔を上げれば、部屋の全面に設えられた棚が視界に入る。天井まで届くそれには所狭しと魔術に関する道具が並んでおり、地上にある元康の自室とは随分と趣を異にしていた。一角に鳥の剥製が大量に飾られているのは言うまでもなく前世の影響である。残念ながらこの世界にフィロリアルは存在しないため、なるべく匂いや形や手触りなどが近いものを選ぶしかなかったのだが。
 ともあれ聖杯戦争が終わるまで別の場所に拠点を移すなら、ここから必要最低限の物だけ持ち出す必要があった。そして行動するなら、早ければ早い方がいい。アサシンは未だ姿形さえ不明で、セイバーにはこちらの宝具を目撃され十二分に警戒されているだろうから。
 そう思って元康が棚の一つに足を向けた、直後。
「――っ!?」
 ズゥンと地下にまで伝わる振動とパスを通じて送られてきた警戒の感情に元康は息を呑み、すぐに地下室を飛び出した。


「これは……今度はただのガス爆発で誤魔化せますかな?」
 顔を引きつらせる元康の目の前には自宅だったものが広がっている。自室があった場所だけではなく建物全体が瓦礫と化していた。庭も一部が焼け焦げ、見るも無惨な有様だ。人命の方はあまり考えたくない。元康が無事だったのは偶然にも地下の頑丈な場所にいたからで、地上部分にいた家の者達は――。
 かぶりを振り、元康はこの惨状を生み出した犯人に目を向ける。
 黒い鎧をまとった尚文と戦っているのは昨夜見たセイバーだ。銀の髪を正午も近い太陽の光で輝かせ、剣を振るっている。右袖が少し焦げているのは尚文のダークカースバーニングを食らったためか。しかしランサーよりも反射神経が良いのかそれとも対魔力が高いのか、大怪我には至っていない。そしてすでにダークカースバーニングが近接攻撃専用のカウンター技だと見切ったらしく、今は離れたところから剣を振り、生じた衝撃波で攻撃してきていた。
 真っ昼間からこの大胆な襲撃。聖堂教会の隠蔽工作は上手くいくのだろうか。神秘の秘匿とは……と、一応魔術師として育てられてきた元康は、魔術師として有り得ない襲撃方法≠ノ一瞬眉間に皺を寄せる。ただし元康の基本は異世界に召喚されて勇者として戦った自分だ。すぐにどうでもよくなり、尚文の戦いに集中する。
 ブラッドサクリファイスを除き、遠距離の攻撃手段を持っていない尚文はセイバーのやり方に苦戦しているようだった。防御力の高さゆえにダメージは受けていないが、こちらもセイバーにダメージをほとんど与えられていない。どちらも決定打に欠け、無駄に魔力を消費するのみ。
 どういう意図を持ってセイバーとそのマスターは襲撃を仕掛けてきたのだろうか。まさかこの程度の作戦で尚文に勝てるとでも思っていたのだろうか。
 そう考えた瞬間、元康はうなじの辺りに寒気を覚えて咄嗟に叫んでいた。
「お義父さん! 俺を守ってくださいですぞ!」
 ほぼノータイムでその声に反応した尚文。彼の方も何かを感じ取っていたのかもしれない。バーサーカーがセイバーを放ってマスターの傍らに辿り着いた瞬間、元康の背後の空間が揺らめき、アサシンのサーヴァントが現れた。
 元康に向かって振りかぶられるナイフ。それを受けるのは盾をスモールシールドに戻した尚文だ。ラースシールドから変更されていたのは、すぐ傍に立つ元康がカウンター攻撃であるダークカースバーニングの炎で負傷しないように配慮したためである。
 初撃を失敗したアサシンはシャラシャラと涼やかな音を奏で、スッと空気に溶けるようにして姿を消す。次の瞬間には北村家の庭に仁王立つセイバーの隣に現れていた。
「なるほど……無知にも思えるセイバー襲撃は陽動でしたか。本命はアサシンによるマスターの暗殺、と」
 尚文の盾の内側で元康は吐き捨てる。
 どうやらセイバー陣営とアサシン陣営は一晩の間に同盟を結んだらしい。バーサーカーが見せた宝具の威力に恐れを成したのか。いずれにせよ元康達としては厄介極まりない状態だ。
