(プロローグ省略)




「帝人君、起きて。もう朝だよ」
 合成された美しい声が覚醒を促す。同時に軽く身体を揺すられ、竜ヶ峰帝人は目を覚ました。
「……おはようございます、臨也さん」
 ベッドの脇に立つ黒髪の青年を視界に入れて告げる。
 見た目の年齢は二十代前半から中頃といったところ。帝人より十年弱ほど年上の、眉目秀麗という言葉を具現化したような青年は、プログラムされた通りにその美しい顔を微笑ませて「おはよう」と赤い双眸を細めた。


 ネブラ製人型演算装置【タイプ:情報処理支援型】JPN-TK-IKB-ORHR-0000000138
 それが帝人の身の回りの世話と仕事の補助を行うアンドロイドの正式名称である。しかし持ち主(購入者)が長ったらしい商品名≠いちいち繰り返すはずもなく、帝人はシリアルナンバーからその青年を『臨也』と名付けた。
 ただし仕事柄帝人が臨也を購入したままのスペックで使用し続けるはずもなく、製造元であるネブラの保証が効かなくなるのを承知で様々な改造を施していた。
 第一に臨也は情報処理能力が他の同タイプと比較にならないほど高い。元々情報処理に優れたタイプであるにも拘わらず、だ。そして記録しておけるデータ量もそれ相応に大きくなっている。
 次にこのハイスペックを利用して帝人は臨也に様々なソフトをインストールした。一人暮らしをしている帝人の世話―――家事全般が行えるようになるソフトから始まり、市販の物、アンドロイドのソフト開発を主な仕事とする自分が作った物、分け隔て無く。
 そのソフト群の中で特に大きなメモリを必要とするのが『感情プログラム』だった。
 市販されている物ではなく、帝人の自作。しかもインストールに必要な最低メモリ量が大きすぎるため、商品化はほぼ望めない一品である。
 しかしあらかじめ帝人本人によってスペックを高められていた臨也には問題なくインストールされ、他のアンドロイドには見られない豊かな感情表現が行えるようになっていた。まるで無機物から作られた臨也の中に本物の『心』が生まれたかのごとく。

「朝ご飯できてるから、顔洗っておいで」
「……はぁい」
 こくりと頷き、ベッドから降りた帝人はまだ若干夢に浸りながら洗面所へと向かう。
 平均よりも小さな背を見送る臨也の表情はまさに穏やかな愛情や慈しみが感じられるもので、彼がアンドロイドだと判るのはその整いすぎた美しさからと言った方が適切かもしれない。
 だがこの場面を第三者が目にする訳もなく、一体のアンドロイドの表情がどんな風になっているのか誰も気づかぬまま、臨也は主である帝人のためにダイニングへと足を向けた。

   * * *

 先月から作成を依頼されていた一体のアンドロイドをようやく完成させ、動作テストも終わらせたのが午後二時を回った頃。まだもう少し調整が必要な部分もあるがここまでくれば後は楽だと、帝人は一息吐いた。
 電源の入っていないアンドロイドが横たわる寝台のすぐ傍に腰を下ろし、頭を寝台の脚に預ける。するといくらもしないうちにその顔の前へとコーヒーカップが運ばれてきた。
「ありがとうございます」
 当たり前のようにそれを受け取って帝人は頬を緩ませる。カップを運んできた臨也も双眸を細めて笑みを返した。
「どういたしまして。疲れてるかと思ってちょっと甘めに淹れてみたんだけど、大丈夫?」
「はい。ちょうどいいです」
 ミルクと砂糖がたっぷり入ったコーヒーを一口啜って帝人が答える。すると臨也の笑みが更に深まった。ならよかった、と嬉しそうに。
「ねえねえ。この子、もう完成?」
 赤い双眸が寝台の上の少女≠ノ向き、問い掛けられた言葉に帝人が頷く。
「あと少し調整する予定ですけどね。ちなみに依頼主からの要望で名前は『セルティ』です」
「ふーん」
「本当は『美香』か『セルティ』っていう指定だったんですけど、顔が欧州系だったので後者にしてみました」
「それは納得できるけど……」
 臨也の白く長い指が少女型アンドロイドの首を示した。
「わざわざ首に縫い目みたいな模様を入れて、しかもそこを境に皮膚の色が違うなんてさ。よっぽど風変わりな依頼主だよね」
「依頼主の女性はこの子を自分の弟にプレゼントするんだって言ってましたよ。ただしマスター登録はその女性ですから、彼女の弟がどう思おうと何を命令しようと、この子は最終的に女性の言うことしか聞かないんですけど」
「あー……それって矢霧製薬の社長の姪御さんのことか。なるほど。そう言えば彼女、弟君に対してどうにも一般的じゃない愛情を抱いてるみたいだね。なのに大事な弟君に少女型のオモチャをあげるなんて」
「臨也さん。まさかまた」
「あははっ」
 じろり、と帝人が見上げると、臨也はわざとらしく笑って肩を竦めた。
「俺のことは情報屋と呼んでくれても構わないよ。まぁ集めた情報は帝人君にしか公開しないんだけど」
「何が情報屋ですか。僕が欲しいのはこの子達の行動パターンを設計する上で必要な情報だけです。そこまで個人の事情に突っ込んだ話は要りません」
 そう言って帝人は溜息を一つ。
 これはどう見ても臨也にインストールした感情プログラムの影響だろう。このソフトを入れたことで臨也は表現が多彩になっただけでなく、行動の一つとして『人間』に興味を持つようになった。そのため、時折こうして帝人の依頼主やその周囲の人間に対して独自の調査≠行うのだ。しかも色々とハイスペックであることが災いしてと言うか幸いしてと言うか、犯罪スレスレの(もしくは法律に抵触している)ことまで仕出かして。今回もまたどこかの監視カメラの映像でも勝手に盗んできたか、はたまた情報収集用に繋がりを持っている別の人間から何か聞き出したりしたのだろう。
 ある種完璧なアンドロイドの唯一かつ最大の欠点とも言えるそれを思って帝人はもう一つ溜息を追加する。
 しかしながら、
「でもさあ、ほんと人間って面白いこと考えるよね」
 そう言って楽しげに口の端を持ち上げる臨也。
 人間よりも人間らしい青年の空気を間近で感じ、本人も気付かぬうちに帝人の顔には笑みが浮かんでいた。何を言おうとも、どれだけ溜息を吐こうとも、帝人はやはり臨也が楽しそうにしているのを見るのが一番好きなのかもしれない。
「だから俺は人間が大好きなんだ」
 こうやって薄っぺらくも大きな愛を語る美しいアンドロイドが。


(以下略)