BAD APPLE




[chapter:1]

 異なってはいるけれど共に『日本』から異世界へと召喚された者同士、城内に用意された部屋で四人は比較的穏やかに初日の夜を過ごしていた。
 負け組の職業とされる盾の勇者になってしまった岩谷尚文だったが、この世界に関して他の三人に劣らぬ知識量を垣間見せたため侮られることもない。ただし――……と言うべきか、それとも、だからこそ、と言うべきか。知識量がほぼ同程度であると思われる四人は、しばらくして自然と『高校生組』と『大学生組』に別れて話すようになっていた。
 クールな剣の勇者と正義感の強い弓の勇者は城の者たちが用意してくれた菓子と茶を片手に語り合っている。それを横目に別室へと移った盾の勇者と槍の勇者が嗜むのはアルコールだ。場所を移動したのは未成年である高校生たちへの配慮でもある。
 ほどよく脳内がアルコールで満たされ気分が良くなっていた槍の勇者こと北村元康は、小さなテーブルを挟んで正面に座る尚文を眺めてふと両目を細める。
 社交的ではあるものの、容姿はごくごく普通の青年だ。ただ、黒髪の下で笑みの形に細められる翡翠色の双眸は好ましい。また口調は穏やかで、けれども他人行儀過ぎずに親しみやすい。出てくる言葉も好意的で、いくらでも話していたいと思わせた。
 ゲームの世界――と、元康は思っている――に来てこれから待ち受けているであろう様々なことに胸を躍らせると共に、尚文のような人間が同じ境遇の仲間として存在してくれている事実が、元康にとっては何よりも……そう、自分でも不思議に思えるほど嬉しかった。
 透明なグラスに入った琥珀色の液体を尚文がこくりと飲み干す。軽く浮いた喉仏が上下する様に、何故か元康の心臓が高鳴った。アルコールにより火照った身体を冷ますためか、襟元はくつろげられている。やや暗めの照明に照らされた室内でちらりと覗く尚文の鎖骨が白く浮かび上がっているような心地がした。
「……もとやす?」
 急に黙り込んだ元康を心配してか、眉尻を下げながら尚文が名を呼んだ。アルコールのためか、少し舌足らずな呼び方に身体の奥の方が熱くなる。じわりとこめかみに汗が浮かぶような、脳の奥が痺れるような、そんな感覚。
 目の前にいるのは平凡な容姿の同性のはずなんだけどな、という思いは浮かんですぐに消え去った。誤魔化すように呷ったのはテーブルの上の酒。「まっ、お前これ度数結構高いヤツ……!」と尚文が注意するも、グラスに半分以上残っていたそれを一気に胃へと落とし込んだ元康はふらりと椅子から立ち上った。
「おい、大丈夫か。とりあえず水でももらって――」
 同じく立ち上がり元康の肩を支えようと手を伸ばす尚文。その腕を握り締め、元康は身体の中に生まれた熱を逃がすかの如く熱い吐息で一つ年下の青年の名を呼ぶ。
「なぁ、尚文」
 大きく見開かれた翡翠色の中に映る自分。それを酷く満たされた気持ちで眺めつつ、元康は抵抗の気配がない尚文の頬を撫でる。
「俺のこと、もっと知ってくれないか?」


 冒険者マインに扮した王女マルティは、目をつけた槍の勇者に気に入られるための作戦として盾の勇者に冤罪を着せる準備を進めていた。宿泊する宿屋の食堂で盾の勇者が酒を拒否したのは想定外だったが、実際に飲んでいようがいまいがそれを証明出来る者などいるはずもない。酔った盾の勇者に襲われたと自分が言いきってしまえばいいだけのこと。
 盾の勇者は早々に部屋へ引っ込み、今頃はすっかり夢の中だろう。金と権力で彼の部屋の鍵を入手していたマルティは相手に冤罪を着せるとともに身ぐるみ剥いでしまうつもりで気配を殺して入室する。
 しかし――
「いないわね」
 部屋はもぬけの殻。ベッドを使った形跡はなく、日中購入した鎖帷子もない。ただ寂しげに荷物が一つ転がっている。中身はこの世界に召喚された時に来ていた服と国王から渡された支度金の残りだ。ひとまずそれらを回収し、マルティは眉をひそめた。あの役立たずは一体どこに行ったのか。
「……まぁいいわ。本人がここにいなくてもモトヤス様に助けてと言いに行くことに変わりはないのだし」
 予定通り槍の勇者である元康もこの宿に宿泊している。こちらの服を乱して彼の部屋へ飛び込めば全て予定通りに進むだろう。盾の勇者に関しては城の兵士達に探させればいいだけであるし。
 それらしく衣服を乱したマルティはか弱い女性の表情を作って部屋を出る。
 元康が泊まる部屋の前まで来た彼女は憔悴していますとばかりに弱々しく部屋のドアをノックしようと拳を軽く上げた。
『――っ、……、ゃ、っ』
 しかし手の甲がドアに触れる前に、静まり返った廊下にいたマルティの耳は僅かな音を拾い上げる。人の声、だ。しかも目の前の部屋の中から。元康はこの部屋に一人で泊まっているはずであり、加えて今は夜も更けた時間。誰かと話しているとは考えにくい。だとすれば独り言か? 訝るように眉根を寄せたマルティはしばらくドアの前で様子を窺う。数秒後、やはり勘違いではなく声が聞こえた。
 どういうことなのか訳が分からなかったが今更作戦を止める気もなく、マルティはひとまず小さくノックをする。しかし中にいるはずの元康は応えない。この次期女王たる私が来ているのに! と憤慨する気持ちが湧き上がってくるが、ここで声を荒らげてしまえば全て台無しだ。呼吸を整え、か弱い女性の表情を作り直してもう一度ノック。――応答なし。
 口元が引きつるのが分かったが、マルティも意地になってそれを抑え込む。もうこうなれば――……と、散々甘やかされて傷一つなく育った手でドアノブを握った。一か八かでノブを捻れば鍵はかかっておらず、簡単にドアが開く。
 そこで不審に思えばよかったのだが、今の彼女にそこまで考える頭は残念ながら存在しない。むしろ自分が他者を罠にはめることばかり考え、自分が誰かの手のひらの上で踊らされていることなど考えもしなかったのだ。
 そうしてマルティは元康の部屋へと足を踏み入れ――
「っ、あ……! もと、やすっ、そこ、ダメ」
「かわいい。かわいい……。綺麗だ、なおふみ。俺の、尚文」
「ああっ!」
 床の上に無造作に放られていたのは日中にマルティが諭して盾の勇者に買わせた鎖帷子。その下に着込むインナーも何もかもが脱ぎ散らかされて、同じく脱ぎ捨てられたであろう槍の勇者の装備と一緒に重なり合っている。
 ギシギシと耳障りな音は宿屋の大して質も高くないベッドから。しかも一人分のそこに大の男が二人も乗っていればある意味仕方のないことだろう。
 抑え目なランプの光に照らされて金髪の男の下でひときわ高い声が響く。日中の穏やかさとは異なる、けれども同じ人物から発されていると分かる、甘く濡れた声。ぴんと伸ばされたつま先は男のものであるにもかかわらず白く蠱惑的で、上に乗る男の暴挙を受け入れるかの如く優しく金の髪を撫でる手つきは人間を堕落させる魔女にも全ての罪を許す聖女にも見えた。
 睦み合う二人は新たな侵入者にも気づかず行為に没頭している。口づけの合間に「お前と一緒にいたい。離れたくない」と金髪の方が駄々をこねれば、黒髪の方はその頬をそっと撫でて「我侭言っちゃ駄目だろう? 俺だってお前と一緒にいられたらいいけど、それでお前が強くなるのを妨げるのなんて嫌なんだ」と慰める。
 頬を撫でる指先の感触か、それとも向けられた言葉か、両方にか。感極まった金髪の方が腰を深く動かせば、途端、下にいた黒髪の方が甘い声を上げた。
 信じられない光景にマルティは知らず唇を噛む。これでは盾の勇者に襲われたなんて言えるはずもない。そもそも自分が狙っていた男が盾の勇者と睦み合っているなんて悪夢以外の何ものでもなかった。
 悔しさと腹立たしさで血が滲むほど唇を噛み締めるマルティ。
 その時だ。
 射殺さんばかりにベッドを睨み付けるマルティと『彼』の視線が合った。上に乗った男と口づけを交わす彼は目を開けたまま、状況に似合わぬ妙に冷めた視線でしっかりとマルティの姿を捕らえている。翡翠色の双眸にはどろりとした悪意が滲み、女としてのプライドさえズタズタにされたマルティを嘲笑うかのように弧を描いた。
 口づけを終えた彼は金髪に指を通して男の顔が上向くのを自然と防ぎ、マルティへと声を出さずに告げる。

