BAD APPLE
[chapter:0] 波の向こうにある異世界――絆達の世界で本の眷属器の所持者キョウ=エスニナを倒し、奪われた霊亀のエネルギーを全て回収し終えた後。目的を達成し異世界侵攻の特例許可が期限を迎えたことにより、尚文、ラフタリア、フィーロ、リーシアの四人はメルロマルクがある元の世界へ帰還することとなった。 ラルクベルク達との別れはさみしく感じるものであったが、元の世界でやらなければならないことは山程ある。暴君霊亀のエネルギー源にされていた三勇者のことや、足りない戦力のこと、それに尚文が日本へ戻った後のラフタリア達のこと……。冤罪が晴れ、大切な仲間達と共に世界に受け入れられた今からこそが本格的に忙しくなるのだと、尚文は気を引き締めていた。 しかし。 「おお、勇者様がた! どうかこの世界をお救いください!」 (――――は?) 有り得ない状況に尚文は唖然と周囲を見回す。 そこは薄暗い部屋だった。足元には淡く光る魔法陣が描かれ、祭壇らしきものも用意されている。先程声を発したのはいかにも≠ネローブをまとった人物で、正確な人数はわからないが数人程度でないことは明らかだった。 尚文の傍には見知った三人もいる。己を含めた全員が『現代日本』であれば一切違和感のない衣服を身に着けており、所持している聖武器を除けば『剣と魔法のファンタジー』の要素などまだ∴齔リ存在しなかった。 異世界召喚系創作物でありがちなシチュエーションを前にして尚文は自分の手の甲をつねる。盾の効果なのか、それとも単純に自分の力が弱かったのかわからないが、痛いとまではいかなかったものの、確かに感触があった。それどころか座り込んだままだったので床に触れている尻が冷たい。 先に立ち上がった隣の金髪の男が「大丈夫か?」と手を差し出してくる。「あ、ああ」とその手を取って立ち上がる尚文。ぐらぐらと視界が揺れるのを感じながら再度周囲の状況を確認し、最早認めるしかない現実に吐き気を催した。 ここは勇者を召喚するための部屋だ。そして自分達はたった今、日本から異世界であるこの地へ召喚されたのである。絆達がいる世界から帰還したのではなく。 「…………、」 尚文は己の両手を見下ろした。その手には何も無い。腕にスモールシールドがくっついているだけで、何も無いのだ。 別々の日本から四人の人間を呼び出した神官達は召喚が成功した興奮もそのままに世界を救ってくれと説明を始めている。だがその全てが尚文の耳には入ってこない。 視界の端にあるアイコンに慣れた仕草で集中し、ステータス画面を開いた。 (ない) コツコツと解放してきたスキルツリーも、集めたアイテムも、積み重ねてきたレベルも、そして何より――。 (ラフタリアとフィーロがいない) 眩暈が、頭痛が、酷い。 全身から血の気が引くような、頭の後ろがカッと熱くなるような、肺に鉛が溜まり、臓腑を炎で焼き尽くされるような、おぞましくも表現し難い感覚に襲われて尚文は胸の辺りの服を強く握り締める。心臓がばくばくとうるさい。背中を伝う汗はいやに冷たく、じっとりとしていた。 案内役の者に連れられて三人の勇者達が先へ進む。一歩遅れた尚文に気付いてまたもや金髪の青年が声をかけてきた。それに反射で「ああ」と頷いて尚文も後に続く。 この城に盾の勇者である自分を気に掛ける者などいるはずもなく、先を行く三人の勇者に数歩遅れてふらふらと付いて来る尚文を心配する声は一切存在しない。また共に召喚された三人でさえ創作物そのものである現状に内心興奮しきってほぼ他人に構う余裕など無いだろう。 だからこそ誰も尚文の異常に気付かない。 (らふたりあが、いない) 上階を目指すため一同は階段を上っていく。 (ふぃーろが、いない) 窓から見える景色は西洋風異世界という単語でイメージできる情景そのもの。初めて見る景色に三人からは隠しきれない好奇心が滲み出ていた。だが尚文にとってこの光景は好奇心をそそるどころか忌々しさすら感じられるものである。 (リーシアもいない。スキルが一切解放されていない。アイテムが無い。レベルは1のまま。こいつらは俺の名前すら知らない。俺が嵌められても俺を信じてくれる奴は――) 必死に足掻き、泥水を啜り、それでもほんの一握りの己を信じてくれる人を得て、大切なものをこの両腕で抱えられるようになって、信頼できる相手も片手の指では少し足りないくらいに名前を挙げられるようになって、ようやくまた新たに踏み出せると思っていたのに。 それなのに。 (すべて奪われた) ぞわり、と最後尾を行く尚文の盾から黒い霞のようなものが溢れ出す。美しい緑色だった宝石は禍々しい血の色に染め上げられ、呼応するように盾をつけている腕と同じ右側の目が翡翠から赤へと変わった。 (ゆるさない) 呼気は全身を巡る怒りに震え、血液は今にも沸騰しそうだ。 (許さない許さないゆるさないユルサナイゆルさナイ) 胸の内で繰り返されるそれは呪詛以外の何ものでもなく、再び大切なものを奪われた尚文は空っぽの両手を見つめて唇を吊り上げた。 カースシリーズ 『憤怒』の盾の条件が解放されました まだ何も解放されていないスキルツリーが目の前に現れ、突如反転したかと思うと瞬く間に広がっていく。己の憤怒と憎悪に呼び覚まされたそれを前に尚文の唇はますます凶悪に吊り上った。 (復讐してやる。俺から大切なものを奪った世界に。これから俺を貶めようとする腐った人間達に) 絶対にあのようなゴミどもの思い通りになどなってやらない。己を嵌めようとする者には、己を蔑ろにしようとする者には、相応の屈辱を、相応の罰を、後悔してもし足りぬ最悪の結末を、地獄のごとき末路を! 人を名乗るゴミも、そんな者達をのうのうと生かしている世界そのものも、この理不尽な現象を含めた全てを塵も残さず憤怒の炎で燃やし尽くしてやるのだ。 燃えさかる憎悪に理性さえ食い荒らされ、盾が形を変えようとしたその時。 ――ナオフミ様。 (……ッ) 階段を上る足を止め、尚文は息を呑む。 己の名を呼ぶ声が幻聴であるとははっきりとわかっていた。しかし大切な少女の声で名を呼ばれた途端、尚文の瞳からは赤が消える。禍々しい血の色に染まっていた盾の宝石も元の色を取り戻し、幾分冷静さが戻った頭で尚文は怒りの残滓を振り払うように止めていた息を吐き出した。 無論、その程度で全て消え去るような軽い怒りではない。しかしもっと優先すべきものがあることを思い出したのだ。 この状況で自分が一番に考えなくてはならないものは何か――。たとえこの手から零れ落ちてしまったとしても、誰も己を知らないのだとしても、尚文自身が覚えている。自分を信じてくれた大切な人々の姿を。 ならばこそやるべきことは決まっていた。 もう二度と『岩谷尚文の大切なもの』を奪わせはしない。そのためなら何だってしよう。 尚文は空っぽの手を握り締める。 (まずは三人の勇者の懐柔だな) ビッチとクズ王が罠を仕掛けてもそれを跳ね除けられる態勢を作っておかなくてはならない。ゆえに三人が好ましく思うような振る舞いをして早々に味方につけておく必要がある。たった一晩しか猶予が無い――しかも場合によっては城の者に邪魔される――というのが非常に厳しい条件ではあるが、やれないことはないと召喚初日の記憶を引っ張り出して尚文はそう判断を下した。 優越感に浸らせながらも対等かつ親身に。そして頼れる相手でもあると思わせて。優しく微笑む顔の皮膚一枚下で全てを冷たく見据えながら、彼らそれぞれにとって理想の人間を演じよう。 「おい、どうした? やっぱり体調が良くないのか?」 尚文が憤怒を身体の奥底に抑え込み冷静さを取り戻した頭で今後の方針を決めてすぐ、前を行く金髪の男が三度声をかけてきた。召喚直後から反応が鈍く歩みも遅れ気味だった尚文を案じているのはその声と表情から疑いようもない。まだ互いの名や年齢さえ知らないものの自身が最年長であると予想はしているようで、その所為もあり他の人間を気に掛ける余裕が少しは残っていたのだろう。 尚文はそんな相手ににっこりと微笑む。 「ああ、ごめん。ありがとう」 翡翠の双眸を真っ直ぐ相手に向け、親愛の情を示すように唇はなだらかな弧を描いて。 「どうにも圧倒されちゃってさ。でも君みたいな親切な人がいてくれて本当に良かった」 「い、いや! 俺もお前みたいな気の良さそうな奴がいて良かったぜ」 何故か目元をほんのりと赤く染め、早口になる金髪の男。その反応に尚文は「おや?」と思いつつ、「俺は尚文。岩谷尚文だ」と名乗って手を差し出す。 「尚文、だな」噛みしめるように繰り返す相手。「北村元康だ。元康って呼んでくれ」 「わかった。よろしくな、元康」 「ああっ! よろしく、尚文」 尚文の手を握り返す元康はやはりどこか興奮気味と言うか何と言うか。女性相手であればそつなく対応するはずのモテ男がどうにも調子がよろしくない。 やはりまだうっすらと赤く染まっている顔を見返して尚文はある考えに至る。 (まさか、な……) 思い浮かんだ予想を一応は否定するが、もしその考えが正解であれば冤罪を回避するだけではなくあの悪女に女としての屈辱を味わわせてやれるかもしれない。 何よりこの男はビッチが目をつけた相手だ。とびきり顔が良くて、おまけに性格が単純だから御しやすい。尚文が取り込んでそれを見せつけてやったなら、女としての矜持を砕かれたあの女はどんな表情をしてくれるのだろう。 実行に移すには尚文は文字通り身体を張る必要があるのだが、あの女のプライドをぐちゃぐちゃに踏みつけてやれるなら試してみる価値はありそうだと思えた。 大切なものが増えたとしても踏み躙られた者としての怨嗟が消え去ることはないのだ。 (計画が上手く行かず、それどころか目を付けた男を他人に盗られたとなれば、それはそれは愉快な顔をしてくれるんだろうなぁ) これからの冒険が楽しみだと語る元康に相槌を打ちながら、尚文は柔らかな表情の下でほくそ笑む。最早目の前の相手など復讐のための道具にしか見えなかった。その道具の中には自分の身体さえ含まれていたけれど。 傍らにラフタリアやフィーロがいたならば、いくら積もり積もった恨みや怒りがあるとはいえ、このような自分も他人も蔑ろにする計画が実行に移されることは無かっただろう。しかし現実として二人はおらず、一旦冷静さを取り戻したと言っても大切な仲間達を失った影響でやや自暴自棄になっていることに尚文自身が気付かぬまま時間は進む。 やがて記憶通りにイベントが過ぎ、夜が訪れた。 始まってしまえば誰一人として止めることのできない、たぶん、おそらく、きっと、間違いだらけの物語が幕を開ける。 [chapter:31] 盾の勇者一行および連合軍の活躍により霊亀は再び封印された。被害は決して小さくなかったが、生き残った人々は安全が確保されるとすぐ復興作業に取りかかり、周辺の国々も可能な限りその支援に乗り出した。 霊亀の進路上に存在していたものの国土を蹂躙される前に事態を収束することができたメルロマルクは特に被害国への支援に力を入れている。霊亀を倒す方法を知りながらそれを他国には秘したことへの後ろめたさから……ではない。表向きの理由は、支援するだけの余力があるから。そして暗黙の了解として、四聖勇者全員を抱えていたにもかかわらずそのうち三人が全く役に立たなかったことへの罪滅ぼしとしてだった。 とは言いっても、残りの一人――盾の勇者とその仲間達の活躍により霊亀を封印することができたのは誰の目から見ても明らかであり、メルロマルクの姿勢はかねがね好意的に捉えられている。 