BAD APPLE




[chapter:6]

 ラフタリアのレベルが上限の40に達した。
 しかしクラスアップは女王が帰国してからだという話は、尚文よりかなり前から聞かされていた。盾の勇者を侮り罠に嵌めようとした件で第一王女及び彼女を溺愛する代理王との仲が非常に険悪なものになってしまっているのがその原因であるらしい。彼らと三勇教の尚文に対する扱いは非常に悪く、まともにクラスアップを願っても対応してもらえないのだとか。さらにはクラスアップを望むほど盾の勇者が力をつけていると彼らに知られた場合、余計な手間≠ェ増える可能性もあるとのこと。ゆえに公平に対応できる理性を持った女王がメルロマルクに戻ってくるまで教会関係はお預けなのである。
 代わりに武器熟練度、精錬、鉱石強化、等のレベルによらない強化方法を繰り返し、ステータスの強化を行うことになった。おかげで同じレベルであってもラフタリアの方が他の冒険者に比べてずっと強くなっている。「これでもっとナオフミ様の剣として戦うことができます!」と意気込み、当の尚文本人に思わずと言った感じで小さく微笑んでもらえたのは良い思い出だ。
 ともあれ、そんなわけでラフタリアは尚文と出会って以降、三勇教の教会を訪れる機会など一切なかった。
 しかし今日はそうもいかないようである。尚文曰く、波の正確な到来時刻を知るために一度教会へ赴き、龍刻の砂時計を確認する必要があるとのこと。一度登録してしまえば以降はステータス画面で確認できるようになるので『一度だけの我慢』というやつだ。
 嫌なら留守番をしていても良いとは言われたが、尚文を蔑ろにする場所――『敵地』と言っても過言ではない――に彼一人で赴かせるわけにはいかない。絶対について行きますとラフタリアが力強く宣言すれば、尚文は若干気圧されたように「お、おう。わかった」と頷いてくれた。こちらの熱意が伝わったようで何よりである。
 そうして城下町にある教会へと足を踏み入れた二人だったが――。
「尚文? 尚文じゃないか!」
 赤い砂を落とし続ける巨大な砂時計を眺めていると、背後から若い男の声が聞こえてきた。振り返って確認すれば、教会の奥と思しき場所から出てくる集団がいる。一人だけ男性で、他は女性。手に槍を持ち、金に輝く長髪を高い位置で一つに括ったその男性が先程尚文の名を呼んだ人物なのだろう。親しげな様子で尚文に笑みを向け、軽い足取りで近寄ってくる。周りに侍らせている女性達は置いてけぼりだ。
「元康か。久しぶりだな」
 金髪の男性――槍の勇者の名を呼び返す尚文の様子にラフタリアは「あっ」と小さく呟き目を見開く。仮面だ。城下町に入ってすぐ尚文は人好きのする雰囲気で自身を覆い隠してしまうが、今この瞬間、その偽りの姿がもっと強固なものになってしまった。
 尚文の本当の姿を知っている者だけが気づける変化を目の当たりにして、ラフタリアは近づいて来た男が己の主人にとって最大級に警戒しなければいけない相手であることを強く認識する。
 ラフタリアの警戒に気づいていないのか、そもそも尚文のことしか目に入っていないのか。槍の勇者は尚文の肩を抱くと微笑みながらも少し拗ねた様子で顔を寄せる。肩を抱いたまま尚文の身体を指先でそっと撫でるような動きがひどく不快だ。
「あれからちっとも会えねぇし心配したんだぜ?」
「悪い。波までには間に合わせるって自分で言った手前、中途半端な姿じゃお前に合わせる顔がないと思って」
「ああ〜〜ッ」槍の勇者はバガッと尚文に抱きつき、感極まったように唸り声を上げる。「お前! 本当にそう言うところがさぁ! そんなこと言われちまったら拗ねたフリすらできねぇじゃんか!」
「はは。だから悪かったって」
 抱きついてきた男の背をぽんぽんと軽く叩き尚文が苦笑を浮かべる。
「ところで元康は教会に何の用……いや、分かりきったことだったな。仲間のクラスアップか」
「ああ」未だ尚文に抱きついたまま顔を上げて槍の勇者が頷く。「お前も?」
 赤い瞳がラフタリアに向けられた。どこか探るような視線はパーティメンバーを女性ばかりにしている人物とは思えないピリピリとしたものだ。
「いや。俺の方はまだそこまでレベルアップできてない。今日は波までの正確な時間を確認しにきただけだ」
「あー……そっか。お前、最初の同行者が『あいつ』だったせいで龍刻の砂時計すら確認できてなかったのか」
「そういうこと。察しが良くて助かる」
「で、今度の同行者は信用できる奴なのか?」
 尚文が話しかけたことで一旦彼へと向けられていた二つの赤が再びラフタリアを捉える。やはり女好きと思しき人物にしては攻撃的な視線だ。もしかして彼は尚文の隣に立つラフタリアに嫉妬でもしているのだろうか。
「あの女と比べるのはこの子に失礼だからな」きっぱりと言い切り、尚文がラフタリアを手で指し示す。「この子はラフタリア。見ての通り亜人で、少し前に奴隷商から購入した」
「ど、奴隷!?」
「悪いか? この国の法律は破ってないんだが」
「え、いや、まぁ、そうだけど……!」
 槍の勇者が交互に尚文とラフタリアを見やる。若干赤くなった顔に何を想像しているのか察したラフタリアは思わずしかめっ面になった。その硬い表情のまま槍の勇者をひたと見据える。
「ご紹介に与りました、ラフタリアと申します。槍の勇者様。先に申し上げておきますが、私はナオフミ様の剣であり、貴方様が想像されているような意味で主人をお慰めする立場ではありません。その妄想はさすがにナオフミ様に対して失礼ですよ」
「あ、ああ……そうなんだ……」
 よかった、とぼそりと呟く声が聞こえる。もう彼が尚文に向けている感情は十分に理解した。不愉快極まりない状況にラフタリアは内心暴れまわりたくなったが、尚文本人より一瞥をもらったことで必死に耐える。彼のためにもラフタリアがここで失態を犯すわけにはいかない。
「もしかしてお前が言ってたやりたいことってこれか?」
「ああ。奴隷なら下手な裏切りに合うこともないし、良いかと思って。何せこの国は……まぁ、この教会のシンボルそのままな状況だしな?」
 後半はここがその教会の内部であるため囁くように。
 槍の勇者もメルロマルクの国教が盾を排斥するものであるとすでに理解しているのか、控えめに頷いて「そうだよな。三勇教に加えて王女の件だもんな……まともに仲間を探すのは難しいか」と納得してみせた。
「はぁ……勇者同士の反作用が無けりゃなぁ」
 そうしたら俺がずっと尚文と一緒にいてレベル上げだってできるのに、と肩を落とす槍の勇者。そんな男の背中をラフタリアは冷めた目で見つめる。尚文に本当のレベルすら教えてもらえない輩が一体何様のつもりなのか。
「……ナオフミ様、そろそろここを出て装備の点検を行いませんと。波までもう時間がありません」
「そうだな」未だ抱きつく男の手をそっと外し、尚文はラフタリアに頷き返す。「というわけで元康、名残惜しいが今日はここまでだ」
「なっ……もう少しくらい一緒に」
「波に万全の態勢で挑むのが俺達の仕事だろう?」
「っ、じゃあ波が終わったらまた時間をくれ」
「分かったよ。お安い御用だ」
 眉尻を下げ、情けないにもほどがある槍の勇者に向けて尚文が偽りの微笑みを浮かべる。そのまま去り際に金の髪をひとふさ指先で持ち上げ、するりと梳いて手放した。
「じゃ、またな」
「あ、ああ!」
 槍の勇者の顔が赤い。一体何を想像しているのか。幼いながらも何となく察することができてしまい、ラフタリアは拳を強く握って立ち去る尚文の後に続いた。
 この後、尚文と入れ違いに他の勇者二人とその仲間達が教会へと足を踏み入れ、顔を赤くしている槍の勇者に首を傾げるのだが、それはラフタリア達の与り知らぬことである。
「ラフタリア」
 教会から十分に距離を取り、人通りの少ない路地を進みながら、尚文に呼ばれてラフタリアは「はい」と答えた。
 自分からは尚文の背中しか見えないが、雰囲気は彼本来のものに近くなっている。街中なのでまだ気は抜けないものの、ひと山越えたと言ったところだろうか。
「不快なものを見せたな」
「いえ、ナオフミ様にとって必要なことだったと理解していますので」
「すまない」
「謝らないでください。詳細は伺いませんが、私はナオフミ様の剣。いつまでも貴方の傍で、貴方のために戦います」
 魔物との戦闘でも、それ以外でも。
 そう告げれば、前を行く尚文の足がぴたりと止まった。そして勢いよく振り返ると、彼はラフタリアの頭をぐしゃぐしゃと力強く撫でる。
「なっ、ナオフミ様!?」
「ありがとう。お前がいてくれて本当に良かった」
「……いいえ、いいえ! その言葉が私にとって何よりのご褒美です、ナオフミ様!」
 撫でる手によって視線は下向きに。ゆえに尚文の顔を見ることは叶わなかったが、どこまでも優しい声にラフタリアは頬を緩めて幸せそうにそう答えた。



