BAD APPLE
[chapter:16] 白い寝台の上に横たわる人物を見下ろして元康は小さく息を吐く。 教皇との戦いが終わって丸一日。メルロマルク城近隣にある大きな街の治療院へと緊急搬送され、そこで治療を施された尚文が静かに目を閉じていた。 ゆっくりと上下する胸は深い眠りについている証であり、規則正しいその動きにもう一度安堵の息が零れる。しかし大量に出血していたためか肌は青白く、至るところに巻かれた包帯の存在がひどく痛々しい。 すでに峠は越しており、この後は準備が整い次第、失われた血液や体力を回復させるための術が施される予定とのことだったが、彼が再び目を開けてくれるまでこの胸の奥に巣食う恐怖が完全に消え去ることはないだろう。 「尚文……」 冷たい頬に指先でそっと触れる。 スキルを使用した代償として重傷を負った身体にはさらに強力な呪いまでかけられてしまっていた。治癒魔法をもってしても全ての傷を塞ぎ切れなかった理由はここにある。また詳細は尚文本人が目を覚ましてから確認してもらうことになるのだが、ステータスも全体的に大幅ダウン中だ。 何とか解呪しようと教会からかき集めた聖水も使用されたが、この呪いは人の手で完全に取り除ける類のものではなく、時間と共に少しずつ癒えていくのを待つしかないとのことである。 彼がここまで身を犠牲にしなくてはならなかったのは全て元康達の力が至らなかった所為だ。自分達がもっと強ければ、尚文にあの禍々しい盾のスキルを使わせることもなく、こうして死人のように寝台に横たわる事態にもならなかったはず。 先の波の時に抱いたのと同じ不甲斐なさが再び元康の身を襲う。否、同じどころかあの時よりもさらに酷い。力をつけなくてはと決意したはずなのに、結局、力が足りずに全てを尚文に押しつけた。 元康は指先だけで触れていた頬にそっと手のひらを這わせて身を屈める。金色の髪が零れ落ち、尚文の顔に影を作った。 「……、」 閉じた瞼の上に唇を落とすが、翡翠色の瞳が元康をそこに映すことはない。それでも諦め切れずもう片方にも無言でくちづける。無論、大怪我により気絶にも近い状態で眠っている尚文が目を覚ますはずもなく。 「早く目を開けてくれよ、尚文」 囁き、元康は冷えた唇に己のそれを重ねる。 しかし奇跡は起こらず、傷だらけの眠り姫が目覚めることはなかった。 傷を負った尚文に対しメルロマルクで可能な全ての治療が施された。 治療院に運び込まれてから丸二日。後は尚文本人の意識が戻るのを待つのみとなり、ラフタリアはフィーロを伴って治療院の一角に設けられた部屋を訪れる。 白い部屋に白い寝台。治療院の者達が忙しなく動いていたその場所も彼らが去ってしまえばガランと広く、寒々しい。治療が施しやすいよう寝台が部屋の中央に置かれている所為もあるのだろう。知らず知らずのうちに呼吸さえ控えめにしながらラフタリアは尚文が横たわる寝台へと歩み寄る。 「ナオフミ様……」 「ごしゅじんさま、眠ってるの?」 裸足で後を着いて来たフィーロがそっと反対側の寝台の縁に手をかけ、瞼が閉じられたままの主人の顔を覗き込んだ。 「ええ。治療は終わりましたし、あとはナオフミ様が目を覚ますのを待つだけです。もう、大丈夫ですよ」 「よかったぁ」 この二日間いつもの天真爛漫な雰囲気は薄れ、重苦しいものを耐えるような表情を浮かべていたフィーロもほっと息を吐き出す。白い肌には赤みが戻り、青い瞳は輝きを増した。「はやく起きてね、ごしゅじんさま」と告げながら彼女が持ち上げた尚文の手は傷つく前の姿に戻っており、折れて血にまみれていたのが嘘のようだ。 フィーロも尚文が負傷した時のことを思い出しているのだろう。きちんと治っていることを確かめるように一本一本指を撫で、形と熱が戻っているという事実に頬を緩ませる。スキルの代償として受けた呪いが原因で一部治りきっていない怪我があるものの、血色が戻った尚文の顔を見ることができたおかげで目の前で彼が倒れた時の心が押し潰されるような感覚はほぼ払拭されていた。 ラフタリアは部屋の片隅に寄せられていた椅子を一つ拝借して、尚文が眠る寝台の傍らに置いて腰掛ける。治療も済んでいるため見舞いの者がこの部屋に滞在していても迷惑になることはない。 この後、尚文の意識が戻り次第女王が会いに来る予定となっているが――女王のもとへ尚文が行くのではなく、彼女の方が会いに来るというのが今回の事態の深刻さを表していると言えよう――、今はまだこのゆっくりと流れる時間を過ごすのみ。 尚文は元々あまり眠りが深い人ではないようなので、せめて怪我をした時くらいはゆっくり休んでほしかった。……という思いは、尚文の傷がほぼ完治した今だからこそ出てくるものなのだろう。昨日ちらりと覗いた時の尚文の顔はまだ青白く、ここまで穏やかな気分ではいられなかった。 治療が全て終わるまでの間に三人の勇者もラフタリアと入れ違いで尚文の見舞いに訪れていたらしいのだが、タイミングが悪いのかその姿を見たことはない。しかしきっと彼らも青白い顔のまま寝台に横たわる尚文を見て気が気ではなかったはずだ。 そんな彼らは見舞いに訪れた時以外の時間の多くを三勇教の粛清に割いているらしい。私刑ではなく女王からの正式な依頼であるそれに三勇者は精力的に取り組んでいるのだとか。一番の被害者が尚文であることも影響しているのかもしれない。尚文が彼らに見せている顔が偽りのものであったとしても、彼らにとってはそれが好ましい真実であり、原動力となっているのだ。 このように尚文は実に上手く三人の勇者を懐柔している。それは本人も自覚しているだろう。しかしその上で、まだ尚文は三人を信用してはいない。ラフタリアがそう判断する最たる理由が、尚文の知るレベルアップ以外の強化方法が三人には共有されていないという事実だった。 尚文本人から教えていないことを教えられたわけではなかったが、三勇者の戦いを見ていれば簡単にわかる。彼らは十分な強化を行っていない。だからレベルの割にラフタリア達よりも弱いのだ。 これならば奴隷紋で強制的に服従を誓わされる奴隷の方がずっと尚文に信用されている。 ここまで徹底的に尚文の心に触れることを許されていない彼らは、一体何をしてしまったのか。何を仕出かして、本当はとても優しい尚文を傷つけ、頑なな態度にしてしまったのか。 自分の知らない所で引き起こされたであろう悲劇を思ってラフタリアはきゅっと唇を噛む。守りたい、と強く思った。 ラフタリアを、フィーロを、メルティを、他の限られた大切な人々を、一生懸命守ろうとする尚文。そんな彼の、せめて心だけは、ラフタリア達が守ってあげたい。 「……フィーロ」 「んー? どうしたの、ラフタリアお姉ちゃん」 尚文の手を握ったまま眠る彼の顔を見つめていたフィーロが視線をラフタリアへ向ける。 あどけないその表情に笑みを返してラフタリアは告げた。 「私達、強くなろうね。ナオフミ様のために戦って、ナオフミ様を守って、ナオフミ様を支えて、ナオフミ様がずっと心穏やかでいられるように」 「うん! フィーロ、ごしゅじんさまのためにもっと強くなる!」 これは誓いだ。 尚文に愛され慈しまれる自分達が、彼のためにできる全てのことをする。奴隷や使役される魔物としての強制ではなく、彼を心から信じ愛する者として。 互いに微笑み合い、二人は再び尚文の顔を見つめた。 ゆっくりと流れる時間にやがて二人は瞼を下ろす。そうして再び目覚めた時には大好きな人が意識を取り戻し、そればかりか二人の頭を優しく撫でてくれていたのだが――……その幸福な出来事は、まだほんの少しだけ先のこと。 [chapter:17] 尚文が目覚めたという知らせが入り、錬は急いで彼が向かったという城へ駆け付けた。 