もし役に立たなかった三人の勇者が霊亀の封印を解いた(解こうとした)≠フだと世間に公表されれば、いくら盾の勇者の活躍があったとしても、その三勇者をもまた支援する国として威厳は一気に地に落ちただろう。しかしさすがにやり手であるミレリア女王が馬鹿正直に話すはずもない。槍、弓、剣の勇者は霊亀の封印を解いたのではなく、たまたまその場に居合わせたことですぐさま霊亀を押さえ込むため戦闘に参加し、しかしながら力及ばず敗退するに至った……という話になっていた。 さて、真実が明かされるよりはまだマシであっても役立たずの勇者だと白い目や嘲笑を向けられることになってしまった三人とは対照的に、また一つ偉業を成し遂げた盾の勇者にはこの度メルロマルクから報奨が与えられることとなった。金銭的な支援はこれまでも成されてきたが、それでは足りないとメルロマルクの女王が告げたためである。 城下町に大きな屋敷を望むも良し。もっと多くの金銭を望むも良し。肥沃な土地を領土として欲するも良し。可能な限り願いを叶えようと約束した女王に、しかし盾の勇者が望んだのは、メルロマルクを襲った最初の波により壊滅してしまった、ただの小さな漁村だった。 セーアエット領、旧ルロロナ村。人間至上主義のメルロマルクにおいて亜人保護区だった土地である。盾の勇者のこれまでの活躍を鑑みれば全く足りていないのだが、彼はその地を望んだ。 元々盾の勇者は亜人にとって神とも称される存在であったためか、この選択は周辺国――特に亜人の国であるシルトヴェルト――から大変好意的に解釈されたとのこと。土地を得ることに付随して伯爵位も授けられたため、そちらも亜人にとって好ましい事態となっていた。 したがって「今代の盾の勇者様も亜人をとても大切にしている」というのが、現在の盾の勇者に対する世間の認識である。だが真実は少しばかり違うことを彼の近くにいる者達は知っていた。 盾の勇者は、岩谷尚文は、決して『全体』を愛してなどいない。彼が大切にするのは己が両腕に抱えている数少ない者達だけだ。その数はゆっくりと増えているものの、まだまだ世界の大きさとは比べようもなかった。大切な者達が住まう場所であるからという理由で世界をも守る対象に入っているため、結果的にはあまり変わらないのだが。 もし愛する者が一人もいない地であれば、盾の勇者は世界のことなど喜んで放置しただろう。本人を除けば誰一人として知らずとも――正確には霊亀の人型である女性だけは知っていたが、彼女は本体の封印と共に姿を消して眠りについた――、世界は一度彼から大切なものを全て奪い取っていたのだから。 どうやって自分はこの人に恩を返せば良いのかとラフタリアは考える。 メルロマルク国セーアエット領、旧ルロロナ村。かつてラフタリアが両親と共に暮らしていたこの土地は災厄の波によって荒れ果て、さらにその後は心ないメルロマルクの兵士達によって完膚無きまでに蹂躙された。だが此度の報奨として盾の勇者が旧ルロロナ村の土地を欲したことにより、村は驚くべき速さで復興が進んでいる。 改良されたバイオプラント――キャンピングプラントと名付けられた――で家を作り、奴隷として売り払われた元住民を中心に亜人を買い取って村に住まわせると共にレベルを上げて自衛できるようにし、さらに希望者には波と戦うための力をつけさせ、これまで自身が築いてきた人脈を十全に活用して生活レベルの向上に努め、住民の誰よりも精力的に働いている尚文。そんな彼の背中を見つめながら再びこの村で暮らせるようになった幸せを噛みしめるラフタリアは、己が抱えた幸福の全てを手ずから与えてくれた主人にどうすれば報いることができるのかが目下最大の悩みとなっていた。 彼の剣として強くなるというのは論じるまでもない必須事項だ。現在も女王の紹介で戦闘顧問となった老婆エルラスラ=ラグラロックの下、変幻無双流という戦闘術の習得に励んでいる。以前尚文が助けた瀕死の老婆が歴戦の猛者であったとは驚いたが、その実力は確かなものだった。 尚文が「ババア」と呼ぶ彼女は、元々カルミラ島から帰還した四聖勇者の戦力向上のため全員に対して女王が紹介する予定だった人物らしい。しかし霊亀の復活と再封印という重大事件が起こり、その後三勇者は姿をくらませてしまったので、ひとまず盾の勇者とその仲間が教えを請うことになったのだ。 また父親の後を継いでセーアエット領の領主となった女騎士エクレール=セーアエットという、メルロマルクでも指折りの剣の使い手とも知り合うこととなり、ラフタリアは彼女と共に剣術の稽古にも取り組んでいる。これまで我流で剣の腕を磨いてきたラフタリアにとって正統派の騎士であるエクレールとの出会いはとても良い刺激となっていた。 強くなることの他に、尚文の役に立てることは何だろうか。なお、新旧入り交じる村の住民の世話もラフタリアにとっては当然のことなので、これには含まれない。 村の復興と戦力増強。それらに次いで尚文の中で優先度の高い事項として挙げるなら、現在も行方が知れない槍、弓、剣の勇者の捜索が入ってくるだろうか。 当初は容易く見つかると思われていた三勇者だったが、霊亀が再封印されてしばらく経った今も彼らがどこにいるのかわかっていない。村の運営を軌道に乗せるため忙しくている尚文がその合間を縫って幾度か彼らを探しに出かけたが、やはり見つけることはできなかった。 ただし生きているのは確かなようで、メルロマルクの女王曰く、大国フォーブレイにある四聖教の教会本部には勇者の生存確認ができる仕掛けがあり、そちらで四聖勇者全員の生存が確認されているとのこと。彼らが一人でも欠けると四聖勇者再召喚のため尚文の命がフィロリアルの女王フィトリアに狙われることとなるので、この事実はラフタリアにとってとても大切なものだった。 無事に三人を保護した後は、回数を重ねるごとに脅威を増す波に向けて尚文は自身が知る強化方法を全て彼らと共有するつもりであるらしい。とは言っても、どのような強化方法があるのかはカルミラ島での波の後すぐ全員が知るところとなっている。しかしあの三人は自分以外の二人が明かした強化方法を全く信じず、知識の共有は失敗に終わったそうだ。尚文はそんな彼らに「他の二人が言った強化方法も信じれば使用可能となる」と説明するだけとなっている。そうやって信じさせるのが一番難しいことではあるのだが。 (信じさせるのに骨が折れるのはほぼ確定ですが、そもそもオストさんが眠りについてしまった原因であるあの三人と顔を合わせること自体がナオフミ様にとって大きな負担になってしまうんじゃ……) 自分ができることについて考えていたラフタリアはふとその問題に思い至った。 己の努力を滅茶苦茶にされて怒りに狂いそうになった尚文の姿を今もはっきりと思い出すことができる。もしオストが機転を利かせてくれていなかったとしたら、その怒りは何倍にも増し、義務と感情の狭間で尚文は酷く苦しむ羽目になっていただろう。 ただし現状も然程良いとは言えない。三勇者の暴走の所為でオストはいつ覚めるとも知れない眠りにつき、今後尚文達が生きている――もしくはこの世界にいる――間にもう一度顔を合わせることができるかどうか不明だ。死んでいないのだから、殺さずに済んだのだから……と、その思いだけで今の尚文は激情を抑え込んでいるに過ぎない。 だとすれば、尚文にとって負担になる以外の何物でもない三勇者の捜索、面会、強化方法の伝達を恩返しの一環としてラフタリアが代理で行うというのはどうだろうか。 よし、と小さく呟いてラフタリアは立ち上がる。 現在彼女がいるのはエクレールとの剣の稽古をする広場のすぐ近くにある木立の陰である。昼間の稽古を終え、休憩を兼ねて柔らかな草の上に腰を下ろして考え事をしていたのだ。 尚文がいるであろう家に向かって走り出すラフタリア。途中、彼女を見かけた複数の住民達が「どうしたの?」と声をかけてくる。それに「ナオフミ様に提案したいことがあるのでちょっと行ってきます!」と答えれば、自分達の主人の名を聞いた彼らは誰も彼も笑顔で見送ってくれた。 最初は『奴隷となってしまった自分を買い取った新しいご主人様』と言うことで尚文を恐れていた者達も、すぐに彼の優しさに気付き、今では深く慕うようになっている。名前を聞いただけで笑顔になるのが良い証拠だ。一等尚文を慕っているという自負があるラフタリアはそれを我がことのように嬉しく思いながら、村の中を駆けて行った。 ――の、だが。 「ラフタリアは本当に優しいな」 尚文の役に立ちたいので、彼にとって大きな負担になるであろう三勇者の捜索、面会、強化方法の伝達を自分が代わりにやりたい。そう正直に理由つきで提案したラフタリアに対し、提案された当人は思わずと言った風にぽつりと呟く。 ちょうどラフタリアが彼のいる家に入って来ると尚文は自室で机に向かい、宝石細工を作っているところだった。机の上には窓からの自然光を受けてキラキラと輝く宝石達。ひときわ目を引くのは光に透かした時のラフタリアの髪の色によく似たオレンジがかった色の石だ。ラフタリアの来訪により、その宝石を丁寧にビロードの上に置いた彼は椅子に座ったまま身体をきちんと己の剣に向け、途中で口を挟むことなく静かに聞いてくれていた。 「や、やさしい、ですか?」 ハイでもイイエでもない反応が返ってきてラフタリアは思わず聞き返す。「俺が育てたとは思えない程に」と答える尚文の表情は完全に父親のそれだった。娘としてではなく女の子として見てほしい欲がちらりと顔を覗かせるが、それはさておき。「やはり実の両親が立派なひとたちだったんだな」と自己完結させる尚文に言いたい。もしラフタリアという少女が優しくなれたのだとすれば、それは間違いなく貴方のおかげです――と。奴隷になりきちんと笑うことさえできなくなっていた己を救ってくれたのは他でもない尚文だったのだから。 そんな尚文のための提案だが、改めて「三勇者の件、私に任せていただけますか」と訊ねたところ、主人はしばらく黙考して、 「ラフタリアの提案ははっきり言ってとてもありがたい。だがやっぱり俺がやる」 と告げ、首を横に振った。 「ですが……」 それでは尚文への負担が大き過ぎる。表情を曇らせるラフタリアに尚文は苦笑を浮かべて椅子から立ち上がった。ラフタリアの真正面に立った彼はそのまま手を伸ばして優しく少女の頭を撫で始める。 「心配するな。これまではあいつらを利用するためにこっちも色々と我慢してきたが、それももう必要なくなった。ラフタリアが考えているほどの負担は無い」 尚文はエクレールとの剣の鍛錬やここまで走ってきた所為で所々跳ねたり絡まったりしていたラフタリアの髪に指を通して整えながら「それに」と続ける。 「元康と錬はわからないが、樹はおそらく一人じゃない。あいつを見捨てなかった同行者がいるはずだ。それを俺自身の目で確かめておきたいと思っている」 「弓の勇者に同行者がいるんですか?」 樹のパーティメンバーは盾の勇者である尚文に対してあまり好意的ではなかった。否、はっきり言ってしまえば、ラフタリアの大切な主人を蔑み、見下している節があった。ゆえに問いかけるラフタリアの顔には若干の嫌悪が浮かぶ。それではますます尚文と会わせたくないのだが、彼女の考えに気付いたらしい尚文が苦笑の度合いを深めて「大丈夫だから」と言った。 「本当に今のあいつの傍に誰かがいたとしたら、それは弓の勇者という権力と自己陶酔のために樹に侍っていた奴らとは全く違う人種だ。だからこちらの都合で『彼女』の活躍を奪った影響がどのくらいなのか確かめて、必要なら相応の対応をしておきたい。