 ザンネンだったな、アバズレ。

 これが、マルティの屈辱の日々の始まりを告げる宣言となった。



[chapter:2]

 まるで兄のような人だ。それも頭に「理想の」や「完璧な」と付くような。
 出会ってまだ一日も経っていない人物に対しそんな感想を抱くべきではないだろうとも同時に思ったが、事実、剣の勇者として召喚された天木錬はそう感じてしまったのだから仕方がない。同じく高校生である弓の勇者の川澄樹も同意見とのことで、召喚初日である昨夜の語らいではお互いに不思議だなと笑い合ったものだ。
 盾の勇者、岩谷尚文という青年は、同時に召喚された他の三人とは違って特に容姿が優れているでもなく、また知識量でも錬たちを圧倒しているわけではない。だが包み込むような穏やかさや、こちらの言葉をしっかりと受け止めて咀嚼し理解を示す態度、そして言葉の端々から滲み出る思いやりの気持ちが、錬たちにとって尚文という青年を特別なものであると位置づけさせたのだ。
 負け組の職業である盾の勇者がさらに知識量ですらこちらに大きく劣っていたならば、きっと自分たちは尚文の人間性の素晴らしさに気づくこともなく馬鹿にしていた可能性が高い。錬も樹もそんな過ちを犯したかもしれない未来を想像し、そうならなかったことにほっと胸を撫で下ろす。錬たちのことを思って自身の知識を披露してくれた尚文のことを二人はたった一晩で強く慕うようになっていた。
 が、だからこそ気に喰わないことが一つある。
「元康も尚文もまだ起きて来ないのか」
「……結局、二人とも昨夜は奥の部屋に入ってから出て来ませんでしたね」
 閉じられたままのドアを睨み付けるようにして錬と樹が呟く。
 この異世界に召喚されてから最初の夜は四人一緒に城内に用意された部屋で過ごすこととなった。ただし勇者たちに与えられたエリアは一部屋だけというケチくさいものではなく、共用スペースおよびそこから出入りできる各人用の個室という豪華なスイートルーム形式であった。
 錬と樹はかなり遅くまで共有スペースで過ごしていたのだが、成人している尚文と元康は酒とグラスを手にすると途中から元康に割り当てられた部屋へ。おそらくは未成年である錬と樹に配慮してのことなのだろうが、あれから一晩中元康が尚文を独り占めしていたのだと思えば苛立ちを覚えずにはいられない。勝手に吊り上る眉に気づいて錬は眉間を親指で揉んだ。尚文が起きてきた時にこの顔では出迎えられないだろう。
 ちなみに隣ではむすっとした顔で樹が腕を組んでいる。ふとこちらを見た樹と目が合うと、錬は無言で頷き、次いで大きめのノックと共にドアの向こうに声を張り上げた。
「尚文、元康! 朝だぞ!」
 城の者たちから指定された時刻までまだ余裕はあるのだが、そんなものはお構いなしに起床を促す。部屋にいきなり押し入らないのは最低限のマナーであるため守るけれども、本心を言えば目の前のドアを開けてしまいたい。
 数秒後、中で人の動く気配がしてドアが開く。隙間から金髪が覗いた瞬間に待機していた二人は一様に落胆し、顔を見せた元康が訝しげに眉根を寄せた。
「どうしたお前ら。って、まだ時間じゃないだろ?」
「……ギリギリまで寝ているより少し余裕があった方がいいだろう」
 返す錬に横で樹も「そうですよ」と援護射撃をする。のみならず、「んなこと言ってもなぁ。こっちはまだ眠いし」と欠伸をしつつ姿を見せた元康の上から下を眺めやり、樹は大人しそうな顔を歪めて呆れた声で告げた。
「と言うか何ですかそのだらしのない恰好は! たとえ寝間着であろうとも服はきちんと着てください! 特にこうして人前に出る時は!!」
 樹の非難も当然である。何せ部屋から出て来た元康はナイトガウンをだらしなく羽織っただけの姿であり、見たくもない肌色の面積が大変多くなっていた。元康は顔が良いため女性であれば色気を感じてくらっと来てしまうのかもしれないが、生憎彼の目の前に立っているのは錬と樹の男子高校生コンビである。目尻を吊り上げる樹の横で錬もまた呆れ返った溜息を吐いた。
「いいからさっさと着替えて来い。それと尚文は? あいつもまだ寝ているのか?」
「え、あ、尚文か。ああ、まだベッドの住人だな」少し詰まるようにして元康が答える。「昨日は色々と盛り上がって寝るのが遅くなっちまったんだよ」
 目が泳いでいるように見えるのは気のせいだろうか。錬が無言で部屋の中を覗こうとするとさっと元康が横に動いて視線を遮る。
「元康?」
「あー……何て言うか、うん。尚文の奴、意外と寝汚いと言うか朝が弱いらしいと言うか、たぶんお前らにはお兄さんぶりたいだろうし、寝起きの姿はあんまり見せたくないんじゃないかなぁと」
 だから覗くのは、ましてや部屋に入るのは勘弁してやってくれ。そう元康が懇願すれば、錬も樹も強くは出られない。何より「尚文がそう望んでいる」という言葉が強かった。
 引き下がる二人に元康はほっと息を吐き、「じゃあアイツ起こして支度するから」と言ってドアを閉める。残された錬と樹は互いの顔を見やって同時に大きく溜息を吐いた。何だか色々と腑に落ちない。
 そうしてモヤモヤとしたまま元康の部屋の前から立ち去った二人。しかし大学生組が部屋から出てきたのはずっと後であり、高校生二人は盛大にブーイングをすることになるのだった。