[chapter:7]

 メルロマルクに二回目の、四聖勇者にとっては初めての『波』が襲来。
 龍刻の砂時計によって刻まれる時刻がゼロを示した瞬間、各地に散らばっていた四人の勇者とその仲間達は波が発生した場所へと自動的に転送され一堂に会した。
 近くにはリユート村という村があり、当然のことながら波がどこで発生するのか分からない状況で村の住民達が避難できているはずもない。城から軍が一両日中に駆けつけられる場所ではあったが、その到着を待っていては被害が甚大なものとなるだろう。
 ゆえに。
「村での避難誘導と時間稼ぎはこちらでする。元康、樹、錬。お前らは波の対処に向かってくれ」
 転送されてすぐ、ここがどこなのか最も早く把握した尚文が素早く役割分担を指示する。久しぶりに声を聞いた尚文の、その変わらぬ頼り甲斐のある姿に樹は気分を高揚させつつ「分かりました!」と頷くが、
「……尚文さん、その隣の方は」
 意図せずトーンダウンした声で問う。高揚したはずの気分が一瞬で底辺まで下がりきったのが分かった。
 ふと視界に入ったのは尚文の隣に立つ亜人の女性だった。年齢は樹と同じくらいだろう。ただし亜人であるためレベルによってはもっと幼いかもしれない。そのラクーン種と思しき少女は身軽そうな装備に身を包み、腰には長剣を差していた。明らかに攻撃を重視した姿は、尋ねるまでもなく『攻撃ができない盾』のための『剣』であることを示している。
 そこまで分かっていても樹は問わずにいられなかった。
 尚文のためならばいくらでもこの弓で敵を屠れる自信があるのに、勇者同士の反作用のせいで共に行動しレベル上げを行うことができない。そんな腹立たしくてしょうがない事実に涙を飲んで彼とは別行動を取ってきた。しかし四聖勇者ではない亜人の少女はこうも容易く尚文の隣に立つことができる。悔しくて、悔しくて、頭では少女の必要性も含め全て理解できているはずなのに、彼女の存在を否定したくてたまらない。問いかけはその現れだ。どうして自分が尚文の隣に立てないのに、彼の隣には自分ではない者が当然のように立っているのだ、という。
 きっと錬も同じ考えだったのだろう。尚文に指示されてすぐ走り出すのではなく、樹の近くで一歩も踏み出せないまま問いかけへの返答を待っている。元康は……一瞥した様子から察するに、どうにも亜人の少女の存在は以前から承知していたらしい。しかし知っているだけで納得しているわけではないようだった。
 波の襲来にもかかわらずその対処に向かわない槍、弓、剣の勇者の様子に尚文はごく僅かだが眉根を寄せた。彼に少しでも不快に思われたという事実は心臓が凍りつくほど恐ろしい。けれどそれ以上に答えて欲しかった。否、こう言って欲しかった。――亜人の少女剣士は盾の勇者にとって槍の勇者と弓の勇者と剣の勇者の代替品である、と。
 優しい尚文が嘘でもそんなことを言うはずがないと頭の冷静な部分が嫌になるほど理解していたけれど。
「元康には先に会う機会があったんだが――」
 説明しなければ三人とも動き出さないことを察したのだろう。尚文は呆れたように小さく溜息をついた後、少女を手で示して口を開く。
「この子はラフタリア。攻撃ができない俺の代わりに戦ってくれている剣士だ」
「俺達と別れた後で奴隷商から買ったんだよな。樹と錬も知っている通りこの国じゃ尚文の立場が色々とマズイのもあって、信用できる同行者を得るにはそれが一番手っ取り早いから」
 尚文の言葉を補足するためか、すかさず元康が後に続ける。その言葉は嘘でも妄想でもないようで、尚文本人も「……ああ」と一拍置いて頷いた。
「そういうわけだ。あとは波の発生源へ向かいつつ元康から聞いて欲しい。……さあ、時間が無い。行ってくれ」
「了解」
「分かった」
「はい、分かりました」
 さすがにこれ以上この場に留まってもいられない。再度の尚文の促しに今度こそ樹達は走り出す。
 道中、元康からはラフタリアという少女が本当に攻撃手(アタッカー)としてのみ購入された奴隷であり、性奴隷等の役目は一切負っていないことを説明された。
 樹はそれを聞いてほっと安堵の息を漏らし、しかし同時に自分や錬よりも先に尚文本人からその説明を受けていた――加えて今こうして自慢げに話してみせる――元康の様子に苛立ちを覚えてしまう。大学生同士仲が良いのは召喚初日の夜から知っているが、それでも樹とて尚文ともっと親しくしたいのだ。
「……一番の大物を僕が倒したら尚文さんは褒めてくれるかなぁ」
 誰にも聞こえぬ音量でぼそりと独りごちた。
 よくやった! 樹はすごいな! ――そう言って笑顔で出迎えてくれる尚文の姿を想像すれば、樹の頬が自然と緩む。頑張れば、一番の成果を出せば、尚文が褒めてくれるかもしれない。もっといっぱい一緒にいられるかもしれない。それはなんて素敵なことなんだろう、と弓を持つ手に力が籠もった。
 だが近くを走る元康も錬もきっと同じ考えだ。二人とも全力で敵を屠るだろう。
 それでも一番を取るのは自分だとばかりに、樹は見えてきたボスらしき魔物の姿に照準を合わせて早々に矢をつがえる。
「先制攻撃、いきます!!」
 遠距離攻撃の本領発揮、とくとご覧あれ。
 最大火力で矢を放ちながら他の二人に樹はニコリと微笑んだ。


