1.n回目のきみ





[chapter:エース編]


「はじめまして、火拳のエース」
 海底の大監獄――インペルダウン、その本当の最下層。
 昼とも夜ともつかぬ暗い場所で鎖に繋がれ項垂れていたエースへと鉄格子の向こう側から投げかけられたのは、声変わりを迎えてもなお僅かな甘さと高さを残した青年の声だった。
 この場に似つかわしくない声音にエースはのろのろと顔を上げる。
 最初に見えたのは草履。そこから動きやすそうな半ズボンへと続き、赤いシャツが視界に入る。こんな暗がりではなく晴れ渡った空の下が似合うだろう鮮やかさだ。しかしその赤は金の紐で飾られた白いコートによって半分以上隠されていた。
「てめェは……」
 低く唸るようにエースは薄く口を開く。
 海軍将校にのみ着用を許されたコートと、それに反して精悍ではあるもののあどけなさが抜けきっていない容姿。そのチグハグさから青年が誰なのかを素早く察したエースは自身と対極にいる相手≠フ名を忌々しそうに呼んだ。
「海軍少将、モンキー・D・ルフィ」
 英雄・海軍中将モンキー・D・ガープの孫であり、瞬く間に最年少で海軍の将官へと上り詰めた青年。大悪党とされる実父を持つエースとはまさに正反対の存在と言って良いだろう。
 ガープは血が繋がったルフィと比べて遜色ないほどにエースのことも孫として想っていたのだが、だからこそ余計に二者の違いをありありと映し出してしまう。
 幼少期は同じ東の海のゴア王国に住んでいたものの、エースはルフィと顔を合わせたことなど一度もない。成長して海に出た後、噂でその存在を初めて知った程度だ。
 本来、エースがたかが噂で知った人間をこうまで嫌うことはない。しかしこの青年――ルフィは別だ。
 ガープの孫として育てられたが、一方は重犯罪者の落胤として世界から死を望まれ、しかしもう一方は輝ける正義の代表として人々から認められて称賛を浴びる。エースがどんなに望んでも手に入らないものを容易く手にした男。
「……海軍の新星がおれに一体何の用だ」
 まさか故郷を同じくしながらも正反対の立場にいる自分を笑いに来たとでも言うのだろうか。だとしたら何て性悪だろうとエースは吐き捨てる。
 だが忌々しげなエースの態度とは対照的に、ルフィは口元に薄い笑みを刷いたまま黒瞳に牢獄の中の囚人を映していた。
 三白眼のその瞳に映るのは一体どのような感情か。エースが読み取るより先に青年は目を閉じ、やがてゆっくりと瞼を押し開く。
「マリンフォードにはおれが連れて行く」
 それは処刑の合図。
 エースよりも三つ幼い青年はコートの中の快活そうな服装とは真逆の凪いだ声と表情で淡々と告げた。

「おれとお前は今やっとはじめまして≠セけど、でもすぐにサヨナラだな」

     ◇

 ポートガス・D・エース処刑まで残り三時間。シャボンディ諸島に設置されたモニターの前にはこの公開処刑を目に焼き付け、そして全世界に配信するために多くの記者やカメラマンが集まっていた。
「おい見ろ!! エースが出てきたぞ!!」
 記者の一人がそう叫ぶ。
 だがその声を聞かずとも集まった者達の視線はすでにモニターに集中しており、叫びは注目を集めるためではなくただただ己の感情の昂ぶりを吐き出すためのものにしかならない。
 だが分かっていても声を張り上げずにはいられないのだろう。そしてエースの登場にモニター前の空気が揺れ動く最中、もう一人の青年が画面に映ったことで再び大きな声が上がる。
「あれは……海軍少将のモンキー・D・ルフィ!?」
 拘束されたエースを処刑台まで連れて来たのは、若い死刑囚よりもまだ年下の青年だった。
 奔放に跳ねた黒髪と左目の下にある傷、すらりと伸びた若木のような手足――と、少年からようよう脱却し始めた青年は、しかしその若さに見合わぬ厳めしい正義のコートを風にはためかせている。
 公式発表によるとまだ十七歳の彼は最年少で少将へと至った海軍の新星であり、今回の主役≠ナある白ひげ海賊団二番隊隊長と比較しても遜色ない注目株だ。
 仲間意識が強い白ひげ海賊団の者を処刑するだけでも世界の注目が集まるというのに――海軍本部と白ひげ海賊団の激突は十中八九起こり得るのだから注目せずにはいられない――、そこへさらに海軍の新星まで投入するとは。海軍は余程この一件にカメラを集めたくて仕方がないのだろう、と記者やカメラマンの多くがそう思った。
「ただの若い海賊を処刑するだけってわけじゃなさそうだな……」
 ぽつりと呟いた記者の言葉を聞いた者がいれば、それはまるで予言のようだと言ったかもしれない。