 錬と樹に起こされて起床した元康。しかし何とか無事室内に戻ってドアを締め、ついでに鍵もかけた。
 カーテンの隙間からは朝が来たことを知らせる光が零れていたが、この部屋は東向きではないためそれもまだ淡い。そっと足音を抑え気味にしてベッドに近づけば、真っ白なシーツの海に溺れるようにして眠るひとが一人。
 昨夜の情事の痕も色濃く、白い肌の上に点々を赤い華を咲かせた裸体が静かに胸を上下させている。
 筋肉質ではないがそれでも男の身体だ。なのにどうしても喉が鳴る。昨夜己がしたことをまざまざと思い出し、そのあまりの甘さに元康は先程慌てて着込んだナイトガウンの裾を強く握り締めた。
 ああ、これでは駄目だ。部屋の外で錬と樹が待っているのだから早くこのひとを起こさなければ。
 頭の中で何度もそう繰り返して、身体の奥に生まれた小さな熱を霧散させる。一度だけ深く息を吸って吐き出し、元康はベッドに腰を下ろした。キシリ、と小さくスプリングが軋む音。それすらも昨夜の甘美な光景を思い出させる要因になってしまうのが辛い。
「尚文、朝だ」
「……っ、ん」
 軽く肩に触れて揺らせば、伏せられていた薄い瞼がゆっくりと開く。室内に差し込む淡い光の中で二つの翡翠がきらめいて元康の姿を映し出した。
「はよ……、もとやす」
「ああ、おはようさん。昨日は、その……無理させて悪かったな」
「いいよ。俺も結構ノリノリだったし。と言うかそのせいでお前に引かれてないか心配なんだが」
 そう言って苦笑を浮かべる尚文がたまらなく愛しく思えて、元康は彼の頬を手の甲で撫でながら眉尻を下げる。きっと今鏡を見ればとんでもなく緩んだ顔と対面することになるだろう。
「引くって……んなワケあるかよ。むしろがっつき過ぎてお前に嫌われてないか、俺の方が心配してるっての」
「前も後ろもハジメテだった男をあんなに善がらせておいてその心配はないと思うけどなぁ」
 己の頬を撫でる手を取って尚文がそっと指先に口づける。おまけに「お前上手すぎ」と上目づかいで告げられて、元康は近年一番の我慢を強いられている心地がした。
 湧き上がる欲を誤魔化すように空咳をして、元康は尚文に手を握られたまま問いかける。
「えっと、そろそろ起きるか? 錬と樹がもうすっかり起きちまってるみたいでさ」
「ああ……さっきぼんやり聞こえてたのはそれか。うん、起きるよ。でも着替える前にまず身体を拭くくらいはしておかないと」
「ははっ、確かに。お湯は城の人に頼めば用意してくれるだろうし」
 鬱血痕以外にも情事の痕が多く残る尚文の裸体を見下ろしてやや目元を赤くしながら元康は頷いた。それから起き上がる尚文を手伝ってベッドから降りるのだが――
「……っ」
 立ち上がった尚文が一瞬、身体を強張らせる。何事かと彼の身体を確認した元康が目にしたのは、
「ぅ、ぁ――」
 恥ずかしげに首まで赤く染めてうめく尚文。その脚の間から白い液体が零れ落ちていた。体内から滴り落ちるその感触に尚文はすっかり硬直してしまい、元康の腕を掴んで二進も三進もいかなくなっている。「くそっ」と小さく毒づく声は彼の男としての矜持ゆえだろうか。
 ただそんなことにも気が回らないほど元康はその光景に目が釘付けになっていた。
 昨夜幾度も元康を受け入れた場所から零れた白濁が内腿を伝って落ちていく様はあまりにも淫靡であり、ぞくぞくと背筋に震えが走る。俯いた尚文の赤く染まった首筋や背中にまで散りばめられた赤い華、そして硬直する身体を伝う快楽の名残。これで手を伸ばさない雄などきっとどうかしている。
「尚文」
「っ!」
 熱を流し込むように耳元で名を囁けば、尚文の身体がびくりと跳ねた。羞恥で顔を上げられないその様子さえ愛しくて、可愛らしくて、同時に可哀想で。元康は自然と口角が上がるのを自覚しながら甘い身体を両腕で絡め取った。
「……まだ時間はある。だから、なぁ」
「ぁ、……ンく」
 赤く染まった耳朶を食み、舌でねぶって懇願する。
 さぁ。もう一度、快楽の只中へ。



[chapter:3]

