BAD APPLE




[chapter:11]

「いた! 尚文!」
 次の波に備え盾の勇者と槍の勇者がすでに城下町へと戻って来ていると聞いて前者を探していた錬は、ようやく目的の人物を見つけて駆け寄った。「錬か。どうした?」と足を止めて待ってくれる尚文の横に亜人の少女の姿はない。それを嬉しく思う自分を少し恥じながら――恥だと思うのはこんな気持ちが尚文にバレてしまえば軽蔑されるかもしれないと考えたからだ――、錬は彼を探していた一番の理由のためにその目の前で深く頭を下げた。
「れ、ん?」
「東の村のドラゴンの件、お前に迷惑をかけたと聞いた。それを謝りたくて探していたんだ」
 頭を上げずに錬は続ける。
「俺宛の依頼が取り消された時は何故なんだと憤りもしたが、調べてみたら疫病が蔓延した村は俺が退治したドラゴンの住み処のすぐ近くで、その死骸が腐って病の原因になっていたのだと知った。しかも俺が動き出すよりずっと早くに解決してくれたのが『神鳥の聖人』……盾の勇者だと。お前に色々言われていたはずなのにゲーム感覚が抜けきらずあんな巨大な死骸を放置して腐るままにさせた俺の愚かさには後悔してもしきれない。しかも村の者達を苦しめたばかりか、その尻拭いを尚文にさせてしまった。本当にすまない」
 ゲーム感覚ではいけないのだということを、最初の頃すでに尚文から言われていた。しかしその言葉を他の二人と同様に重く受け止めず、結果としてとんでもない被害を出してしまった自分。いくら村の者達から観光資源として残すよう頼まれていたとはいえ、やはり死骸の腐敗にまで頭が回らなかった過去の己に腹が立つ。何より、きっと尚文の期待を裏切ってしまった。おまけにその自分の失態の尻拭いを尚文にしてもらったとあっては、後悔も尽きることが無い。
「頭を上げろ、錬。剣の勇者であるお前が街中で盾の勇者に頭を下げ続けるのはあまり良いことじゃないだろう」
「だが」
「いいから。それにお前はちゃんと事実を調べて、反省して、おまけに謝罪までしに来てくれた。それで十分だ」
 優しい声音に促され、錬はゆっくりと頭を上げる。四つ年上の青年は怒るでもなく、悪態をつくでもなく、穏やかな翡翠の双眸を錬に向けていた。
 それだけでほっとしてしまうのだから、とことん自分は彼を慕ってしまっているのだろうと思う。しかしそれも仕方のないことだろう。
 異世界に飛ばされて期待に胸を膨らませたのは事実だが、決して心細くなかったわけではない。そんな中、年上として最年長の元康よりもしっかりと錬達に気を配り、自身が持つ知識を惜しげもなく教えてくれたのが尚文だ。
 そして尚文の態度は錬が大きな失態を犯した今も変わらない。
 彼を慕う気持ちがさらに膨れ上がるのを自覚しながら錬は自然と浮かび上がる気持ちのまま口元に弧を描く。「ありがとう」と告げれば、尚文の双眸が僅かに細められた。
「ほら、もう波まで時間が無い。お前も仲間と合流して準備しておけ」
「ああ。今回も俺と樹と元康がボスの対処に向かって、尚文は近隣住民の避難と時間稼ぎ役に回るってことでいいんだよな」
「転送される場所にもよるが、おおむねその予定だ。頼んだぞ」
「期待に沿えるよう精一杯やるつもりだ。それじゃあ、後で」
「おう」
 尚文の頷きを受け、錬は踵を返す。彼を探していた時とは違い、その足取りは実に軽やかだ。きっと今度の波のボスもすぐに倒せるだろう。そんな気がする。
 よくやった、と尚文が笑う姿を想像して錬はふっと微笑む。聖武器である剣の柄に触れれば、持ち主の心を反映したかのように宝珠がいつもより輝いて見えた。


「ナオフミ様、他の勇者達はナオフミ様のように兵士の皆さんを同行させてはいないんですね」
 今回、災厄波に合わせて転送されたのは、行商で立ち寄ったこともある村の近くだった。
 三人の勇者とそのパーティメンバーがボスの方へ向かったのとは逆にラフタリア達は近隣住民の避難のため村へと走る。傍らには尚文とフィーロの他に波の間だけ同行者として設定された城の兵士達の姿。同じ勇者であれば槍、弓、剣の勇者も人や物資を事前に登録することで共に転送されるはずだが、それらは全く見当たらなかった。
「波の時に一緒に転送できることを知らないのか、知っていても必要ないと思っているのか、どちらかだろうな。まぁ三勇教を熱心に信仰してる奴なんかが含まれていたら俺達にとってはその方が厄介だろうし……いた方がいいのかいない方がいいのか判断が難しいところだ」
「確かに城の兵士の多くは、こうしてついて来てくださった方達とは違ってナオフミ様に良い感情を抱いているとは言い難いでしょうし……」
 もしかしたらそれで尚文本人も事前に他の勇者達へ同行者に関する話をしなかったのかもしれない。上手く全ての人員が尚文の指示通りに動いてくれればいいが、前回の波でのことを思えばそれは分の悪い賭けであっただろう。
「ああ。それに住民を守ったり避難させたりするだけならいいんだが、ボスを倒す側に回られると一般の兵士程度じゃ歯が立たない。本人達が死ぬだけならまだしも勇者がそっちまで庇う羽目になれば本末転倒もはなはだしい」
 となれば、やはり現状で正解だったのかもしれない。
 ラフタリアがそう考えていると――
「波から出てくる魔物、それもボスクラスの強さが一般兵程度じゃ相手にならないのは当然として、今回は三勇者でも怪しいかもしれない」
 追走する兵士達には聞こえぬ程度に抑えられた音量で尚文が告げる。「え?」とラフタリアが聞き返せば、彼はこれから告げる内容が不本意だと言わんばかりに眉根を寄せて口を開いた。
「だから三時間経っても波が収まらないようなら俺達もボスの方へ向かう。同行させている兵士達には住民の保護を継続させるが、お前とフィーロにはそのつもりでいてくれ」
「……もっと早くボスの方へ向かうこともできますが」
「いや」
 尚文は難しい顔のまま首を振る。
「少し時間を稼ぎたい。今の俺達じゃ敵わない相手が出てくる可能性があってな……そいつと戦り合う時間が長くなれば、正直、こちらとしてはかなり危ない」
「時間が稼げれば相手の方が撤退してくれるということですか?」
「そういうことだ。俺達も、近隣住民も、ついでに三勇者も死なないようにするにはこれしか思いつけなかった。すまん」
「謝らないでください。ナオフミ様が私達のことを考えて下した決断なんですよね。その判断を私は信じます」
 そして彼の期待に応えられるよう、精一杯この剣を振るおう。
 改めて決意し、ラフタリアは強気に笑ってみせる。尚文が「すまな……いや、ありがとう」と再度謝りかけたものの言い直すのを聞き、ラフタリアはその笑みをさらに深めた。