場合によってはラフタリアの力を借りることもあると思う。何せ相手は女だからな」 「わかりました。女性と言うことは……確か、一人いましたね。緑色の髪をした方だったかと」 「ああ、そいつで間違いない。実際どうなるかはわからないが、サポートは頼んだ」 「はい!」 任せてください、とラフタリアは答えた。 弓の勇者の同行者は印象が良くない人物ばかりだが、そんな彼らの中にあって少々様子が異なっていた件の人物に関してはそれほど嫌悪感もない。また尚文が気にかけているのだからきっと悪人ではないのだろう。 ラフタリアの元気な返事に尚文は頷きを返すとポンポンと軽く少女の頭に触れて手を離す。温かくて気持ちの良い手が離れてしまったことをこっそり残念に思ったラフタリアはだからこそ娘扱いのままなのかとはっとして、一礼したのち、尚文に見送られて退室した。 川澄樹は盾の勇者が治める土地へと向かっていた。その傍らを歩むのは一人の少女のみ。どちらもぼろぼろの装備で、かろうじて怪我の治療を済ませている程度である。 これまで樹の周囲に侍っていた鎧姿の騎士や魔法使い等の姿はない。彼らは霊亀との戦闘が不利だと悟ると樹に不意打ちを仕掛けて縄で縛り上げ、自分達が逃げるための時間稼ぎとして霊亀の使い魔が襲い来る中に放置して行ったのである。 そんな中で唯一役立たずの弓の勇者≠見捨てなかったのが緑の髪を三つ編みにした内気な少女――リーシア=アイヴィレッドだった。 パーティの中で最も弱く、先だってのカルミラ島の波でも全く活躍できずに相変わらず召使いのように扱われていた彼女は、気絶し縛られた樹の傍を離れず懸命に彼を守り続けた。残念ながらレベルの割にステータスが低い彼女では共に無傷とはいかず、何とか命をつなぎ止めたという程度だったが、それでも生き残れたことに違いはない。彼女の献身がなければどうなっていたことか、樹は想像するだけで身体に震えが走る。 しかし霊亀とその使い魔の脅威が去っても樹達に安寧が訪れることはなかった。再封印までの経緯が多少ねじ曲げられて公式発表されると、人々は盾の勇者を讃える一方で、樹が弓の勇者だと気付くと侮蔑や嘲笑を向けるようになったからである。お前達がもっと強ければ被害は今以上に抑えられていたはずなのにどうして同じ勇者でありながら弓も剣も槍も弱いのかと、彼らは隠すことなく樹を蔑んだ。 元いた世界でも異能力のランクの低さからコンプレックスを抱えていた樹にとって、人々から向けられる視線や言葉は身体にナイフを突き立てられるようなものだった。だがいくら腹が立とうとも、樹が彼らに噛み付くことはない。それは隣でリーシアが静かに怒ってくれたからというのもあるが、何よりも人々が公表された『事実』ではなく当事者だけが知っている『真実』に気付いたならばどうなってしまうのかを樹がよく理解していたからである。 もし彼らが真実を知ったなら、きっと樹はなぶり殺しにされてしまうだろう。それくらい今回の被害は大きかったのだ。霊亀の覚醒と共に国が一つ滅び、その後も進路上にあった町や村が容赦なく踏み潰されていった。どれほどの数の人間が死んだのかまだ正確に把握すらできていないと言う。それがあるからこそ樹は周囲から白い目で見られようとも口を噤むしかなかった。 しかしそれにも限界がある。最初はどんな顔をしてメルロマルクに帰れば良いのか――より正確に言えば、どんな顔をして尚文に会えば良いのか――わからず、リーシアに支えられながらしばらく放浪してみたものの、川澄樹も勇者である前に人間である。栄養のある食事も安心して眠れる場所も必要だった。しかし役立たずにそれらを恵むほど余裕のある者は樹が目覚めた地にはおらず、二人揃って日に日にみすぼらしくなっていく。結局、尚文が領地まで得たという話を聞いて、彼に頼ることにしたのだ。 合わせる顔がない。今度こそ見捨てられるかもしれない。決してそんな恐れが無かったわけではない。しかし自分だけではなくリーシアのこともあるからと理由をつけて樹は尚文が管理する村へ足を向けた。 ただし心の奥底では、どんなに失態を犯しても尚文ならばきっと優しく微笑み手を差し伸べてくれるという思いが樹にはあった。 カルミラ島の波の後でさえ、強化方法について――結果は失敗に終わったが――話す機会を設けてくれたのは尚文である。今度もきっと大丈夫。傷付いた樹を見て悲しそうに顔を歪めた後は村に迎え入れ温かい食事とベッドを、そして何より戦いもせず勇者を非難する人々とは全く逆の優しい視線と言葉をくれる。樹はそう信じ切っていた。 そして夕日で世界が赤く染まる頃、樹達は盾の勇者の村に辿り着き、尚文と彼の剣である亜人の少女が二人を温かく迎え入れてくれた。事情は後で聞くからと、女性であるリーシアの世話を亜人の少女に任せ、樹には尚文自身がつく。リーシアと離れたことに不安は無い。初めて訪れた村ではあるものの、彼女の世話をしてくれるのは尚文が信頼を置く少女であるし、樹の隣にはこの世界で一番自分が慕っている尚文がいてくれるのだから。 「樹の方からこの村に来てくれて助かった」 霊亀の一件の後、メルロマルクとの繋がりを絶って行方をくらませた樹、錬、それに元康の三人を、尚文は何度か探しに出かけてくれたらしい。やっぱり彼は失態を犯しても自分達を見捨てることがないのだと確信を強めた樹は、案内された日本式の風呂場でゆったりと湯につかりながら「もっと早くこの村を訪ねるべきでした。お手間を取らせてすみません」と、脱衣所の方にいる尚文へ謝罪する。 ドア越しの会話は樹が疲れから湯船の中でうっかり寝てしまわないように見張る意味もあるのかもしれない。事前に回復魔法で傷を癒やしてもらった身体は湯船の中で痛みを訴えることもなく、本当に気持ちが良かった。おまけにこの尚文の心遣い。とろとろと湯の中に身も心も溶け出してしまいそうな心地良さにうっとりとしながら、樹は慕わしい相手との情報交換を続ける。 「そう言えば、霊亀の封印が解かれた時あの場にいたのは僕だけじゃなくて元康さんと錬さんもいたそうですが、結局三人とも霊亀を倒すことはできなかったわけで……。連合軍もいたとはいえ、尚文さんと仲間の方々が霊亀と戦いながら再び封印することができたなんて、本当にすごいですよね。やっぱり特別なアイテムをゲットしていたんですか?」 「あのな、樹。そのことなんだが……」ドア越しに少し呆れた声で尚文が言った。「期待しているところ済まないが、俺の強さはアイテムによるものじゃない。単なる強化方法の実践だ。お前ら三人がそれぞれ言ってた強化方法、覚えてるか? それは信じることで全て本当にできるようになる。試しに俺の言葉を信じてステータス画面を開いてみろ」 「そんなこと……いえ、尚文さんが言うのなら信じましょう」 樹は否定しかけるが、しかし尚文の強さは本物だ。カルミラ島で錬と元康が吐いた嘘――だと思っていたこと――を思い出し、尚文に言われたとおり信じ込む。 二人の強化方法は本当にある。それを実践して驚くほど強くなった尚文がすぐそこにいるじゃないか――。 「………………出た。出ました! 尚文さん!」 「な、言った通りだろ」 「はい!」 ディメンションウェーブでは存在しなかった項目が増えている。 色々と試してみようとする樹だったが、その前に「あんまり長湯してるとのぼせるぞ」と注意されて一旦お預けとなった。エネルギー付与や精錬はあとでゆっくりすれば良い。まずは風呂から上がって、もう一度尚文の顔を見、改めてできたと報告したい。 樹は湯船から上がると一応礼儀として腰にタオルを巻き、ドアを開けて脱衣所へ出た。壁に寄り掛かるようにして立っていた尚文は出てきた樹に翡翠色の双眸を向け、 「やっとか。本当に手間がかかる」 そう告げると、忌々しそうに舌打ちをした。 「え……?」 一瞬、樹は何を言われたのか理解できずに唖然と相手を見やる。 苛立たしげにこちらを見つめ返すのは樹が大好きな翡翠色。いつも穏やかで優しい光をたたえていたはずのそれは今や剣呑な光を宿し、唇も不機嫌そうに歪んでいる。 ほこほこと温まった身体から急激に熱が失われていく気がした。「どうした、早く服を着ろ。小さいガキじゃないんだから」と急かす言葉も刺々しく、先程までの会話が幻であったかのよう。 否、今が質の悪い夢に違いない。おぼつかない手つきでバスタオルを取り髪から滴る雫を拭い始めた樹は、真っ白なタオルで視界を遮ることで目の前の悪夢から己を遠ざける。 沈黙が痛い。 樹はずっとうつむいたまま身体を拭き終えて用意された衣服に袖を通す。勇者として身につけていた金のかかったものとは違う質素な上下は、樹の身体には少し大きい。亜人用の尻尾を通す穴なども無いのでもしかしたら尚文の服なのだろうか。これまでなら心が浮き立つはずの現実も、上から重い物に押し潰されるような感覚に襲われて、浮き立つどころか呼吸さえままならない。 「次は飯だな。ついて来い」 樹が着替え終わるとそれ以上の関心など払う気も無いとばかりに尚文が脱衣所を出ようと背を向ける。 ひゅ、と情けない音を立てて樹は息を吸い込んだ。なおふみさん、と語りかける声は緊張で哀れなほど震えている。 「どうしたんですか? さっきからそんな怖い顔をして……。僕、何かしてしまいましたか?」 「何か、ねぇ……。はっ」 足を止め振り返った尚文は相変わらず鋭い目つきで樹を見やる。鼻で笑う仕草の後、「自覚が無いのか、それとも俺がこれまで甘い顔をしてきた所為なのか」と続く独り言には嫌悪すら滲んでいた。 「まぁいい」 軽くかぶりを振って尚文は呟く。 そのあまりの変わりように声を失う樹へ向けて彼はすっと両目を細めた。 「なあ、樹」 穏やかさや優しさは無く、翡翠色からは怒りや嫌悪、憎しみといった負の感情しか感じ取れない。樹の名を呼ぶその声さえも冷たく凍り付いているかのようだった。 これまで自分の中にあった美しいものが瓦解していく様を脳裏に描きながら樹はこの世の終わりのような心地で最後通牒を聞く。 「ビッチの件にも片が付いてすでに利用価値が無いどころかことごとく邪魔にしかならない奴に笑いかけてやれるほど、俺は馬鹿でも慈愛に満ちているわけでもないんだよ」 弓の勇者とその唯一の同行者リーシア=アイヴィレッドが新しく村の住民に加わった。 無事に勇者間の強化方法の共有も済んだため、樹が望めば必要な物資を与えて放浪の旅を続けさせることも可能だったのだが、どうやら彼は尚文から離れるという選択肢を選ばなかったらしい。 ラフタリアはバイオプラントで新しく作られた家にリーシアと二人で住む準備をしている樹を遠目に眺めて、彼の選択もある程度理解できると胸中で独りごちた。 樹とリーシアが尚文を頼って村を訪れた昨日、ラフタリアは女性であるリーシアの世話をするため、樹を担当する尚文とは一旦別行動を取ることとなった。尚文が予想していた通り、リーシアは樹を心から慕ってここまでついてきたらしい。勇者に向けるその想いはラフタリアも共感できるもので、「リーシアさんは本当に弓の勇者のことを好いていらっしゃるんですね」と零せば、彼女に「ふぇええ!」と口癖らしい戸惑いの声を上げさせる羽目になった。 さてその間、尚文の方はどうなっていたかと言うと、ラフタリアの主人は三勇者の前で被っていた仮面をとうとう剥いだようだった。貼り付けたような優しい笑みは消え、隠しもせず苛立ちの表情を樹に見せる尚文。風呂を終えて食事のために彼の後に続いて食堂まで歩いてきた樹は、尚文が何を目的として偽りの優しさを振りまいていたのか――つまり自分がどれほど尚文に信頼されていなかったのか――を聞かされ、己の立場を理解せざるを得なかったらしく、意気消沈した様子だった。 