 槍の勇者との行為を見せつけてきた盾の勇者は、しかしその翌朝、けろりとした顔でマルティの前に現れた。
 仄暗い部屋の中で淫らな水音を立て男の身体に手足を絡ませていた気配など今は微塵も感じさせない。しかも宿の一階に併設している酒場まで下りてきた彼は昨夜マルティが覗き見したことに気づいているはずなのに、「昨日はよく眠れた?」と何も知らない顔で朗らかに尋ねてきた。
 一体どの口で次期女王たる私にそんなことが言えるのか! 怒りに身を任せて叫びそうになるが、周囲には自分たちと同じく朝食を取りに部屋から出て来た人々で溢れ返っており、体面――と言うよりはプライドの方だろうか――を気にしたマルティはぐっと口を噤む。
 それでも表情が歪んでしまったことを、目の前の善人のふりをした青年は分かっているだろう。しかし彼は何も言わずに席に着くと、軽い食事を注文し、「マインさん、今日は昨日戦った草原を通って森を抜けて……確かラファン村、だっけ? そこに向かうんだよね?」と問いかけてきた。
「……っ」
 青年の向かい側に腰を下ろしたマルティはテーブルの下で拳を握る。
 その落ち着いた声が耳障りだ。穏やかに微笑む顔が醜悪だ。「森を抜けるってことだけど、ルートはこんな感じなのかな」と地図を広げて自分なりの意見を述べるその唇が槍の勇者のものと幾度も幾度も重なり合っていたことをマルティは知っている。街から少し離れた所に広がる森を示す指先が男の背中にすがり、柔く爪を立てていたことをマルティは知っている。「どう思う?」と顔を上げた盾の勇者。その緑の双眸が負けた<}ルティに向かって歪んだ笑みを浮かべたことを知っている。焼け付くような怒りと共にはっきりと覚えている。
 ギチリ、とテーブルの下で美しく磨き上げられた爪が手のひらに食い込んだ。
「ええ、その通りに。ラファン村に到着したら一度そこで休んで、先にある初心者用ダンジョンで本格的なレベル上げですよ」
 許さない。絶対に許さない。許してなるものか。
 この屈辱、百倍にして返しても気は済まない。
 微笑みを浮かべながらマルティはさらに強く拳を握り、必ずこの男を地面に這いつくばらせてやると決意した。


 昨日バルーンを倒した草原を抜け、盾の勇者と二人で森へと入る。途中、「ロープシールド!」という掛け声と共に青年の腕に現れたのはその名の通りロープで出来ているように見える盾。どうやらこれも伝説の武器の力らしく、昨夜マルティと別れた後に要らなくなったロープを盾に吸わせてみたところ、こうして使えるようになったとのことだった。
「エアストシールド! ……ほら、こうやって少し離れた所に盾を出すことができるんだ。これでマインさんの方へ魔物が行っても対処できると思う」
 こちらが何を考えているかも分からないのか、分かっていながらあえてそう言っているのか。どちらにせよ腹立たしいことに変わりはないが、「まあ!」と驚いてみせるマルティに青年は呑気な顔で新しく獲得した能力を披露する。本当に馬鹿馬鹿しい。
「ただ難点はいつものスモールシールドよりずっと防御力が低いんだよね……。昨日買った鎖帷子で多少補われてはいるんだけど」
「それは……大変ですわね。気をつけて進まないと」
 いかにも心配ですと言わんばかりの表情で告げつつ、それは良いことを聞いた、とマルティは内心ほくそ笑んだ。
 つまり今の盾の勇者は昨日よりずっと防御力が低い状態にあるということだ。あの時はオレンジバルーンにしばらく噛みつかれていても全くダメージを受けた様子がなかったが、今この状態で攻撃を受けたならばそれなりのダメージになるはずである。
「…………」
 自身が使える魔法の種類と威力を素早く反芻する。
 無論、どうして宿屋に泊った青年の手元にロープなんてものが用意されていたのか、マルティの思考には上らない。ただただ先を行く忌々しい盾の勇者を地面に這いつくばらせたい。その一心で最も効果的と思われる魔法を選び出した。
 近くには他人の気配もなく、また木々のおかげで視界もあまり良くない。マルティが後ろから攻撃魔法を放っても誰もそれを見咎めることはないだろう。
 さて、どれくらい攻撃を叩き込めばこの愚か者は再起不能になってくれるのか。否、再起不能どころかこのちっぽけな命をこの場で刈り取ってしまえばいい。そうしてマルティだけ城に帰還し、盾の勇者は折角仲間になってくれた女性を放ってどこかへ逃げてしまったと告げれば終了だ。三勇教を国教とするこの国で盾の勇者がどうなろうと大して気にする者はいないのだから。そして何よりマルティはメルロマルクの第一王女。多少の不都合が出たとしても父が何とかしてくれる。
 盾の勇者が仲間の使命を放って逃亡するような輩だと知れば、槍の勇者も他の二人もきっと盾の勇者に愛想を尽かすだろう。取り残された『冒険者マイン』にも同情し、それならば是非我がパーティメンバーへと手を差し出してくるはずだ。その時の情景を想像し、マルティは口の端を持ち上げた。強姦の被害者を装う場合よりもインパクトは弱いかもしれないが、これでようやく当初の目的が達せられる。
 意識を少し先の未来から目の前の現実へと戻した。
 装備が盾だからだろうか。仲間≠ナあるマインの数歩先を歩み、魔物との遭遇に備える勇者の背中はあまりにも無防備だ。その背中に向けてマルティは右手を掲げる。まずは魔法で動きを止め、弱らせた後は青年本人がマルティに買い与えた剣で切り裂いてやろう。
 醜く、そして残忍に唇を吊り上げながら、マルティは素早く詠唱を開始する。
『力の根源たる次期女王が命ずる。森羅万象を今一度読み解き、彼の者等に風の暴威を示せ!』
「え? マインさ――」
 どうかしたのかと青年が振り返った。だが遅い。
「ファスト・トルネイド!」
「ッッッ!!!」
 風の魔法が盾の勇者に直撃する。鎖帷子は耐刃であって耐衝撃ではない。腹を大きな拳で殴られたように盾の勇者は吹き飛び、倒れた先の地面で胃の中の物をぶちまけた。
「――ぐ、かはっ……! な、んで……マイン、さ」
 苦痛の中、青年はマルティの仮名を呼んで戸惑いの表情を浮かべる。いい気分だ。マルティはますます気を良くしてもう一度同じ魔法を放った。
 紙屑のように飛ばされる身体。今度は頭を木の幹に打ち付け、青年は動かなくなってしまう。が、まだ息はある。
 マルティは剣を鞘から抜くと、にこりと笑って言い放った。
「私の邪魔をするゴミクズはもういらないわ」
 狙うのは首。
 鎖帷子が守りきれていない人間の急所に向けて剣を突き刺すように構える。
「さようなら。馬鹿な勇者サマ」
 そして銀色の刃が盾の勇者の首を――