 同時刻。場所は移って、記者達のざわめきなど届かないマリンフォード。
 三日月型の島の周囲には数多の軍船が浮かび、海上にも陸地にも世界各地より召集された海兵達がひしめき合っている。その数、およそ十万。そして軍隊の最前列には五名の王下七武海。二人足りないのは不正を働いた一名とエース処刑に反対したもう一名が不参加であるためだ。
 彼らが守る陸地の奥、広場の最後尾には処刑台が高く聳え立っている。そのすぐ下で海を眺めやるのは海軍本部の最高戦力――三人の海軍大将。彼らは座して静かにその時を待っていた。
「ここで膝をついて待て」
 インペルダウンからマリンフォードまでエースを連れて来た最年少の海軍少将は抑揚を欠いた声で言い放つ。海楼石の枷とこれまで受けた傷によりまともな反抗ができるわけもなく、エースは言われるままに両膝を折る。その首筋に突きつけられたのは名も知らぬ二人の海兵が手に持った鋭い刃。
 処刑の執行までおよそ三時間。それまで晒し者にする気かとエースは僅かに眉根を寄せる。
 だが海兵がエースの首筋に刃を突きつけてすぐ、傍らに立っていたルフィが「おい」と声をかける。
「そういうのはいい。お前らはここを降りて下で控えてろ」
「は……? ですが」
「おれが良いって言ってる」
「ッ! は、はい! 了解致しました!!」
 ルフィに冷めた視線を向けられて海兵達は慌てて処刑台を降りていく。その足音が遠ざかってからエースはぽつりと呟いた。
「随分と偉そうな物言いだな」
「……実際それなりに偉いもんで」
 意外なことに、この若き少将は死刑囚の戯れ言に言葉を返してくれるらしい。だがそんなものが嬉しいはずもなく、エースは隠す気もなく舌打ちをする。
 するとルフィは笑ったつもりなのか僅かに口元を歪ませて、それから頭に右手を伸ばし――……まるで帽子を被り直すかのような仕草をしかけたのだが、その手に何もないことに気づいてばつが悪そうに頬を掻く。
 一方、ルフィの姿を見上げていたエースは何故かその右手に一瞬だけ麦わら帽子の存在を幻視した。
「(なかなか抜けねェな……この癖)」
「あ?」
「何でもねェよ」
 小さな呟きをありきたりな言葉で誤魔化し、次いでルフィはエースの隣にしゃがみ込む。
 互いの顔の距離が縮まって表情がよく見えるようになり、憎らしい相手の接近にエースは麦わら帽子の幻視もルフィの小さな呟きも全て忘れて口元を歪める。
「これから起こることをよォく見とけよ、ポートガス・D・エース」
「はあ?」
「白ひげは必ず来る。お前を取り戻しに」
「……」
「疑ってんのか?」
「おれはみんなの忠告を無視して飛び出してきたんだ。身勝手なバカなんぞ見捨てられても仕方がねェ」
「本気でそう思ってるわけじゃねェだろ」
「…………」
 イエスともノーとも答えられない。
 白ひげ海賊団の仲間を想う気持ちは本物だ。それはあの家族の中に身を置いていたエース自身が充分承知している。しかしその一方でエースは己が愛されているという自信がなかった。物心つく前から周囲に突きつけられてきた悪意によって形成された自己否定は今もなおエースの中で大きな虚となっている。
「おれのことを大して知りもしねェ野郎が偉そうに」
 どうせこの海軍少将はエースの血筋とそれによる悪意の嵐など知りもしないのだ。ただ単に『白ひげ海賊団の二番隊隊長』としてしかエースを知らないから、何も考えずにそんなことが言えるのだろう。
 眉根を寄せて忌々しげに、そしてどこか苦しそうに呟くエース。ルフィからは視線を逸らして足元の処刑台を睨みつける。
 その視界の外で未だしゃがみ込んだままのルフィは「来るさ」と静かに告げた。
「白ひげ達は必ずお前を助けに来るよ」
 すっと立ち上がるルフィ。エースの横ではなく後ろで見張るつもりなのか、踵を返した彼の海軍コートの裾がひらりと揺れる。