見舞いに行った時の尚文はまだ意識も戻っておらず、寝台に横たわる姿は死人のようであったが、すでに自力で治療院から城へ移動できるほど回復しているらしい。やはり自分がいた日本とは異なり、ここは魔法で多くのことが解決するファンタジー世界なのだと思ってしまう。無論、だからと言ってゲームと同一視してはいけないのだが。 何はともあれ尚文が回復したのであればそれ以上のことはない。 しかし急いで城へ向かった錬は、すでに他の勇者も集まっている玉座の間を目前にしてぴたりと足を止めてしまった。 「レン様、いかがされましたか」 同行者の一人が背後から控えめに声をかける。 「早く入りませんと、女王陛下のお言葉が始まってしまいます」 「わかっている」 やや鋭くなった声で答えるが、それでも錬の足は動かない。扉の手前に控える城の兵士達も剣の勇者の行動に戸惑っているようだった。 この重厚ではあるものの錬があと一歩踏み出せば容易く開かれてしまう扉の先に尚文がいる。早くその回復した姿を見たいと思う。だが同時に錬の脳裏をよぎるのは、教皇と戦った際に見た尚文の禍々しい姿とその直前に錬へと向けられた言葉だ。 ――錬、もっとお前の顔を良く見せてくれ。 まるで兄が弟を甘やかすような優しい声。それなのに、同じ調子で、けれどどこか揶揄する響きを含んだ露悪的な口調で尚文は続けた。 ――お前に殺されたドラゴンがお前への憎しみと怒りで盾に力を与えてくれるんだ。 彼の言ったドラゴンとは、東の村の近くを棲み処にしていたあのドラゴンのことだろう。錬が何の感慨もなく単にアイテムと経験値を得るためだけに殺し、その後の周囲に巻き起こる被害を想像もせず放置した憐れな魔物。それが腐ってドラゴンゾンビとなった後、尚文達が討伐して何らかのアイテムを得た。おそらくは尚文の胸当ての中央に見られる宝石がそれだ。 宝石こと腐竜の核石は尚文の聖武器にも影響を及ぼし、きっと彼にとって無視できないほどの強化を施した。しかし同時に核石は生前の記憶を所持しており、自分を殺した錬のことを覚えていた。結果、ドラゴンが錬に対して抱いた恨みや怒りが核石を通じて盾をグロウアップさせたのだと推測される。 これを単純に考えたなら、巡り巡って錬の失態は尚文の力になったと好意的に捉えることができる。しかし本当にそれで良いのだろうか。本当に単なるパワーアップ≠ナ済んでいるのだろうか。 そもそも盾がグロウアップした所為で尚文はあそこまで傷ついてしまったとも言える。無論、あれが無ければ錬達は教皇に殺されていたかもしれないので、一概に盾の強化そのものを否定することは難しい。こればかりは錬一人の中でも決着がつけられない話だ。 ただしそれとは別にもう一つ。錬の中で最も頭を悩ませ、心を縛り、今もこうして足を動かす気力を奪うものがある。 (ドラゴンの核石を身に着けその影響を受けている尚文本人も俺を憎んでいるんじゃ……) 怒り、恨み、憎しみ。 燃え上がる炎のような感情が核石と盾の間だけで完結しているとは、錬にはどうしても考えられなかった。盾の所有者である尚文もまた影響を受けているのではないか。もしこの扉を抜けて尚文と顔を合わせた時、あの美しい翡翠の双眸が嫌悪に歪んだとしたら。「お前が憎い」と、優しかったはずの声で吐き捨てられてしまったら。想像するだけで、親に捨てられた子供のように膝が震える。 尚文が絶対に目覚めていないタイミングで見舞いに行ったのもこの恐怖心が影響していた。なんて情けない、と錬は自分を叱咤する。だがどうしても前に進むことができなかった。 やがて時間になり、錬を扉の外に残したまま今回の騒動に関して各人がどのような処罰を受けることとなるのか、女王の口から語られる。中は随分と騒がしいようであったが――主にオルトクレイとマルティが自分達の正当性を主張して喚き散らしているに過ぎない――、代理王と第一王女は勇者召喚からの一連の出来事を踏まえて王族の身分を永久に剥奪、および前者は波のため先頭に立って戦うことを義務化され、後者は高度な奴隷紋を施した上で城の塔に幽閉されることとなった。 マルティは奴隷紋により盾の勇者に害を及ぼさないよう設定された状態で波への対処のため勇者に同行させるという案も出たが、一番被害を被った尚文がその案を拒否した。曰く、第一王女の性格では外に出していてはきっとまた面倒な問題を引き起こす。ならば無駄飯喰らいになろうとも城で幽閉しておいた方が絶対にマシである、と。 玉座の間に出席していた元康と樹も同意見のようで、反論の声を上げたのは当人とオルトクレイのみ。よって第一王女の処遇も決定した。 やったことの罪の大きさから見れば死刑でも構わないのだが、それは妻であり母である女王も可能な限り避けたいのだと考えられる。またオルトクレイに関しては過去の偉業により簡単に命を奪うのは別の新たな火種になりかねない。しかし、やはりこの程度≠フ罰で済むものではないのも事実。 そのため二人に対する罰はもう一つ追加された。簡単に死なせるのではなく、生きながら世界中に恥を晒すための行為として女王が提案し、尚文が行ったのは、二人の改名である。 オルトクレイは『クズ』、マルティは『ビッチ』と正式に名を改められたのだった。 そうして帰国した女王による元王族二人への処罰に関する話は終わり、一同解散する流れとなった。 錬が立ちすくんでいた扉が開き、中にいた者達が順にこちらへと出てくる。錬はすかさず壁際に寄るが、当然のことながら警護の兵士達に紛れ込めるわけもない。改名後に土下座までさせられ自失呆然となった罪人二人はともかく、その後に出て来た勇者達に気付かれてしまう。 まずは樹。年が近く割と話す機会も多かった彼は、錬が尚文に言われた台詞もしっかりと覚えているようで静かに眉尻を下げて微笑んだ。もし自分が錬の立場だったら、と考えてくれたのかもしれない。同行者の中に盾の勇者をあまりよく思わない人間が含まれているらしく、それを考慮した彼は長居せず出口の方へ進んでいった。 次いで元康。彼は錬の存在に気付くとすっと近付いて背中を軽く叩いてきた。尚文と殊更仲が良い元康は玉座の間から出て来た瞬間、罪人二人への処遇が気に喰わなかったようで不機嫌な顔を晒していたのだが、扉の外で突っ立っていた錬を見つけるや否や年上らしい顔つきでこうして慰めにきてくれる。尚文に対して感じるほどではないが、彼もまた兄のような存在だと思えた。 そして最後に出て来た勇者は、 「……なお……ふみ」 「よう、錬」 翡翠色の双眸を持つその人が錬を見つけ、近付いてくる。気付いた元康が数歩下がって尚文に場所を譲った。この後尚文に用事があるのか、立ち去る気配はない。 尚文は錬の正面に立つと僅かに口元をほころばせて「間に合わなかったのか? お前なら途中で入って来ても文句は言われなかっただろうに」と告げる。穏やかな口調はこれまで通りのもので、錬に対する負の感情は一切見られない。錬がこんなところで立ちすくんでいたのも単に遅れて入室するのが憚られたためだと思い、尚文の反応を恐れていたからだとは予想もしていない様子で―― 「それとも」 錬の思考を遮るように尚文がその翡翠を眇めた。 「腐竜の核石に影響された俺がお前を憎んでいるんじゃないかって考えて入って来られなかったのか?」 「――ッ」 「はあ、図星か」 呆れたように溜息を吐き、それから尚文はくしゃりと錬の頭を撫でた。 「わ、っ、な、なおふみ!?」 「ばっかだなぁお前は」 ぐしゃぐしゃと乱暴に錬の黒髪を撫で回しながら喋る尚文の口調には心配していた負の感情など微塵もない。むしろぐるぐると悩み続けていた年下の少年を面白がる節すら感じられる。 「ドラゴンは確かにお前に対してとんでもない怒りの感情を持っている。盾を使う俺もその感情に引き摺られそうになるさ。でもな、その時だけだ。ドラゴンの感情はドラゴンのもの。俺の感情は俺のもの。