「何してやがるっ!!」
「ぎゃっ!!」

 突如、マルティの身体が何者かによって突き飛ばされた。剣は盾の勇者の首を浅く掠めるにとどまり、衝撃でマルティの手を離れてしまう。
「な、にが――」
 身体を土と草の汁で汚しながら顔を上げたマルティが見たのは、
「……モトヤス、さま?」
 こんな所にいるはずのない槍の勇者・北村元康が赤い双眸に怒りを宿して立っていた。
 四聖勇者の武器は互いに反発し合うため経験値を稼ぐ際には一緒に行動するどころか近くにいることすらできない。だと言うのに、どうして離れた場所で仲間達と魔物を倒しているはずの元康がこんな所にいるのだろうか。
「なぜ……あなたが、ここに」
「どうして俺がここにいるのかなんて今は関係ないだろ? マイン、お前、一体何をしていた」
「っ」
 城で顔を合わせた時の女性に甘く接する彼の面影は最早どこにもない。ただひたすらにマルティへと向けるのは、針で突き刺すような敵意。
 その赤い双眸がちらりと盾の勇者を見る。するとマルティに向けたものとは一転し、二つの赤には相手に抱く愛しさと傷ついた姿に対する悲しさが溢れ返った。
 元康は傷ついた青年にファスト・ヒールを数回重ね掛けすると、未だこの現場を目撃されたことへの衝撃から立ち直れていなかったマルティに視線を戻す。
「弁明はあるか? 盾の勇者を背後から攻撃し、あまつさえ殺そうとしたことに、正当な理由なんてものがあるのなら言ってみろ」
「い、いやですわ、モトヤス様! 私は盾の勇者様を殺す気なんて」
 ようやく立ち上がり何とかこの場を誤魔化そうとするマルティ。大変惜しいが、いっそのこと元康にもご退場頂く必要があるかもしれない。今は警戒しているが彼はおそらく大変な女好きだ。マルティの美貌があればそれも容易いだろう。……と、考えていたのだが。

「背後から風魔法。そして倒れた相手の首に剣まで向けたくせに殺意を否定できると思っているんでしょうか」
「しかも尚文のことをゴミクズとか馬鹿とか言ったな、その女」

「!?」
 またもやあり得ないはずのことにマルティは声がした方を振り返った。
「イツキ様にレン様まで……!?」
 木々の合間から姿を現したのは弓の勇者たる川澄樹と剣の勇者たる天木錬。まさかこの二人も近くにいたのか。それで異変を察して仲間も連れずに駆けつけてきたと?
 あまりにも状況が悪すぎる。マルティは唇を噛み、予期せぬ展開に次の手を思いつけぬまま冷や汗を流した。
 早く。早く何かを言わなければ。悪いのは自分ではない。盾の勇者が邪魔だから排除しようとしただけなのだ。
 盾の勇者を排斥しマルティ自身はこのそれぞれ整った容姿を持つ三人の勇者にちやほやされるはずだったのに、どうしてこうも上手くいかない。
「レベル上げにちょうどいいダンジョンがあると尚文さんから聞いていてこちらに来てみましたが……まったく、とんでもない事態に出くわしてしまいましたね」
「尚文の窮地に間に合ったのは僥倖だったが」マルティを睨み付けて錬が続ける。「クズの見本のような女だ。反吐が出る」
 錬も樹もマルティには蔑むような目を向け、一方、盾の勇者には慈しみの視線を向ける。
 四聖勇者全員がマルティを敵と認識したのだ。それもこれも盾の勇者のせいだ、とマルティは未だ気を失っている青年を射殺すような目で見た。が、直後。
「自分の立場ってものを分かっていないようだな」
「ひ……っ」
 後から来た二人が喋る間ずっと沈黙を保っていた元康が抑揚を欠いた声と共に槍の穂先をマルティの顔に突き付けた。
 こちらを見下ろす視線は燃え盛る炎のようにも永遠に溶けぬ氷のようにも見える。しかし含む感情は同じだ。マルティへの絶対的な敵意と、それから隠しきれない殺意。
「わ、私をここで殺す気ですか」
 ただの冒険者マインであれば可能であっただろう。
 しかし、元康が答える前にマルティは唇に弧を刻む。
「やめた方がよろしいですわよ。何せあなた方の目の前にいるのはこの国の第一王女にして次期女王、マルティ=S=メルロマルクなのですから!」
「………………で?」
「え?」
 槍を引くこともせず元康がたった一音で重大な真実を流したため、マルティは思わず阿呆のように目を見開いた。
 そんな彼女を馬鹿馬鹿しげに見遣って槍の勇者は告げる。
「お前が王女様だからって一体何がどうなるって? 大好きなパパがお前をしっかり庇いきってくれるとでも思っているのか。でも尚文が持ってる知識じゃあ、この国って女王政なんだろう? つまりお前の父親はただの代理。世界を守るための勇者を私欲で殺そうとした王女を無傷で庇い切れるだけの力はないはずだ。そして、お前の悪行を証言できる勇者は三人もいる。この意味、いくら馬鹿そうな顔をしているお前でもいい加減分かるよな?」
 元康が槍を引いた。しかし間髪置かずに錬と樹がマルティを拘束する。
「いたっ……やめなさい! 私は次期女王なのよ!?」
「優秀なのは妹の方らしいじゃないか」
「尚文さんが初日に教えてくれたんですよね。女王陛下の旅に同行している第二王女が次期女王の予定だって。……あなた、本当に愚かですねぇ」
「こ、この……っ!」
 何とか拘束を解こうを身をよじるマルティだったが、勇者二人の力は一向に緩まない。それどころか余計に力を強くして痛みを与えてくる。状況の悪さに顔を青褪めさせるマルティ。
 気を失ったままの盾の勇者を両腕で抱き上げた槍の勇者がそんなマルティを冷たく見下ろす。
「勇者殺害未遂か。たとえこの国の国教が三勇教でも、外交のことを考えれば当然ただじゃ済まないだろうな」
 万が一お咎めなしか軽い処罰程度になったとしたらその時は一切容赦しない、と赤い双眸が音もなく告げた。



[chapter:4]