「だってお前、愛されてるもん」
 ――それをこの頂上戦争で知ると良い。

 少将が残した最後の呟きにエースははっと息を呑むが、彼が顔を上げて声を出すよりも先に新たな人物が処刑台に姿を現わす。
 海軍本部元帥センゴクの登場に周囲の空気がざわりと揺れた。そして始まるのはこの処刑が大きな意味を持つという演説。ポートガス・D・エースが単なる海賊の一人などではなく、海賊王の血を引いていることが明らかにされる。
 世界最大の悪の血を引く子。火拳のエースは海賊王ゴールド・ロジャーの息子。
 明かされた真実に世界が揺れた。
 その血を駆逐するためにかつて海軍が行なった殺戮はあまりにも残酷であった。しかし民衆が抱く殺戮への忌避と嫌悪は、ロジャーを大悪党と喧伝することで彼への恐れと憎悪にすり替えられている。ゆえにその血を引く子供――惨劇の原因となった赤子に対する世界の憎悪は計り知れない。自分に向けられる悪意が鋭さを増した気がしてエースはきつく両目を瞑る。
 センゴクは語る。白ひげはエースを次の海賊王にするため自分の船に乗せたのだと。
 きっぱりと断言したセンゴクの言葉にエースは反射的に否定を叫んだ。しかしそれを遮ってセンゴクは『白ひげがエースを守っていた』と事実を語る。
 エースは次の海賊王となり得る資質を持つ者だ。ゆえにこの場で処刑することは、たとえ白ひげ海賊団との全面戦争を勃発させることになったとしても十分意味のあることだと。
 その宣言のすぐ後、まるで見計らっていたかのように『正義の門』が開いたという報告が入った。
 現れたのは白ひげ海賊団傘下の海賊達からなる総勢四十三隻の海賊船。白ひげ本人と隊長達の姿はない……と、されたが、やがて海中から巨大な船が姿を現わす。コーティングされて海中を移動し、三日月型の島の湾内に突如浮上したモビー・ディック号とそれに追随する三隻の船。白ひげ本人と十四人の隊長達が出そろった。
「おれの愛する息子は無事なんだろうな……!?」
 白ひげが張り上げた声は真っ直ぐに処刑台の上のエースに届く。
「オヤジィ!!」
 本当に助けにやって来た『家族』の姿に、エースは胸が張り裂ける思いで叫び返した。
 大事な仲間を殺した裏切り者に制裁を科すため、制止の声も聞かずに船を飛び出していったエース。そんな身勝手な男を海軍から奪い返しに来た家族達は、エースを見捨てるどころかその行動は自分達が促したものだとさえ言い切って自分達が仲間に向ける愛の大きさを堂々と見せつける。
 仲間を傷つけた者は誰であっても生かしてはおかない。
 そう声を張り上げて白ひげ海賊団は海軍本部に正面から襲いかかった。


 突入してくる白ひげ海賊団。相対するのは海軍の最高戦力達。
 幾千幾万もの人間がぶつかり合い、血を流す。愛する家族を取り返すために。海賊を駆逐することが正義だと信じるために。
 そのあまりにも激しい戦いこそが『エースが愛されている』ことの証明だ。
 しかしどんなにエースが愛されていたとしても、彼が白ひげ海賊団に戻るには僅かに戦力が足りていない。処刑台の上からその様子を眺めるしかないエースは声もなく唇を震わせた。
 その最中、突如として白ひげの動きが異常をきたす。センゴクの策略により嘘を教え込まれていた白ひげの仲間の一人が彼を刺したのだ。大きな戦力の一角が崩れ、さらにそこへたたみ掛けるようにセンゴクが処刑を早めるよう指示を出す。
 予定よりも早いそれは突然の思いつきと言うよりも予め決められていたものだったのかもしれない。エースの処刑そのものだけでなく白ひげ海賊団を完膚無きまでに叩き潰すことまでも目的としたセンゴクの思惑の一つとして。
 命じられたとおり、処刑人がエースの首を落とそうと大刀を振り上げる。
 しかし――。
「ぐはァ!!!!!!」
 処刑人が処刑台から吹き飛ぶ。
 拳を振り抜いていたその犯人は、

「モンキー・D・ルフィ……?」

 バサリとはためく正義の白いコート。
 この凄惨な戦いの中でも一歩として動かなかった若き海軍少将が、処刑台の上でその名を呟いたエースを見やる。
 突然仲間を殴り飛ばした海軍少将の行動に周囲が一瞬呆気に取られる。その中でルフィは堂々と海楼石の手枷の鍵を取り出すと、難なくエースを解放してしまう。
「なん、で」
「お前が愛されてるってことは充分理解したな?」
 エースの疑問に答える代わりにルフィはイエスしか求めぬ問いを発する。
 その手は傷ついたエースを予想外に優しくそして大事そうに立ち上がらせると、軽く背中を叩いた。
「戻れよ、お前の家族の元へ」
 三白眼の黒い瞳が向けられたのは、刃を受けてもなお仁王立ちし、騙されて罪を犯した仲間を見捨てず受け入れるオヤジ≠フ姿。そして今もエースを助けようと奮闘する海賊達。
「仲間を優先すんのもいいけど、自分のことだってちゃんと大切にしろよ」
 同じ光景を見やったエースの耳にさらなるルフィの声が届く。
「お前だって生きるべき人間だ」
 たくさんの『誰か』に憎まれてきたエース。海賊王の血を引く子。
 だがそんなものなど関係無いと鼻で笑ってエースを想う者達が声を上げている。
 その声に交ざるようにしてすぐ傍に立つ青年がししししっと笑った。

「だってお前は愛されてるんだから」

 そしてルフィはエースの身体を掴むと空に向かって放り投げる。突然の暴挙にエースは叫び声を上げるが、単純に彼が投げ捨てられたわけではない。投擲された先にいたのは不死鳥マルコだった。
 思わぬ展開に度肝を抜かれつつもマルコはしっかりとエースを受け止めるため両手を伸ばす。
「受け取れーーーっ!!」
 ルフィの叫び声と共にマルコの手がエースを掴む。
 そこまで事態が進んでようやくルフィの暴挙に海兵達の理解が追いついた。センゴクが慌てて指示を出し、ルフィやエースの元へ海兵達が殺到する。
 しかしルフィの暴挙は止まらない。突如として海兵達がバタバタと倒れだした。「覇王色の覇気だと!?」と叫んだのは海軍本部元帥か、それとも大将や中将らの誰かか。
 広範囲におよぶ覇王色の覇気によって海兵のほとんどが行動不能に陥り、まともに動けるのは大将くらいとなる。その隙を突いて白ひげは仲間達に撤退命令を出し、一斉に海賊達は海へと引いていく。
 行動可能な大将のうち二人は白ひげ達を追って海側へ。一方、三人の中でひときわ強い殺意と怒りを露わにする赤犬<Tカズキは裏切り者となったルフィに怒鳴りながら襲いかかった。
 その光景をエースはマルコに船へと連れ帰られながら目にする。
「あ……」
 自分と同じ黒い瞳と目が合ったと思ったのは気のせいだろうか。ただ、相手の口が小さく動いたことだけは視認できた。