二つは全くの別物で、ラースシールドを使っていない時の俺がドラゴンの怒りに引っ張られてお前に対してどうこうしてやろうと思うことはないんだよ。……だからな、安心しろ」 頭を撫でる手の動きが収まり、錬は顔を上げる。 乱れた黒髪を手櫛で直し始めた尚文。その瞳は真っ直ぐ錬に向けられていた。 やがて髪を整え終えた手がそのまま耳、そして頬へと滑り降りて優しく包み込まれる。 「な、お……」 吸い込まれそうに深く美しい翡翠色の双眸の中に錬だけが映っていた。 「むしろお前が俺のことを慕ってくれていると知ってるくせに、あんな風に利用して悪かった。あの時はどうしてもお前とドラゴンの関係に頼る必要があったんだ。すまない。許してほしい」 「尚文が謝るようなことじゃない。お前にばかり負担をかけて本当にすまなかった。……でも、次の戦いまでには、もっと強くなる、から」 だから。お願いだから。見捨てないで。このぬくもりをずっと与えていて欲しい。 そう口にできたならどれほど良かっただろう。しかしこれまで散々だった上にさらに情けない姿は晒せないと錬の自尊心が待ったをかける。結果、錬は言葉を止め、頬からはぬくもりが離れていった。 「ああ、期待している。後でまた招集がかかると思うから準備しておいてくれ。カルミラ島って所が活性化するってんで、勇者全員でそこへ行ってレベル上げをするそうだ。その事前説明を女王自らしてくれるらしい」 「わ、わかった!」 活性化は異世界転移前のゲーム知識で知っている。これならば先程の言葉通り強くなるのにうってつけだ。 元気よく頷く錬に尚文もまた笑みを零し、元康や同行者達と共に去って行った。 彼らの背を見送って錬は無意識のうちに拳を握る。 「強く、ならないとな」 玉座の間でオルトクレイとマルティ改めクズとビッチに対する処遇を見届けた元康は、尚文を誘って城内に今夜の宿として用意された部屋へ戻っていた。互いの同行者には性別の関係上それぞれ別の部屋があり、彼女達は現在そちらにいる。 「なおふみ」 「ん……」 部屋に入ってすぐ、閉めた扉に尚文の身体を押し付けてくちづけた。わかっていたとばかりに薄く口が開かれ迎え入れられる。舌先で上顎をくすぐるように刺激すれば、腕の中の身体が歓喜に震えた。 元康は尚文の腰を抱き寄せ、後頭部に手を添えてさらに深く唇を合わせる。指先に感じるのは尚文の頭に巻かれている包帯の感触だ。相手は病み上がりなのだから無理をさせてはいけない……という意識が芽生えるものの、口の中に響く小さな啼き声一つで呆気なく欲に負けた。 舌を絡め合いながら尚文の腕が自分の肩から背中へと回される。鎧も服も邪魔だ。もっと確かに尚文の熱を感じたいし、尚文に元康の熱を感じてほしい。 前回の逢瀬から互いの装備に大きな変化はなく、慣れた手つきで脱がし合って皺ひとつなく整えられたベッドの上に元康は尚文の身体を押し倒した。 鎧の中に着ている黒いシャツを半ばまで肌蹴させた尚文が翡翠色の双眸を細め、熱のこもった息を吐く。唾液に濡れた唇は赤みを増してテラテラと光っていた。 「尚文、シたい」 早くも硬くなり始めた股間を相手の太腿に擦りつける。 余裕なんてものは彼相手に最初から存在しない。まともに触れられない期間も長かったし、尚文が逃亡中の間は飢餓感と心配がダブルで押し寄せていた。そして瀕死の重傷で心臓が止まる思いをさせられた後に、先程は仲間とはいえ別の男に優しく触れる場面を見てしまえば、理性の箍など簡単に外れる。 「こっちは病み上がりなんだ。せめて手加減は……ははっ、その顔じゃ無理か」 圧し掛かる元康の頬を両手で包み込み視線を合わせた尚文が行為を了承しつつもほんの少し呆れたように笑う。彼の翡翠の瞳には獣のようにギラついた目をした元康が映り込んでいた。 「しかたのないヤツ」 目を閉じ、触れるだけのキスが贈られる。余裕のない元康を揶揄するそれは、しかし同時にこれから行われる暴挙への許しも含まれていた。 「お手柔らかに。こっちはステータスが三割まで落ちてるんだ」 「善処する……けど、もう」 限界。 言葉で告げる前に再び唇を塞いだ。 尚文がくれたバードキスを上書きする濃厚な混じり合いに身体がどんどん熱を上げていく。性急に服を剥いで尚文の下肢を露わにすれば、すでに陰茎がゆるく勃ち上がっている。元康は自身のズボンの前をくつろげて性器を取り出すと、先走りでヌルつくそれと尚文のものを一緒に握り込んだ。 「――ぅン」 合わせたままの唇から尚文の声が僅かに漏れる。 自分のものと尚文の方からも少しずつ出てきた先走りを塗り込めながら裏筋同士を擦り合わせれば、直接的な快楽が背骨を走り抜けた。すぐににちゃにちゃと粘ついた水音が立ち始め、もっと滑りが良くなっていく。 「きもちいーな、なおふみ」 「あっ、ン、ぅく」 しばらくご無沙汰だったこともあり、二つの肉茎は瞬く間に成長しきる。暴走し過ぎないためにもそのまま扱いて熱を吐き出させ、元康はほっと息を吐いた。 よくできましたと尚文の目尻にキスを送る。 次いでたまたま視界に入った額の包帯を食んだ。白い布をずらして現れたのは治りきっていない傷口で、元康は舌を這わせてから軽く吸い上げる。 「っ、た……」 ピクリと跳ねる身体。僅かな痛みに反応するその仕草はどんな攻撃を受けても二本の足で立ち続ける盾職からは想像できないほどか弱く、また何故かひどく嗜虐心を煽った。 元康は尚文と自分の陰茎を擦り合わせたまま視線を少し下に向け、包帯の上から首筋に齧りつく。 「イッ、こら元康!」 背中に回していた腕を解き、目じりを赤くしながら尚文が抗議の声を上げる。潤んだ瞳は快楽によるものか、それとも痛みによるものか。血が滲むほどではなかったにしろ、それなりの力で噛んだので歯型くらいはついているかもしれない。 「ヤルのはいいが痛いのは、っ、あ、ひぅ!」 吐精して萎えた性器の鈴口に少々過剰に爪を立てるだけで尚文の抗議の声が中断される。目の前で他の男に触れた恋人への躾……というつもりは無かったのだが、ステータスが大幅に下がっている影響なのか痛みに過剰反応する尚文の姿は大層元康の心を震わせた。 今、腕の中に尚文がいて、彼は元康が与える小さな痛みに容易く身体を震わせている。本当の殺生与奪権とまではいかずとも、まるで肉食動物が小さな草食動物を我が物としたかの如く愛しい恋人の全てが手に入ったような気がして全身に震えが走った。 ぞくぞくと背中を走り抜けていく快感に元康が口の端を持ち上げれば、それを見た尚文が眉根を寄せる。 だが元康の赤い瞳を見つめていた尚文がその難しい表情をふっと和らげ、 「元康」 怒るでもなく、恐れるでもなく、それどころか幼子をあやすように名を呼んだ。 「こういう時に他の男の名前を出すのはルール違反だが、お前、錬に嫉妬したか?」 「――、」 否定はできない。ただし嫉妬心だけで痛みを与えたわけではないと、元康は首を横に振る。 「じゃあなんで噛んだりなんか……ああ、そうか。確認してるのか」 「?」 尚文の呟きの意味が理解できずに首を傾げれば、彼は片手を持ち上げて元康の頭を優しく撫でた。 「大丈夫だ、元康。国から指名手配されても、大怪我を負っても、俺はちゃんとお前のところに戻って来ただろう?」 「……っ、ああ」 その言葉に、答えを得る。 尚文が痛みに声を上げたあの瞬間、元康が感じたのは単なる嗜虐心ではない。尚文を腕の中に捕らえ、痛みを与えてもそこから逃げ出せない彼の姿に安心したのだ。 追われても、大怪我を負っても、無論他の男に触れたとしても、岩谷尚文は北村元康のもの。彼は元康から逃げないし、元康をずっと一番に愛してくれる。 その証明のために元康が拙い悪手を取ったとしても、尚文は全て許して受け入れてくれた。 尚文が早々に気付いて指摘してくれたおかげで酷いことにならずに済み、元康は安堵の息を吐く。