それは単なる雑談の延長でしかないはずだった。
 ザップとツェッドとレオナルドの三人がライブラの事務所、その執務室内のいつものソファセットでテイクアウトしてきた昼食を囲んでいた時のこと。レオナルドの妹ミシェーラの本来の瞳の色がブルーだという話になって、
「じゃあ少年の眼は何色だったんだい?」
 と、自身の執務机で書類を捌いていたスティーブンが会話に入ってきた。
「え? 僕の眼の色っすか? まぁ一応、青色でしたよ。妹ほど綺麗な色じゃなかったですけど」
 答えるレオナルドはいつも通りの糸目のまま苦笑する。
「へぇ、それは見てみたかったなぁ」
 ペンを置いたスティーブンは机の上で頬杖をついて僅かに口の端を持ち上げた。
 その反応に苦笑の度合いを強めるレオナルド。斗流血法の兄弟弟子と比べると接点の少ない上司との雑談は、互いの立場の違いも相俟ってレオナルドに少しばかり緊張を強いていた。しかも怒らせると怖い上司の機嫌を損ねないためか、件の兄弟弟子はスティーブンが会話に入ってきた瞬間からぴっちりとその口を閉じている。心なしか気配を殺してもいるようだ。
「そ、んな。大層なもんじゃないっすよ」
「そうかい? でも……ああ、そうだ。ちょっと義眼を使って俺達に君の本来の眼がどういうものだったか見せてくれないか? 訓練の一つだと思って」
「ええー……。スティーブンさん、なんでそんな興味津々なんすか」
「いやまぁな。やっぱり見られないとなると見たくなるのが人間の心情ってもんじゃないか。少年もそういうことあるだろう?」
「う。言われてみれば確かにそうですけど……。それが僕の眼ってのがなんつーか納得いかないと言うか申し訳ないと言うか」
「いいから、いいから。ほら、訓練だって言ったろ?」
 今後、君の容姿を周囲に誤認させた状態で行う任務もあるかもしれないから。と、スティーブンは冗談か本気か分からないことを言う。
 あえてここで否定し続けてもさほど益がないと判断したレオナルドは、渋々「わかりました」と頷いた。自分の容姿を義眼の力で他者に誤認させること自体は良いのだ。しかし今この場において、単に上司が自分の本来の眼の色に興味を持っているという事実が恥ずかしいのである。
 スティーブンから視線を外しザップとツェッドに目をやると、彼らも少しばかり興味を抱いたようで、前者はにやにやと、後者はそわそわと義眼の発動を待っている。どうやらレオナルドの味方はいないらしい。小さな嘆息を一つして、レオナルドは瞼を押し上げ、己の眼窩におさまる『神々の義眼』を発動させた。
 モデルは己の記憶の中にある自分の顔。上位存在から押し付けられた義眼とはまた異なる青い瞳。
「……すごいな。完璧じゃないか」
 スティーブンが偽りなしの称賛を零す。
 ザップとツェッドを含め、彼らの目には確かにレオナルドの青い瞳が見えていた。





「連続眼球抜き取り事件?」
 音速猿におやつのクッキーを渡す手を止めてレオナルドはライブラのリーダー、クラウス・V・ラインヘルツの顔を見やった。
 彼の執事であるギルベルトが午後のお茶にと言って出してくれたクッキーはソニックのお気に入りの一つで、それがレオナルドの指から離れないと気付くと、音速猿はクッキーにしがみつくようにしてそのまま齧り始める。
 一方、レオナルドは相棒の行動に気付くことなく、ソファに座った体勢でクラウスが発した言葉に首を傾げていた。
「それがこのところ続いている、と?」
「そうなのだ。発覚したのはつい先日。しかし被害自体は先々週辺りからあったらしい。いずれの被害者も青い目をした人類(ヒューマー)もしくは準人型(ニアヒューマータイプ)。幸いにも死者は出ていないが、全員、両方の眼球を摘出されている」
「うげ」
 元々青い目を持つ者として、また同じく青い目を奪われ光を失った妹がいる身として、嫌な事件にレオナルドは思わず顔をしかめる。偶然にも先々週と言えば、己の本来の眼を『神々の義眼』でスティーブン達に披露した頃だ。
「警察は動いているんですか?」
「先に事件に気付き捜査を始めたのはあちらでね。しかし眼球の摘出に魔術的要素があると判明した以外、一向に犯人への手掛かりが掴めず、我々に協力を依頼してきたのだ」
「僕にできることは……」
「君にはオーラで犯人を追跡できないか試してほしい。一番新しい事件現場には先にスティーブンが向かっている。今から私と一緒に出てくれ」
「了解っす」
 言うや否やレオナルドはソファから立ち上がる。ソニックも空気の緊張を感じてクッキーから離れていた。「どうしたの?」と窺うような相棒の顔にレオナルドは笑みを向け、食べかけのクッキーを見つけると改めてそれをソニックに手渡した。
「お前はここで留守番でもしといてくれ。クッキーは食べていいけど、食べ過ぎて腹壊すなよ?」
「キッ!」
 片手を上げてソニックが了解を示した。それを見届け、レオナルドはクラウスと共に部屋を出る。ギルベルトは先に車庫で準備しているらしく、すでに姿を消していた。
 歩幅の大きなリーダーに置いていかれないようレオナルドは小走りで彼の後を追った。