盾の勇者・岩谷尚文は弓の勇者・川澄樹のことなど一切信頼していないし、好いているどころか厄介事ばかり持ってくる彼に苛立っている。霊亀の件ではついにそれが限界を超えてしまった。だが四聖勇者として樹に死なれるのは困るため、強化方法の共有をして強くなることを望んでいるし、旅立つのに必要な物資があるなら支援も惜しまない。また万が一ここに住みたいと思うのであれば、監視も兼ねた保護という形でその手配をする。窮屈な代わりに放浪の旅をするより生活環境はマシだろう。 樹とリーシアが揃った場で尚文はそう告げた。自身の感情に関して幾分控えめに表現したのはリーシアへの配慮だろうか。 出された夕食は尚文が手ずから用意したもので、この村の住民達にとっては想像するだけで涎が出るほど美味であることは間違いない。しかし樹の表情は晴れず、その所為でリーシアも大層不安げな様子だった。自分のためにされた配慮など知る由も無いので、きっと緑の髪の少女の目に映る尚文はひどく冷酷な人間だっただろう。 沈黙する樹に尚文は「どうする」と冷たく訊ねる。近くに樹がいることをあまり望んではないはずの尚文が二人を村から強制的に放り出そうとしないのは、彼の奥底にあるわかりにくい優しさゆえか、それとも弓の勇者をひたむきに支えようとする少女に感銘を受けたためか。 私はどちらの場合でもイツキ様の傍を離れません、とリーシアが言った。 その台詞で腹が決まったのか、うつむきがちだった顔を上げて樹が尚文を真っ直ぐに見る。どこか少女めいてすらいた柔らかな容貌に厳しい表情を浮かべて少年は告げた。僕達二人をここに住まわせてください、と。 尚文はそれを了承した。 二人で旅に出て、役立たずの弓の勇者だと世間から白い目で見られるよりも、たとえ尚文に好かれていなくとも理不尽なことはしない彼の庇護下で己を慕ってくれる少女にマシな生活を送らせてあげたい。そんな樹の意思を感じ取ったらしい。食事を終えた二人を仮の寝床に案内した後、ラフタリアと二人きりになったところで尚文がそう言っていた。 確かに尚文の言うとおり、樹はリーシアのためにこの選択をしたのだろう。しかしそれだけではないとラフタリアは考えている。 (弓の勇者は……きっとまだナオフミ様のことを) リーシアと今日から住む場所を整えている樹は、ふと作業の合間に誰かを探すような仕草で村を見渡す。そして尚文を見つけると、その背中を切なそうな顔で眺めていた。 慕っていた人に好かれていなかったと知って彼の心は深く傷付いただろう。しかしそれでも樹は尚文を慕う気持ちを消し去ることができなかった。たとえ偽りであっても向けられた笑みに胸が温かくなったのは事実であり、尚文の助言に助けられたのも嘘ではないのだから。 ただし立場上、傍にいたいと正直に言うことはできず、樹はもう一つの理由であるリーシアのことだけを前面に出す形でこの村の一員となった。今後の行動で尚文からの感情がほんの少しでも上向くことを願いながら。 「……あとの二人はどうなるんでしょうね」 ラフタリアはぽつりと呟いた。 残りは剣の勇者と槍の勇者。彼らも各々尚文には特別な感情を抱いている様子であり、特に後者はその感情の性質ゆえ真実を知らされた時の反応には注意が必要である。 ラフタリアは腰に吊るした剣の柄に手を触れさせた。 四聖勇者を死なせることはできないが、それでももしあの二人が尚文に対し害意を持つようなことがあるならば―― 「私はナオフミ様の剣。あの方に刃を向けたその時は一切容赦しませんから」 [chapter:32] 昼食を終えてどことなくまったりと時間が流れていたある日のこと。突然、樹の家に尚文が訪ねてきた。 何事かと驚きつつ迎え入れて用件を伺うと、リビングのテーブルセットに着席した彼はいつもの仏頂面で「元康と錬もさっさと見つけておきたいんだが」と話を切り出す。 「えっと。そうですね。どうせあの二人も僕と同じように、どんな顔をして尚文さんに会えば良いのかわからずメルロマルクに戻って来られないだけだと思いますよ。だから尚文さんが二人を探していますってアピールすれば結構簡単に姿を見せるんじゃないでしょうか」 突然の来訪に加え尚文から相談を持ちかけられたことにも驚きつつ、それでも彼の正面の席に座った樹はすらすらと答えることができた。あの二人に関しては自分に当てはめて考えるだけで良い。なお、「まさか本当は自分達が尚文さんに嫌われているなんて思ってもみないでしょうから」と余計なことまでは言わない。 樹が盾の勇者所有の村で暮らすようになってからおよそ二週間が経過していた。この間、波が発生したのは一回。樹がそうだったように元康も錬も波で強制転移させられるのを嫌がったのか、メルロマルクの龍刻の砂時計の登録を削除したかもしくは転移されない場所に隠れていたようだ。よって二人が現れることは無く、盾の勇者一行が主軸となって波への対処に当たった。 この二週間、尚文からの接触は必要最低限――それどころか事情を知っている限られた者達が代行することもあるので、実質それ以下である――だったが、決して理不尽な目に遭ったり意に添わぬ行為を強要されたりすることはなかった。波の時でさえ危ないと思えば撤退して良いとまで言われる始末だ。本当にこちらの実力を良くも悪くも理解している。 そんな彼は誰に対しても平等だった。不当な差別も排斥するための罪の捏造も一切しない。 働きには正当な報酬を、怠惰には叱責と罰を。散々迷惑をかけた樹にすらそれは当てはまり、初めのうちは盾の勇者を冷たい人だと警戒していたリーシアでさえ尚文の態度や彼を慕う亜人達の姿を見て考えを改め始めている。 やっぱり尚文は優れた人だったのだ。樹に優しい微笑みを向けてくれることは無くなってしまったが、彼が自分達に見せていた偽りの姿でさえその本質から湧き出てきた姿だったのだろう。尚文本人に言えば嫌悪も露わに否定することは必至だったが。 そんな彼は樹に引き続き、さっさとあとの二人にも強化方法を共有して死なない程度の強さを身につけてもらいたいらしい。だが探しに行くにしても当てが無く、村の復興のこともあるので割ける時間も少ない。それで渋々樹のもとを訪れたのだ。 樹の返答に「そんなもんか?」と首を傾げる尚文。 もしかして彼は己がどれほど三人の勇者に慕われているのか自覚していなかったのだろうか。彼自身が三人を好いていなかったから三人が寄せる好意を正確に推し量れていないのだとしたら、これは少し厄介なことになるかもしれない。 (錬さんの依存にも似た慕い方、それに元康さんの執着……。僕は元康さんと尚文さんの関係を見てしまいましたからある程度抑えが効いていたとしても、二人はそうじゃありませんからね) 己を客観視しつつ樹は胸中でそう呟いた。 尚文に二人のことを告げようかどうか迷ったが、彼が容易く信じてくれるとも限らない。むしろ樹自身が警戒しておくか、尚文の剣たる少女にそれとなく教えておく方が良い気がする。後者はあの少女が樹と話をしてくれるかどうかがネックとなるが、こういうのは駄目で元々だ。 「とりあえずお前が言った通り試してみる」 「え、ええ。ギルドを通じて知らせを出せばすぐでしょう」 樹の返答に「ああ」と答えた尚文は椅子から立ち上がる。 「手間を取らせたな」 「いえ、来てくださって嬉しかったです」 「……」 真正面から翡翠色の双眸を見返せば、尚文が不機嫌そうに、もしくは不思議そうに、眉間に皺を寄せる。だがそれ以上何かを言う気は無いようで、彼は樹の家から出て行った。 「…………失敗したかな」 忌々しく思っている人間にあんなことを言われて喜ぶ人ではないだろうから。うっかり零れてしまった本心を無かったことにするわけにもいかず、樹は視線を落として頭を掻いた。 家の奥から「イツキ様?」と心配そうなリーシアの声がする。彼女を不安にさせるわけにはいかないと、樹は顔を上げて笑みを浮かべた。 「何でもありませんよ。さて、午後からは鍛錬でしたよね。そろそろ準備を始めましょうか」 ――数日後。 「本当にすぐ来ましたね」 真っ昼間に村を訪ねてきたその人物を遠目に見やり、樹は作業の手を止めてぽつりと呟く。 尚文が冒険者ギルドを通じて錬と元康宛にメッセージを伝えると、まずやって来たのは元康だった。彼は樹の時と似たり寄ったりのみすぼらしい姿で、金の髪も甘いマスクも随分煤けて見える。仲間であった女の子達にも見捨てられ周囲の人々にも蔑まれたらしく、自信に満ちていた赤い瞳も淀んで暗い色になり果てていた。 だが村の入り口まで迎えに来た尚文の姿を見つけると、淀んでいた目が一気に輝きを取り戻す。自分の格好に気を払う余裕も無く尚文に抱きついた元康は、そのままどこかしら尚文の身体に触れていないと我慢できないのかベタベタとまとわりつきながら、屋内へと引きずられていった。 幸せそうな元康の背を見送って樹は肩をすくめる。 彼もまた強化方法を実践できるようになった暁には真実を突きつけられて戸惑うことになるのだろう。その後の反応が気になるところだが、樹は村の中で動向を見守るほか無い。また結局、ラフタリアも樹が何か言う前に察していたらしく、主人にまとわりつく青年の姿を鋭い視線で見送っていた。 霊亀の件では散々だった。 カルミラ島での失態を取り返すためにも元康は強いアイテムを得て尚文の前にもう一度現れるつもりだったのだが、敵は予想外の強さであり、倒してアイテムを得る以前に全く歯が立たなかった。霊亀に攻撃が通じない元康の姿を見てパーティメンバーだった女の子達は付き合っていられないと言って逃亡。その後、命からがら戦場から離脱すると、被害に遭った人々やその周辺住民らが一斉に元康を責め立てた。役立たずの勇者め、と。 女の子達には見捨てられ、戦うことすらできない一般人には石を投げられ、こんな情けない姿を尚文の前にさらしたらどうなってしまうのかと恐れる日々。あの優しい青年ならば見捨てることも蔑むことも無いはずだと信じているが、それでも恐怖が完全に消えるわけではなかったし、また元康自身のプライドもあった。 だが日に日に疲弊していくのは事実であり、身なりに気を遣う余裕さえ無くなってしまった頃、『それ』が元康の目に飛び込んできた。 槍の勇者モトヤス、剣の勇者レンに告ぐ。盾の勇者の村へ来られたし。歓迎する。 わざわざ日本語で冒険者ギルドの掲示板に張り出されていたのは元康の愛しい恋人からのメッセージだった。 やはり尚文は霊亀に勝つこともできず失態を晒し続けている元康を見捨てていなかったのだ。 求められているのなら行かないという選択肢は無い。それに文言から察するに、樹はすでに尚文に保護されているらしい。メルロマルクから公表された話によると元康だけでなく錬と樹も霊亀に挑んでいたとのことなので、おそらく二人ともこちらと似たり寄ったりの結果になってしまっているのだろう。 元康は早速、尚文がメルロマルク女王から賜ったという領地に足を向けた。ポータルスキルでメルロマルクの城下町に飛ぶ勇気はさすがに無かったので少し遠回りになってしまうが、可能な限り急いで。 そして盾の勇者の村に辿り着くと、出迎えてくれたのは尚文本人。村の見張りをしていた亜人の子供から連絡を受けてすぐに駆けつけてくれたようだ。 嬉しくなって飛びつけば、しばらく触れていなかったぬくもりが疲れ切っていた元康の心を見る間に癒やしてくれる。ここまで来る途中にも人々から何だかんだと文句を言われていたので、尚文の優しい目は本当に元康にとっての救いだった。 