 攻撃方法が限られる尚文は、それでも一対一ならきっと対処できる。近接攻撃にはダークカースバーニングを、それを警戒して近づいてこない者には宝具・ブラッドサクリファイスを。後者は魔力の消費量が冗談では済まないくらいに多いが、何とか一発撃つくらいの魔力は回復している。
 しかしこの状況は良くなかった。まず、元康を狙ったアサシンの攻撃を警戒して尚文がその傍を離れることができない。ダークカースバーニングも傍にいる元康が被害を受けてしまうので実質使用不能。だからと言って元康を守りながら宝具を撃てば、狙えるのは一人のみ。それがアサシンだろうがセイバーだろうが、残った方が魔力枯渇で行動不能になったバーサーカー陣営をマスター・サーヴァント諸共殺害してしまえる。
 万事休すとはこのことだ。
 そして最初からそのつもりで攻撃を仕掛けてきた二者は事情を察した元康が苦しげな顔をする様を楽しそうに眺めている。――否、セイバーの方はどちらかと言えば不承不承と言ったところか。おそらく元は正々堂々の戦いが好きな性質なのだろう。しかしマスターの指示には逆らえず、今回の作戦に応じたのかもしれない。一方、アサシンはニヤニヤと隠しもせず楽しげである。
 手慰みのようにナイフを弄びながら笑みを浮かべているのは女だった。「あ〜あ、ざんねぇん。どうして気づかれてしまったのかしら?」と、己の初撃を防がれたことを嘆いているが、全く困った様子がない。成熟した扇情的な肢体を鮮やかな色の布で最低限のみ隠している姿はアラビアンナイトの世界に出てくる踊り子のようでもあった。シャラシャラと涼やかな音を奏でるのは布の上から幾重にも重ねるようにして身につけているアクセサリーの類だ。
 この世界では女性の姿を豚ではなく人として捉えられるようになっている元康ではあるが、アサシンの扇情的な姿に目を奪われることはない。むしろ「やはり女は一部を除いて豚ですな」という感想を抱くばかりだ。特に目の前のコレは酷い。尚文に徒なす者など穢れきった豚以外の何物でもなかった。
(さて、どうしましょうか)
 豚は豚だが力を持った厄介な豚だ。
 セイバーとアサシンのタッグを前にして元康は背中に冷や汗をかきながら思考を働かせる。
 聖杯を取ると決めたのだ。尚文を幸せにすると決めたのだ。ここで負けるわけにはいかない。
 今使える魔力量は宝具一発分のみ。敵は二体。まとめて屠ることはほぼ無理だろう。しかし万全の準備をして、魔力量を十二分に蓄えることができていれば――。
 ちらり、と元康は己の手の甲に浮き出た赤い紋様を一瞥する。まだ一画も使っていないそれは純粋な魔力リソースとしても使えるし、サーヴァントに多少無理な命令を聞かせることもできる。後者は、サーヴァントにその意志に反した行動をさせることでもあるが、普通であればできないことを魔力を使って可能にするという意味でもあった。
「お義父さん良いですかな」
「ガ、ア」
 頷く尚文。
 それを確認し、元康は令呪が浮いた右手を突き出して叫んだ。
「令呪をもって命じますぞ! お義父さん、俺を伴ってここから離脱を!」


[chapter:9]


「お義父さん、セイバーとアサシンを同時に相手取るために俺と魔力供給をしていただけませんか」
 嫌であれば無理強いはしません。この残り二画の令呪で魔力を補いますぞ。しかしもし嫌でないのなら……と、元康が付け足せば、最後まで台詞を言い切るより早く尚文が元康の手を取った。
 場所は襲撃された北村家本邸から数十キロメートル離れた隣町の歓楽街。その端に建つ少々古びたラブホテルである。
 尚文を伴って身を隠すには意外と都合が良く、よどみない手つきで部屋を取った元康は部屋の中央にある大きなベッドに腰掛けるなりその言葉を発した。
 そして最後まで言い切る前に正面に立つ尚文に差し出した手を取られ、自分から言い出したにもかかわらず一瞬言葉に詰まってしまう。
