大公閣下のお気に召すまま




 大公になってからの尚文はメルロマルクの要の一人として内政のみならず諸外国との外交にも参加することが多くなった。
 世界を救った盾の勇者としては勿論のこと、メルロマルクにおいて大公の地位を与えられた者は即ち女王の婿――国王となることがほぼ決まっている。そう遠くない未来に国のナンバー2となるのだから、政治に深く関わるのは当然と言えるだろう。
 そんな尚文であるが、今では幾分丸くなったとは言え、元メルロマルク第一王女に冤罪を着せられたトラウマから纏う雰囲気は他者を威圧することも多い。加えて生来の交渉術の高さは各国の外交を担ってきた政治家達すら舌を巻くほどで、やり手と名高かったミレリア前女王さえも凌ぐと言われ、恐れられている。
 これでひたすら相手を言い負かし押さえつけ搾取する施策ばかりであったなら、いくら世界を救った勇者とは言え反発する国も出ただろう。しかし理論と感情を両立させる手腕と柔軟な思考は最終的に双方の国に十分な益をもたらした。だからこそ厄介だと尚文を危険視する国もあれば、彼がいるメルロマルクとならばきっと末永く良好な関係を築いていけるだろうと歓迎する国もある。そしていずれの国であっても、大国となったメルロマルクと関わりを持たずに発展できるはずがなかった。
(……ですが最近のお義父さんはいささか働き過ぎですぞ)
 メルロマルクの城の上層階に設けられた大公専用の執務室には先程まで役人達が何人も入れ代わり立ち代わり押しかけていた。それらを全て捌き切った尚文は、現在、疲れ果てた様子で椅子の背に体重を預けている。
 そんな彼の護衛として同行していた元康は給仕係の真似事をしながら、片手で目を覆い深く息をついている尚文を見やった。
 窓の向こうに広がる空は暗くなってからすでに何時間も経っており、魔法で作られた灯りが尚文の横顔を照らしている。淡いオレンジ色の光は仕事を終えた尚文を労わるため元康が調整し直したものであるが、この程度しかできない自分がひどく歯痒く思えた。
「お義父さん、お茶が入りましたぞ」
「……あ、ああ。すまん」
 近々予定されている某国との会合のため、このところ尚文はメルロマルクの城に缶詰め状態だ。ポータルスキルで村に戻ろうと思えば戻れるのだが、寝るだけになってしまうため虚しさが大きい。果ては村で寝床を整える暇さえ惜しいとばかりにここの隣に用意させた別室で仮眠を取ることも増えていた。
 元康が執務机の端にソーサーとティーカップを置くと、尚文は視界を遮っていた手を外して視線をそちらに向ける。緩慢な動作は普段の彼が纏う棘のような雰囲気を緩和させ、さらには威厳を出すため掻き上げている前髪の僅かなほつれと緩めた首元のクラバットがなんとも言えない色気を醸し出していた。
 さすがに大公として働くようになった今、尚文もただの勇者の時のように軽装や蛮族の鎧ばかり身に着けてはいられない。中世ヨーロッパを舞台とした映画や演劇で見かけるような堅苦しい衣装が用意され、人目に触れる場所ではそれを着用するのが普通になってしまっている。
 本日の衣装は、上着は深い緑を基調とし、縁や釦には金色。中のベストは上着よりもさらに黒に近く、白くシンプルなデザインながらも最上級の絹で作られたクラバットがひときわ目を引く仕様になっていた。
 尚文の髪と目の色に合わせるためか、彼専用に用意された衣装は緑や黒を使うものが多い。先日は黒いジャケットに深緑のタイという組み合わせのものだった。元康にも洋裁の心得はあるが、どれもこれも尚文の容姿を活かす実に素晴らしい衣装だったと記憶している。
「…………なんだ? 俺の顔に何かついてるか」
 元康がじっと見つめ過ぎていたせいで、カップに口をつけていた尚文が見上げるように視線を寄越す。
 この一つ年下の英雄が元康の出した物を目利きで毒かどうか鑑定しなくなって一体どれくらい経つだろう。毒物への耐性はあるものの未だに城の者や外出先で他人が給仕をした際はさり気なく目利きを使っているので、平和ボケしたわけではあるまい。
 あんなにも酷いことをした自分がこうして尚文に受け入れられているという事実は、元康に望外の喜びと身を切り裂くような悔恨の両方をもたらした。愛するフィーロに言われたからそうするのではなく、尚文自身の素晴らしさを目の当たりにし、彼のためにできることは全てやってみせたいという思いが元康の中に生まれたのも昨日今日のことではない。敬愛と、懺悔。きっと尚文はどちらもいらないと突っぱねるだろうが、元康の中に溢れ返らんばかりに存在するそれは日々量を増し、元康の身体を動かしていた。
「元康?」
 黙りこくる護衛に尚文が片眉を上げる。不審がると言うよりも心配の色が濃いそれに元康は小さく笑みを零した。
「いいえ。ただお義父さんも少々疲れが溜まっているご様子ですので、この元康に何かできることはないかと考えていたのですぞ」
「と言われてもなぁ」翡翠色の双眸が再びカップに戻されて、ぽつり。「強いて言うならこの堅苦しい衣装を何とかしてくれとは思うが、お前に言っても仕方ないか」
 カップを机上のソーサーに戻し、尚文がやや緩んでいたクラバットをさらに緩ませる。シャツの合間から鎖骨がギリギリ見える程度のところで止めてほっと息を吐き出した尚文は、うんざりした表情を作ると「こっちはただでさえスーツ類すら着慣れない学生だったんだぞ」と愚痴を零した。
 そんな尚文を見ていた元康はニコリと笑みを深め、
「分かりましたぞ!」
「……は?」
 今度ばかりは不審そうに見上げる尚文。そんな彼に満面の笑みを返して元康は告げる。
「では僭越ながらお義父さんが心地よく着られてかつ大公としても申し分ない衣装を俺の方で用意させて頂きましょう! ですが今日はひとまずお義父さんを楽にして差し上げると言うことで」
「は? え、ちょ」
 矢継ぎ早に告げつつ元康の指が尚文の服にかかる。クラバットをするりと首から抜いて釦を外し、重くて硬い上着は床へ。突然のことに対応しきれない尚文は、普段からは考えられないほど呆気なく元康にされるがままとなっている。
「おっ、おい! 待て! 俺にそっちの趣味は無い!」
「HAHAHA! 何を仰いますやら。俺はただお義父さんが堅苦しい服を不快に感じていらっしゃるようですので、少しでも楽になって頂くためこうしているだけですぞ。無論、お義父さんが望んでくださるのであればそちら方向のお手伝いも喜んでさせて頂きますが……」
「誰が望むか!!」
「自画自賛するわけではありませんが、俺は結構上手い方ですぞ? ライバルと虎男には負けません」
「おい、やめろ冗談に聞こえん」
「冗談ではなく元の世界では所謂『タチ』の経験も複数――」
「や! め! ろ!!」
 ガスッと鈍い音と共に尚文の足が元康の脛に直撃する。
 しかし、
「……お義父さんの名誉のためにも申し上げない方が良いとは思いますがあえて申し上げますと、全く痛くないですな」
 尚文の全力の蹴りも盾のせいで元康にはダメージゼロ。ただし上着とベストが床に落とされシャツの釦が半分ほど外されたところで元康の手も止まったため、効果が無かったわけでは無いのがせめてもの救いだった。
「ああもう……お前は本当に極端だな」
「お義父さんへの溢れんばかりの忠義の表れですな」
「いらんわ、そんな不便なもの」
 はあ、と尚文は特大の溜息を吐いてこめかみを押さえる。
 盛大に肌蹴た衣服と、暴れたせいで乱れた髪。それを上から見下ろして、嘘でも冗談でもなく尚文であれば抱けそうだなと考えつつ、その当人が望んでいない限りは実際に手を出すこともないのだろうと元康は胸中で独りごちた。否、もしかしたらライバルもといガエリオンが本気で尚文の処女に王手をかけた際には横から掻っ攫うかもしれないが。
 それはさておき、元康がさすがに少々多く外し過ぎた釦を留め直そうと手を伸ばした直後、