まずは風呂に行くぞと言って元康を引きずる尚文はちょっぴりワイルドさがあってそれもまた良し。元康の顔を見てくれないのは抱きつかれて照れているからに違いない。可愛いなぁと頬を緩ませながら、元康は尚文に甘えてそのまま風呂場まで彼にぴったりとしがみついていった。 そして、久々の『恋人と二人きり』となればやることは決まっている。 「あ、ア、……っ、やめ」 外で待つと告げた尚文を無理やり風呂場に引きずり込み、背後からその身体を掻き抱く。 こちらは全裸で、一方尚文は鎧までは装備していないもののきっちりと服をまとったまま。まるで変態みたいだと自分の姿に苦笑しつつ男の急所に手を添えて刺激してやれば、元康から与えられる快楽を知っている身体は呆気無く陥落した。尚文も「う、そ」と驚いた様子だったので、本人が意識している以上にこの身体は元康のものになっているらしい。本当にエロくてたまらない恋人だ。 「久々だもんな。俺がいない間に身体は疼かなかったか?」 「ン、な、わけっ……ふ、ぁ!」 ベルトを外して下着ごとズボンを膝まで下ろし、先走りを零す陰茎を丁寧に擦ってやる。同時にもう一方の手で幾度も元康を受け入れてきた後孔を刺激すれば、久しぶりの快楽の予感に襞がひくひくと蠢いた。 「……お、まえ! 先にふろ、と、話、を……ぁ、ひ」 「その前に尚文が欲しい。ずっと触れられなかったんだ。もう、限界」 「や、あ、アァ……」 恋人の下肢を弄ってくちゅくちゅと浴室内にいやらしい水音を響かせながら元康は尚文の首筋に後ろから噛み付く。 歯形をつけて、びくりと震える身体を慰めるように舐めて、すぐ上にある耳朶に唇を寄せた。わざとらしく水音を立てて甘噛みしたり舌を穴に差し入れたりと、パーツ一つとっても隅々まで堪能したくて仕方が無い。 一方の耳を涎まみれにした後は、反対側の耳の後ろに鼻先を擦り付けるようにしながら愛しい恋人の香りを肺いっぱいに吸い込む。すでに元康の股間のものは臨戦態勢で、正直な自分にほんの少し笑いが零れた。 「まずは一回出しとこうな」 「っ、や……はな、せ……ッぁ、ンく」 「……っ」 明るい浴室で声を殺そうとする尚文は心臓が爆発しそうになるほど色っぽい。今すぐにでも突っ込みたい衝動を首筋に吸い付くことで耐え、元康は恋人の陰茎を扱く手の動きを速める。 「ほら、なおふみ。イッて」 「い、ゃ……ふ、ぅぅ……!」 びゅるるっと少し濃いめの精液が元康の手のひらで受け止められた。それを潤滑油の代わりにして、次は尚文の後孔をほぐし始める。 本当なら専用のローションを使いたかったのだが、今までの状況で持ち歩けるはずもない。尚文には申し訳ないがこれで我慢してもらおう。無論、こうして尚文の村に受け入れられたからには後日きちんと愛したいとも思っている。しかし今だけは早く触れ合いたくてたまらないこの欲を優先させてほしい。 「ふっ……く、ぅ」 指一本程度なら容易く受け入れる尚文のナカを元康は絶妙な力加減で刺激する。前立腺の位置はすでに把握しているので、すぐに尚文の気持ち良さそうな声が聞こえてきた。大きな声を漏らさないように時折唇を噛みしめながら両手をすぐ傍の壁について身体を支える彼はすでに耳や首筋を赤く染め始めており、目にも耳にも大変毒だ。 きっと元康が性感帯に作り替えた胸の頂も服の下で真っ赤に熟れているのだろう。想像した途端触れずにはいられなくなり、元康は尚文の黒いシャツの裾から片手を侵入させる。そしてなめらかな皮膚の下にある骨や筋肉の形を指先で感じながら辿り着いたその場所を爪でカリカリと引っ掻いた。 「ひっ、ぃア……っ!」 シャツの下でもぞもぞと手を動かしながら尚文の艶やかに熟れているであろう乳首を掻いて、つまんで、ちょっとだけ意地悪をするようにねじってみる。痛みを与えるギリギリのラインを見極めながら刺激を繰り返せば、ビクビクと震える身体が快楽から逃れるように背を丸めた。 だがそれは元康の腕を自ら抱き込むようなものだ。二本目の指を咥えた後孔をゆっくりと開かせながら、元康は尚文の胸にも絶えず快感を与え続ける。 「なおふみ」 「っ、う、ぅぅ……ン、ぁ」 「なおふみ、きもちいーなぁ」 「ゃ、もとっ、や」 「かわいい」 触られてもいない尚文の陰茎が再び頭をもたげ始めている。恥ずかしがり屋な尚文の身体は彼の意思とは裏腹に大変素直だ。まるで元康に愛されるために生まれてきたようだと思ってしまう。そして愛すれば愛するほど尚文の身体は元康に馴染み、もっともっと素敵に変わっていく。 (まるで運命みたいだ) 心が通じ合い、性格もぴったりで、おまけに身体の相性もバッチリだなんて。 自分がゲームの世界に召喚されたと思った時は、その直前に想いを寄せてくれていた女の子達に刺し殺されるという衝撃的な出来事もあり、今度はこの世界でもっとライトな関係を女の子達と築きつつ彼女らを信じ大切にしていきたいとさえ考えていた。だが召喚初日に元康の心を奪ったのは今こうして抱きしめている青年であり、別行動となった後も頭の中にはずっと尚文の存在があった。 惹かれて、応えてもらって、触れ合って、身も心も満たされる。これが人を愛することなのだと元康は生まれて初めて理解した。 きっともうどんなことがあっても手放せない。死ぬまでずっと傍にいたい。否、死んでも放してやるものか。 「尚文、愛してる」 「っあぅ、もと……ぅ、ぁ」 三本目の指を呑み込ませてぐちぐちと尚文の後ろを拡張していく。体内でばらばらに動く指に身体を震わせる尚文はとても扇情的だ。胸の頂をきゅっとつまんだ時に漏れる高めの声も可愛くていやらしくてたまらない。 しかし、己の腕の中で悶える恋人の痴態をもっと堪能したいのも本心だったが、そろそろ元康の息子も尚文を求めて限界が近くなっていた。最低限ほぐすことはできたはずなので、元康は両手を尚文の腰に移動させる。 「そろそろ、入れるな?」 「まっ……ッ、く、アァ!」 「っは、さいこう」 ぬるぬると蠢く内壁が元康を温かく包み込む。慣れた形にしっかりとフィットして収縮を繰り返すナカは侵入してきたそれが己を気持ち良くさせてくれるものだときちんと理解しているのだろう。馴染むまで動かず待っている元康の怒張を早くもきゅんきゅんと締め付けて行為の先を強請っている。 「尚文のナカ、すっげぇおねだりしてくるんだけど」 「ひっ、ぃ、言う、なぁ……!」 「このまま尚文の可愛い乳首を弄ってやったらどうなるかな」 「や、やめ、もとやす、ひぎっ!」 「……っ、は。締まるッ」 腰に添えていた両手をどちらも黒いシャツの中に潜り込ませて乳首をきゅっとつまみ上げる。後ろに逃げようとする身体は元康の胸に阻まれてどうにもならず、同時に胎の中は元康のものをしっかりと締め付けてしまいその刺激で尚文が短く悲鳴を上げた。 「あ、あ、あ、あ……だめ、や、もとや……っ、ぁ、はなしっ」 くにくにとつまんで引っ張って、そのたびに尚文が身体を震わせ胎の中のものを締め付けた。心地良いその感触と後ろから眺める尚文の痴態に元康の怒張はまだ大きさを増していく。 いっそ乳首への刺激だけでイかせることはできないだろうか。 むくむくと沸き上がる好奇心に背中を押されて元康は愛らしい二つの粒をさらに強く捏ねて引っ張って弾く。 「ひ、ぃんっ!」 「はっ、なおふみ、かわい……」 「ぁ、あっ、ぅ……ン、んんっ、ぅ、ぁ、あ……!」 胸への刺激に呼応して尚文のナカがきゅんきゅんと元康にもっと強い快感を強請り続けている。その甘やかな快楽と恋人の痴態だけでも達してしまいそうだ。 けれどもう少し。胸を弄られてイッてしまう恋人の姿を見てみたい。 先を強請る尚文へ謝罪する代わりに彼の首筋へと吸い付いて元康はさらに愛らしい乳首を捏ねる。 「ひ、ィあ」 ピンと勃って芯を持ったそれを親指と人差し指でつまみコリコリと少し強めに擦り上げれば、さらに強くナカが元康のものを締め付けた。思わず僅かに腰が揺れる。ほぼ無意識で行われた小さな動作だったが、散々胸をいじめ抜かれた尚文には十分な刺激だったのだろう。元康の計画は半分失敗する形で、胸と体内の両方からの快楽で尚文の身体がビクンと痙攣した。 「っ、あ――ッ!」 びゅくっ、びゅるるっ! 吐き出された白濁が浴室の壁面に飛び散る。 元康はくたりと力を無くす身体を抱き込むように支えて、再び恋人の艶めく腰に両手を添えた。乳首だけでイかせることはできなかったがこれはこれで愛らしい。それにやはり自分の方も限界が近い。 「なおふみ、なおふみ」 ちゅっちゅっと数回首筋に唇を落とした後、元康はゆっくりと腰を動かし始めた。 「ふぁ! まっ、て……あ、ゃ、あァァ」 達したばかりの身体は元康から与えられる直接的な快楽を素直に受け取り過ぎるのか、逃れるように身をよじる。だがその身を捕らえる腕から解放されることは無い。それに、ぢゅ、どちゅっ、と奥を穿つように腰を送ればたちまち力を失って元康にされるがままとなる。 熱くて良い匂いがしてエロくて最高に気持ちが良い。 久々に味わう恋人の身体はどこもかしこも元康を魅了してやまない。夜に二人きりの部屋で思い切り甘やかしてくれるのも、こうして明るい場所で少し抵抗気味な態度に翻弄されるのもたまらなく魅力的だ。こんな最高の恋人に愛されているなんて、自分はなんて幸せ者なのだろう。 やはり自分達は運命なのだ。 「なおふみ、すき、あいしてる」 「ゃっ、ぅ、あ、あっ、ンっ、んんっ、あっ!」 ぐちゅ、ぢゅ、ぷちゅ、と元康の先走りも混じった水音が絶え間なく浴室に響き渡る。それに重なるのは元康の睦言と、甘くてとろけそうになる愛らしい尚文の嬌声。理性の手綱はすでに用をなさず、元康の動きはさらに激しくなっていく。 「ひゃぅ、あ、っあ、もとっ、あっ、あン、ん、んんっ」 浅いところを強く擦り上げながら奥へ。結腸の入り口にキスをすればそこで感じる快楽を知っている身体はもっと強くしてと強請ってくる。貪欲で甘え上手な恋人に顔をにやけさせながら元康はしっかりと腰を掴み直した。 そして己をギリギリまで引き抜き、 「尚文、一緒に」 「っ、アァ……ッ!」 尚文の最奥を穿ち、最愛の人の胎に抑えきれない情欲を吐き出した。 [chapter:33] 元康が村を訪れた同じ日の夜遅くに錬も姿を現わした。どこに隠れていたのかは知らないが、冒険者ギルドに伝言が届いてすぐにポータルスキルで近くまで移動し、そこからは己の足で歩いてきたのだろう。 だが折角ここまで辿り着いた彼を出迎えるのは尚文ではない。村の入り口まで足を運んだのは弓の勇者、川澄樹だった。 「どうして樹が……いや、俺より先に尚文の所へ身を寄せていたのか」 気落ちした様子で訊ねる錬。 身も心も疲れているのが明らかな彼に申し訳ない気持ちになりつつも、樹は「ええ」と頷く。 「僕ですみません。本当なら村の所有者である尚文さんが来る予定だったんですが……」 「尚文は出かけているのか?」 「村にはいますよ。ただ昼間に色々とありまして、今夜はゆっくり休んでいただいているんです」 答えつつ、樹は自然と苦笑を浮かべてしまう。 この『昼間に色々』が厄介だった。その所為で本来ならばこういう時に尚文の代理を担当するであろうラフタリアではなく樹がここまでやって来たきたのだ。 (今の尚文さんには彼女についていてもらった方が良いでしょうからね) 心を癒やすためにも、不埒者を近付けさせない護衛≠フためにも。 樹は昼間の出来事を思い出す。 元康と共に入った家――樹も最初に村を訪れた時に使わせてもらったキャンピングプラントで、特定の住人はおらず客人専用になっている。