 ボスであるソウルイーターを出現させることにすら手間取っていた錬達のもとへ駆けつけた盾の勇者一行は、あっという間にその仕掛けを暴き、さらには攻撃手段がほぼなかったはずの尚文が禍々しい盾を構えたかと思うと、空中に現れた鉄の処女がソウルイーターに死の抱擁を与えた。全身を串刺しにされた災厄の波のボスは重々しい音を立てて空を進む帆船の甲板に落ちる。
「ナオフミ様、その姿は……」
 同行する亜人の少女が半身を禍々しい鎧に包まれた主人の姿に呆然と呟く。どうやら彼女も尚文のその能力を見たことが無かったらしい。だがこれまで尚文が見せてくれていた穏やかな姿とは異なる禍々しく攻撃的な雰囲気に錬や他の二人の勇者が慄いて近づけないのとは対照的に、彼女は躊躇わず一歩踏み出し、その手を取った。
 亜人の少女の手を握り返した尚文は炎が波打つような形状の盾を軽く掲げて答える。
「これは憤怒の盾……いや、腐竜の核の所為でグロウアップしたから憤怒の盾Uだな。カースシリーズと言って四聖武器が備える側面の一つだ」
「腐竜の核ということは、盾の出現に合わせてフィーロが暴れ始めたのも」
 少女の言葉に頷いて、尚文が盾の変化を解除する。すると先程まで狂鳥のごとく周囲に攻撃を仕掛けていたフィロリアル・クイーンが自我を取り戻し、くたりと甲板の上に寝そべった。
「すまない、フィーロ。無理をさせた」
「ふえ?」どうやら暴走中の記憶は曖昧らしいフィロリアル・クイーンが不思議そうに首を傾げる。しかしすぐに片翼を上げて主人に笑いかけた。「ごしゅじんさまが必要だと思ったからそうしたんでしょ? フィーロは大丈夫ー!」
 亜人の少女もフィロリアル・クイーンも一切尚文を恐れていないことがそのやり取りだけで十分に伝わってきた。彼を心から信頼しているからこそなのか。それなら――
「俺は、どうして」
 甲板に膝をつき、錬は剣を持つのとは逆の手で自身を抱き締めながら苦しげに呟く。
 尚文を信頼しているのは自分だって変わらない。否、彼女達よりよっぽど強く尚文を慕っている自信がある。それなのに折れた膝を再び立たせることはできず、身体の震えが止まらない。そんなにも禍々しい姿をした尚文が恐ろしかったのだろうか。
「違う。この震えは不甲斐なさの所為だ」
 否定の言葉を呟いたのは錬――……ではない。声がした方に視線を向けると、少し離れた場所で元康が立ち上がるところだった。
 元康の赤い瞳と目が合い、錬もまた動かせなかったはずの足で立ち上がる。そうだ、元康の言うとおり。自分は決して予想外の攻撃力の高さを発揮した尚文に恐れを抱いたわけではない。盾である彼に剣である自分が攻撃で劣り、期待に応えるどころか一切役に立たなかった不甲斐なさに腹が立っているから身体が震えているのだ。
 だからこそ、もう震えてなどいられない。これ以上情けない姿を晒すことは絶対に許されなかった。
 元康とは反対側を見やれば、樹もまたへたり込んだ状態から立ち直るところだった。表情を引き締め、ソウルイーターの死骸を見つめる樹。彼は静かに「まずは、隣に立つに相応しい力をつけなくては」と告げ、誰を想定しているのかを示すかのように尚文を一瞥した。
 彼の言うとおり、自分達は力をつけなくてはならないのだろう。尚文の傍にいられるように。彼に呆れられないように。
 錬も樹も元康もそう決意した、直後。

「この程度の雑魚に何を苦戦しているのか」

 ふわりと降ってきたのは着物の女。
 ソウルイーターよりもはるかに強い敵が優雅に姿を現した。



[chapter:12]

 グラスと名乗る着物の女との戦いは熾烈を極めた。
 槍、弓、剣の勇者では歯が立たず、ただ一人、圧倒的強者たる相手が撤退するまで三勇者とその仲間達を守りきったのは盾の勇者である尚文だ。傷ついた身体で立ち続ける彼の姿に自分達は何度やめてくれと叫んだだろう。
 しかし尚文は盾を構えたまま一歩も退こうとしなかった。「四聖が欠ければその分だけ波は激しくなる」どこかで教えられたらしいその言葉を呟き、グラスに一撃も与えられず返り討ちに遭って動けなくなっていた三勇者をその背に庇い続けた。
 そして波は終わり――。