「大公様っ、ご無事ですか!? 今、そちらから大きな物音が――」

 バンッと勢い良く開く扉。そこには護衛として部屋の外で待機していた騎士達と、彼らが増援として呼んできたと思しき者達が勢ぞろいしていた。室内の異変に気づき緊迫感を持って飛び込んできたのだろうが、彼らの目の前に広がっていたのはどう見ても若き大公の服を脱がそうとしている――本当は着せようとしている――槍の勇者であるわけで。
「あ、の……大変、失礼、致しまし、た。ごゆっくり……」
「待て! それは誤解」
 なんだ、と最後まで尚文が言い切る前に騎士達は退室し、観音開きの扉もきっちり閉まってしまう。
 残されたのは顔面蒼白の尚文と、特に何も気にすることはないと思っている元康。今更尚文が男色も好むという噂が広がったとして、特に変化はないだろう。元より外交に出かけた尚文が各国で女のみならず男さえ献上されかけるのは珍しくないのだし。
「むしろ俺との噂が広がればお義父さんに自分の息子や娘を侍らそうとする輩が減るかもしれませんな。良いことです」
「良くねぇよ」
 即答し、尚文は蹴りをもう一度。
 しかしやはりダメージなどあるはずもなく、元康は気だるげだった尚文に少し元気が戻った現状を喜びつつ釦を留める手を再開させるのだった。







2019.04.07 pixivにて初出