BAD APPLE




[chapter:26]

「この俺達の足元に眠ってるのが『霊亀』……?」
 ただの街中の地面にしか見えない場所に視線を落としてラルクベルクは不思議そうに呟いた。
 尚文が使うポータルシールドという移動スキルによって連れて来られたのはメルロマルクから遠く東に離れた国。そこは四霊と呼ばれる守護獣の一つ、霊亀の甲羅の上に築かれた国だった。
 この世界を守る四霊について事前にある程度の説明を受けたのだが、やはり家や城どころか山まで存在する土地そのものが一つの守護獣であるとは容易く受け入れられるものではない。とは思うものの、自分達の世界にも四神と呼ばれる守護獣がいたのは事実なので――ただし今はもう過去形で語るしかない――その力を知っている身としては完全否定するわけにもいかなかった。
 隣に視線を向ければ、同行しているテリスも唖然と周囲を見回している。そんな彼女の向こうに見えるのは、メルロマルクの雰囲気とも自分達の国の雰囲気ともまた異なる様子の建築物。見慣れないものではあるが中々に興味深く、特に鮮やかな朱色の屋根や柱は目を引いた。尚文曰く中華風≠フ建物や衣装がこの国の特徴の一つであるらしい。
「ずっと昔から封印されている所為で真上に国まで出来てしまっているけどな。……そろそろ行くぞ。向こうに馬車を用意してあるんだ。それに乗って移動する」
「あ、ああ」
 尚文の声に合わせて一行は歩き始めた。
 先頭は尚文、後ろにラフタリアとフィーロが続き、ラルクベルクとテリスは三人の横を歩く。向かう先は町の中心部とは逆側、山の方だ。ポータルスキルで到着した地点がすでに町の端だったため、すぐに人の気配からは遠ざかることとなる。
 少し行くと言葉通りに馬車が停められていた。今日のため事前に馬車での移動とポータルスキルでの帰還を繰り返してここまで運び込んだらしい。フィーロが人型からフィロリアルと呼ばれる鳥型の魔物の姿になって馬車を引く準備をし、残りの面々はその馬車に乗り込む。
「霊亀についてはさっき大体話したよな。ちなみにこの国の王を誑かして悪政を敷かせているのが――正確には少々違うんだが――霊亀本人……と言うか、そいつが人の姿を取ったもので、今回の計画の協力者でもある」
「は? いや待ってくれ、理解が追い付かねえ」
 手綱を握る尚文の横に腰掛けて話を聞いていたラルクベルクは隣を見つめ、眉間に皺を寄せた。補足説明をしてくれるのは良いのだが、根本的なところがわからない。
 四霊と呼ばれるものはラルクベルク達が知る四神と似た存在であるらしく、この世界に生きる生物の魂をエネルギー源として世界を覆う結界を張り、波と呼ばれる世界の融合現象が起こらないようにするのを役目としているのだとか。であれば、より多くの人命が失われるよう権力者を誑かし悪政を敷かせるという行動は理解できる。しかしそれは人間側から見れば大問題だろう。にもかかわらず、人間である尚文達と霊亀が協力関係にあるとはどういうことなのか。相反する立場にあるはずの者達が手を取り合わねばならない状況だとでも言うのだろうか。
「そもそも俺達はどこのどいつを捕まえようとしてるんだ?」
 テリス用に作られた腕輪の代価として『ある男』を捕らえるために協力してほしいと言われたラルクベルク達だが、その対象について二人は未だ捕縛理由どころかどんな容姿をしているのか、何と言う名前なのかすら知らされていなかった。何も聞かずに協力してほしいとは言われていたものの、それでもある程度の情報は必要だろう。
 問われた尚文は顎に指先を這わせ、「そうだな……そろそろ教えておくか」と呟く。
「ここまで来たらどこのどいつか知った途端に島から出て行く≠ネんてことにもならないしな」
「おいおい坊主、まさか俺達が約束を反故にして逃亡するってお前が考えちまうくらいヤバい奴が相手なのか?」
 場合によってはテリスを引き摺ってでもこの場から離れなければならないかもしれないと内心で警戒しつつラルクベルクは問う。が、その問いかけに対し尚文は首を縦ではなく横に振った。
「いいや、その逆だ」
「なに?」
 ラルクベルクの赤い双眸と、おまけに馬車の中からテリスの青い双眸が揃って尚文に向けられる。尚文は目的地があると思しき方向を睨み付けて憎々しげに、吐き捨てるように言った。
「霊亀を操って好き勝手しようとしている馬鹿がいる。そいつは殺した人間の魂を結界生成のためには使わず、私利私欲のために使おうとしてるんだよ」翡翠色の双眸が再びラルクベルク達を見る。「この世界の住人にとって迷惑極まりない野郎だろう?」
「だからこの世界にいる俺達も逃げるどころか何とかしなくちゃならないと思っちまうってことか」
 自分達が異世界の住人で、さらに四聖勇者を殺してこの世界を滅ぼそうとしているとは考えもしないであろう尚文に、ラルクベルクはそう答える。信頼されているのだと思うと心苦しい。
 気まずさからラルクベルクは視線を外し、前を向いて「よし」と拳を合わせた。こちらの言葉に尚文が肯定を返したわけではないことに気付かぬまま。
「それなら霊亀が協力してくれてるのも理解できるぜ。本来自分がやらなきゃいけない使命が阻害されてるってことだもんな。となるとこれは霊亀内での待ち伏せ作戦になるのか?」
「いや、どちらかと言えば囮作戦だな。待ち伏せも何も、すでに野郎は霊亀の中に侵入しようと頑張っている最中だし」
「…………はあ!?」
 思わず声を裏返らせてラルクベルクは尚文を見やった。
 軽快に馬車を引くフィーロの速度はかなりのものだが、それでも今回の計画の全容を把握しているらしい尚文から焦りの気配は感じられない。
「いつ来るかもわからない相手をずっと霊亀の傍で待ち伏せているのは時間の無駄だろう。同時進行で他にやらなきゃいけないこともあるしな。だからオスト……霊亀の人型に頼んで、侵入者を感知したら俺に連絡が入るようにしてもらっていたんだ」
 だから島で自分達に声をかけたのも急だったのか、とラルクベルクはここに来るまでのことを思い返す。
 レベル上げに行こうとしていたところ突然声をかけられてポータルスキルでここまで連れて来られたのだ。約束通りある男の捕縛を手伝ってもらうぞ、と。
「間に合わなかったらどうするつもりだ」
「間に合う確証があるからこういう方法なんだよ。前に一度、霊亀内部に侵入されかけてな。そこから必要な防御機構と、それを破るのに野郎がどれくらい時間をかけるのか算出したんだ」
 だからこの調子なら十分間に合うと告げる尚文をラルクベルクは信じられない心地で眺める。
 彼の行動はあまりにも先を見通し過ぎていて、まるで未来でも知っているかのようだ。先程の台詞の中にあった「同時進行で他にやらなきゃいけないこと」もおそらくはカルミラ島でもうすぐ発生する波への対処だろう。一体尚文は何を知っていていつからどれほどのことを準備してきたのか。
「……坊主は何者なんだ」
「最初に言ったぞ。盾の勇者の岩谷尚文だって」
「いやそのネタはもういいから」
「ネタじゃないだが」
 尚文が半眼で呻いた。手綱を握る腕には今も中央に緑色の宝石がはめ込まれた銀色の盾が装備されている。彼が盾以外の武器――そもそも盾を武器に区分していいのかは不明だが――を使っているところは終ぞ見たことが無く、徹底しているなぁと思ったのは記憶に新しい。
 もし本当に隣にいる青年が盾の勇者本人であるならば、ラルクベルク達は彼を殺さねばならない。この世界と融合しようとしている自分達の世界を存続させるために。
「……俺は坊主が盾の勇者だなんて信じないからな」
「お前も頑なだなぁ」何故かほんの少し嬉しそうに翡翠色の双眸が細められた。「まぁいいさ。ラルクがそう思いたいなら」
「坊主……?」
「っと、あとは容姿と名前についても教えておかないとな。見つけ次第すぐに捕縛してもらわなきゃならないわけだし」
 笑みにもなりきっていないような表情は瞬きの間に消え去り、尚文がいつも通りの仏頂面で前を向く。先程の表情の意味を問うタイミングを逃したラルクベルクは仕方なく黙ってその続きを待った。
「まず目に付くのは髪かな。白髪もしくは銀髪のロングでバサバサ。色白で顔は整っている方だろう。ただし目が淀んでいて、何と言うか根暗で陰湿っぽい野郎だ」
「褒めているのか貶しているのか」
「俺は単純に事実を述べているだけだが?」
 誇張表現はしていないし何ら間違ったことも言っていないと尚文の目が告げている。改めて考えるまでもなかったが、どうやら尚文は目的の人物を大層嫌っているらしい。
 ただし尚文が抱く好悪以外の部分でラルクベルクは少し思うところがあった。
(思い当たる人物が一人いるんだよな……。アイツのはずは無いんだが)
 その男はラルクベルク達の世界の住人で、本の眷属器の所持者だった。しかし眷属器の勇者としての使命を放棄し、眷属器を権力の証として私利私欲のために力を使い世界を支配せんと企んだのだ。そのため今ではラルクベルクを含む『正しいことのために眷属器の力を揮う者達』からは敵として認識されている。今どこにいるのかわからないが、見つけ次第捕縛もしくはその場で殺害すべき対象だった。
 その男の名は――