「愛してるぜ、エース」

 遙か上空にいるエースにルフィのその言葉は届かない。そしてそんな彼の姿さえ、「こンの裏切り者がァ!」と叫びながら赤犬が放ったマグマの塊によって瞬く間に覆い隠される。
 エースとルフィ。対極に位置する二人の邂逅はこの一件が最初で最後となった。


[chapter:コビー編]


 ――ナイショだぞ、コビー。

 唇の前に人差し指を立てて両目を細めたその人は、それまでの快活な様子とは正反対の小さな声で大きな秘密を打ち明けた。

 ――おれ、本当は海賊になりたかったんだ。

     ◇

 王下七武海の権限を悪用してインペルダウンに侵入し凶悪な囚人達を脱獄させようとした罪で、黒ひげことマーシャル・D・ティーチとその仲間達を捕縛。エース処刑を目前に控えた緊急時のため所定の手続きを省略し、今は海楼石の枷をつけた状態で大監獄の最下層に投獄中である。
 ――と、まだ曹長でしかないコビーが自分の遙か上の上司である海軍少将から直接知らされたのは、件の少将が死刑囚ポートガス・D・エースと面会したその足でティーチを捕縛および投獄したすぐ後のことだった。
 全くもって訳が分からない。とは思うものの、この人だったらやりそうだよなァと思ってしまうのも事実である。
 自然とそう考えるくらいにはコビーにとってこの少将――モンキー・D・ルフィという人物は偉大かつとても身近な存在だった。
「ルフィさん、どうぞ」
 インペルダウンに着港した船の一角、将校用の比較的広い部屋にて。
 真っ白なコートの裾をほんの少しだけ破いて帰って来たルフィに新しいものを手渡したコビーは、先程コートが破れていることに気づいて指摘した際にルフィから伝えられた事実を改めて頭の中で反芻した。
 コビーは海軍少将たるルフィの秘書役として半年ほど前から彼と行動を共にしている。『少将』の副官を務めるにはまだ地位が低く、しかし在籍期間の短さと所属故に目立った功績が挙げられないだけで実力自体は問題ないと彼を知る者達からは認識されており、現在の形となっていた。
 二人の出会いはコビーの海軍入隊前まで遡る。
 幼い頃から海兵になることを望んでいたコビーだったが、彼は色々な不幸が重なってとある女海賊の下で働かされていた。しかしルフィがその海賊を捕縛したことでコビーは不本意な立場から解放され、おまけにあわや海兵から海賊の仲間扱いをされそうになったところをルフィの取り成しによって救われたのだ。
 年が近かったこととルフィの人懐っこさから、尊敬や憧憬に加えて友愛まで抱くことになったコビー。そんなコビーをルフィもまた友と呼び、二人は上司と部下の関係でありながら大切な友人としても付き合いを続けている。
「ありがとな、コビー。にしてもよく予備のコートなんて用意してたなァ」
 新しいコートに袖を通したルフィが感心しつつも頭上に疑問符を浮かべる。それに答えるコビーの顔には苦笑が浮かび、「だってルフィさんですよ?」と言葉を返す。
「あなたが本部から出て揉め事に巻き込まれないことの方が少ないでしょうが。普段ならそのまま帰還すれば良いですけど、今回はポートガス・D・エースの移送任務があってカメラにも映る可能性が高いんです。ぼくらの少将を汚れた服のままそんな場所に立たせるわけにはいきません」
「別にちょっとぐれェ汚れてても……」
「ダメです」
 コビーはきっぱりと言い切り、そして僅かに間を空ける。
 沈黙を挟んだコビーは眉尻を下げて情けなく笑った。

「……だって今日はあなたにとっての晴れ舞台≠ネんですから」

 声は無様に震え、両目にはじわりと涙が滲む。
 これから一体何が起こるのか、起こすのか。当の本人からただ一人聞かされていたコビーは、短くも濃い時間を過ごした大切な人との最後の時間を噛み締めるように眉根を寄せ、胸を押さえた。
「この晴れ舞台≠ナどうかあなたの願いが叶いますように。そう心から祈っています」