 城で行われた戦勝会は実に盛大なものとなった。
 何せ一度目の波とは結果が全く違う。勇者達の活躍により被害は驚くほど抑えられ、建物が破壊されたり近隣の村の住人や駐屯していた兵士達から負傷者は出たりしたものの、死者および行方不明者はゼロという快挙である。
 オルトクレイは「これも槍、弓、剣の勇者とその仲間達が迅速に波を鎮めてくれたおかげだ」と言って、その三人に追加の報奨金を支給することを宴が始まって早々に告げた。が、被害がここまで抑えられたのは波の発生源から最も近かった村を盾の勇者が真っ先に守ったからであると当事者たる三人は理解している。三勇教を国教とする国の、さらには教皇まで出席しているこの場では、あまりにも無駄だと知っているため声高に主張することこそしないが、四聖勇者同士で集まり、三人は揃って尚文の活躍を聞きたがった。
 しかし四人で過ごす楽しい時間もそう長くは続かない。波が発生している最中も城で快適に過ごしていた大臣達や全てが終わった後に駆け付けた騎士団の団長、その他貴族達がひっきりなしに三勇者のもとへ押しかけて邪魔をし始めたのだ。
 いくら向けられる言葉が賞賛の嵐であっても、三人とも辟易とする。特に樹は波のボスの攻略に最も貢献したにもかかわらずそのことを尚文から十分褒めてもらう前に引き離されてしまったため、かなりの苛立ちを覚えていた。
 やっと開放されたと思えば宴も終わりが近くなっており、会場にいた人間の数もかなり少なくなっている。帰った者もいるのだろうが、このようなアルコールが振る舞われる場では酒でいい雰囲気になった者達が会場の近くに用意された別室に移り『そういうこと』を楽しむ習慣があるらしい。十七歳という多感な年齢の樹にとっては興味を抱くと同時に不潔だと嫌悪も感じる行為だ。会話の最中に何人かから別室への移動を誘われていればなおのこと後者の感情が強くなる。
 早く尚文に会いたい。会ってこの苛立ちをきれいさっぱり捨て去りたい。
 樹は盾の勇者の姿を探して会場全体に視線を巡らせる。今宵の宴には勇者とその仲間達全員が招かれていたが、尚文だけは一人も連れずに参加していた。おそらく盾の勇者の仲間でありおまけに亜人でもある少女剣士が奇異の目に晒されるのを避けたのだろう。報奨金のことが無ければ尚文本人の参加さえ無かったに違いない。
 盾の勇者を悪として扱う国のトップ達が集まるこの場できっと尚文は居心地の悪い思いをしているはずだ。
 人の気配が薄いところを重点的に樹は彼の人物を探す。しかし会場内には見当たらず、もしや庭にでも出ているのかもしれないと考えて樹は中庭、次いで外庭にまで足を延ばした。
 中庭よりも多くの樹木が植えられた外庭は所々で照明代わりの松明がたかれている。しかし炎から少し離れればそこには秘め事にピッタリな暗い空間が広がっており、うっかり男女の逢瀬に出くわしてしまわないよう樹は慎重に動かざるを得なくなった。
 面倒さへの苛立ちも相俟って「不潔だ」と顔をしかめて呟く。
 大人が皆、尚文のようにおおらかで優しく、深い知性と教養を窺わせる清廉な人物であればきっと世の中はもっと素晴らしいものになるだろう。しかし現実はあまりにも残念な代物だ。無知で退廃的、愚鈍な愚者が政治の中心で享楽に耽りながら肥えた豚の如くふんぞり返っている。
 さっさとこの国と三勇教からおさらばした方が良いのではないか。尚文曰く女王が戻ってくればマシになるとのことだったが、彼のためにも自分のためにも早々に見切りをつけた方が……と樹が考え始めたその時。
「――、――――」
「……尚文さん?」
 木々の向こうから求めた人物の声が聞こえたような気がして樹はそちらに足を向ける。
 先程までの癖で何となく足音を殺して近づいていくと、整えられた庭木の奥に小さな東屋が見えてきた。
 白い柱とドーム状の屋根、それから成人の腰くらいまでの高さしかない柵で形作られたそれは、しばらく放置されていたのか緑の蔦が至るところに絡まっており、ひっそりと隠れるような佇まいである。そんな陰に沈む白と緑の合間でひらりと何かが動いた。否、『何か』ではない。あれは人の手だ。
 手袋を外した白い手が、自身を柱に押し付けるもう一人の人物の頭を掻き抱く。
 長く伸ばした金の髪にゆったりと絡む白い指。柱を背にし、黒いシャツを肌蹴させて首筋に愛撫を受けていた人物が、その翡翠色の双眸で木の陰に半身を隠して立ち尽くす樹の姿を捉えた。
「――ッ」
 なおふみさん、と声に出すことすら憚られる。ただただ息を呑み、樹は身を固くした。目を離すことも逃げ出すこともできやしない。翡翠色が逸らされ、それが髪紐を解いた金の髪に向けられるのをただ黙って見続ける。
 しかも尚文が逃げないよう股に片脚を差し込んで拘束している方もまた樹の見知った人物だった。初日から彼と特段仲が良かった槍の勇者――北村元康。こちらは樹の接近に気づいた素振りもなく、空腹の犬がようやく餌にありつけたかのように尚文の肌に舌を這わせ幾度も吸いついて赤い華を残していく。
 まさかこの二人がこんな関係だったなんて、と裏切りにも似た気持ちに目の前が暗くなる。しかし同時に元康の愛撫によって時折上がる尚文の少し高くてかすれた声が酷く心臓をざわつかせる。
 あの声をもっと近くで聞きたい。あの声を上げさせるのが元康ではなく自分であったなら。そんなことまで妄想してしまい、樹は慌ててかぶりを振った。違う、自分は尚文をそういう目で見たことなどない。川澄樹はただ兄のように岩谷尚文を慕っているだけで――。
「ッ、あ……もと、やす、そこは」
 甘い甘い尚文の声に意識がそちらへ引き戻される。
 脚の間に入り込んだ元康の膝が尚文の股間を軽く押し潰すように刺激し始めたのだ。
「キス、だけって言った、のに」
「悪い……久しぶりにお前に触れたら、もう」
「――っア!」
 我慢できない、とばかりに元康の手が尚文の下肢に伸びる。ベルトも外され直接手で愛撫された尚文がひときわ高く声を上げた。暗闇に白い喉が晒され、その周囲に散りばめられた赤い華が相手からの執着の度合いをこれでもかと窺わせる。
 元康は尚文に直接快楽を与えながらもう一方の手で上半身を肌蹴させ、下へ下へと指先と唇で愛撫を施していく。尚文も「だめ」「やめて」と口では拒絶の言葉を吐きながらも、金の髪を優しく撫でて、与えられる快楽を享受していた。
 これで本当に尚文が心の底から嫌がっていたなら、樹は躊躇いもせず木陰から飛び出していただろう。しかし翡翠の視線がもう一度樹を捉え、僅かに細められる。元康の髪を撫でているのとは別の手がそっと持ち上がり、人差し指を立てて口元に添えられた。