「ちょっと待ってくれ! 俺達が治療院にいる間に一体何があったんだ! 尚文が第二王女を誘拐した!? そんな馬鹿な話があるかっ!」
 メルティ第二王女を誘拐した犯罪者、盾の勇者を捕縛せよ――。
 そんな王からの命令を伝えた伝令役の兵士に元康は掴みかかる。
 波のボスを倒した後に現れたグラスと名乗る女に敗北し、時間切れ≠ノより女が撤退した後、元康、樹、錬の三人は戦いから一晩経ってようやく駆け付けたらしい城の兵士達により治療院に運ばれていた。「らしい」と表現せざるを得ないのは、その前に三人とも気を失ってしまっていたからだ。
 治療院で目を覚ました元康達は同じく運ばれたであろう尚文の姿を探した。しかしどこにも見当たらない。施設の者を呼びとめて「尚文……盾の勇者はどの部屋にいるんだ?」と訊ねれば、美形の元康に声をかけられ頬を染めていたその女性は瞬時に不快そうな表情を浮かべ「ここには運ばれておりませんが」と返す始末。
 どういうことだ、一番深手を負っていたのはあいつだろう!? と思わず声を荒らげた元康だったが、目の前の女性がその剣幕に怯えてしまったのを見れば自分を抑えるしかなく、詳細を問い質すことはできなかった。
 怪我が完全に癒えた後も尚文の行方は分からず、彼を探すためにも早く出発しなければと治療院を出ようとした三人に城の使者から伝えられたのは第二王女誘拐の知らせ。身体は回復したはずなのに戸惑いと混乱と心配で今にも吐きそうだ。
「僕達がこの施設に運ばれてからたった数日。その間に尚文さんが波での戦いの報告を終えて城を出て、そこから第二王女を誘拐して逃亡? 『盾の勇者』のことが随分とお気に召さないご様子の王が一体尚文さんにどんな態度を取ったのか色々と訊ねたいところではありますが、たとえ世界の平和を願うべき立場の人間がそれに相応しくない態度で『勇者』に接したとしても、それで尚文さんが王族に危害を加える……ましてや暗殺未遂や誘拐なんて重罪を犯すとは考えられません」
 元康の斜め後ろから樹が鋭く使者に向かって言い放つ。
「樹の言うとおりだ。尚文がそんなことをするはずがないだろう。誤解か何かじゃないのか」
 錬もそれに続いた。
 しかし城からの使者は元康に掴みかかられ痛みさえ覚えているはずなのに気味の悪い笑みを浮かべ、「残念ながらこれは真実なのです。証拠もございます」と告げた。
 元康が「証拠だと?」と訝しく思いながら一応手を離すと、使者は所持していた道具袋の中から水晶玉を取り出して掲げた。
「皆様は盾の勇者に、いえ、盾の悪魔に騙されていらっしゃるのです。真実はこの通り。盾の悪魔とその配下はメルティ様を強引に騎士達から奪い、王女をお救いしようとした騎士達を残虐な方法で殺害して逃亡いたしました」
 そこに映し出されたのは盾の勇者一行が青い髪の幼い少女を捕まえ、彼女を奪還しようとする騎士達を笑みさえ浮かべて虐殺する様子だった。
 巨大な鳥がその白い羽を赤い血で染めながら奇声を発する。亜人の少女が高笑いをしながら騎士達を幾度も斬りつける。そんな配下に指示を出す盾の勇者の唇は凶悪に歪み、逃げ出そうとする少女の髪を掴んでその小さな身体を引き摺り倒していた。
 これが事実だとしたら、まさに盾の勇者は悪魔であると言い直さざるを得ない。
 しかし元康は、勇者達がこれを信じるに違いないと思い込んでいる使者を見やり、ひっそりと溜息を吐いた。――三勇教はよほど尚文を排除したいらしい。
 錬と樹を一瞥すれば、彼らも元康と同じ結論に至ったようだった。そもそもあの尚文が三下悪役のような表情をするはずがない。彼が連れている仲間達も同様だろう。どうやったのかは知らないが、偽の映像を作る技術がこの世界には存在しているらしい。
 そうと分かれば、自分達はどのように行動するのが正しいだろうか。
 行方が分からなくなった尚文。同時期に所在が分からなくなった第二王女。盾の勇者を排斥したがっている者達の存在。そして三勇教に神として崇められている槍、弓、剣の勇者たる自分達――。それらの要素を頭の中で組み立てて、元康は真面目を装った真剣な表情を浮かべる。
「証拠があるなら信じるしかない。残念だが、俺達で尚文を捕まえよう。樹と錬もそれで良いよな」
「ええ、仕方ありません」
「了解した」
 眉間に皺を寄せて頷く樹と、残念だと言わんばかりに首を振る錬。
 元康達のそんな反応に満足したのか、使者は気持ちの悪い笑みをさらに深めて「皆様のご活躍を心よりお祈りしております」などと、いけしゃあしゃあと告げる。その後、詳細を詰めるためにも一度城に顔を出すよう伝えると、使者は三人を置いて治療院を出て行った。
「さて」
 しっかりと使者を見送った後、他人の目が無い所に移動して元康は口を開く。
「俺達は命令を聞き入れたフリをして尚文を探し、あいつに加勢する。それで良いよな?」
「それしかないでしょうね」
「今回のこれは陰謀の匂いが嫌ってほどするからな」
 吐き捨てるように錬が樹の言葉に続く。余程腹に据えかねているのだろう。それは元康も樹も同じだ。
 あんなに素晴らしく愛おしい人間を、ただ宗教上の敵だと言う一点のみで悪だと決めつけ冤罪を着せて排斥しようとする三勇教。王命と言うからにはオルトクレイ王も関わっているに違いない。下手をすれば最初に尚文を亡き者にしようとした第一王女が一枚噛んでいる可能性もある。どいつもこいつも全員敵だ。絶対、そんな奴らに尚文を傷つけさせはしない。
 静かに誓い合った三人はその場を離れ、城へと向かった。
 パーティメンバーとの合流は城で行われたが、さすがにこの計画を話すことはかった。元康としては仲間である少女達を信じたい気持ちが強かったが、この国の国教は三勇教。元康を慕ってくれていても、彼女達が尚文まで大切にしてくれるとは限らない。また樹と錬の方は確か城が最初に用意してくれた冒険者達とほぼそのままパーティを組み続けているはずなので、やはりこの件で全面的に信用するわけにはいかなかった。
 そうしてオルトクレイ王の命令により、三勇者は城を出発する。……の、だが。