「そいつの名前はキョウ=エスニナ。ここではない世界からやって来た『本の眷属器の勇者』だ」

「………………は」
 一瞬、ラルクベルクの呼吸が止まった。馬車の中のテリスがどんな表情をしているのか確認する余裕も無い。
「キョウ=エスニナ……?」
「ああ」
「異世界の、本の眷属器の勇者」
「勇者とは言ったが、正しくは所持者ってところか。眷属器を無理やり従わせてるっぽいし」
 呆れ顔で尚文がそう付け加える。
「あの野郎からすればこの世界なんてそのうち滅ぶんだから好き勝手しても構わないものなんだろうな。だがそれで霊亀を弄られた挙句、こちらの世界の人間を虐殺されたらたまったもんじゃない」
「……それで捕縛、か」
「どう考えても勇者の適性が無いのに眷属器を従わせている方法も気になるし、可能であれば捕縛して尋問して全部吐かせたい。無理なら――……まあ、言わなくてもわかるよな」
 ラルクベルクは無言で頷く。
 自分達の世界の住人であるキョウが本当にこちらの世界の守護獣を操り甚大な被害を出そうとしているのか、尚文の話を聞いただけで信じるわけにはいかない。あの男ならやりかねないという思いはあるが。ともあれ、それがもし本当であるならば、尚文が言う対応方法は妥当と判断して構わないだろう。
 ただしその決定を下し、今もこうしてラルクベルク達を伴って霊亀の内部へと向かっている彼の立場がどんなものなのか、その正体は何なのか、深く考えることは感情が拒絶した。キョウを止めることはラルクベルク達の望むところでもある。だからこそ今はそれに集中し、尚文が自分達の敵かも知れないという可能性は頭の中から排除したかった。
「どうした、ラルク」
「いや、何でもない。とにかく概要はわかった。俺とテリスも存分に力を揮わせてもらうぜ」
「期待している」
 こちらを信頼していると声だけでわかるような返答にラルクベルクの胸が痛む。まるで自分が世界で一番の極悪人になったような心地だった。



[chapter:27]

 霊亀の体内のまだ浅い所でラルクベルク達はキョウ=エスニナを捕縛することに成功した。キョウの企みが尚文の言った通りであったことは本の眷属器からラルクベルクとテリスに直接伝えられ確証を得られたのだが、その後すぐキョウが得意げにぺらぺらと喋ってくれたおかげで容易く全員が知ることとなった。
 またキョウはラルクベルクとテリスの顔を見て、さらに二人が尚文達の側についていることを知って、自分達が同じ世界から来た者であることを口にしようとしたのだが、尚文達にそれを知られる前に気絶させられたのは僥倖だっただろう。ラフタリアは何かに勘付き、しかし主人である尚文の反応を見てラルクベルク達への追及は避けた……ようにも見えたのだが。
 そして捕縛したキョウは装着した者の力を大幅に制限する拘束具を両手足に取り付けられ、メルロマルクから来ていた使者に身柄を引き渡された。城に到着し次第、尋問して知っていること全てを吐かせる予定らしい。
 なお、万が一尋問の最中に死亡するようなことがあった場合には、精神だけの状態で逃亡して別の肉体に宿ることが無いよう、近くに配置したソウルバキューマーという魔物がキョウの魂を喰らい尽くす手筈となっている。ラルクベルク達が知っているソウルイーター――『魂食い』とも呼ばれる――と同種の能力を備えているものの、見た目は巨大なミミズだそうで、凶暴性も低いらしい。フォーブレイという名の国では重罪人を処刑した際にソウルバキューマーに吸わせて魂まで葬るという極刑に使われているとのことだ。
「さてと。次はカルミラ島の波だな」
 キョウを乗せた馬車が西へと遠ざかっていくのを見送って尚文が独りごちた。
 霊亀の復活と暴走を未然に防ぐことができ、肩の荷を下ろしたのも束の間。今度は波の発生が近付いてきている。そう、ラルクベルク達の本来の目的を果たす時が。
 ラルクベルクは尚文の盾に視線を向ける。緑色の宝石は戦闘による汚れなど一切関係無いとばかりに美しく輝いていた。自身の鎌についている宝石と似たような見た目のそれにラルクベルクは眉根を寄せ、盾の坊主が盾の勇者であるもんか、と胸中で幾度目かの呟きを繰り返す。
 尚文が盾の勇者であるなど信じられるはずがない。もし彼が四聖の一人なら、次の波で自分達は彼を殺さなくてはいけないのだから。
 翡翠色の目をしたこの青年にラルクベルクが惹かれていることはもう誤魔化しようがなかった。それが親愛を向ける対象としてなのか、愛欲を抱く対象としてなのかは自分自身でもわかっていない。ただ特別な存在になりつつあることは確かだ。
 ラルクベルクは腰に差した鎌に触れる。四聖勇者とは違い、眷属器の勇者は異世界に乗り込んでその世界の四聖勇者を殺すことができる。そのために異世界渡航が許可されていると言っても過言ではないだろう。
 こちらの世界より自分達の世界の方が大事だ。だからこそこちらを滅ぼし、自分達の世界を守らなくてはならない。波が起こっている最中に世界の要石たる四聖を殺して。
(だから)
 ――どうか、どうか。彼が盾の勇者ではありませんように。
 ポータルで島に戻るぞ、と宣言する尚文の顔を見つめてラルクベルクは強く願った。