 な い しょ だ ぞ

 指先に触れたまま唇が動く。最後ににっと弧を描いた赤い唇があまりにも淫靡で樹は思わず膝を折った。ぺたりと草の上に座り込み、そのまま立てなくなってしまう。腰が抜けたのだと理解したのは尚文の視線が再び元康の方へ向かってから。
 元康の手によって尚文の身体はどんどん高められていく。魅入られたかのように目は逸らせず、さらには耳から入る吐息も水音もまるで猛毒のように樹の全身を巡って痺れさせた。寒気がするのに全身が熱い。心臓はバクバクと脈打ち、情けなく折れた膝の間でズボンを押し上げるように熱が溜まる。
「……僕だって、あなたに」
 触れたい。
 神に懇願する信徒のように苦しげな表情で呟く樹。
 吐き出したその言葉の意味を十分に理解することもできないまま、樹は最後まで二人の交わりを見続けていた。



[chapter:8]

 戦勝会の翌日、城の広間で報奨金および援助金の受け渡しが行われた。これにはラフタリアも参加し、相変わらず盾の勇者だけ冷遇する王の態度を腹立たしく思いながらも全てはつつがなく終了。四人の勇者は次の波に備えて各自さらなる戦力強化に取り組むこととなった。
 他の三人とは異なり最低限の援助金のみ渡された尚文に続いてラフタリアは城を出る。金額からも分かるあからさまな依怙贔屓にはウンザリするが、最低金額であっても嫌っている盾の勇者に渡さねばならないオルトクレイの嫌そうな顔を見たので多少溜飲は下がっていた。
 なお、尚文がラフタリアを連れて早々に城を出ようとした際、彼を引き留める声があった。当然ながらその声の主は尚文以外の勇者達である。しかし今回ばかりはいつもと様子が異なっていた。
「ナオフミ様、弓の勇者と何かあったのですか?」
 立ち去ろうとする尚文を引き留めたのは槍の勇者と剣の勇者。一方、弓の勇者は視線を尚文に向けたものの、何か言葉を発しようとするが結局はできずに、眉根を寄せて耐えるような表情を浮かべていた。
 ラフタリアの問いかけに尚文は「あー」と声を出して、些細なことを思い出すように軽く空を見上げる。
「あったと言えなくもない……ってところか。まぁ向こうが勝手に気まずく思っているだけで大した問題じゃないのは確かだな」
 必要なら元康を相手にするのと似たような対応をすればいいだけだ。――という呟きまでは聞き取れずラフタリアは小首を傾げたが、尚文のこの様子ならあえて伝えようとは思っていないのだろう。ならば聞き返す必要もない。「そうですか」と、この話題を終了させて次の内容に移る。
「受け取った援助金の使い道はどうしますか? やはりまずはナオフミ様の装備の強化に……」
「ラフタリアの装備の強化が優先だ。それと足を確保したい」
「私よりもナオフミ様の強化を……って、足、ですか?」
「ああ」
 頷いて、尚文はとある方向を指差す。今いる場所からでは彼が示す物の姿を目視することはできないが、もう少し歩けばサーカステントがあるはずだった。尚文がラフタリアを購入した奴隷商――表向きは魔物商を営んでいる男の拠点である。
「そろそろ俺達も行動範囲を広げようと思っている。となれば、必要なのは馬車とそれを引くためのフィロリアルだろう? ちなみに買うのは成体じゃなくて卵の方な。卵を購入して孵化させれば成体を買うよりも安くつくし、何より『四聖勇者』が卵から育てた魔物は特別な成長の仕方をするらしい」
「特別な成長とは一体……」
「俺達と同じ言葉を喋るばかりか、人型に変身できる能力を持つ変異種――メスならフィロリアル・クイーン、オスならフィロリアル・キングになるそうだ。百パーセントの確率でそうなるのかは俺も知らん。が、どうせ魔物を使役するなら卵からの方が言うことを聞かせやすいという利点もあるから、やることは変わらんさ。……まぁそれでも俺の言うことを聞くかどうかは若干怪しいんだが」
 尚文の話し方は知識として知っていると言うより、どことなく――有り得ない話だが――フィロリアルを卵から育てた経験があるようにも聞こえる。ともあれ仲間が増えるということだ。人型にもなれるそうなので「可愛い子だといいですね」とラフタリアが微笑めば、尚文も微かに頬を緩ませる。
「きっとお前を姉と慕うようになるだろうな」
「私がお姉さんですか。それはちょっと……嬉しいです」
 奴隷商の所に顔を出すのは憂鬱だが、可愛い弟か妹ができるのであれば期待に胸が膨らむというもの。二人で尚文をしっかり支えて行こう、とラフタリアはまだ見ぬ仲間のことを想った。