「その……具体的に何をするか理解しておられますかな?」
「ガ」
 尚文が頷く。
「本当に?」
「ガ」
「セックスですぞ」
「……ァ、ガ」
 狂化していても羞恥心はしっかりあるらしい。やや戸惑いながら返されたのもまた肯定だった。
「具体的に言うと、俺がお義父さんに突っ込みます」
「ガ、ァ」
「そうですか」
 尚文も聖杯戦争を勝ち抜くためにはこれくらいしなければいけないと感じているのだろう。
 ただし男同士での行為に然程厭う様子を見せないのは元々そちらの素質も持ち合わせているためか。
(ふむ。お義父さんは男色もイケる様子ではありましたが、やはり記憶を失っていてもお義父さんはお義父さんということですな)
 立ったままの尚文――黒い鎧はなく、インナー姿の上から元康が着ていたジャケットを羽織らせている――を見上げて元康は内心で呟く。
 ただ、男もイケるから元康と身体を重ねることを否定しないというのも理由が弱過ぎる。
「お義父さんにも叶えたい願いがあるのでしょうか」
 疑問は声となって口からこぼれ落ちていた。
 その問いかけにも尚文は律儀に答える。「ガ」と口枷を噛ませたままの唇からは肯定を意味する言葉が発せられ、元康は先程と同じ調子で「そうですか」と答えた。
 尚文は召喚の際に狂化付与の影響で記憶を失い、それゆえに自我が少々弱くなっているようではあったが、それでも叶えたい願いを持っていたらしい。最初からサーヴァントとして召喚されるだけの願いがあったのか、それとも召喚されてから新たに願いができたのか……。ただ、疑問には思っても確認は必要としない。どんな願いであれ叶ってほしいと願うのみだ。
「では互いの願いを叶えるために……絶対に聖杯戦争を勝ち抜きましょう」
 告げて、元康は握られたままの手を己の方に引く。抵抗なく落ちてきた身体を受け止めてそのままベッドへと柔らかく押さえつけた。
「この行為はお義父さんの身体にあらかじめ俺の魔力を溜めるためであり、同時に俺とお義父さんの間に繋がるパスを強化してより多くの魔力を瞬時に供給できるようにするために行われます。……ですが」
 目隠しの上からそっとくちづけを落とす。
「俺は単なる作業として貴方を抱くわけではありません。それだけは知っておいてほしいのですぞ」
 己の中にある感情が愛欲や恋といったものに分類されるのか元康自身にもまだ理解できない。ただ尚文を敬愛し、彼が大切であるということははっきりしていた。
 ゆえにこれから行われる行為は勝つための手段ではあるけれど、決して心を伴わない無機質なものではない。そのことをしっかりと言葉にして、元康は尚文の皮膚へと触れた。


[chapter:9.5]


 一糸まとわぬ姿になった尚文に目立った傷跡はなく、その痩身を見下ろして元康は小さく安堵の息を吐いた。ただしやや肋(あばら)の浮いた身体がメルロマルクでまともに食べることができていなかった事実を表しており、悔いても悔やみきれない過ちに胸が痛む。
 あまり日に焼けていない白い肌に指を滑らせればくすぐったそうに薄い身体が跳ねた。魔力供給を目的とした行為だが、尚文にはなるべく気持ち良くなってほしいと願いつつ、元康は胸の頂で控えめに存在するそこへと唇を寄せた。
「ッ、ア……」
 口枷の隙間から漏れるのは非難か嬌声か。
 片方に吸い付き舌で愛撫しながらもう片方を指でくにくにと刺激すれば、尚文の乳首はすぐに赤くなってぷっくりと膨れ上がった。単なる反射であってもそこが色づく様は愛らしいし、嬉しい。
 口に含んだ方は相変わらずもどかしいほど優しく、しかし反対側をきゅっとつまみ上げれば、ガチンと金属製の口枷を強く噛み締める音がした。同時に身体も僅かに跳ね上がり、くすぐったさだけではない感覚が尚文の中で生まれていることを元康に教えてくれる。