 ルフィは大切な人を生かすため海兵になったらしい。
 そのためだけに全てを捧げたのだと、海兵になりたいという夢を語ったコビーに応えるように己の願いを教えてくれた。
 奔放でありながらも真摯で、自由を愛しながらも規律に縛られることを受け入れて、そうして為した彼の集大成が、今、目の前に広がっている。
 海兵も海賊も皆が血を流していた。
 ポートガス・D・エースの身柄は白ひげ海賊団に奪還され、海軍は逃げる彼らを追って追撃戦へと移っている。だが追撃が始まってすぐ、ルフィから放たれた覇王色の覇気によってほとんどの海兵が行動不能に陥った。結果として海賊達を追えたのは大将を含む僅かな将官達くらい。ただし少し遅れて、ルフィの覇気の範囲外にいた海兵達が新たに地下から姿を現わす。
 そんな中、三人の大将のうちマグマグの実の能力者であるサカズキが海側とは反対にいるルフィに向かって攻撃を仕掛けていた。
 しかしコビーはルフィの元へ駆けつけない。それはコビーの役割ではない。
 海兵にも海賊にもたくさんの負傷者が出ている中で、もうこれ以上の流血を止めるために声を張り上げるのがルフィ少将の部下であり友人でもあるコビー≠ノ課せられた最後の仕事だった。

「もうやめましょうよ!! もうこれ以上戦うの!! やめましょうよ!!」
 ――命がもったいない!!!!!!

 海兵達の追撃も、それに対する海賊達の応戦も、もういらない。決着はすでについたのだ。
 コビーの叫びによって生まれたたった数秒の空白。
 僅かにでもそちらに意識を取られた赤犬の隙を突く形で、ルフィがマグマに半身を晒しながらも海軍大将を殴り飛ばす。彼が羽織っていた正義のコートは無惨に焼け落ち、無視できないほどに皮膚を焼いて、それでもなお快活に笑ったルフィは「ほら、聞こえただろ。戦いは終いだ」とサカズキに告げた。
 しかしそれで諦めるようなサカズキではない。海軍最高戦力の一人である彼はコビーの叫びに足を止めた仲間達へ向かって追撃を命じ、同時に自身は「正しくもない兵は海軍にゃいらん!」とコビーを狙って走り出す。
「行かせねェよ」
 だが長く伸びたルフィの腕がその片脚をがっちりと掴んで引き留めた。
 すでに重傷であるルフィは立っていることさえ難しいはず。にもかかわらず彼は楽しげに笑い続けている。
「なして笑いよる……ッ!!」
「シシシ! だっておれのやりたいことは全部終わったからな! 死んでも捕まってもくい≠ヘねェ!!」
「貴様ァ!!」
 裏切り者の顔を睨みつけ、サカズキは両手にマグマを宿した。己を拘束するルフィを先に焼き殺そうと拳を振り上げ――

「そこまでにしてもらおうか」

 静かな、けれども決して無視できぬ男の声が戦場に落ちる。
 サカズキの一撃を左手≠ノ持ったサーベル「グリフォン」で容易く受け止めたのは、真っ赤な髪が目を引く偉丈夫。予想もしなかった四皇≠フ登場に戦場を包む空気が大きく揺れた。
 そんな赤髪のシャンクスおよび彼が率いる赤髪海賊団の登場を遠目に確認したコビーは、
(ああ、ルフィさんの言ったとおりになった)
 此度の戦争の終結を悟り、同時にそれは自分の大切な人もまた終わりを迎えてしまうのと同義であると理解して、泣きながら全身を脱力させてその場に座り込んだ。


[chapter:シャンクス編]


 白ひげ率いる海賊艦隊と海軍本部・王下七武海の混成組織。
 巨大な勢力がぶつかり合った戦争は、凡庸であるはずの海兵の一人が発した叫びをきっかけに僅かな間だけ動きを止めた。
 その海兵を粛正しようと海軍大将サカズキが駆け出すものの、彼と戦っていた裏切り者≠フ海軍少将が行く手を阻む。
 己の邪魔をする青年将校にサカズキは憤怒の表情で攻撃を仕掛けるが、マリンフォードに遅れて上陸していたシャンクスがその攻撃を阻止。次いで海軍本部トップである元帥センゴクと交渉し、これ以上誰にも流血させることなくその場を収めるに至った。