 今日もフィーロは『槍の人』を蹴り飛ばす。フィーロの大切な『ごしゅじんさま』に近づく悪い虫だからだ。それにごしゅじんさまである尚文本人からも許可は取っていた。むしろ思い切りやってやれ、というアドバイスつきで。
 ただし留意しなければいけないことが一つ。フィーロが尚文の見ている前で――正しくは尚文が見ていることを槍の人が認識している状況で――槍の人を蹴り飛ばした場合、尚文は心配そうな顔を作って槍の人の所へ向かってしまうのだ。それは尚文の立場を守るために必要なことであり、フィーロが仲間になる前から彼と一緒にいたラフタリアも理解し仕方なく許容していることである。
 そしてしばらく槍の人と一緒に姿を消していた尚文が戻ってくると、その身体には槍の人の匂いがついてしまっているのだ。だから余計にフィーロは槍の人が嫌いだった。
 魔物商から購入したフィロリアルの卵を孵化させ、フィーロと名付け、大切に育ててくれた尚文とラフタリア。この二人はフィーロにとって何よりも大切な存在と言えるだろう。その片方を自分達から奪おうとする者は誰であろうと許さない。
「フィーロ? 今何かとぶつかったか?」
「ううん、何でもないよーごしゅじんさま!」
 行商で村から村へと移動中に偶然見かけた槍の勇者一行。その中心人物を見事に木々の向こうへ蹴り飛ばし、ついでとばかりに他の同行者達もすれ違いざまに蹴散らしたフィーロは、馬車の中から顔を出した尚文に笑顔でそう答えた。
 馬車の運転をフィーロに任せていた尚文は、どうやら先程まで貴金属の細工を行っていたらしい。大まかな形に加工する程度とはいえ、揺れる馬車の中で何とも器用なことである。隣ではまだ少し車酔いに慣れないラフタリアが若干信じられないものでも見るような目で尚文を見ていた。
 この貴金属を加工するための道具は少し前に馬車に乗せたアクセサリー商から格安で譲り受けたものだ。道中、襲ってきた盗賊から逆に身ぐるみ剥いで搾り取れるだけ搾り取った尚文の姿にいたく感動したアクセサリー商は、自身が持つ様々な知識やツテを尚文に伝授し、笑顔で去っていった。
 そんなアクセサリー商曰く、尚文は素人と思えないほど筋が良いらしい。言われた尚文本人は「いやまぁ素人って言うほど素人じゃない……とも言えなくはないんだが」と微妙な言い回しをしていたが、興奮して褒めちぎるアクセサリー商には聞こえていなかったと思われる。ともあれレクチャーは実にスムーズに進み、アクセサリー商は当初予定していたよりも多くの知識を尚文に授けていったのだった。
「ごしゅじんさまって色んな人に好かれるよねー」
「そりゃあナオフミ様ですもの! こんなに素晴らしい方なのですから好かれて当たり前です!」
「いや、ほとんどは猫被ってる状態なんだが……」
 車酔いなどどこへやら。ラフタリアが胸を張って告げる。
 しかし尚文本人は微妙な雰囲気でぼそりと呟いていた。
 ただしフィーロにとってはどちらの言い分も正しく思える。ごく限られた者達にだけ向けられる尚文の『本当』は、やや悪ぶっているもののとても優しくて心地良い。そして彼がこの国で過ごすための処世術として身に着けている穏やかな外面も、それはそれで大衆に受け入れられやすいものだった。
 何より成してきた結果が素晴らしかった。暴走した植物を鎮めてとある村の飢饉を救い、ドラゴンの死骸が放置された結果ひどく汚染されてしまった地ではドラゴンゾンビとなった疫病の原因の駆除と人々の治療に尽力し、レジスタンスが圧政を敷く王を倒したことで平和になるかと思いきやそれまで以上の重税が課されメルロマルクまで逃げてきた隣国の者達に食料を分け与え……。そんなことをしているうちにいつの間にやら世間が尚文に付けた名は『神鳥の聖人』。人々の役に立っているかと思いきや何かと空回っている他の三勇者とは比較にならない実績を残していた。
 本当なら事が起こる前に止めるべきなんだろうがアイツら妙に張り切って暴走してやがるみたいなんだよな、とは尚文の言である。
 そう、先の大きな三つの出来事はそれぞれ槍の勇者、剣の勇者、弓の勇者が引き金になっていたのだ。彼らとそれなりに良好な関係を築いている尚文は一応「自分の行動がどんな結果をもたらすのかよく考えて行動するように」と忠告しておいたとのこと。しかし尚文が連れている『剣』に引けを取ってなるものかと三人の勇者はズレた方向に頑張って、結果、尚文が彼らの尻拭いをする羽目になってしまい今に至る。
「みんな、ごしゅじんさまのこと『聖人様』って言うよねー」
「あの呼び名はなぁ……いや、それくらい人の信頼を得られているのは今後のことを考えると大事になってくるんだが……メルティの件とか」
「め、る?」
「何でもない。ほらフィーロ、前を見て走れ」
「はーい」
 どうやら尚文には色々と思惑があるらしい。彼にはちょくちょく未来を見通すような言動が見られるので、先程上手く聞き取れなかった部分もそれ関係かもしれない。
 そう言えば、とフィーロは馬車を引きながら思い出す。
 東の村で放置された死骸から生まれたドラゴンゾンビの対処に当たった時のことだ。村人には一言も話さなかったが、尚文は最初から死骸がゾンビ化していることを予見していた(「時期が少し早いからまだ<]ンビ化していないかもしれないが」とも言っていたが)。その上で作戦を練り、フィーロにドラゴンゾンビを内側から食い破ることを指示。自身はラフタリアを守りつつ時間稼ぎをするという展開に持ち込んで、軽度の負傷のみで全てを終わらせてみせた。
 おまけにドラゴンから貴重なアイテムである核石までしっかりゲットし、大部分はフィーロの腹の中、残りは贔屓にしている武器屋の親父に頼んで鎧の改良に使用予定……と、面倒事を実に上手く活用している。
 やっぱりごしゅじんさまはスゴい! と感心しつつ、フィーロは元気よく馬車を引く。確かこの辺りは件の村の近くのはずだ。もしかしたら尚文は行商のついでに村の様子を見に行くのかもしれないとフィーロが考えていた、その時。
「ねぇねぇごしゅじんさまー」
「ん?」
 馬車の中から尚文が顔を出す。
 フィーロはゆっくりと馬車を止めてある方向を翼で示した。
「なんかおいしそうな鳥が集まってる」
 視線の先にあったのは複数の野生のフィロリアル達の姿。すると尚文が同じ方向を眺めて「さて、ここからまた少し忙しくなるぞ」と小さく独りごちた。
 そうしてフィーロは新たな出会いを迎える。
 尚文、ラフタリアに続き、もう一人の大切な存在となる少女――。フィーロにとって父でも姉でもない、初めての『友達』になるメルティとの出会いを。