 被害者は両方の眼球を摘出されているため、ツェッドのエアギルスが強奪された時のように義眼で眼を覗き込む方法での情報収集は不可能。したがってレオナルドは被害者が入院している病院ではなく、被害があった現場でオーラの確認をすることとなる。
 最新の被害は車で十分ほど走った後、狭い路地を徒歩で数分進んだ所で起こっていた。
 クラウスの説明通り、先に現場へと到着していたスティーブンが遅れてやって来た二人に気付いて顔を上げる。
「ああ、少年。すまないが早速見てくれるか」
「っす」
 こくりと頷き、レオナルドは両方の瞼を押し上げた。青白い光が零れ、薄暗い路地に神秘的な光景が現れる。
 現場には一滴の血も落とされていなかった。スティーブンがいなければただの路地だと思って通過してしまっていただろう。しかしレオナルドが持つ神々の義眼は通常の眼で捉えられないものを見る。数が多いのは警察関係者のオーラ。それから被害者と思しきものとスティーブンのものが残っている。
(あれ? スティーブンさんのオーラは濃いのと薄いのがある。濃い方が現在のオーラだろ……ってことはスティーブンさん、前にもここへ来ていたのか。警察との話し合いってやつかな。お疲れ様っす)
 先に警察が事件に気付き、そこからライブラに連絡してきたということだから、おそらく警察はその際クラウスに協力の依頼を直接したのではなく、一度スティーブンを通して話を伝えたのだろう。外部との調整役も担うスティーブンはこうして事件がレオナルド達の耳に届く前からあちこち動き回り、実働メンバーが最高のパフォーマンスを発揮できるよう尽力してくれているのだ。
 おまけにスティーブン自身も完全な裏方ではなくばっちり実働メンバーの一人であるので、レオナルドは彼の働きぶりにひたすら感心するしかない。
 そんな風にスティーブンの凄さと有り難さを改めて実感すると共に憧れと尊敬の念を抱くレオナルドだったが、一方で、本来己が見るべきものが見えないという事実にぐっと眉根を寄せた。
「……クラウスさん」
「どうしたのかね」
 あまり良い気配がしないレオナルドの声にクラウスもまた幾分低くなった声で尋ねる。レオナルドは義眼を働かせて必死に周囲を探るが、やはりそれ≠発見できず呻くように告げた。
「犯人と思しき人物のオーラが見えません。ここに残っているのは僕らと警察、そして被害者のオーラだけです」
「なに?」
「少年、それは本当か?」
「はい」
 苦々しい思いでいっぱいになりながら頷く。
「困ったな。神々の義眼でも見えないとなると、オーラが無いもしくは消せるという恐ろしく特殊な存在か。はたまた発想を転換して、犯人が現場検証に来た警察の中にいるか……。それくらいしか思い浮かばないぞ」
「えっ、警察の中に犯人が?」
 スティーブンの推測にびっくりしてレオナルドは伊達男の顔を見上げた。クラウスも副官の案は思いもよらないことだったらしく、眼鏡の奥で目を見開いている。
 そんな二人を交互に見て、スティーブンは「だってそうだろう?」と事も無げに言ってみせた。
「むしろ俺は後者の方が有り得ると思っているくらいなんだが。何せ少年の義眼は『眼球の王』、つまり見えないものはほぼ無いと言っていい。そいつで捉えられないものがこの世に存在する可能性より、いっそ見えていても僕達が犯人だとは考えない者が犯人である可能性の方が高いはずだ。騙されているのは義眼じゃない。僕達の認識だ。ってな」
 無論オーラが見えない存在による犯行だという線も消してはいけないが、と付け足してスティーブンは肩を竦めた。
 彼の説明を聞き、レオナルドは確かにそうかもしれないと思う。この忌々しい眼は、押し付けられた経緯はさておき、できることだけを見れば非常に優秀である。義眼より自身の頭を疑うのは実に情けなかったが、スティーブンの言っていることは理にかなっていた。
「……身内に犯人がいるんじゃないかって指摘したら、あちらさんは怒るだろうなぁ」
「しかし黙っておくわけにもいくまい」
「ああ。神々の義眼でも捉えられない存在である可能性を捨てず、そっちの線でも捜査は続けて、警察には警察で内部を洗ってもらおう」
 レオナルドが黙考している間に上司二人は次にやることを決め、「少年、一度事務所に帰るぞ」と声をかける。「は、はい!」と慌てて返事をして上司達を見やれば、二人は揃ってハッとし、それから苦笑を浮かべた。
「あの、クラウスさん? スティーブンさん?」
 どうかしましたか、と尋ねるよりも早く、スティーブンが手を伸ばし、レオナルドの癖のある黒髪をわしゃわしゃとかき混ぜた。
「う、わ、ちょ!」
「犯人のオーラが判らないのは、レオナルド、お前のせいじゃないから気にするな」
「そうだとも、レオナルド君。断じて君の力不足などではない。だからそう申し訳なさそうな顔をしないでくれ給え」
「……ッ!」
 上司二人からわざわざ慰められるほど己は情けない顔をしていたのか、とレオナルドは羞恥で赤くなる。だが同時に気遺われていることが嬉しくもあった。恥ずかしさと喜びで口元をムズムズさせながら、「うぃっす」と答えるのが精一杯。
 そうしてスティーブンが最後にぽんとレオナルドの頭を叩くようにひと撫でし、三人は帰路についた。

(以下略)