 マルティの移送と王城への報告もとい苦情はひとまず錬と樹に任せ、元康は横抱きにした尚文をそのまま昨夜も泊まった宿屋へ運び込んでいた。
 本来であれば城か治療院へ行くのが適切なのだろうが、王女であるマルティが犯した殺人未遂なのだからそちらはあまり信用できない。それに錬たちと別れてすぐ尚文が意識を取り戻したのも大きい。宿屋へ向かう元康の考えに尚文も同意し、一度そこで休息を取ることにしたのだ。
「現実世界なら頭も打ってるし病院に行って精密検査を……って話になるんだろうが、この世界じゃ大体ヒールで解決するんだよなぁ。もちろん怪我の程度や種類によるんだろうけど」
 魔法って便利、と呑気に告げる尚文は、現在ベッドの上だ。それすら不要と言った彼に元康が何度も頼み込んでこうして安静にしてもらっている。
 自分を蔑ろにしているようにも見える尚文に元康は心が休まらない。眉尻を下げ異常はないかと尚文に問いかければ、「心配性だな」と翡翠色の双眸が優しく細められた。
「怪我はお前が治してくれたじゃないか」
「でも……っ」
「……それなら、ほら、確認するか?」
 言って、上半身を起こした尚文がおもむろにインナーの裾をめくる。
 風の魔法で思い切り殴られた腹にはすでに痣も何もない。昨夜元康が触れたままの滑らかな肌がまだ明るい室内で外気に晒される。照明の暗さも状況も昨夜とは違うはずなのに、元康はその肌から目を離せない。近づき、誘われるようにして尚文の肌に触れれば、ごくりと喉が鳴った。
「っ。おい元康、その触り方はくすぐったいんだが……」
「尚文」
 傷のない腹部に視線を固定したまま静かに名を呼ぶ。その声に含まれる夜の気配を敏感に感じ取ったのか、尚文の身体がピクリと小さく跳ねた。指先を滑らせるようにしてまだ布の下に隠れている胸へ。軽く引っかかったそこに弱い力で爪を立てれば、「……っぁ」と欲を抱かずにはいられない声が尚文の口から零れ落ちた。
「もうどこにも怪我なんてしていないって、確かめさせてくれるか?」
「ッ、この、ばかもとやす……っ」
 顔を上げた先には涙で潤った二つの翡翠。目尻はすでに赤く染まり始め、まだ元康しか知らない身体を僅かによじる。
 そんな様子で馬鹿だと暴言を放っても、最早睦言以外の何ものにも聞こえなかった。
「ん。たぶんお前と出逢って俺は相当な馬鹿になっちまってるよ」
「ンぁ……」
 胸の突起を摘み上げるようにして刺激する。いくらでも零れ落ちてくる可愛らしい声に元康は口の端を持ち上げながら、本格的に愛しい身体を開拓――……もとい、怪我の状況を確認し始めた。


「――ぁ、っ……アぁっ」
 燦々と陽の光が差し込む昼間だからだろう。暗い部屋で身体を重ねた時よりも声を我慢する尚文の新たな色気に気づかされ、彼の腰を掴む手に知らず力が入る。
 ぐちゅり、と粘ついた水音が立つたびに跳ねる背中は汗に濡れ光っていた。尻だけを高く上げた尚文のそこに元康はちゅうと吸いつき、舌の上に広がる僅かな塩気に頬を緩ませる。
 インナーは胸の上までまくり上げられており、すでに何も隠せていない。確認と称して元康に散々弄られ真っ赤に熟れた乳首がシーツに擦れ、そのたびに元康の陰茎を包み込む肉がきゅっと締まってたまらなくなる。なだめるように軽いキスを背中に落としたかと思えば所有欲を満たすようにいくつも鬱血痕を残す元康の振舞いに、顔を枕に押し付けている尚文からは「や、ぁ……ァ」と抗議とも感じ入っているとも取れる声が漏れた。
「顔見せて……尚文。お前の顔、見たい」
「ひ、ぅ――」
 ぐっと腰を深くしながら耳元で囁く元康に、尚文は喘ぎながらもふるふると首を横に振る。明るい場所で快楽に乱れる姿をまじまじと見られたくないのだろう。こんなにも甘い身体をしてくるくせに乙女のような慎み深さを窺わせる青年にとめどなく愛しさが溢れてくる。それと同時に飢えのような感情も。足りない。もっともっとこの身体を味わい尽くしたい。微笑みも声も何もかも、自分のものにしてしまいたい。
「じゃあ、恥ずかしいなんて考えられないくらい、もっと良くして差し上げるとするか」
「何を、……ッあ!!」
 一度抜き、尚文の身体を仰向けにして再度挿入すれば、その衝撃でひときわ高い声が上がる。赤く染まった顔はすぐに腕で隠されてしまったが、元康は気にせず尚文の太腿を手のひらで支えた。そのまま脚を持ち上げ、膝頭を腹の方へと押し付けていく。
「えっ、あ……ま、て。それ、こわ、ぃ――」
「もっと俺と深いところで繋がろうな、尚文」
 そう言って、ばちゅんっ!と深く尚文のナカに入り込む。
「ッア――ッ!」
 これまで誰も犯したことのない場所に踏み込まれ、尚文が可哀想なほど背中をのけぞらせた。しかし元康に押さえ付けられた身体は逃げることもできず、与えられる快楽をダイレクトに受け取ってしまう。
 痛みを訴える可能性もあったがそれも杞憂に終わったようで、ますます赤く熟れていく身体とナカで肉棒を締め付ける感触に元康は舌なめずりをしながら、脳が焼き切れるような歓喜と快楽に酔いしれた。
「あ、あっ……ン、ぅ、や、ああっ」
 元康の動きに合わせて抑えきれなくなった声が尚文の唇を割って出る。すでに顔を隠していた腕は力なくシーツの海に落ち、昼の光の中で快楽の涙に濡れた翡翠をきらきらと輝かせていた。
「尚文。好き。好きだ。お前を愛してる」
「あっ、あ、あァ……ッ!」
 もう尚文には聞こえていないかもしれない。それでもこの想いを伝えたくて元康は腰を打ちつけながら何度も何度も尚文の名を呼び、愛を囁いた。
 そろそろ限界も近い。元康はひときわ深く腰を突き入れる。熱い肉壁が元康の陰茎を絶妙な力で締め付け、最奥が入り込んできた亀頭にちゅうと吸いついてきた。
「ぐっ――」
 その衝撃に元康が精を放つ。じわりと体内で広がる熱に尚文もまた遅れて達し、自ら腹を汚した。
 はぁはぁと二人分の荒い呼吸が部屋に満ちる。
 だが元康は尚文の脚を持ち上げたまま吐き出した精をさらに奥へ塗り込めるように腰を揺すった。
「――ひ、やァ! ま、もう、イった、の、にぃ」
 白い首筋を晒して尚文が仰け反る。
「尚文、なおふみ……まだ、足りない」
「ひゃ、あっ、ああ」
 達したばかりの身体に無体を強いているというのは分かっていたが、止まらない。止めたくない。
 一度目の前で失いかけたせいだろうか。この身体を離したくないと元康の全身が、細胞一つ一つが叫んでいる。
「ア、あ、アァ――ッ!」
 晒された首に噛みつくようにキスをして、元康は尚文を味わい尽くすため律動を開始した。



[chapter:5]