 元康は乳首に吸い付いたまま目尻を下げて笑みを浮かべた。もっと気持ち良くなってくださいですぞ、と心の中で語りかけて、口と手の両方でさらに強い刺激を与える。
「ア、ァ……!」
 ビクビクッと小さく連続して跳ねる身体。まだ達するまでにはいかないが、ちらりと下に視線を向ければ男の象徴が頭をもたげ始めていた。初めての触れ合いでここまで反応させられれば重畳だろう。「俺とお義父さんは相性が良いのかもしれませんな」と冗談交じりに呟いて、元康はその反応し始めている尚文のものに指を絡めた。
「ッ!」
 軽く触れただけで尚文の身体が再び跳ねる。おそらく童貞の彼は、もしかすると元康が思っていた以上に快楽に弱いのかもしれない。
 先走りを垂らす鈴口に指先を押し当てれば、それだけで「ァ、ァ」と口枷越しに小さな嬌声が漏れた。他人との触れ合いを知らない尚文がこちらの指や舌に容易く翻弄される姿はひどく胸を満たし、元康の顔に自然と笑みを浮かばせる。
「……もっと……もっと気持ち良くして差し上げますぞ」
 そう言って一旦尚文から身体を離し元康が用意したのは、こういったホテルには常備されている性行為用のローション。それと浴室にあったガーゼタオル。その二つを持って上半身を起こさせた尚文の後ろに座る。
「ガ、ァ?」
 何をする気だ? と後ろを振り返って首を傾げる尚文。目隠しをしたままでも戸惑っているのがよくわかった。ただ元康を信じてくれているのか、抵抗する様子はない。
 元康はにこりと微笑むだけにとどめて、その長い両脚を器用に使い尚文の足が閉じないよう絡める。骨の浮いた薄い肩越しに見下ろせば、元康から与えられた僅かな刺激で勃ち上がっている尚文の陰茎。その敏感な先端に、元康はたっぷりのローションで濡らしたガーゼを被せた。
 その刺激だけでピクリと身体を震わせる尚文だったが、
「これを、こうすると」
「ッ、ア、ガ! アッ……!?」
「ふむ。話で聞いていた程度でしたが、なかなか気持ち良さそうですな」
 勃ち上がった尚文の陰茎に被せたガーゼの端を両手で持って左右に動かす。たったそれだけの動作だが、されている尚文の方はたまらないらしい。後ろからがっちりと元康に抱きつかれ、さらには足も閉じないよう固定され、逃げ場のなくなった身体がビクビクと激しく身悶えしている。
 白かった肌は薄紅色に染まり、枷を噛んだままの口からは堪えることのできない嬌声が溢れ出る。口の端を伝う透明な唾液はまるで甘露だ。顎まで伝ったそれにちゅうと吸い付き、元康は尚文の媚態にあてられて熱い吐息を零した。
 こすこすとぬめったガーゼで亀頭を往復されるたび尚文の太腿が痙攣する。逃れるように背を逸らすものの、後ろには元康がいるため逃げられない。むしろより深く抱き込まれ拘束されるのみだ。「ア、アァ、アッ」と途切れ途切れの嬌声に元康の鼓動はつられて速くなり、吐息はますます熱を孕む。その熱を、元康は逃げようとする尚文の耳元に吹き込んだ。
「お義父さん」
「アッ、……っ」
 ビクンッと、ひときわ大きく腕の中の身体が跳ねた。
 ガーゼに隠された部分の盛り上がりは小さくなっており、尚文が達したことを示している。ただし吐精した後も内股は細かく痙攣し、さらには陰茎やその奥へと伝う粘液の感触にまで感じているのか、「ァ、……ォァ」と小さくも悩ましげな声が口枷の隙間から漏れ出ていた。
 元康はローションと精液で濡れてたガーゼを脇に放る。ぺちゃりとシーツの端に落ちたそれはいずれ片付けるとして、メインはローションと尚文が吐き出した精液が混じったものに濡れそぼった後孔。つぷりと指先を侵入させれば、一度達して脱力していた身体が僅かに強ばった。
「大丈夫ですぞ、お義父さん。今度は俺と一緒に気持ち良くなるだけですからな」
 なだめるように耳の裏やうなじにキスを落としながら囁く。その間も後ろの準備をする指は止まらない。ローションと精液を絡めて丹念に尚文の内側をほぐしていく。