「ナオフミ様、ラルクさんとテリスさんのことですが……」
 無事にキョウ=エスニナを捕縛した後、カルミラ島に戻って来たラフタリア達は夜を迎えて宿泊先の部屋にいた。戦闘した後だと言うのに――とは言っても、霊亀を暴走させて得たエネルギーが無い限り、キョウそのものに強敵と言えるほどの力は無いのだが――フィーロは海で泳いでくると言って出掛けてしまっている。
 部屋にはラフタリアと尚文の二人のみ。こちらも休息ではなく薬の調合を始めようとしている主人の背中にラフタリアは語り掛けた。
「おそらく波のボスを倒すまでは大丈夫だ」
「ッ!?」
 全て言わずともわかっているらしい尚文の言にラフタリアは息を呑む。
「今日の言動じゃあ俺が盾の勇者だってことはまだあいつらの中で確定していない。……いや、薄々わかっちゃいるが、否定しているってところか」調合の手を止めないまま彼は続ける。「だが波での戦いとなればそうもいかないだろうな。今度は女王本人も出てくる予定だし、となれば俺が盾の勇者だというのも国そのものが証明していることになる。そうしたらラルク達も認めざるを得ないだろう」
「そうしたら、あの方達は……」
 言いよどむラフタリアに尚文は椅子に座ったまま振り返った。
「異世界の眷属器の勇者として俺を殺しに来るだろうさ」
「ナオフミ様! それは――」
「大丈夫だ」
 何が大丈夫なものか。共に戦ったからこそ彼らがかなりの実力者であることはラフタリアも承知している。その二人が敵に回る? 尚文の命を狙う? とても平静ではいられない。
 言葉が喉に詰まってただ首を横に振るしかできないラフタリアに尚文は苦笑を浮かべた。そんな優しそうな顔をしないでほしい。裏切られるとわかっていて、どうしてそんな顔ができるのか。いや、そもそも彼は裏切られることを知った上で彼らと交流を深めたのか。
 ミレリア女王がメルロマルクに帰還して以降、異世界の眷属器の勇者がこの世界を滅ぼし、自身の世界を存続させるつもりで四聖勇者の命を狙う可能性があることは、ラフタリアや女王などごく少人数に限って尚文から事前に聞かされていた。眷属器の勇者のその認識がおそらく誤りであることも含めて。だからこそキョウの言動にもラフタリアは細心の注意を払っていた。
 そんな中、気付いてしまったのはラルクベルクとテリスが尚文の敵になり得ると言う可能性。あの二人はおそらくキョウと繋がりがある。仲間と言うほどではないにしろ、少なくとも同じ世界の住人ではあるだろう。二人がキョウのようなろくでもない人格の持ち主だとまではラフタリアも考えていないが――そもそもそんな人物達であるなら尚文がまずあそこまで仲良くしようとしないはず――、この地で築いた絆より眷属器の勇者としての使命を優先させる方を選びそうではある。その真っ直ぐな性質ゆえに。
 尚文の思惑、彼がラルクベルク達に向けていた偽り無き信頼、ラフタリアもまたラルクベルク達を信頼していたこと、ラルクベルク達の真実――。それらがない交ぜになって今にも胸が張り裂けそうだ。
 唇を噛むラフタリアの様子に尚文は眉尻を下げた。
「ラフタリア」
 おいで、と手で示される。
 彼の足元で膝を折り、いざなわれるまま腿に頭を乗せた。男の人の、硬くて、けれども大して太くもない脚だ。まだこの身体が小さかった時には抱き上げられ、幾度も膝に乗せてもらった。悪夢を見て夜泣きするたびに抱き締めてもらったこともまだしっかりと覚えている。
 身体が大きくなってからは過度の接触も控えめになっていたが、今だけは幼い頃のように彼に触れていたい。
「ナオフミ様、私は……」
「ああ」
「貴方に言われた通り、自分で見て、聞いて、考えて、お二人を信頼しました。仲間だと思いました。できれば波が終わった後もナオフミ様の仲間として共に行動できれば良いのにとも思っていました。ナオフミ様があんなにも心を許す相手なんてそうそういませんから」
「そうか。ありがとう、ラフタリア」
「ですが……」
 ラフタリアの髪を尚文の手がそっと撫でていく。心地良いのに、悲しくて涙が出そうだ。
「今度はあのお二人が敵になるんですね」
「あいつらは強いぞ。特に波が起きている間は――」
「あちらの世界とこちらの世界の強さが合算される、ですよね」
「よく覚えていたな。でもお前とフィーロがいれば大丈夫。それに目的は勝つことじゃない」
「……え?」
 尚文の腿に頭を乗せたままラフタリアはぱちりと瞬いた。溜まっていた涙が目尻から零れ落ち、それを尚文の指が優しく拭っていく。
 見上げた先にある翡翠色の双眸はほんの少し悪戯小僧のような光を宿してラフタリアを優しく見下ろしていた。
「波で俺が何をしようとしてるのか先に全部教えておく。大丈夫だ。きっと上手くいくさ」



[chapter:28]

 波のボス――次元ノ勇魚の死骸を足場にしてラルクベルクは尚文達と戦っていた。
 こちらはラルクベルク、テリス、そして自分達の世界の方で波のボスを倒し終えたグラスが合流し、計三人。尚文達の方は剣、弓、槍の勇者を騙る者達が現れたものの力不足も良い所で、唯一、盾の勇者――岩谷尚文だけが仲間の二人と共に立っていた。
 最早彼が盾の勇者を名乗る偽物であると思い込むことはできない。メルロマルクの女王までもが彼を「イワタニ様」と呼んだのだから。
 ゆえに、ラルクベルクは盛大に痛みを訴える己の心臓を無視して尚文に鎌の切っ先を向けた。
 未だ波の亀裂が開いたままであるため自分達の力は圧倒的に強くなっているはずなのに、尚文達は一歩も退かない。それどころか魂癒水を使って魂人(スピリット)であるグラスを強化してもなお、ラルクベルク達は勝利を得られていなかった。
 黒炎を放つ禍々しい盾を構えた尚文が強化されたグラスを前に何とか踏ん張っている。……という状況のはずなのだが、どことなく尚文には余裕があるようにも見えた。これは力量の差ではなく他に何かある。はっとしたラルクベルクがグラスに注意を促そうとするが――。
「イワタニ様! お受け取りください!」
 メルロマルクの女王が魔法で何かを投げ飛ばしてきた。それを一瞥した尚文が待ってましたとばかりに口の端を持ち上げる。
 良く見れば、投げ込まれた何かは樽だ。合わせて尚文は「流星盾!」と叫んで防御結界を張り、仲間達をその内側に庇う。直後、足場となっている次元ノ勇魚の死骸の上で樽が爆弾のように炸裂した。
「――ッ!?」
 息を呑むラルクベルク。
 咄嗟に顔を腕で庇うが、広がったのは爆風や閃光ではない。赤い霧が一瞬で周囲を満たし、強烈な酒の匂いが肺を侵してきた。脳みそがぐらぐらと揺れ、まともに立っていることすらできなくなる。それでも赤い霧で視界を遮られながら必死にテリスとグラスの様子を窺えば、彼女達はラルクベルクと同様にふらつき、なんとか正気を保とうと顔をしかめていた。
 今ここで外部から攻撃を仕掛けられてはたまったものではない。女王と共に現れた帆船は粗方沈んだか航行不能となっていたが、万が一誰かが魔法や遠距離攻撃を打ち込んできた場合には避けるのが難しいだろう。それに何より尚文だ。絶対酒に酔わない彼は「通常のものより大型で中身もたっぷり詰まった特製のルコル爆弾だ。これじゃあまともには戦えないな」と、酩酊しかかっているラルクベルク達とは一切異なるはっきりとした口調で霧の中を歩いていた。
(くっ……まずい)
 このままでは一気に逆転されてしまう。
 禍々しい盾を構えた勇者がまずはグラスに近付き――……否、違う。尚文の盾が普段のものに戻っていることに気付いてラルクベルクは目を丸くした。「なんで」と呟くラルクベルクに一瞬だけ翡翠色の目が向けられ、すぐにグラスへと戻される。
「グラス、おい、しっかりしろ」
「っ、なんの……つもりですか……」
 尚文が取り出したのは魂癒水。それを少量グラスにふりかけ、彼女の意識を正気に戻す。それでもまだまだ足りなかったが、まともな会話をする程度には回復していた。
 酔いでその場に座り込んでいるグラスに合わせ、尚文もまた彼女の前で片膝をつく。そうして魂癒水に引き続き取り出されたのは、小さな棘がたくさんついた手のひら大のボールのような何かだった。
「受け取れ」
「これは、」
「種だ」
「た、ね?」
「バイオプラント……まぁとにかく、俺が勇者の能力で性能を弄った特別な植物の種だ。地面に蒔けば瞬く間に成長して驚くほど巨大化する」
「私に、こんな物を渡して、なん……の、つもり、ですか」
「必要になるから渡しているんだ。それと、これも。こっちは除草剤だ。バイオプラントが役目を終えたらこれを使ってすぐに枯らしてくれ。必要以上に増殖させると厄介なものだからな」
 赤い霧のおかげで周囲から様子を窺えないのを良いことに、何故か敵対していたはずの尚文が次々とグラスにアイテムを分け与えている。ただし使い処のわからないものばかりだ。グラスは頭上に疑問符を浮かべているが、ラルクベルクも全く同じ気持ちである。尚文は一体何がしたいのだろうか。
 ともあれグラスに二つのアイテムを無理やり受け取らせた尚文は、次いでこれからが本題だと言わんばかりに真剣な表情で彼女を見つめた。数歩後ろでは主人の意図を理解しているらしいラフタリアとフィーロが尚文の張った結界の内側で静かにその様子を見守っている。
「この二つがお前の大切な奴……絆を助ける手段になる」
「!? どうして彼女の名をっ!」
 絆――風山絆はグラスにとってとても大切な少女であり、そしてラルクベルク達の世界の四聖勇者の一人、狩猟具の勇者だ。しかし現在は行方不明となっており、グラスが必死になって捜索していた。
 そんな少女の名前が縁もゆかりもないはずの盾の勇者の口から出たことでグラスが最後の力を振り絞るように殺気立つ。しかしそんな彼女とは逆に、尚文はやや呆れたような口調で「落ち着け」と静かにグラスをなだめた。
「アイツは俺のことを知らない。だが、俺にはアイツを助けるための理由がある。だからお前にこれを託すんだ」
 グラスを見つめる翡翠色の双眸は決して嘘を言っているように見えない。真剣に、心から、敵であるはずの狩猟具の勇者を想っている者の姿だった。
 怒りと警戒で吊り上がっていたグラスの眉がやや下がり、尚文に先を促す。まだ赤い霧は晴れない。くらくらとした頭でラルクベルクもその成り行きを見守った。
「お前達の世界に『無限迷宮』という牢獄があるだろう? 絆はそこに落とされている。脱出する方法はこの種を持った者が無限迷宮内の絆と合流し、最も狭いと思われる空間でこの種を蒔くだけ。そうすれば巨大化したバイオプラントが空間を圧迫して絆ごと外の世界に弾き出すはずだ。あそこは空間内に存在する物体の質量が許容量を超えるとそれを外に排出する仕組みになっているからな。で、外に出られたら除草剤でバイオプラントを枯らしてお終い。わかったか?」
「貴方は何故そんなことを知っているのですか……」
 疑いの眼差しでグラスは渡されたアイテムと尚文を交互に見遣る。
「それを言って信じてもらえるとは思っていない。だがグラス、お前は俺にこう言われて試さずにはいられないはずだよな。やっと得られた絆への道だ」
「くっ……確かに、そうですね」
 頷かざるを得ないほどにグラスにとって風山絆とは大切な少女なのである。それを知っているからこそラルクベルクもテリスも何も言えない。それにやはり尚文が嘘を言っているようには、どうにも思えなかった。
「そうそう。そして絆を無事助け出したら、異世界の四聖を勝手に殺そうとしたお前ら全員、アイツにしこたま怒られちまえ」
 ふっと口元に小さく笑みを刻んで尚文が立ち上がる。絆を良く知っているような口ぶりに再度グラスが訝しげな視線を向けたが、彼が理由を話すことはやはり無かった。
「さて。そろそろ制限時間が――……ああ、表示されたな」
 視界の端に表示されたカウントダウンはこの戦いの終わりを示している。ラルクベルクだけでなく尚文の方にもそれが見えているのだろう。
 立ち上がった尚文は魂癒水の残りをグラスに再度ふりかけて彼女にも立つよう促した。扇で風を起こして霧を払えば良いというアドバイスつきだ。
「霧を晴らしたら悔しそうな顔で撤退してくれ。こちらも追いはしない……と言うか四聖は異世界まで追いかけられないからな。忙しい別れになるが、まあ、上手くやれよ」
「……感謝の言葉は言いません。まだキズナを助けられると決まったわけではありませんから」
「それでいい。俺はお前達が無事に絆を助け出した後アイツに怒られる姿を想像して笑っておくさ」
 尚文のその台詞にはノーコメントを貫き、グラスが扇の眷属器を構える。彼女が風を起こす寸前、尚文はどこか諦め混じりの微笑みを浮かべてグラス、テリス、ラルクベルクを順に見遣った。
「いつかまた≠ィ前達と仲間として戦えるのを楽しみにしている」
 またとはどういう意味なのか。尋ねる前に赤い霧は風によって吹き飛ばされる。
 酩酊した頭のまま、それでもラルクベルク達は風山絆を助け出すための手段をしっかりと頭に叩き込み、亀裂の向こう――自分達の世界へ帰還した。



