て ん し の わ っ か







 おやかたぁ!空から女の子が!
 某有名アニメの主人公の台詞を脳内リピートしてしまうくらい、その時の俺は混乱していた。
 俺は普通の家庭に生まれて普通に育ったごく普通の、ひとカゴいくらで売られていそうな大学生であり、勇者の末裔とか王族の血を引いているとかエスパーだとか宇宙人に誘拐された経験があるとか、そんな人間では絶対にない。もちろんキレたら種割れでバーサーカーになったり、実はニューなタイプだったり、片目に異能の力が宿っていたり、マフィアのボス候補だったり、ゴム云々とか言って手足が伸びたりする海賊でもない。
 そんなごく普通の、どこにでもいる、とてもこれから物語の主人公的ポジションにつけるとは思えない俺の目の前に、物凄く非日常的で、本の世界ならまだしも現実世界では有り得るはずもなく、「うわ、物語のヒロインポジションじゃね?」と思えてしまう人影が、いた。正確に言うと、冒頭の台詞がピッタリなくらいふわふわと落ちてきた。
 周囲はなんかもう「わざとだろっ!?」って言いたくなるくらい都合よく人がいない。え、まじドッキリじゃないの?そこの電柱の影にプラカード持った人が立ってたりとか。「○○テレビ局の者でーす!」とか、ね。売れない芸人が寒々しく頑張ってさ。……もうそろそろ現実逃避は止めておいた方がいいのかな。
 はぁ、と溜息をつき(本当は深呼吸がしたかったのだが、心情的に無理だった)、目の前の状況を改めて認識する。
 現れたのはとても可愛らしい女の子だった。腰までのゆるやかなウェーブを描く金髪、真っ白な肌、びっくりするくらい長い睫毛、目はエメラルド。ピンクの小さな爪が十本揃っていて、白くてふわふわした服を着ている。外見は少女と言うか幼女と言うか、にこぉと浮かべられた笑顔も相俟って中学生以上には見えなかった。こりゃあ幼女愛好者垂涎モノだな。一瞬で誘拐されるぞ。
 なんてところにまで思考が飛んで行ったので慌てて呼び戻す。現実逃避は止めようって言っただろ、俺。
 そんな可愛らしい、しかし一般的な思考を有する人間としてはお家に連れて帰りたいと思う前に保護者は何処だと探してしまいそうな女の子であるが、今挙げた事柄くらいなら、まだそれほど問題ではなかっただろう。俺が頭を抱えたいのはもう一つの、そしてとてつもなく目を引く一点だ。
 俺に笑いかけてくる女の子。その子は『女の子』であるからして、当然170cmを超えた俺よりもずいぶん身長は小さい。よって通常ならば俺は顔を下に向け、女の子は上に向けなければならないのだ。しかし現実は違う。俺と女の子の目線はピッタリ一致していた。こちらが抱き上げているわけでもない。台があるわけでもない。つまるところ、女の子は浮いていたのである。背中に真っ白な翼をつけて。
 ドッキリのプラカードはどこぉぉぉおおお!?!?


「あの、だいじょうぶですか?」
 放心状態だった俺の耳に澄んだソプラノが届く。こういう声が『天使の歌声』ってやつになるんだろうな。うん。
「もしもし?もしもーし」
 目の前には幼女。幼女趣味じゃない俺から見ても可愛らしいと思える女の子。そうか、女の子ね―――
「うおぅ!?」
「あ、おはようございます?」
 いやいや、もうばっちりお昼過ぎてるから「おはようございます」は可笑しいだろ。って、そうじゃなくて!