自分が寝起きする家に信用していない他人を泊めるわけにもいかないので当然の処置だろう――からしばらくしても出てこなかった尚文。 騒がしい様子は無かったが、もしや真実を知った元康が何らかの暴挙に出たのではと、ラフタリアと樹がそれぞれ建物に近付き中の気配を探った。いち早く中の状況を正確に把握したのは樹だ。それは感覚の鋭敏さによるものではなく、単に経験則に基づくものだった。 尚文と元康が建物の中でどういう状況になっているのかを察した樹は、ラフタリアに無理を言って自分が様子を見てくると主張。彼女も尚文と長らく一緒にいたためか何となく自分が近付いてはいけない空気を察したらしく、渋々ではあるが樹にその場を譲ってくれた。 そして中に入った樹が見たものは、浴室で後ろから元康に犯され続ける尚文の姿だった。 律動に合わせて肺から絞り出される嬌声は、抑えようとする意思はあるものの、粘ついた水音と混じって明るい浴室に隠微に響く。また一体何度達したのか、尚文が両手をつく壁面には役目をなさない白い液体。きちんと身に付けていたはずの衣服は中途半端に脱がされ、半ば拘束具のようになっていた。 一方、尚文の名を呼びながら腰を降る元康はすでに全裸で、髪も解き金髪が肩や首筋に張り付いていた。イケメンは顔だけでなく首から下さえ整っているらしい。同性でも惚れ惚れするくらい筋肉もしっかり付き均整のとれた肢体を汗ばませ、腕の中に捕らえた青年を貪り尽くそうと躍起になっている。 すぐに目をそらしたためその光景を直に目撃したのはほんの一瞬でしかなかったが、脳内で十分反芻できてしまうくらいには衝撃的だった。脱衣所から廊下へと出た樹はまだ尚文の甘やかな声が聞こえるその場にうずくまって頭を抱える。 レベルの差は然程無くても四聖勇者全員分の強化方法を習得している尚文が今の元康に敵わないはずがない。つまりあれは尚文にとって仕方無く受け入れている行為なのだろう。おそらくはまだ元康に強化方法の共有をしていないのだ。スムーズに強化方法の共有を行うため尚文はそれが終わるまでは一方的な信頼関係を崩さないようにしていると考えられるが、教える前にあそこへ連れ込まれた可能性が高い。 ここで樹が助けに入ってしまっては話がこじれる。心苦しいが引き下がり、元康が満足するまで尚文に耐えてもらうしか無いのだろう。 と、そう言うわけで、樹は一旦その家から退散したのだった。 そして夕刻になり、未だ建物から出てこない尚文を心配するラフタリアや村の亜人達をどうにかその場に押しとどめて樹は二人分の食事を持って再び尚文に会いに行った。行為自体は終わっていたが――二人があのあと浴室以外のどこで何をしていたのかまでは考えないこととする――疲れ果てた様子の尚文が元康の離席中に「あの絶倫馬野郎め」と呟いたのを樹はしっかりと聞き取っていた。 その後尚文は十中八九『北村元康の暴走抑止用』として樹を食事に同席させ、夜を迎える前にだだをこねる元康を置いて自分の家へ帰って行った。 そんな尚文を夜中に起こせるわけがない。 錬には申し訳ないが、一番事情を知っている樹が出迎えとなったのである。 「本来なら尚文さんがお客さんのために用意してくれた家へ案内するのですが、今は元康さんが使っているので、どうぞ僕の家にいらしてください」 あの客人用の家はかなりの広さがあり複数人で泊まることができるのだが、さすがに浴室は二つも無く、性行為の気配が漂う場所に錬を連れて行くほど樹は愚かでも鬼畜でもない。 「元康も来ているのか?」 「ええ。今日の昼間に。……さあ、こんな場所で立っているのもなんですし、こちらへ。尚文さんへの挨拶は明日の朝にしましょう」 「あ、ああ。わかった。すまない」 「いいえ。僕の家には同居人がいるのですが、とても良い子なので安心してくださいね」 にこりと微笑み、樹は錬を自分とリーシアの家へ案内する。数歩後ろをついてくる錬が尚文と会えないことを不満に思っている――否、不安に思っている≠アとは、樹から見ても明らかだった。 錬が盾の勇者所有の村に辿り着くと、迎えてくれたのは尚文本人ではなく同じ四聖勇者の樹だった。 それには正当な理由があるようだったが、尚文に嫌われ失望されることを恐れている錬にとって顔さえ見せてもらえないという事実は大きな不安要素となる。まんじりともせず一晩を過ごし、ようやく朝を迎えると、錬の来訪の知らせを受けていたらしい尚文から元康を泊めている家へ来るよう連絡があった。 樹は特に指名されていなかったが、彼も道案内ついでに同席するとのこと。道中、尚文が錬を呼んだ目的は元康とセットで強化方法を教えるためだろうと言っていた。その強化方法を樹は先に教えられており、すでに実践しているとのこと。錬は詳細を訊ねようとしたが、尚文から直接教わった方が良いと断られてしまった。 しかしそれならば何故、樹は同席しようとしているのだろうか。内心首を傾げつつも指定された建物まで辿り着けば、玄関扉の前で尚文と彼の仲間である亜人の少女が待っていた。 「尚文!」 「錬、久しぶりだな」 自身が所有する村の中であるためか、尚文はシャツにズボンという簡素な出で立ちである。どこか気怠そうなのは樹が言っていた『昼間に色々』と関係しているのだろうか。 「ああ……。その、迷惑をかけた」 「その顔じゃ色々と思い詰めてしまっているようだが、まずは肩の力を抜いてくれ。それと、これは最初に言っておくべきだったな。良くこの村に来てくれた。お前が無事で良かったよ、錬」 「っ!」 その言葉だけで胸がいっぱいになる。言葉に詰まり何度も頷くしかできない錬に尚文は苦笑を浮かべた。 「樹」 「はい」 錬に向けられていた翡翠色の双眸が次いで樹へと移る。名前を呼ばれて応える隣の少年の声はどことなく緊張を孕んでいる気がした。 「昨日は錬のことも含めて色々と助かった」 「っ! い、いえ! 尚文さんのお役に立てて良かったです」 尚文に礼を言われただけなのに何故そんなにも驚いているのだろう。まるで尚文がとても厳しい人間のようではないか。あんなに優しい尚文を前にしてそこまで身を固くする理由は一体何なのか。 首を傾げる錬だったが、疑問を口に出す前に家の中へと案内される。通されたのは一番広いとされる部屋。リビング兼ダイニングであろうそこには先に元康が椅子に腰掛け、テーブルの上に肘をつく格好で待っていた。間取りが現代日本風なのは尚文の指定だろうか。 「尚文遅ぇよー」 椅子から立ち上がった元康が人目もはばからず真正面から尚文に抱きつく。こめかみにキスをして甘えるように頬を擦り付けた。 「しかも恋人をひとり寝させるなんて酷くないか?」 「すまないな。これで許してくれ」 そう言って尚文は自分に抱きつく男の背をあやすように手でぽんぽんと叩く。たったそれだけの行為だが、錬にとってその光景は非常に衝撃的だった。 何が一番驚いたかと言えば、当然―― 「……尚文と元康はそういう関係だったのか」 「性別が気になります?」 「い……や……それは、まぁ、特には。だが……」 樹のこの様子ではかなり前から二人の関係を知っていたのだろう。一人取り残されたような気持ちになって錬は顔をうつむかせる。 確かに自分は四聖勇者の中で一番年下ではあるものの、樹とは一つしか違わない。小さな声で「いつから」と訊ねれば、「僕が知ったのは初めて波を退けた後でしたね」とのこと。本当に随分前からだった。 「二人としては他人に知らせるつもりは一切無かったんでしょうけど、僕はたまたま見かけてしまったんで。だから錬さんは気にしなくて良いと思いますよ。……それにしても元康さんは大人げない」 元康に半眼を向けて樹は溜息を吐いた。 その元康はと言えば、尚文に促されて再び椅子に腰を下ろしている。すぐに錬も名前を呼ばれてテーブルを挟んだ反対側の席に着いた。 尚文は二人から同程度離れたソファに腰掛け、その傍らに亜人の少女が立つ。樹は四人から少し距離を取って全体を見渡せる壁際に佇んでいた。近くの椅子に腰を下ろすつもりはないらしい。一瞬、尚文が樹の位置を気にするように視線を向けたが、翡翠色に見つめられた方は「念のためですよ」と言って小さくしたままの弓を撫でていた。 「それじゃあ……まず、元康に錬、二人が無事でいてくれて良かった。共に召喚された仲間として心からそう感じている。それに四聖勇者が欠ければその分だけ波は激しくなるし……どうやら、波が発生している最中に勇者が殺されるとさらに状況が悪い方へ傾くようだ。あとついでに教えておくが、伝説のフィロリアルの女王曰く、四聖が一人でも欠ければその時は再召喚のために残りの三人を殺しにやってくるらしいぞ。つまり世界のためにも俺達自身のためにも、四聖勇者は全てが終わるまで死んではいけないということだ」 個人の感情としても、世界的な視点としても、自分達は欠けてはいけない。そう語る尚文に錬も元康も頷く。 「だから俺達はますます激しくなる波に対抗するためもっと強くならなきゃいけないわけだが……」 「すまない尚文。霊亀を倒して得られるアイテムがあればもっと強くなれると思ったんだ」 真っ先に錬が頭を下げる。 カルミラ島で散々自分の弱さを突きつけられ、尚文に見捨てられたくないという一心でゲームにも登場していた霊亀の討伐に赴いた。だがその結果はどうだ。 「霊亀の封印を解こうとした寸前にあれが動き出したのは今でも良くわかっていないんだが……事実として、俺は負けて、仲間さえ失った」 「封印……ああ、そう言えばオストが――……錬だけは……だったな」 尚文が独りごちるものの、後半はきっちりと聞き取ることができない。しかしどうやら彼の方でも色々と情報を得ているようだ。その後、翡翠色の双眸は元康と樹へ順に向けられる。元康は小首を傾げ、樹は僅かに肩を跳ねさせた。やはり先程から樹の様子がおかしい。もしかして錬達が合流する前に何かとんでもなく大きな不興を尚文から買ってしまったのだろうか。 「尚文、俺もすまなかったと思ってる。霊亀に挑んだのは錬と同じ考えからだったんだが、結局成果はゼロどころかとんでもないマイナスだ。尚文がいなかったらどうなっていたことか。本当に感謝してる」 赤い双眸が尚文へと向けられる。その瞳には溢れんばかりの好意が宿っていて、窮地に手を差し伸べてくれたことへの感謝と、失態を犯しても決して見捨てなかった相手への信頼が見て取れた。きっと自分も似たような目になっているのだろうと錬は考えつつ、尚文の言葉を待つ。 「……ああ。二人とも俺を信頼してくれているんだな」 改めて言うまでも無い事実だ。無言で頷けば、翡翠の双眸がすっと笑みらしき形に細められる。 「なら俺の言葉を信じて二人には実践して欲しいことがある。……――カルミラ島で強化方法について話し合ったことはまだ覚えているか?」 「一応な。でも錬も樹も嘘ばっかりで……」 「嘘吐きはお前の方だろう、元康」 「はあ? 尚文の前で格好つけようとして嘘を吐いたのは錬の方だろうが」 元康の言い方にカチンときて思わず言い返せば、さらに苛立ちのこもった言葉が返ってくる。カルミラ島の時はそこに樹も参戦したのだが、今の彼は黙って錬と元康の言葉の応酬を見守っていた。 それが激しい言い争いへと発展する前に尚文がストップをかける。 彼に言われてしまえば錬も元康も止まるしかなく、本当の嘘吐き≠ノ謝罪する気は起こらないまでも、深く息を吐いて頭に上っていた血を元に戻すくらいの努力はしようと思えた。 「覚えているなら結構。それ、どちらも本当に実施可能だぞ。