(なんであの女が同行してるんだ)
 元康は前方を進む赤い髪の女の姿に内心で毒づく。
 盾の勇者一行を追って移動する一団には槍、弓、剣の勇者およびその仲間達と、城から派遣された兵士達が含まれていた。ただし集団を構成するのはそれだけではない。まるで自身こそがこの一団のリーダーとでも言いたげな顔で元康達の前を行くのは、過日、盾の勇者殺害未遂で謹慎処分となったはずのマルティ第一王女だった。
 大切な妹が盾の悪魔に攫われてしまった。こんな時に城でじっとしていることなどできない――。などと戯言をほざいて彼女に甘い父王の承諾をいとも簡単に得たマルティ。おまけに「そもそも盾の勇者が悪人であったのだからマルティの行為にも正当性が出てくる」とオルトクレイが後押しした所為で彼女は最早英雄気取りだ。
 盾の勇者を悪役にしたい三勇教と、自分より継承権が高い妹を良く思っていないだろう第一王女。陰謀が透けて見えるあからさまな組み合わせに元康は頭が痛くなってくる。
 早く女王に帰ってきてほしいと元康は切に願った。帰国し、この馬鹿共を抑え、尚文に正当な扱いをしてやってほしい。でなければ尚文が元康のもとに帰って来てくれないではないか。
 尚文の体温を忘れそうになっている手を軽く握り締める。今すぐにでもあの身体に触れて、甘く掠れた声を聞いて、深く深く愛し合いたい。
 こんなに強く誰かを求めたのは元康にとって生まれて初めての経験だった。
 元の世界で幾人もの女の子達、時には少年達と重ねてきた幼稚な恋愛とは異なる、まさに真実の愛。それは元康が与えるばかりではなく、尚文から注がれるたくさんの愛情によって形作られていた。甘くて優しくて気持ちいい。溺れて、沈んで、もう二度と浮かび上がって来られなくても良いと思えるもの。
 誰も元康を好きと言いながら、これほどまでの愛情を注いでくれることは無かった。いつも、誰が相手でも、元康がただひたすらに与えるばかり。
 尚文だけだ。尚文だけが元康に惜しみなく与えてくれる。愛してくれる。
(それを奪うってんなら、誰であろうと許さない)
 何としてでも三勇教および第一王女を出し抜いて尚文を危機から救い出さなければ。
 そのためにはやはり女王を呼び戻すのが最も有効な手段かもしれない。そして探し出した彼女をメルロマルクに帰国させるまでの時間を稼ぐことも必要だ。
 ふと、再度視線を前方にやれば少々騒がしくなっていることに気づいた。どうやら尚文達を追って先行していた『影』と言われる者達が戻って来たらしい。
 元康は素早く樹と錬に目配せをする。ここで尚文達が捕まるのは非常に良くない。だとすればやることは決まっていた。内容はたった今考えていたとおりである。
 追手側についたフリをして尚文達を逃がし、時間を稼ぐ。その間に自分達は女王を探して連れてくる。
 メルロマルクの最高権力者を味方につければ事態も大きく改善されるはずだ。尚文に触れられるまでの期間がまた少し長くなってしまうが、こればかりは仕方がない。
 元康はもう一度手を握り締める。今度は先程より強く。愛しいものを決して奪われまいとするかのように。



[chapter:13]

 岩の灰色と樹木の緑が混ざり合う山中で元康達はついに盾の勇者一行に追いついた。
 先の波での戦い以降まともに会話すらできていない愛しい相手に元康は思わず手を伸ばしかけたが、それをぐっと堪え、追手側として道化を演じる。
 前方では、まるで三勇者を自分の配下とでも思っているような態度のマルティが尚文を糾弾し、メルティ第二王女にはこちらへ戻ってくるよう優しい姉≠フ顔で語り掛けていた。事情を何も知らない状態であれば元康もころっと騙されていたかもしれない名女優っぷりだ。しかし腹の底で何を考えているのか分かっていれば白々しいとしか感じられない。
 マルティの存在に警戒しつつも翡翠色の双眸がちらりと元康達を一瞥した。どうしてお前達がそちら側にいるのか、と問いかけるようなそれに元康はアイコンタクトと口の動きだけで答える。
 ――にげろ。じょおうがもどるまでじかんをかせぐ。
 メルロマルクの国教が盾の勇者を敵視している三勇教であること。女王が戻ってくれば盾の勇者への扱いが正当なものになるであろうこと。それらを教えてくれたのは尚文自身だ。ゆえにこれだけ伝えられれば十分。
 元康達の意図を汲み取って尚文の唇が僅かに弧を描く。後ろで行われているやり取りに気づいていないマルティが「何を笑っているのかしら。お前にそんな余裕があると思って?」と、連れて来ている兵士達を手で示した。その近くに立つ三人の勇者は全員尚文側の人間であるとも知らずに。
 尚文も同じように考えたのだろう。弧を描いた唇から小さく笑い声が漏れた。
「っ、何を笑って……」
「ははっ……ああ、いや。赤い髪のビッチ姫は本当に愚かだなぁと思って」
 いつもの穏やかさは鳴りを潜め、どこか他人を小馬鹿にしたような響きの声。尚文のそれを耳にして、元康はぞくりと背筋が泡立つ感覚に襲われる。見たことが無い表情を目の当たりにして嫌悪したと言うより、それはむしろ――。
「ビッ……!? だ、誰がビッチですって!?」
「うん? アバズレの方が良かったか?」
 小首を傾げて尚文は挑発を続ける。元康からは見えないが、きっとマルティの顔は怒りで真っ赤になっていることだろう。そうして冷静さを欠いたままマルティは背後を振り返って叫ぶ。