 目の前でふよふよと浮かんでいる女の子を見つめながら、俺は一言。
「天使?」
「はい!天使です!」
 よいお返事ですねー。えらいえらい。……また思考が家出したよ。もうそろそろ本気で止めようぜ。
「夢、じゃないよな…?」
「現実です」
「ドッキリでも?」
「ありません」
「空から降って来たよな…?」
「はい。わたしは空に住んでますから」
 女の子の言葉を肯定するかのように背中の羽がパタパタ動く。
 マジ?マジなの、ねえ。頬も抓ってみたけどバッチリ痛いよ。俺、クスリやった経験なんてないよ。変な宗教にも入ってないよ?
 混乱する俺の前で自称天使の女の子はにっこりと微笑み、どうやら信じ難いことに『物語』の主要登場人物の一人であるらしい俺を無視して勝手にストーリーを進めてしまった。つまり笑顔でこう言ったのだ。
「わたしの落としものをいっしょに探してくれませんか?」


 その天使さんの名前はサキと言った。もしかして第三使徒とか。え?違う?あはは、わかってますって。冗談です。天使さんはサキであってサキエルではないってことでしょう?……本日四度目の家出か、我が思考よ。
 とにかく、サキが言うには、落としもの探しを手伝ってくれる人間が必要らしい。しかも誰でもいいってわけじゃない。
 普通、天使であるサキの姿を人間が見ることは不可能なんだそうな。でも心の綺麗な人とか(現代人には少ないだろうなとか思う俺は駄目だろうか)、生まれたばかりの子供とか、死期が近い者とか、身近な『死』を体験したばかりの人間とかには見えるらしい。そんでもって俺は一番最後の例の人間だった。実は一週間前に小さい頃から可愛がってくれていたばあちゃんが他界したのだ。老衰で眠るように死んだから良かったんだけどな。
 しかし手伝う人間はただサキが見えているだけでは駄目なのだ。もう一つ条件がある。それは。
「ひまそうな方じゃないとだめなんです」
 悪かったな、暇人で。ばあちゃんの葬儀関係でしばらく休んでたらバイト先クビになったんだよ。現在求職中だ。ま、別にバイトしなくちゃ生活が苦しいってほどでもなかったから構わないんだけどね。
 そんなわけでサキが見える暇人である俺に白羽の矢が立ったらしい。なるほどな。
「……で、探しものって?」
「手伝ってくださるんですか!?」
 今さら何を言うか、この幼女は。そっちは夢でも幻でもなく、加えて時間が余りある俺を捕まえておいて。
「面白そうだしな。俺で良ければ手伝うよ」
「あっ、ありがとうございます!」
 ペコペコ小柄な身体を折り曲げて感謝の言葉を述べるサキをちょっとほんわかした気分で眺めながら話の続きを促す。
「何を探せばいいんだ?」
「それはですね、」
 サキはそう言いながら自分の頭に手をやった。
「わっかです」
「輪?」
「はい。天使のわっかです」
 そう言えばサキの頭には天使の絵とかによくある金色の輪がない。つーか脱着可能なのか、その輪って。
「この街にあるはずなんです。でもわたし一人じゃ見つけられなくて……」
「形は俺達が知ってる金色のアレでいいのか?」
「はい。人間が一般的にイメージとして持っているものとほとんどいっしょです。多少、個人で色や輝きは異なりますが……」
「へぇ」
 トリビアだな。日常生活では使えないムダ知識。
「どうかよろしくおねがいしますっ!」
「ん。頑張ってみるよ」
 ガバァッと言うよりペコリッと頭を下げる小柄な天使さんをまたしてもほんわかした気分で眺めながら頷く。
 それでは、宝探しならぬ天使のわっか探しに出かけましょうか。


 探しものをするにあたってサキがまず行ったこと。それは人間になりすますことだった。その詳しい理由はわからん。規則なんです、と言われたからにはまぁそうなんだろうけど……。
 とにかくそういうワケで、俺は現在、どこからどう見ても血の繋がりは皆無な幼女の手を引くお兄さんというポジションにレベルアップしてしまっていた。……会話する時は空中に話しかける変人にならなくて済むから良いんだが、代わりに誘拐犯と間違えられていそうだ。と言うか、すでに一回職務質問を受けた。人生初の。
 しかしサキが上手く立ち回ってくれたおかげで最後には警官もにこにこ笑って(サキに)手を振ってくれた。そうか、俺はサキの父親の従兄弟という設定なんだな。了解した。