それから小さく「ごめん」と謝れば、尚文もかすかに笑って「俺も痛いのは嫌だからな」と囁いた。 「それじゃあ気を取り直して、やさしく、な?」 「ん。やさしく、する」 元康は頷き、先程噛みついた首筋に羽根のような軽いキスを贈った。 「……ん、んっ、ぁ、ン」 ベッドに腰掛けゆっくりとした動作で下から突き動かすたび、元康の耳元で尚文の甘やかな吐息が零れ落ちる。「離れない」「受け入れる」という意思を示すように尚文の腕はしっかりと元康の背に回り、両脚も己を貫く男の腰に絡みついていた。 肌が直接触れ合う感触はそれだけで幸福をもたらしてくれる。 互いの吐息と熱にうっとりしながら元康は尚文の背中を支えていた手を撫で下ろし、腰骨の辺りで円を描くように動かした。 「あっ、もと、やす……くすぐ、った、ン!」 尚文がくすぐったさから身をよじれば、中の刺激される箇所が変わって無意識のうちに元康のものを締め付ける。まだ果てるのは勿体無いと元康は下腹に力を入れてその刺激に耐えた。 「尚文、顔、見せて」 「んん」 ゆるやかな快楽に翻弄される顔が見てみたい。きっと甘くとろけて可愛らしいのだろう。 そう思って願いを口にするも、尚文は恥ずかしがって見せようとはしない。逆に首に回された腕に力が籠もり、ふるふると元康の視界の端で黒髪が揺れる。 正直、そんな仕草ですら愛しく思えてしまって元康はだらしなく表情を崩した。 「だめ?」 「まだ、外、っ……明るい、だろ」 「そっか。尚文は恥ずかしがり屋だもんな」 確かに以前も明るい部屋で身体を重ねた時は恥ずかしがってあまり顔を見せてくれなかった。ただし今回は顔を見せないために元康に抱きついているので、いやらしい姿をありのまま晒すのと同じくらい相手を刺激しているのだが、彼は気付いていないようだ。 ならば今日はこのまま顔を無理やり見るのは止めて代わりに……と、元康は尚文の腰骨の辺りをくすぐっていた手を自分達の身体の間に移動させる。汗が浮きしっとりと手に吸いつくような肌を撫で上げ辿り着いたのは、元康からの刺激に慣れてすっかり性感帯の一つになってしまった乳首だ。 そこを指先できゅっと摘まめば、「ひゃん!」と愛らしい悲鳴が零れ落ちた。 くにくにと摘まんだり引っ掻いたり、時折引っ張ったりするたびに尚文の身体が跳ね、胸と後ろの両方からの刺激に高く掠れた嬌声が上がる。次第に元康の首に回されていた腕の力が弱まり、とろけた身体で尚文が元康の肩口に額を押しつけた。 あっ、あっ、と切れ切れに上がる心地よい声を聞きながら元康は拘束が緩んだ隙に尚文の胸へと唇を寄せる。 指で散々弄ったそこは赤くぷっくりと膨れ上がり他人様にはお見せできないいやらしさがある。誘われるままに舌で舐め上げ、次いでぱくりと唇で食んだ。 「ひ、あンン、もと、やっ……あ! や、あ、吸っちゃ、だ、あっ、あぅ」 唇で挟み、柔く歯を立て、赤子のように吸い上げる。 尚文の指が元康の金髪に絡んでくしゃりと掻き混ぜた。紐が解かれ、ポニーテールにしていた髪が肩に落ちてくすぐったい。落ちた髪は尚文の胸にもかかり、もう片方の赤く腫れたそこを弱く刺激する。きゅんと締め付けるナカが、尚文が元康の髪の感触にさえ感じていることを教えてくれた。 男としての本能がこのまま愛しい身体を突き上げたいと訴える。しかし前に体面座位をした時、乳首に軽く歯を立てたまま下から激しく突いて互いに果てるまでシたのだが、あの後少し怒られてしまったのを思い出して元康は思いとどまった。尚文から優しくしてと言われたばかりでそれはない。 名残惜しげにちゅうと吸いつき乳首から唇を離す。体勢を入れ替え尚文をベッドの上に仰向けで押し倒し、元康は恥ずかしがり屋な恋人の希望通りにその顔を自身の肩口に沿えさせた。 「なおふみ、好き。好きだ。愛してる。お前がいれば、それだけで俺は」 尚文の両腕が背中に回ったのを確認し、彼の腰をしっかりと掴んで深く突き入れる。 「ぁ、っ〜〜〜〜!」 「くっ……」 ぐちゅりを深く突き入れた怒張が尚文のナカを本格的に蹂躙する。 幾度も前立腺を押し潰しもっと奥の感じる場所まで貫いて、元康は幸福と共に最愛の人の中で果てた。 [chapter:18] カルミラ島の活性化を利用し勇者達のレベル上げをすることが決まった。 渡航費や滞在費等の必要なものは全て国が受け持つことなどを含め、その詳細について女王自ら四人の勇者に説明を行えば、槍、弓、剣の勇者は話が終わってすぐ心持ち急ぎ足で城内の会議室を後にする。きっと仲間達に伝えて少しでも早くかつ万全に準備するつもりなのだろう。強くなることへの意気込みとでも言うのだろうか、そんなものが感じられて、ミレリア=Q=メルロマルクは広げた扇の下で口の端を持ち上げる。メルロマルクの女王としては喜ばしい限りだ。 一方、最後まで残っていたのは盾の勇者たる岩谷尚文。同時に召喚された四人の勇者の中でずば抜けて活躍している――そして亜人差別が強くつい先日まで三勇教を国教としていたこの国では非常に活動し辛かった――彼が他の三人とは違う様子であることに気付き、ミレリアは気を引き締め直して問いかける。 「イワタニ様、何かご心配でも」 「心配とはまた違うんだが……」 真っ直ぐに向けられる翡翠色の瞳には、これから予定されている慰労を兼ねたレベル上げイベントに対する期待や喜びではなく、重苦しい過去を体験した者だけが見せる強い決意のようなものが現れていた。 先程まで三勇者と共にカルミラ島でのレベル上げを楽しみにしていたはずの面影は一切存在しない。顔に張り付けていた仮面を一枚剥がしたかのような全く別の雰囲気をまとい、彼はゆっくりと口を開いた。 「女王に協力してほしいことがある。まずは……霊亀という存在を知っているか?」 その一言を開幕の合図として、カルミラ島でのレベル上げイベントの裏側で悲劇を回避するための計画がひっそりと動き始めることとなる。 槍、弓、剣の勇者達が主要な船室を占拠してしまったため盾の勇者一行だけで使用できる部屋が無くなってしまった。一般客に下船してもらい急いで部屋を用意するので少し待ってほしい。 カルミラ島行きの船に乗るため港まで出向いたラフタリア達を待っていたのは、そう言って申し訳なさそうに頭を下げる船員達だった。 この辺は変わらないんだな、と独りごちる尚文の隣でラフタリアは静かに怒りを滾らせる。 あの勇者達は船旅を何だと思っているのか。船という限られたスペースで効率良く人や荷物を運ぶため、それに関わる人々がどのような努力をしているのかあの者達はわかっていない。そもそも船はメルロマルクの城ではないのだ。それを理解せず、城に滞在している時と同じように勇者と同行者を別室にしたり、さらには性別でも分けたりしているのだろう。 それに比べてラフタリアが付き従う尚文は本当に尊敬すべき人だった。彼はわざわざこの時期にカルミラ島へ行くため準備してきた冒険者を勇者の都合で下船させるのは忍びないということで、あっさりと「相部屋でも構わない」と船員に告げる。船員の方も尚文の申し出を歓迎し、これ以上『四聖勇者』が周りに迷惑をかけることは回避されたのだった。 そうしてラフタリア達が出会ったのは二人の男女。尚文よりも年上であろう短めの赤い髪を逆立てたラルクベルクという名の青年と、きらきら輝く美しい青緑色の長髪を三つ編みにしたテリスという名の女性だ。偶然、乗船前にも言葉を交わした彼らと同室になったラフタリア達はしばしの船旅を五人で過ごすこととなる。 人がよさそうで何より尚文に対し好意的に接してくる彼らにラフタリアもフィーロも穏やかな気持ちで応対するが、小さな異変は尚文が名乗った時に起こった。 ラルクベルクとテリスが尚文を盾の勇者だと信じなかったこと……ではない。