「命令よ! 今すぐ盾の悪魔を殺しなさい!」
 第一王女の号令で兵士達が一斉に動き出す。
 元々彼らは盾の勇者を悪魔として嫌悪する三勇教の過激派信者達であり、誰かに命じられずとも尚文を討ち滅ぼしたいと思っている連中だ。ゆえにマルティの号令などただの合図に過ぎない。
 最初に詠唱を終えていた後方の部隊が炎の魔法を放ち、火球を尚文達の頭上に降らせた。しかし「エアストシールド!」という声と共に空中に出現した盾がそのほぼ全てを無効化する。一部狙いが外れた火球は地面に落ち煙幕を発生させるが、それが収まる前に次は抜刀した兵士らが尚文達の元へ殺到。迎え撃つのは亜人の少女と、元康が初めて目にする金髪碧眼の幼い少女。
「フレオンちゃん似の女の子がいると思ったら尚文の馬車を引いてるフィロリアルだと……!?」
 背中に翼を生やしたその女の子も亜人の少女に続いて前に出たかと思えば、同時に丸々としたフィロリアルへとその姿を変えて兵士達に強力な蹴りをお見舞いし始めた。
 第二王女も含め尚文の周りには美少女しかいないのかと、彼と恋人である元康はこんな場合であっても気が気でない。否、こんな場合だからこそなのか。もう少しすれば尚文達がこの場を離脱して、元康は再び彼と離れ離れになってしまう。その間、尚文の傍にいるのは美しい少女達だ。そして尚文は元康と関係を持っているものの、決して根っからの同性愛者ではない。
 今すぐにでも尚文の元へ向かいたいという気持ちが強くなり、槍を握る元康の手に力が籠もる。一緒にこの場から逃げ出して、錬か樹が女王を連れ戻すまで尚文と素敵な逃亡生活と洒落込みたい。
「元康さん、何ぼうっとしてるんですか。貴方も攻撃に加わらないと怪しまれますよ」
「俺達は先に行くからな」
 葛藤する元康を置いて樹と錬が飛び出して行く。勿論それはただの『フリ』だ。樹は見た目が派手なだけで威力を抑えた攻撃を、しかも万が一尚文が防御し損ねたとしても軽傷で済むような場所に撃ち込んでいる。錬も少し離れた所から剣を振り下ろして衝撃波のようなものを生み出しているが、単調で防御も回避も容易くできる類の攻撃だった。
「ああ、ちくしょう!」
 尚文を掻っ攫うようにしてこの場から逃げるためではなく、道化の演技を続行するために元康もまた走り出す。愛しい者にとって自分がどう動けば最善となるのか。そのことだけを考えて槍を構えた。
 ただしやはり本気ではなかったとしても尚文に直接槍を叩きつけるのは躊躇われる。自然と中距離攻撃がメインとなり、混戦の中で手を抜いているのではと訝る視線が僅かに向けられ始めた。しかし疑いがはっきりとした形を得る前に隙を見つけた尚文達が動く。
「フィーロ!」
「りょうかい! みんな、フィーロに掴まって!」
 尚文のもとへ戻ったフィロリアルが主人と亜人の少女、そして第二王女を背に乗せる。次いですかさず尚文が唱えたのはきっと能力値上昇の魔法だったのだろう。
「ツヴァイト・オーラ!」
 その声と共に三人を背に乗せたフィロリアルが猛スピードで走り出す。元々強力な蹴りの持ち主だったが、強化されたその足はあっと言う間に戦線を離脱。その辺の竜騎程度が追いつけるはずもなく、兵士達は風圧で一部なぎ倒された仲間を助け起こしながら唖然と見送るしかなかった。
 何とかこの場は凌ぎ終えたと見て良いだろう。いつの間に尚文があのような強力な魔法を扱えるようになっていたのか知らないが、無いよりあるに越したことはない。
 さてこれから本格的に女王を探して帰国させなければ……と考える元康だったが、その隣に錬と樹が静かに集まってくる。
「錬?」
 自分と同じような雰囲気の樹とは異なり、ほっとするどころかまだ緊張を残した表情の錬を見て元康は首を傾げる。確かにこれからが本番と言えるが、何もそこまで硬くならなくても良いのではないか。そう思う元康だったが、錬は二人の顔を交互に眺めて眉間に皺を寄せた。
「おそらく今後は俺達もバラバラになって行動することになる。十分に気をつけろよ」
「どういうことですか」錬の雰囲気から良くないものを察した樹が声を潜めて訊ねた。「尚文さんに対する追手としてはそれなりに上手くできたはずですが」
「ああ、そうだな。しかし俺達三人とも尚文と親しくしているのは王や教皇を含め周囲の知るところでもある。加えて、盾の勇者の名声が国内で広まる中、俺達の方はイマイチの様子……そして今回の第二王女奪還失敗とくれば、いくら三勇教といえどもいつまでも俺達を神様扱いするとは限らない。つまり尚文だけでなく俺達の方も気をつけておかないと危ないかもしれないってことだ」
「俺もちゃんと村の飢饉を救ったりしているぞ?」
 元康はそう答えたが、錬の顔色は晴れなかった。詳しい話を聞く余裕は無かったが、色々と事情があるらしい。
 ひとまず錬に「分かった」と頷いて、三勇教が元康達本人にも牙を剥く可能性があることを頭の片隅に留めておく。ちょうどマルティとは別の実質的に一団をまとめている兵士が近づいて来たため三人の会話はそこで終わらざるを得なくなった。
 錬の心配が的中したことを知るのは、もう少し先。
 元康が『別行動を取っていた錬と樹が盾の勇者に殺害された』という知らせを受け、関所で尚文と再会した後のことである。