[chapter:29]

「尚文さんに合わせる顔がありません」
 波のボスである次元ノ勇魚相手に大した活躍もできず――とどめを刺したのは国が募った冒険者の一人と尚文の仲間であるフィロリアルクイーンだった――、さらにはボスを倒した後に正体を現した異世界からの侵略者の攻撃を一発受けただけで敗退。そんな情けない結果に終わってしまった今回の戦いを振り返り、樹は深く項垂れていた。
 異世界から来た三名の侵略者については国が掴んでいる限りの情報の開示があったのだが、実はほとんど頭に残っていない。それよりも樹、錬、元康の三人を役立たずと叱りつけるどころか見向きもせず女王との会談に入ってしまった尚文の後姿が忘れられず、絶望が足の先からじわじわと這い上がってくる感覚に恐怖と吐き気を覚えていた。
「強くなれたと思ったのに」
 樹の呟きにつられて錬もまた暗い表情のまま悔しさにまみれた言葉を吐き出す。泳げないながらも尚文のためだと必死に戦っていた錬。だがラルクベルクという名の侵略者の一人が放ったたった一度の攻撃で遠くへ跳ね飛ばされて海へ落下。小舟に乗っていた他の冒険者に救出されて、あとはずっと気絶したまま終わりを迎えた。
「まさかあの男が敵だったなんて……! くそっ」
 手も足も出なかった相手と何やらちょっとした因縁があるらしい元康がギリギリと奥歯を噛み締める。
 彼の呟きの内容と尚文の戦闘中の言動から察するに、侵略者と盾の勇者一行、そして元康は顔見知りで、しかも前の二組はそれなりに交流を持っていた様子。つまり尚文は親しくしていた相手に裏切られた形となっている。それだけで尚文を慕う樹達は自分達の大切な人が裏切りに苦しんでいないかと心配になり、また裏切った者に怒りの念を抱いた。ただし怒りを爆発させるには、自分達の不甲斐なさが重石のように邪魔をして表に出せないままでいる。
 示し合わせたわけでもないのに「「「はあ」」」と三人同時に溜息が漏れた
 そんな三人がいるのはカルミラ島でのレベル上げで拠点にしていた宿泊先のロビーである。波での戦闘に合わせ、今は急ごしらえの治療院として使用されていた。女王と尚文の会談は同施設の別室で行われているのだが、そこへ突撃する気力は今の自分達には無い。
 勇者と言うこともあり優先的に治療を済まされた三人は人目を避けるようにして端の方で座り込んでいる。各々の部屋に戻っても良かったのだが、まだ仲間の方が治療中であるためこの場に残っていた。
「次の波でもこんな状態だったら……」
「考えたくありませんね」
 錬が落とした不安の声に樹は固く目を閉じてかぶりを振った。
 もし次の波でも役立たずだったとしたら――。尚文がどんな反応をするのか、考えることすらしたくない。今でさえ言葉をかけることなく女王との話し合いを始めてしまっているのだ。このまま失態を続ければ、自分達は彼にとって完全に『要らないもの』となってしまう。
 優しい尚文がそんな判断をするはずがないと思う気持ちもあったが、声すらかけてもらえなかった今回の所為でその思いはとても弱いものになっていた。
「尚文さんみたいにちゃんと強くならなきゃいけないのに」
「ラフタリアちゃんとフィーロちゃんが特別強いってのもあるけど……尚文自身もかなりのもんだよな」
 元康の言う通り、盾の勇者一行の活躍は同行者の強さもさることながら尚文自身の能力の高さも関係している。
「だがレベルの差はほとんど無いはずだ」
 レベル上げに執心しているきらいのある錬が告げた。
 確かに、カルミラ島ではレベルが70を超えた辺りからレベルアップが遅くなり、最高で80程度となっている。いくら尚文達がこの島へ来る前にそれなりのレベルだったとしても、また昼夜問わずレベリングしていたと思しくても、ここで樹達がほぼ追いついたことは疑いようもないだろう。
「レベル以外の要因で強くなったとか……?」
 元康が顎に手を当てて考え込む。
 その姿を見て樹の脳裏によぎったのはゲームから得た強化に関する知識である。それすら樹はきちんと実践し、今の自分が可能な最高の状態にまで高めていた。と言うことは、もしかして他に何かあるのだろうか。『ディメンションウェーブ』では実装されていなかった強化法が。
「お二人とも、レベル上げ以外の強化法って試してますか」
「ん? 当然だろ」
「ああ。勿論」
 樹の問いかけに元康も錬も頷く。だがその強化法を実践していても自分達はこの程度の強さしか得られていない。
 となれば、やはり尚文は自分達の知らない方法で自分と仲間を強化しているのかもしれないと思いつき、樹は続けた。無論、三人が思い浮かべた強化法が全く異なるものであるとは考えもせず。
「最早格好つけていられる場合ではありません。ここは恥を忍んで尚文さんに彼の実践している強化法を教えてもらうしかないでしょう」