[chapter:9]

 女王である母のもとを離れ、メルロマルクの城下町へと向かう最中に護衛の騎士達とはぐれてしまったメルティ。そんな彼女を目的地へと送り届けてくれることになったのは、『神鳥の聖人』として有名になりつつある小さな行商の一行だった。
 しかも驚くべきことに、神鳥の聖人は女王から大切にしなければいけないと聞いていた盾の勇者だった。三勇教を国教とするメルロマルクで、しかも亜人嫌いの父王が女王の留守を預かる中、不都合が起きていないかと確認する予定でもあったメルティにとっては運命的な出会いだとも言えるだろう。
 加えて盾の勇者はメルティが大好きなフィロリアルにとても懐かれており、そういった部分でも大変好ましく思える。ゆえにメルティが盾の勇者に抱いた感情は中々に好意的なものだった。
 しかし――。
「メルちゃんがごしゅじんさまに嫌われてるかもって?」
「うん……」
 フィーロに訊ねられ、メルティは躊躇いがちに頷いた。
 城下町へ続く街道沿いにある野営地。今夜の宿であるそこで、フィーロと二人、焚き火に当たるメルティの表情は冴えない。
 理由は盾の勇者との関係にあった。
 一部の人々から聖人とまで呼ばれている彼が実はその言葉からイメージされるものから随分とかけ離れた性格の持ち主だった……というのは別に構わない。人々のためになる行いをしている人間が内面まで完璧な美しさを備えていなければいけないなどと、国と民を守る王族であるメルティが言えるはずもないのだから。多少ガッカリしたのも事実であるが、そんなものは本当に最初の頃だけである。
 問題にしているのは、この城下町までの道中でのやり取りについてだ。
 盾の勇者が「メル」と名前を呼ぶのを躊躇ったり、特定の話題――メルティが覚えている限りでは、国の情勢、王族、メルティの家族等についてであった――で口籠ることが多かったり。
 本名と王族であることを隠しているメルティ本人ならまだしも、盾の勇者が言葉を詰まらせる話題ではなかったはずだ。
「私、何か気に障ることをしてしまったのかしら。それとも最初から信用ならない人間だと思われて……」
「そんなことはないと思うけど。むしろ――」フィーロは隣に座るメルティとは正反対の輝くような笑みを浮かべた。「ごしゅじんさまはメルちゃんのこと信じてるし、すっごく好きなはずだよ。だってメルちゃんの前ではちっとも嘘の顔≠オないもん」
「どういうこと?」
「えっとね、城下町に入ればすぐ分かっちゃうんだけど、ごしゅじんさまってお城の近くとか他の勇者の前だとすっごくにこにこしてるの」
 それは機嫌が良いだけなのでは、とメルティが口を挟む前にフィーロは続ける。
「この国って盾の勇者を悪く言う宗教を信じてるんでしょ? 特に王様は最初からごしゅじんさまへの態度が良くなかったんだって。だからごしゅじんさまはにこにこして、人から嫌われないようにしてるんだって言ってたよ。王様の気持ちは変えられなくても、そうやって他の勇者とか町の人とかを味方につけておけば、何かあっても酷いことになりにくいはずだからって」
 やはり父のオルトクレイは盾の勇者を冷遇しているらしい……と、女王が危惧していたことが現実になっていると察してメルティは頭が痛くなってくる。これは何としてでも城に帰り次第父を説得しなくては、と強く決意した。しかし今はそれよりも盾の勇者の態度についてだ。
「フィーロちゃんの言っていることが本当だとして、嘘の……顔? それをしていないから信じてるし好きだっていうのは……私には良く分からないわ」
「つまりねー、メルちゃんもフィーロやラフタリアお姉ちゃんと一緒ってことだよ!」
「え?」
 意味が分からないと言うよりは信じられない心地でメルティは首を傾げる。するとフィーロはその迷いを払うように青い瞳をキラキラさせてメルティの両手を握り締めた。
「ごしゅじんさまはね、きっと、メルちゃんはそうやってにこにこ笑って嘘を吐かなくても自分に酷いことをしない人なんだって信じてるの」
「酷いことをしないと言うより、子供だからできない≠チて意味で侮られているとか」
「メルちゃんのおうちはお金持ちなんでしょ? 綺麗なドレスを着ているし、護衛の人がいるって言ってたし。だったら違うんじゃないかなぁ」
 口調はのんびりとしているがその指摘は鋭い。王族とは明かしていないものの、身なりや言葉遣い、発言内容から、盾の勇者はメルティがある程度の地位の持ち主だと十分察しているだろう。ということは、先程のメルティの「侮られているのでは」という可能性は非常に低くなる。
「でも私達まだ出会ったばかりで相手がどんな人なのかも良く分かっていないわ」
「他人を信じたり好きになったりするのって、長い時間を一緒に過ごさなきゃやっちゃいけないことなの? じゃあフィーロとメルちゃんもお友達になっちゃいけないの?」
「そ、そんなことない! 絶対ないわ!!」
「よかったー。メルちゃんと友達じゃないって言われたら、すっごく悲しくなっちゃうもん」
「私だってフィーロちゃんとお友達じゃないなんて言われたら……っ」
「うん。だから、ね。ごしゅじんさまも時間なんてカンケーないんだよ。メルちゃんだから信じてるし、好きになったの」
「わ、私は……」
 名前も身分も偽っているのに。そんな人間が信じてもらえるはずがない。
 結局、メルティがフィーロの言葉に納得できない理由はそこだった。いくらフィーロが「盾の勇者はメルを信じている」と言っても、その信じてもらっている「メル」は偽物である。メルティが彼らに向ける態度も言葉も全て本物だが、一部でありながらとても大きな部分で嘘を吐いているため、ひどい後ろめたさがあったのだ。
 さすがに王族だと明かすことははばかられ、何と言って良いのか分からずにメルティは視線を下げて口籠る。フィーロが「メルちゃん……?」と心配そうに呼びかけてきた。大切な友達にこんな声を出させてはいけないと思うものの、メルティは応えられずにずっとうつむいたまま。
 しかしその沈黙も長くは続かない。茂みをかき分ける音と共に、周辺の状況を確認するためフィーロ達に留守を任せていた盾の勇者とラフタリアが戻って来た。
 仲が良いはずの二人の沈んだ様子にラフタリアが首を傾げ、一方、盾の勇者は何かを考え込むように顎を指で擦る。そして翡翠色の双眸がついとメルティに向けられた。
「あ……えっと、その」
 戸惑うメルティに対し、盾の勇者は焚き火から少し離れた場所を指差して告げる。
「少し話でもするか。ラフタリアはフィーロの話を聞いてやれ」
「分かりました。さあ、フィーロ」
 主からの指示を受けてラフタリアが即座にフィーロに声をかけて手を差し伸べる。メルティ達とは反対方向に向かう二人の姿を眺めていると、「お前はこっちだ」と盾の勇者がメルティに移動を促した。
 緊張を覚えながら頷く。
 そうして無言のままついて行った先は木々が少し開けた場所。焚き火の光は遠のいたが、代わりに空からの月光がぼんやりと周囲を照らし出している。
 数歩先行していた盾の勇者が足を止め、ゆっくりと振り返った。
「俺とラフタリアが離れている間に何があった? まさかフィーロと喧嘩でもしたのか?」
「どうしてそんなことを気にするの」
「? だってお前はフィーロの大切な友人だろうが」
 当然のことのように盾の勇者は答える。あっさりとしたその言い方が逆にどれほど彼が仲間を大切に思っているかを示していた。
 羨ましいな、とメルティは頭の片隅で考える。フィーロの言葉が本当ならメルティ自身もその括りの中に入っているとのことだったが、隠し事の大きさ故に信じきることができない。それでもわざわざ時間を割いて話を聞こうとする盾の勇者の態度に、メルティの口が僅かに緩んだ。
「あ、あのね――」