[chapter:14]

 弓の勇者と剣の勇者が盾の勇者に殺されたと言う知らせが届いて間もなく、関所で待機していた元康のもとにその盾の勇者が近くに現れたという続報が入ってきた。メルロマルク貴族のイドル=レイディアが治める町に凶悪なドラゴンが出現したのを最後に、三勇教が従える『影』が盾の勇者一行を見失って以降足取りが掴めなかったのだが、どうやら無事であったらしい。
 樹と錬が殺されて怒りに支配されている演技をしながら元康はほっと安堵の息を零す。無論、二人のことも心配ではあるのだが、きっと大丈夫だと元康は自分に言い聞かせていた。錬のおかげで三勇教を警戒しなくてはならないという意識はあったし、そして何より自分達には女王を探し出して帰国させるという使命がある。これを成さなければ死んでも死にきれない。
「尚文のもとへ向かう」
「ご一緒しますわ、モトヤス様」
 元康が重い声で告げて歩き出せば、同じく関所で待機していたマルティが隣に並んだ。一瞥したその顔には実に満足そうな笑みが浮かんでいる。全て自分の思い通りに事が運んでいるとでも思っているのだろう。
 過日、尚文を殺害しようとした時に元康から殺気まで向けられた彼女だが、それに対する忌避感は微塵も抱いていない。理由は少し遡り、城を出る前に交わされた会話にあった。
 第一王女は自身もメルティ第二王女救出に同行すると表明した際、元康達にこう説明していたのだ。『当時、元康、樹、錬は盾の勇者が保有する洗脳の盾≠ノより正常な判断ができなくなっており、何が起こっても盾の勇者の味方をするように仕向けられていた。しかし今は盾の勇者が逃亡したことでその洗脳も解け、正しい判断ができるようになっているはずである』と。
 真っ赤な嘘に乗じて元康達が「そうだったのか」と頷いたことにより、彼女は三勇者が自分の味方についたと思っているのである。おまけに駄目押しとばかりに同行している最中ずっと元康が第一王女に甘い顔を見せてやれば、彼女はすっかり槍の勇者の相棒気取りでこんな所にまでついて来た。おかげで女王探索をあの二人に任せてしまった代わりに情報がいち早く手に入るようになったので、元康としては苛立ちを押さえて道化を続けた自分に良くやったと言ってやりたいところである。媚びた表情ですり寄られ、槍を握る手に何度力が入ってしまったことか……。耐えきれたのは尚文への想いがなせるわざだろう。
 元康は隣の忌々しい存在を意識の外に追い出して建物の外へと向かいながら今後について考える。
 樹と錬が殺害されたと報告があった、つまり三勇教の刺客があの二人に攻撃を仕掛けたとして、何故元康だけが彼らと同じ目に遭っていないのか。それはおそらく三勇教と繋がっているマルティがこちら側にいるためと、元康に尚文を殺させるためであると予想される。尚文への憎しみを煽って槍と盾を戦わせ、三勇教自体は手を汚さない。なんとも嫌な方式だ。
 ただしここで忘れてはならないのが、錬の言っていた「いくら三勇教といえどもいつまでも俺達を神様扱いするとは限らない」という台詞だ。元康としては活躍こそすれど大きな失態は犯していないと思っているのだが、気づいていないところで失敗をしている可能性は否定できない。またそれとは別に尚文と親しくしている場面を王にも教皇にも目撃されている。錬と樹が排除対象になった今、盾の勇者を倒した後かもしくは同時に元康もまた亡き者にされるという展開は――マルティの存在があったとしても――絶対に起こらないと言い切れるものでもなかった。
 十分な警戒が必要であると再認識し、元康は建物の外に出る。
 そこにいたのは兵士に囲まれた愛しい人とその同行者達。もう少し時間を稼ぐのであれば元康が負けたフリをして彼らを国外へ逃がす必要があるのだが……さて、三勇教はそれを許すだろうか。
「よう、尚文。お前、樹と錬を殺したんだってな」
 彼にこんな刺々しい声で話しかけるなんてとんでもない。今すぐその腰を抱き寄せて溶けるくらいに甘く耳元で囁いてやりたいのに。そんな思いを押し殺して元康は道化を演じる。
 こちらに合わせて「俺はやっていない」と尚文が否定の声を上げれば、横からマルティが洗脳の盾の持ち主が嘘を言うなと口出しをしてきた。本当に鬱陶しい。
 ともあれ、ある程度戦うフリはした方がいいだろう。
 元康が槍を構えれば、尚文は盾を構え、彼の同行者達も警戒の姿勢を見せる。おそらく彼女達も尚文から元康達の考えを聞かされているだろうから上手く動いてくれるはずだ。
 そう信じて槍の穂先を尚文達に向けたまま元康は勢い良く地面を蹴った。
「二人の仇、ここで討たせてもらう!」