「だったらラルク達の好きなように呼んでくれ」と返答した尚文の顔が喜んでいるような、困っているような、そんな相反する感情を滲ませていたのだ。いつもの難しそうな顔にほんの少し滲んだ程度だったので気付いたのはラフタリアだけだっただろうが、初対面であるはずの二人が尚文にそんな表情をさせるのを見て胸に小さな不安が生まれる。 今回はカルミラ島でのレベル上げと同時進行でとんでもない計画が進んでいるのだが、ここに来てさらに大切な人に関する心配事が増えてしまい、ラフタリアはひっそりと頭痛を覚える。しかし平静を装う主人に倣ってラフタリアはその全てをやわらかな笑みの下に押し込めた。 カルミラ島行きの船内で尚文と一緒に過ごそうと思い自分一人だけの部屋を確保した元康だったが、自身が盛大に船酔いしたためその計画はあえなく失敗し、さらには夜になると近年まれに見る激しい嵐に遭遇して散々な船旅を終えた。 無事に到着し下船した後は地面の有難みを噛み締めつつカルミラ島――正確には『諸島』なのだが――を治める伯爵の説明を聞いて回る。本番はその日の夜だ。このために伯爵の説明後は町を見て回るのではなくレベル上げに専念し、十分な時間を確保できるようにしていたのだから。 しかし国から指定された豪華な宿泊施設に戻りきちんと身を清めて尚文の部屋までやって来た元康は予想もしなかった問題にぶち当たる。 「まさか尚文が夜にもレベル上げに出かけてるなんて……!」 今すぐ扉の前で床に両手をつき項垂れてしまいそうな勢いで元康は現実の無常さを噛み締めた。 一方、その頃―― 活性化中のカルミラ島ではポータルスキルが使えない。したがって日中レベル上げに専念した盾の勇者一行は夜になると沖合へ出て、そこからメルロマルクの城へ戻っていた。 玉座の間ではなく城の奥にある出入りできる者を極端に制限した部屋で尚文達を出迎えたミレリアは早速事態の進捗を報告する。 「キョウ=エスニナの捜索状況についてですが……」 カルミラ島の活性化中に実行されたのは、キョウ=エスニナという異世界から来た眷属器の所有者≠フ身柄を確保することだった。その目的は彼が引き起こす四霊・霊亀の不適切な復活および暴走の阻止≠ナある。 これがただの一般人程度の言葉であれば、戯言だと容易く切って捨てられただろう。しかし言い出したのはメルロマルク国内で目覚ましい活躍を続ける盾の勇者だ。しかも彼の話と城が所有する書物を照らし合わせれば合わせるほど、その信憑性は増していく。結果、ミレリアおよび国の上層部は尚文の言葉を信じて動き始めていた。 なぜ異世界から召喚された盾の勇者がそんな知識を所有していたのかという疑問はある。おまけにそれに関して尚文が明確な答えを寄越すことは無かった。しかし彼の声も表情も嘘や冗談を言っているものではなく、加えて「女王が国に帰って来てくれたからようやく話すことができたんだ」とミレリアへの信頼を示されてしまえば、人として動かないわけにはいかないだろう。無論、一国を預かる者として裏付け調査は十分に行ったつもりだが。 なお、様々なことを知っている尚文ではあるものの、波に関する全てを把握しているわけではないらしい。だが彼も彼なりに、自身が持つ知識を最大限活用してこの世界にいる大切なものを守りたいのだと告げた。そのためにメルロマルクの女王の力も借りたいと頭を下げて。 「それからイワタニ様から依頼があったオスト=ホウライ妃との面会について、早速先方から返答がありました。あちらの国の上層部自体は渋る様子を見せましたが、オスト妃の強い要望により実施される見込みとなっております。なお、キョウ=エスニナに勘付かれないようにするため多少手間のかかる方法での日程調整および面会となりますので、今しばらくお待ちください」 「わかった。無理をさせてすまない」 「国の……いえ、この世界のためとあればこのくらい当然のことです」 ミレリアは本心からそう返した。 山のような巨体を持つ霊亀そのものは封印により東にある国の下に眠っているが、『人々の魂をエネルギー源として世界を守る結界を張る』という使命を果たすため霊亀は美しい女の姿を生み出して活動している。それが件の国で王から寵愛を受ける傾国の美女、オスト=ホウライだ。 霊亀の不適切な復活を阻止するために必要なのは直接的な悪事を働くキョウの身柄確保と霊亀そのものへの接触である。最悪、後者はできなかったとしても構わないのだが、接触し事情を説明することで物事がさらにスムーズに進むはずであり、ゆえに尚文はオストとの話し合いを望んだのだった。 それにしても尚文がオストと知り合いだったのだろうか。妙に肩入れしている気がする。そもそもこの世界に生きる人々にとって波は大変な脅威であるものの、霊亀による結界の生成もあまり歓迎できるものではない。ならば封印ではなく霊亀そのものを殺してしまった方が容易く、かつ未来での復活もなくなるため安全ではないか。ひとが住む国を統治する者≠ニして、その考えは話を聞かされた時から常に存在していた。 無論その考えはすでに尚文へと伝えている。それに対する返答は、もし霊亀が討伐された場合、次は霊亀よりも強力な四霊が目覚めてしまうのでそれに対処できる力が無い限りは殺さない方が良いというもの。しかしミレリアは尚文が霊亀の討伐ではなく封印を望む理由が決してそれだけではないような気がしていた。 (ですが、これほどまでの人物がただ単に傾国の美姫に惑わされたとも考えられない) オストと面会した折に話すことを頭の中でまとめているのか、少し考え込むような仕草で視線を机上に向ける尚文。そんな彼の様子を眺めてミレリアは胸中で呟く。 尚文の手がおそらく無意識にスモールシールドの中央に収まる宝石に触れていた。彼がこの世界に召喚されてからずっと共にある盾は当然のことながら何も語らない。 「……ところでカルミラ島近海に沈んでいる龍刻の砂時計の存在についてですが、そちらの確認は明日以降となりますか?」 考えたいことはいくらでもあるが、霊亀とは別にもう一つ重要視しなければならない案件がミレリアにはあった。こちらも事前に尚文が話してくれた内容なのだが、どうにも国が把握していない龍刻の砂時計がカルミラ島近海に存在している可能性があるとのこと。フィトリアという名前の伝説のフィロリアルクイーンが人間の知らない龍刻の砂時計が示す波に対処してくれているという話はすでに聞き及んでいたので、眉唾物だと軽視してしまうわけにはいかないのだ。 「そうだな。明日以降になるが早々に水中用の装備を整えて確かめる予定だ。存在の有無と、見つかった場合は詳しい波の発生時刻に関して判明し次第すぐ女王に伝える。そちらも可能な範囲で海上戦用に準備を進めておいてほしい。カルミラ島でレベル上げ中の冒険者を募る案も含めてな」 「承知しました」 広げていた扇をパチリと閉じて女王は尚文を見据える。 「イワタニ様、どうかこの国を、世界を、よろしくお願いします」 「俺は俺ができることをするだけだ。……女王もどうかよろしく頼む」 「ええ。この身に代えましても」 [chapter:19] 「ようやく捕まえた」 「元康? お前、こんな時間まで起きてたのか」 真面目過ぎる尚文の所為で朝にホテル内ですれ違えれば良い程度の逢瀬しかできなかった元康に思いもしないタイミングで幸運が訪れた。 寝つきが悪く、気分転換に風呂でも……と思い、夜も深まった頃にホテルご自慢の海が望めるメインの露天風呂へ出向けば、そこにはたった一人の先客が。岩風呂の縁に腕をかけながら湯につかっていたのは元康がずっと触れたかった岩谷尚文その人だった。 「それはこっちの台詞だ。尚文、お前まさかこんな時間までレベル上げをしてたのか?」 掛け湯をしてから湯船に足をつける。持っていたタオルは岩風呂の縁へ置き、尚文の右隣に腰を下ろしてその肩を抱けば「まさか」と答えが返ってきた。 