 ミレリアが尚文との会談を終え部屋を出ると、そこには槍、弓、剣の勇者が待っていた。「キタムラ様、カワスミ様、アマキ様、どうかされたのですか」とミレリアが問えば、三対の視線は彼女から尚文へと移り、強化法について教えてくれないかと頭を下げてきた。
 自分の目線より下になった三色の頭を眺めてミレリアは思う。ちょうど良いタイミングではないだろうか、と。
 視線を横に移せば尚文もまた三勇者の下がったままの頭を一瞥し、次いでミレリアと目を合わせる。
 先程まで二人は今回の戦いと異世界からの侵略者について話し合っていた。とは言ってもそのほとんどは予定されていた内容が計画通りに進んだことを確認し合う程度でしかない。
 そう、ミレリアは最初から知っていたのだ。今回の波に合わせて侵略者もとい異世界の勇者が正体を現すこと。その異世界の勇者達が決して性根の腐った者達ではないこと。彼らを撤退させるための手段が尚文にはあること。そしてラルクベルク達に三勇者を殺させるのを防ぐため、かつ尚文の計画を三勇者に邪魔させないため、北村元康、川澄樹、天木錬の三人には特別な強化法を教えないこと≠。
 事情を知らない三人に中途半端に強くなられてラルクベルクに『勇者』として認定され命を狙われるのも、異世界の勇者達を上手く撤退させる計画を邪魔されるのも、尚文は酷く嫌がった。それに尚文はこうも付け加えている。「アイツらはこの世界をゲームだと思い込んだままだから、俺がアイツらの知っている強化法とは別の方法を提示しても信じないかもれない」と。
 尚文を慕っている三人であればそのようなことはないのでは……とミレリアは思ったが、当人には色々と思い当たる節がある様子。渋い顔をして「少なくともカルミラ島の波が終わるまではお預けだ」と続けたことから、いずれ四人の勇者全員が強くならなければいけないと承知しているのはミレリアにも十分伝わってきたので、それ以上こちらから何かを言うことは無かった。
 そんな事情があったため、これはちょうど良いタイミングなのだ。
 言葉で伝えずとも尚文は理解してくれたようで軽く頷きが返される。
「イワタニ様、このまま勇者様方でこちらの部屋をお使いになられますか?」
「ああ。女王も同席するか?」
「そうですね。お願いいたします。……勇者様方、どうぞこの部屋でお話になられてください」
 頭を上げた三人に向かって自分達が使っていた会議室を手で示す。彼らからホッとしたような気配が漂ってきた。これなら尚文が最初危惧していたような『強化法を教えられても信じない』という展開は起こらないかもしれない。
 尚文、元康、樹、錬、そして最後にミレリアが入室し、会議室は先程よりも人口密度が増した状態で扉が閉められた。
「さて」
 円形のテーブルに五人が腰掛ける。
 ミレリアの隣にはこの場を取り仕切るように声を発した尚文。そして等間隔に設置された残りの椅子に三勇者が着席していた。
「俺がレベル上げ以外に行っている強化法があるなら教えてほしいとのことだったが」翡翠色の双眸が順に三人の勇者を一瞥する。「まずお前らがどんな強化法を行ってきたのか話してもらえないか。俺が教える代わり……と言うわけじゃないが、どうせならこの辺で情報共有といこう」
「僕達の強化法……ですか?」
 訊ねたのは樹だったが、他の二人も彼と同じく不思議そうな顔をしていた。
「そんなものは全員が知っていて当然のことだろ? 尚文、俺達はお前だけが知っている特別な強化法を知りたいんだ。最初から色々知ってたお前に今更俺達が教えられるものなんて無い」
 元康が樹の後に続く。
 その言葉に尚文は「俺だけが知っている特別な強化法、ねえ」と含んだような物言いで呟くと、勇者の中で最年少である錬に視線を向けた。
「錬、どうなんだ? お前も樹や元康と同意見なんだろうが、とりあえずお前がやってきた強化法について話してくれないか。もしかしたらそれは俺の知らない方法かもしれない」
「わかった。尚文がそう言うなら」
 随分と尚文を慕っているらしい錬が素直に頷く。
 もし本当に自分の強化法が尚文の知らないものだったとしたら、彼に教えを乞う対価になるし、何より彼の役に立てる……。僅かに持ち上がった口元からミレリアはそんな錬の思考を読み取った。
 三勇者全員が尚文に好意的だが、錬はそれが特に著しい。しかも元康のように対等な立場として好意を持って接していると言うよりは、どことなく子が親を慕うような、もしくは言い方は悪いが相手に依存しているような、そんな様子が見受けられる。今の状況も小さな子供が親に褒められたくて自分の知識を披露しようとしている、という風に見えなくもない。
 ミレリアがそのように捉えているとは知りもせず、錬は真っ直ぐ尚文を見つめて口を開いた。
「この世界は何よりもレベルが重要だ。レベルさえ高ければ大抵のことはどうにでもなる。……と思っていたんだが、今回の波での戦いを踏まえるに、俺がプレイしていたゲームより強化法の重要性が増しているんだろう。その強化法だが、まず、武器を強くするために熟練度というものがあって――……」


 強化法に関する情報の共有は失敗に終わった。
 最初に尚文から言われて錬が話し始めたのだが、彼の提示した強化法に他の二人が反論したのだ。そして各々自身が行ってきた強化法について競うように解説しだしたのだが、三人が三人ともそんな強化法は無いと大声で相手を否定。終いには「嘘を吐くな! すぐばれる嘘までついて尚文の前で恰好をつけるんじゃない! 教えを乞う対価として差し出せるものが無いならそう素直に言え!」といった意味の言葉を口々に怒鳴り合い、喧嘩別れになってしまったのである。
 怒り心頭で槍、弓、剣の勇者が部屋を出て行った後、残された尚文は頭痛を耐えるようにこめかみを押さえて「あの馬鹿共が」と呻いた。
「やっぱり駄目だったか」
「初めからイワタニ様がお一人で説明した方が彼らも聞き入れたのではないでしょうか」
 後の祭りだとは承知の上でミレリアが告げる。あれだけ三人に信頼されている尚文であれば、まだもう少し穏やかに情報共有が進んだ可能性は高い。
 しかし翡翠色の双眸をミレリアに向けた彼はいまいち信じきれていない様子で「そうか?」と首を傾げた。
「確かに、それなりに慕われているとは思っているさ。だが俺が言えば何でも信じ込むってレベルじゃないだろう。基本的にアイツらは自分が異世界転生系俺tueee主人公だと思っているはずだからな。他人の意見なんて二の次三の次だ」
「そうなのですか……?」
 一部意味を解せない単語が混じっていたが尚文の言いたいことは伝わったのでミレリアはそう返す。
「ああ。そもそもあの三人に限らず、人なんてものは真っ白な状態であれば教えられた通り吸収できるが、最初に少しでも知識があると他の全く違うように見える情報は受け入れにくいものだろう。実はそこにまだ追加要素があったなんて柔軟に理解できる奴は少数だ」
「ですから、いくらイワタニ様が説明しようとも、お三方が聞き入れる可能性は低かったと?」
「女王がどれだけ俺のことを高く買ってくれているかに関してはコメントを控えるが、まぁそういうことだ。アイツらが全く把握していなかった種類の情報……例えばメルロマルクが女王制だとか、そういった文化や政治的なことは素直に聞いてくれたが、強化法という事前知識がしっかりある分野じゃそう簡単にはいかない。……それこそ一度痛い目を見ないといけないのかもしれないな」
 最後は独り言のように、その『痛い目』が具体的に何なのかもわかっているような口ぶりで尚文は呟く。
「……いや、霊亀の件はもう片が付いたし、痛い目を見る機会すら失われてしまったのか?」続くこちらは完全に独り言だろう。「強化法を十分に実行できていない状態でこのまま波を乗り切るなんて不可能だろうし、やっぱり俺が根気よく説明していくしかないのか」
 尚文はぶつぶつと呟き、最後に「面倒臭い」と溜息を吐いた。
「そう言いつつもイワタニ様は彼らが理解し受け入れるまで説明してくださるのでしょう?」
「……それが俺の大切なものを守るためになるからな」
 憮然とした表情で返す尚文。世界を守るためではなく、その世界にいるごくごく少数の者達の命と居場所を守るために彼は盾の勇者として戦っている。ミレリアは彼の行動に便乗する形で女王としての責務を果たしているだけだ。それは最初からわかっていることなので、この場で眉をひそめることもない。
 非難する代わりにミレリアの唇を割って零れ落ちたのは心からの言葉だ。
「どうかよろしくお願いいたします。四聖勇者様四人のお力で、この世界を襲う災厄から我らをお守りください」
「可能な限りの支援は頼むぞ」
「無論です」
 国としての支援、それから七星勇者達の協力も取り付け、世界全体で災厄に対抗しなければこの世界は守りきれない。
 かつての功績など見る影もなくなってしまった自身の夫のことがちらりと脳裏をよぎり、こちらも何とかしなければと思いつつ、ミレリアは深く頷いた。
 ともあれ、槍、弓、剣の勇者に関しては尚文が根気強く説明しに回ることになったのだが――。