 右手でサキの手を引きながら街を歩く。こうしておけば迷子にはならないだろうが、決して安心することなかれ。減少傾向にあるとは言え、いまだ完全に歩きながらの喫煙が無くなったわけではない。ゆえに人ごみの中ではサキの目線の位置に歩き煙草の火が近づくことになってしまうのだ。火以外にも男女関係なく、サキの頭に鞄がぶつかりそうになることも。小さな手を引きながら、もちろん歩く速度にも注意しながら、そういう危険なものに気を配って、俺はサキのわっか探しに精を出していた。
「サキ、こっちに寄って」
「はーい」
 とてとて、と俺の右側から正面へと小柄な身体を移動させる。その後すぐに重そうな鞄を持った男性――外回りのサラリーマンだろうか――が横を通り過ぎる。ちょうど鞄が通過したのは少し前までサキの頭部があった位置だ。
「もういいぞ」
 そう言ってサキを右隣に戻す。
 すると、右手と繋がっている小さな手にきゅっと力が加わった。
「サキ…?」
「……貴方は優しい人ですね」
 なんだろう。サキの言い方は少し大人びているような気がした。そしてなんだか悲しいと言うか、切ないと言うか……。気のせい、かな?
「こういう風にしてもらったのは初めてなので、うれしい、です」
「……そっか」
「はい。……あ、次はあちらへ!」
「了解」
 元に戻った(と表現すべきなのだろうか)サキに俺も調子を戻して、彼女の指差す方向に足を向ける。
 天使の輪が見つかる気配は、まだ、ない。


 そうこうしているうちに日も暮れて、黄昏時と呼ばれる頃になってしまった。しかしまだ目的のものは見つかっていない。協力すると言った手前、これはちょっと気まずいな。サキの表情も心なしか少し沈んでいるように見える。
「サキ、次は何処に行こうか?」
「………、」
「サキ?」
「えっ!?あ、そうですねぇ。あそこの路地裏とか」
「ん。じゃあ行くか」
 そう言って進み始めると、握った小さな手にほんの一瞬、微かな抵抗を感じた。何かと思ってサキを見るが、彼女はにこぉと笑うだけで特に異常があった風でもない。
 内心で首を傾げながらサキが示した人気の無い路地裏に入る。お?向こうの方はちょっと開けた場所になってるみたいだな。街中に出来た用途不明の空間か。
 路地裏を突っ切って開けた空間に出ると、ビルの陰になった所に何か光るものを見つけた。思わず「あっ」と呟いて近寄る。
「サキ、これか?」
 薄ぼんやりと光る輪を手に取ってサキに差し出す。エメラルド色の双眸に淡い光が映り込んでとても綺麗だ。しかし。
「………………見つけちゃいましたね」
「え?」
 サキの呟きはとても暗く、悲しそうに聞こえた。
 次の瞬間、サキの身体がふわりと空中に浮かび上がり、こちらの手から離れてしまう。
 バサリと音を立てて生える翼。その色は、黒。
「サ、キ…?」
 なあ、どうして羽が黒いんだ?どうして昼間の時みたいに笑ってくれないんだ?そんな、何かに耐えるような顔をして……。 サキ、なあ。
「その鎌は……」
 サキの手にはいつの間にか大振りの黒い鎌が握られていた。刃の部分だけ銀色で鋭利な輝きを宿している。その姿は、まるで。
「ごめんなさい。私、天使なんかじゃありません。本当は死神、なんです」
 その声はひどく大人びて聞こえる。
「天使の輪を探しているのも嘘。貴方が今、手にしているそれは、私のものではなく貴方のものなんです」
「……どういう、こと、だよ」
 情け無くも掠れてしまった声で問うと、サキはくすりと笑った。
「貴方はもうすぐ死ぬんです。言ったでしょう?私が見える人の条件。そして私たち死神は死期の近い人間の元へ降り立ってその本人に『死者の輪』を探させるんです。死者の輪は本人にしか見つけられませんから。そして死者の輪が見つかり次第、私たちはこうするんです」
 淡く笑ってサキが大鎌を振り上げた。
 ……ああ、なんだ。そういうことかよ。俺は死期が迫った自分のために天使ならぬ死者の輪を探してたってわけね。そっか。俺、死んじゃうのか。
「それでは、死んでください」
「…………うん」
 サキの声に頷いて俺は目を閉じた。ヒュオ!と鎌の風を切る音が……、あれ?まだ意識がある。死んでも生きてる時とそう変わらないのか?