 盾の勇者一行と槍の勇者一行の戦いが始まってしばらく経った頃、周りにいた兵士達が静かに退き始めた。戦いに集中していたなら気づけなかったかもしれないが、最初から三勇教の動きを警戒していた元康はその変化を敏感に察する。尚文も同じように異変を察して小さく「そろそろ来るか」と呟いた。
「尚文?」
「元康、お前の仲間達をこっちに集めろ。デカいのが来る」
「! わかった!」
 尚文に言われ、元康は即座に後方で援護魔法を放っていたパーティメンバーの少女達を呼びつける。突然態度を変えた元康に戸惑う同行者達だったが、「早くしてくれ!」と重ねて告げれば、さすがに異常事態だと察して素早く駆け寄ってきた。
「フィーロ、お前も気づいてるな? 面倒だがそこのビッチもこっちに放ってくれ!」
「わかった!」
 尚文に言われてフィロリアル姿のフィーロが素早くマルティのもとへ走り、彼女の襟首を嘴で掴んで尚文のもとへ放り投げる。その羽毛は間も無くやって来る『それ』の気配に総毛立ち、瞳には焦りが宿っていた。
 フィーロが五月蝿く喚くマルティを放り投げ自身も主人のもとへ駆け寄る間に亜人の少女とメルティ第二王女も尚文に呼ばれてその傍らへ急いで集まってくる。
 元康は放り投げられたマルティをキャッチしついでにこれ以上喚かないよう口を塞いで片腕で拘束しつつ――元康に受け止められて一瞬だけ喜んだマルティだったがすぐに眉を吊り上げてうーうーと唸りだした――、隣の尚文に訊ねた。
「こいつは放置しても良かったんじゃないか」
 殺されかけたのに、尚文は優しすぎる。
「生かしておいた方がたぶん女王の心証が良くなる」
「なるほど」
 甘ったれた思考ではなくちゃんと打算を働かせたがゆえの結論らしい。そういうところも好きだなぁと思う元康の傍らで、全員近くに集まったことを確認した尚文が禍々しい形状に変化させた盾を構える。
「シールドプリズン! エアストシールド! セカンドシールド!」
 周囲に出現した盾が元康達を包み込み、おそらくその外側に複数の盾が出現する。だがそれだけでは足りないとばかりに尚文は盾を頭上に構え、さらにその下でフィロリアルの大きな翼が皆を庇うように展開された。
 直後、重い振動が元康達を襲う。五月蝿く唸っていたマルティですら命の危機を感じて黙り込むほどだ。
 バキンバキンと硬質な何かが割れる音。次いで皆を包み込んでいた盾までもが破壊されて振動の正体が明らかになる。
 それは空から降り注ぐ極太の光。尚文の構えた盾が最後の砦とばかりに足元の仲間達を守る。フィロリアルの羽の隙間からその光景を目にして元康は絶句した。
「もう……少し……」
 空を睨みつけるようにして尚文は盾を構え続ける。
「……終わった!」
 光が、消えた。
 周囲を見渡せば、尚文が掲げた盾の防御範囲から外れた地面が大きく抉り取られている。焼け爛れた巨大なクレーターの中心で唯一無事だった地面に立ち、受けた攻撃の恐ろしさに元康は身を震わせた。
「な、尚文。これは――」
 その声を遮るようにクレーターの縁に立つ影が穏やかさの中に悪意を潜ませて告げる。
「『裁き』を受けて平然としていますか。さすがは盾の悪魔」
 高等集団合成儀式魔法『裁き』――それが先程放たれた攻撃の正体なのだろう。
 元康が声のした方へ視線を向ける。立っていたのは豪奢な法衣に身を包んだ初老の男、三勇教の教皇。背後に数えきれないほどの信者や兵士を侍らせて諸悪の根源は皺が刻まれた顔に笑みを浮かべた。
「伊達にこっちは防御専門にしてねぇんだよ」吐き捨てるように尚文が告げる。「むしろ悪魔なんて表現が正しいのはお前の方じゃないのか。俺だけじゃなく大した活躍もせず盾に名声で劣り始めた他の勇者もまとめて排除とは、聖職者が聞いて呆れる」
「神の名を騙る偽物を滅することに何の問題がありましょう?」
「偽物ねぇ……確かに樹はこそこそ動いてばかりだったし、錬はドラゴン退治の後始末不足で疫病を流行らせた。だからってこれまで散々神様扱いしていたのに都合が悪くなりゃ途端に偽物扱いとは、手のひら返しが酷過ぎるんじゃないか」
「信仰を揺るがせる偽物の勇者をいつまでも神として崇める方が悪徳でしょう」
 あっさりと弓の勇者および剣の勇者を殺害したのも自分達であることを認めながら教皇は悠然とそう返した。
「だったら二人の王女も巻き込もうとした事実にはどんな言い訳を用意するつもりだ」
 尚文の言葉に近くでへたり込んでいたマルティがぎょっと目を剥く。命が助かったことにばかり意識が向いていたが、協力関係にあったはずの教皇がたった今自分を殺そうとしたことにようやく気づいたのだろう。
「残念ながら次期女王候補はお二人ともすでに盾の悪魔に殺されてしまっているのですよ」
「なっ、私が盾なんかに殺されるわけないじゃない!」
 教皇の言葉にマルティが声を荒らげる。しかし教皇は朗らかとも言える笑い声を零し、微笑んだまま残酷に告げた。
「いえいえ、貴女はすでに亡き者なのです。ですがご安心ください。貴女の代わりに国を継ぐ者はすでにこちらで準備しております。全ては神のお導き……貴女のような俗物はこの世界から早々にご退場ください」
 完全に切り捨てると宣言され、マルティは絶望に打ちひしがれながら膝を折った。三勇教の口車に乗っていれば本当に女王になれると思っていたのだろうか。憐れ過ぎて言葉も出ない。
 元康は軽くかぶりを振ると視線をマルティから教皇へと戻す。
 眼鏡の奥から蔑む視線を尚文に向ける教皇は「残念ながら悪魔の浄化に『裁き』だけでは足りないようですので」と言いながら背後の部下に何かを持って来させた。それは複雑な装飾が施された大剣のように見える。直後、武器を目にした王女達が二人揃って顔を青褪めさせた。
「なっ、それは――」
「ナオフミ気をつけて! あの武器は」
 第二王女の忠告が終わる前に教皇が大剣を振り被る。
「神の裁きを受けるが良い」
 大剣が振り下ろされた瞬間、衝撃波が地面を通じて尚文に殺到する。その威力は直接標的にされていない元康ですら総毛立つほどのものだ。しかし尚文本人は禍々しいままの盾を構えて、
「……勇者の武器の複製品ごときで本物の勇者の盾を貫けると思うな」
 一歩も下がることなく教皇の攻撃をその盾で受け、重く、静かに、相手を睨みつけた。