「……………………は?」
 長い沈黙を挟み、尚文がドスの利いた声を発した。
 カルミラ島を襲った波は終了したが、活性化はまだ終わっていない。ゆえにもう少し四聖勇者とその仲間達はこの島でレベル上げに勤しみつつ同時にバカンスも楽しみ、身体を休めるはずだった。しかし尚文の目の前にいるのは槍、弓、剣の勇者ではなく、彼らに付いていたもののポータルスキルにより追跡を振り切られてしまった三人の影達≠ナある。
 早朝に盾の勇者の部屋を訪ねてきた同僚達を彼の斜め後ろから見守りつつ、盾の勇者専属の影は彼から怒りのオーラが立ち昇る幻にじっとりと嫌な汗をかいた。
 ごじゃる口調ではない影達から伝えられた報告は三者とも一致している。曰く、勇者は「強い武器を手に入れたいから先に島を出る」と言って姿を消してしまった。
 その報告を聞いて尚文は素早い連絡だったことに感謝しつつも、三勇者がどこで何をしようとしているのか見当がついたらしく怒りで頬を引きつらせながら指示を出す。
「城にいる女王に連絡を。四霊が封印されている全地点に兵を緊急配備して三馬鹿が仕出かす前に止めてくれと。間に合わないかもしれないが、やらないわけにもいかんだろう。念のため霊亀の方には俺も直接赴く。ラフタリア、フィーロ。ポータルで飛ぶぞ。準備しろ」
「はい!」
「りょーかーい!」
 黙って成り行きを見守っていた二人の少女が素早く行動を開始する。影達も自らの職務を果たすべく動き出した。


 しかしこの行動が実を結ぶことは無く。
 東の国の滅亡と共に四霊『霊亀』が復活した。



[chapter:30]

「さて、どうするかなぁ」
 元康は自身に割り当てられている部屋へ戻るとベッドの端に座り、くたびれたように呟いた。
 恥を忍んで強化法について尚文に尋ねてみたが、結果は芳しくなかった。他の二人が嘘ばかり吐いてまともに情報共有ができなかったのだ。よって強くなる方法は不明。重苦しい溜息を吐いて元康はとうとう項垂れてしまう。
 そのまましばらく沈黙していたが、ふと何かに気付いたように金色の髪が揺れる。再び顔を上げると、元康は顎に手を添えた。
「と言うか、そもそも特別な強化法があってそれを尚文が知っていたなら、最初から俺達に教えてくれてたんじゃないか?」
 そして特別な強化法など存在しないからこそ、尚文は召喚されたばかりの頃にそのことに関して何も言わなかったのではないだろうか。
 であれば、強くなる方法として考えられるのは――。
「チートレベルのアイテム、とか」
 四聖勇者が近くに集まっていると経験値が入らずレベル上げに支障が出ることもあり、四人が一緒に行動することは少ない。ゆえに元康は尚文が自分といない時にどこで何をしているのか、どんなアイテムをゲットしているのか等はほとんど把握していなかった。その中に勇者や同行者の能力を飛躍的にアップさせる素材や武器があったのかもしれない。三勇教の教皇と戦った時に見せた盾も大層強力なものであったし。
「強いアイテム……強い武器……?」
 この世界に召喚される前、プレイしていたネットゲーム『エメラルドオンライン』ではどうだったのか。元康は必死に記憶を掘り起こす。きっとこの記憶の中に、尚文と肩を並べて戦えるほど強くなるための必須アイテムに関する知識があるのだと信じて。
 波の前に無理やり身体を繋げてしまったことへの気まずさも、強くなって尚文の役に立てればきっと解消されるはず。優しい尚文ならすでに元康が愛ゆえに嫉妬して行為に及んだことを理解し、許してくれているだろうが、元康自身が己を許すためにもこれは必要なことだった。
 しばらくうんうんと唸りながら記憶を掘り起こしていた元康だったが、やがてその目がきらきらと輝き出す。唇は美しく自信に満ちた弧を描き、素晴らしい未来への興奮に頬が淡く染まった。
「四霊がいるじゃないか。霊亀なら平均レベル60で余裕だろ。よしっ! これなら……ッ!」
 今度こそ尚文に恰好良いところを見せることができる。彼の役に立てる。何としてでも霊亀からドロップできる素材や武器で己を強化し、あわよくば尚文に惚れ直させてみせるのだ。
 溢れんばかりのやる気に元康は自然と拳を握りつつ、腰掛けていたベッドから立ち上がる。善は急げだ。嘘吐きな錬や樹と差をつけるためにも早々に出発した方が良いだろう。
 波での戦闘が終わったばかりの女の子達に今から出発しようと伝えるのは少々申し訳ない気もしたが、その分得られる物は大きい。またどうせ戦うのは元康だけであり、彼女達に負担をかけるつもりは無いので、さほど問題ではないはずだ。
 同日中に元康は錬と樹の二人を出し抜く気満々でカルミラ島を発った。時をほぼ同じくしてその二人もまた霊亀の存在を思い出していたなど知る由も無く。
 そして槍の勇者は他の二人が同じ目的を持って近くにいると気付かぬまま霊亀の封印の要である地下寺院の像を砕き、復活した巨大な守護獣に戦いを挑んだ。