 尚文もそれが必要な行為であるとわかっているのだろう。戸惑いながらも元康がやりやすいよう身体を預けてくれた。
 二本、そして三本と指を増やしばらばらに動かす頃には前立腺も見つけることができ、そのしこりを指の腹で押し潰せば、元康の腕の中で尚文の身体は容易く快楽に跳ねた。再び頭をもたげ始めている尚文のものをこのまま解放してやるのもやぶさかではなかったが、それよりも早く彼の中に入りたいという欲が元康の中で大きくなっていた。
 ちゅぷ……と粘ついた音を立て、元康は尚文の体内から指を引き抜く。そのまま快楽でとろけた痩身を前方へと押し倒し、尻を高く上げた姿勢を取らせる。
 丹念にほぐされた後孔は抜けた指を惜しむようにくぱくぱと収縮を繰り返していた。周囲はぽってりと赤く染まり、ローションと精液で濡れ光る様子は喉が鳴ってしまうほどいやらしい。
 元康は片手で尚文の腰を掴むと、もう一方の手を改めて扱く必要もないくらい固く勃起した性器に添えてその孔に亀頭を潜り込ませた。
「ッ、ア――」
「くっ……」
 しっかりほぐしたとは言っても、やはり初めて雄を受け入れる孔は抵抗が強い。
 元康は尚文の背に覆い被さり、萎えてしまった彼の陰茎を片手で弄りながら耳元に吐息を吹き込む。
「っ、がんばれですぞ、お義父さん。きちんと息を吸って、吐いて……そうです。力を抜くよりは少し力んで。偉いですぞ……ほら、もう半分入りました」
「アッ、ガ……ァ」
 ちゅこちゅこと尚文の陰茎を刺激しながら元康は奥へと進む。
 さすがに初めての交わりで成長しきった己を最後まで中に収めるつもりはない。ある程度進んだところで一旦動きを止めて息を吐き、元康は両手で尚文の腰を掴み直した。
「よくできました。ご褒美にお義父さんの気持ち良いところをいっぱい突いて差し上げますぞ」
 腰を引き、突き入れる。
「ッ、ガ!」
 尚文の背がしなった。
 先程指で見つけていた前立腺を幾度も幾度も亀頭で押し上げ、擦り上げる。快感から逃れるため尚文の身体は前へ行こうとするが、腰を掴んだ元康の手がそれを許さない。ぐちゅぐちゅと激しい水音を立てながら時に短いストロークで一番尚文がよがる場所を擦り上げ、時にギリギリまで引き抜き一気に押し込んだ。
「アッ、ガッ、アァ、ァ、アッ」
 枷により閉じることもできない口からは律動に合わせて嬌声が漏れ続けている。
 シーツの海でもがく姿はさながら溺れた人のよう。元康から与えられる快楽になすすべもなく、尚文はシーツを引っ掻き、波のような皺を作り、助けを求めてあえぐ。
 サーヴァントたる彼はただの人や魔術師とは比べものにならない力を持っているはずなのに。
 嗚呼、可愛い。なんて可愛いのだろう。
 脳の奥がしびれるような快楽に元康の口元は自然とつり上がっていく。呼応して腰の動きも速く大きくなり、ゴリゴリと尚文の中をえぐった。
 やがてひときは強く前立腺を押し潰した瞬間、
「ッア、〜〜〜〜ッ!!」
 シーツに白濁が飛び散る。と同時に中がきゅうううと締まり、その刺激に元康もまた躊躇わず吐精した。
 じわりと尚文の体内に広がる精はそのまま魔力として彼の中にため込まれる。
「……はっ、気持ち良かったですかな?」
 告げて、汗ばむ背中をつるりと撫でた。
 はぁはぁと全力疾走をした時のような荒い息を吐きながら、それでも元康の口元からは笑みが消えない。得も言われぬ快楽と、満足感と、それから尚文との間に通るパスがより強固なものとなったことを感じながら、元康はうっとりと微笑む。そのまま精を吐き出して一旦萎えたはずの陰茎を抜かず、ぐちゅりと尚文の中をかき混ぜて、
「ッ、アァ……ッ」
「お義父さんがお腹いっぱいになるまで続けますぞ」
 この人が足りない。自分でこの人をいっぱいにしたい。
 頭の中から響く声に誘われるまま、元康は尚文の背中にやわらかく噛み付いた。







2019.09.15〜2019.09.18 Privatterにて初出