「なるほど。そりゃすまなかったな」
 フィーロとの会話やその原因となったメルティに対する盾の勇者の態度について包み隠さず告げれば、彼は得心の言葉に続けて謝罪までしてみせた。
「どうして貴方が謝るの」
「最初から俺がもう少し悪ぶって接しておけば今みたいにお前が思い悩むこともなかったのかもしれないと思ったからだ」
「意味のない仮定の話ね」
「ああ。そうだな」
 肩を竦めて盾の勇者が肯定する。本当にそう思っているのかどうか定かではないが。
「兎にも角にも俺の態度が原因か」
「どうしてって訊いても良い?」
「訊いて困るのはお前の方だと思うぞ」
 相手からの即答にメルティは「え?」と目を見開いた。一体どういう意味なのか。
 二の句を告げないでいる彼女に盾の勇者はひっそりと問いかけを発する。
「お前、俺達に隠し事をしているだろう?」
「――ッ!」
「ああ、別に責めているわけじゃない。だからそう身構えるな」
 メルティをこれ以上緊張させないためだろう。盾の勇者は軽めの声でそう告げ、ほんの少し目元を緩める。
「お前が俺達を害そうというつもりで隠し事をしているわけじゃないってのも分かっている。と言うか、お前が何者なのかは何となく察しているつもりだ。だが本人に明かすつもりが無いのにわざわざこっちから正解かどうか確認しに行くなんて褒められたことじゃないだろう?」
「も、もしかして盾の勇者が私との会話でちょっと言葉に詰まったりするのも……」
 メルティが隠している真実に気づいているから、それを表に出さないようにしてくれていただけなのでは。
 その予想に胸が熱くなる。
「まぁな。だから」
 盾の勇者がメルティの考えを肯定するように頷き、告げた。
「いつかお前の本当の名前を呼ばせてくれ。お前が何者であろうと、お前のバックに何があろうと、お前はフィーロにとって掛け替えの無い友で、俺達の仲間だ」
「――っ、うん! 分かったわ、ナオフミ!」
 力いっぱいメルティは頷く。
 いつか彼らに本当のことを告げよう。そして仲間として、彼らの役に立とう。
 そろそろ戻るかと言って差し出された青年の手を取り、メルティは来た時よりもずっと軽い足取りで一歩を踏み出した。



[chapter:10]