 人々が生活を営んでいたはずの地面を更地にしながら人口密集地に向かって進む巨体を遠目に見据える。山を背負ったままズシンズシンと地響きを立てて歩み続けるのは四霊と呼ばれる守護獣の一体、霊亀。
 近付き過ぎれば敵として認識され使い魔もしくは本体が攻撃を仕掛けてくるため、盾の勇者一行は霊亀の現在地から遠く離れた場所で様子を窺っていた。
「あれが……霊亀……」
 その大きさにラフタリアは唖然とする。
 尚文から事前に霊亀がどのようなものか聞いてはいたものの、本当に巨大な亀の化け物が動いている様を目にした衝撃は想像以上に強かった。
 槍、弓、剣の勇者がカルミラ島から姿を消したという報告を受けた後、ラフタリア達はすぐに霊亀の上に作られた町までポータルスキルで向かおうとした。しかし活性化中のカルミラ島から沖へ出て船上で尚文がスキルを発動させようとするも、その直前、尚文が愕然とした表情で膝を折る。次いで呟かれたのは最悪の事態に陥ったことを証明する言葉だった。
「っ、青い砂時計に7の表示……霊亀が復活した……」
 赤い砂時計で示される災厄の波とは異なり、守護獣は青い砂時計でその到来が明示される。集めた魂の量を示す青い砂と「7」の数字の組合せは霊亀を示すものだ。
 その後、焦燥に駆られながら尚文がポータルスキルを使おうとするも、霊亀の甲羅の上にある町で登録した地点には転移できず――おそらく霊亀が復活して動き出したことが原因だろう――、仕方なくその前の地点で記録していたこの場所へと移動したのである。
 ラフタリア達の前に広がるのは、予想通り最悪の光景。
 隣に立つ尚文の顔を見るのが怖い。寝る間も惜しんで尽力していた彼の成果が、今、目の前で粉々になっているのだから。
「……――霊亀の覚醒はキョウによるものじゃない。無理やり不正確な方法で封印を解き、加えてキョウのような介入が無ければ再封印は可能だったはず」
 唐突に、目元に影を落としながらぶつぶつと尚文が呟き始めた。それは解決策を見出そうと必死に頭を働かせているようにも見えるし、逆に激情が思考を邪魔して取り留めのない言葉が無意識のうちに零れ出しているようにも見える。
 口元に手をやり指先で下唇の辺りを撫でながら彼は虚空を睨み付けて続けた。
「正式な封印の解き方を知っているオストが勇者に助言するのはこの世界の状況がもっと悪くなってからだ。だが、本来なら誰も解けなかった封印の正しい解き方をあの三人がゲームの知識として最初から知っていたのだとすれば……。くそっ。無理やり封印が解かれていたならまだ可能性はあったが、もし正しい方法で霊亀の封印が解かれているなら再封印はできないぞ」
「え……?」
 主人の独り言にラフタリアは大きく目を見開く。
 霊亀を再度封印することができない。それはつまり。
(ナオフミ様が心を許す数少ないひとが一人減ってしまう)
 機会に恵まれずラフタリア自身はあまり深く関わったことが無いのだが、霊亀が封印された状態でも人型として活動していることは尚文から聞いている。その人型の名はオスト=ホウライ。霊亀の甲羅の上に建国された国の王の寵姫として政治を裏から操っている傾国の美女というやつだが、本質は全く異なりとても誠実な人物である。
 そして何より、彼女は尚文にとってまだまだ少ししかいない心から信頼できる相手だった。
 封印できないとは、言ってしまえば倒すしかないと言うこと。霊亀とイコールで結ばれる女性がどうなってしまうかなど、あえて言葉にするまでも無かった。
 目覚めた霊亀は使命を果たすため現在進行形で数多の命を屠っている。被害は世界中の誰もが知らぬ存ぜぬを貫き通せるものではなく、特に四聖勇者である尚文が無視を決め込むことはできないだろう。それどころかこれまでほとんど活躍できていない槍、弓、剣の勇者とは違い、神鳥の聖人としての名声、悪しき三勇教と戦い勝利した偉業、複数の波を退けた功績……と、尚文はあまりにも皆の期待を集め過ぎている。
 これが意味することはただ一つ。尚文は自らの手で自分が信頼する人物を排除してしまわなくてはならないのだ。
 尚文にとってどれほど痛みを伴う行為なのか、想像するだけでラフタリアは胸が苦しくてたまらなかった。失うだけではなく、その手で彼は――。
「俺が、オストを殺すのか」
「――ッ!」
 ラフタリアの思考と重なるように尚文がぽつりと呟いた。
 結論を告げる声は唖然としており、視線は無いものを探すように中空を彷徨っている。
「また≠ネのか? また俺がオストを殺すのか? 折角回避できたと思ったのに、俺が、俺がッ!!」
「な、ナオフミ、さま……」
 尚文の肩に手を添えて制止を促すが、今の彼にラフタリアの声は届かない。ふざけるな、ふざけるな、と呪詛のように同じ言葉を繰り返している。
「あの馬鹿共の所為でオストを死なせる? 俺が、よりにもよってこの俺が、また! 何なんだよアイツらは!! そんなに俺を地獄に突き落としたいのか!!」
 ギチギチと噛み締められる奥歯は今にも砕けてしまいそうなほど。
 狂わんばかりの怒りに支配されるその様は――ラフタリアは決して知ることなど無いのだが――奸計により盾の勇者がかつて己の唯一の剣を取り上げられた時を彷彿とさせる。
 初めて目の当たりにした主人の姿にラフタリアは生物の本能として身体を強張らせた。だが彼女はそこで終わらない。
 自分と同じように尚文の様子に恐怖を覚えつつも彼の仲間として引き下がらなかったフィーロと共に左右から強く彼の身体を抱き締めた。
「ナオフミ様、しっかりしてください!」
「ごしゅじんさま、しっかりして!」
「――ッ!?」
 痛いくらいの抱擁と、鼓膜を突き破ってしまいそうな全力の叫び声。左右からのそれに尚文の身体がビクリと跳ねる。そして呪詛を吐き出すのを止めた彼はゆっくりと左右を順に眺め、「らふたりあ? ふぃーろ?」と仲間達の名を呼んだ。
「お、れは」
「ナオフミ様、お怒りはごもっともです。ですが諦めないでください。霊亀を殺さずに活動を停止させる方法が全く無いなんて誰が決めたんですか。確かに沢山の知識をお持ちのナオフミ様の中ではすでにどうしようもないことだと結論が出てしまっているのかもしれません。ですが、どうしてそれが唯一の答えだと決めつけてしまうのですか。探しましょう、霊亀を殺さずに済む方法を。ナオフミ様が目指した結末をもう一度手に入れるために私も全力でお供します」
「フィーロもがんばるよ! フィーロができることなら、ううん、できないことだって、絶対やってみせるから! だから、ごしゅじんさまも諦めないで!」
「お前達……」
 怒りに支配されていた翡翠色に再び理性の光が戻る。希望などまだ欠片も見えてこないが、それでもラフタリアはほっと肩から力が抜けるのを感じた。
「怖がらせてすまなかったな」
 自身の様子を振り返って尚文が小さく謝罪の言葉を告げる。ラフタリアとフィーロはそろって首を横に振り、「大丈夫ですよ」「だいじょーぶだよ」と目を細めた。
「きっとまだ何とかなります。女王様にも協力を仰いで――」

