2.幕間
エースがサボと再会してから二年の歳月が過ぎていた。そう、死んだと思っていた唯一無二の友とエースは再びまみえることができたのだ。 何者かが紙片に書いて伝えたメッセージは罠などではなく全て真実であり、白土の島を訪ねたエースはちょうど任務から戻っていたサボと遭遇。親友が記憶を失っていたことを知ってショックを受けるも、粘り強く交流を続けてついには記憶を思い出させるに至った。 しかし全ての記憶が戻ったはずのサボは、時折、会話の途中で誰もいないはずのエースの隣に笑みを向けては自分の行動に首を傾げたり、大事なものを忘れている気がすると言って眉間に皺を寄せたり、今でも不可思議な行動を取ることがある。そしてそんな時はエースもまた自分の中の大事な何かが欠けたまま戻っていないような気分になって、不安や苛立ちを覚えるのだった。 ともあれサボとの再会は何物にも勝るほどの幸運だ。 現在、二人は海賊と革命軍という別々の道を歩むことになっているものの、主にサボが任務のついでに航海中のモビー・ディック号に立ち寄ってエースに顔を見せてくれるようになっている。白ひげ海賊団の皆もすでに慣れたもので、末弟の親友は自分達にとっても大切な客人だと言わんばかりに、サボが立ち寄ると彼に急用がない限りは高確率で宴が催されていた。 今日もそんな何気ないサボの寄り道からの宴へと発展していくはずだった。しかし大きなカラスから甲板へと飛び降りてきた金髪の美丈夫は、普段と異なり難しい顔をして「エース、これを見てくれねェか」と、白ひげ達への挨拶もおざなりに話題を振ってきた。 「なんだ?」 サボから手渡されたのはニュース・クーから購入できる新聞で、エースは親友の様子を訝りながらも促されるまま該当の記事に視線を落とす。 それは一面からは程遠い、新聞の中程にあるとても小さな記事だった。 「訃報……?」 どくり、と理由も分からず心臓が嫌な音を立てる。 聞いたことがある名前も全く知らない名前も並ぶ中、最初でも最後でもなくほとんどの人が目を通さないだろう場所にそっとその人物の名前はあった。 「モンキー・D・ルフィって」 「お前もそこに引っかかるのか。……ああ、いや、それもそうか。確かエースをインペルダウンからマリンフォードまで移送したのはその少将だったんだよな。あとは一応、ガープさん繋がりか? と言ってもおれ達はそのルフィ少将と接点らしい接点なんて無かったが」 ちなみに今は二階級特進で『大将』らしい、とサボが付け足す。実にどうでもいい情報だ。 サボの話に頷きつつ、エースは「んで? こいつがお前の顔色の悪さと何か関係あんのか?」と、この二年間名前さえ聞かなかった赤の他人よりも目の前の親友の様子について訊ねた。 「おれと言うより、おれの上司が……な」 「そういやさっき『お前も=xって言ってたな」 「ああ」 サボは頷き、周囲に目配せをした。どうやら聞かれたくない話題らしい。 気の良いモビーの乗組員達はその仕草にそっと二人から距離を取ってくれる。エースはサボと共に彼らに黙礼し、親友の碧い目に向き直った。 「お前の上司って言ったら……」 「ドラゴンさんだ」 サボはこの若さで革命軍のナンバー2、参謀総長である。その上司と言うのだから、該当するのは一人しかいない。 案の定、サボは革命軍総司令官の名前を出し、次いでさらに声をひそめてトップシークレットを明かした。 「おれもつい先日知ったんだが、ドラゴンさんの名前はモンキー・D・ドラゴン。つまりあの人は海軍のガープ中将の息子で、ルフィ少将の父親だったんだ」 「一体どうなってんだよ、あのジジイの家系」 エースは思わず苦い顔になって呟く。 海軍の英雄の息子が革命軍のトップで、さらにその息子が海軍の新星? 冗談にも程がある、と。 「おれも驚いたよ」 「革命軍に昔からいたお前が知らなかったってことは、誰にも明かされてなかった情報ってやつか? それにしちゃあなんでこのタイミングでお前が知ることに……あ、そんでコレか」 手に持ったままになっていた新聞をばさりと振ってエースが呟く。傍らでサボが頷いた。 「その記事を読んだドラゴンさんの顔色があまりにも悪かったんでおれから問い詰め……ンン、訊ねたんだ」 「革命軍と海軍で交流がなかったとしても、やっぱり息子の訃報は堪えたって?」 「そうかもしれないし、違うかもしれない」 「ん?」 サボの言い方にエースは「どういうことだ?」と首を傾げる。 そしてサボはこの問いかけをするためモビーにやって来たのだと明かして本題を口にした。 「ドラゴンさんは決して多くを語らなかった。あの人に息子がいて、連絡も取ってなくて、そいつが死んじまったって事実だけだ。でもだからこそ、おれは知りたい。……なぁエース、マリンフォードでお前が処刑されそうになった時、モンキー・D・ルフィは一体どんな風だったんだ? あの人にあんな顔をさせるくらいには特別なモンを持っていたのか?」 命の恩人で尊敬できる上司への親愛からか、サボはルフィという人物に良くも悪くも興味を抱いたらしい。 そうだな……とエースは呟いて、二年前のことに思いを馳せる。 