 勇者を殺害しようとしたとして、マルティ第一王女には謹慎処分――具体的には半年間の軟禁――が科された。
 槍、剣、弓の三勇者は当然のことながらその結果に納得しなかったが、盾の勇者本人が「構わない」と三人をなだめたため大事には至っていない。おそらく女王本人が外交から帰ってくれば状況も変わるだろう、とはその後の尚文の言である。
 国王代理であるオルトクレイは娘に大変甘い性質であるし、この決定ですら舌を噛み切らん勢いで下したのだ。どうやらその陰には女王ミレリア=Q=メルロマルクが遣わした影からの伝言があったようで、それがなければマルティは謹慎処分どころか無罪放免――……果ては何が何でも言いがかりをつけ、尚文を悪者にしていたかもしれない。
 よって半年間の軟禁は女王が国に帰ってくるまでの時間稼ぎということになる。
 なお、女王の帰還はそれよりもっと早いだろうが、『戻った彼女が国の主として公平かつ正しい判断を下し、同行者が一人もいなくなった尚文が新たに仲間を揃えてレベルを上げ次の波に備える』というのは不可能だ。おそらく女王の帰還自体が次の波に間に合わないだろう。しかし彼女がいなければ、オルトクレイを恐れてこの国の者が尚文の仲間になろうと名乗り出ることもない。
 盾のせいで魔物のバルーンでさえ倒すのに四苦八苦する尚文が満足に経験値を稼げるはずもなく、このままでは低いレベルで波に対処しなくてはならなくなる。それを危惧した他の三人の勇者が自身の仲間を尚文の元へ派遣しようとしたが、それは尚文本人が断った。理由は先述の通り。オルトクレイが尚文を敵視している今、その仲間になるなど――いくら他の勇者からの要請であったとしても――当人の不利益になってしまうからだ。
 でもそれなら尚文はどうするつもりなのか。心配で心配でたまらないとばかりに詰め寄る三人に彼は相変わらず穏やかさをまとって「ちょっとやりたいことがあるんだ。大丈夫。次の波までには間に合わせるから」と、どこか楽しげに翡翠色の双眸を細めた。


 その日、魔物の売買を手掛ける男のもとに一人の青年が訪れた。
 表向きは一般人も相手にするただの魔物商。しかしそれを隠れ蓑にして男が営んでいる本業は奴隷の売買である。どちらも一応この国の法律に則った商売であるが、後者はあまり大きな声で言えないものだ。
 訪ねてきた青年はおそらく前者――魔物の購入が目的だろうと判断した奴隷商は、丸眼鏡の下でそちら用の笑顔を作り近づいていく。良く言えば人当たりが良さそうな、悪く言えば間が抜けているような青年なので、フィロリアルあたりを買いに来たのかもしれない。
「いらっしゃいませ、お客様! 当店では初めてですね? どのような魔物をお探しでしょうか。ハイ」
 愛玩用から労働用まで幅広く取り揃えております。魔物の卵くじなんてものもありますよ。と、にこやかに接する奴隷商。だがその笑みも言葉もすぐに凍りつく。
 たった一人で商売用のテント内に足を踏み入れた青年はすぐに雰囲気を一変させ、触れれば斬れてしまいそうな、近づくものを容赦なく棘で貫いてしまいそうな、そんな荒んだ空気をまとってある方向を指差した。その時、奴隷商の視界に入ったのはスモールシールド。青年の瞳と同じ澄んだ緑色の宝玉がはめ込まれたそれは――
「まさか盾の聖武器……? あなたは盾の勇者様であられましたか。ハイ」
「一応そういうことになっている。で、今日は魔物を買いに来たわけじゃなくてな。欲しいのは亜人奴隷の方だ」
 盾の勇者が指差していたのは店の奥――奴隷たちが檻に入れられている区画である。何故彼がそのようなことを知っていたのか不思議でならないが、まとう空気が質問を挟まない方が利口だと無言で圧力をかけてきていた。
 奴隷商の商売人としての勘も余計なことは言うべきではないと判断しているので、「わかりました。それではこちらへ。ハイ」と盾の勇者を店の奥へ案内する。
「勇者様はどのような奴隷をご所望で? 戦闘奴隷か、それとも性どれ「戦闘用だ」
 奴隷商に最後まで言わせず勇者はきっぱりと告げた。
「俺は攻撃力のない盾だからな。剣として戦ってくれる奴がほしい」
「それでしたら狼人なんてよろしいかもしれませんね! こちらになります。ハイ」
 勇者が国から支給された金では払いきれないであろう金額の奴隷を見せる。レベル75の狼人だ。青年は狼人の奴隷を一瞥すると、何故か少し楽しげに肩を竦めて「まさかまた≠アれを見せてくれるとはな」と独り言ちた。
「勇者様?」
「何でもない。が、真っ先に良いものを見せてくれたことには礼を言う。今後とも贔屓にさせてもらいたいが……今日は安いやつで、まだ壊れていないものを頼む」
「そうですねぇ……でしたら、些か愛玩用にも劣るものですが、こちらをお見せしましょう。ハイ」
「見た目は気にしない。レベルもな」
「まさか勇者様が一から育てるおつもりで?」
「最初からその予定だ」
「はぁ……何とも珍しい」
 しかし嘘は言っていないと分かる。同時に、彼が育てた奴隷がどのように育つのか興味も湧いた。
 奴隷商は足取りも軽く目的の場所へ勇者を案内する。
 やがて辿り着いた先で勇者に三つの檻を見せれば、彼は迷わず真ん中――最も価格の安いラクーン種の少女を選び、即金で買い上げた。
 夜間にパニックを起こし、病も持っており、さらには前の主人が酷い仕打ちをしたせいでとにかく他者を恐れる。そんな良いところなど一つもない奴隷を檻から出した青年は、小さく悲鳴を上げて固まる少女を優しく抱き上げると、自身が汚れるのも構わずに「大丈夫だ」と囁いて頭を撫でた。
「お前に力を貸してほしいんだ……頼むよ、   」
 青年が最後に口にしたのは名前だったのかもしれない。だが奴隷商どころかラクーン種の少女本人さえ聞き取れなかったそれはすぐに霧散し、青年が一瞬だけ浮かべた優しい笑みと共に無かったことにされた。
 余談だが、奴隷商のもとへ、メルロマルクの最高権力者――女王ミレリア=Q=メルロマルクより盾の勇者に助力して欲しいという要請がひっそりと届いたのは、盾の勇者の初来訪から数日後のことだった。