「お前は海賊になるもんだとばかり思っていた」

 海賊達はほぼ全て撤退し、最後まで裏切り者の少将を殺そうとしていたサカズキも元帥からの命令でこの場を去って。
 残ったのはサーベルを鞘に収めたシャンクスと、半身を灼熱に焼かれたまま笑う青年――ルフィだった。
「なァ、ルフィ」
 遠くに海楼石の枷を抱えてこちらへ走って来る海兵の姿が見える。衛生兵の姿が見えないのは……何というか、そういうことなのだろう。
 シャンクスは視線を遠くにやったまま、ルフィを一瞥することなく僅かに眉根を寄せた。
「あれほど自由に憧れたお前がどうして……」
「海賊じゃおれのやりたいことはできないって分かっちまったからな」
 おそらくこちらを見上げて、あっけらかんとルフィが答える。
「――――、」
 ルフィが海賊にならなかった。海賊になることを望まなかった。
 その事実にシャンクスはますます眉間の皺を深くする。
 かつて自分につきまとっていただけの大して物も知らない幼子を、シャンクスは当時からいたく可愛らしく思っていた。そして何故かこの子は必ず偉大な――自分が敬愛するあの船長のような――海賊になるのだと無意識のうちに信じていた。まるでその片鱗を記憶に残らない夢か何かで見たかのように。
 だからこそ拠点にしていたルフィの故郷フーシャ村を離れる際には、自分が大切にしていた麦わら帽子を彼に預け、きっと立派な海賊になって返しに来いと約束までしたのだ。
 しかし約束の証たる麦わら帽子は今ルフィの頭に存在していない。
 火薬と血のにおいが混じった風に短い黒髪がさらさらと揺れている。
「おれがお前に貸した帽子は――」
「預かりっぱなしになっててごめん」
 ぺこりと頭を下げる気配。
 幼げな仕草と予想外の言葉にシャンクスは思わずそちらに顔を向け、目を見開く。
「捨ててなかったのか……?」
 ――海賊にならなかったのに。なってくれなかったのに?
 ルフィが海賊になるとこちらが勝手に思い込んでいただけだ。それなのに恨み言を続けてしまいそうになり、シャンクスは慌てて再びルフィから視線を逸らした。
 そんなシャンクスの仕草をどういう意味として捉えたのか、ルフィが穏やかな声で告げる。
「シャンクスが預けてくれた帽子、ちゃんと大事に仕舞ってるよ」
「……帽子は仕舞うもんじゃなく被るもんだぞ」
「だってあれは今≠フおれが被っていいもんじゃねェから」
 あの麦わら帽子は立派な海賊になるという約束の印。ゆえに海兵になってしまった自分が持っているのは不相応だ。
 そう言外に告げたルフィは「だから本当は返さなきゃいけないんだ」と続けるが――
「ああ、でも」
 残念そうにルフィは呟く。
「悪い。もう返せねェ」
 裏切り者の海軍少将を拘束するために海兵がもうすぐそこまでやって来ていた。


[chapter:ガープ編]