俺が言っているんだ∴齠xでいい、俺を信じてステータス画面を開いてみてくれ」 「「…………」」 どんな失態も許し、笑顔で受け入れ、窮地には温かな手を差し伸べ、共に強くなることを願っている尚文。そんな人物に懇願されて、頭ごなしに彼の言葉を否定できるはずがない。 錬は尚文を信じてステータス画面を開いた。テーブルを挟んだ向かいでは元康も同じようにステータス画面を開いているのだろう。そして二人はほぼ同時に息を呑む。「うそだろ……」と呟いたのは元康。錬も同じ気持ちになりながら、一気に表示項目が増えたステータス画面を信じられない気持ちで見つめていた。いや、尚文を信じたからこそ表示されたのだろうが。 「よし。二人とも大丈夫みたいだな。……勇者の強化方法の共有は信じていないと成功しない。俺を信じてくれてありがとう」 「尚文が言ったことを信じないわけにはいかない」 「そうだぜ! お前が俺達に嘘を吐くはず無いからな!」 変化したステータス画面はそのまま自分達が尚文を信頼していることの証となる。二人が無事に強化方法を共有することができ、尚文はとても満足そうだ。 強くなれるということ以上に尚文が喜んでいるという事実がたまらなく嬉しい。胸の奥が温かくなり、口元は自然と弧を描いた。 「尚文はやっぱり最高だ」 カタン、と音を立てて元康が椅子から立ち上がる。そう言えば彼は尚文と深い仲であったのだなと錬が思い出したのは、席を立った元康がうっとりと恋人の顔を見つめてその前に跪き、キザったらしく手を取って指先に口づけようとしたからで―― 「触るな。気持ち悪いんだよ下半身クズ野郎」 元康の手を尚文が荒々しく弾いた。 眉間に皺を寄せ、不快感を露わにした尚文が冷め切った視線で元康を睨め付ける。彼が「どけ、邪魔だ」と吐き捨てながら元康の肩を蹴り押せば、告げられた言葉の意味を理解できず呆然としていた男は無様に後ろへ転んで尻もちをついた。 「いっ……な、なおふみ?」 目を白黒させて見上げる元康と、脚を組み替え舌打ちをしてそれを睥睨する尚文。 傍らに控える亜人の少女にも少し離れた所に立つ樹にも驚いた様子が無いのが酷く異様だった。 「元康、お前さぁ」 忌々しそうに紡がれる声は自分達がこれまで向けられていたものより幾分低く、そして荒い。 「これまで俺にどれだけ迷惑をかけたと思ってる。役立たずであるだけならまだしも、霊亀まで復活させやがって。お前の、お前らの、愚か極まりない行動の所為で……ッ」 「ナオフミ様」 ギリ、と歯を食いしばる主人の怒りをなだめようと、ずっと黙していた少女がその二の腕に触れる。「ああ、すまないラフタリア」と少女を見上げて名を呼ぶ尚文の声は気遣いに満ちていた。 だが再び元康へ、そして錬へ向けられた視線は強烈な怒りに満ち、二人ともビクリと肩を跳ねさせた。 「あの……なお、ふみ」 テーブルに手をついて支えにしながら錬はよろよろと椅子から立ち上がる。怒りに満ちた視線がどうしようもなく恐ろしい。 「すまない。本当にすまない。あんなにも良くしてくれたのにお前には迷惑ばかりかけてしまった。だが、どうか、頼むから、俺達を見捨てないでくれ。今度こそ、ちゃんと、上手くやるから。波で役に立たなかった分も、霊亀で失敗した分も、全部取り戻すから。お前の期待を裏切らないように、お前を失望させないように、強くなるから、だから」 「……錬、何か誤解しているようだから言っておく」 腕を組んだ尚文が凍えるような声と視線で告げる。 「失望も何も、俺は最初からお前らに期待したことなんて一度も無いし、今後とも期待する気は一切無い」 「っ! そん、な」 折角、尚文が召喚直後から好意を持って接してくれていたのに、その後は様々な場面で失敗し続け、ついにはこのような怒りに満ちた顔をさせる羽目になってしまった。だから今後は挽回しもう一度好きになってもらうために努力しなければいけない――……。そう思っていた錬は尚文の言葉を信じられず、呆然とその場に立ち尽くした。 「天木錬、川澄樹、北村元康」 三人の名を口にし、尚文は忌々しそうに顔を歪める。 「プライドばかり高い考え無し、独り善がりで周りを見ない正義厨、女の言うことだけ信じて下半身でしかものを考えない馬鹿……そんな奴らに期待できるか? ましてや好きになると思うのか? はっ、反吐が出るな。……俺は最初からずっとお前らのことが大嫌いだったよ」 「じゃ、じゃあ……」震える声で錬は問いかける。「尚文が俺達に優しくしてくれたのは、全部、ウソだったのか?」 「嘘、ねぇ」 尚文がくっと口の端を吊り上げる。 「そうだな。お前らに教えた知識は全て本物だ。少なくとも、俺はそれを紛れもない事実だと判断した上で話した。だがお前らへの態度に関して本心からのものだったことは一度も無い。盾の勇者がメルロマルクじゃ差別の対象だってことは教えただろう? そんな状況で、おまけに代理のクズ王は過去の遺恨から大の盾の勇者嫌い、そして馬鹿娘の第一王女は他の勇者に取り入るため盾を生け贄に選んだ。冤罪を着せて自分が被害者となり、お前らに泣きついて悲劇のヒロインになろうってな。そうさせないために俺はお前らを利用した。で、今や女王が戻りクズは力を失いビッチは幽閉。わかるか? もう俺がお前達に優しくする義理は無くなった。本当に清々するよ」 「……ッ」 露悪的に笑う尚文。 その表情に、その言葉に、錬は足下の地面が音を立てて崩れていく気がした。 異世界に召喚されてから己を支えてきた基盤が、目の前の人への親愛が、徹底的に否定され破壊し尽くされていく。あの表情もあの言葉も全て嘘だったのかと、苦しみで胸を掻き毟りたくなる。 捨てられるどころの話ではない。最初から拾われてすらいなかった。 差し伸べられた手は幻想で、与えられたと思っていたぬくもりは偽りで。希望は絶望に塗り変わる。 ――なのに、どうして。 (俺は尚文を嫌いになっていないんだ) 怒れば良いのに、ただ悲しい。 憎めば良いのに、ただ切ない。 嫌いだとその口から告げられても、全て嘘だったと明かされても、それでも愛を乞いたくてたまらない。不安で不安でどうしようもない時に「大丈夫だ」と頭を撫でてほしい。精一杯頑張って得た結果に「よくやったな」と微笑んでほしい。 岩谷尚文が与えてくれるぬくもりを、光を、この身はすでに知ってしまったのだ。今更無かったことにはできない。 (俺は、もう、尚文がいないと) 立ち尽くしていた錬の足がゆっくりと前へ踏み出す。視界に入るのは尚文ただ一人。最早その足下に這いつくばって、縋り付いて、懇願することしか頭に無い。――嫌いでも良いから優しくして。傍に置いて。何でもするから。と。 だが錬が二歩目を踏み出そうとした、その時。 「ゆるさない」 尻もちをつきその場でうつむいていたはずの元康が幽鬼のように立ち上がる。 まずい、と思ったのはほとんど本能的なもので、その後の行動も半ば無意識のものだった。 ゆったりと近付くはずだった足は勢い良く床を蹴り、同時に小さくしていた剣を元の大きさに戻す。視界の端で亜人の少女もまた動いていた。少女は剣を鞘から抜き放ち、尚文を守るように前へ。 元康が壮麗な装飾が施された槍を右手に構える。柄の中央付近を持っているのは距離の近さの所為だろう。室内の照明を弾き銀色に輝く刃の先には尚文。その心臓。 全てがスローモーションで知覚される中、錬もまた尚文の元へと辿り着く。元康が構える槍の切っ先に向けて剣を振り上げた。 「馬鹿野郎!」 ギャリィッ! と耳が痛くなるほどの金属音を立てながら剣が槍を弾き飛ばした。 衝撃でバランスを崩した元康がたたらを踏んで数歩下がる。そこへ追い打ちをかけるように亜人の少女が白刃をひらめかせ、一閃。槍を両手で構え直そうとしていた元康は圧倒的な力で打ち払われ、がら空きになった急所――首元に、少女の剣がぴたりと突きつけられた。 「ラフタリア、殺すなよ」 「はい、ナオフミ様」 「樹も」 「わかっています」 少し離れた所に立っていた樹が油断無く矢をつがえている。彼の位置取りはこれを予期してのことだったのだと錬はそこで初めて気付いた。そして暴走したのが元康ではなく錬だった場合も彼が躊躇なく攻撃の構えを取ったであろうことも。 尚文は己を守る二人にそれぞれ声をかけた後、「強化方法を知ったばかりの元康が俺を殺せるとは思えないが」と独りごち、翡翠色の双眸を瞬かせた。 「驚いたな。まさか殺意を抱かれるほど恨まれるなんて」 「……尚文さんは元康さんがご自分をどう捉えていたと思ってるんですか」 未だ油断無く弓を構えながらも少々呆れた声で樹が訊ねる。 「どうって……」 答える尚文の声には嘲弄の気配が混じっていた。 「恋人≠セろう? ただし誤魔化しようのない現実を目の前に突きつけられない限り、嘘泣きで縋り付いてくる女を信じて俺の意見なんて聞く耳持たない程度の。まあ、穴があれば何でも良いタイプの人間ならそんなもんだろ」 前髪で表情の読めない元康を翡翠色の双眸が見下ろす。物理的にはソファに座ったままの尚文が見上げる格好になっているのだが、その心情は明らかに元康を見下ろすものだった。 次いで翡翠が錬を視界に捉える。「お前の行動にも驚いたけどな」と告げる尚文は、きっと元康の暴走が無ければ錬が何をしていたのか気付きもしないのだろう。 だから続いて自分が放った言葉がどれほど錬にとって重みのある言葉だったのか知る由も無い。 「錬、助かった」 「……ッ!」 ほんとうのことば、だ。ほんもののことば、だ。 たったそれだけで錬は満足してしまった。 この言葉だけで胸が熱くなる己はなんて馬鹿なのだろうとも思う。しかしそれが事実だ。偽りの優しさを与えられ、己の失態により不安に押し潰されそうになり、しかしそれをまた偽りで慰められ……繰り返していくうちに錬の心はきっと大きなひびが入ってしまっていた。それをついに打ち砕いたのが尚文の『真実』で、だからこそ砕かれた直後に他意も偽りも無く向けられた言葉は尚文に縋ろうとしていた錬の全てを掻っ攫っていった。最後の逃げ場すら奪うように。 「尚文」 「なんだ?」 こちらの気など知りもしないで尚文は錬に先を促す。 ゆえに錬は一切の躊躇無く本心をさらけ出すことにした。これが唯一、自分ができる尚文への『反撃』だとでも言わんばかりに。 「尚文が俺をどう思っていようとも、俺はこれからもずっと尚文の指示に従う。斬れと言われれば何でも斬るし、大群に一人で立ち向かえと言われれば喜んで飛び込んでいこう。だから尚文の傍にいることを許してほしい」 「……物好きだな」 「そうさせたのはアンタだ」 きっと天木錬は岩谷尚文に狂わされた。だから己が壊れてしまったことを自覚していても、錬はもう尚文から離れることなどできやしないのだ。 [chapter:34] 許さない許さない許さない許さないゆるさない許さない許さないゆるさない許さないゆるさない許さない許さないユルサナイユルサナイゆるさない許さない許さない許さないゆるさないゆるさない許さないゆるさないユルサナイゆるさない許さない許さないゆるさない許さない許さないゆるさないゆるさないユルサナイ許さない許さないゆるさない許さないゆるさない許さないゆるさないユルサナイユルサナイゆるさない許さないゆるさない許さないゆるさないゆるさないユルサナイあいしてるゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないユルサナイゆるさないユルサナイゆるさないゆるさないゆるさないユルサナイ。 頭の中で呪詛のように同じ言葉ばかりが繰り返される。 