この二年、不思議なほどモンキー・D・ルフィの話題を耳にしなかったのだが、二年前までは若さに見合わぬ功績の数々から海軍の新星と持て囃されるほどの人物だった。慕っていた者も少なくなかっただろう。まさに民衆にとってのヒーロー。人々から忌み嫌われる海賊とは正反対の男だったのだ。 しかし、 「処刑される寸前、処刑人を殴り飛ばしておれを助けたのがあいつだった」 モンキー・D・ルフィは周囲が予想もしなかった裏切り行為を働き、それに怒った一人の海軍大将との戦いに入った。エースはそれを尻目にモビー・ディック号へとたどり着き、あの後どうなったかは一切知らない。 少し言葉も交わしたが、ルフィが一体何を考え、どうしたかったのか、エースは何も知らないままなのだ。それどころかこの二年間ルフィの名前が一切表舞台に出てこなかった所為で、そもそも彼に関する僅かな記憶さえ風化が始まっている。 そしてきっとモンキー・D・ルフィを忘れ始めているのはエースだけではない。彼の活躍を新聞や噂話で知って散々褒め称えていた民衆でさえ、最早過ぎ去ったものとして彼のことを話題にすら出さなくなっていた。 「そうか……。じゃあルフィ少将はエースにとって命の恩人ってことか」 「かもしれねェけど、あいつ本当にわけ分からん奴だったし……おれ、あいつのこと好きじゃねェ」 自分でそう言いながら、しかしエースは「好きじゃない」と告げると同時にひどい胸の痛みを覚えた。とんでもない間違いを口にしてしまったかのような後悔が押し寄せてくる。 しかしその理由が分からず、エースは不快感を無理やり腹の底に押し込んで話を続けた。 「海軍の邪魔をしたってことは、もしかしてあいつ、革命軍の人間だったとか?」 「いや、ドラゴンさんに聞いたんだが、それはない」 「ふぅん。じゃあ結局、あいつが何考えてたのかってのは誰も知らねェわけか」 「そうだな……。やっぱりモンキー・D・ルフィがどういう人物だったかってことより、単にドラゴンさんも血の通った人の親だったってことか」 自身を納得させるようにサボはそう独りごちた。 ――ドラゴン本人が口を閉ざしていたのだから、サボも、他の革命軍の者達も、誰も知るはずがない。 モンキー・D・ルフィという人物が何を考え、どう生きて、どんな結末を望み、それを掴み取ったのか。二年前、すでにドラゴンがその荒唐無稽ながらも真実である話を密かにガープから聞いていたなど。無論、言葉さえ交わさず終わりを迎えた息子が自身の結末に満足し、反対にドラゴンが二年前から手出しできずにずっと煩悶していたことも。 本人が牢獄から出ることを望んでおらず、またそもそも彼をあの牢獄から助け出すなど対価となる被害の大きさを考えれば到底無理な話で、ドラゴンは革命軍の総司令官として無茶な指示を出すわけにはいかなかった。その苦しみを抱え込んだ果てが、新聞に記された誰の目にも留まらぬような小さな記事だったのだ。 そうとは知らぬサボの中で疑問がある程度解決した気配を感じ、同じく何も知らぬエースは再び新聞に視線を落とす。 紙面では、青年将校は病死となっていた。だがエースを助けた行為から推察するに、十中八九ウソだろう。二年間その名前が表に出てこなかったことと合わせ、投獄の果ての死亡である可能性が高い。またこの二年という期間は人々の記憶からルフィという存在を薄れさせることにもなっていた。おそらくルフィの死亡――正確には期待の海軍少将≠フ裏切り行為――を大ごとにしないための海軍や世界政府の思惑であったに違いない。 忘れ去られた英雄の卵。エースを助けた理由さえ不明のまま、そのエース本人の記憶からさえ薄れ始めていた未熟な命。 彼がどんな顔だったかすら正しく思い出せないとエースが気づいた途端、手に持っていた新聞にぱたぱたといくつかの雫が落ちた。 「雨? いや、波飛沫でもかかったか……?」 そう言って周囲を見渡すが、空は青く、海は穏やかで、雨も波も新聞が濡れた原因だとは考えられない。 エースは首を傾げる。しかしその顔を覗き込み目を丸くしている親友の表情に気づいて、エースは「サボ? どうかしたか?」と訊ねた。 「どうしたも何も……」 サボは眉根を寄せ、エースを指差す。 「なんでお前、泣いてるんだ?」 「……は?」 指摘された途端、エースの両目からぼたぼたと熱い水が溢れ出した。 涙は幾筋も頬を伝い落ち、新聞をしとどに濡らしていく。 「は? あれ?」 滲む視界の中、エースはひどく困惑する。それと同時に腹から胸へと沸き上がってくる不快感の所為で、手の中の新聞をぐしゃりと握り潰した。 「なんで……」 突然泣き出した親友の姿にサボも対応しかねているようで、ただ呆然と突っ立っている。またエースの様子がおかしくなったとモビーの乗組員達も気づいて、わらわらと周囲に集まり始めていた。 しかし親友にも家族にも声をかける余裕がなく、ただただエースは全身をくまなく埋めようとしてくる不快な何かに顔をしかめ、それを吐き出すように叫ぶ。 「なんでこんなに苦しいんだよ……ッ!!」 見たこともない麦わら帽子が脳裏に一瞬だけちらつき、そして余韻も残さず消え去った。 2022.12.17 twitterにて初出 |