「俺一人ならともかく、まだ子供のあいつらを深夜まで働かせるなんて外道極まれりじゃないか」 「じゃあ一人でこんな時間まで起きてたお前は何をしてたんだ」 「細工だよ」 「細工?」 「そう」尚文は頷いて説明を続ける。「船で偶然知り合った冒険者の一人に頼まれたんだ。手持ちの宝石を渡すからアクセサリーを作って欲しいって」 「つーかお前にそういうことができるって初めて聞いたんだが……」 「言ってなかったか?」 きょとん、と翡翠色の双眸が瞬く。その辺の宝石やアクセサリーよりこの瞳の方が何倍も綺麗だと元康は思った。しかし改めて尚文の瞳を称賛するよりも自分が彼の特技を知らなかったという事実を前に、次いで返した答えは憮然とした口調になってしまう。 「聞いてない」 「そう拗ねんなって」 くすくすと尚文が笑い声を零す。 「行商してる最中に偶然アクセサリー商と出会って教えてもらったんだよ。まぁ国からの援助金も期待できなかったし、金を稼ぐためには良い技術だったんだ」 「へぇ……そうだったのか」 半ば必要に迫られて身に着けた技術なのかもしれない。なるほど、と元康は頷いた。 「で、ちまちま作業してたらこんな時間になってたってわけ」 「日中も活動してるんだからさすがに寝ろよと言いたいところだが、おかげでこうして久々にちゃんと話せたんだし、お前の細工技術とアクセサリー作りを依頼した奴には感謝かな? ……ところで」 抱いた肩を引き寄せ、元康は尚文の目を覗き込む。 「その依頼してきた奴って男? 女?」 「女だけど男連れだぞ。あとあれは男よりも宝石の方に意識が行くタイプだ。貢がせて豪遊したい系じゃなくてコアな宝石マニア的な意味のな。って、元康どこ触って……ッぁ」 肩を掴んでいた手をするりと撫で下ろし尚文の腰をくすぐる。元康に抱かれ慣れた身体は素直に反応してぱしゃりと湯を跳ねさせた。 「どこって、そりゃあ愛しい恋人の気持ち良い場所かな」 「ちょ、おい、待て! ここ公共の場だぞ……っ!」 「こんな時間に風呂に来る奴なんかいねぇよ」 そう言いつつこんな時間に自分達は風呂場にいるわけだが、指摘しても意味は無い。逃げようとする身体を両手で捕らえ、元康は尚文の耳朶を唇で食み、そのすぐ傍の皮膚が薄い部分を舐める。 「――っ、ゃ」 風呂で温まった肌は薄い塩の味がした。 左腕で尚文の腰を捕らえたまま、右手はへその周囲を撫でさする。ピクピクと小さく震える下腹が彼の感じやすさを示していた。元々の素質に加え元康が気持ち良いことをたっぷり教え込んだ身体は些細な刺激で容易く恋人が与える快楽を思い出すのだろう。 唾液をまとわせた舌で耳孔を浅く犯しながら、手はさらに下へと移動し尚文の陰茎に触れた。 「ぁっ、それは、」 元康の手を拒むように尚文は背を丸める。しかしその体勢は逆に元康の手を抱き込む形となるだけで、妨害としては一切意味をなさない。先端の一番敏感な場所に指を這わせればぱしゃぱしゃと水音を立てながら尚文の口から熱い吐息が零れ落ちた。 「や、はっ、う……ぅ、だ、だめ、だって……!」 「わかってる。わかってるけど……俺だって尚文が足りないんだ」 ここは公共の場。深夜といえども他人が来ない可能性はゼロではない。元康とてそれくらいは理解している。しかし散々逃した機会の所為で理性はほとんど擦り切れていた。トドメに愛しい恋人の裸とくれば、もう我慢できようはずもない。他愛のない言葉の応酬もできたし、ならば次はもっと親密な会話≠ノ移っても良いだろう。 「尚文」 「ぅん――っ!」 こちらを向かせた尚文に深くくちづけ、さらに強く陰茎を弄る。嬌声は元康の口に全て喰らい尽くされ、その下で温まった身体がビクビクと震えた。 元康に止める気が無いことを早々に理解してくれたらしい尚文は唇が離れた隙に「まったくお前という奴は」と呆れたように呟いて今度は自分からくちづける。触れ合うだけの軽いものを二度三度繰り返し元康の脚を跨いで乗り上がった彼は、こちらの両肩に手をついて顔を近付けた。 「俺が大声出さないようにちゃんと協力してくれよ。隣、女湯なんだからな」 吐息が唇に触れるほどの距離で囁かれる。 尚文の言うとおり竹のようなもので作られた背の高い壁の向こうは女湯で、さすがの自分達も騒がしくされない限りは隣に人が来たとしても気付ける自信が無い。元康は互いの唾液に濡れた唇を擦り合わせながら「了解」と返し、尚文の甘やかな声を独り占めするために再び深くくちづけた。 「ぅ……ん、ン! んっ、ぅ」 湯による浮力のおかげでいつもより尚文の身体を持ち上げるのが容易い。元康はぱしゃぱしゃと水音を立てながら自分の上に乗った恋人の腰を上下させ、浅く出し入れを繰り返した。体温よりも高い温度の湯が動きに合わせて直腸内に入り込んでくる所為か、尚文の反応もいつもより良いような気がする。 幾度も前立腺を擦られる恋人の唇から高い声が漏れそうになると、そのたびに元康は深くくちづけて尚文の嬌声を吐息ごと奪った。そうすると尚文が少し苦しそうにぎゅっと眉根を寄せ、その表情がさらに元康の欲情を誘ってより強く彼が欲しくなる。もう少しそんな尚文を眺めていたい気持ちもあったが、元康自身もそろそろ深く恋人の熱を感じたい。 湧き上がる欲には素直に従うことにして、元康は両手で尚文の尻を掴むと割り開くようにして強く自分の方へ押し付けた。 「〜〜〜〜ッ!!」 ずんっと深く貫かれた尚文が元康の口の中に悲鳴を吐き出す。元康が硬く育った陰茎の先端でこちゅりこちゅりと最奥をノックすれば熱い身体はビクビクと跳ね、すっかり勃ち上がった尚文のものが二人の間で健気に震えた。 「――っ、〜〜ン! ぅン……っ! もと、ゃ」 もう出る、と蚊の鳴くような声で囁かれる。さすがに湯の中で吐精するのはどうなのかと僅かに残る理性が尚文の瞳に見て取れた。だが今更彼の中から出て仕切り直しをするなど元康には考えられない。 その時視界の端に映ったのは自分が持ち込んで湯船の縁に無造作に置いていたタオルだ。元康は片手でそれを掴むと同時に尚文を下から強く突き上げた。 「っ、ぅ――――ッ!!」 湯の中に精液が吐き出される前に尚文の陰茎をタオルで包み込む。白濁をしっかりと受け止めたそれを片手で器用に丸めて湯船の外に出し、再び両手で尚文の腰を掴むと、元康は達してきゅうきゅうと締まる中を堪能するように数度突き上げ、自身もまた尚文の胎に吐精した。 荒い呼吸音だけがしばらく続いた後、くたりと尚文の頭が元康の肩に乗せられる。 「尚文? のぼせたか?」 「ん……たぶん、ちょっと」 「じゃあ上がるか」 そう言って元康は尚文を抱きかかえたまま立ち上がった。繋がったままそんな動作をしたものだから当然尚文の方には強過ぎる刺激が伝わることとなり、 「ひ、あっ……!」 「……やっぱお前の声聞けた方が良いな」 ぼそりと呟く。 尚文の中に出した物を掻き出して脱衣所に行って服を着せてそれから水分を取らせたら自分が泊まっている部屋に連れ込んでしまおう。そもそも愛しい恋人との逢瀬がたった一度達しただけで終われるはずもないのだ。 瞬時にそう決意して元康は一度尚文のナカから離れる。その刺激だけで震える身体を愛おしく思いながら、尚文に肩を貸して脱衣所の方へ足を向けた。 あと数歩で浴場と脱衣所を区切る引き戸に手が届くという距離まで来た、その時。 「おっとすまねぇ」 先に戸が開いて元康達に気付いたその人物が人好きのしそうな笑みを浮かべて軽く謝罪する。引き締まった体躯は勇者である元康よりも立派で、その身体の上に乗っている顔も見劣りしないレベルだ。年齢は自分達よりも少し上くらいだろうか。 短めの赤い髪を逆立てたその青年は浴場から出る元康達に道を譲るように一歩下がる。「もしかしてお連れさん、のぼせちまったのか?」