尚文の本心を知ってもなお傍にいたいと乞う錬の声を聞きながら、元康は顔をうつむかせて強く唇を噛みしめていた。 喉元には亜人の少女が構える剣の切っ先。また、少し離れた位置からは樹が油断無く弓矢でこちらを狙っている。尚文に「殺すな」と言われているにもかかわらず、元康へと向けられるのは殺気としか表現しようのないものだ。 錬の懇願を受けて尚文が「物好きだな」と呆れたように返す。それは明確な答え方ではなかったものの、ほぼ錬の願いを受け入れているのに等しい。先にこの村へ辿り着き尚文の本音を聞かされていたと思しき樹もおそらくその心情は錬と五十歩百歩と言うところか。 そうやって冷静に状況を考察することもできるのに、元康の頭の中では呪いの言葉が止まらない。 攻撃手段をほとんど持たない盾だからこそ美しい亜人の少女を従え、可憐な天使のようなフィロリアルを連れ、その二人に攻撃を担ってもらってきた尚文。彼が盾の勇者であり、自分が近くにいれば成長を阻害し合ってしまう槍の勇者であるために、元康は傍にいたいのを必死に我慢して現状を受け入れていた。それに何より、尚文の心の一番大切なところにいるのは己であるという自負のおかげで元康はここまで来られたと言っても過言では無い。 だがこの現状は何だ。 樹が全てわかりきったような顔で尚文の傍にいる。 錬が自身の全てを差し出して尚文の傍にいたいと乞い、それを許された。 元康は伸ばした手を弾かれてしまったと言うのに!! ぶわり、と身の裡から得体の知れないものがこみ上げてくる。突如として目の前に展開されるスキルツリー。これまでの旅で様々な槍のスキルが解放されていたが、ツリーが端まで展開された途端、今度は中央から一気に反転し始める。 繰り返される呪詛のような言葉の間から頭の中に響いたのは一体誰の声だったのか。 カースシリーズ 『嫉妬』の槍の条件が解放されました その声に呼応するかの如く感情のうねりが大きくなる。 意識するより早く身体が前に出ていた。元康の動きに気付いた亜人の少女が尚文の命令を優先して咄嗟に剣を退く。それでも僅かにかすった切っ先が元康の首筋に赤い線を描いた。痛みはある。だが元康の足は止まらない。 今度は錬の邪魔も無かった。尚文に受け入れられたことで気が抜けてしまったらしい錬は元康の急な動きに対応できない。そのまま元康は槍の穂先を尚文の胸へ――。 「……残念だったな。まともな強化をしていない今のお前が俺に傷を負わせることなんてできるはず無いだろう?」 己の心臓目掛けて放たれた切っ先を尚文はソファに腰掛けたままいとも容易く右手で掴み取り、胸元の数センチ手前で止めてみせた。元康は力を入れて前方へ押し出すが、一ミリたりとも進まない。カースシリーズが解放された槍を素手で握りしめているにもかかわらず出血は一切無く、そこには絶対的な二人の力量差が鎮座していた。 「それとも届かないと理解した上で攻撃せずにはいられなかったのか? お前にとっては冗談みたいに軽い愛をばらまく相手が一人減っただけだろうに」 「…………ぅ」 「あ?」 「違う。全然違う」 元康の否定に対し、尚文は未だ槍の穂先を掴んだまま「うん?」とわざとらしく首を傾げる。 「もしかしてさっき俺がお前のことを『下半身でしかものを考えない』と言ったのが気に食わなかったのか?」 そう言って尚文が浮かべたのは嘲笑だ。どうやら本当に彼は元康が何を否定したのかわかっていないらしい。元康は未だ槍を突き出す力を緩めないままもう一度「違う」と繰り返す。 正直なところ、下半身でものを考えるという言葉はあながち間違っていないと元康は思っていた。それは男としての本能であるし、また男に限らず人間は皆、気持ち良いことが好きなはずだ。だからその点に関して元康は否定しない。 否定したいのはただ一つ。 赤い双眸で真っ直ぐに目の前の翡翠を見つめ、告げる。 「俺の愛を軽んじるなよ、尚文」 「………………はあ?」 笑みを消し、不機嫌そうに眉根を寄せる尚文。 その翡翠色の双眸を睨み返しながら元康は先程の尚文の台詞を改めて否定するため口を開いた。 「俺の愛は軽くないって言ったんだ。お前が俺のことをどこまで知ってるかなんてわかんねぇよ。でも確かに俺は女の子のことが大好きだし、この世界に召喚される前に色々あって女の子は絶対に信じようって誓いを立てていた。それがお前の目には『軽い愛をばらまく』っていう風に映ったのかもしれない。だけど」 構えた槍は未だに尚文の心臓を狙っている。 眉間にくっきりと皺を寄せ訝しげな表情をしている己の『運命』に元康は怒りが入り交じった笑みを向けた。 「お前に彼女達に対するのと同程度の思いで接してきたわけねぇだろうが」 「どういう意味だ」 「尚文、お前って意外と頭悪ぃのな」 元康ははっと鼻で笑う。 ここまで言って、ここまでされて、お前はまだわからないのか、と。 だが、わからないならもっと明確に教えてやれば良い。軽いと言われたこの感情の重苦しさを。たった一人に向けられた北村元康の心の重みを。 「最初に『ゆるさない』って言っただろ。俺の愛は重いぞ、尚文。今更俺の手を放すなんて許さない。ましてや俺以外の他人を選ぶなんて絶対に受け入れられない。……俺から離れていく気なら、俺はお前を殺してでも手に入れる」 槍を握る手をますます強めながら元康は言い切った。 愛されていない? 全て偽りだった? そんなことはもう、どうでもいい。嫌っていようが何だろうが、岩谷尚文は北村元康の『運命』なのだから。 尚文が自分自身のために元康を騙し利用していたと言うのなら、本心では嫌っていたと言うのなら、己はその事実すらひっくるめて彼を愛そう。それが元康が尚文と出会い育ててしまった感情(バケモノ)の姿だ。 だがもし尚文が元康の手を取らないのなら、抱擁を受け入れないのなら……。ましてや、その心は未だ誰のものでも無く、いずれ元康以外の誰かのものになってしまうと言うのなら。 カースシリーズ 『色欲』の槍の条件が解放されました 「愛してるよ、尚文。だから俺に殺されて俺のものになってくれ」 [chapter:35] 「愛してるよ、尚文。だから俺に殺されて俺のものになってくれ」 こいつは何を言っているのだろう、と尚文は思った。 突き出した槍の穂先をこの胸に届かせることすらできないのに、尚文を殺したいなどと妄言を吐いている。本当に頭がおめでたいにも程がある。 それに四聖勇者が欠けてはいけないとつい先程説明したばかりだ。そんなことすら忘れてしまったのかと呆れ果てた。 しかし最も呆れたのは、尚文の言葉も態度も全て偽りだったと明かされてもなお愛していると吠えるその愚かさだろう。 浮かべた笑みも、優しく触れた手も、囁いた甘い言葉も、全て全て相手を騙して利用するためだけに用意された偽物。つまり尚文を愛しく思うようになった理由など一切合切無くなってしまったと言うのに、元康の中にあるのは憎しみや嫌悪ではなく好意であるらしい。それも自分のものにならないのであれば殺してしまっても構わないなどという、度を超えた感情だ。 騙されていたことに腹を立て「殺してやる」と言うのであればまだ理解も容易かったに違いない。だが槍の形で突きつけられた真実は尚文にとって予想外のものだった。 馬鹿だなぁ、と赤い双眸を見上げて思う。 そして少しだけ、哀れだな、とも思った。己を偽らず、他人に媚びず、本心から元康を愛してくれる相手を選べば良かったのに……よりにもよって手を伸ばしたのが自分のような人間だったとは。 樹も錬も、尚文からすれば愚かな選択をしたようにしか感じないが、元康はさらに飛び抜けている。『己の怒りと恨みを優先して他人を騙し利用したヒトデナシの岩谷尚文』を単純に慕うどころか、狂気じみた愛さえ抱いてしまったのだから。 しかし――。 (こんなにも他人に愛されたのは生まれて初めてかもしれないな) 尚文は胸中で独りごちた。 手に入らないのであれば殺してしまいたいと願うような重過ぎる愛など血のつながった実の家族にすら向けられたことはない。むしろ彼らは愛してくれるどころか尚文にひどく無関心だった。 恋人もいなかった身なれば、他人に関しては言うも及ばず。 元康が初めてなのだ。求めて、求めて、求めて、気が狂っているとしか思えない感情を『愛』と名付けてぶつけてきた人間は。 「なあ、元康」 気が付けば、尚文は己を殺したがっている男の名を呼んでいた。 槍よりも余程強く射貫こうとしてくる赤い瞳は、その口から語られた重い感情が決して偽りでは無いのだと告げている。尚文自身も意外なほど自然にそれを信じていた。皮肉にも自分が騙す側に回ったからこそ他人が己を騙そうとしているのか真実を告げているのかわかるようになってしまったのかもしれない。 疑いを抱きつつも見て見ぬふりをして結果的に貶められた過去の己を密かに嗤いつつ、尚文は座ったまま左手を伸ばす。愛に狂ってなお美しい男の槍を持つ手にそっと重ねれば、血を凝縮させて作った宝石のような双眸が驚きに大きく見開かれた。 この男に辛酸を舐めさせられたのは一度や二度の話ではない。殺してやりたいほど苛立ったのは最早何回あったか数えるのも馬鹿らしい。 だがここまで強くこの身を望むのであれば、気の迷いの一つくらいはしてやっても良いのかもしれない。 「全ての波を退けて四聖勇者の役目を全うした後なら、俺を殺しに来てもいいぞ」 「ナオフミ様!」 「尚文さん……ッ」 「尚文!?」 ラフタリアが、樹が、錬が、異口同音に尚文の気まぐれを非難する。 そこまで心配せずとも良いだろうに。「俺を殺しに来てもいい」とは言ったが「殺されてやる」とは言っていないし、そもそも盾の防御力を貫ける攻撃を元康が身につけられるかどうかさえ未確定なのだから。 大袈裟に反応するなという意味を込めて左手をひらひら降る尚文。三人は口を噤み、そして入れ替わりに元康が「くっ」と笑いを堪えるように喉を鳴らした。 「尚文が手に入るなら、こんな世界、俺はもうどうでも良いんだけどな」 「全ての波を退ける前に俺を殺そうとするなら、その時はどんな手を使っても、そして誰を使っても、お前の思い通りにはさせてやらない」 わざわざ言葉で説明せずとも、ちらりとラフタリア達を一瞥すれば後はそれだけで事足りる。元康もまたラフタリア、錬、樹へと順に視線を向け、最後に尚文を見つめながらようやく槍の切っ先を下ろした。 「いいぜ。ただし俺が殺すまで誰にも殺されるなよ」 「誰にものを言っている気だ?」 「はっ、盾の勇者サマの言うことは違うな」ぞっとするほど艶やかな赤い瞳が尚文を射貫く。「絶対、殺してやる」 「殺せるもんなら殺してみろよ。今度はちゃんとその槍で俺の心臓を貫けると良いな」 あえて挑発してやれば、美しい男の顔に恍惚とした笑みが浮かぶ。きっとその手に握る槍で尚文を貫く瞬間を夢想しているのだろう。 「お前は俺のものだ、尚文」 これが愛だと言うのだから、本当にこの男は狂っている。 そしてきっと狂わせたのは尚文自身。 ぞくり、と身体の奥が震えたのを感じながら尚文も呼応するように口角を上げる。 「その台詞は俺を殺せてから言うんだな」 見上げた先、真っ赤な瞳に映り込む己はとても楽しそうな顔をしていた。 END 0:2019.07.05 Privatterにて初出 31:2019.07.14 Privatterにて初出 32:2019.07.16 Privatterにて初出 33:2019.07.22 Privatterにて初出 34:2019.07.26 Privatterにて初出 35:2019.07.27 Privatterにて初出 |