「ええ、そうです。まだ悲観しないでください。活路はあります」

「え!?」
「あっ!」
「オスト!?」
 突然三人の前に現れたのは澄んだ紅茶色の髪と瞳を持つ絶世の美女。尚文に名を呼ばれた美女は吊り目を柔らかくして微笑んだ。
「活路が、ある?」
「ありますよ」
 しっかりと頷いて見せるこの美女こそ霊亀そのものとも言える存在、オスト=ホウライである。唐突に現れたのも彼女がただのひとではないことの証だろう。
 オストの言葉に尚文は大きく目を見開き「どういうことだ」と、困惑と希望が混ざった表情で告げた。
「正式な方法で封印が解かれたなら、霊亀の再封印は……」
「ええ。ですが無理やり封印が解かれているならば、古の勇者が残した通り心臓に封印を施すことで霊亀の活動を停止させることができます」
「と言うことは、まさか!」
「はい」にっこりとオストは微笑んだ。「今回の霊亀の覚醒は正式なものではありません。封印は可能です」
「……っ!」
「良かったですね、ナオフミ様!」
「これでふーいんができるんだね!」
 まさに不幸中の幸いとでも言うべきか。これでオストを失わずに済む。
 幾分表情が柔らかくなった尚文が「それで、どうしてそうなったんだ? アイツらは間違った方法しか知らなかったのか?」と訊ねた。
「いいえ、あの三人はおそらく正しい封印の解き方を知っていました。霊亀の甲羅の上にある地下寺院の三体の像を破壊する……その方法を知っていたと思しき彼らは、各々隠されていた地下寺院に迷うことなく侵入したのです。最初に像を破壊したのは弓の聖武器の所持者でしたね」
「樹か……」
「その時点で私は封印が解かれようとしていることにようやく気付きました。キョウ=エスニナを捕らえたことで慢心していたのでしょう。警戒が疎かになっていたのです」
「それは俺も同じだ」視線を下げて尚文が告げる。「アイツらが強化法を身に着けられないまま強くなろうとすれば、強いアイテムや武器を手に入れたがるはず……そんなことも考え付かなかったんだからな。まさかあそこまで強くなりたいと思っていたなんて。波やラルクとの戦いで活躍できなかったのが悔しかったんだろう」
 三勇者が守護獣の封印を解いてまで強さを求めたのは単純に戦闘で活躍できなかったから……と言うわけではないような気がしたが、ラフタリアは口を挟まず二人のやり取りを見守る。今はあの三人の感情など二の次である。
「私達両方とも考えが甘かったのでしょう。そうして異常事態に気付いた私は最悪の事態を防ぐため、ある決意をしました」
「決意?」
「正式な方法で封印が解かれてしまう前に私の手で霊亀を無理やり目覚めさせることにしたのです。その方法もあの男≠フ所業を思えばまことに忌々しいですが、盾に触れさせていただいた今の私にはある程度予想がつきましたから」
「ッ!?」
 尚文が息を呑む。ラフタリアもまた同じく驚愕を露わにした。盾に触れる云々はわからないが、オストが自分の意思で霊亀を目覚めさせたことは嫌でも理解させられた。
「どうせ封印が解かれ霊亀が活動を始めてしまうのならば、その結末は再封印か討伐の二通りしかありません。この世界に大切な人ができてしまったナオフミさんにとって世界の命の半分と霊亀の命を使って結界を作るなど、選択肢に入れる以前の問題でしょうから。ですから、我々が選択できるのはこの二つしかなかった」
「そして討伐するとなれば、俺が苦しむとわかっていて、お前は」
「もう二度とナオフミさんの涙は見たくありませんから」
 それに、と彼女は続けた。
「私はまだ皆さんと一緒に旅ができていません。いざと言う時は霊亀としてこの世界を守るため地上にある命の半分と共に死ぬ運命にあるのなら、その前に私は私としてこの素晴らしいパーティの一人として共に戦い、語り、日々を過ごしたい。その可能性が跡形もなく潰れる様を座して眺めることができませんでした。……霊亀として相応しくないこの気持ちはきっと、他者との触れ合いや惜しまれて死ぬということを知ってしまったからなのでしょう」
 最後は小さな声で申し訳なさそうに、それでも愛おしさが隠しきれない様子でオストは告げる。
 人間ではなくても心があるのだ。どんなに厳しい宿命を負っていても、彼女は想い想われることを知ってしまっている。それゆえの行動。彼女の決断にラフタリア達が何か意見を言うことはできない。特に反論など以ての外だろう。
「……じゃあ、樹が像を壊してすぐ霊亀は動き出したということか」
「そのことなのですが、実は霊亀が完全に目覚める前に、続いて槍の聖武器の所持者が二体目の像を破壊してしまい……」
「は? 元康が?」
 色々と関わりが深かった分、尚文の声と表情にドス黒いものが混じる。ラフタリアは元々底辺だった好感度が谷底へと真っ直ぐ進む様を幻視した。尚文がまた怒りに支配され冷静さを欠くのではないかと心配が募る。
「剣の聖武器の所持者によって三体目の像が破壊される前に何とか霊亀の活動を再開させることができ、今に至ります。ただ、その三人に関してですが」オストが申し訳なさそうに眉尻を下げて続けた。「霊亀本体に戦いを挑んだことは私も確認できています。しかし……その……」
「あまりにも弱すぎて霊亀が相手にしなかった、か?」
「はい。すぐに使い魔が襲い掛かりましたが、その後どうなったのか私の方では全く感知できていません。曲がりなりにも聖武器の所持者ですし、死んではいないと思いたいのですが」
「ふん。もし霊亀に踏み潰されていなかったとしても、そのまま野垂れ死ねばいいんじゃないか。どうせ役に立たないのだから生きていても意味は無いだろう」
「ナオフミ様」
 たしなめるためにラフタリアは主人の名を呼ぶ。
 あの三人が最初の波――メルロマルクにとっては二回目の波――より後で役に立った記憶は無いが、それでもラルクベルクに殺されないよう気にしていたのは尚文自身だ。強化法を共有しなかった理由は無論それだけではないが、理由の一部ではある。そんな尚文がまだ収まりきっていない――もしくは元康という単語で再燃した――怒りで冷静さを幾分欠いているのは明らかで、さすがに声をかけてしまった。
 ラフタリアの呼びかけに尚文は小さく息を吐き出して「すまない」と謝罪する。
「そうだな。死なせるのはナシだ。そんなことになればフィトリアが四聖勇者再召喚のために残りの勇者を殺すと以前脅してきたし――」
「そんな話があったんですか!?」
 まさに寝耳に水。ぽろりと零された衝撃の事実に、今度はラフタリアの方が冷静さを失って尚文に掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「うおっ、ら、ラフタリア?」
「私、フィトリアさんがナオフミ様にそんなことを言っていたなんて今まで知りませんでしたよ!?」
「むー! フィーロも知らなかったー!」
 ラフタリアに続いてフィーロもその巨体で尚文の上に影を作った。
 頭上と真横を交互に見て尚文は「いや、その」と言葉に詰まっている。その目は助けを求めるようにオストへと向けられたが、彼女もまた「二人がそうなるのも無理はないでしょう」と首を横に振った。これで一対三だ。
「たとえフィトリアさんであっても、ナオフミ様の命を奪おうと言うのなら死ぬ気で戦いますから! いえ、死んでも戦います!」
「フィーロもごしゅじんさまがいなくなっちゃうなんて絶対にイヤだからね! フィトリアがそんな酷いことするなら、フィーロだって戦うよ!」
「わ、わかった。わかったから」
 ラフタリアとフィーロの圧力に屈した尚文が両手を前に突き出しながら「落ち着いてくれ」と懇願する。「あとアイツを悪者にするのはやめてやれ。向こうにも事情があるんだ」
 その程度で収まってくれる類の話ではないのだが、ラフタリアは「わかっていただけたなら結構です」と引き下がった。「お前らがフィトリアと戦って傷つくのは見たくない」と眉尻を下げる尚文から冷静さを欠くような怒りの気配が薄らぎ、ひとまず当初の目的が達成できたのだから。
「霊亀への対応が最優先だが、女王に頼んで三人の捜索にも人手を割いてもらおう。それと俺達も霊亀の封印が完了し次第、捜索に加わる」
「ええ。その方が良いかと。私もナオフミさんには死んでほしくありませんから」
 尚文の言葉に頷くラフタリアとフィーロに合わせ、オストもまたそう告げる。
「霊亀の人型として封印に助力した後、私は一旦この姿を消してほとぼりが冷めるまで眠るつもりです。無論、姿を消さず人々が悪意を向ける対象として居続け、逆に霊亀が目覚めるきっかけとなってしまった三人の聖武器の所持者を人々の注目から逸らすという方法もありますが」
「あの三人を庇う案は一切許可できない」
「わかりました。ですので、眠りにつきたいと思います。もう一度目覚めた時にナオフミさん達がいないとさみしくなってしまいますから、ナオフミさんの身に何かあっては困ります。それに貴方がたと一緒に旅ができることを夢見ながら眠れるのなら、それはきっととても楽しいことでしょうから」
「オスト」
「オストさん……」
 美しく微笑むオストに対し、尚文もラフタリアも名を呼び返すに留まる。
 先程も彼女は盾の勇者一行との旅を楽しみにする発言をしていたが、次に目覚めるまでの時間が人の一生分を大きく超えてしまっている可能性は十分にあった。そうでなくとも尚文は波への対処のために呼ばれた勇者であり、死亡するよりも前に役目を果たして元の世界へ帰ってしまうかもしれない。
 オスト本人もそんなことは十分承知しているだろう。しかしあえて口には出さず、尚文が無茶をしないための理由の一つとして己を使おうとしているのである。ラフタリアは――そしてきっと尚文も――彼女の考えをわかっているからこそ二の句を告げなかった。
 名前を呼ぶ以外のことができなくなってしまった二人を交互に眺めてフィーロが「んー?」と首を傾げる。その仕草にラフタリア達は身体のこわばりを解いて進攻を続ける霊亀を見据えた。
「まずは女王の所へ行かないとな」
「はい」
 主人の言葉にラフタリアは頷く。
 事態は勇者一人で対処できるものではない。国家規模の力が必要となってくる。
「各国の連合軍の結成……は、あの女王ならすでに着手しているか。あとは封印部隊の編成を依頼して、そこにオストを組み込む」
「ふふ。我が国にあった壁画やメルロマルクが所蔵する霊亀関連の古い書物を解読するよりずっと素早い対応になりそうですね」
「それじゃあオスト、パーティの申請をするから受け入れてくれ。俺達と行く楽しい旅の前の予行演習だな」
「わかりました」
 オストが頷き、彼女が盾の勇者一行の仲間となる。ポータルスキルのクールタイムが終わるのを待ち、一同はメルロマルクの城へと飛んだ。







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