と心配そうに尚文へと視線を向けたのは単なる善意からなのだろうが、達したばかりで普段より艶の増した恋人を他の男の視界に晒すのは少しばかり不愉快だった。 「少しだけな。アンタは気にせず温泉を堪能してくれ」 そう言いつつ元康は足早に尚文を連れて出ようとするが、 「あれ? もしかして、のぼせてるのは坊主か?」 元康とは違う色味の赤い瞳を尚文に向け、青年が待ったをかけた。呼び掛けられたと思しき尚文が視線を上げて「あ」と目を見開く。 「ラルク?」 「……知り合い?」 「あ、ああ。ほら、さっきちょっと話しただろ。船で出会った冒険者の」 「こいつか」 尚文にアクセサリー作りを依頼した女性と共に行動しているもう一人の冒険者、というやつだ。 元康が改めて青年を見遣れば、彼はニカッと歯を見せて笑う。「おっ、どうやらすでにご存じのようで?」と告げる彼は嫉妬心から少々ぶっきらぼうな態度を取る元康に対し微塵も不快そうな雰囲気を見せない。 「じゃあ改めて、俺の名前はラルクベルク。この時期にこの島へ来てるってことでもうお察しだとは思うが、俺もナオフミ達と同じく経験値稼ぎに来た冒険者だ」 青年もといラルクベルクの物言いに元康ははてと内心で首を傾げた。 ラルクベルク本人は置いておくとして、自分と尚文は勇者であり、特にそれを隠そうとはしていない。にもかかわらずラルクベルクは尚文のことさえ「冒険者」とひとくくりにしてしまっている。 どういうこと? と視線で尚文に問いかければ、未だ元康に肩を借りている状態の尚文は小さな声で「何回言っても信じないんだ」と呟いた。 「第二王女誘拐犯として指名手配に使われた映像とか手配書とかの顔つきと全然違うからって」 「あれは三勇教が捏造したものだろ」 「そうなんだけどなぁ」 「なになに、二人して内緒話か? お兄さんは寂しいぞ。あと坊主と仲良さげなお連れさんの名前も聞いて良いか?」 ラルクベルクが元康達との会話に割って入ってくる。そう言えば名乗り返すことさえしていなかったと気付いて元康は「すまん」と軽く言い放った。 「俺は――」 槍の勇者の北村元康。 そう続けようとするが、尚文が盾の勇者であると名乗っても信じてもらえなかったのなら自分がここで名乗る必要もないのでは、と思い立つ。 元康自身は捏造された悪事が世間に流布されたわけでもないので「顔つきが違う」と槍の勇者であることを否定される可能性は薄い。しかしその結果、槍の勇者と懇意にしているのだからやはり尚文も本当に盾の勇者だったのだとラルクベルクが考えたとしたら……。正しいことしかしていない尚文に負のイメージがついてしまわないだろうか。そこまで行かずとも、ラルクベルクが尚文に「お前本当に王女を誘拐してないんだよな?」と軽くであっても疑うような問いかけをしてしまわないだろうか。 「どうした?」 名乗りが途中で止まってしまい、ラルクベルクが首を傾げる。 元康は「いいや」とかぶりを振って、自分でも美しいという自覚がある満面の笑みを浮かべた。 「名乗るほどのもんじゃないが、あえて言うなら『尚文の恋人』だよ。それじゃあ俺達は先に上がるんで、ごゆっくりどうぞ」 「え? は……?」 隣の尚文に脇を小突かれるものの、盾の勇者の攻撃など痛いはずもなく。 自分達を見比べるラルクベルクを置き去りにして元康は完璧な笑みを崩さずに尚文を連れて戸をくぐった。 [chapter:20] 「もしかしてその腕輪がテリスさんの依頼で作っていたものですか?」 カラリと晴れた陽射しの下、ラフタリアは主人が手に持っているアクセサリーを指して訊ねる。昨夜もメルロマルクの城から戻った後ラフタリア達を先に寝かせて遅くまで熱心に作業を行っていたが、ようやく完成したようだ。精緻な細工が施された台座の上で輝くスターサファイアは息を呑むほど美しい。 「とても綺麗です。元々綺麗な宝石でしたけど、こんなにも素敵な腕輪になるなんて」 嘘偽りなく称賛の言葉を送れば、尚文の口元にも僅かに笑みが刻まれる。 今日はカルミラ島行きの船で同室になった冒険者達――ラルクベルクとテリスの二人と共に狩りへ行く日だ。 島に到着したその日の夜から忙しく立ち回っていたにもかかわらず、尚文は時間を作ってテリスに依頼されたアクセサリーを今日までに見事完成させてみせた。ラフタリアも尚文が随分と熱心に細工を施す姿を目撃しており、自分やフィーロ用に腕輪と髪留めを用意してくれた時ももしかしてこんな風に一生懸命作っていたのだろうかと嬉しく思う気持ちと、そんな姿を見逃してしまったことを悔やむ気持ちが同時にやってくる。当の尚文本人はアクセサリーを渡す相手がじっと細工をする様子を見ているなんて状況に良い顔をしないだろうが。 待ち合わせ場所である港には自分達の方が先に到着しており、後はラルクベルク達が来るのを待つばかり。これを見ればきっとテリスも喜んでくれるだろう――そして尚文を褒めちぎるに違いない――と、魔物を倒して強くなるのとは別の方向でラフタリアは胸を躍らせる。 また光るものが大好きなフィーロも尚文が作った腕輪に興味を示さないはずもなく、「フィーロにも見せてー!」と人型でぴょんぴょんと飛び跳ねた。フィロリアルクイーンの姿でないのは尚文から腕輪を受け取りやすくするためだろう。「壊すなよ?」という注意と共に腕輪を受け取った彼女も宝石に劣らぬほど瞳をキラキラさせて見入っていた。 そうこうしているうちにラルクベルク達がやって来る。 「みなさんお待たせしました」 声をかけてきたのはテリス。その後ろにラルクベルクが続く。 ラルクベルクの視線がどうにもこちらを向いていないようでラフタリアは小首を傾げたが、フィーロが太陽光に透かしながら眺めている腕輪の存在に気付いたテリスが「あっ」と声を上げたことで意識がそちらに逸れる。 「もしかしてそのスターサファイアは……」 「ああ。頼まれていた品が完成したのでな。確認してくれ」 腕輪の台座にはまっている宝石が自分の渡した物の一つだと察したテリスは、フィーロが尚文に言われて手渡した腕輪を恭しく受け取り、「これは……」と息を呑んだ。 「こんな……こんなに素晴らしい仕事をしてくれるなんて!」 彼女の青く澄んだ双眸には感情の昂りから涙が浮かび、腕輪を持つ手が震えている。落ち着いた女性というイメージがあったのだが、「宝石がこんなにも喜んでいるわ……なんて素敵なの。まるで新たな世界が開かれたかのよう……ッ!」と、潤んだ瞳でうっとりと呟く様子はそのイメージを引っくり返すものだった。その後に続いた「うらやましい」という小さな声の意味は、ラフタリアには良くわからなかったが。 彼女の傍で見上げているフィーロはぽかんと口を開け、斜め後ろに立っていたラルクベルクは「テ、テリス? 一体どうした?」と戸惑いを露わにしている。 この中で唯一いつも通りなのは尚文だけだ。テリスの過剰としか思えない反応など別段異様なことではないと言うように、彼はひょいと肩をすくめて「大げさだな」と苦笑を一つ。「まあ、前≠謔闡ス少上達したとは思うが」という小さな呟きは隣にいるラフタリアにしか聞こえない。 「で、そのアクセサリーの値段なんだが。宝石はそっちから提供してもらったし、台座に使った鉱石と加工代ってことで――」 「ナオフミさん、皆まで言わなくていいわ。こんなに素晴らしいものを作ってもらったんだもの、容易く買える金額じゃないのは確かよね。でもまずは頭金としてこちらを受け取って。残りは何としてでも払うから」 涙をぬぐい、顔は笑っているのに若干座った目で告げるテリス。その手にはいつの間にかお金が入っていると思しき袋を握っている。確かその袋はラルクベルクの懐から取り出されたように見えたのだが、持っていたラルクベルク本人もテリスの早業に目を白黒させていた。尚文でさえ今度は「うわ、すご」と驚いている。 