[chapter:15]

 剣だけではなく槍にも形状を変える聖武器の複製品の攻撃を尚文は全て防ぎ続けていた。しかしこちら側の攻撃も集団魔法による防御に阻まれ届かない。圧倒的な数の差がある以上時間をかければかけるほど自分達の方が不利であると悟って元康は苦虫を噛み潰したように表情を歪める。
 だがそんな元康とは異なり、ちらりと一瞥した尚文は未だ余裕を崩していなかった。用意していたSP回復ができるアイテムを摂取しつつ、クールタイムを考慮して複数のスキルを上手く活用しながら、教皇が放つ大技もその後ろから教徒達が放つ数々の魔法も背後の仲間達に一切届かせはしない。元康が自分自身を情けなく思うほどの素晴らしい活躍っぷりだ。
 ただし気にかかることが一つ。強力な反撃ができるはずの盾を構えているにもかかわらず尚文が攻撃に転じる気配がないことである。なお、もう一つの鉄の処女を出現させる大技は発動まで時間がかかり過ぎるため使えないのだと仮定する。
 グラスと名乗った女との戦いから推察するに件の技は近距離攻撃限定の反撃であるようだが、それなら近くの仲間に攻撃させてカウンターを発動させればいい。それをしないのには何か理由があるのか。
(攻撃が通らないと分かっている? それとも何かを待って……)
 後者の考えに元康がハッとしたその時。
「ハンドレッドソード!」
「流星弓!」
 死亡したと伝えられていた二人の声が辺りに響く。そして教皇の頭上から降り注ぐのは数多の剣と矢が混じり合った必殺の雨だ。
 尚文達に大技を放とうとしていた教皇が瞬時に技を切り替えてその迎撃に当たる。剣と矢の雨を全て防ぎ切った教皇が新たに現れた人影を目にして不快そうに呟いた。
「貴方がたは『裁き』により浄化されたはずだったのですが」
「ふん、そう簡単に倒されてたまるか」
「三勇教が怪しいのは最初から分かっていましたし、女王側の『影』も手助けしてくれましたからね」
 鼻を鳴らす錬とにこやかに微笑む樹。その周囲にメルロマルクの騎士の鎧を身に着けた者達が姿を現す。集団の先頭で指揮を取るためフィロリアルの背に跨っているのは、もしや――。
「女王陛下……」
 苦々しくその存在を口にする教皇を、元康達が帰還を待っていたメルロマルク女王その人が怒りもあらわに睥睨する。
「我が娘達や世界の要たる勇者様方を亡き者にしようとするだけでなく、盗み出した聖武器の複製品を使って自らが神であると僭称するその蛮行と驕り……目に余ります。三勇教、いえ、邪教の長よ、大人しくその首を差し出しなさい」
 口元を隠していた扇をパチンと閉じ、その先端で教皇を指す女王。堂々とした姿と娘が二人もいるとは思えない美貌が一瞬で周囲の空気を支配する。
 しかし教皇がそれで大人しく言うことを聞く人間であったならこんな面倒な事態にもなっていなかっただろう。教皇は投降するどころか不敵に笑って手にした複製品を再び剣の形に変える。同時に、その後ろで始まるのは『裁き』の詠唱だ。女王側の軍勢が詠唱を止めさせるため攻撃を開始するが、三勇教信者が死さえ恐れず肉壁として前に出る。
 さすがにこの状況でもう一度『裁き』が放たれるのはまずい。尚文の盾があれば彼とその周囲にいる者達は守られるだろうが、女王側の騎士達も含めるとなると途端に難易度が跳ね上がる。おまけに『裁き』の詠唱を勇者に邪魔させないため教皇が複製品を構えて間も無く攻撃を放とうとしていた。
 どうすれば、と焦る元康。三勇教側の兵士を蹴散らしながら錬と樹もこちらへ駆け寄って来るが、自分達三人の攻撃を合わせて相殺できるレベルなのだろうか。
「……錬」
 初撃の『裁き』で出来上がったクレーターの中心にぽつりと不似合いなまでに穏やかな声が落ちる。元康や樹と同じく厳しい表情をしていた錬がその声の主に視線を向けて名を呼んだ。
「尚文?」
 翡翠色の双眸が真っ直ぐに錬を見つめていた。片手には禍々しい盾を持ち、もう一方の手で彼がいつも連れている亜人の少女の手を握って。
 不思議な状況の意味を最初から理解していたのは尚文本人と亜人の少女、それからフィロリアル・クイーンのみ。
 理由も分からず自分ではない男に真っ直ぐ向けられる視線は元康の胸をチリチリと焦がしたが、すぐにその答えが提示される。
「錬、もっとお前の顔を良く見せてくれ」口調は優しい。しかし尚文が纏う空気の気配が変わる。「お前に殺されたドラゴンがお前への憎しみと怒りで盾に力を与えてくれるんだ」
 その言葉の意味に錬が息を呑んだ直後、尚文の胸当ての部分に埋め込まれていた宝石が怪しく光を発し翡翠の双眸が赤く染まった。半身がドラゴンを模したような禍々しい鎧に覆われ、盾もまたさらに凶悪なデザインへと変わる。
 グロウアップした盾を構えて尚文は短く感謝の言葉を告げながら亜人の少女の手を離し、傍らに立っていたフィロリアル・クイーンにも翡翠色に戻った瞳で静かに微笑んだ。
 しかしその直後、一瞬だけ生まれた穏やかな空気を消し飛ばさんとばかりに教皇が複製品の剣を振るう。
 強烈な光が一直線に尚文へと向かった。
「高々形状が変化しただけで何ができると言うのです」
「少なくともお前の攻撃には簡単に対処できるようにはなってるさ」
 両脚で踏ん張るまでもなく、半身を教皇へ向けたままの状態で尚文が盾を掲げて立っていた。明らかに先程までより容易く攻撃を防いで見せている。
「ならば」教皇が苦々しく表情を歪めつつ信者達に合図を送った。「これでどうです!」
 放たれるのは二度目の『裁き』の光。
 尚文の背を見つめる者達の一度目の威力をまだ忘れていない身体が僅かに恐怖で硬くなる。守るべき範囲も広すぎて尚文一人では到底防ぎ切れるようには思えない。しかし尚文本人はあくまでも自然体だった。「フィーロ、俺を乗せて飛べ!」とフィロリアルに命じた彼はその背に乗って上空へ。複数の盾で仲間達を覆うでもなく、たった一つのあの禍々しい盾を頭上に構えて空から降り注ぐ光を受け止める。
「なっ……」
 息を呑んだのは誰だったのか。
 尚文が構える盾から下には一切の残光も届かない。単身で『裁き』を受け切った盾の勇者の姿に教皇が驚愕を露わにした。
 そして尚文の反撃はそれだけで終わらない。フィロリアルの背に乗ったまま彼は教皇めがけて走る。怯えるように一歩後ずさった教皇がその手にある複製品を弓の形に変えた。
「ミラージュアローは面倒なんで使わせない!」
 攻撃が発動するよりも早く技を見切った尚文がフィロリアルの背で詠唱を叫んだ。
『その愚かなる罪人への我が決めたる罰の名は神の生贄たる絶叫! 我が血肉を糧に生み出されし竜の顎により激痛に絶叫しながら生贄と化せ!』

「ブラッドサクリファイス!」

 瞬間、フィロリアルの背に乗っていた尚文の全身から血が噴き出した。だがそれを予期していたかのように尚文の表情は変わらない。
 翡翠色が睨みつけた視線の先では赤黒い金属で作られた巨大な竜の顎門(あぎと)が出現し下から教皇の全身を挟み込む。
「ぐっ、う……!」
 顎門の正体は噛み合わせの部分が多重構造となっている巨大なトラバサミだ。牙の如く生え揃った巨大な棘が老いた男の身体に容赦なく突き刺さった。しかも悪竜の咀嚼は一度では収まらない。しぶとく教皇が抵抗の意思を示すものの、そのたびに金属の牙が豪奢な法衣を貫き血に濡らす。
 やがて急速に「ひと」が「肉片」へと変わる一部始終を周囲に見せつけ、そして最後にはぐちゃぐちゃになった「それ」を加えたまま鋼の悪竜は地面に沈んで姿を消した。
 首謀者の消失を見届けた尚文がフィロリアルの背で羽に埋もれるようにして倒れ伏す。
「ごしゅじんさま!?」
「ナオフミ様!」
「やっぱこれキツいな……」
 従者達の声が聞こえていないのか、尚文が小さく呻く。
 二人に少し遅れて駆けつけた元康達が見たのは、全身を切り刻まれたもしくは身体の至るところで内側から弾けたような状態でフィロリアルの羽を赤く濡らし続ける尚文の姿。ぞっとするような出血量に足がすくんだ。
 しかし僅かに目を開けた尚文が元康達に取り乱すことを許さない。
「お、い……」
「尚文!? お前何を」
「教皇は倒した、から……雑魚は、任せる」
 そして翡翠は再び血で汚れた瞼の裏に隠される。
「騎士達は三勇教の捕縛を! 治療班! 盾の勇者様の治療を最優先に!!」
 遠くで女王の号令の声が聞こえた。すぐに治癒魔法に特化した者達が駆けつけてドライファクラスの治癒魔法をかけ始める。今の元康達では手伝うどころか足手まといになるレベルだ。
 だからこそ。
「錬、樹……」
「ああ」
「分かっています」
 元康の呼びかけに二人が武器を構えて応じる。
「残党狩りだ。一人残らず討ち取るぞ」
 多少派手≠ノなってしまったとしても悪いのはあちらだ。遠慮はいらない。無論、慈悲さえも。







11:2019.04.20 Privatterにて初出 12:2019.04.23 Privatterにて初出 13:2019.04.27 Privatterにて初出 14:2019.04.29 Privatterにて初出 15:2019.04.30 Privatterにて初出