 エースの公開処刑はリアルタイムで全世界に配信されていたのだが、途中から海軍にとって都合の悪い展開となったことで唐突に打ち切られた。おかげでエースの処刑を直接的に止めた者が誰だったのか、それどころかそんな人物がいたことさえ公にはされていない。
 また、おそらく今後、死刑執行人を殴った海兵がいたことが誰かの口から明らかにされたとしても、海軍はそれを『海軍の新星』モンキー・D・ルフィだとは認めないだろう。名もなき海兵の一人が白ひげ海賊団の大艦隊に恐れおののき混乱したために、あのような愚かな行為に及んでしまったとでも説明するに違いない。
 海軍中将モンキー・D・ガープがそう予想したのは、長らくこの組織に身を置いてきて内情をよく知っているためでもあるが、何より目の前の現状を説明するにはそれしか理由が思い浮かばなかったからだった。
「ルフィ」
 海底大監獄、インペルダウン。一般には秘された本当の最下層、LEVEL6。あちらとこちらを隔てる格子の向こう側に、鎖で厳重に繋がれたモンキー・D・ルフィがいた。
 この場所には政府にとって不都合なためその存在を揉み消された終身刑囚や死刑囚が幽閉されている。フロアは全体的に薄暗く、退屈と虚無がひっそりと横たわっていた。長らくここに入れられたままとなれば徐々に精神を壊していく者も多い。
 火傷の治療もおざなりな状態でそんな牢獄に収監された新入りは、祖父の登場に伏せていた顔をゆらりと上げ、「じいちゃん?」と驚いたように目を丸くした。
「なんでここに……もうおれの処刑が決まったのか?」
 自身の祖父の来訪を死刑囚移送のためとでも考えたのか「早いな」と呟く孫に、ガープは思わず顔をしかめた。
「馬鹿者。ただの面会じゃ」
 ガープは鉄格子の前にどかりと座り込む。
 友人兼上司との交渉――と言う名の我儘――の末に勝ち取ったこの時間は決して長くはない。胡座をかいた脚の上に頬杖を突いたガープは早速、己の孫に今回の一件の真意を問い質した。
「何故エースを助けた。お前は海兵じゃろう」
 海賊王の最後の頼みに従い秘密裏にエースを引き取って生かしていたガープでさえ、伸びそうになる手を必死に押しとどめて、若すぎる孫≠フ死を受け入れようとしていたのに。かの青年と一切接点を持たずに育ってきたルフィが何故あのような暴挙に及んだのか。
 海軍への明確な裏切り行為。今回の一件で得をするのは――実際には情報統制の所為で然程上手くいっていないけれど――反政府・反海軍の思想を持つ者くらいだ。
「……まさかお前の父親が何をしている人間か知ったのか」
 ルフィが海兵になったのはガープからの強い働きかけもあるが、何よりルフィ自身がその道を望んだからだ。「じいちゃん、おれ海兵になる」と宣言したあの幼子の姿をガープは今でも鮮明に覚えている。
 そうして孫は祖父と同様に海軍に身を置くこととなったのだが、一方でガープの息子すなわちルフィの父親――モンキー・D・ドラゴンは、ルフィが物心ついた時にはすでに家族の前から姿を消しており、反政府を掲げる革命軍として行動していた。
 ルフィが海軍に入る前から、もしくは海軍に入った後でその存在を知り、父親の理念に感銘を受けていたのだとしたら。
 自分は最初から孫と一緒に歩めていなかったのかと考えるガープに、しかしルフィは首を横に振った。
「知ってるけど、それは関係ねェ。おれはただエースに生きていてほしかっただけだ」
 ルフィは実父との関係を頭から否定し、改めて、自分とは何の繋がりもないはずの赤の他人の生存を望んだ。
「どうしてそこまでエースに固執する」
 ガープの再度の問いかけにルフィはしばし考える素振りを見せる。
 それは本心を隠すためと言うより、自分の思いをどのように説明すれば相手に上手く伝わるのか考えているかのようだった。ゆえに急かさず静かにガープが待っていると、やがてルフィは躊躇うように数度口を小さく開閉してから言葉を発した。
「エースはおれの兄ちゃんだから」
「なに?」
 有り得ない台詞にガープは思わず片眉を上げる。
 その顔を見たルフィが困ったように笑った。
「ずっと昔の話だ」
 続けられた言葉はまるで長い刻を生きた老人のような響きを持っていた。
「ずっと、ずっと、昔の話。今じゃねェ今の話。……エースはおれの大好きな兄ちゃんだった。だからおれはどうしてもエースに生きててほしくて、何度も何度も……数え切れねェくらい色んなことを試したんだ」
 暗い牢獄の中で三白眼の黒い瞳は、正面に座すガープを通り越しずっと遠くを見ている。
「でもエースの奴、すぐ仲間のために自分を投げ出しちまう。誰に何言われても知らんぷりして逃げてくれれば良いのに、全然逃げねェんだ。他の奴らばっかり大切にして自分のことはちっとも大切にしてくれねェ。……そんなエースがおれは大好きなんだけど」
 ルフィが照れくさそうに肩を竦め、彼を拘束する重そうな鎖が耳障りな金属音を奏でた。
「本当に色々試したんだ。エースの船出について行ったり。エースを殺す奴を先に倒して回ったり。でもエースはいつだって死んだ。だからもう我慢ならなくて、誰にも殺されないようにって閉じ込めたこともあったなァ。さすがに今思えばとち狂ってたって分かるけど。あン時のエースは体だけ生きてて心が死んじまってたから、もう絶対やっちゃいけねェって思った。その後も色々試して……今回でやっと……やっと、エースは心も体も生きててくれる。最高の結末だ」
「…………」
 ガープは眉間に深く深く皺を刻む。
 狂人の妄言……にしては、ルフィの声も表情も話し方も正常すぎた。しかし孫の言葉を信じるなら、目の前の青年は同じ人生を何度も繰り返しているということになる。
 いくら偉大なる航路では不思議なことが起こると言っても、さすがにこの話を鵜呑みにすることはできない。それに何よりルフィが何度もこんなこと≠しているなんて、家族として信じたくない。あまりにも哀れだ。
 ひとまずガープ自身が信じる信じないは置いておいて、ルフィの言動がその思考によるものであるなら訊ねたいことが一つ生じる。
「エースを助けるためと言うなら、海軍と白ひげの衝突をもっと早期に終わらせるか、そもそも起こさんようにすることはできんかったのか?」
「それは無理だ」
 頭の中で何度も考えた問いの答えを口に出すように、ルフィは間髪入れずに返答した。
「公開処刑を回避させてもエースは別の場所で死ぬ。だってエースは自分を大切にしねェから。自分が愛されてるって自信がねェんだ、あいつ。だから頂上戦争(これ)くらいやんなきゃ分かってくれない」
 その言葉の裏にルフィの試行錯誤と苦悩がどれほど潜んでいるのだろう。
 自身の良心すらすり潰して一つの目的だけに全てを捧げた子供は、眉尻を下げた不恰好な笑顔をガープに向けた。これでも最初≠謔闔人も怪我人もずっと少ないハズだと、大人に怒られるのを恐れた幼子が言い訳するように付け足して。
 ガープはルフィの言い分を聞きながらもう一人の孫のことを思う。
 もう一人の孫――エースは、己が愛する者を殊更大切にし、それを貶められれば激怒し、失うことには異常なほど恐怖する。実父と同じその性質は彼らの親子関係の証だと好意的に解釈することができた。愛する者を慈しむが故の彼らの苛烈な行動は、敵を恐怖させ、同時に仲間に強く慕われる要因となる。ロジャーもエースも多くの仲間に慕われていたことから分かるように、それは決して悪いものではなかった。しかし一方で、彼または彼らのそんな行動は、要らないものとして扱われた幼少期の不遇な経験から形成された自己否定の裏返しでもあると言えるのではないだろうか。
 そしてルフィはそんなエースの精神を根本的に何とかしたくて、このような手段に出てしまった。全ては愛する人を救うための行動だったのだ。
「じいちゃん」
 ガープの思考を断ち切るようにルフィが告げる。
「おれは後悔してねェし、誰にも謝るつもりはねェ。でもおれがやったことは悪いことで、だからおれは牢獄(ここ)にいる。じいちゃんが何かする必要はねェよ」
「……ガキのくせに生意気言いおって」
 胸にこみ上げてくる感情を無理やり押しとどめてガープはそれだけを呟いた。
 ルフィは言い訳をする気もないし、牢獄から出ることも望んでいない。最早ガープにできることはなく、面会という名目で減刑を乞うために材料探しをしに来たことは全くの無意味だと悟るしかないのだった。
 自覚のないまま肩を落とすガープにルフィは「ごめんな」と告げる。
「この大馬鹿者が」
 英雄とまで言われた老人はそう吐き出すのが精一杯だった。