 元康が城下町で偶然見かけた尚文はいつもの鎧を身に着けていなかった。聞けば、手に入れたアイテムと併せて武器屋に預け、現在改良中とのことである。町に戻って来たのはそのためと、ついでに途中で出会った貴族の娘の依頼を受けてその子を町まで送り届けるためだとか。
「貴族の娘、ねぇ」
「なんだ。嫉妬か、色男」
「そうだよ」
 からかうような尚文の言葉に元康は憮然とした表情で答える。
 どうせ鎧の改良が終わるまで暇なんだろう、と自分が泊まる宿へと誘えば、尚文はあっさりと着いて来た。次の波まであと数日。焦って味方のレベルを上げるより、波に備えて英気を養う方が良いと判断したそうだ。そんなわけで尚文の時間を一部独り占めするに至った元康だが、ラフタリアのみならず可愛らしい少女(想定)を同行者に加えて城下町に戻って来たと聞かされては気分が良いはずもない。
 元康の返答にきょとんと目を丸くした尚文は次いで眉尻を下げ、ベッドの縁に腰掛ける。その様子を元康が視線で追っていると、彼はこちらに向けて両手を広げた。
「ほら、元康」
 たったそれだけで元康の足は動いてしまう。いざなわれるように歩を進め、尚文へと覆い被さる恰好で抱き締めた。合わせて小さな盾をつけたままの腕が元康の背に回り、そっと抱き締め返してくる。
 元康が眼前の首筋に弱く歯を立てれば、「くすぐったい」と笑う尚文。
「なぁ、尚文ぃ」がじがじと幾度も弱く歯を立てながら元康は憮然と呟く。「最近のお前、こうやってベッドに誘っておけば俺の気が収まるとか思ってないか?」
「事実だろ?」
「ぐっ……でもさ」
「いいじゃないか」
 元康の背を優しく撫でていた手が特定の意図を持って首筋を撫で上げ、金髪に指を絡めた。
「人の体温が傍にあった方が落ち着くだろう? それに俺がどこで誰と旅をしていたとしても俺の身体はお前しか知らないんだって、こうすればお前にちゃんと分かってもらえるからな」
 ちゅっと元康の耳に尚文からキスが落とされる。そこから一気に全身へと広がる快楽の波に元康は小さく身を震わせた。
 相手に良いようにあしらわれているとは理解していても手を離すことができない。むしろもっと貪欲に相手を求め、この身体にただ一人触れる権利を持ち続けられるならその手のひらの上で踊り狂うことになったとしても構わないとさえ思えてくる。
「お前って三勇教の『盾の勇者は悪魔』説とは関係なしに悪魔なんじゃねぇの」
「酷い言い草だな……」
 耳元で呆れたような笑い声。しかし尚文の声はすぐに再び艶を帯び、元康の脳を甘やかに揺さぶった。
「だとしてもお前専用の悪魔だ。……存分に触れて、貪って、味わい尽くせよ」


「んっ……、く」
 耐えるように唇を噛み締めて元康の腹に手をつく尚文の、なんと扇情的なことか。
 元康のものを奥まで咥え込んだ尚文は全身を赤く染めて浅い呼吸を繰り返した。
 今日は上に乗って? と元康が言い出した時には尚文も眉根を寄せて難色を示したが、重ねて懇願すればこの通り。愛されているなぁと嬉しく思いつつ、下から見上げる絶景に元康の頬の緩みは治まらない。
 動きを止めていたおかげでほんの少し余裕を取り戻した尚文がそんな元康のにやけた表情に気づいて「やらしーカオ」と笑う。先程まで噛み締めていた唇は口紅を塗ったかのように赤く染まっており、思わずしゃぶりつきたくなるほどだ。こうして裸で元康に跨るだけでも十分刺激的だと言うのに、尚文は一体どこまでこちらを魅了すれば気が済むのだろう。
「最高にエロい恋人が自分の上に乗っかってるんだぜ? そりゃあ表情だってこうなるし、」
「――ひっ、ァ!?」
「下の方もますます元気になるってもんだろ?」
「あっ、あ、まっ、て……!」
 尚文の腰をしっかりと掴んで下から突き上げれば、白い喉を晒して愛しい恋人が嬌声を上げる。赤く染まった裸身は与えられる快楽から逃れようと逃げを打つが、元康の大きな手がそれを許すはずもない。己の突き上げに合わせて押し付けるように力を込め、深く深く尚文のナカに楔を埋め込んだ。
 少し掠れた嬌声も、元康を熱く包み込むナカも、尚文の何もかもが愛おしい。挿入するまでに散々いじった胸の頂も美味しそうに赤く熟れている。腹筋だけの力で上半身を起こせば、ナカに埋め込まれたものの角度が変わって「あンっ」と何とも可愛らしい声が発せられた。
「かーわいい」
 自分でも甘いと分かる声で囁いて、元康は目の前の乳首に唇を寄せる。赤子が母親に乳をねだるようにちゅうちゅうと吸いつき、けれども赤子ならば絶対に有り得ない性的な意図を含んだ甘噛みや舌での刺激を時折そこに織り交ぜた。
「ぁ、んあ……は、ぅ、もと、や、す」
 尚文の指が金の髪を掻き混ぜる。抱き締めたいのか、引き離したいのか、それとも与えられる快感が大き過ぎて縋っているのか。いずれにせよ、その指の感覚でさえ元康には誘惑しているようにしか感じられない。
 元康は赤く腫れた乳首に軽く前歯を立てたまま、腰に沿えていた両手を下に滑らせ尚文の尻を鷲掴んだ。女が備えている柔らかさとはまた異なるものの、丁度良いサイズのそれはしっとりと吸いつき、元康の手に馴染む。繋がった部分を指先で撫でるように揉みしだけば、尚文が与えられる刺激に身悶えするも、片方の乳首に歯を立てられたままであることを思い出して身体を満足によじらせることもできずに元康の名を呼んだ。
「っ、あ……おま、え……今日、ちょっと、いじわ……っ、あ! や、あ、なん、でぇ……!」
 赤く染まった目元と涙で潤んだ二つの緑に喉を鳴らしながら、元康は「だって」と尚文の胸に赤い華を一つ増やす。
「そういうこと≠ノなってなくても恋人が他人と長いこと一緒にいたらやきもちの一つや二つ妬いていじめたくなるし」
「っ、アァ!!」
 ずんっと大きく突き上げて元康は口の端を持ち上げる。
「えっちすればするほどお前エロい身体になっていくからさぁ。いじわるするって言うか、尚文に関して我慢がきかなくなってきてるんだわ、俺」
「ぃ、あ、あぅン、ん!」
「だから、なぁ。お前自身が許可したように、岩谷尚文を味わい尽くさせてくれ、よ!」
「ひぅ――っ!」
 ずちゅん! と、ひときわ深く、尚文の身体を自らに押し付ける。きゅんきゅんとうごめくナカが精を搾り取るかのように肉棒へと絡みついた。元康は「くっ」と呻き声を漏らしながら快楽の波をやり過ごし、尚文の腰を持ち上げる。「や、あ、まって……」と制止の声がかかるも、そんなものは恋人同士の睦言に過ぎない。
「尚文、愛してるぜ」
 元康は唇を舐めて潤し、獣のように目を爛々と輝かせて、再び尚文の中に己の楔を打ち込んだ。







6:2019.03.31 Privatterにて初出 7:2019.04.07 Privatterにて初出 8:2019.04.10 Privatterにて初出 9:2019.04.13 Privatterにて初出 10:2019.04.14 Privatterにて初出