金袋を手に歩み寄ってきたテリスからそれを受け取った尚文は中身を確認して「これで十分なんだが」と、袋とテリスを交互に見比べた。しかしテリス本人は全く納得してくれない。「ラルクの身ぐるみ剥いでもまだ足りないし、いえ、全財産を支払ったとしても全く……」などと恐ろしいことまで呟く始末だ。彼女の背後でラルクベルクが震え上がっている。 そんなテリスの背後の偉丈夫の様子を一瞥して「それなら」と尚文が口を開いた。 「カネに関しては今もらった額で十分だ。それでもまだ足りないと思うなら、カネの代わりに一つだけこちらの願いを叶えてもらいたい」 「何だって叶えてみせるわ!」 「いや、話を聞く前から即決するなよ」 前のめりの姿勢で答えるテリスに尚文がヒクリと口元を引きつらせた。それでも空咳を一つすると気を取り直して続ける。 「場合によってはカネで支払うより大変かもしれないし、その逆かもしれない」 翡翠色の双眸がテリスを、そしてラルクベルクを、じっと見つめる。テリスの暴走に若干浮ついていた空気が一瞬で引き締まる心地がした。 「ラルク、テリス……アンタ達には何も聞かずにある男を捕らえるための協力をしてほしいんだ」 尚文が腕輪の対価として提示した願いをラルクベルク達は少し考えた後に了承した。全財産を差し出したとしてもこの腕輪の価値には到底及ばないと主張するテリスの価値観もその理由ではあったが、何より突飛な提案を受け入れたのは二人とも尚文を信じるに値する相手であると思っているからだ、と付け加えて。 そんなラルクベルク達の返答に尚文は喜んでいるような、困っているような、複雑な表情を一瞬だけ見せた後、「日取り等の詳細は追って伝える。別所との調整もあるからな」と告げて、この件に関する話題は一旦終いとなった。 あとは予定通り五人でパーティを組んでレベリングを行い、尚文の腕輪によってテリスの魔法の威力が恐ろしいほどに跳ね上がったり、ラルクベルクの武器である鎌が勇者の武器のように倒した魔物を取り込むことができるという事実を知ってラフタリアは驚き、けれども尚文は平然としていたり――そう言えば彼はテリスの見たこともない魔法を目の当たりにしても気にした様子が無かった――と様々な出来事が起こりつつも問題なく一日を終えた。レベルアップやドロップアイテム等も満足のいくもので、ラフタリアとしては充実した一日だったと言える。 そうしてホテルに戻った三人は尚文の提案で家族風呂を使うこととなった。 自分ではなく尚文から家族風呂に入ろうという話が出たことでラフタリアは期待に胸を膨らませたのだが、その後に続いた「お前達と入れば確実に安全だもんな」という彼の独り言を聞いて乙女のときめきは呆気なく消え去る。一体尚文は大きな露天風呂の方でどんな体験をしてしまったのか。 気にはなるものの、深く追求すると彼にも自分にも良くないことが起こりそうで、ラフタリアは己の勘に従い口を噤む。それに悪いことを探るよりも三人で一緒に風呂を楽しめることを喜んだ方が良い。フィーロと一緒に「楽しみです」「楽しみだねー!」と笑い合い、ラフタリアは再び気分を上昇させていそいそと風呂の準備に取り掛かった。 そして、風呂場にて。 海が望めるメインの露天風呂と比べれば随分と小さく島側に向けて作られているため景観もあまり良くないが、それでも立派な岩風呂につかって尚文が大きく息を吐き出す。カルミラ島に来てから昼も夜も働き詰めなので随分と疲れが溜まっているのだろう。しかしここが踏ん張りどころなのだということをラフタリアも理解している。だからこそステータスがまだ回復していない彼を止めずに付き従っているのだ。 異性である尚文がいるため一応礼儀として身体の前をタオルで隠しつつ湯船につかる。男女別の大きな露天風呂では湯にタオルをつける行為は控えるべきだが、ここの家族風呂はそうでもない。尚文もラフタリアやフィーロを慮って大事なところはきちんとタオルで隠していた。 フィーロは胸から下をタオルで巻いて隠しているものの、風呂で泳ぐ気満々なためそのうちタオルは用を成さなくなるかもしれない。尚文が「泳ぐな」ではなく「はしゃぎ過ぎるなよ」と注意したのも一因だろう。どうやら彼もフィーロに泳ぐこと自体を禁止するのは諦めているらしい。 おっふろーおっふろーと即興でお風呂の歌を口ずさむフィーロを眺めつつ、ラフタリアは尚文の隣に腰を下ろす。「気持ち良いですね」と語りかければ、尚文も僅かに口元をほころばせ「そうだな」と頷いた。返答通り、あたたかな湯で緩んだ身体に緊張の気配は見られない。 「今日は随分とレベル上げが捗りましたね」 「ああ。ラルク達の強さはレベルだけじゃなく技術的なものもあるんだろう。勉強になる」 「はい。それにテリスさんの魔法も初めて見るものでしたが、仲間と敵を区別して攻撃できたりと、すごく便利そうでした。威力もとても高かったですし。……ナオフミ様が作った腕輪がさらに威力を高めたそうですが」 「アクセサリーに付与した魔力だけが理由って感じでもなかったが、まあ、テリスが使う魔法独特の効果なのかもな」 「そのアクセサリーですが、お金とは別に対価として要求した方の……」 「ある男の捕縛についてか?」 こくりとラフタリアは頷く。 「キョウ=エスニナの捕縛に彼らの力を借りるのですね」 「アイツらなら不足は無いだろう」 「ナオフミ様は彼らの戦いを見る前からその実力を予想されていたのですか?」 「そんなところだな。ラフタリアも実際に戦っているところを見た今なら、十分信頼に値すると思っているだろう?」 「私はナオフミ様があの二人を信頼なさっている時点で私自身も彼らを信じて問題ないと思っていますけどね」 「こら。そういう盲目的な考え方は止せって。お前は自分で見て、聞いて、考えて、判断するんだ」 「わかりました」 従属するでも依存するでもなく、自分の道を見つめて生きること。ラフタリアを大切に思っているからこそ出てくる言葉に、笑ってはいけないと理解しつつも頬が緩む。 ラフタリアの顔を見た尚文が呆れたようにほんの少しだけ眉尻を下げた。こういう人だからこそラフタリアは信じついて行こうと思えるのだ。 「ところで、待ち合わせ場所まで来た時にラルクベルクさん、様子が少しおかしかったですよね? テリスさんが腕輪の件で興奮されてからは元に戻っていましたし、その後の戦闘でも全く問題無かったようには見えましたが……。ナオフミ様は何かご存知ですか?」 今後とも共に戦う可能性があるのであれば不安要素を取り除いておきたいという気持ちも僅かにあり――大部分は目の前の人と親しげだった青年を心配してのことだ――、ラフタリアは事情を知っているかもしれない尚文に問いかけた。 「あー……あれかぁ」記憶を思い出すように尚文が虚空を見上げる。「思い当たる節が無いわけじゃ無い。ただ、アイツは被害者だし、忘れたいと思ってるんじゃないか」 俺も忘れたい。むしろ無かったことにしたい。と、尚文がぼそぼそと聞き取りにくい声で続ける。どうやら深く立ち入るべきではない事情があるようだ。非常に疲れたように肩を落とす尚文を見て、ラフタリアはとりあえず「お疲れ様です、ナオフミ様」と目の前の人を労わることにした。 「……ラフタリアは本当に良い子だな」 「もう子供じゃありませんよ」 「子供だろ」 ラフタリアを、そしてフィーロを優しげな瞳で見つめて尚文は告げる。 「お前とフィーロはこの世界で……いや、俺がいた世界も含めて、一番大切な愛しい子供達だ」 16:2019.05.02 Privatterにて初出 17:2019.05.03 Privatterにて初出 18:2019.05.06 Privatterにて初出 19:2019.05.11 Privatterにて初出 20:2019.05.13 Privatterにて初出 |