[chapter:エース編2]


 仲間達と共にマリンフォードから無事逃げおおせたエースはモビー・ディック号で怪我の治療を受けた後、久方ぶりの自室に戻ってようやく自身のズボンのポケットに見覚えのない紙切れが入っていることに気がついた。
「何だこりゃ?」
 首を傾げながらくしゃくしゃになった紙片を開く。
 一見してただの菓子の包み紙のようだが、内側には見覚えのない筆跡で走り書きがされていた。決して読みやすいとは言えないそれをエースは一文字ずつ読み解いていく。
 そして――
「…………おいおい。一体何の冗談だ」
 上擦った声で呟いた。
 信じられない内容がその紙切れには記されていたからだ。
 いつ誰がこんなものをエースのズボンに仕込んだのか定かではない。偽りならばタチが悪すぎるし、おまけにこのメモを記した誰かはエースの過去について随分詳しく知っていることになる。苛立ちと気味の悪さが真っ先に胸に湧き上がり、エースは盛大に顔をしかめた。
 しかしこの情報がもし本当であるならば、エースが生きてきた中で三本の指に入るほどの嬉しい知らせでもある。
 まさか、そんなはずがない――。そう疑いつつも、気味の悪さと苛立ちよりも期待と歓喜の方が刻一刻と胸に占める割合を多くしていく。
 紙片を握る手が興奮で震えた。今すぐに駆け出したい気持ちを抑えて、エースは改めて紙に書かれた内容を読み返す。

 SABO IS ALIVE (サボは生きている)
 THE REVOLUTIONARY ARMY (革命軍)
 BALTIGO (バルティゴ)

 小さな紙に記された最低限のメッセージは、その短さに見合わず重要すぎる単語のオンパレードだった。
 幼い頃を共に過ごし死んだと思っていた親友が実は生きていたという可能性。その彼が現在所属しているだろう組織。そして絶対に政府に知られてはならない、件の組織の本拠地があるかもしれない場所の名前。
「本当に……誰なんだよ、こいつをおれのズボンにねじ込みやがったのは」
 考えられるのは、黒ひげに負けた後からマリンフォードの処刑寸前までの期間のどこかということになるが、その間にエースと接触した人物の中でこのようなメッセージを送りつけてくる類の者はいない。一瞬、ほつれ一つない真っ白なコートが風に揺れる様を思い出したが、そんなことあるわけがないとエースは頭を振った。
 罠か、善意か。
 結局のところ重要なのはその一点で、そしてそのどちらであってもエースはこのメッセージを無視するわけにはいかないのだ。
「ああ、いいぜ。サボが生きてるかもしれねェってんなら、賭ける以外の手はねェだろ! 行ってやろうじゃねェか、バルティゴへ!!」
 たとえ罠だったとしても、真実だという可能性が一ミリでもある限りエースはサボに会いたいという気持ちを優先する。それ以外の道など思いつかない。
 生きていたなら連絡くらいしろだとか、親友が処刑されそうになっていたのに助けに来やがらなかったのか薄情者めだとか、他人に愛されている自分≠自覚できた今だからこそ思えるような文句を心の中で呟きつつ、それでも死んだと思っていた無二の友に会えるかもしれないという可能性にエースは胸を躍らせた。


[chapter:ルフィ編]


 エースはもうサボに会えただろうか。
 薄暗い牢獄の中、海楼石の枷と鎖に繋がれて、ルフィは己が仕掛けた最後のサプライズの成功を夢に見る。
 公開処刑が行なわれなかった所為で、サボがエースの訃報を知って、失っていた記憶を突然取り戻すという一連の流れが発生することはない。しかし過去の試行錯誤から、彼の大切な記憶はルフィやエースと交流を持つことできちんと戻ることが確認できている。きっと今回もエースが会いに行けば、サボは故郷での親友との日々を無事に思い出すだろう。
 ただ、その記憶の中に『弟』に関するものはない。サボが取り戻すのは『親友』と『その育ての親』と『それら以外の好きではないもの』に関する事柄だけだ。最初から弟など彼らには存在しなかったのだから。そして無論、ルフィが彼らを兄と呼ぶことも、彼らがルフィを弟と呼ぶことも、今後一切ない。
 途方もない淋しさが胸を詰まらせる。けれども無事に再会して笑顔でいるであろう大切な兄達の姿を想像し、ルフィは暗く冷たい牢獄の中で凪いだ海のように静かに、満足そうに、そっと微笑んだ。
 頬を少し動かしただけでも焼け爛れた皮膚がひどく痛んだが、その笑みは決して崩れることはなく。
 欲しいものは全て得たと言わんばかりにルフィはひとり、囁いた。

「しやわせだなァ」







2022.12.10〜2022.12.16 twitterにて初出