 この人の剣になろう。
 周りのもの全てが恐ろしかったラフタリアに手を差し伸べ闇から救い出してくれたのは、盾の勇者としてこの世界に召喚された岩谷尚文という青年だった。
 尚文はその身に宿した聖武器の性質上、基本的に他者を攻撃することができない。したがって波と呼ばれる災厄に対抗するため、彼は自身の代わりに戦ってくれる剣を欲した。そんな彼に選ばれたのがラフタリアだ。
 波に襲われ家族を奪われ、なんとか生き残った後は奴隷として扱われ――。病も患い、このまま消え去るだけだった命を、尚文だけが見つけてくれたのである。そしてラフタリアの病を癒した彼は、剣と共に、ラフタリアと同じような悲しい目に遭う者を増やさないために戦うという使命をも与えてくれた。
 ――だけ、であったなら、ラフタリアはここまで尚文のことを慕いはしなかったかもしれない。
 薬と剣と使命を与えてくれた彼は、もう一つ、ラフタリアにかけがえのないものをそっと分け与えてくれたのだ。
 それは暖かくて、優しくて、ひどく脆くて、愛おしい。
 おそらく愛情と名付けられるもの。
 尚文はラフタリアを信じてくれている。頼ってくれている。時に父娘のように、時に戦友のように、そして――これはラフタリア自身の願望が入っているのかもしれないが――愛する人のように。
 短い言葉では正しく表現できない大切な感情を尚文はラフタリアに与えた。それは決して目立つようなものではなかったけれど。むしろ第三者から見ればラフタリアは奴隷で、尚文が主人で、ほんの少し他よりも主人が上手く奴隷を育てただけと思われかねないものであるかもしれなかったけれど。決して笑顔が多いとは言えない尚文の翡翠色の双眸は、しかしいつでもラフタリアを愛してくれていた。
 だからラフタリアは尚文の剣になりたい。絶対にラフタリアを守ってくれる盾のため、彼の障害になり得る全てを切り裂く剣に。
「ナオフミ様!」
 レベルの上昇と共に成長する身体はまだ尚文の胸に届くか届かないかと言ったところ。魔物を倒し、それがきっちりと死んだのを確認してから尚文のもとへ駆け寄れば、指ぬき手袋に包まれた手が優しくラフタリアの頭を撫でてくれた。
「よくやった。レベルアップも順調だし、お前も腹が空いて来ただろう。そろそろ街に戻るか」
「はい! 獲得した素材を武器屋の親父さんのところへ持って行きますか?」
「そうだな。ついでにラフタリアの装備も見てもらおう。成長してるからまた少しキツくなってきてるんじゃないか?」
「わ、私のことより尚文様の防具の強化を優先してください!」
「とは言っても、この辺の魔物だったら俺は今の装備で十分だし……」
 やっぱりラフタリア優先だろう?と 当然のように告げる尚文。
 出会った当初彼が装備していたのは鎖帷子だったが、今は贔屓にしている武器屋がオーダーメイドで作ってくれた『蛮族の鎧』に変わっている。緑を基調としたそれは野性味があって、仏頂面をすることが多い尚文に良く似合っていた。尚文本人は「着慣れた感触はするが……似合ってる、のか?」と首を傾げていたけれど。
 ともあれ、彼の防御力が十分高いのは確かだが、それとラフタリアの心情とは少し違うのだ。
「ですが……」
「じゃあこう言おう。ラフタリアが良い装備を揃えてもっと強くなってくれたら、その分、防御役の俺は楽になる。だからラフタリアを強くする方が優先だ」
「……ナオフミ様はズルいです」
 そんな言い方をされてしまっては反論できない。
 頬を膨らませるラフタリアに尚文は少しだけ口の端を上げてもう一度頭を撫で、「戻るぞ」と告げる。ラフタリアはそれに元気よく返事をして、彼の隣を歩き始めた。
 ――城下町に入れば尚文の雰囲気が変わってしまうことを残念に思いながら。
 尚文が多くの人の前で自分を偽っていると気づいたのは、わりとすぐだったと記憶している。
 最初はラフタリアや奴隷商にのみ不機嫌になり、その他には優しく接している――つまりラフタリアたちだけが嫌われている――ように思えたのだが、尚文が浮かべる笑顔を下から眺めているうちに分かったのだ。これはウソであると。
 優しく穏やかな笑顔は誰に対しても変わらない。仮面のように貼り付いたそれは、事実、尚文の仮面だったのである。
 一方、ラフタリアの前での彼は仏頂面で少し目つきが悪く、言葉遣いも荒いところがある。けれど頭を撫でる手は優しく、ラフタリアの動きをよく見て、困ったことが無いか、欲しいものは無いか、と常に気にかけてくれていた。奴隷商相手では舐められないようにするのと、可能な限り関わりたくないと思っているがゆえの態度がアレである。そしてラフタリアの装備を整えるために連れて行ってくれた武器屋の店主を前にした時の尚文は、ラフタリアのように信頼を向け、加えて父や年の離れた兄を慕うような雰囲気をまとっていた。
 どうして尚文はこうもラフタリアたちとそれ以外とで態度も雰囲気も変えているのだろう。その疑問に答えてくれたのは、ラフタリアの成長を楽しそうに見守ってくれている武器屋の親父だ。ラフタリアの装備を整える間に倒した魔物の素材を売ってくると言って尚文が出て行った隙にこっそりと教えてくれたのである。とは言っても、彼は「これは俺の予想であって、真実かどうかは分からねぇけどな」と前置きをして。
 武器屋の親父曰く、この国は三勇教を国教としており、盾の勇者は冷遇どころか過激派からは悪魔扱いまでされる始末。そんな中、召喚されてしまった尚文は自分たちの知らないところで酷い目に遭ったか、遭いかけたかしたのだろう。だからこそ、もうこれ以上被害を被らないために自分を偽っているのではないか。
 だとしたら悲しいと思うと同時に、ラフタリアは嬉しいとも感じてしまった。だって自分や武器屋の親父さんは尚文に信頼されているということだから。武器屋の親父――エルハルトも同じ結論に辿り着いていたのだろう。尚文のためを思うならこのままじゃいけないと頭では理解しつつも、そんな彼の特別な場所に自分が据えられているのだという事実に喜ばずにはいられない。岩谷尚文は、大事な大事な、自分たちの盾の勇者なのだ。
 尚文に関しての話はその少し後に当人が戻って来てしまったため終了となったが、ラフタリアとエルハルトの間にはちょっとした同盟のような、同志のような、そんな関係ができあがることとなった。
 尚文を支えたい。自分たちを心から信頼してくれる彼のため、精一杯のことをしていこう、と。
「ラフタリア?」
 ほんの少し前の過去に思いを馳せていたラフタリアを大好きな声が呼ぶ。ラフタリアは「すみません。少しお腹が空いたのでぼーっとしてしまいました」と答え、その大好きな人に本心からの笑顔を浮かばせてみせた。







1:2019.03.17 Privatterにて初出 2:2019.03.18 Privatterにて初出 3:2019.03.21 Privatterにて初出 4:2019.03.21 Privatterにて初出 5:2019.03.24 Privatterにて初出