 自分の状態がわからず、目を開ける。
 そこから見える景色は目を閉じる前と何ら変わっていないように思えた。……の、だが。鎌を振り切れていない少女の顔を見て、俺は思わずその名前を呼んだ。
「サキ、なんで泣いてるんだ?」
 エメラルド色の瞳から透明の液体がぽろぽろと溢れている。止まらない。
「泣くな。泣くなよ、サキ」
「だって、…ッ」
 白く小さな手が鎌を離す。黒い大鎌はサキの手を離れると空中に溶けるように霧散した。
「殺せない、殺せません…。貴方の魂を狩るなんて。例えそれが最初から決められていることでも私には出来ない。優しい貴方を殺すなんて、私には出来ないよぉ…!」
「サ、キ…」
 泣き続けるサキに手を伸ばしてその小さな体を抱きしめる。優しく頭を撫でれば、しがみつく力が強まった。
 なんだろう、この気持ち。死ぬのが嫌だって思う前に、死んじゃうのかって、すとん、と理解してしまった所為なのか、どうしても「殺されそうにない?ラッキー」なんて思考には至らない。ただ、俺のために泣いてくれるこの小さな女の子の存在が嬉しくて、同時に、泣かせてしまったことを申し訳なく思う。
 落ち着かせるように何度も何度も頭を撫でながら俺はゆっくりと口を開いた。
「……でも、それがサキの仕事なんじゃないか?」
 我ながら酷いことを言っていると思うが、サキ曰く「最初から決められている」らしいので、結局はこうするしかないのではなかろうか。それなら今みたいに感情と義務のせめぎ合いで苦しむサキを助けるためにも、やることは早めにやってしまった方がいい。
「サキ、これは仕事だろ?さぁ。俺がサキを恨むなんてことは絶対に有り得ないから安心して?」
 泣いている所為で赤くなり始めた双眸と視線を合わせ、出来るだけ優しい表情になるように微笑む。
 するとサキは何かを決心するようにきゅっと口を引き結び、俺から離れた。涙は……よかった、もう止まってるみたいだ。
 再び空中に浮かんだサキの両手に乗っているのは、黒い鎌ではなく俺のものらしい光る輪。その光に照らされてサキが微笑む。
「私、決めました」
「サキ?一体何を……」
「こうするんです」
 宣言するのと同時にサキの手にあった輪が弾けた。光の粒となったそれはキラキラと小さな光で辺りを照らしながら空気に溶けていく。
 光の粒に彩られたサキは今まで見た中で一番嬉しそうな表情をしていて、俺はもう「仕事は?義務は?」なんてことすら言えなくなってしまう。
「サキ、」
「これでいいんです。貴方はこんな所で死なない。私が死なせない。やりたいこといっぱいやって、素敵なおじいちゃんになってから死んでください」
「……いいのか?」
「はいっ!」
 笑顔で抱きついてきた小さな身体を、俺は壊さないように注意しながらも、強く強く抱きしめ返した。








2007年秋発行の某コピー本から再録。